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宇治のなかの源氏物語

宇治鳳凰大学の講座は

宇治市源氏物語ミュージアムで

 

 

家塚智子先生の講義でした。

とても熱く語られ、

時間が足りないほど、

 

宇治といえば、

「宇治茶」・「平等院」・「宇治橋」

「宇治川」・等々…

というのは宇治という地に

大きく関係してきます。

 

琵琶湖には多くの川が流れ込みます

しかし、出ていく川は一つ、

瀬田川が唯一流れ出る川で、

その流れは「宇治川」となり

背割堤で桂川・木津川と合流して

淀川となり大阪湾にそそぎます。

 

若狭つまり日本海で獲れた魚は

鯖街道を通り琵琶湖に抜け、

宇治川を通り淀川となり

大阪に通じている。

近畿の南北を繋ぐ要衝の地が

宇治ということになります。

 

宇治茶が盛んになるのも

起伏のある土地、豊かな水

そして、

何よりもそのお茶を流通させる

交通網があったということです。

 

また、平安貴族にとっては

宇治というところは

都にも近い、風光明媚である

ということから、

非日常を演出している土地で

別荘が作るには格好の場所、

 

宇治川を挟んで

彼岸と此岸ということを

見ることができる。

この苦しみの此岸から

宇治川を渡り、

浄土である彼岸の平等院を

極楽浄土と見立てたということです。

 

『源氏物語』の宇治十帖が

書かれたのは、

光源氏の晩年の姿です。

宇治十帖は「橋姫」で始まり

「夢浮橋」で終わっています。

「橋」ということが、

次の世代の架け橋を暗示している。

 

宇治十帖には光源氏の晩年、

地位、名誉、富とは関係のない

苦悩に満ちた姿が描かれている

ということです。

 

源氏物語は

まだ読んだことはありませんが、

華やかな姿だけではなく

光源氏の晩年になり

「人生とは」という問いに

悩まれたのです。

 

不思議なことに、

この問題は私たちにとって

必ずぶつかる問なのですが

自分では問うことができない

まして答えることはできない

そういう問題が宗教問題です。

経典には

仏が自ら問うている。

仏が人間に先立って

人間の問題を問い、

仏自らが答えている、

ということが書いてあります。

 

その、悩まれた光源氏

それが「宇治十帖」に書いてある。

それも宇治というところが、

彼岸への憧憬を感じながら

「橋」を渡る、

ということが象徴的なような気がします。

 

家塚智子先生、

講義の題を「源氏物語の宇治」

とせずに、あえて

「宇治のなかの源氏物語」

とされたところに、

先生の言いたいことの

捉え方があるようです。

 

 

まだ残っている紅葉

先の3.4回生の講義の時は

天気も良く紅葉も見頃だったようです

 

 

落葉の姿にも風情があります。

 

 

たぶん「ムラサキシキブ」でしょう。

葉も落とし、

美しかった紫の実もしぼみかけ

しかし、色だけはしっかりと残し

今日の講義と重なって

見えてしまいました。

 

要約だけですが、

講義はもっともっと充実した

興味深いものでした。

簡単にまとめてしまったことに

叱られそうですが

お許しを頂きたいと思います。

 

素晴らしい講義に感謝です。

 

 

 

 

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もの作りに終わりはない!

松井ニットの社長松井智司さんの

言葉です。

「もの作りに終わりはない」

なるほどと思う一言でした。

素晴らしい色合いのニットの

マフラーとかを作られています。

古い機械なんですが

このゆっくりしたスピードが

肌になじむニットを作っていく、

色合い・感触

こういうことを追及していたら

終りということはない。

 

今日12月8日は

お釈迦さまが悟りを開いた日

「成道会」(じょうどうえ)です。

悟りの内容は

「人生は苦なり」

ということです。

もう少し詳しくいうと

四諦八正道(したいはっしょうどう)

苦・集・滅・道の四諦

く・じゅう・めつ・どう

苦の原因は諸々が集まって

つまり自分の都合のいいように

世の中を見ている、

ではどうしたら苦を滅することが

できるのか、

それには正しい道がある

それは八正道という修行

正見(しょうけん)

正思(しょうし)

正語(しょうご)

正業(しょうごう)

正命(しょうみょう)

