本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

仏教の十戒

2024-03-25 18:16:13 | 十地経

戒律ともいい

詳しくは、戒と律に分けて

見ていきます

戒はシーラといい

自ら自分を自制していく

ということで、

律はビナヤといい

他からの軌範で自分を

持するものです

 

ですから、

モーゼの十戒は神律という

神からの軌範という意味が

強いようです

 

反対に仏教の十戒は

自らでもって自らを制する

お釈迦さまがこうしなさい

というより

そういうニュアンスが強い

ように思います

 

それで、私たちの行い

業(ごう)を三通りに分け

身体で行う(身)

口で行う(口)

心で考える(意)

というように十戒を

分けて考えます

身で行う 不殺生

     不偸盗

     不邪淫

口で行う 不妄語

     不綺語

     不悪口フアック

     不両舌

心で行う 不慳貪ケンドン

     不瞋恚シンニ

     不邪見ジャケン

となりますが

やはり、口は禍の元

といわれるように

口・ことばに関する諌めが

四つもあります

 

妄語という

嘘をついてはいけない

その場しのぎでついウソを

ついてしまうものですが

一つつくとそれを隠すため

また嘘をつくというように

ついには嘘八百という

ことになりかねません

すると

自分の人生そのものが

嘘の人生ということに

なりかねません

 

綺語(きご)というのは

綺はあやぎぬということで

綺語は直訳的には

美しい言葉ということです

が、ここでは偽りの飾った

言葉ということです

まあ、お世辞というか

今ではリップサービスとか

いいように思うのですが

あまり言いすぎると

自分の真心まで

失くしてしまうという

危険をはらんだ言葉です

 

不悪口、悪口と書いて

「ふあっく」と読みます

悪口ですが、

人の悪口は絶対に言わない

という人がおられます

しかし、

そういう人に限って

自分が悪口を言われると

烈火のごとく怒る人が

おられます

まあ、逆説的には

自分自身というもの

よくよく見れば

誉められるようなことを

しているわけでは

ありませんので、

悪口言われるような自分

でもあるわけです

そういうことも考えて

みなければなりません

 

不両舌は二枚舌です

離間語ともいいます

人と人との間を割く言葉

両方の人に都合のいい

ことを言って人の仲を

割く言葉です

 

こういう仏教でいう

言葉に関する戒は四つも

細かく分けてみている

のですが

モーゼの十戒では9番目の

隣人について偽証しては

いけないということに

当たるのでは

ないでしょうか。

 

そして、心に関するものは

不慳貪、不瞋恚、不邪見です

不慳貪(ふけんどん)

むさぼりです

不瞋恚(ふしんに)はいかり

不邪見はよこしまな見方

自分勝手なものの見方

 

このように十の戒を

三業という、身と口と心の

グループに分けてみています

こうやって

モーゼの十戒と見比べて

みると、モーゼの十戒は

仏教でいう戒と違う

神からの神律というような

戒というより律的な面が

強いようです

 

自分自身の問題とする

仏教の戒と

神との契約による戒とは

破れば罰がある

というような

厳しいものがあるようです

 

やはり宗教が生まれた

環境ということが大きく

作用しているように思い

ます。

 

 

 

 

 

 

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