シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

鴻巣市:日本一長い「荒川水管橋」見学会“秋”

2022-10-30 | お出かけ

水管橋(すいかんきょう)は、水道管が川や鉄道などを横断するための橋のこと。
「荒川水管橋」は、荒川と、その南側に並行する和田吉野川に架かる水管橋で、全長約1,100m。日本一長い水管橋として知られている。

今年の5月、「荒川水管橋見学会」が3年振りに催されるというので、ポピー畑と併せて行ってみようと考えていたが、天気予報はイマイチで、当日の朝も雨だったので行くのをあきらめた。(見学会は天候回復により行われたらしい)
その際、次回はコスモスの頃に開催というので、秋の開催を気にしていた。

10月の初旬、埼玉県のWebサイト(水道イベント情報)を確認したところ、10月22日に鴻巣市主催の「コスモスフェスティバル」と同時開催すると知り、直ぐにスケジュール帳に予定を入れ、妻と一緒に荒川水管橋見学会へ出掛けることにした。

10月22日(土)午前9時前に「コスモスアリーナふきあげ」の駐車場に着く。見学会の受け付けは9時からというので、その頃に着ければと考えてのことだが・・・甘かった。受付場所に行ったところ既に行列になっていた。行列の折り返し地点からの様子。


しばらく並んでいると、後ろの方で「もう午後になるらしい」との声が・・・。
見学会は、通常立ち入ることのできない狭いメンテナンス用通路を歩くため人数・回数などルールが決められている。
 (1) ショートコース(往復400m) 1回あたり30分/定員40名/計8回(午前3回、午後5回実施)
 (2) ロングコース(往復2.2km)  1回あたり60分/定員40名/計3回(午前1回、午後2回実施)

午後は娘宅に行く用があるので、午前でなければならない。午前のロングは早々に一杯になり、あとはショート3回のどこかに入れれば良いのだが、前に並んでいる方々が見た目通りではなく、連れがいるのかもしれない。受け付けの直前までひやひやだった。午前3回目(10:30)に滑り込みセーフ!

集合時間まで、露店を見たりコスモス畑を見たりして過ごす。(※コスモス畑のことは次回にとりあげる)
水管橋までの土手の遊歩道沿いではクイズラリーが5問続く。途中、撮影用の額があったので利用してみる。(右下のイラストは“コバトン”で県のマスコット)


荒川水管橋を土手から見る。橋の赤いアーチは全部で14個ある。円柱の橋脚は直径3.2mと(中央部分?は)4.2m。(以下、サイズは現地に掲示していた図面を参照))


送水管は左右に2本あり、それぞれ径1.2m。2本ともこちらから対岸へ送水されている。2本の間に通路があり、この後の見学では、そこを歩くことになる。


集合場所は橋の端、橋台のところ。ここは直径2m×4本の柱。ここで受付し、軍手を渡された。


職員の方の説明後、高さ10m超の階段をゆっくり上り、通路を一列に歩く。


ショートコースは通路の途中まで。その先の様子を見ようと、先頭に移動して記録する。


一般的な橋のような桁は無い。アーチは左右の送水管に直接つながる。送水管が桁代わりにもなっているようだ。


通路も橋脚の間は送水管が支える。ショートコースは青いネットも張られていた。


足元は格子状(グレーチング)なので、サンダルやハイヒール、スカートや裾の長い服などの動きにくい履物や服装での見学は不可。また、風もあるので、カメラやスマホにストラップを付けるなど、事前に落下防止対策必要とのこと。

なお、クイズラリーに参加したので、カード3枚をいただいた。その内の2枚を紹介。


当日は曇りだった。もっと天気が良ければ、遠くに富士山や秩父連山の稜線などの景色も堪能できたであろう。

荒川水管橋は、1984年(昭和59年)5月に、埼玉県北足立郡吹上町(現:鴻巣市)と大里郡大里町(現:熊谷市)の間に完成。
利根川の利根大堰で取水された河川水は、行田浄水場で浄水処理され、その水道水のうち比企・入間地方をはじめとする県西部へは、本橋を介して左岸側(東側の鴻巣)から右岸側(西側)に送水される。