正精進(しょうしょうじん)

正念(しょうねん)

正定(しょうじょう)

の八つです。

この教えがお釈迦さまの最初の

教えになります。

 

般若波羅蜜の波羅蜜も

六波羅蜜の修行です。

それからさらに詳しく

三十七道品(どうほん)

という修行を説かれています。

 

お釈迦さまの教えといっても

全部修行ということです。

つまり、終わりのない修行。

 

いつまでこの修行が続くのかと

修行中はなんだかがっかりというか

そんなことできるのだろうかと

早く楽になりたいと思ったものです。

 

しかし、この松井社長のように

「もの作りに終わりはない」

という心境を開かれたことは

素晴らしいと思います。

 

修行も終りはないのです。

円を描くように繰り返し繰り返し

修行を続けていく

終りのない修行を見出した時

そういう心境が安心できる

のではないかと思います。

 

一服したいという根性が

迷いではないかと、

終りのない修行ということを

見出すことが悟りではないかと、

 

人間は事実は

毎日の生活は終わりのない

修行を続けているのです。

ただ心だけが一服したいという

妄想を起こしているのです。

 

身という身体は正直です。

心は勝手に妄想を描き

遊びまわるのでは、

ここにいるという事実、

けれども心は他の所に遊ぶ

仏教では身ということを

とても大切にします。

 

弘法大師も「即身成仏」と

即心とは言っておられない。

心が成仏するのではなく、

身が成仏するのだと。

 

心をコントロールするには

身の修行が大事なのです。

身体は嘘つきません。

そこに修行の大切さがあるのでは

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リニア疑似体験

「汽笛一声新橋を…」という歌から

鉄道の歴史は早や140年余り、

鉄道の進歩はめざましく、

今では世界一といってもいいのでは

ないでしょうか。

 

 

昔あこがれた蒸気機関車、

 

 

昔の特急ツバメ、

 

 

大叔父が機関車の運転手を勤めていた

こともあり、この運転席にも

子どもの頃乗せてもらいました。

石炭の撒き方が難しいんだよ!

ということを教えてもらいました。

そして、貨物列車を引くときは

ベクトル定規をもって、

貨物の重量と坂道の勾配を

計算しながら、蒸気をかけていくとか

車のように坂にかかってから

アクセルを踏むということでは

間に合わなくなり、

随分手前から石炭を焚いて

蒸気を上げていくという

ということを子ども心に憶えています。

 

 

今の700系から、

 

 

ドクターイエローに至るまで、

そして、

 

 

今のリニアモーターカーまで

展示してあります。

 

 

このリニアカーには運転席はありません

全部司令室からの遠隔操作で

走るそうです。

 

リニアの体験は

16名ずつ疑似体験ができます。

正面のモニターと横の窓ガラスにも

外の風景が映し出されます。

120キロまでは車輪走行、

少しの音と車の振動が

伝わってきます。

「リニア走行に移ります」

フッと振動がなくなり、

磁石の反発で宙に浮きます。

それからどんどんスピードが上がり、

時速500キロを体感します。

周りの森とかが飛ぶように過ぎ去って

不思議なスピード感です。

あっという間に、スピードも落ちて

500キロを体感すると

200キロというスピードが

車でのスピードを落とした時の

30キロほどに感じてしまいます。

 

最初に、

アメリカより輸入した電気機関車

 

 

大正年間に輸入され、

車体も重く日本で改良されたり

したのですが、

故障も多く

この電気機関車の後に蒸気機関車が

一緒に走るという不思議な光景

そういう時もあったようです。

それから、百数十年

日本の電車の進歩は驚くばかりです。

 

いつも乗っているN700系さくら号

運転席は外からは見えないように

なっています。

いつも外から見てどうなっているのか

興味津々でしたが、

 

 

シュミレーターに乗って

運転の疑似体験ができ、

へ~~という感じで、

運転席から見る外の景色を

楽しむことができます。

今はなんと、

レバー1本で運転できます。

しかし、

ちょうど停車位置に留めるには

相当の訓練が必要です。

 

まあ、大人も結構楽しめる

リニア博物館ですが、

中には、帰りたがらない

マニアックな人もいたようです…

 

 

そろそろ時間となり、

受付に戻ってくると壁一面の

何気ないブルーの線ですが

近くでよく見ると、

今、走っている列車のシルエットに

なっているのです。

 

