スパシーバ  プーチン

魅力あるプーチン
偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

ソ連とニツポン: 反核条項を日本が拒否

2019-08-05 14:57:53 | ソ連目線



8.4 ソ連はソ日共同宣言に「反核条項」の盛り込みを提案したが日本側が拒否=共同通信


共同通信は3日、機密解除されたソ連共産党の重要文書をもとに、


1956年にソ連はソ日共同宣言に「反核条項」を盛り込むことを提案したが、日本側が拒否していた経緯が明らかになったと報じた。



共同通信の報道によれば、


ソ連共産党は、ソ連と日本による第2次世界大戦後の国交回復交渉で、


「ソ連側は核廃絶を訴える被爆国として同意するよう迫ったが、


日本は国交回復後に議論すべきだと主張、反核条項は宣言から削除された」という内容の記録を残している。



ロシア外務省のザハロワ報道官は2018年暮れの12月の記者会見で、


1956年のソ日共同宣言に関して、


日本領土からの米軍基地の撤収を求めたソ連政府の姿勢に今も変わりはないかとの質問に対し、


「あなたが言及した文書は、関連する交渉プロセスで考慮される」と答え、


ロシアと日本の平和条約の準備の基盤となるのは、ソ連が求めた日本領土からの米軍基地の撤収を含むソ連と日本の文書全てであることを確認していた。



モスクワで1956年10月19日、日本とソ連の戦争終結、 外交及び領事関係回復に関する日ソ共同宣言に署名がなされた。



ソ連政府は、ソ日共同宣言第9項で、 平和条約締結後にシコタン島とハボマイ群島を日本に引き渡すこと で同意している。



ソ日共同宣言は、 1956年12月8日に両国によって批准されたが、


1960年に日米安全保障条約が締結されたのを受け、 ソ連は島の引き渡しに関する義務を取り消した。





☆ 共同通信が よく 伝えていた と 驚き。


原爆特許を もっている ニツポンが 核不拡散であるわけがない。 



原発は原爆保管施設。


原発をやめないのは 放射能 人体実験をして 原爆特許更新のためのデータのため。









スターリン暗殺

2019-04-16 14:35:08 | ソ連目線



1953年 スターリン暗殺後のロシア支配体制変化



米国系勢力に脅されて独裁者を演じていたスターリンが、

米国系勢力に逆らったことから、 監視役であった妻の兄弟に暗殺されます。



そしてその後


フルシチョフの時代からは、予定通りにロシア人による政権運営に戻し、


ただしロシア人暗殺のための米国系暗殺要員がロシア中に配置されるという体制に移行し、


このため、ロシア人政府には暗殺防止のための秘密警察体制が必要となります。



一般人では、その狙いが何であるか、何の計画に基づいてこのようなことを するのか、知ることはできません。




巨大勢力の下でGHQ参謀2部関連勢力が複雑な共産主義国家設立活動を 行う立場にあったためいろいろな内部情報に接触しており、


連携勢力に都合のいい部分を集めたのが、日本会議推奨のヴェノナ文書です。




● 日本会議と半島系偽装保守メディア推奨のヴェノナ文書



また、 GHQや日本の右翼・警察・軍隊やロシア政府のように同じ組織名称が継続使用される中で


正反対の勢力へのすりかわりが行われると、


一般人は複雑なことは何もわからず、簡単に騙され、いわゆる洗脳状態となります。


https://rakusen.exblog.jp/





☆ 中途半端な 引用になりましたが


スターリンが暗殺されたことは知っていたので その理由を知りたいと思っていました。


簡単に 本当の黒幕の思う通りにならなかった とは 思っていましたが。



引用元は

李氏朝鮮に支配されている 日本の記事のなかの 一部分です。









旧ソ連機密解除  「外国軍の基地を設置しないという条件」

2019-02-07 17:12:17 | ソ連目線



2.7 旧ソ連機密文書 「2島引き渡し」急ぐソビエト政府



旧ソ連・日本両国政府は、1955年6月にイギリスの首都ロンドンで行われた国交正常化に向けた交渉以前の段階において、


「外国軍の基地を設置しないという条件」で、南クリル諸島の歯舞諸島および色丹島の2島引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになった。