 

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森林公園2:チョウやバッタ、沼の風景・沼普請など

2022-10-21 | お出かけ

10月15日(土)『国営武蔵丘陵 森林公園』のつづき。今回は、チョウやバッタなどの生き物や沼の風景。

この時季、過去(2016年)には「野草コース」のフジバカマが群生し、アサギマダラが多数飛翔していた。しかし、その後は同様の状態を見ていない。
さて今回は、フジバカマの株数が少ない。少なすぎて驚いた。アサギマダラはいない。コース内の「秋の七草園」を一回りした帰路、「いたー」との声の方を見ると、フジバカマを見る園路の反対側の林内に、一匹のアサギマダラが飛んで行ったようだ。どれどれと私も近づくと、ひらひら飛びながら黄色い花にとまった。黄色い花は何だろう、アキノキリンソウかな。


そのアサギマダラ♀が羽を閉じた状態。 / ノコンギクにツマグロヒョウモン♀


羽毛ゲイトウにキタテハ。秋型。 / ダリアにとまった黒いアゲハは後翅が・・・。


枯れたオミナエシにツチイナゴ。越冬する。 / ノハラアザミにはキリギリスの仲間。触覚長っ。


セグウェイ自然体験ツアーの方々。 / 買ってきたお弁当。軽くサクッとサイズ。





森林公園がある「埼玉県比企郡滑川町」は、関東一沼の多い町と言われている。沼はすべて、田んぼに水を引くために人工的に造られた「ため池」。丘陵地に特徴的な「谷津」と呼ばれる地形を活かして造られている。
(森林公園Webサイト参照)

運動広場花畑に行くため、吊り橋を渡る。(画は、渡って振り向いた風景)

その橋の上から眺めると、本来なら水面があるはずなのに、水が無い。

この「あざみくぼ沼」という沼は、水が抜かれていた。

滑川町の伝統行事のひとつ、「沼普請(ぬまぶしん)」の際に行われていた「魚とり」を再現した「沼まつり」を翌日(16日)に開催するための準備のようだ。

「沼普請」は、大雨や地震などで沼の堤がこわれたり漏水したりしないように行われてきた補修作業のこと。
田んぼで水を使わなくなる10月頃に沼の水を抜き、泥をさらったり、ゴミを取り除いたり、堤を補修したりして、生活に欠くことのできない沼を守ってきた。その時の楽しみの一つに「魚とり」があった。それを再現したお祭りが「沼まつり」と呼ばれている。

園内最大の「山田大沼」は、真ん中にある中堤によって上池(北側)と下池(南側)に分かれ、下池の堰体下は噴水が設けられ、エントランス広場から中央ゲートになる。
上池の渓流広場近くから中堤を見る。

遠くに水鳥が見えたので、沼沿いの遊歩道を進み、ズームで確認すると、カワウが多数いた。


検索してみると、山田大沼の湖畔林には埼玉県最大、関東で有数の大規模コロニーがあり、糞害や食害がひどかったので、繁殖地化の防止対策を行っているという。
バーダーさん(鳥見屋さん)はご存知かもしれないが、多くの来園者は気付いてないだろう。というか、気付かないような施策をしているのかもしれない。

 

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森林公園1:花壇やコリウス・ケイトウ・赤ソバの花畑

2022-10-19 | お出かけ

10月15日(土)、埼玉県滑川町にある『国営武蔵丘陵 森林公園に行ってきた。今年の3月13日以来となる。
天気予報がころころ変わる頃で、15日と16日のどちらで行こうかと迷っていた。いずれも曇り~晴れ。念のためと公式Webサイトで情報を確認すると、16日(日)は「秋の都市緑化月間」で入園料が無料となる日だった。無料は嬉しいけど、人出が増えるのは避けたい。結局、15日に行くことにした。(結果的には、15日の方が天気が良かったので、正解だったと思う)。