 

外から観る建物もオシャレなものでした。

 

 

 

 

 

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赤い玉やら青い玉やらキャンドルやら

もうこの時期になると、

何となくクリスマスムードの

香りがしてきます。

私たちは何でも上手に自分に取り込んで

楽しむようです。

先月のハロウィーンも、

本来の意味とはかけ離れたようですが

経済的には結構効果があったようです。

 

フラワーアレンジでも

ご多分にもれず、

 

 

お花のなかにキャンドルやら

赤い玉が飾り付けられますた。

 

 

テレビの横にそえましたので、

不思議な写真になりました。

 

 

ネコヤナギも可愛い芽を付けて

います。

 

 

テレビをバックに見ていると、

この花が不思議な変化を見せてくれます。

 

 

テレビと一緒に楽しめ沿うです。

 

 

 

 

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山法師の紅葉

何もしなくても、

移動するということは

疲れるものです。

帰りの飛行機も到着便が遅れて

30分遅れのフライトになりました。

 

まぶしいほどの朝日で

目が覚めました。

ちょっと見ぬ間に庭の山法師

 

 

真っ赤に色づいています。

といっても、ほとんどの葉は落ちて

わずかに残った葉が

美しい紅葉を見せていたのです。

 

 

朝日に照らされた紅葉した葉

日向ぼっこをしながら

しばし…、楽しみました。

 

 

牡丹の葉も紅葉というか

その役目を終えて

葉を落とそうとしています。

来年の見事な大きい花を

期待して、

「ごくろうさま!」

の声をかけたりしていました。

 

その横の鉢に雑草が

(名前を知らないだけですが)

抜いてみると、

 

 

まあ、見事な根が出てきました。

見えている部分は少ししかないのに

その根の張り方には

驚かされます。

普通は草むしりをしても

ほんの一部の根しか

取れていないのでしょう。

草の根の強さには感服です。

 

因位(いんに)の修行といいます

陰徳と言いますか、

目に見えない修行が深いほど

その人の人間性は磨かれる。

人はどれだけ目に見えない

修行をするかで、

その人の根がいかに深く張れるか

ということが大事です。

根が浅いとすぐに、

それこそ根を上げてしまいます。

 

しかし、

 

 

『サツキ』は

春の準備ができているようです

新しい新芽をもう貯えています。

 

私たちの力の及ばないところで

自然のハタラキは着々と

進んでいるようです。

 

「ほとけさまはどこに

どこにいらっしゃる

という歌がありますが、

本当に自然のハタラキは

仏さまの姿そのもののようです。

 

 

 

 

 

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東奔西走

お不動さまも終わり、

新幹線のシートに身を沈めて

いたのですが、

とんぼ返りに、

空の上にいました。

 

 

プロペラ機、少し揺れながら

 

 

熊本の美しい夕日が見えてきました

 

ダウンのジャケットを

持ってきたのですが必要ないようです

 

 

 

お寺の山茶花も一輪咲いています

 

 

つぼみもたくさんきています

これから、次々と咲いていき

見るのが楽しみです。

 

また、夕方には空の上、

 

 

 

 

またまた、東へと

東奔西走の日々が続きますが、

お声がかかり、

身を運べるということは

有り難い身の上でもあります。

 

 

 

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怒りの構造

アンガーマネージメント、

そういえば、仏教ではもうすでに

西暦400年ごろには、

その心の構造を明らかにしています。

その経典は『唯識』(ゆいしき)といわれています。

世親(せしん)という方が大成されています。

今の、パキスタン・ペシャーワルの出身、

この地域からはたくさんの仏教者が

現れておられます。

テレビとかでこの地を見ると、

不思議に感じるのですが、

こういうところなればこそ

本当の仏教の実践家が

生まれたのでしょう。

 

怒りの代表は「瞋」(しん)

という言葉で表します。

この怒りが出てくる元には

本当の自分がわからないということ

があります。

本当の自分がわからないから

本当でない自分を本当の自分と

勘違いしてくるところから

問題は起こってきます。

 

本当の自分でないというのなら

そのままにして置けばいいのですが

そこに本当の自分でないものを

本当の自分と固執してしまいます。

そして、

固執すると自分が可愛いと

ますます、本当でない自分を

本当の自分と執着してしまうのです。

 