NHKが7日、当時のソビエト共産党指導部の機密文書をもとに報じた。



両国政府が交渉を始める前日、1955年6月2日付の機密文書は


「外国軍の基地を置かないという条件の下、両国関係が良好な方向に発展していく場合には、歯舞諸島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」としており、


当時のモロトフ外相が作成した案をフルシチョフ第1書記、ならびにブルガーニン首相が承認する形となっていた。



また、同日付の文書からは日本に対する影響力を強め、米国の政治・経済的立場を弱めようとするソビエト政府側の意向もうかがえる。



ソビエト政府による当該文書の承認後間もなくして、両国政府は国交正常化に向けた交渉を開始し


翌56年10月19日にはソ日共同宣言(日ソ共同宣言)に署名した。


同宣言は同年12月12日に発効している。


また、同宣言には「外交関係の回復」「戦争状態の終結」等が記されていた。




その後、ソビエト政府は1960年に日米安全保障条約(新安保条約)が締結されたことを受け、2島引き渡しの義務を解消している。



同年1月27日付の同政府の覚書は


「日本から外国軍の撤退が行われた場合に限り、2島の引き渡しが行われる」としている。




歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島などからなる「南クリル諸島」は、日本では「北方領土」として広く知られている。





◇  昭和天皇 裕仁の正体


CIAエージェント


トランプが公開したCIA機密資料に、仲良くヒトラーと並んでいます。


ヒトラーもCIAエージェントであり、第2次世界大戦は、ヤラセでした。


敵国条項は、反故にして何ら問題ありません。


twitter.com/someone5963/status/1091846089802575872






ニツポンからのシベリア出兵

2019-01-13 15:27:33 | ソ連目線


https://twitter.com/100nen_
100年前新聞




〇 この何気なく呟いた100年前のシベリア出兵に関するtwのRTが異様に伸びている。


日本がロシア革命を圧殺しようと露を侵略した事は、左翼も含め日露戦争や大戦末期のソ連の対日参戦やシベリア抑留に比べ何故か触れられない。


後の中国侵略に繋がる要素が多いにも関わらずにである。


https://twitter.com/yoshimichi0409/status/1083685597972115457





〇 100年前の日本軍によるシベリア出兵は、


ロシア革命を圧殺しシベリアの資源を奪取しようとした侵略戦争に他ならない。


現地では共産党の指導下で住民主体のパルチザンが組織され激しい抵抗闘争が展開、


日本軍は民衆に銃口を向け掠奪や暴行を繰り返した。


この事実を意外と日本人の多くは忘却している。


https://twitter.com/yoshimichi0409/status/1083328457088462848






〇 因みにシベリア出兵(1918-22、北樺太は25年まで占領)と同時期に発生したのが

関東大震災における朝鮮人・社会主義者虐殺であるのは偶然ではない。


ロシア革命の様な民衆革命を抑止する狙いで


治安維持法が制定→軍国主義に向かう流れが確立されていった事は忘れてはならない。


https://twitter.com/yoshimichi0409/status/1083688161836916736






〇 シベリア出兵はロシア革命圧殺と露の属国化を目的とした米英仏主体の対ソ干渉戦争の一環。


当時、日本は英米金融資本の隷属下にありその意向を受けていた。


ただ1920年に反革命派の敗北が決定的になり米英仏は軍を撤退、


日本は領土的野心から沿海州を占拠し続けた。


結果的に米英の圧力で撤収した。続

https://twitter.com/yoshimichi0409/status/1083699953786966017






〇 長期間の駐留と住民のゲリラ的抵抗の拡大で日本軍の士気は低下し現地住民への掠奪や暴行が急増、結局はシベリアから撤退に繋がった。


その後、その教訓を日本は活かそうとせずその10数年後に日中戦争を引き起こした。


その意味で我々はシベリア侵略の歴史をもっと知るべき。


