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小泉文夫『日本の音』を読む 5 能の背景  慰安婦と徴用工の捉え方

2024-02-22 22:02:45 | 日記
A.能の時代的背景  
 能・狂言についての後半部分には、この芸能が成立した時代、つまり観阿弥・世阿弥の生きた14世紀後半から15世紀前半の室町時代の社会的背景について触れられている。大和申楽から出て将軍足利義満に保護された世阿弥によって、現在の能が完成されたのは、南北朝の騒乱が一段落した武家社会の安定が反映するものの、そこには仏教思想の影響が色濃いという。確かに、世阿弥作とされる能の作品には、複式夢幻能に特徴的な怨念や妄執を抱いて彷徨う怨霊を鎮魂し供養する劇の構造があり、それは源氏物語や平家物語をはじめ過去のさまざまな伝統文学を素材に、象徴的な悲劇的演劇に仕上げられた。これに対し狂言は、当時の現代劇であり、滑稽と諧謔に満ちた喜劇である。正式の演能はこの狂言と能を組み合わせつつ、長時間の上演を行なうものだった。その形は家元制度のなかでシテ方、ワキ方、囃子方など専門技芸化した能役者に受け継がれ、現在もほぼそのままの形で伝承されている。
ただ音楽研究者としての小泉氏にとっては、演劇というよりは日本の「邦楽」のひとつとして耳で聴くこと、音楽という側面から能・狂言を考えようとする。これは能役者が強固な家元制度の中で排他的な存在となっていて、誰もが能の演技や演奏に参加できるものではなく、能舞台は聴衆と演能者が完全に分離していることが、現代音楽あるいは近代音楽とは断絶した形になると考える。そして、このような形になっているのは、能が武家の式楽として大名などに公式に抱えられ、江戸時代には武士身分で知行を受ける専門職だったことが大きい。囃子方はそれぞれの楽器の製作も担い、また能面を作る能面師という仕事も職人的に伝承された。
これは町人の演芸であった歌舞伎や浄瑠璃とは異なる背景であった。明治維新で能は危機に陥るが、それでもこの形をなんとか保って生き延びたのは、大衆の支持ではなく武家文化を名残り惜しく感じた上流階級の支援と政府の保護によるものだったと思われる。
   
「能の音楽は、歴史的に見た場合に、その源流の一番大きな要素としては、仏教音楽の声明、それから声明の中から出てきた講式、論議といったものと関係が深いと思われます。さらに能の中には、当時の民間芸能であった申楽(さるがく)や曲舞(くせまい)というものがまざっています。ですから、新興の武家は、たとえ雅楽のような完成された音楽の素養や知識がなくとも、この新しい音楽を理解できたでしょう。
 また能の文芸的な内容を見てみますと、その中には仏教思想が濃厚に反映されています。もちろん後世の歌舞伎や文楽のストーリーの中にも、仏教の影響は当然あらわれていますが、能の中で取り扱われているテーマのように、仏教思想が直接的にあつかわれているところが歌舞伎や文楽の内容と大きく違うところだと思い脳がます。
 こうした能の中世的要素というのは、古代の形式美とも違い、また近世の心理描写とも違って、いろいろな人間の描写が簡素ですが、今日でも大きな魅力を持っています。たとえば、能を評して有限とか、象徴主義とかいうことばがよく使われますが、これはそのあとから出てきた人形浄瑠璃の義太夫などと対照的な性格を持っているからでしょう。人形浄瑠璃では、命のない人形をあたかも生きた人間のように取り扱うため、本来の人間らしい表現よりも、はるかに誇張された、どぎつい濃厚な演技を必要とします。それに対して能では生きた人間が舞台の上で、仮面をつけて舞うわけですが、逆にあまりに人間くさくならないように、その動きや語りが抑制され、動作も象徴的に行なわれるわけです。たとえば『葵の上』という世阿弥のつくった能を例にとりますと、その中に出てくる主人公は六条の御息所ですが、そのうらみの的である葵の上は、演劇の構成の上からはそれほど重要ではありません。そこでわざわざ葵の上を登場させるよりも、葵の上が着ている着物を舞台の前に持ってきて、そこに横に置いておくだけで、葵の上が病に臥しているという状態をあらわしています。もっとも必要な、最低限の状況が目の前で展開されるだけで、不必要なものは一つもないのです。
