シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

上野の『東叡山 寛永寺』など

2021-04-03 | お出かけ

3月20日(土)、前回の『上野の森美術館』で『VOCA展2021』を見た後、未だ行ったことのない寛永寺に行くことにした。・・・というのも、寛永寺の名前は知っているし、時代小説を読んでいればよく目にする名称。戊辰戦争(上野戦争)では境内地に彰義隊がたてこもって戦場と化し、火事で伽藍の大部分が灰燼に帰したことも知ってる。でも、上野公園には何度か行ったことがあるけど寛永寺は見たことがない。どこにあるんだろう?探して行ってみよう!と思ったわけだ。

マップで確認すると、少し離れた所にある。途中には見所があるので立ち寄りながら&密避けながら(桜がまだ咲く前だし、曇天だったので、まだ人出は少なかったと思われるが、所々では密発生していた)。

清水観音堂』は天海大僧正が清水寺に倣って、寛永寺の観音堂として建立したもので、さらに比叡山から見る琵琶湖と竹生島の宝厳寺を、東叡山・清水観音堂から見る不忍池に不忍池辯天堂(べんてんどう)を建立するという模倣もしたとされる。
歌川広重「名所江戸百景」に描かれている『月の松』は、松の枝を丸くして月をかたどったもので、当時大変評判だった松だったが、明治初期の台風の被害で無くなった。それを、2012年に150年ぶりに復元した。
清水観音堂の舞台からは「月の松」の月の中に不忍池辯天堂が見える。(前回同様、スマホで撮影)


東叡山寛永寺を開山した後、境内には多くの伽藍や子院が建立された。その一つが1627年(寛永4年)に創建した神社「東照社」で、1646年(正保3年)に朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となった。
現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたもので、遠く日光までお参りに行くことができない江戸の人々のために日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したと言う。
中には入らなかったので、唐門(1651年造営、国指定重要文化財)の外観のみ記録。参拝する方たちが並んでいた。

この造営替えに際し約250基の灯籠が全国の大名から奉納されたそうだ。
そういえば、2年前に日光東照宮~二荒山神社~大猷院を巡った時にも、灯篭をたくさん見たが、ここでも多数の灯篭が並んでいた。

なお、ここの東照宮は幕末の上野戦争(戊辰戦争)でも、関東大震災でも、第二次世界大戦でも消失や倒壊は免れた。何という強運な神社なのだろう。あやかりたい。

人出が増えてきたので、そそくさと寛永寺に向かう。マップで確認すると、寛永寺根本中堂はそこそこ離れた場所にある。大噴水のある広場を突っ切り、東京国立博物館との間の車道を西側に行って東京芸術大学からは北に向かって行く。その辺りからは、歩いている人がほぼいない・・・。

東叡山(とうえいざん)・寛永寺
寛永2(1625)年に、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に建立された。江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となり、寛永寺の境内地は、最盛期には現在の上野公園を中心に約305,000坪に及び、さらにその他に大名並みの約12,000石の寺領を有していた。現在の上野公園の噴水広場にあたる竹の台には、間口45m、奥行42m、高さ32mという壮大な根本中堂が建立され、本寺(現東京国立博物館)には、小堀遠州による名園が作庭された。

しかし幕末の上野戦争により、全山の伽藍の大部分が灰燼に帰した。さらに明治政府によって境内地は没収されるなど、寛永寺は壊滅的な打撃を受けた。
その後、明治12年(1879)、ようやく寛永寺の復興が認められ、現在地(旧子院大慈院跡)に川越喜多院より本地堂を移築、山内本地堂の用材も加えて、根本中堂として再建された。現在の境内地は約30,000坪、盛期の十分の一になった。
寛永寺の歴史は激動だ。その中で、東照宮がそのままというのは、やはり奇跡かも。

寛永寺の根本中堂。境内には我々ともう1組。

境内に大きな鬼瓦があった。根本中堂の屋根にあったもので、高さ248cm。

 

上野駅方面に戻る途中、道路の角に小ぶりだけど歴史のありそうな建物があった。プレートを見ると『博物館動物園駅跡 京成電鉄株式会社』とある。調べてみると、同駅は1933年(昭和8年)に開業し、1997年(平成9年)に休止になり、その後廃止になったという。平成までやっていたことに驚く。それなら、続けても良いのでは?とも思う。