https://twitter.com/yoshimichi0409/status/1083699957708685313



ロシア・ユダヤ闘争史   暗殺されたスターリン 

2018-01-31 14:49:33 | ソ連目線


元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」 その5~「スターリンとジューコフ元帥の反乱」

 
岸良造 ( 65 香川 技術者 )
1993年に元ソ連外交官が語った「ロシアーユダヤ闘争史」その5




■■ユダヤから離れて暗殺されたスターリン


スターリンはユダヤ人のやり方に反発するようになった。


スターリンの妻はカガノビッチの妹であり、その前のスターリンの2番目の妻も同じくユダヤ人だった。それにもかかわらず、スターリンはユダヤ人に対抗していった。



戦争の勝利で自らのイメージが上がったこともあり、ユダヤの横暴なやり方に我慢できなくなって、反ユダヤの態度をとりはじめたのであった。


1949年から亡くなる1953年までの間、スターリンは実際にそうした行動をとり続けていった。


スターリンの身辺には常にベリヤがいた。


ベリヤは国家保安省のリーダーであり、スターリンと同じくグルジア人だったが、ユダヤとのハーフであった。


ベリヤは終始スターリンの見張りを怠らず、スターリンの行動をすべてカガノビッチに報告していた。


そのため、スターリンはベリヤに隠れて密かに反ユダヤの陰謀を画策していった。


1952年、「医者事件」が起こった。


「医者事件」とは、1948年、ユダヤ人の医者たちが多くのロシア人の新生児、それも男児を毒殺した事件である。


そのときに殺された男児の数はかなりの数に上った。


とくに大都会のレニングラード、モスクワ、キエフなどで多くの男児が殺された。


なぜユダヤ人たちはこのような暴挙をやるのか、このまま多くの男児が殺されるならば、いったいどのようなことになるのか──。



スターリンは1952年、この事件に関係した医者をすべて逮捕し、ユダヤ人自身がつくった収容所に送って、その半数を殺したのであった。


スターリンはさらに大きな反ユダヤのプランをもっていた。


シベリアの極東地方にビロビジャンというユダヤ人の自治州があったが、彼は大都会からすべてのユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンに送ろうとしたのである。


が、それが実行に移される前に、彼はベリヤによって暗殺された。1953年3月のことであった。




■■ソ連の全権を握ったカガノビッチ

ユダヤ人は強大な力をもっている。


彼らは世界的な規模で力をもっており、ユダヤ民族が不利な状態になったときには一致して攻撃に出ることができる。


スターリンは強力な独裁者といわれたが、その実は彼らに操られたロボットであり、自ら独裁者ぶりを発揮したとたんにユダヤによって暗殺されたのである。


スターリンが亡くなって後、ベリヤはカガノビッチの真の右腕になった。


この2人はスターリンが暗殺されてから130日間、実質的にロシアを支配していた。


この間、彼らは何をやろうとしていたのだろうか。それは、ソ連の分裂への策謀であった。

ベリヤが逮捕されて後に、こうした計画のあったことが発覚している。


今から40年前の1953年、カガノビッチは当時のソ連の全権を掌握した。


このとき、ロシアは本当のユダヤ国家になってしまったのである。



ロシアのユダヤ人とアメリカのユダヤ人たちはこうした事態を大いに喜んだ。


なぜならば、ロシアのユダヤ人もアメリカのユダヤ人も、いずれもアシュケナジー・ユダヤ人という同胞であり、すっきりと手を組むことができるからだった。


ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。当時の誰がこのような陰謀を阻止できただろうか。




■■ユダヤ権力を壊滅させたジューコフ元帥



しかし奇跡が起こった。


第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝利をもたらしたジューコフ元帥が、1953年にユダヤとの戦いでも勝利を収めたのである。



1953年6月26日、モスクワ郊外でジューコフ元帥は陸上演習を行っていた。


この演習の途中で、ジューコフ元帥は突然、自ら戦車部隊二個師団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始めたのである。



