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寿咲亜似民話 in Honzouin

8月28日お不動さまの護摩祈願が

終り、住職の法話の後、

御斎を頂き一服して

「寿咲亜似」(すさきあい)さんの

民話を拝聴しました。

 

 

ちょうど、お寺ということもあり

当院が山伏に関係があるということで

熊本に古くから伝わる

「やんぼしづか」(山伏塚)の

お話です。

 

加藤清正にも関係してくる

のですが、

熊本城築城のおり、

山伏を呼んで地鎮式をした。

地鎮式も無事に終わり

家臣たちが労をねぎらい

一献差し上げた。

ところがその山伏、

つい調子にのって

お城のつくりについて

知ってる限りのことを

しゃべってしまった。

お城の内情をこうも知っているのかと

驚く家臣たち、

そなたに恨みはないが、

と切ってしまう。

そしてそこに塚を築き供養した

というのが、

「山伏塚」(やんぼしづか)の

あらましですが、

 

 

聞いていて、

もとても聞きやすい熊本弁

さすが、声の仕事をして

また語りについて勉強もされたらしく

引き込む力を持っておられます。

 

 

笑わせたり、

その登場人物になりきっての

声使い、その表情は素晴らしいものです。

 

 

熊本もいたのに知らないことばかり

地名についても

いろいろ面白い謂れが

残っているようです。

 

民話もあり、

小泉八雲の物語の語りもあり、

芸風も幅広いのでは、

 

 

とても楽しい一時でした。

折に触れて聞ければ

と思っております。

 

厳粛な護摩の後

こういう話もみなさん

初めてではなかったのでは

ないでしょうか。

心豊かになるお話でした。

 

 

 

 

 

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地獄の食事、極楽の食事

最近の異常気象でしょうか、

台風銀座と言われた九州には

やって来ません。

新幹線の中から見る市内の風景

まだブルーシートが張られている屋根が

見られます。

復興事業もそう簡単には進まないようです。

ということもあって、

台風が九州に来ないということは

何よりも有り難いことです。

 

 

ここの所熊本も雨が少ないようで、

草木は雨を待ち望んでいる。

植物にとっては、

「雨は天から貰い水」

と歌にあるように

じっと耐えるしかないようです。

熊本も天気予報では  

もうそろそろ降り出すことでしょう。

 

「地獄の食事、極楽の食事」

ということがあります。

 

 

整えられた護摩壇を見てそう思ったのですが、

地獄の食堂も極楽の食堂も

別にご馳走があるわけではなく、

内容は全く一緒という事です。

食べる道具も一緒

ただ食べる道具は長い箸、

 

 

護摩壇で使うのは

お不動さまへお供えするための

こういう長い杓(しゃく)という

ものを使い、

手前の「お洗米」と「五穀」を

炉の中に入れていきます。

 

この長い杓を見てそうなのかな??

と思ったのです。

地獄の食事ではこの長い箸を使って

自分が食べようとします。

長い箸ですのでどうしても自分の口に

入りません。

それで周りにこぼしてしまい

自分の口には入らなくて

ご飯が食べられないというのです。

 

ところが、

極楽では同じ箸なのですが、

自分が食べようとするのではなく

向かいの方に食べさせてあげる

お互いに食べさせあいをする

だからとてもスムースに食事が

進むということです。

 

簡単なことです、

俺が!おれが!自分が!といって

我先に食べるのではなく

まず、何が食べたいですかと

お向かいにお方に聞き

それを取って相手の口に運んであげる

自分がこれが食べたかったら

お向かいの方に頼んで

取ってもらい、食べさせてもらう

ということです。

 

まず、人を先に考えるという

面白い風習ですが、

日本人はお土産が好きです。

旅先に出ても、

自分が楽しむこともさることながら、

家で待っている人に

あれこれとお土産を考える

このことも一面には

先ず人を先に考えるという

とてもいいDNAが備わっているのでしょう。

 

そんなことを考えながら、

今から、護摩を焚きます。

お不動さまが食べたいものを

お供えしたいと思いながら…

熱い護摩になりそうです。

 

 

 

 

 

 

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見事な! グロリオサス!!

見事な花が活けられました!?

