シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

鬼怒川『龍王峡』虹見橋まで

2019-04-30 | お出かけ

世界遺産「日光の社寺」を巡った翌日の4月7日(日)は、『龍王峡』を散歩した。これは予定していたことだが、(4月12日の日記で書いたように)前夜飲みすぎてしまい気分が悪いため、散策路のさわりで戻ることになった。(とはいえ折角なので記録しておく)

川沿いの国道は、何年も前に通ったことはあるけど(キャンプだったかな?)、龍王峡に行くことはなかった。
龍王峡駅近くの広い駐車場に車をとめ、土産品店等が並ぶ左手に鳥居をくぐって少し降りると川が見えた・・・遠い!高低差がハンパない!くじけそうになったが、せめてはるか下にあるであろう橋までは行こうと思った。(体調が悪いのでよけい厳しそうに思えた)

急な坂の途中から。画では分かりにくいが、中央に滝、その奥に橋が見える。


その『虹見の滝』の全景。もう少し時間が経てば、滝の下まで陽がさし虹が見える・・・かもしれない。


滝の反対側(岩山が突き出している所)には五龍王神社があった。突端から『虹見橋』の全景が見える。


戻って散策路を進むと、橋を渡って分岐点に。左は虹見橋、右には堅琴の滝とある。虹見橋で対岸まで渡ったところでUターン。虹見橋から見る上流側。


虹見橋から見る下流側。


虹見橋から見る虹見の滝をズームで。やはり、まだ虹は見えない。



分岐点に案内のあった『堅琴の滝』は、虹見の滝の上流で、近くにあった。


Web検索し、同所の画像を見ると落ちる水の幅が2~3倍ある。この日は水量が少ないようだ。
堅琴の滝と虹見の滝の間(虹見の滝の滝口近く)に橋がかかり散策路となっている。
橋の上から見ると水はとてもキレイ。でも、滝と滝に挟まれているので魚はいないのだろうな~と思いながらしばし見ていたら、魚が泳いできて驚いた。ヤマメのようだ。


この後、ゆっくりと階段坂道を上って駐車場に戻る。
体調が悪かったこともあるが、まだ落葉樹の葉が展開してないので、別の時季(新緑~紅葉までの間)に再訪できたら良いだろうな。

 

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必見!輪王寺『大猷院』

2019-04-27 | お出かけ

4月6日(土)、二荒山神社を大鳥居から出ると、右手奥に門が見える。輪王寺『大猷院』とのことだが、大猷院のことはほぼ知らなかった。門越しには山しか見えず、何があるのか分からない。拝観券売場で簡単な話を聞き、ならば一応入ってみようと・・・そんな感じで観てきたのだが、行って良かった。とても魅力のある寺院だった。

大猷院(たいゆういん)は、遺言で自分を神として祀るようにと、日光山に霊廟(墓所)となる東照宮を造った家康公を尊敬していた(孫の)三代家光公が、遺言で死後も東照公のお側にいて使えるとし、日光山に墓所を設けたもの。(家光公以外の歴代将軍家の墓所は、東京の上野「寛永寺」と芝「増上寺」にある。)創建1653年。

●仁王門【重文】
最初の門は、短い石段を上った所にある黒と朱の仁王門。阿形と吽形の金剛力士像が待ち受ける。「阿吽の呼吸」はここから来ていると言われているが、それはさておき強い視線は何だか品定めをされているような気になる。

 

 

●水盤舎【重文】
仁王門をくぐると右手に、小さいけれども屋根は切妻・唐破風付きで、躯体の4隅は3本の石の柱が支えている独特な構造の建物。色使いも上から葵の紋が入る金と黒~極彩色~柱の白色と特徴的だ。水の引き方も面白い。


参道は長い石段へと続く。石段の隣には石灯籠が多数並んでいたが、江戸時代にここよりも上に行けない大名が献上したものだという。



●二天門(にてんもん)【重文】
石段の上には、日光山内で一番大きな門という二天門がどっしり。持国天(じこくてん)と広目天(こうもくてん)の二天を安置している。背後は風神と雷神。