国家保安省はこの動きをまったく感知していなかった。そのため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功することができたのであった。



ジューコフ元帥はまずベリヤを逮捕した。


そしてその次にカガノビッチらを逮捕した。これはまったく異例の事態であった。


ロシア人の民族性からすると、こうした過激な反発行動に出ることはあり得ないことであった。


しかしジューコフは、誰にも相談せずに、自らの判断で直ちに戦車部隊二個師団を動かし、モスクワに入って国家保安省本部を乗っ取ったのである。



そのときからロシアは新政府となり、ユダヤ人は国家保安省や軍隊の司令部を含めて、あらゆる組織から追放された。


少なくとも1960年まで、ほとんどの政府機関からユダヤ人が一掃されたのである。



ようやく、ロシアをロシア人が指導するところとなった。


一時的にではあったものの、明らかにロシア人の勝利であった。


このとき1953年から、1985年にゴルバチョフが書記長となり、翌年にペレストロイカ(改革)が始まるまでの間、ロシア国内にハザール国家は存在することがなかったのである。


ユダヤ人たちはそのままロシアに住んではいたが、もはやユダヤ人たちが「国家内国家」をつくるようなことはなかった。



ブレジネフの時代はロシア人にとって歴史上非常に安定した時代であったといえる。


ユダヤ人たちはこの時代を「停滞」時代という。革命が起きていなかったので、彼らにとっては「停滞」と呼ぶにふさわしい時代なのである。



http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=332993





☆ もしロシアに帝政が続いており 皇帝がユダヤの傀儡であったなら 国民は 目覚めることはあっただろうかと 考える。


ロイヤルへの 教祖のような執着は 簡単に 国民を 奴隷にする材料になると感じる。


日本は 150年間ソ連なのだと 過去のこととして話す日は あるのだろうか?







コメントを下さったかたに

2017-11-22 14:32:10 | ソ連目線


日本兵の遺骨収集のことでのきじでしたね。


これらに関しては 言いたいことが山ほどあり ・・・


遺骨収集に限らず 日本人は 日本の国体を 180度 捏造して教わっています。



すべては 明治維新につながることで それに関して 発信している人は 数人だけ それだけ この国の権力は 恐ろしいということと 認識しています。


遺骨収集と それらを取り巻く出来事など 「闇の正体は偽ユダヤ」に 嫌われるくらい書いたのですが、これからは この 「スパシーバプーチン」にも なるべく 下の欄に書いていくようにします。


興味があるものは 御覧くださいね。



また 「闇の正体は偽ユダヤ」が 更新されていないと連絡がありましたが 毎日更新しております。


なにか あったのでしょうか 。


明治維新のことは 一番 狙われる記事発信と思います けれど 私の記事は 「弱小」なので (笑)、無事であると思っています (笑)