 

 

今日目を引いたのは

左右に伸びる面白い線の

「グロリオサ」です。

よく見るとなんとも不思議な形

この形がお花には

使い方によって面白さを

増すのではないでしょうか。

 

 

この赤い「グロリオサ」

もとはラテン語のグロリオサス

gloriosus(見事な)が語源、

この言葉からは、

栄光というgloryが生まれ

花の名前も英語では

glory lily

日本語では、百合車・狐百合

というようです。

 

 

見れば見るほど不思議な形

 

 

つぼみの時はこんな形

本当につぼんだ状態

それが開きはじめ

 

 

なんだかプロペラのように

花びらを広げ

 

 

それがついにはひっくり返って

一つの花の形を成す

まあ不思議な面白い花です。

 

 

グロリオサに目を奪われていましたが

中心には

白や薄紫のトルコキョウを

赤い実の花をチラシ

シンビジウムも両脇に開いて

納まりがいいようです。

 

仏教徒の私が言うのもなんですが、

Glory Hallelujah

というような歌がありましたね!!

 

 

 

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背割堤、文学的・歴史的に散歩

いつもの背割堤ながら

ちょっと違った角度から

目に飛び込んできます。

 

 

背割提の入り口近くには

句碑を刻んだ大きな石

 

 

「新月や いつをむかしの 男山」

其角の句です。

月が円形に浮き出た丸いところ

ちょっと粋な作りです。

 

 

「沓音に 静かにかざす 桜かな」

やはり芭蕉の門人で荷兮(かけい)

の句になります。

この方たちが活躍する少し前

この川の合流するところにある

男山、

そこに松花堂昭乗が松花堂の庵

を結んだこともあり、

松花堂昭乗を偲んで

詠まれたのかもしれません。

 

三つの川が合流している背割堤

案外その流れを見てませんでした

暑い日差しながら、

 

 

橋を渡って、

 

 

木津川は水不足でしょうか

水の流れは細い線状です。

 

 

宇治川はまだ水が豊かに

流れています。

そしてもう一つ橋を渡って

次の桂川までは川面までは

辿り着けないようですので

 

 

 

遠目に写真に納め

上の橋はいつも車で通る

京滋バイパス、

下から眺める姿もおもしろい

 

この川が合流して淀川となり

大阪湾にそそいでいるのです。

 

 

地図があったので、

真中が鳥羽離宮公園、

平安京の頃は桂川を上り

鳥羽離宮で荷を下ろし、

その物資を平安京に運んだのでしょう。

 

 

時代が下がり、

秀吉は伏見に最大の城下町を築き

伏見港公園とあるところが

交通の要衝となっていたのです。

そこから高瀬川を開削し

京の都まで物資を運び

午後からは汚物関係を

運んだという、

往時はとても賑わった所

そして宇治川と高瀬川を

結ぶところには今でいう運河

閘門(こうもん)が作られています。

 

さらに、

文人墨客たちは一休さんを

訪ねて、

この合流地点から木津川を上り

一休寺(報酬庵)がある

京田辺へ向かった、

車で行けばちょっと辺鄙な

ところと思いきや、

一休さん隠遁生活かと

しかしながら、

この水運を利用すると

実に便利なところに居を構えた

ということです。

 

 

暑さもあって人もまばら

でも、木漏れ日が

美しい模様を創り出しています。

 

MADAMはお花

一人のペースでちょっと速め

帰る頃には結構足に堪えます。

やはり、

いつもは緩やかとは思いつつ

自分のペースで歩いてみると

なかなか…

やはりペイスメイカーは大事だと

思い知らされました。

 

 

野に咲く一輪にも出会い

また、

 

 

風に揺れながら必死に頭を

もたげている、

よく見ると

 

 

コンクリトーのわずかなすき間から

顔を出している

ど根性の花にも出会い、

最後に元気をもらったような

素敵な出会いでした。

 

 

 

 

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ファラフェルにバクラヴァ!?