 したがって舞の中でわずかに手が上がる。そして面を静かに下に向けるというだけで、主人公が泣いているという様子を、大声でわめきたてるよりも、強く観客に訴えかけます。これと同じことが謡いの中でもいえるわけです。義太夫とまさに反対に、どのようなときにも小声でささやいたり、大声でわめいたり、あるいは極端に音を引き伸ばしたり、非常な速さでたたみかけたりするということはなく、限られたテンポの範囲内と、限られた音の高さと、限られた表情の中で、人間的な表現のすべてを行なうわけです。そこに、わずかな素材を最大限に生かすという現代的な意味があらわれてきます。能がきわめて完成された表現を持っていて、後世の人が手を加えようと思っても、それ以上どうすることもできないほどであるといわれているのはここに原因があるわけです。日常は能と全くかけ離れた忙しい、騒がしい生活をしていますが、やはり人間の感覚の最も本源的なところで、静かな、簡素でしかも深い表現を求める気持ちがあるということを、能を見た人はおそらく感ずると思います。
 能は武家社会の芸能でしたから、一般の町人階級は能を見る機会があまりありませんでした。明治時代になってから、武家という大きなパトロンを失った能役者、囃子の演奏家たちは一時長唄と結託して創作運動に協力したりして、一般庶民の世界にもあらわれてきました。
 しかし能の芸能を正しい姿で保存するために、封建制度の中世からかたく守られてきた家元制度を今日でも守っていますので、まったくのしろうとがほんとうの意味で能の役者や職分になるということはほとんど不可能に近い現状です。専門家になるためではなく、それを理解し、鑑賞し、自分でも体験するためという程度なら、だれでも行うことができます。江戸時代からの能には観世、法相、金春、金剛、喜多という五つの流派がシテ方として、今日まで存在していますが、そのほかにワキ型の流派や、囃子方の流派もあります。ワキ方の人はどんなにじょうずでも、シテにはなりませんし、シテ方の人が舞台の上でワキを演ずるということも原則的にはないわけです。つまり流派によって、能の中で演ぜられる役柄も固定されているわけです。
 こうした一見がんこなまでの封建制・家元制は、今日、能を本当の意味で現代社会の音楽文化にするためには、このような方法しかないのだと考えている人が多いようです。」小泉文夫『日本の音 世界の中の日本音楽』平凡社ライブラリー、1994年。pp.184-187.


B.慰安婦と徴用工問題の捉え方
 慰安婦問題が日韓の歴史認識で感情的対立の争点になってから、長い期間が経つ。どうしてここまでこじれてしまったか、といえば、当初日本による「強制連行された慰安婦」というイメージが、日韓双方に刺激的だったからだろう。つまり、日本の官憲が無垢な少女たちを強引に、あるいは詐欺同然に連れ去って、日本軍兵士に身を売る慰安婦にさせられた、という悲劇的イメージである。事実として戦争中の朝鮮半島でそのようなことが一般に行われたかどうか、は検証されなければならないし、なかったという主張をするのなら、これも検証されなければならない。だが、あれは「自発的な売春婦」であって慰安婦問題などなかったという日本の右翼の言論も、「無垢な少女の強制連行」があったという韓国の主張も、固定した暴力的悲劇的イメージを前提に感情的対立を繰り返しているだけで、実際の慰安婦の現実の多様性と植民地支配の権力関係と、組織的売春に対する女性差別という論点から総合的に見なければ、間違った不毛な議論にしかならない、という主張をした韓国人女性研究者がいて、彼女の著書は日本の犯罪を擁護するのかと、韓国で非難され起訴された。それは誤解に基づくという。 
「慰安婦生んだ根は 植民地支配の構造 白か黒の答えない  日本文学研究者 朴裕河(パクユハ)さん
日韓の間に横たわる植民地支配に伴う歴史懸案は、慰安婦問題に続き、徴用工問題でも政治決着を見た。日韓で大きな論争を呼んだ「帝国の慰安婦」の著者、韓国・世宗大学名誉教授の朴裕河さんは長く両国間の「若い」のあり方を考え続けてきた。現状をどうとらえ、今後は何が必要だと考えているのだろう。
 〈インタビュー〉
 ――著書では、韓国社会に浸透する「少女たちが連れ去られ売春を強要された」という慰安婦のイメージだけではない、多様な姿に光を当てました。何をもっとも訴えたかったのですか。
「慰安婦のことを一方は『性奴隷』といい、もう片方は『売春婦』だと呼びます。この対立する二つの像をめぐる議論に終止符を打ちたかった。どちらも慰安婦のありのままの生を無視しています。それに売春差別という点も共通しています。
 ―-売春差別ですか?