日本人兵士の御霊はロシア人によって慰霊されるvsヒロヒト

2017-11-21 16:07:53 | ソ連目線


☆ くどいようだが 日本政府は 遺骨収集の懇願も無視した

そして スターリンに 兵士と領土を差し出したのは 日本である。 密使は瀬島隆三。

あえて 「神軍」と 国民に教え込んでいった これが 実態である。


今も 福島で実験をしている。

いったい なにものが どういう意向で 日本を支配しているかを しるべきだ。

なぜなら 「神軍」と教え込んで 他国を悪魔化することは 国策なのだから。











11.15 「最後の兵士が埋葬されるまで戦争は続く」



サハリンとクリルでは日本兵の遺骨捜索活動が続けられている


サハリン及びクリル諸島のシュムシュ島(占守島)でロシアの捜索隊が発見した日本兵18人の遺骨が、日本の厚生労働省の代表者らに引き渡された。



遺骨引渡式は11月15日にサハリン中部スミルヌィフ町で行われた。



社会団体「ロシア捜索運動」サハリン支部の責任者アルチョーム・バンドゥーラ氏が、通信社スプートニクのインタビューでその詳細について語った-



「日本兵3人の遺骨は、日本代表団が到着したサハリンのスミルヌィホフスキー地区で今年夏に見つかった。

私たちの捜索グループは2016年と2017年に同じく私たちがシュムシュで発見した日本兵15人の遺骨も引き渡す。

昨年シュムシュでの活動中に私たちは日本兵12人の遺骨を見つけた。そのほとんどは戦車兵だったと思われる。

彼らは破壊された日本の戦車の近くで発見され、戦車兵の軍装品も見つかった。


1人の遺骨の近くでは記章と、『フクダ』という名前の判子が見つかった。これは珍しいことで、これをもとに身元を特定し、親族を見つけられるかもしれないため非常に重要な品だ。


私たちは今年さらに別の判子1本と記章2個、硬貨の入った財布も見つけた。


重要な小さな品物や故人の私物を見逃さないために、土の塊すべてが手でふるいにかけられる。


これは楽な活動ではないが、日本側への遺骨引渡はこれまでにも行われている。



私たちはクリルとサハリンで2014年から捜索活動を行っている。私たち全ロシア捜索運動サハリン支部のメンバーは30人で、年齢も職業も様々だ。


全員が同時に捜索活動に出発できるわけではないため、通常は休暇中や休日に小グループで出かける。だが出発する前にアーカイブ資料を綿密に調べ、捜索エリアを狭めるためにどこで軍事行動があったのかを明らかにする。」



シュムシュ島には第二次世界大戦が始まるまでに日本の強力な要塞地区がつくられ、その周辺で短期間ではあったものの激しい戦闘が繰り広げられた。



このシュムシュ島で1945年8月、第二次世界大戦に終止符が打たれた。


バンドゥーラ氏はスプートニクのインタビューで、捜索隊の主な目的について次のように語った-



「文書では、サハリン及びクリルで戦士したすべてのソ連兵は埋葬されたとされている。しかし実際はそうではない。

最後の兵士が埋葬されるまで戦争は続く。

我々の時代だけでもシュムシュ島でソ連兵110人と日本兵35人の遺体が見つかった。ソ連兵の遺骨はセヴェロ・クリリスクにある軍事記念墓地に埋葬され、日本兵の遺骨は日本領事館に引き渡されている。」



11月18日、遺骨はスミルヌィホフスキー地区のオルロフカ川の岸辺で火葬され、代表団が埋葬のため遺骨を持って21日に日本へ出発する。


兵士の遺骨を日本側へ引き渡す活動は、政府間協定に基づいて1991年から行われている。これまでに大日本帝国軍の兵士470人以上の遺骨が見つかった。





◎ だから裕仁は終戦を引き伸ばした!@honest_kuroki:

大日本帝国が1940年に世界で初めて核兵器を爆発させた証拠


http://www.nishina-mf.or.jp/nkz_series/NKZ_52.pdf

http://www.cnic.jp/knowledge/2608

https://twitter.com/GeorgeBowWow/status/866822468089987072





◎ 【原爆は日本が開発していた】

なぜ裕仁が終戦を引き伸ばしたのか

なぜその日広島に陸軍第二総軍全員が集められていたのか

なぜ仁科が開発した原爆がアメリカが落としたことになっているのか

原爆爆発は〝至高なる人からのお頼み〟それは誰なのか


https://twitter.com/GeorgeBowWow/status/866994082765185024




☆ ヒロヒトが 日本人を使って原爆実験をしていなかったら これほど 天皇家が イルミでの 絶対的な権力はなかったでしょう。

原爆特許は 米 と 英国 ロス茶にとっての利権でもあるからです。



10月革命   日本の10月革命

2017-11-08 15:32:13 | ソ連目線


■■ユダヤ人が担ったロシア10月革命



ストルイピンが暗殺されると、ユダヤ人たちはもう一つの革命の準備に入った。1917年11月6日の「10月革命」である。



この10月革命はユダヤ人による革命であった。これは疑いの余地がない。


いうまでもなく、革命を指導した者のほとんどがユダヤ人だからである。



10月革命の前に、トロツキーをリーダーとする70人のユダヤ人グループが、ニューヨークからやって来ていた。アメリカのユダヤ人資本家ヤコブ・シフは、このトロツキーのグループを支援していた。