陽明門とは異なり、彫刻は少ないし金使いも少ないけど、二層の組物の色使いだけで納得してしまう。


二天門をくぐるとまた石段になる。そのおかげで二天門を横から見ることができる。山麓と一体化した大猷院らしさを感じられるところでもある・・・とこの時は思った。



●鐘楼・鼓楼【重文】
二天門から階段を上った所に、右側に鐘楼、左側に鼓楼がある。東照宮のそれと比べると、高さは一層分低い感じで、色は全体的に黒が基調。まずは鐘楼。


鼓楼を横から見る。

 


●夜叉門【重文】
鐘楼と鼓楼の間を進み、石段を上ると夜叉門がある。夜叉は古代インド神話に登場する鬼神で、近くなった霊廟を守っている。


金色と深紅に緑色が入ることで、他の門とは違う佇まい。


ここには緑色の阿跋摩羅(あばつまら)、↓赤色の毘陀羅(びだら)、白色のケン陀羅(けんだら)、青色の烏摩勒伽(うまろきゃ)の四体の夜叉が安置されている。壁の彫刻も繊細だ。



●唐門【重文】
夜叉門の先には、左右に石灯籠が配され、短い石段の先に唐門がある。金が眩しく、入口の頭上には「白龍」の彫刻、唐破風の下には鶴の彫刻もあり、全体的にとても気品のある門だ。

 

大猷院のそれぞれの門は、必ず石段を上った先にある。下界から天海へと徐々に近づいていくことを意識させるようだ。そのために地形を上手く使っているわけだ。

●大猷院廟:拝殿・相の間・本殿【国宝】
唐門からは屋根続きで拝殿に入れる。権現造りで拝殿・相の間・本殿と連なる。輪王寺Webによると、『東照宮の権現作りをそのまま生かし、規模は小さくとも細部の技法に力を尽くした造りとなっている。東照宮が「権現造り」を中心とした神仏習合形式であるのに対し、大猷院廟は「仏殿造り」の純仏教形式となっている』とのこと。

拝殿の内部には、教科書などで見る狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた唐獅子、天井には140枚の龍の絵、家光公が実際に着用した鎧など、目を見張るものばかり。

外から相の間・本殿を見る。別名「金閣殿(きんかくでん)」と呼ばれるのも頷けるものだ。

金と墨と深紅で、落ち着きのある造りになっている。

 


●皇嘉門(こうかもん)
【重文】
大猷院廟を囲む塀を本殿の横から出ると、石段の先には皇嘉門。明朝様式の竜宮造りで、別名【竜宮門】と呼ばれている。この門から先は立入禁止で、奥の院・家光公の墓所がある。

 

大猷院は、家光公の祖父である家康公の東照宮を凌いではならないという遺言により、全体的に金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっていた。とはいえ、目立たない部分には技巧が凝らされていて、個人的にはお気に入りの寺院になった。

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ところで、拝殿の中に入ってしばらくすると、僧侶による説明が始まったのが、大変興味深いものだったので、記しておく(しっかり記憶してないので、Web検索も参照したが、聞き間違いもあるかもしれない。その辺はご容赦を。)

・大猷院の中は(外も)金色で覆われており、京都金閣寺、平泉中尊寺金色堂と並んで三大黄金建築物とされが、こうやって中に入って座れるのは大猷院だけ。
・大猷院は、東照宮と異なりお寺。神社とお寺の区別は、天井に天蓋があるかないかで見分けられる。天蓋があればお寺。といって指差す天蓋は座っている私の真上にあって驚く。(家光公は神になってないので、神社ではない。とも分かる)
・天井には格子の中にそれぞれ龍が描かれているが、玉を持っているのが昇り龍(人々の願いの詰まった玉を持って天に上がる)。持ってないのが下り龍(天に願いを届けて戻ってきた(?))。

・夜叉門に祀っている烏摩勒伽(うまろきゃ)は、他では見られない全国でも珍しい仏様。烏摩勒伽の膝に象の飾りがあり、これが「膝小僧」の由来とされ、また、手に持っている弓矢が破魔矢の発祥となっている。


・破魔矢の正しい祀り方は、矢を上に羽根を下にすること。家族にうまくいかない事が続く時は、玄関で矢を外に向けて横に祀ると良い。
・一般的に、破魔矢は正月に購入し、翌年返しにいくが、当院の破魔矢は烏摩勒伽の矢にちなんだもので、返さず一生持っていられるもの。この昇り龍の破魔矢は3,000円。(お守りや縁起物などを滅多に購入することはないのだけれど、お気に入りになった大猷院の破魔矢なので・・・購入した。)