 

そこから道路沿いに歩いていると立派な門があった。『旧因州池田屋敷表門』との表示。鳥取藩池田家の移築された表門で、加賀藩前田家の「東大の赤門」に対し「上野の黒門」と呼ばれているそうだ。


一休みするところを探しながら進むが、広場のスタバも反対側のカフェも並んでいるのでパスし、上野駅公園口近くまで行ったら、公園の事務所の1階にカフェがあり、店内もテラス席も空いていたので、テラス席で紅茶。
その後、電車で帰った。

 

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京都市 朝散歩:南禅寺・疎水

2018-06-14 | お出かけ

(5月最終週の出張備忘録。前回の続き)山科のビジネスホテルに泊まった翌日のこと。
この日の訪問先に行くまでには時間がある。訪問先周辺をマップで確認すると南禅寺が近いので朝散歩に行くことした。南禅寺は1~2回は訪れているはずだが、若い時なので相当昔のことだ。

交差点を曲がって、南禅寺の敷地に入った頃に、お腹がゴロゴロときた。これはマズイ。昨夜、日常と異なる慣れない一人部屋飲みでペース配分を間違えたか、冷房が強かったか、お腹が冷えた時の状態だと思う。我慢しながらトイレ探し。案内を頼りに中門くぐって南禅寺トイレへ・・・間に合った。洗浄トイレが嬉しい。最初の見学はお寺のトイレになった。

さて、気持ちも新たに(時間もないし)散歩に戻る。案内図の看板で位置を確認し、まずは『三門』へ。2階建てで高さは22m。参道からは枝葉で全容が見えない。


近くまで行くと、流石に大きい。南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられるそうだ(他に知恩院、久遠寺)。


三門の両側には『山廊』がある。ここに三門の2階に上がる階段がある。時間が限られているし、天気もイマイチなので「絶景かな、絶景かな」はパス。

 


門の手前、参道横にある石灯籠が大きくて驚く。↓画では分かり難いが高さ6mほどあるという。一般的な家屋の2階屋根の下端の高さだ。

 

三門をくぐり、『法堂』へ。現在の法堂は明治42年(1909)に再建されたもの。


屋根がキレイだが、これは平成2年、開山大明国師700年大遠忌記念行事として、屋根茸替え工事及び敷瓦取り替え工事を行なったようだ。


内部の須弥壇上には、中央に本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像を安置し、天井には今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍が描かれている。

 

法堂の横を通って、本坊、方丈を眺め、琵琶湖疎水へ。境内南側にある『水路閣』も有名であろう。煉瓦造アーチ水路橋で明治23年(1890)に竣工。


こんな画のアングルも、よく有りがち。直前まで中学生が屯っていたけど、朝で人が少ないので撮れたようなものだ。


琵琶湖疎水は第1疎水、第2疎水、疎水分線があるらしい。どこの国でも、いつの時代でも、水を人工的に調節できてこそ街が成り立つ・・・のだろう。坂道を上って、鐘楼近くで水路を見る。

 

参道を歩いていると、幾つか別の名前のお寺(?)がある。マップで確認すると天授庵、真乗院、南陽院、金地院など。塔頭のようだ。庭園とか見処も多いのだろう。まぁ、今回は総スルーしかない。

敷地を抜け(どこが境界なのかよく分からないけど)、信号待ちしていると『琵琶湖疎水記念館』の看板と疎水からは想像もつかない豊富な水溜まりが見えた。ん~時間が、でも気になる~小走りで向かう。

記念館の近くに制服を着た方がいたので、ここの水は何だと急ぎの質問。北からは川、そして2つの疎水の水が集まっているような話だった。そして、ここから船が出ていたと・・・。


記念館南側の道路沿いには線路が敷設されていた。


途中にあったインクライン(傾斜鉄道)という説明板によると、蹴上船溜(ダム)や南禅寺船溜に到着した船から乗り降りすることなく、この坂を船ごと台車に載せて昇降させていた。動力は水力かと思いきや電力だ。第1疏水の完成と合わせて建設された「蹴上発電所」のおかげ。日本で最初の事業用水力発電所だという。日本初の産業の歴史が京都にあったことを初めて知った。