下鴨神社の糺の森は

賀茂川と高野川の合流地点の

三角形のあたりに位置します。

 

 

ちょうど、花の向こうに見える

こんもりした木々のあたりが

糺の森(ただすのもり)です。

 

珍しい、イスラエル料理

それが

 

 

ファラフェルというもの、

中に肉団子のようなものが

これがラファエルとよばれるもの、

 

 

原料はひよこ豆

それを小さなお団子にして揚げたもの

ちょっとしたハンバーガーのような

薄味ながら香辛料のせいか

しっかりした味付け、

すべてベジタリアンというか

ソースに至るまで卵、ミルクは

使ってないということです。

 

イスラエルが建国したとき

多くの人が国に帰ってきて

食糧難になったそうです。

そこで2000年前から伝わっている

このファラフェルが命をつないだとか

肉もなく、このひよこ豆が

タンパク質もあり栄養価も高く

その代りをしたそうです。

 

味は違いますが

日本でいう「がんもどき」かな?

同じ豆類から作られていて

それを揚げるというとこまでは

同じようです。

 

デザートに

バクラヴァという胡桃が入った

ケーキ

 

 

日本でいう胡桃のケーキとは

ちょっと違う、

さほど甘くもなく、薄いシロップが

かけられていて

なんだか異国の味に思いを馳せた

ような、味わったことのない

エキゾチックな味に舌鼓

 

 

天上にあるこのランプも

そのような雰囲気を醸し出して、

 

 

ふと見ると糺の森に

夕日が落ちようとしています。

 

 

写真では良く表現できませんが

とても美しい夕日です。

夕日を見るとホッとします。

 

 

店を出ると灯りが入り

また、可愛らしさが出たような

姿に変身していました。

 

今、盛んに「肉女」とか

肉…肉…肉…ともてはやされて

いますが、

この精進のハンバーグ

「ファラフェル」に「バクラヴァ」

ブラックジンジャーティー

とても心地よい満腹感

久しぶりに腹八分の満腹感に

大満足です。

 

 

 

 

 

 

 

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細川忠興・ガラシャ夫人結婚の地

天正6年(1578)、

明智光秀の三女「玉」(ガラシャ)は

勝竜寺城主、細川忠興の下へ

嫁ぎました。

 

京都の南西、宇治から見るとほぼ西

長岡京というところに、

勝竜寺城はあります。

 

 

長岡京の地は

奈良の都平城京が平安京に遷都する

間の10年余り都があった所です。

桓武天皇により造営され、

淀川を上り、宇治川、桂川、木津川の

合流地点に近く、物資の運搬にも便利で

また、交通の要所ともなり

肝心要の場所だったようです。

都は水に恵まれ、各家々に水が引かれ

汚物もその水を使って流され

今でいう水洗が完備した都だった

ようです。

 

ということもあり、時代が下がっても

この地は都の要ともなったのでしょう。

細川忠興の父藤孝は

織田信長の命によりこの地に

勝竜寺城を築いたのです。

 

 

石垣を築き瓦で葺くという

要衝にふさわしい堅固な城だった

ということのようです。

 

忠興とガラシャはこの城で

幸せな新婚時代を過ごしましたが、

天正8年には丹後の宮津城に

移ります。

ところがその2年後に

大事件が起こります。

明智光秀が信長を討ったのです。

光秀はこの勝竜寺城の近く

山崎に陣を構えます。

が、光秀が破れて

玉(ガラシャ)は丹後に幽閉されます。

 

お城をのぞいてみます。

 

 

正門から入ると、両脇の塀は

鉄砲間(はざま)が再現され

 

 

小さいながらも往時の姿を

偲ぶことができます。

 

 

軒丸瓦は細川家の家紋である

九曜紋を入れて葺いてあります。

 

堀も水を貯え、

 

 

ハスの花が植えられています。

 

今日も暑い!!

