ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

安くてウマいもんと料理と旅行と音楽と競馬が好きなサラリーマンの暮らしを、ありのままに綴ります。

究極の少子化対策は、婚姻の法改正だ。

2023-01-27 18:32:00 | 家庭・教育

今日は、暴論を承知で。
岸田首相が「異次元の少子化対策」を打ち出そうとしているが、はたしてどこが異次元なのか。
故・安倍元首相が「異次元の金融緩和」を打ち出したが結局インフレは起きず大企業と投資家が儲けただけで、トリクルダウンを期待した中小企業にはほぼメリットはなかったように、目先の手当を増やしたからと言って夫婦が子どもを作ろうとするだろうか。
子どもを産み育てるには、カネが要る。私も私学だったので、親には本当に申し訳ないくらい学費をかけてもらった。
この「失われた30年」の中で、果たして今の若い人達が結婚し、子どもを産み育てるに充分な稼ぎを得られるのか不安で仕方ないから結婚出来ないし、また結婚しても共働きを継続しないと家庭を維持出来ないほどに薄給な人達が多いのだ。
私はこの現象を生み出したのは、20年前の小泉・竹中ラインによる派遣法改正だと思っている。すなわちそれまでは一部の専門分野に限られていた派遣社員の適用範囲を大幅に緩和した結果、非正規雇用者が大幅に増えた。そしてリーマンショックで彼らは大量に失職し、日比谷公園に「派遣村」が出来て炊き出しに行列が出来たが大企業は派遣社員を切っただけで痛くも痒くもなかった。
まずは、派遣社員でも充分に食べていけるくらいの待遇改善を図らない事には出産はおろか結婚もままならない。少子化対策は目先の手当ではなく、そもそも待遇改善だ。

そして、面倒な婚姻にまつわる法の改正にもメスを入れるべき時が来ているのではないか。
欧米では婚姻は日本に比べればカジュアルで、特にフランスなどでは大半が事実婚のようだが日本ではまだまだ事実婚への理解が少ない。
冠婚葬祭や日頃のグリーティングなど、ネット社会の進化にcovid-19が加わってこの10年で世の中は随分カジュアルになった。
まず「年賀状じまい」をする人が飛躍的に増えた。
同じく墓じまい・永代供養をする人も激増した。どの家も、墓守がいないのだ。
死んだら死んだで、もはや主流は家族葬になった。私も久しく、人の葬式に行っていない。
結婚披露宴も様子が変わった。以前は新郎新婦の親と言えば相手方の卓にお酌をして回らねばならず忙しかったが、今は感染症対策として卓を移動してのお酌をご遠慮いただくようになった。
covid-19によってテレワーク・リモートワークが進み、日常の会議もZOOMなどによるリモート会議が激増。無駄な出張も減った。会社によっては「原則自宅勤務で定期券を支給せず、出社した日だけ交通費を実費精算」というところも少なくない。 
あの悪天候や体調不良のなか、這うように出社していたのは何だったのかと思うくらいだ。

それだけ世の中がカジュアルに進化したのに、結婚をめぐる法律は依然昔のまま。配偶者控除ぐらいしかメリットがないなら、若い人は「結婚なんてめんどくさい」と思うだけだ。
それだけこの国の「家制度」は、旧態依然としている。それを改めようとしないのは、隣国から持ち込まれた儒教が根深く染み込んでいるからであり、与党・自民党がその隣国の宗教団体と密接に関与していたからだという指摘は、あながち的はずれではなかろう。

思い切った法改正、もしくは所得課税を「N分N乗方式」にして、大家族ほどトクというふうに改めるか… 
バラマキ以外に、政治家がやる事はあるのではなかろうか…
コメント
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