そのときロシアは、ドイツとの戦争の真っ最中であった。第一次世界大戦である。ドイツの方面からも、レーニンのグループがロシアに入った。このグループもまた、ほとんどがユダヤ人だった。10月革命は、アメリカとドイツの金によってユダヤ人が実行した革命であった。


アメリカ・ユダヤ人の中心的存在だった ユダヤ人金融業者ヤコブ・シフ。ロシアのユダヤ人革命家たちに多額の援助を与えた。



それにしても、ロシア革命はなにゆえにひと握りのユダヤ人指導者の下に、容易に推し進めることができたのだろうか。

ロシア人は黙って見ていただけなのだろうか。当時の革命政府には、ロシア人はほとんど参加していなかったのである。レーニン自身がその事実を述べている。



10月革命が起きてのち、ロシア人は新政権の成立にはほとんど関わることをしなかった。ロシア人としては、このような反民族的なシステムには入りたくなかったのである。


レーニンは、政府の官僚として誰を起用するかをじっくりと考える必要はなかった。

当時は戦争中だったので、西側からユダヤ人が続々とロシアの中央に移って来た。ソ連の新政権にユダヤ人は約150人参加した。

そして、政府のトップ・クラスの人々はすべてユダヤ人であった。政権内部のロシア人は2~5%ときわめて少なかったのである。



レーニンの祖母はユダヤ人だった。レーニン自身がユダヤ人とのハーフだったのである。




ロシア10月革命後の新政権では、そのメンバーのうち99%をユダヤ人が占めていた。


しかし、アメリカとドイツからロシアにやって来たユダヤ人たちは、革命家、あるいは共産主義者であり、ほとんどがユダヤ教を信仰していたわけではなかった。



その頃のユダヤ運動には2つの流れがあった。1つは共産主義である。共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しない。


もう1つはシオニズムである。シオニズムとは、ユダヤ教徒が自分たちの宗教本部であるエルサレム(シオン)を中心として、自分たちこそ世界を支配しなければならないとする思想である。そのような人々をシオニストという。




10月革命後、ユダヤ人たちはこの2つの流れでともにロシアを支配していたのである。


やがてそうしたユダヤ人の中に摩擦が生じるようになった。


1920~1930年代、アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいた150万人のユダヤ教徒との間に、激烈な闘争が巻き起こったのである。


革命家たちはユダヤ教を信仰していないため、ユダヤ教徒たちは共産主義者を批判し共産主義者と闘うようになった。


レーニンやトロツキーたちとともに来た人々は、この戦いでほとんど消えてしまった。


革命政府の中心にあった者たちは、ほとんど殺されてしまったのである。こうして第二次世界大戦勃発以前に、このユダヤ人の間の闘いには決着がついたのであった。






日本の10月革命











ハザールユダヤと戦ったロシア史 ④

2017-09-17 14:00:47 | ソ連目線


■■■第4章:ロシア文化を徹底的に破壊したハザール系ユダヤ人

■■革命はロシアの頭脳を流出させロシアの文化・宗教を破壊した

ロシアの「頭」はこうして切り落とされた。では彼らの次の目標は何か。その次に彼らは何をしなければならなかったのだろうか。

ロシアの伝統、習慣、歴史と、それを存続させている貴族を殺すこと、それが彼らの次の課題であった。が、ロシアの貴族はそのとき、幸か不幸かほとんどが国外に亡命していた。少なくとも300万人の貴族がアメリカやヨーロッパなどに脱出したが、彼らはいわばロシアの頭脳ともいえる人々だった。要するに、革命によってロシアの頭脳が全て国外に流出してしまったのである。

アメリカには世界でも有数の技術を発見した学者たちが多くいる。あまり知られていないことだが、それらの学者たちの中にはロシア人が最も多いのである。少なくとも彼らロシア人が20%を占めている。