園内の移動距離が長くなると想定されるので、今回は自転車レンタルを利用することにした。サイクリングコースは、けっこうアップダウンがあるので変速機付きにしようかと思ったら、電動アシスト自転車もある。料金は通常420円/3hが倍の840円/3h。電動アシストは利用したことがないので、これも良い機会かと自分に納得させ、利用することにした。(この選択には、3月の森林公園の翌日に脳外科クリニックに行ったら、脳内出血で急遽入院になったことがあり、妻からは「くれぐれも無理をしないで」と言われていたこともある。)

中央口から入った所の噴水のある広場は改装中(飾り中?)。ハロウィンのディスプレイと手前にはレンタルした自転車。


これまでの歩きの場合は、運動広場花畑や野草コース→西口ひろば花畑→こもれび花畑、ハーブガーデン・ボーダー花壇、植物園展示棟の順に見ることが多かったが、今回は逆から見てまわることにした。

ハーブガーデンは、一部リニューアルされていた。多数の花が咲いていた。


生垣園内のダリア花園では、約300株のダリアが楽しめるらしい。


公園庭園樹園内のこもれび花畑では、約2000㎡、約1.3万株、7品種のコリウスが植栽され、ただいま最盛期の見頃。カラーリーフで作る景観を楽しめるのは、他所ではあまり無いのでは。


西口ひろば花畑の羽毛ゲイトウ花畑は、赤・ピンク・黄・ローズ・オレンジなどの色が、丘に広がっている。全体を見渡せないのが少し残念。少し傾いた株も出ているが、全体的には見頃だった。


運動広場花畑では、赤ソバのピンクの小花が約8000㎡を埋め尽くしている。緩やかな斜面の下の方の広い花畑で見頃だった。独特の香りも漂っていた。


植物園展示棟の近くの高木には、白くて丸いモノが。ハロウィンのイベントでイルミネーション&ライトアップがされるらしいので、イベント開催日の夜には明かりが灯るのだろう。


ところで、電動アシスト自転車は、当公園利用にはピッタリだと思った。ただ、サイクリングコース&駐輪場は決まっているので、そこから離れた所には行きにくいし、歩きながらの発見機会も少なくなってしまうのは仕方がない。今後も、時々は利用しようと思う。
(次回も森林公園から)

 

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川島町でコスモスの摘み取り

2022-10-17 | お出かけ

昨年か一昨年、出かけた帰りに埼玉県川島町を通ったら、コスモス畑があったので立ち寄ったところ「ご自由にお摘み取りください」との看板があり、ステキなサービスをするものだと感心した。ただ、この時は、ほとんど残っていなかった。

10月15日(土)、武蔵丘陵森林公園に行ってきた。その帰り、川島町のコスモスのことを思い出し、急遽立ち寄ってみることにした。
すると、コスモスの花は咲いており、残っていた。農道沿いに車が2台とまっていて、スマホで撮影している方や、ハサミを持って摘み取りをしている方もいた。


あっ!ハサミは無い!!と気づく。ここは公園などの施設ではないので、自分で持参しなくてはいけないわけだ。ここを目的にして出かけるのであれば、事前に考えたと思うけど・・・。
でも、車の中には常に十徳ナイフを入れてある。小さいハサミも付いている。これでできることをしようと考えた。

あと、コスモスの摘み取りの経験が無い。どうすればベストなのか分からないので、摘み取りをしていた“おばさま”に教えを乞うた。「なるべく長めに切った方が良い。なるべく茎が太い方が良い」とのこと。感謝。

十徳ナイフの小さいハサミには酷な作業だったが、三掴み位の量になったので、充分と思い引き上げることにした。
帰りは、まず(妻が孫の世話でおじゃま中の)娘の家に寄り、半分弱くらいを預けた(プレゼント)。
帰宅してからは、とりあえず水につけた。この後の作業は妻に任せるしかない。
妻が帰宅し、花瓶を出して活けてもらった。けっこう葉を落としたようだ。


翌16日(日)の朝、見ると花が新たに咲いており、花数が増えた。娘からも同様の連絡がきた。


大柄なので部屋も華やかになる。たま~にだけど、花のある室内はイイね。

 

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庭のヤマボウシの果実が熟してきた

2022-10-16 | 我が家~植物・生物

我が家の狭い庭の一画(南側の角)を占めるヤマボウシ。枝が裏と横の家に伸びるので、春からは何度か剪定している。
今年は、花の盛期があったような、なかったような微妙だが、今朝見たら、果実が徐々に赤くなってきている。

本日朝9時、一番下の枝の様子をスマホで記録する。この枝の辺りは、朝の短時間だけしか日があたらないはずだが、それでも果実が幾つもできていて嬉しい。


念のためと、午後3時頃にも。


果実が多くついているのは南側の上部だが、残念ながら我が家からはほぼ見えない・・・。

 

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ベランダの手すりと雨樋に足跡が!何!