市内のほんの一画なのに歴史が盛り沢山。やはり京都は流石だね~。おかげで、1時間弱ほどの朝散歩は有意義だった。

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丁稚羊羹(2)、琵琶湖

2018-05-01 | お出かけ

先週、日帰りで滋賀県に出張してきた。車での移動中、昼食時になったので道の駅(?)に立ち寄った。その際、ランチ後に土産物売り場を見ていたら『丁稚羊羹』があった。

昨年の10月に出張で滋賀県の長浜市に行った時、お土産に『丁稚羊羹』を買ってきたところ好評だったので、これは良い機会と思い、また買うことにした。
丁稚羊羹のことは、昨年の日記を参考)

今回のは長浜市ではなく近江八幡市での製造だった。帰宅後、家族で食べてみると味は若干違いがあるものの、素朴な感じは同じで好まれる。


琵琶湖の西側沿いは湖西線が通っている。帰りは湖西線に乗って京都駅で新幹線に乗り換えた。
天気は雨上がりの曇天でイマイチだけど、湖西線の車窓から琵琶湖に近いところでスマホを外に向けてカシャっと。(天気が良ければさぞかし・・・)

 

 

 

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琵琶湖の消えたハスの原因解明

2016-11-02 | 自然・環境とか
7月に『琵琶湖からハス消えた…国内最大級群生地で異常事態 食害?生育悪化?』のニュースを取り上げた。琵琶湖岸にある国内最大級(約13ヘクタール)のハスの群生地に、今年はハスの葉が見られないという異常事態が起きていた。

その原因は諸説あげられていたが、調査を経て、この度原因が解明された。
 
原因は土壌環境の悪化。しかも、ハス自身が成長の過程で生育環境を悪化させていた。烏丸半島周辺は、約40年前からハスの生育が拡大したとみられるが、40年以上に渡って湖底にハスの葉や茎が積み重なり、土壌内が酸欠になっていたのだ。今回判明した湖底の土壌の酸欠状況は、陸上の植物が生育できないほどのレベルだという。一方、推測されていた病気やカメなどの食害の可能性はほとんどないとされた。また、気象条件や水質についても、例年と比べて特異な状況はなかったと確認された。
 
ハス自身がハスの成育に適さない条件を作り出していたわけだ。
 
原因が分かったものの、その対策をどうするかが問題。ハスを保護する根拠法令がないので責任機関が明確にならない。また、地元漁業にとってはハスの隆盛は、魚の生息環境の悪化になるので簡単に賛成できない。
 
ハスは人の手を加えないと、健康的に育たないのかもしれない。手入れをすれば他の動植物と共存共栄が図られるかもしれない。といっても、この広大な面積・・・いったいどうなることやら。
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国内最大級のハス群生地

2016-07-24 | 自然・環境とか
今年の3月に『琵琶湖全循環、今春大幅遅れ 暖冬で湖面冷却不足』というニュースをとりあげたが、その琵琶湖がまたニュースになっていた。
 
琵琶湖からハス消えた…国内最大級群生地で異常事態 食害?生育悪化?』
 
滋賀県草津市・烏丸(からすま)半島の琵琶湖岸は国内最大級のハスの群生地。面積で甲子園球場のグラウンド面積の10倍、約13ヘクタールの広さがある。(千葉県の手賀沼の群生は約11ヘクタールとか)
 
その広い面積を、例年ならハスが埋め尽くすのに、今年はハスの葉が見られないという異常事態が起きている。
増えている「ミドリガメが葉を食べる食害」説や、湖底の泥の中に腐った葉が堆積したり、地下茎が繁殖し過ぎたりすることによってハスの生育状況が悪くなる「ハスの成長力低下」説などがあげられているが、明確な原因は不明。
 
観光にも大きな影響を与えているハスの群生なので、今年はもう無理にしても来年以降再生が期待できるよう原因究明してほしいものだ。
 
 
 
それから、全く別のニュースだけど『芋焼酎に血糖値抑制効果 鹿児島大、臨床実験で確認』というのもあった。「芋焼酎は(食事に注意すれば)糖尿病を心配する人たちでも比較的安心して楽しめる」らしい。
 
ニュースに便乗しようと「ほ~らね」と妻に言ったら、「血糖値は高くないでしょ」と返された。そうだった。
 
 
 