たとえばヘリコプターの発明者のシコルスキー、ノーベル賞をもらった経済学者ワシリー・レオンツェフ、また作曲家のラフマニノフなど、挙げていけばきりがないほどだ。ロシアの頭脳はほとんどアメリカに行ってしまったのであった。アメリカは革命によってロシアの頭脳を獲得したのである。

優秀な実業家、デミドフ、ストロガノフ、エリセエフなども外国に行ってしまった。ロシアはユダヤのために優秀な実業家たちをすべて失ってしまった。ロシア人の「頭」の代わりにユダヤ人の「頭」が、ロシアの体、すなわちロシア人の国家の上に乗せられたのである。

さらにロシアの古い伝統、習慣、文化をもっているのは誰か。農民である。彼らは個人の農地をもっていた地主であった。しかしユダヤ人は革命を推し進めるためには、農業システムを破壊しなければならないとして、各地にコルホーズ(集団農場)やソホーズ(国営農場)をつくっていった。その結果、ロシアの農業システムがすべて破壊されたのである。

こうして、文化人も、優秀な実業家も、伝統的な農民もロシアからいなくなった。全部ユダヤ人のやったことである。またロシア正教もほとんど壊滅の状態にまで弾圧された。ロシア正教はロシア人にとって最も神聖な宗教である。少なくとも1000年の歴史をもっており、ロシア人に大きな精神的影響を与え続けてきた。しかし革命後、ユダヤ人はロシア正教会の90%を破壊してしまったのである。

共産主義にとって“宗教はアヘン”だった。アルメニア教会の寺院も数多く破壊された。しかし、シナゴーグ(ユダヤ教会)だけは無傷であった。


ロシアとユダヤ史


ニコライ2世は、強烈な反ユダヤ主義者であった。ユダヤ人を嫌い、ロシアの災難の元凶はユダヤ人にあると見ていた。ユダヤ人を蔑称で「ジディヤ(ユダ公)」と呼ぶほどに反ユダヤ主義政策を執った。

 1901年、セルジェス・ニールスによりロシア語版「シオンの議定書(プロトコール)」が世に出された。「ニールス版議定書」は、ユダヤが世界征服の陰謀をめぐらしていることを暴露し、最新版ユダヤ人の世界支配計画の史上初発表という史的地位を獲得している。明らかに帝政ロシアがこの出版を後押ししていた。

 1903年、過ぎ越しの祭りのとき、ベッサラビアきっての都市であるキシネブにおいて、ユダヤ人に対する暴動が起った。民衆は1500件にも及ぶユダヤ人の家や店を襲って略奪し、49名の死者、数百名の負傷者を出す惨事となった。同年夏、ゴメルという町でもポグロムが起こり、8名のユダヤ人が虐殺され、多数の負傷者が出た。

 1904.2月、日露戦争が起きた当時、ロシアではポグロム(ユダヤ人迫害)の嵐が吹き荒れていた。ポグロムは、ロシア政権の奨励と黙認により押し進められていた。極東の地で、その帝政ロシアに日本が開戦する事態が勃発した。ユダヤ人資産家は、帝政ロシアから資本を引揚げ、ロシアに対する態度とは対照的に日本を援助し始めた。




☆ キリスト意識を殺すことが ハザールの目標 つまり 人間が人間らしくあっては困る。

古神道は なにもない ただ 岩とか木をあがめているような 最も 反知性という印象が 私にはありました。

けれど ただ手を合わせるということで 人は 自分の内側と対話していたのかもしれない。

なにか 本当の畏れを知る 人間らしさが あったのかもしれない。

嘘をついたら バチがあたるよ そんな感覚が あったのかもしれない。


「国家神道」は 神道をぶち壊すためにあったのかもしれない。 つまり 外側の 闇の権力をあがめて 個人が内面と対話することを遮断した。


つまり カルト手法ですね、教祖だけがすべて。

そうでもしなければ 天皇の必要性など ないわけです。



ハザールユダヤと戦ったロシア史 ③

2017-09-16 16:04:58 | ソ連目線


■■■第3章:ハザール王室直系の子孫、カガノビッチの暗躍


■■スターリンを操ったモンスター、カガノビッチの正体



10月革命以降、特に1920~1930年代に、ユダヤ人はロシアで「国家内国家」をつくっていった。それはまさしく、8世紀~10世紀ごろに栄えたハザール王国の再現であった。