 

 

ハトもこの暑さで、日陰を求めて

塀の下の屋根の木陰で涼んでいる

のでしょう。

 

このお城の前の通りは

 

 

ガラシャ通りと名前が付いています。

 

勝竜寺というのでお寺があるのでは

と、ナビを入れるとほんの近くに

 

 

真言宗のお寺で、

歴史を読んでみると

弘法大師に関係が深く、

弘法大師(空海)が中国での

教えを受けたお寺

「青龍寺」(しょうりゅうじ)から

名前を取って「青」を「勝」に

変えて「勝竜寺」と名乗った

ということです。

 

 

こじんまりとした佇まいながらも

どこか歴史を感じさせる

 

 

ちょうどお盆の施餓鬼供養が

終わったところでしょうか

 

 

ご住職が片づけに汗を流して

おられるご様子です。

 

熊本に馴染みの深い

水前寺公園にある「古今伝授の間」

天正2年(1574)6月17日

細川藤孝(幽斎)はこのお城で

三条西実枝から古今伝授の

切り紙を受けとっています。

古今和歌集の解説の秘説が

こうやって伝わり

熊本にも作られたということは

なにかしら

不思議な因縁を感じます。

 

先週のNHK大河ドラマ「真田丸」で

紹介されましたので

訪ねてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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みんながゴールドメダリスト!!

オリンピックも閉会式を迎えました。

日本選手の活躍が素晴らしかった。

閉会式の挨拶で、

「みんながゴールドメダリスト」と

ボランティアや裏方で地道に

働かれた方々への称賛の

言葉でした。

 

先日の京都新聞、

同志社女子大教授「日下菜穂子」

人には、

パフォーマンス型の人と

クリエイティブ型の人がいる

ということです。

表舞台に立って活躍し力を出す人、

なにかを作る過程を重視する人、

今度のオリンピックで

目覚ましい活躍をして

私たちに感動と喜びを

与えてくれた人、

まさに、

パフォーマンス型の人でしょう。

注目はされなかったけど、

その競技を裏方で支えた人々

そういう人はクリエイティブ型の

人ということになるのでしょう。

 

ふと、女性の強さを思います。

なんでだろう?

一つには女性はクリエイティブ型

ということができるのでは、

毎日、美味しそうに食べる

家族のことを思いながら

料理を作る。

毎日料理を作ることの大変さ

小僧時代、10年余りまかないをして

今日の献立を考えるのが

一苦労でした。

大学の授業を受けている時も

今晩のおかずのことが気になります。

なにを作ろう??

 

それは創造・クリエイティブが

なければできないことです。

「今晩何食べたい?」

と聞かれても、

咄嗟には出てきません。

しかし、作る方は材料を見ながら

イメージを膨らませ

献立を考えて行きます。

つまり、

心の中にいる観客が喜ぶ姿を

思い浮かべるだけで満たされ、

想像力が衰えない限り

喜びは尽きないものです。

 

パフォーマンス型の人は

活躍している時は花形でも

定年とか、引退とかで

その輝く場を失ってしまいます。

今まで会社で活躍してた人も

定年で家に籠るようになると

途端に、途方に暮れるものです。

 

「雑事は仏事」

は、師匠の口癖でした。

修行といっても雑用雑事をいかに

軽やかにこなしていくか

それが一番重要なことです。

女性の強さの秘密には

日々雑用雑事を軽やかに

こなしている、

ここにあるのでしょう。

毎日がクリエイティブな仕事、

つまり、

仏さまの仕事をしているのです。

 

年と共に、

肉体的にも精神的にも

パフォーマンスに生きる

ことは無理になってきます。

なかには70歳80歳を超えても

表舞台で輝きを放つ方も

おられるようですが、

それよりも、

クリエイティブに生きる方が

無理もなく性に合っているのでは?

 

何でもないことに眼を向け

驚きの眼で興味深く眺め

見識を深めていく、

「日々是好日」

とはそういうことでしょう。

年を重ね体は動かなくなっても

見たり聞いたり触れたりと

感覚を研ぎ澄ますことはできます。

そこには何とも言えない喜びを

感じるのではないでしょうか。

 

日下教授は、

高齢者は長い人生を創り出してきた

有能なクリエイターで、

生きていることそのものが

素晴らしい作品だと思う。

そんな老いの美学に人々が気づけば

長く生きるのが楽しいという

新しい文化が生まれると

信じている。

と結んでおられます。

 

そうなればすべての人々が

ゴールドメダリストになるのでは

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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精力はないが性欲はある!!

昨日の「さんま」さんのテレビ

『さんまのまんま』

ゲストは津川雅彦さんです。

普段聞けないようなきわどい話の

連発!!