以上で、東照宮~二荒山神社~大猷院の日記を終わりとする。やはり時間(日数)がかかってしまった。
 

〈日光山内記録〉
東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼
東照宮:絢爛豪華『陽明門』
東照宮:唐門・眠り猫・奥宮
東照宮:神輿舎・銅燈籠・他
日光『二荒山神社』
必見!輪王寺『大猷院』

 

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日光『二荒山神社』

2019-04-25 | お出かけ

4月6日(土)、東照宮を観た後、上新道(かみしんまち)から日光二荒山神社へ向かうと、2階造りの『楼門』が出迎える。


この楼門と、拝殿の正面にある『神門』は比較的新しい門で、日光開山の祖、勝道上人が782年に多くの苦難を乗り越え男体山の登頂に成功してから1200年の年月を記念して1982年(昭和57年)に建てられたという。


●銅鳥居
【重文】
楼門をくぐると、銅鳥居が待ち受ける。柱の上部と貫にある紋は「巴紋(三つ巴)」。東照宮では鳥居に限らず、徳川家の家紋「三つ葉葵」を神紋としているが、二荒山神社では巴紋を用いている。また、柱の足元には蓮の花弁の彫刻がある。神社の鳥居に仏教をイメージする彫刻というのも、元々は神仏習合した日光山らしいのかもしれない。



●銅鳥居を抜けると、右手に『唐門』もある立派で横に長い社務所がある。(後で社務所と知り驚いた)。



●社務所の先には『拝殿』がある↓。拝殿の後方にある『本殿』は保存修理中。(唐門、拝殿、本殿は国の重文)


拝殿の先に受付があった。本殿の工事をしている様子が一部見られるということで入場したが、ここから先は『神苑』と言われるところで、境内の中でもより神聖な場所となる(有料)。

↓画の中央に「御本殿修理拝観 入口」の案内があり、仮設の階段を上がって工事用シートに覆われた中に入ると、屋根の工事の様子が見られた。また、簡易な参拝所も設けられていた。


上の入口の近くに大きな杉があった。御神木で本社境内第一の巨杉。樹齢約700年、高さ約60m、太さ6.35mと記されていた。


↓右に工事中の本殿、左は『神輿舎【重文】』、中央の杉が御神木

 

●化け灯籠【重文】
本社脇に鎌倉時代に寄進された唐銅灯籠がある。江戸時代に夜間警護の侍が灯籠の明かりを亡霊の炎と見誤り、たびたび灯籠を日本刀で切りつけたとされ、灯籠の各所に70数か所の小さな刀傷がある。



神苑には、他にも日枝神社や朋友神社などの末社、大国殿、二荒霊泉がある。さらに、御神木胎内くぐり、長寿の丸石、運だめしの輪投げ、それと・・・いろいろ詰め込んでいる。

その後、拝殿正面の神門から出て、坂を下り『大鳥居』をくぐって振り返る。


この後は、近くの『輪王寺大猷院』へ行く。(つづく)

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日光二荒山神社は、二社一寺(日光山内)と呼ばれる日光の社寺のうち最奥にある。しかし、日光二荒山神社は、訪れた「御本社」の他に、男体山山頂に「奥宮」、中禅寺湖畔に「中宮祠」と3社あるそうだ。さらに、別宮の本宮神社や滝尾神社、有名な「神橋」、日光連山8峰、華厳滝、いろは坂など、御神域の広さは3,400haに及ぶ広大な境内地を有しているという。驚きの面積だ。

昨年の10月に宇都宮・二荒山神社(ふたあらやま)に行った後、下野国には一之宮とされる神社が2つあると知り、もう一つの日光・二荒山神社(ふたらさん)にも行きたいと思っていたので良い機会だった。

 

〈日光山内記録〉※追記
東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼

東照宮:絢爛豪華『陽明門』
東照宮:唐門・眠り猫・奥宮
東照宮:神輿舎・銅燈籠・他
日光『二荒山神社』
必見!輪王寺『大猷院』

 

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東照宮:神輿舎・銅燈籠・他

2019-04-23 | お出かけ

4月6日(土)の日光東照宮観光から(その4)
唐門の左側にある神輿舎、銅灯籠、御水舎のことや、名残惜しい建物、その他気になったことをとりあげ東照宮はこれまでに。

●神輿舎(しんよしゃ)【重文】
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、3基の神輿が納められている。