その結果、

自分に都合の悪いものを憎む

これが「瞋」という怒りです。

反対に、

自分に都合のいいものを愛する

それが貪りという「貪」(とん)

ということになります。

 

そのなかで、

怒りの発展形を五つに分けて

分析しています。

1.先ず最初は、「忿」(ふん)

都合の悪いものにムカッとした

という軽い怒りです。

 

2・その次が「恨」(こん)という

怒りです。

忿が起こってもこれを忘れて

しまえばいいのですが、

忘れずに残った場合を恨といいます。

初めにムカッとした心が捨てられなくて

そうして怨みを懐くのを「恨」といいます。

 

3.次には「悩」(のう)という心に

発展してきます。

追体験ということがあります。

むっかとした事も忘れてしまえば

いいのですが、

恨という形で残り、

今度はその心が

まざまざと思い出されてくる。

その追体験する心を「悩」と、

経典には面白い言葉で、

「蛆螫」(だつしゃく)という、

挟んで刺す、

蛆(だつ)はキュウッと挟む

螫(しゃく)は刺す、

という表現をとっています。

つまり、サソリのような根性になる

ということでしょう。

ムカッとした心が忘れられず

その心で胸がかきむしられ

いても立っても居られぬ、

ということです。

 

4.次は「害」(がい)

この心は「忿」の完成形です。

害ですから、相手に危害を加えると、

ムカッとした心が発展してくると

ついには相手を叩き潰そうとしてくるのです。

 

怒りの心も

忿→恨→悩→害、と発展してきます。

 

そして、別な形の怒りというものも

あるのです。

5.最後に「嫉」という怒り。

腹が立つというのですが、

これも妙な煩悩で、

人が栄えて、いい目をする

ということに対する怒り、

自分には直接関係ないのですが、

人が金儲けをした事が許せない

という心です。

やはり、

自分が金儲けをしたいものだから

人が金儲けしたことが辛抱できない

という形です。

これは人間の野心がもたらす

煩悩なのです。

 

これも怒りにつながってくるので

怒りの煩悩の発展系の一つに

含むのです。

 

仏教ではこの心の構造を

よく認識しなさいと、いうのです。

迷いのあり方を知る、

別に気をそらすのではなく

怒りの起こるあり方を

よくよく認識せよと、

こういうことをいいます。

 

認識することが智慧なのです。

知らないから迷う、

今起こっている心の状態を

自分で分析できる

それが、アンガーマネージメント

にもつながってくるのでは

ないかと思います。

 

 

 

 

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アンガ‐マネージメント

アンガーマネージメント、

怒りのコントロールということが、

最近話題のようです。

「覆水盆に帰らず」ということもあって

怒りという事は

全てをダメにしてしまいます。

 

会社にとっても

上司の怒りということで

新入社員が育たなかったり

辞めてしまったりと

会社にとっても大きな損失と

なってしまいます。

 

貪・瞋・癡(とん・じん・ち)

といって三大煩悩の一つに

瞋シン、という怒りがあります。

貪り・怒り・愚癡という

貪りは水にたとえられ

怒り(瞋)は火にたとえられます。

水は静かに忍び寄り

私たちの心を煩悩で一杯に

してしまいます。

火は激しく燃え盛るように

怒りの心は全てを壊して

元も子もなくしてしまいます。

 

仏さまの中にも

「阿閦如来」(アシュク)といって

怒らない修行をして

仏さまに成られた方も

いらっしゃいます。

アシュクとは怒らないという意味です。

自分は絶対に怒らない修行をしよう

どんな人からも蔑まれても、

ニコニコして

腹を立てなかったそうです。

それで、

あだ名として「怒らない人」

『アシュク・アシュク』と呼ばれて

ついには悟りを開いた。

そのまま

あだ名が仏さまの名前になった。

「阿閦如来」と、

 

確かに、

一つ腹を立てると

つぎつぎ、見るもの聞くものに

腹が立ってくるものです。

 

以前、三浦先生といる時は

よく叱られました。

良くもまあ、

ここまで叱る事ができるものと

一度聞いた事があります。

すると、

自分もそのことで悩んだ

だから、私たちの間違うところ

悩むところが分かるので

叱るのだと、

同じ悩みが分かればこそなんですね

 