2022-10-14 | 我が家のアレコレ

先月のこと。2階のベランダの角(南西側)の手すりに、土跡が付いていた。自分でつけた覚えは無いし、家族はめったにこのベランダに出ないし、何で?そもそも何っ?と不思議に思った。


ひょっとして、何かの足跡なのか?でも、ここは2階なんだけど・・・。まさか!?、と思いながら家の裏側の手すり越しに雨樋の縦の部分(縦樋)を確認すると、一定間隔に土がついている。(画では分かり難いかもしれない)


エーっ!!これは明らかに足跡ではないかー!いったい何者なんだろう。Webで検索すると、ハクビシン、アライグマ、イタチ、テンなどが縦樋を上るらしい。すると・・・、
思い当たるのは(私は見てないが)、息子はたまたま、2016年9月の夜に家の裏の平屋の屋根で、また2020年8月に近くのスーパーの裏で「アライグマ」を見ている。

とすると、確度的に高いのはアライグマではないか!と思わざるをえない。あの、世界名作劇場「あらいぐまラスカル」のアライグマが・・・。
とはいえ、当地はまぎれもない住宅街なのだ。縦樋まで使って餌にありついた経験がそれほどあるとは思えない。何で上ったのだろう。ベランダ菜園狙いなのかな。

北米原産のアライグマは、日本の環境でも繁殖が可能で、ペットとして輸入されたものが野生化し、今では農業被害が年間数億円にのぼるという。見た目はカワイイけど、放ってしまえば害獣に。放るのも害獣と思うのも人間様だけど・・・。

 

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さいたま市:国指定史跡「見沼通船堀」,水神社,鈴木家住宅

2022-10-10 | お出かけ

さいたま市に「見沼たんぼ」という江戸時代の新田開発地がある。かつて、その用水となる見沼代用水路東縁及び西縁と芝川を結ぶ、総延長約1kmの閘門式運河「見沼通船堀」が運行されていたと知り、9月30日(金)に立ち寄ることにした。(お彼岸に行けなかった義母宅に行く途中)

見沼通船堀は、江戸時代中期の享保16年(1731)に開通した閘門式(こうもんしき)運河で、大正時代の末頃まで利用されていた。
東西の見沼代用水と芝川は、その水位差が3mもあったため、東西2ヵ所ずつ閘門を設け、水位を調整して船を通した。
閘門式運河で有名なのは、太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河であろう。規模は比較にならないが、パナマ運河は1914年の完成なので、見沼通船堀はパナマ運河よりも183年も前にできていた。
見沼通船堀は閘門式運河として、日本有数の古さであり、江戸時代中期の土木技術の高さが評価されている。また、近世の土木技術、流通経済を考える上で貴重なものとされ昭和57年(1982)に国指定史跡となった。(現地説明板、市のWebサイト参照))

芝川の八丁橋と並行する歩行者専用の橋から北側を見る。左側の小さい橋のところが見沼通船堀西縁、右側は藪で分かり難いが電柱と電柱の間に見沼通船堀東縁がある。


今回、見沼通船堀東縁を進むと、最初に見えるのが「一の関」という水門。


その先に「二の関」。通船堀に水は通ってない。用水側で水を止めているのだろう。

一の関と二の関の間は閘室(こうしつ)にあたり、2つの水門(関)に挟まれた水路に船を収容して水位を上下させる部分。閘室内には堀の幅が広くなっている部分(舟溜り:ふなだまり)があり、用水へ上る船と芝川へ下る船がすれ違うことができる。