説明板によると、中央が徳川家康公、右側に豊臣秀吉公、左側は源頼朝公卿の御輿とある。何故、秀吉と頼朝が一緒なのか、後で調べてみると。


元々源頼朝卿が霊場として知られていたこの日光山を、鎌倉幕府・関東の鎮守社として定めたこと。秀吉公については天下統一を家康公が引き継いだということへの配慮があったのではないかと言われているようだ。
なお、秀吉に敵対した北条氏に日光山(輪王寺)が加担したことから、その後秀吉により日光山は徐々に衰退していった。それを天海大僧正が東照宮創建を機に復興させたことで“中興の祖”と呼ばれている。

内部の天井には「天女の絵」。天井絵は龍や鳳凰、植物等が多いイメージがあるので、天女は珍しいかもしれない。

 

名残惜しい、唐門、陽明門を背に階段を降り、鼓楼近くの銅燈籠を見る

   

 

●銅燈籠(廻転燈籠・釣燈籠・蓮燈籠)【重文】
陽明門の下で、参道をはさんで3基の青銅製洋風燈籠(燈架)があり、鐘楼側に蓮燈籠、鼓楼側に廻転燈籠・釣燈籠がある。当時オランダから家光公に献上されたもの。↓説明板と廻転燈籠。


廻転燈籠は、上部の葵紋が全て逆さまになっていることから「逆紋の廻り燈籠」と呼ばれている。(オランダ技術者のうっかりミスだという)

 


何気なく陽明門を見上げると、青空に白い筋が延びている。しかも正面唐破風から。印象的な光景だった。


飛行機雲の見送りを眺めた後、階段を降りようとふと石柵を見ると、逆立ちしている獅子の石像があった。石柵を足で支えているように思ったが、後で調べると「飛び越えの獅子」という名があった。(でも、石柵を支える役目もあるとのこと)


その辺りからの階段下の光景(行きに振り向いて撮ったので、まだ人が少ない)。
左手前は「上神庫」~参道を挟んで向こうに、三猿の彫刻がある「神厩舎」~「唐銅鳥居(二の鳥居)」~そして、一番右の煌びやかな建物は「御水舎(おみずや)」【重文】。

 

階段を下りて、鼓楼を見上げる(手前は釣燈籠)。


さらに進んで振り返る。「唐銅鳥居(二の鳥居)」越に、中央に陽明門、左に鼓楼、右に鐘楼。

 

表門(仁王門)からの参道・境内の光景(この画も朝来た時のもので、空いている)。参道に「石鳥居」~右側に「五重塔」。


階段を降りると、右手に「上新道」が延び、右手に「上新道」が延びており、『日光二荒山神社』へ続いている。(この日記も、二荒山神社へつづく)



〈五重塔オマケ〉
五重塔の免振機能が東京スカイツリーの制振システムにも応用されたということもあるのかもしれないが、参道から最初にくぐる「石鳥居」手前には↓こんな案内。

また、東照宮五重塔心柱特別公開期間で、拝観券と一緒に頂いた記念クリアファイルの両面も記録しておく。

   

 

〈日光山内記録〉※追記
東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼
東照宮:絢爛豪華『陽明門』
東照宮:唐門・眠り猫・奥宮
東照宮:神輿舎・銅燈籠・他
日光『二荒山神社』
必見!輪王寺『大猷院』

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東照宮:唐門・眠り猫・奥宮

2019-04-21 | お出かけ

4月6日(土)の日光東照宮観光から(その3)。
陽明門を入った正面には、唐門、その後ろには御本社(拝殿・石の間・本殿)。右に「眠り猫」のある坂下門。そこから奥宮まで。

●唐門(からもん)【国宝】
間口3m、奥行き2mで四方唐破風造。唐門は本殿を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風(からはふ)」という弓なりのアーチ型の形状が特徴的な屋根になっている。
唐門は誰でも使える門ではなく、江戸時代は高い身分の幕臣や大名だけが使うことができた。現在も、お正月や大祭などの祭典の時に国賓に相当する参拝者だけ使えるらしい。

