本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

精神生活者の実践の経

2024-05-11 18:29:07 | 十地経

第七地のところで

方便智・智慧神通という

ことが出てきたのですが

講義は元に戻って

初歓喜地からの話に展開

していきます。

 

ここで、すべての地が

菩提分法をなすと、

出てきますが、

これは菩提分の法ではなく

「分」というのは「因」と

いう意味で

菩提の因となる法、という

ことです。

 

「仏教の中で、

よく煖(なん)ということ

いう。

炎とか燃、火が燃える

というその前に。

ぽーん火が出てくるんじゃ

ない、その前にですね、

暖かみっていうんですが。

火に近づいた場合、

ぬくもりを感じるんです。

まだ火は出てこんけど、

火に近づいて場合、

ぬくもりを感じると。

このようないい方、

表現があるんだ。

 

まだ八地じゃないけど、

八地のぬくもりを感じる。

前地が完備してくると、

その中に上地、

いまだ来たらず上地という

ものの精神力というものが

その中に、できてくると、

このような記述の仕方を

しています。」

 

たぶん前後の講義の間は

眠っていたのかも

ところが、

この「煖」という言葉、

いまだに憶えているのです

突然眠りから覚めて、

この言葉に惹かれました。

面白い表現です。

ぱっと火が出るのではなく

火がでる前にはぬくもり

があるんだと、

 

だから、地が展開するには

上地のぬくもりがあって

次の地を呼び起こすと

そういう意味で「煖」

という言葉が使ってある。

 

「こういう精神生活者の

体験がなければ、

頭でこんなものは

出てこないでしょう。

だからその意味で

これは貴重なものじゃ

ないかと思います。

想像力でこんなものは

書けやしません。

やっぱり七地の転回と

いうものを通って、

こういう経文が

できておるんじゃないか

と思います。」

 

この『十地経』は

実践の経といわれるのは

こういうところにあると

思います。

安田先生の全集が編纂され

たとき、

この『十地経講義』は

その中には入ってなかった

のです。

最初はなぜだろうと

思っていたのですが

今思い直すと

それでよかったのでは

と思うのです。

 

全集という大きな峰がある

とするなら、

この十地経講義はすそ野で

しっかりとその峰を支える

教えではないかと

全集という一つの教学が

あるとするなら

この講義は巷で生きる人の

実践の教科書のようなもの

だと思うのです。

 

先生の講義を聞いた方々から

すればこの十地経講義は

あまり知られていないのでは

ないかと思います。

それは、三浦先生をはじめ

高校の先生方に講義をする

ということで

難解な仏教用語はきわめて

使われなくて、日常語を

常として語られたところに

大きな意味があると

そして、

哲学というフィルターを

通して仏教という学問を

明かにしていかれた

ところが他と違う点です

 

さらに、大事なことは

この講義を聞いて

それを実践していかれた

方々がいるという点では

他の会所で講義された話

とは一線を画するものと

思っています。

 

講義はされても

話を聞いただけでは

何にもなりません

その聞いた一言でも

自分のものとして

実践するところに

本当の仏教があるように

思います。

 

先生の後、

奥様がほかの会所で

「あなた方は主人の話を

たくさんお聞きになって

おられることと思います

できれば、

聞かれた一言でも実践され

れば主人としても本望と

思います。」

と話されておられました。

 

 

 

 

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