ロシアにはハザール王国の皇帝の子孫がいたのである。


スターリンは傀儡であり、ユダヤ人たちのロボットであった。スターリンは表向きの指導者であって、ユダヤ国家には陰の指導者がいたのである。その陰の指導者がすべての実権を握るほんとうの支配者であった。



それは誰か。 世上、スターリンの片腕といわれたユダヤ人、ラーザリ・カガノビッチである(カガノビッチはいかにもロシア的な姓のように「ビッチ」を付しているが、祖父の時代にはカガンと名乗っていた)。


カガン(可汗)とはハザール人たちの言葉で、ユダヤ教の宗教の指導者、皇帝などを意味している。




ハザール王国もハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の姓がカガンであるということは、彼がかつてのハザール王国皇帝の直系の子孫であることを示している。




ハザール王国は数世紀前に消滅したが、その皇帝の直系の子孫が生きていたのである。


スターリンは共産党書記長というポストについていたが、カガノビッチはただの書記にすぎなかった。


しかし、実際にはカガノビッチやカガノビッチの補佐官が、すべての政策を取り仕切っていた。スターリンはこのカガノビッチの政策の執行者にすぎなかった。



ハザール王国では宗教的権威をもつカガン(皇帝)のほかに、実際の政務を行なうビャク(執行者)があった。その意味でも、当時のソ連政府はまさしくハザール王国の再現であった。


一般に「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁だったのである。この事実は決して触れられることがない。





■■ハザールの王・カガノビッチがロシアを支配した


カガノビッチはどのようにしてロシアの国家内国家、すなわちユダヤ国家を指導していったのだろうか。


共産党によったのではない。共産党も表向きの形式にすぎなかった。


実際には裏の組織があった。それが国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)である。


国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だった。トップだけではなく、中間層も下層も、ほとんどがユダヤ人で占められていた。



国家保安省にはベリヤというきわめて危険な人物がいた。彼はユダヤ人(母親)とのハーフで、グルジアの北コーカサス出身のユダヤ人であった。


ベリヤはカガノビッチの従兄弟にあたる。


カガノビッチはベリヤ、すなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配していったのであった。




またその頃、ユダヤ人は国家保安省の中に「収容所」という新しいシステムをつくった。


ソルジェニーツィンの著書『収容所群島』には、このシステムについて詳しく述べられている。


各収容所の所長は9割がユダヤ人だった。


収容所システムを初めに導入した人物は、フレンケルというユダヤ人の革命家である。収容所はロシア人の奴隷を収容するためにつくられた施設だった。



革命が成功すると、ユダヤ人たちはロシア人を完全に支配下におこうとした。


そのためにはロシアの「頭」を切り落とさなければならない。「頭」というのは日本でいえば天皇であるように、ロシアでいえばツアー、すなわち皇帝であった。



ユダヤ人はまず当時のツアー、ニコライ2世を家族もろとも全員暗殺した。


革命の翌1918年7月、ユダヤ人はウラル山脈のエカテリンブルグ(現在のスベルドロフスク)のある家の地下室で、ツアーとその家族をすべて銃殺に処した。




そして、その家の壁にサインを書き残したのである。それはヘブライ語で「皇帝は暗殺された、国家は破壊された」と書かれていた。私(イワノフ)はそのサインを自分の目ではっきりと見ている。



エリツィン大統領は当時、その町の第一書記だったが、このエリツィンの命令によって、ツアーが殺害された家は完全に破壊されてしまった。今はもう誰もこのサインを見ることはできない。家も壁も残されていないからである。



☆ ヘブライ語に 改めて ドキッとしました。


「君が代」が ヘブライ語 と されています。