白い塗装は『胡粉』といい、貝殻の粉末を使った絵具を使っている。左右の門柱には竜の彫刻があり、柱の左側が「昇り竜」、右側が「下り竜」。


陽明門を見た後なので、サイズや色使いで見劣りする感がないこともない。しかし、彫刻の数は611体で陽明門(508体)よりも多い。

唐門の上部には、『舜帝朝見の儀』という彫刻がある。古代中国の伝説上の皇帝である『舜帝』が、役人たちと新年の挨拶をしている場面で、その舜帝を家康になぞらえている。(一枚板に27の人物が彫られていると誰かが言っていた)


唐門から左右に延びて御本社を取り囲む(約160mあるとか)塀は、塀全体に透かし彫りが施され「透塀(すきべい)」という。唐門の後ろには御本社。

 

●御本社(ごほんしゃ)【国宝】
本殿・石の間・拝殿からなり、東照宮の最も重要なところ。今は工事終盤だが脇の入口から中には入れた。もちろん撮影禁止。廊下を回り唐門の背面から中に入ると・・・いろいろ見たせいかあまり覚えてない・・・。

 

唐門を正面にして右側には坂下門があり、門の上部には有名な「眠り猫」の彫刻がある。

●眠り猫(ねむりねこ)【国宝】
左甚五郎作と伝えられている。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしている(左斜め方向から見ると、獲物に飛びかかりそうな様子にも見える)。


その後ろ側の彫刻は雀が遊んでいる様子。本来猫は雀を襲うので、平和の象徴といえるそうだ。

 

坂下門を抜けたその先は奥宮に通じる。石廊下の谷側の石柵や階段の石柵は、一枚の岩を削って造られている。(↓の画は坂下門の方を見ている)


石段の一段一段も一枚の岩を加工したもの。階段は207段ある。


石廊下から見える国宝・重文建築の屋根屋根。

 

●奥宮(おくみや)【重文】
拝殿・鋳抜門・御宝塔などからなる御祭神のお墓所。江戸時代は将軍しか立ち入ることが許されなかった場所で、1965年(昭和40年)に執り行われた「日光東照宮・三百五十年式年大祭」で、特別に一般公開され現在に至っているという。

◎石段を(頑張って)昇った先にある銅鳥居。扁額は陽明門と同じ後水尾天皇の勅筆。5代将軍綱吉公が奉納。


拝殿は、横幅約10m、奥行約6m。入母屋で前後に唐破風。外壁は黒漆が基調として塗られ、細部には金の装飾が施され、蔀戸(しとみど=上下で開閉する格子を取り付けた板戸)が廻らせてある。


先ほどまで見ていた陽明門や唐門と違い、実に落ち着いた威厳のある趣き。

 

鋳抜門(いぬきもん)は、拝殿の背後にある宝塔の入口の門で、高さ3.4m、柱間2.5m。青銅鋳物製で扉を除く柱や梁などの部分を鋳型で造ったことから鋳抜門と命名。拝殿と調和のとれた門構えだと思う。

目をひいたのは、門前にいる狛犬。狛犬というと石造りのイメージだが、鋳抜門の狛犬は青銅製。墓所を守るだけあって迫力がある。

角のある狛犬は、個人的にあまりみたことがないが、東照宮の表門の狛犬も立派な角がある。その角があり口を閉じた吽形は雌で、右側の口を開けた阿形が雄。女性には角があるので、結婚式の時は角隠しでしおらしく見せる・・・という説があるようだ。


御宝塔は高さ約5m。創建当初は木造であったが、後に石造りとなり、5代将軍綱吉公の時に大規模な地震があり一部損壊したことから、現在の唐銅製に造り替えられたという。周りを左回りに1周できるようになっており、途中に願いが叶うという「叶杉」があった。



墓所は山裾で樹々に囲まれ、奥宮は静かに佇んでいた。今でこそ、墓所はパワースポットなどと紹介され、徳川歴代将軍しか立ち入ることができない所に、老若男女・外国の方も訪れている。家康公も、それに続く将軍も驚いていることだろう。

 

〈日光山内記録〉※追記
東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼
東照宮:絢爛豪華『陽明門』
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東照宮:絢爛豪華『陽明門』

2019-04-18 | お出かけ

4月6日(土)の日光東照宮観光から(その2)。
鐘楼・鼓楼を左右に正面階段の上には、あの陽明門が「平成の大修理」を終えて、さらに絢爛豪華増し増しで煌びやかなこと。
今回の工事は陽明門の歴史上、最大級の修理とされ。熟練の技術者が集められ、技法、材料など、できる限り建築当時と同じ形で修復された。彫刻を一つひとつ外し、漆を塗り直し、顔料で彩色して、再度取り付ける。そして、江戸創建当時の美しさを取り戻した。