その中で、亡くなられた進藤兼人監督

の一言、90歳を過ぎても

「精力はないが性欲はある」

なるほど名言ではないでしょうか 

 

性欲は生欲にも通じます。

生欲が全くなくなれば

それは生きる意欲を

なくすことになります。

 

思い出すのは、

知り合いの方で、女性関係が盛ん

しくじってはまだ元気な母親に

長火鉢の前に座らされて

キセルで頭をたたかれながら

お説教をくらう、

「いつになったらやめれますか?」

と聞いたら、

母親は黙って火鉢の灰を火箸で

灰をならしていたそうです。

人間、 性欲は灰になるまで

なくならないのでしょう。

 

そういえば、

「大天(だいてん)の五事(ごじ)」

ということがあります。

お釈迦様没後100年、

仏教にも根本分裂が起こります。

その原因になった一つに

「大天の五事」ということがあります。

大天という方、悟りを開いて

阿羅漢の位に達した。

その方が夜寝ている時に夢精をした。

弟子が衣を洗っている時に

そのことに気がついた。

悟りを開いているのに夢精とは、

本当に悟りを開いているのか?

ということが問題になった。

そういう五つの問題が起こってきて、

大きく上座部と大衆部に分かれる

原因になったということです。

長老方の支持する上座部、

夢精するようでは悟りを開いてない

しかし、それは人間としての

一つのハタラキであって

悟りとは関係ない、とする大衆部、

性欲の問題も

あながち粗末にできない問題です。

それによって仏教が大きく分かれた

のですから、

 

以前、20年も前の話ですが

中国を訪れた時、

通訳の方が、

「日本のお坊さんは結婚できて

いいですね!!」

中国では結婚はしません。

ということでした。

  どう反論すべきか!!

「でも結婚生活も大変よ!」

というと、

その通訳の方も考え込んで、

そういえば、中国の女性は大変強い

今、自分も結婚しようが悩んでいる

ということでした。

 

結婚生活には一面、「世間の修行」

ということがあります。

自分だけの世界に閉じこもって

きびしい修行するのも大変ですが

ある面、簡単ともいえます。

社会生活を営む、

妻がいて子どもができる、

そこにはご近所付き合いとか

いろいろ社会との関係がでてきます

そして、

世の男性諸氏も社会では

どんなに偉そうにしていても

家に帰れば、妻の一言で

潰されてしまいます。

地位も権力もあったもんではありません。

そこが大事なのです。

 

一人で修行していると

周りからは、

「すごい、とか、あんたは偉い!」

と褒められることはあっても

自分を否定されることはありません。

 

仏教で一番大切な修行は

自分を否定されていくということです。

自分というか自我です。

「結婚生活は世間の修行」

よく言ったものです。

 

ではなぜ、昔のお坊さんは

結婚しなかったのか?

今でも結婚しないお坊さんもいます。

私の師匠もそうでした。

そこには、

人生ということを深く考えた時、

あまりにも時間が短い

学ぶべきこともそうです、

学んだことをよく考え、

実践して自分のものにする

そういうがあまりにも多すぎる。

そして死ということを前にすると

今まで持っていた価値というものが

色あせてしまいます。

 

それこそ、

今の自分にとって

最大の関心事は何か?

アルティメイトコンサーン、

究極的関心です。

そのことを考えないと、

自分の精力に悩んで

男根を切り落としたという、

そのことをお釈迦さまは

きびしく叱責された。

男根を取ったからといって

性欲がなくなるわけではない。

それよりも、

もっと自分の人生をよく考えなさい

そして何が一番必要なのか

また何を一番求めているのか

究極的関心ということを

忘れてくると思わぬ方向に

いってしまうものです。

 

たかが性欲、されど性欲ですね!