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湖の全循環って

2016-03-17 | 豆知識的な…

今月13日に『琵琶湖全循環、今春大幅遅れ 暖冬で湖面冷却不足』というニュースがあった。例年は1~2月に確認されるが3月に入ってもまだで、大幅な遅れは2007年以来のことで珍しいようだ。と心配したところ、翌14日に「全循環」を確認したと発表された。

さて、ヘッドラインで「全循環」の文字を見て、これはどういうこと?と気になった。

ニュースによると、『冬場の琵琶湖では、外気で冷やされた表層の水や雪解け水が湖底へ沈み込み、対流が起きて上下の水が混ざり合う。酸素をたっぷり含んだ水が深い湖底まで届けられる年に一度の機会で、全循環は「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる。』らしい。

では、全循環が大幅に遅れると何が困るかといえば『2007年は秋から冬にかけて同湖盆の湖底が低酸素化し、イサザやスジエビの大量死が見つかった』。とすれば食物連鎖がなりたたなくなるわけだな。こりゃ~大変なことだ。

それに、琵琶湖は広くて深い湖だけど、年に1回だけ浅い層から深い層まで同じ温度になるというのも、(陳腐な感想だけど)自然ってすごいな~と思ったり。


ところで、ニュース記事だけを読んでいると、「全循環」は琵琶湖で起こるものと思われはしないだろうか。(無知な私はそんな感じに受取った。)

カチャッてみると「全循環」は、ほぼ全ての湖で行われる。稀に完全に混ざらない湖もあり「部分循環湖」という。さらに全循環は、琵琶湖のように年間で一度だけ混合される「1(回)循環湖」だけでなく、春と秋に混合する「2(回)循環湖」もある。浅い湖沼でみられる1日~3日ごとに混合される「多循環湖」もある。

それぞれの詳細は省くけど、循環の一番の要因は水温(気温や日光が影響)で春や秋は風の影響もある。
あと、知らなかったけど、水は4℃の時が最大密度で、比重も最大となる。これより温度が高くても低くても比重は小さくなる。(うんちくとしよう)

例えば寒冷地の湖では、湖底水温が(当然ながら)一番重い4℃前後の水になり、それよりも冷たい水や温かい水が上層を占める。この時期を湖水の冬季停滞期といい、水の動きがないしプランクトンの発生も少ないので、透明度が高くなるわけだ。

んで、初春から、表面の冷たい水が温められ4℃になると、自然と下層に向かう。さらに春風も影響して対流が起こって混合し、全層にわたって水温はほぼ同じ4℃になるという全循環が起こる。自然の営みと水の成分が醸しだす現象だった。

ちなみに、南北に長い日本列島では、琵琶湖~芦ノ湖ラインよりも南の湖は4℃以下にならない。その場合は・・・・・、説明が長くなりそうなので今回は終了。

 

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不凍湖っていうのは

2009-11-18 | 自然・環境とか

昨日の日記で、hiiragiさんから「不凍湖」についてのコメントをいただいたのだが、北海道のような寒い地域でも湖に氷が張らないのは何故だったか?気になったのでカチャってみた。

湖水は、暖かい時期に太陽の熱を吸収し(受熱期)、厳冬期には湖水表面から熱が奪われ冷やされる(放熱期)。当初は、湖底近くの熱が徐々に上昇し、氷結しないのだが、その後、全ての熱が奪われて氷が張る。

不凍湖になる湖は、水深が深く貯水量も多い=熱を蓄えるタンクが大きい、なので、厳冬期に放熱していても余裕があり、氷結する前に春がやってくる。

なるほどね~。支笏湖は水深363mで、田沢湖(423m)に次ぐ深さを誇る。しかも、貯水量も琵琶湖に次いで2番目なんだね。

ちなみに、北海道よりもはるかに緯度が高い、ロシアの「バイカル湖」、沿岸は周辺地域より10℃以上暖かいという。

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「ふなずし」で悪玉減少

2009-01-23 | 巷のニュース

滋賀県名産の「鮒鮨」の乳酸菌の1種が、悪玉コレステロールを低下させる作用があることが分かった。機能性食品などが開発できれば、過剰なコレステロール摂取による動脈硬化など生活習慣病予防につながるらしい。