●陽明門(ようめいもん)【国宝】
高さ11m、間口7m、奥行き4.4mの楼門。508体の彫刻でおおわれており、いつまで見ていても見飽きないところから「日暮らしの門」とも呼ばれるのは言うまでもない。
正面全景。正面に立つ。見つめる。凄い圧倒される感じ。


背面北東側。入母屋造りで、四方に軒唐破風(のきからはふ)がある。彫刻・彩色・飾り金具などを多く施し、精巧を極めたものだ。


正面唐破風下に「後水尾天皇」の直筆による「東照大権現」の扁額が掲げられている。
陽明門は2層造りで、上層の組物には上下に龍と(竜と似ているけど異なる)息(そくorいき)の彫刻が並ぶ。


上層の四隅では3段になり、上段から順に竜、雲形、息となる。見れば見るほど・・・。


唐破風から隅までの垂木の流れが美しい。どこを見ても煌びやか。↓背面。

 

下層(初層)では組物が良く目立ち、その造形と色使い(黒地に金)が豪奢。


組物間には人物像の装飾彫刻がある。正面と背面に各7個、側面には各4個の計22個。
正面の7個の彫刻のうち4個は、琴・囲碁・書(書道)・絵画の4つの技芸を表す「琴棋書画」(きんきしょが)を題材としたもので、残りの3つは周公旦と孔子にまつわるもの。↓囲碁と琴。


背面の7個の彫刻は、いずれも仙人が何らかの生き物(?)に乗っている。↓竜と鯉。


側面東側で可愛いのを見つけた。調べてみると「四睡」というもので、虎と一緒に眠っている様子=禅の境地が表現されているという。

 

12本の柱のうち1本(背面西から2本目)のみは、屈輪文が上下逆さになっており、「魔除けの逆柱」と称されている。建物を完璧に完成させるといずれ崩壊するという言い伝えから、一箇所だけ故意に形を崩している。↓左側の柱。


下層(初層)の通路部分の内部天井は、2面に区切られそれぞれ墨絵の雲竜図が描かれている。


記録しておきたい所が多すぎるので、これくらいにしておこう。
それにしても、改めて凄い建物だと実感した。


●東西回廊【国宝】
陽明門の左右に延びる廻廊は、花鳥風月や波、雲、鳳凰などが一枚板の透かし彫りが施され、極彩色で彩られている。↓正面左側。



〈日光山内記録〉※追記
東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼
東照宮:絢爛豪華『陽明門』
東照宮:唐門・眠り猫・奥宮
東照宮:神輿舎・銅燈籠・他
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東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼

2019-04-14 | お出かけ

4月6日(土)の日光東照宮観光から(その1)。
50代(?)になってから、その前よりも社寺を興味深く観るようになったと思う。今回は世界遺産だし、事前に見どころを調べたりもした。初めて知ることも多い。なので、気になった所は記録しておこうと思う。

そもそも東照宮とは・・・、徳川家康が亡くなり、遺言通り久能山へ埋葬され、1年後の1617年(元和3年)4月に日光に社殿が完成すると、家康の墓は日光の地に移り「東照社」として祀られた。その後、1634年(寛永11年)頃から、お爺ちゃん大好きな3代将軍の家光が東照社の大改築を実施し、奥宮なども建てられ、1643年(寛永20年)に完成。1645年(正保2年)に朝廷より「東照大権現」の宮号を賜り、「東照宮」に改称した。
その後、明治元年(1869年)の神仏分離により、日光は神社の東照宮・二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立した。という歴史。

広い参道を緩やかに上ると、最初に東照宮の石鳥居が見えてくる。
石鳥居(一の鳥居)〔重要文化財〕
元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納され、石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれた。


高さ9.2m、柱間6.7mの鳥居を見ると柱には継ぎ目がある。バラバラに運んで現地で組み立てたもの。陸路の移動を考えると相当な労力が必要だったのだろう。


五重塔〔重要文化財〕
石鳥居をくぐると左側に五重塔が屹立している。
慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された後、文化12年火災にあったが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。


