本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

人間というのは対話から生まれてくる

2024-04-15 17:47:36 | 十地経

「まあ現代はね、

僕らの学生時代、

まあちょっと年とったけど

なにか、そういう風格の

ある人がだんだん減って

きた。

教師にもなくなるし、

学生にもむろんない。

つまり人間がないんです。

 

人間というのは対話から

生まれてくるものだ。

つまりその真理でしょ。

まあ仏教なら法ですけど。

法はあるとかないとかと

いうものじゃないんです。

 

いつまでも

あるんですけども、

しかし、

その法に生きた人が

なければ、

ないのと同じことなんです

 

法は問題じゃないんです。

人なんだ。

法を見出す人がね。

それに触れて我々もまた

法に触れるんです。

 

法そのものに触れる

というようなこといって

みたところで

まあいつか目覚める

というようなこといって

みたところであてにならん

 

我々が法に目覚めるのは、

法に触れた人に会うから、

の対話によるわけです。

対話というものは、

人と人との対話であって、

まあ、真理と人間との対話

ということもあるけど、

それは真理を得た人が

得ない自分に、

得ない人に対して対話に

なるわけです。

 

真理は一つだけど、

対話は二人なんだ。

真理は一つですけど、

しかしそれが対話の形を

とるときに、

人と人との対話になる

わけです。そういう形。

 

だから人がおらんのですよ

今の学校でも。

それは教育の根本問題じゃ

ないか。

無難に用件を片づける

というような、

便利やとか早いとか、

そういうような話しか

出てこない。

 

つまり頭が経済的なんだ。

神は死んだというけど

現代人の思想というものは

経済が神なんだ。

経済のない時代というのは

ないけど、

経済が生活の王座を

占めとるんです。

 

それは非常に現代の

特色です。

だから、そういう時代に

我々はおるんで、

そういうことを

考えてこんと

菩提心の意味が分からん

ですね。

 

なんか瘦せ馬を叩くように

菩提心というものが

響くのです。

そうじゃないんです。

人間らしい、

本当に息吹ですね。

回復する問題です。

 

菩提心というものを

自覚せんということは

現代が砂漠のような世界

だということを知らん

証拠です。

 

人間関係というものが

夫婦の間でもないでしょう

夫婦、親子の間でも。

みんなそうですね。

消費階級と、生産者との

関係と同じこと。

 

こんなふうな関係ですから

もうなにしろ全部が取引や

そりゃ冷たいね。」

 

経済が神になった

という言葉も衝撃的ですが

「億りびと」

というような言葉も

あるように

経済が全ての中心の

ようですしまた、

王座の位置を占めています

そういうなかに

いかに宗教心というか

菩提心を見出していくか

これからその問題について

述べていかれます。

 

 

 

 

 

 

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