goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

益井康一著 劉傑解説 『漢奸裁判史 1946-1948 〔新版〕』

2010年01月07日 | 東洋史
 旧版のほうは前に読んでいるし、今回付けられた「解説」の著者劉傑氏の『漢奸裁判 対日協力者を襲った運命』(中央公論新社 2000年)も読んだので、内容に関してはとくに何も言うことはない。
 しかしそれにしても思うのは、中国の正統思想のもつ、いわば窮屈さである。考え方や、そして当然ながら結論は、正しいものはひとつしかない。正統はまったく正しく、そして完全なる善である。そしてそれと違うものはすべて間違いであり、まったき悪となる。日本と中国の漢奸研究の最大の違いは見方の多元性の有無にあると、そのとおりの言葉遣いではないとはいえ、劉傑氏も「解説」において、指摘している。
 この正統思想は、もちろん国家や政権にも適用される(というより、国家や政権を正当化するためにこそある)。中華民国―中華人民共和国のラインを正統と見なす立場からいえば、満州国や汪兆銘が南京に立てた中華民国国民政府(日本でいうところの南京国民政府)は、非正統であり、間違いであり、悪であり、故にその実質に拘わらず存在してはならないのである。具体的なこの思想の表現としては、「偽満州国」、「汪偽政府」あるいは「偽国民政府」と、かならず(必ず!)、「偽」の字を冠さなければならない。正しいものはひとつしかないからである。これを怠ると、満州国や南京国民政府を正統と認めたことになり、それはとりもなおさず中華民国ひいてはそれを承けた中華人民共和国を否定したことであり、それは中華民国と中華人民共和国とを「偽」と呼ぶことであり、悪に加担したことであり、つまりお前も漢奸也と(オー修身斉家治国平天下式の中国式連鎖論法)、本人が打倒されてしまうからである。たとえ内心そう思っていなくても、口を極めて罵らなくてはならないのである。よいところもあったなどとは、口が裂けても言ってはならないのである。まったき悪である以上、よいところなどあってはならないからだ。

(みすず書房 2009年10月)