関の中央にある太い木枠を鳥居柱といい、ここに角落(かくおとし)と呼ばれる板を取り付けたり、外したりして水位を調整する。角落の大きさは、長さ11尺(約333cm)、幅6寸(約18cm)、厚さ2寸(約6cm)の細長い形。


見沼通船堀の開削、特徴、構造、通船のしかた、閘門開閉のしかたなどは、さいたま市Web「見沼通船堀のしくみ」が参考になる。
https://www.city.saitama.jp/004/005/006/008/p077111.html
鳥居柱に沿って角落を設置するのは水圧を上手く利用している。9枚積んで高さは162cmになる。2つの関で高低差3mを乗り切るわけだ。
一の関では、毎年8月に閘門開閉の実演をしているらしい。(←リンクの動画参照)


二の関の上流側は、堀が浅い。用水側の方が水位が高いし調整が効くので、これで充分なのだろう。

反対側の見沼通船堀西縁は、JR武蔵野線東浦和駅からほど近いところにある。

◆水神社、鈴木家住宅
八丁橋のたもとには「水神社」がひっそりと佇んでいた。見沼通船堀のおかげで、江戸と代用水路縁辺の河岸の間で荷物を運ぶことができ、当地には河川輸送に携わる方たちが住んでいた。水神社は、その方たちが水難防止を祈願して祀ったもの。

本殿は関東大震災で全壊してしまい、翌年に再建されたもの。国の史跡に追加された。

荷物は、見沼で取れた米(年貢)などの農産物が江戸に運ばれ、江戸からは肥料や塩、酒などの商品が水上交通によりもたらされた。

対岸の近くには、同史跡に追加された「鈴木家住宅」がある。鈴木家と高田家は見沼開拓事業に参加し、見沼通船堀の完成と同時に両家は差配役に任じられ、当地で通船会所を持っていた。

その後(文政年間以降)住まいも同地に移した。現存する住宅は、このころの建立で、見沼通船の船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物とされている。

 

◆見沼誕生~見沼用水~見沼代用水~見沼通船堀までの経緯
古代、海面は現在よりも高く、現在の「見沼たんぼ」のある地域は東京湾とつながる入り江であった。その後、約6000年前を境に海が後退し、入り江が東京湾と分離して、無数の沼・湿地が生まれた。その一つとして見沼が誕生した。

江戸時代初期、利根川と荒川は合流して東京湾に流れ込んでいたが、氾濫を繰り返しており、また新田を開発することから、利根川東遷と荒川西遷の大土木事業が行われた。
大河川が遠のいた当地では水不足が懸念され、八丁堤と呼ばれる堤防を築き、農業用水を貯めておく大規模な溜井(ためい)を設けた。見沼溜井から水を引く「見沼用水」のおかげで周辺の新田開発が進んだが、次第に見沼溜井だけでは新田開発に追いつかなくなり再び水不足になった。

その後享保12年(1727)、 徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)が、新たに利根川から用水を引き、見沼溜井は干拓して新田開発し、排水路として中悪水路(現芝川)を掘削する大工事を行った。
利根川から引かれた水は、見沼に代わる用水なので「見沼代用水」と呼ばれた。見沼代用水は、取水口(行田市)の利根川から見沼まで全長60km、末端(東京都足立区)までは84.5kmにも及んだ。

米が収穫できるようになったことから、年貢米として江戸に運ばれることになり、そのために造られたのが、東西の見沼代用水と芝川を結ぶ見沼通船堀で、井沢弥惣兵衛為永によって開削された。(さいたま市のWebサイトから抜粋しまとめたもの)

井沢弥惣兵衛為永さんはスゴイ。ちなみに、さいたま市緑区の「見沼自然公園」に井沢弥惣兵衛為永さんの像が建っている。

 

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吉見町:岩殿山 安楽寺(吉見観音)、八丁湖公園

2022-10-07 | お出かけ

9月25日(日)、吉見百穴や松山城跡・岩室観音堂を見た後、何だかんだで八丁湖に立ち寄り(下段参照)、その後に訪れたのが『安楽寺(吉見観音)』。

岩殿山 安楽寺は、鎌倉時代初期に開設された坂東三十三観音の11番の札所で古くから「吉見観音」の名で親しまれてきた。本尊は聖観世音菩薩で、吉見観音縁起によると、今から約1200年前に行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとしている。平安時代の末期には、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたと伝えられている。(青字:吉見町Webサイト参照。以下同様))