東照宮五重塔心柱特別公開期間で、五重塔の初層内部を公開し、塔の中心を貫く心柱を観ることができた。拝観料を払うと、五重塔と東京スカイツリーをデザインした記念クリアファイルも付いてきた。スカイツリー建設の際に五重塔の「心柱制振」と呼ばれる地震緩和システムが応用されたという。
内部は撮影禁止。床下の様子を外から見ることができる。心柱は四層目から吊るされ、底部は磯石から約10センチ上で浮いていた。


ちなみに、一層目の蟇股(かえるまた)という欄干部分には十二支の彫刻がある。
東照宮には多数の霊獣・動物の彫刻があるが、鼠・蛇・馬の3種類は五重塔以外には無いらしい。

 

参道をさらに進んで拝観受付をし、石段を上ると東照宮最初の門(表門)がある。

表門(仁王門)〔重要文化財〕
左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれる。但し、裏側は唐獅子・狛犬の像がある。特徴的なのは戸口上部の「獏(ばく)の木鼻」や、主柱の上に設けられた「牡丹の彫刻」など。

 

三神庫(さんじんこ)〔重要文化財〕
表門を入ると、右側に下神庫、正面に横長の中神庫、その左に上神庫がある。これらを総称して三神庫と言い、馬具や装束類が収められている。↓中神庫~上神庫。


上神庫の屋根下には、有名な「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がある。

 

神厩舎(しんきゅうしゃ)〔重要文化財〕
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)。昔から猿が馬を守るとされているところから、猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されているそうだ。


有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻はこの内の1面。

 

唐銅鳥居(二の鳥居)
この唐銅鳥居は、東照宮創建時に造営されたもので、「日本最古の青銅製の鳥居」という。

 

鐘楼 (しょうろう)・鼓楼(ころう)
さらに階段を上がると、右側に鐘楼、左側に鼓楼があり、それぞれ釣り鐘と太鼓が納められている。2つの建物は左右対称で、かなり大きい。↓鐘楼を横から。


鼓楼を階段上から。


さて、まずは東照宮の第1回目として綴ってきたものの、こんな感じで続けられるだろうか・・・(大変)。

 

〈日光山内記録〉※追記
東照宮:石鳥居・五重塔・表門・三神庫・神厩舎・鐘楼
東照宮:絢爛豪華『陽明門』
東照宮:唐門・眠り猫・奥宮
東照宮:神輿舎・銅燈籠・他
日光『二荒山神社』
必見!輪王寺『大猷院』

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日光の社寺・鬼怒川へ

2019-04-12 | お出かけ

4月6日(土)~7日(日)に1泊2日で妻と日光・鬼怒川に行ってきた備忘録。
翌週が妻の誕生日だったので、その祝いも兼ねてと翌週(今週末)と当初は思っていたが、妻に用事があることでこの日になった。

日光に行くのはかなり久し振りになるので、事前に渋滞や駐車場の情報をWebで確認した。当初は午前10時~11時頃に着けばいいかな~と呑気に考えていたが、けっこう混むようだ。
そこで、当日は早めに家を出ることにし、おかげで8時20分頃にはスムーズに日光の輪王寺第2駐車場に着いた。観光のトップシーズンではないものの、案内のオッちゃんが言うには10時頃には満車になるという。

そこから、まだ空いている東照宮をスタート場所とし、世界遺産「日光の社寺」を巡る。平成の大修理を終えた陽明門などを見るのが観光の目的だったので、空いている時に青空の下で見られたのは何よりだった。巡った社寺については、次回から記録していこうと思う。

昼に西参道の方で蕎麦をいただき、ついでに近くでお土産を探していると「日光かりまん」というのを見つけた。帰宅してから食べたけど美味かった。

観光散歩疲れもあって、早めにホテルに着いた(午後3時過ぎ)。
大浴場~休憩~夕食~カラオケへ。夕食時、飲み放題にしたこともありかなり飲んでしまった。おかげで、はしゃいで楽しかったけど、部屋に戻り、客室露店風呂に入ろうとしたが、横になったらダウン。(まぁ、星が見えなかったし・・・)

翌朝、改めて客室露店風呂に入ってしまったら、気分が悪い。朝食もたいして食べられない。妻は心配するやら呆れるやら。午前10時頃にホテルを出発し、龍王峡を少しだけ散歩(でも高低差でヒイヒイ)した後、昼前には帰路につく。途中休憩しても気分悪く、高速手前でソルマック。これが何となく効いて、家に近くなったところで遅めの昼食はラーメン完食。高速道路は渋滞無し。