歴史のある日本の料理に、そのような効果があるとは…感心な鮒鮨ですね。しかも、その乳酸菌は鮒鮨からしか見つかっていないそうだ。唯一無二の存在なわけです。

鮒鮨は発酵による乳酸の酸味と臭気が強いので、どちらかというと苦手だ。
お値段は?とカチャッてみたら(希少なのでソコソコと思ったけど)、予想以上に高い!にごろ鮒スライス90gで4,500円、子持ち鮒樽本漬けは正味10kgで68,000円

鮒寿司の主原料となるのは、琵琶湖で捕れる天然二ゴロ鮒(いお)。代用されるのは銀鮒(ひわら)のようだ。通の方々に言わせると、やはりニゴロブナはクセがなく美味しいとの評判。リーズナブルなのは当然銀鮒だ。
二ゴロ鮒は湖岸のヨシ原減少や水質の悪化、湖岸のコンクリート護岸化にともなう産卵床破壊、外来魚などにより減少していることで価格が1尾数千円と高騰している。

折角素晴らしい乳酸菌だというのに、このままでは滅多に食べられなくなる(今でもそうか?)。何とかならないものか!?


琵琶湖といえば・・・こんこんと自噴するわき水を引き込んだ、いわば屋内の井戸端がある地域がある。わき水は、壷池に溜められ、調理や洗い物に利用され、使い終わった水は、コイの泳ぐ端池(はしいけ)から水路へと流れ出す。このコイが米粒や野菜くずなどを食べ、水をきれいにしてくれる。
以前、NHKで何度か放映していた、川端(かばた)のある風景だ。行ってみたいな~。

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ラムサール瓢湖

2008-10-17 | 自然・環境とか

今月28日から韓国で開かれる湿地の保護に関するラムサール条約第10回締約国会議で、沖縄県久米島の渓流など日本の4カ所の湿地が新たに登録される見通しになったというニュースを見て・・・。

登録湿地は、日本ではこれまでに33カ所が登録されているようだ。今回、久米島の他に宮城県の化女沼(けじょぬま)、山形県の大山上池(おおやまかみいけ)・下池(しもいけ)、新潟県の瓢湖(ひょうこ)の4ヶ所の登録と、すでに登録されている滋賀県の琵琶湖の対象地域も拡張する方針だという。
瓢湖はハクチョウ約5000羽が越冬することで有名。当然、同県出身の私も知っている(でも、行ったことはない。遠いしね)。出身県でのこのようなニュースはなんとなく嬉しいもの。

んで、そもそも「ラムサール条約」って何でしたっけ?とカチャカチャしてみる。
1971年にイランのラムサールで開催された「湿地及び水鳥の保全のための国際会議」において「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択された。この条約は開催地にちなみ、一般に「ラムサール条約」と呼ばれている、とのこと。

既存の登録湿地には、釧路湿原・尾瀬のような湿地や、琵琶湖・宍道湖などの湖沼の他に「慶良間諸島海域」があった。何で、「湿地」なのに海が?と思ったら、そこは当然、次のような「湿地」の定義が条約にうたってあって、それに含まれるわけだ。なるほどね~と。 (詳しくはコチラのラムサール条約のサイトを参照してください。)

【定義】 湿地とは、天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なものであるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水であるか鹹水(海水)であるかを問わず、沼沢地、湿原、泥炭地又は水域をいい、低潮時における水深が6メートルを超えない海域を含む。

ちなみに、「水鳥の生息地として…」とのことだが、鳥だけでなく絶滅のおそれのある動植物が生育・生息していたり、その地域を代表とする湿地なども登録される。先ほどの「慶良間諸島海域」の湿地のタイプは『珊瑚礁』、「秋吉台地下水系」は『地下水系、カルスト』、「屋久島永田浜」は『砂浜海岸』である。

ところで、3年前の第9回ラムサール条約締約国会議では、20ヶ所の追加登録を実現したようだ。それなのに今回はなんで4ヶ所なのだろう?