よく聞くと、

自分も好き嫌いが激しく

嫌いな人には腹が立ったと

おっしゃってました。

でも、

嫌いな人であればなおさら

自分から近づいて

好きになるように努力した

と、すると

嫌いな人も好きになってきて

腹も段々立たなくなってくると

何でも訓練ですよ、と

 

先生でも腹を立てない

努力をされたのだと

改めて感じ入りました。

 

徳川家康の人生訓にも、

堪忍は無事長久の基にして

怒りは敵と思え

勝つことばかり知りて

負くることを知らざれば

害わいその身に至る、…

とあります。

怒りという心をいかにコントロール

するか、

やはり、最大の問題なのです。

 

腹が立つというのも

煩悩ですから

ほったらかしにしておいたら

いくらでも腹が立ってくるものです

その修行が必要です。

そのことを

現代の問題としては

「アンガ‐マネージメント」

いう形で取り上げています。

 

煩悩もなくせと

いっているわけではありません。

それこそ

コントロール、マネージメント

ということです。

煩悩の奴隷になるな

煩悩の主人となれ

といわれています。

 

五欲といえば

食欲・性欲・睡眠欲・

金銭欲・名誉欲

の五つです。

最初の三つは生存に必要な欲

後の二つは自分の名利に関する欲

食欲も煩悩ですが

この一つとっても

いかにコントロールが難しいか

思い知らされます。

お腹ははち切れそうなのに

口だけは欲しがるのです。

 

「足るを知る」

とよくいいますが、

自分のこととして実践するとなると

なかなか難しいものです。

しかし、

これも訓練です。

少しずつでもやっていけば

自分でコントロールできるように

なってくるものです。

 

自分をマネージメントする

なかなか面白い問題です。

が、

いざ実践となると本当に難し問題です。

 

 

 

 

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もう、師走ですね!!

11月のお不動さまが終わると、

もう12月、師走です。

何かと気忙しい季節になります。

 

月一回のペースで

「奥村歯科医院」へ歯のメンテナンスへ

歯はとても大事です。

命の寿命も歯に比例するとか、

動物の寿命も歯を見ると

分かるそうです。

サメのように次々と歯が生えてくれば

いいのですが、

大変になる前に予防として

歯のメンテはこまめにしておかないと、

 

 

奥村歯科さんでは、

もう、12月のクリスマスの

デコレーションができています。

 

 

可愛いスノーマンも、

 

 

ハシゴを上る小さなサンタさん、

 

 

クリスマスの上には

本蔵院伝来の開運招福の

『宝船』も飾ってあります。

 

なんだかこの景色も面白い!!

 

また1月末にはお邪魔します。

正月飾りか?

節分の飾りか?

また楽しみです。

 

そしてまた、今日は

気心が知れた友と共に早々と

忘年会、

といってもまわりを見渡せば

男の子?、じい様は私一人

 

 

 

豪華なお昼に

話も弾みあっという間に

時が経ってしまいました。

 

 

金峰山にお別れして

ほろ酔いした体を

新幹線のシートに沈めていました。

 

また、来年も楽しく学びましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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熊本はまだ青々として

やはり熊本はまだ温かいようです。

お寺のイチョウも紅葉も

青々としています。

 

 

なんだか紅葉する気配もないようです。

その下では、

 

 

ふきのとうの花が

静かに散り始めているようです。

これからは、

 

 

山茶花の出番でしょうか。

たくさんの蕾を蓄えています。

 

お不動さんを前に

表の掃き掃除をしていましたら

 

 

「さわやか号」という

お掃除の車がやって来ました。

 

 

ブウォ~ンと

大きなエンジン音を響かせ

歩道にある落葉を道端へ吹き飛ばし

その落葉をさっきの車が

回転ブラシでかき集め

あっという間にきれいになりました。

 

見とれながら、

どうもありがとうございます

と一礼!

掃いていたら小一時間

もかかっていたでしょう。

 

機械の力に感服!

私はちまちまと、

白砂利に落ちた落葉を

一枚一枚手で拾い集めました。

 

すっきりしたところで

お不動さまのお待ち受け

ほぼ完了でしょう。

 

 

 

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