ところで、翌週末ではなく、この日になったことでコストメリットはあった。宿泊予約をしたのは、鬼怒川の(小型?)温泉ホテルで、4月の週末の料金は第1週目が一番安く、第2・第3だと2人で+8千円高になる。さらにGWになると2倍強になるようだ。

何故、このホテルを選んだかといえば、ブッフェ形式での夕食・朝食付き、シモンズ整ベッド、客室バルコニーに露天風呂付きという設備で、2人で2万5千円ほどと、設備&費用でお得に思えたから。
では、実際泊まってみて「また泊まりたいか?」と問われれば・・・微妙。良かったところもあればそうでもないところもある。まぁ、そんなものだろう。

 

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キジ♂、スズメ、メジロ等

2019-04-07 | 自然・環境とか

3月30日(土)、曇天だったが北本市の「石戸蒲桜」や「北本自然観察公園」「高尾さくら公園」「野外活動センター」などで桜の様子を見てきた。
天候が悪く、翌日が晴れの予報だったこともあり人出は少なかった。

北本自然観察公園で誰もいない草地に向かうと、遠くで草地を横断しようとしているキジ(雄)がいた。人が誰もいないと大胆だ。キジは見ないことはないけど、広々としたところで見るのは久しぶり。でも、ズームしすぎてボケてしまった。


去って行くところで立ち止まり。

 

 


3月31日(日)、予報とは異なり雨上がりの曇天が昼まで続いたので、遠方に行く予定はあきらめ、でも午後から晴れたので近くの公園に行くことに。

駐車場のそばでスズメ発見。人家周辺に生息するので珍しいことではないけど、スズメをまだ記録したことが無い。何度か試みたことはあるけど動きは速いし難しい(おまけにこちらの腕もイマイチ)。
数羽が飛んだり跳ねたりしていたのだが、そのうち1羽だけ残りチョコチョコ移動していた。これならカメラの機能(4Kフォト)に頼ってみようと試みた。

 

使えそうなのを選んで画像にしてみた。減少しているというスズメなので、まずは記録できて良しとしよう。

 

1本の枝垂桜が目をひいた。見ているとメジロが群れでやってきた。群れなので競争意識があるのかないのか、とにかく動きが早い。

 


ついでにムクドリ。足と嘴の黄色が目立つ。ただ、頭部の不規則な白斑が好まれ難い。

 

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お墓参り/山門/ボルタリング?

2019-04-05 | 日常のできごと

彼岸明けの3月24(日)、お寺に義母と我々子供兄弟が集合しお墓参り。その後、昔の実家近くの蕎麦屋で昼食をとり、義母宅へ行ってきた。(備忘記録)

お墓参りに行く前には、川口市の密蔵院に立ち寄り安行寒桜を見たのだが、山門はちょうど良いサイズで風格のあるものだった。後日公式Webをみて感心した。ここの山門は、明治19年に島津家江戸屋敷の中門を移築したものだという。


今年1月の仙台市朝散歩で、青葉城の城門をお寺の山門として移築したのを見たが、このようなことはけっこうありそうだ。ただ、今回も仙台でも後で知った情報なので、先に知っていればもっとよく見たのに~と。

密蔵院の参道。安行寒桜は見頃だった。別ブログではもう少し詳しくとりあげた。



ところで、東京オリンピックの正式種目となった「スポーツクライミング」は、壁を制限時間内にいくつ登れるかを競う「ボルダリング」、どこまで登れるかを競う「リード」、壁を登る速さを競う「スピード」の3種目を行い、その合計点で順位が決まる競技らしい。
ほとんど見たことは無いし、「リード」や「スピード」という単語もあまり聞き覚えがないけど、「ボルダリング」については何年も前から耳にしていたと思う。一般の人でも気軽に行えるし、ボルタリングジムも増えているようだ。

お墓参りに行く際、幼稚園の園庭に↓こんなものがあった。


これもボルタリングというのかどうか分からないけど、近年の流行りなのだろう。
ジャングルジムは減少していると聞いたことがあるけど、これは遊びとしての面白さと安全性でどうなんだろうな~とも思う。

 

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