駐車場から緩い坂道を歩いて安楽寺に着く。石柱に「坂東十一番」とあり、石段の上に仁王門がある。


仁王門は八脚門。県指定有形文化財(建造物)。屋根は瓦葺であったが、現在は銅板葺に改められている。こちらの仁王像は全身真っ赤。


門をくぐって左手には、手水舎~奥に薬師堂~何かの慰霊碑~弘法大師像など。


正面に本堂。県指定有形文化財。本堂・三重塔は源範頼が建立したが、松山城の落城に際してすべて消失した。 現在の本堂は、今から約350年前の寛文元年に再建されたもの。


手前右側には、高さは約3mの阿弥陀如来坐像(吉見の大仏)。本殿右側に三重塔。


本堂の屋根の造りや彫刻など、目を見張るものがある。

左側にまわって見る。


その奥の方に、鐘楼八起地蔵尊があった。


本堂の右側には三重塔。こちらも県指定有形文化財で、指定番号1号(昭和28年3月)。現在の三重塔は、今から約380年前の寛永年間に再建されたもの。


総高約24.3m。軒の出が非常に深く、どっしりした安定感を感じさせる。


埼玉県内で江戸時代の三重塔は3基のみで、他は行田市の成就院(総高約11.18m)と川口市の西福寺(総高約23m)。成就院は今年の7月に訪れたが、その際に他の三重塔のことを知り、見たいと思っていたので一つ叶った。

三重塔から一段下に降りて、大仏越しの本殿を振り返る。


団体さんも来ていて、思っていたよりも人出があった。大河ドラマの影響もあるのかな。


八丁湖公園
『黒岩横穴墓群』というところがある。~現在、30数基の横穴の存在が確認されているが、この一帯の斜面には多数の横穴墓が埋蔵しており、国指定史跡である吉見百穴よりも大規模で良好に保存されていると云われている。その総数は500基以上と推定される。~というのだ。

Googleマップを頼りに向かったのだが、案内標識もなく近くまで行けない。そこで、近くの八丁湖に行ってみることにした。八丁湖は、稲作のために造られた溜め池。


案内板を見ると、八丁湖の周辺は散策路が整備された『八丁湖公園』になっていて、その公園内に黒岩横穴墓群があると分かった。しかし、駐車場からそこそこ距離がありそうなのであきらめた。またの機会に訪れよう。

 

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吉見町:国指定史跡『松山城跡』と『岩室観音』

2022-10-03 | お出かけ

9月25日(日)、前回の「吉見百穴」見学の前後で、近くの『松山城跡』と『岩室観音』にも行ってみた。

◆松山城跡(比企城館跡群)
松山城跡は、比企丘陵の先端に築かれた北武蔵地方屈指の平山城、平成20年(2008)には、すでに国指定であった菅谷館跡(嵐山町)に、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)と共に加わり、『比企城館跡群』として国指定史跡となる。城の周囲は市野川が形成した低湿地帯が広がり天然の要害を形成している。

吉見百穴で頂いた、松山城跡のパンフレットの表紙を拝借。三方が市野川に囲まれているのが分かる。


築城に関する文献資料は極めて乏しく詳細は不明。歴史的には、小田原北条氏が興隆する時期からその名を中世史に登場させる。
特に、天文6年(1537)に小田原の北条氏綱が江戸城・川越城を落とし松山城を攻めたことは有名である。その後も小田原北条・越後上杉などによる度重なる合戦によって支配者が頻繁に変わったが、小田原北条勢力下の上田氏の支配下にあることが多かった。
松山城をめぐる攻防は大変激しく、ここが北武蔵地域の要所であったことが伺える。天正18年(1590)、豊臣秀吉による関東攻略の後、徳川家康が関東に入り松平家広を松山城主としたが、弟の松平忠頼のときに浜松に移封され慶長6年(1601)に廃城となった。(パンフレット参照)

