日米韓の好戦派が軍事的緊張を高めようとし ロシアと米国の国務長官は外交的な解決を目指す
アメリカ、日本、韓国の3カ国が朝鮮半島周辺で合同軍事演習を始めた12月11日、ロシア軍のワレリー・ゲラシモフ参謀総長は
米日韓の軍事演習を軍事的な緊張を高めるものだと批判した。
その翌日、12日にアメリカのレックス・ティラーソン国防長官は朝鮮と前提条件なしに対話する用意があると発言、その翌日にはロシアの軍事使節が朝鮮を訪れている。
朝鮮が「火星15」と名づけられたICBMの発射実験を実施した11月29日にはロシアの議員団が朝鮮を訪問、
また11月20日から6日間にわたって日本経済団体連合会、日本商工会議所、日中経済協会で構成される経済代表団約250名が中国を訪れていた。
軍事的な緊張を高めようとする勢力と緩和させようとする
勢力の対立が鮮明になっている。
東アジアでの経済発展を目指し、鉄道網やパイプラインの建設を計画している中国やロシアは軍事的な緊張を緩和させようとしているが、
それを妨害しているのがアメリカ、日本、韓国の好戦派、
そして朝鮮。
本ブログでは何度か指摘しているが、朝鮮はアメリカや日本の好戦派にとって都合の良いタイミングで爆破やミサイル発射の実験を実施してきた。
アメリカの好戦派は朝鮮を利用して東アジアの軍事的な緊張を高めてきたが、そのターゲットは朝鮮でなく中国だろう。
歴史的にアメリカ支配層は中国の制圧と略奪を目論んできたのだ。アングロ・サクソンというとらえ方をすれば、その歴史は19世紀までさかのぼることができる。
フランクリン・ルーズベルト大統領が急死してホワイトハウスがウォール街に奪還された後、アメリカは国民党を支援したが、その国民党と戦っていた解放軍が1949年1月に北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立した。
上海を拠点にしていたアメリカの極秘破壊工作機関OPCは日本へ移動、厚木基地を中心に活動することになる。
朝鮮戦争勃発の4カ月後、1950年10月にOPCはCIAへ吸収されて秘密工作部門の中核になり、
中国南部へ侵攻する計画を立た。
そこでラオスにいた国民党軍を再編成し、1951年4月にCIAの軍事顧問団は2000名の国民党軍を率いて
中国へ軍事侵攻、片馬を占領した。
そこで反撃にあい、追い出されている。1952年8月にも国民党軍は中国へ侵攻して約100キロメートルほど進んだが、やはり中国側の反撃で撃退されてしまった。
1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任、国務長官はジョン・フォスター・ダレスになった。
その年の7月に朝鮮戦争が休戦になるが、翌年の1月にダレス国務長官は国家安全保障会議で
ベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案している。
それを受け、CIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。
この段階でベトナムへの軍事介入が見通されている。
ベトナムから軍隊を
撤退させる決断をしていたジョン・F・ケネディ大統領が1963年11月に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは本格的な軍事介入を始めた。
アメリカ人の中には「神の軍隊」であるアメリカ軍がベトナム戦争で苦戦していることに不満を抱く人が少なくなかったが、そうした時期に勃発したのが1967年6月の第3次中東戦争。この戦いで圧勝したイスラエルを新たな「神の軍隊」として崇める人もいたようである。
その後、デタント(緊張緩和)を目指したリチャード・ニクソンはウォーターゲート事件で1974年8月に失脚、副大統領からジェラルド・フォードが昇格して誕生した新政権ではポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターが
デタント派の粛清をしている。
ちなみに、ニッツェはナチスとの関係が疑われた元銀行家で、元トロツキストのウールステッターは核の専門家として国防総省系のシンクタンクRANDで働いていたことがある。
シカゴ大学で教えた学生の中には後にネオコンの中心的グループに入るポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。
粛清の中で最も重要な意味を持っていたと考えられているのは国防長官とCIA長官の交代。
1975年11月に国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、また76年1月にCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。
また、
ネオコンの台頭も目立つ。
例えば、ラムズフェルドはNATO大使から1974年9月に大統領主席補佐官へ、そして国防長官になったが、空いた首席補佐官のポストに収まったのがリチャード・チェイニーだ。
当時、CIA長官になったブッシュは「情報の素人」だとされたが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された当時、ブッシュがCIAの幹部だったことはFBIの文書で確認されている。
ブッシュが長官になったCIAでは
ソ連脅威論を宣伝するチームBが始動する。
CIAの分析部門は事実を重視するため、チームBで好戦派に継ごうが良い偽情報を流すことになった。
社会不安を高め、軍事力増強や治安体制の強化へつなげようとしたのである。
そのチームBを率いたハーバード大学のリチャード・パイプス教授はヘンリー・ジャクソンの事務所で顧問を務めていた人物。
その事務所は後にネオコンと呼ばれる人々が育成のために送り込まれていた。また、Bチームのメンバーにはポール・ニッツェやポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。
1991年12月にソ連が消滅した直後、92年2月に
世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ/ドクトリンを作成した中心人物がウォルフォウィッツ。
そのプランに基づいて1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成、公表している。
それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。
そうした流れに逆らう鳩山由紀夫が2009年9月に内閣総理大臣となると、マスコミや検察から激しい攻撃を受けて潰されてしまい、10年6月に首相は鳩山から菅直人へ交代した。
その年の9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視して尖閣諸島の付近で操業中だった中国の漁船を取り締まり、田中角栄と周恩来が「棚上げ」で合意していた尖閣諸島の
領有権問題に火がつけられた。
その結果、軍事的な緊張が高まり、経済面にも悪い影響が出ているのだが、それにも限界がある。
今年、日本が大規模な経済代表団を中国へ派遣した理由のひとつはその辺にあるのだろう。
アメリカの好戦派に従属して日本を破壊するのか、そうした事態を回避するために方針を転換するのか、日本の支配層は選択を迫られている。
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