市民グループ「ラムサール条約湿地を増やす市民の会」は、~未だ各地の多くの重要湿地が条約登録されず開発の危機に曝されているという問題は厳然として存在しており、これらの未登録の重要湿地を一日も早く条約登録して保全していくことが必要とされます。前回に比べ、重要湿地の条約登録が大幅にスローダウンし、国内で盛り上がったラムサール条約への関心や重要湿地の条約登録推進の機運が急速に萎んでしまうことが懸念されます~

ということから、昨年1月に17ヶ所の重要湿地の登録を実現して頂くよう、『早急にラムサール条約に登録し保全すべき重要湿地の登録実現を求める要請書』を関係省庁に提出した。良瀬遊水池、霞ヶ浦、豊田市周辺、汐川干潟、吉野川河口、新舞子海岸、球磨川流域などがリストにあがっていた。

もちろん何事も一市民グループの要望がそのまま通るとは、私も思っていない。思っていないけど、重要な湿地は確かに存在し、前回の20ヶ所から大幅に減らすことも無いでしょ!とは思う。実際に、今回は4ヶ所だし。それに、ラムサール条約締約国会議は3年に1度の開催なので、向こう3年間は進展が無いことになるわけだからね。
今回の申請が何故4ヶ所なのか?答えをさがしだせなかった。どういうふうに決めているのだろう???


さて、新潟の瓢湖の話・・・瓢湖のハクチョウは吉川さんという方が、50年以上前に初めて餌付けに成功し、その後も親子に渡って保護活動に取り組んできた。そのおかげで多くのハクチョウや20種類ほどのカモもやってくるようになった。
人の手でエサを与えるのはいかがなものか!という異論もあるが、「野鳥は自力で食べ物を見つけるのが本来の姿であり、人工の給餌は自然が回復するまでのつなぎだ」と吉川さん。エサは自身で管理していた。ただ、吉川さん親子引退後、市が給餌することになったのだが…。

また、瓢湖は住宅街と水田の境にあり、地元の方にとっては「素晴らしい自然の中にいる野鳥」ではなく、「共に暮らし続けている仲間」のような感覚だという。そして、住民自ら自然観察会や植生調査などの活動を地道に進めている。周囲の水田も含めた広い環境で、生物との共生を図ることが目標だ。

いずれにせよ、瓢湖や周辺の自然が回復する取り組みを急がなければならないようだ。鳥のふんなどが湖底に堆積して、水質悪化が懸念されている。水底も上がっている。
瓢湖は国の天然記念物であり、国指定瓢湖鳥獣保護区に指定されたが、ラムサール条約の登録が、瓢湖を見つめ直す契機になるよう願い&応援しています。 (参考:新潟日報08/10/10社説) 
※瓢湖の情報はコチラに、また映像はコチラの「ライブ映像」をリンクしてお楽しみ頂けます。

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NHKアーカイブ・里山は保存版だった!

2006-12-19 | 自然・環境とか

12月17日の夜、ハイビジョンスペシャル「里山・人と自然がともに生きる」をやっていた。

田んぼに小川、雑木林と、人々が長い年月をかけて作り上げてきた暮らしの場・里山は、多くの生き物たちを育んできたかけがいのない豊な自然でもある。自然写真家の今森光彦さんの映像を交えて、琵琶湖畔に残る里山の人々と自然が共存する姿を詩情豊に描いた作品。

(全部見たわけではないのだが)見所は満載だ。
美しい曲線を描き、人の手でキレイに保たれている棚田。
そこに生きるヤゴ、ミズカマキリ、タイコウチ、タガメ等の水生昆虫。
田で生まれ川を経て湖に戻るナマズ。雑木林の甲虫類などなどなど。

いろいろあるのだが、今回特に「懐かしい~」と思った所がある。
里山の家をバックに手前に花が写ってるシーンだ。
私が小さい頃、どこの家でも周りには庭や畑もあり、家と家との境も分からない。その所々で春~秋までは花が咲いていた。TVでも映っていた花もあった(名前は分からない)と記憶している。
今思うと、花だけでは、家だけではそれほど思わなかったろう。花と家が一緒になることで思い出した。不思議だ~ね。

この里山は滋賀県の「仰木(大津市)」という所で、1998年(平成10年)11月8日に放送したものだ。

棚田は傾斜地に等高線に沿って作られ、面積は小さい。軽自動車も入らない所もある。どこでもそうだが、高齢化と不便さで放置されていく田が増えている。
また、水田を効率的に利用するために水田の形を四角にして一枚あたりの水田の面積を増やしていく土地改良事業(圃場整備)もすでに始まり、土を入れ、小山を削って平らにしていく。
美しい景観はいつまで保たれるのであろうか。

仰木の里山インターネット新聞及び関連記事は是非みていただきたいものだ。

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