現状の城の縄張りは、小田原北条氏による大改修によって形成されたものと思われ、本曲輪を初め多くの平場や空掘などが大変良好な状態で残っているという。
国道沿いの本曲輪入口から上り始めるが、この山道で合っている?と疑いながら・・・。


急に開けて、山道に比べてかなり幅の広い石段が登場。


その上が本曲輪だった。東西、南北とも45mの広さがあるようだ。


現地の案内図。光の反射のせいで、やや斜めから撮らざるをえなかった。


曲輪構成は、西から東に向かって本曲輪・二ノ曲輪・三ノ曲輪・曲輪四が一直線に並び、それらを取り囲みながら惣曲輪・兵糧倉跡を始め大小様々な曲輪が配されている。曲輪の周囲には大規模な空掘と切り落としがあり、城跡の南側の斜面には竪堀も認められるとのこと。市野川もあり、確かに要害だと思われる。

◆吉光院 當選寺(とうせんじ)
松山城跡への本曲輪入口の近くに「當選寺」というお寺があり、道路から多角形のお堂が見えたので参拝してみることにした。


御堂の中には、「承理観世音菩薩」が祀られているそうで、承理=勝利ということからか必勝祈願・合格祈願で訪れる方もいるとか。

 

◆岩室観音(岩室山 龍性院)
松山城跡の麓に、崖に寄り添うようにお堂が建っている。岩をうがって観音像を祀ったところから岩室観音堂と言い、龍性院の境外仏堂である。

弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4センチ)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。松山城主が代々信仰し護持していたが、天正18年(1590)松山城の落城に伴い建物の全てが焼失した。
現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に再建したものと伝えられている。(吉見町のWebサイト参照)


お堂の造りは懸造り(懸崖造り)様式で、規模は異なるが清水寺本堂や長谷寺本堂などと同じ建築様式。石段を上った1階部分の左側は、岩盤と接している。


江戸時代になると、遠隔地を巡礼できない人々のために、地域ごとに完結する札所めぐりが創設された。それほど知られていないと思うが、比企郡内には「比企西国三十三所」があり、岩室観音は比企西国三十三所の第三番である。

また、ここには四国八十八箇所の霊場と同じ88の石仏が祀られており、ここで参拝することで、四国をお遍路するのと同じだけの功徳があるとされている。
左側の岩窟の中に1番から51番、反対側には岩盤をくりぬいた中に52番から88番がある。


急な階段を上ると最初に目についたのは、天井の構造材。建物・屋根を支えるために多数の材が使われている。千住札も多数貼られており、額も様々飾られている。


ご本尊が奉ってある側。檻のような扉に見える・・・。


1階の奥、観音堂のその先には谷筋の急斜面に「胎内くぐり」があるそうだが、当日は地面が濡れていたので、そこまで行かなかった。

吉見百穴を訪れる際は、是非、こちらにも訪れてほしい。

 

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吉見町:国指定史跡『吉見百穴』と地下軍需工場跡

2022-10-01 | お出かけ

埼玉県比企郡吉見町は、埼玉県のほぼ中央に位置し、南部は川島町、西部は東松山市、東部は鴻巣市と北本市、北部は熊谷市に隣接する。吉見町の観光スポットといえば、第一に国指定史跡の「吉見百穴」だと思う。

他県の方には聞き覚えが無いと思うが、埼玉県に住み始めて帰省時などで見る案内標識から「吉見百穴」のことは自然と知ることになり、数十年前に立ち寄ったことがある。9月25日(日)、吉見町プチ観光をするに際し、改めて訪れようと思った。

吉見百穴(よしみひゃくあな)は、古墳時代の後期~終末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓で、大正12年(1923)に国の史跡に指定されている。当地の丘陵一帯は掘削に適した凝灰質砂岩で、当時の人々はこうした場所を選んで横穴墓を造ったと考えられている。
明治20年(1887)に全面発掘を行い、237基の横穴墓を発掘した。その後、地下軍需工場が作られる際に壊されてしまい、現在確認できる横穴墓の数は219基となっている。


