本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

かんねんしろ!!

2019-05-02 20:52:34 | 漢字

ドラマの中で、

「もうそこまでだ、

  かんねんしろ!」

という場面があり

妙なことが気になったのですが

漢字で書くと

「観念しろ!」

となります。

おや、と思うのは

「観念」という言葉です。

 

言葉にしても使い方として

三つに分けられるのではないかと

一つは一般語として

二つ目は専門用語として

三つめは仏教用語として

 

この「観念」という言葉も

観念しろ、といった場合は

「あきらめろ!」

ということでしょう。

前後の事情を明らかに見れば

もはやこれまで、

あきらめざるをえない

ということになります。

 

哲学では

「観念論」というように

もとはギリシャ語の「イデア」から

出た言葉で英語ではideaアイデア

ということが元のようです。

辞書には

思考の対象となる意識に内容・

心的形象の総称。とあります。

難しい文章ですが

善悪の観念とか

また、一般的には

物事に対する考え方。見解。

固定観念とか、経済観念

というようにでています。

 

しかし、

「観念」というこも仏教用語で

反対用語が「称念」です

口に仏名を称えるのを称念といい

心に真理や仏の姿などを

思い浮かべるのを観念という。

とあります。

「観」ということも

「止観」というように

とても大事な言葉です。

観る、ということですから

ただ見るのではなく

智慧でもって物事を明らかに

照見する、ことです。

観察(かんざつ)ともいいます。

東寺には「観智院」という塔頭も

ありますが、

観ずる智慧のことを観智といいます

 

「念」ということも

大切な言葉で、

「明記不忘」と経典にあります

経験したことを明らかに記憶して

忘れない、ということです。

憶念不忘ということがあるように

深く心にとどめて忘れない

ということが修行の第一歩です。

 

聞いたことを忘れない

我が身として聞けば忘れることが

できないはずですが

他人事として聞いてしまいますと

ついつい忘れてしまいます。

 

それから「念」ということは

勝れた力を持っているから

五根・五力の中では

念根・念力といいます。

その反対が「失念」です。

さらに調べていくと、

 

「十念」

ということがあります。

念仏・念法・念僧・(仏法僧)

念戒・念施・念天(戒と布施と天)

念休息(ねんくそく)

 心の静けさを念じること

念安般(ねんあんぱん)

 出入りする息を数え長短を知り

 妄想を除くこと

念身非常(念身)

念死の十になります。

念身と念死は肉身の無常と死を

常に忘れず念じることです。

 

お釈迦さまは事細かに

私たちの煩悩からいかにして

離れるかそして常に自分のことを

見つめていくかを説いておられます

念死ということも、

常に墓場で眠ること、と

教えておられますが

元気でいるとついついいつまでも

生きているような錯覚に陥る

ことを諌めておられます。

 

「かんねんしろ!」

ということも、

「観念」と哲学的に考えたり

また仏教でいう

「観」とか「念」ということも

考えてみるのも面白いものです。

 

悪い癖になってしまって

何見ても何を聞いても

すぐ漢字のことが頭に浮かび

引っかかってしまうのが

どうもいけません!!

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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