気をつけて扱わないと

大けがをしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

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緑の力

どこかの誰かが「緑」を

シンボルカラーにして

選挙に臨まれていたようですが、

 

 

今はどこの木々も満々とした緑を

貯えています。

 

 

今日のお花は

白色のトルコキキョウを中心に

可愛い花が活けられました。

 

 

あちこちから可愛い花が顔をだし

 

 

左右に広がるシンビジウムも

彩りを添えています。

 

 

ふと気がついたのですが

この可愛い花たちを支えているのは

 

 

その背景に活けられている

緑ではないかと、

「ハラン」でしょうか?、

縁取りには紫の線があるので

また別の葉なのかもしれません。

 

 

背割提の桜の並木も

緑に覆われて涼しい木陰を

作ってくれています。

暑い日でも

風もあって散歩にはもってこい、

土曜日とあってもう少し人手が

あるかと思いきや

やはりこの暑さ、

控えておられるのかもしれません。

 

セミたちが盛んに鳴いています。

アブラゼミかクマゼミでしょう?

この鳴き声も求愛行動のようで

自分の存在をアピールしている

ということです。

ですから鳴くのはオスだけ

いずこの世界も声が大きい方が勝つ

声の大きいオスにメスは寄ってくる

やはり、子孫を残すには

声の大きい元気なものに

託すということでしょう。

 

 

ふと足元を見ると

枯葉も落ち始めています。

ハタラキを終えて、

順番に次々と葉は落ちていく

暑い暑いといっていても

自然界ではもう着々と

秋の準備が整えられているのでしょう。

 

花を咲かせた桜

今は緑に覆われ

来年の花の蓄えをしています。

その貯えも終わると

ハタラキを終えた葉を散らして

静かな眠りにつくのです。

 

花に目を奪われがちですが

その花を支える緑の葉の力

それを忘れると

自然のハタラキの面白さは

わからないのではないでしょうか。

 

影の立役者「緑の力」

花を活かすのも緑の力です。

 

 

 

 

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無量にして無相の業を行じる

「無量の身業を無相に行じる

無量の口業を無相に行じる

無量の意業を無相に行じる」

 

ちょうどこいう一文に出会いました。

今オリンピックも真っ最中

金メダルラッシュというか

女子レスリングでも

すごい活躍です。

たまたま、インタビューで

「今日の結果は?」と聞かれて

「30パーセントくらいです。」

「金メダル取ったのにですか…」

 

金メダルを取るということは到達点

のようにも思うのですが、

やはり、ご本人にとっては

まだまだ修行の最中という

ことなのでしょう。

 

その言葉を聞いて思ったのですが、

「無量の業を無相に行じる」

ということは、

こういうことなのかと。

人間の行動とは、

身体で行うか(身)

口で言うか(口)

心で思うか(意)

この三つしかありません。

身・口・意の業を無量に

そして無相に行じる。

 

普通は

出来るだけのことをする、

というのですが、

まあそれでもとおるのです。

しかし、

頂点を目指していくということは

頂点がないということを知る

 

無量の行ということは

そういうことです。

「できるだけ」というのは

自分のはからいです。

そうではなく、本当のこと

となると、

無量ということが出てこないと

納得がいきません。

 

無量にして無相とでてきます。

相というのは

「やった」という思いです。

どんないいことでもやったという

思いが入ると、

その心は汚れてくるのです。

 

修行でも、無量にして無相に行じる

というのですが、

私のことになると

振り返って見ると出来ないことばかり

もうこれくらいでいいだろう

誰よりも厳しい行をしたと

自慢したくなります。

有量にして有相の行ばかりです。

 

その当時は修行のサポートもなく

すべて一人で行なっていたのですが

孤独感やら疎外感に陥り

「ガンバレよ!」

という言葉が余計に落ち込んで

いくものです。

「如法に努めなさい」

という師匠の言葉だけが救いでした。

 

如法に、如実に

ということが無量無相ということでしょう

ただ真面目にやるというだけでは

だめなのです。

自分はこれだけ真面目にしてるのに

と、愚痴に似た言葉が

ついつい出てしまいます。

一生懸命やっているのに

と、どこかで自分を擁護している

 

そこに、修行には純粋行ということが

いわれています。

真(まこと)であり純粋な行

それこそ、極真空手ではないですが

「まこと(真)を極める」

純粋でありまた真である行

そこに修行の難しさもあります。

 

修行して「やった、やった」といって

有頂天になっている間は

何もできてないのです。

金メダルをとっても

「まだまだ、30%のできばえです」

とおっしゃるその言葉にこそ

「無量にして無相の業を行じる」

というものを感じました。

 

 

 

 

 

 

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