横穴の壁際には10~20センチ程のベッド状の施設(死者を安置した部分)が複数造られているものがあり、一つの横穴墓には複数の遺体を埋葬したことがわかる。また、横穴墓の入口には石板(閉塞石)が立てかけられ、埋葬後も横穴に入ることを可能にしている。こうした構造から、横穴墓は一つの横穴に複数の死者を葬る「追葬」が行われていたと考えられている。(現地資料参照)
穴の入口は径1m程で、内部はもう少し広くなっていた。見た限りで奥行きは3~4m程。


斜面は急で45度程度ではないかと思われる。一口に埋葬するといっても難儀なことだろう。


上の方には見晴らしのよい展望台のような場所があった。富士山は雲に隠れていたが、遠く秩父の山々が望める。画の中央は武甲山のようだ。なお、最上部は平地があり、無人の売店があった。


斜面下には、横穴墓とは明らかに異なる大きな穴(開口部)が数か所あった。これは、昭和19年~20年(1944~1945)に造られた、地下軍需工場の出入口。画の金網が張られた穴は、ヒカリゴケの生息地。


このヒカリゴケ(光苔)は、山地に多く、平野にあるのは、植物分布上、極めて貴重とされ国指定天然記念物となっている。
穴の床や壁からかすかな緑色の光を発していた(わずかな光を反射していた)。


地下軍需工場跡は、数年前まで内部を見ることができたが、現在は、点検・調査のため立入禁止になっていた。(残念!)
出入口のフェンスの隙間から内部を見る。奥の方には照明が灯っていた。


第二次世界大戦の末期、中島飛行機工場の移転の必要性が急速に高まり、生活物資の調達に便利で、掘削に適した場所である吉見百穴地域に軍需工場が造られることになった。軍需工場の区域となったのは松山城跡から岩粉坂までの直線距離にして約1,300m部分。しかし、本格的に稼働する前に終戦となり工場は閉鎖となった。(資料室の掲示参照)

吉見百穴部分の地下工場の模式図によると、この部分だけでも幅約190mあり、碁盤の目のように彫られている。いったい全体では、どれほどの面積になっているのだろう。


吉見百穴の広い駐車場の向こうは、堤があって市野川となる。本来、市野川は蛇行し百穴に近い位置を流れていたそうだが、工場を造るにあたって前面に広い土地が必要になり、川を真っ直ぐに改めたという。
実際、桜並木がある堤に沿って川は真っ直ぐになっている。


資料館裏手の土産物屋の店主は、百穴の地主ということで、店内の奥の方には発掘時のモノクロ写真や資料、埋蔵物の一部も置かれていた。ついでにいろいろと説明してもらった。市野川の改良工事のことも店主に聞いたもの。感心のある方は、店主が暇そうにしていたら気軽に声をかけてはいかがだろう。
ちなみに、土産にはお薦めの埼玉県の銘菓「五家宝」を買った。1個売りからあり求めやすいと思う。

≪この横穴は何の穴?の経緯≫
江戸時代の中頃には数基の横穴が開口しており、地元の人々からは「百穴(ひゃくあな)」と呼ばれていたが、その性格については不明だった。
明治20年の発掘後、関わった東京大学の方は、この穴を土蜘蛛人(コロボックル人)の住居として作られたもので、のちに墓穴として利用されたものと発表した。しかし、大正時代になると、考古学の発達によって、古墳時代の後期に死者を埋葬する墓穴として作られたものであるとが明らかになった。(現地の説明板参照)

昔、コロボックルのアニメがあり、その名前は知っているけど、土蜘蛛人というのは初めて聞く。一般人には浪漫的な解釈でもイイと思う。

資料館の隣に正岡子規の句碑があった。明治24年(1981)11月、当地を訪れた正岡子規が詠んだもの。

「神の代は かくやありけん 冬籠(ふゆごもり)」とある。意味解釈の記載はないが、当時は“住居説”だったので、冬の百穴を神の住居に例えたのだろうか・・・。

ということで、知れば知るほど面白い吉見百穴だった。

 

コメント (4)
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