「慰安婦は決して売春婦などではないと否定するのも、売春婦に過ぎないとして国家とのかかわりを否定するのも、どちらも売春を嫌悪する感情ゆえに起きる差別です」
 ―-女性たちの身分の問題も指摘されましたね。
「多くの場合、貧しい女性=弱者が動員されており、階級問題であることを強調したかったのです。同じ脈絡で日本人慰安婦の存在も喚起しようと思いました。本の中で『朝鮮人慰安婦はからゆきの後裔』と書きましたが、それは売春婦という意味ではなく、日本人女性の延長線上に存在したという意味です」
 ―-慰安婦問題は帝国主義や植民地支配がもたらした構造的な問題だと主張しています。
「植民地にされたため、多くの朝鮮人が動員されました。現場でも賃金が低かっただけでなく朝鮮人差別が多々見られます。そういう意味で民族的な要因もありました。それまでは戦争犯罪としてのみ理解されてきた慰安婦問題が、朝鮮や台湾の場合は植民地支配下のシステムとしての問題であることを知ってもらいたかった。実際、慰安婦といっても募集の形や、活動を強いられた時期や場所によって様々です。
 ―-ただ、著書は支援団体や元慰安婦から反発を受け、差し止めを求める仮処分申請や民事訴訟に続き、検察は2015年11月、朴さんを名誉棄損の罪で在宅起訴しました。
 売春に言及したことを『売春婦とみなしておとしめた』と誤読したためです。法的措置の主体は支援団体などですが、それに先立って韓国の法学者や在日の歴史研究者が批判を強め、それがネットで拡散されて、日韓の世論だけでなく司法にも影響を与えました。
「彼ら彼女らは私が日本の強制連行を否定した、と主張します。でも私は、植民地における拉致などが『日本政府や軍の公的方針ではなかった』と書いただけで、全否定はしていません。ただ、韓国で常識とされる『軍による強制連行』が、当時の朝鮮では一般的ではなかったという植民地統治の構造を説明したつもりです。
 ―-大法院(最高裁)は昨年、名誉棄損を認めた控訴審判決を破棄して差し戻しました。
「私の本をじっくり読み込み、中身を理解したうえで判断してくれたことがとてもうれしかったです」
 ―-支援団体は歴史問題で、日本に「法的責任」を認めよと求め続けてきました。
「元慰安婦を支援してきた市民団体なども事実をよくわからないまま運動を進めてきたため誤りが多く、強制連行という思い込みが「国家犯罪」との認識に結びついています。連合国が戦争犯罪人を裁いたニュルンベルク裁判や東京裁判を参考に『戦争犯罪』『人道に反する罪』といった認識を持つようになり、それを成立させるため、後付けの論理作りをしました」
「1990年代に、他の地域で起きた戦争犯罪と同一視することで国連など国際社会に慰安婦の「強制連行」認識を定着させてきたので、後戻りできない状況になっていると思います」
 ―-そもそも歴史問題を司法の判断に任せること自体、妥当なのでしょうか。韓国では特に多いような印象があります。
「歴史問題の司法化は韓国に限りません。慰安婦訴訟は最初は日本で起こされたし、韓国の訴訟でも日本の法律家たちが関わってきました。ただ、韓国では民主化闘争の過程で多くの人が国家による弾圧を受け、裁判に訴えて賠償を認められたケースが少なくありません。
 ―-でも日本が関係してくると対立が激しくなりますよね。
「90年代以降、『韓国併合は不法だった』との主張が盛んになりました。植民地の歴史を否定したいからです。主導してきたのは冷戦崩壊後に発言力を増した左派。右派が中心だった韓国(朝鮮)鮮)戦争以降の三十余年の歴史認識をひっくり返す過程だったとも言えます。そこで韓国国内で、建国や植民地支配など歴史をめぐる対立が激しくなりました。議論や対話で接点を見出す努力がほとんど払われず、すぐに司法の判断を求める傾向が強くなりました」
「植民地時代に左派はひどく弾圧されたため、体制に順応して協力した右派が憎悪対象になっている側面もあります。韓国の分裂は日本だけの責任ではありませんが、構造をつくった主体としての責任を日本の人も考えてほしいと思います。法の空間は白か黒かの答えしか出しません。私自身は、戦争と違って白黒がはっきりしていない植民地問題を考える空間に司法は適していないと思っています」
 ―-長く政府間対立の原因となった徴用工問題も政治決着しましたが、二つの懸案とも韓国司法では日本側が敗訴する確定判決が出続けています。
「慰安婦問題では昨年11月にも日本政府に賠償を命じる判決が出ましたが、やはり『日本の強制連行』『国家犯罪』との認識を基盤にしています。日本の責任は当然あります。でも問題を正しく理解すべきです。判決では日本の謝罪も得られない。果たしてそれが元雄慰安婦の方たちに良いのかどうか」
「日韓の政治合意はうなずける面もあるものの、その後、両政府とも合意ですべてが終わったかのように何のフォローもしていません。お金は合意に基づいてお渡しするのがいいのですが、たとえば駐韓日本大使がおばあさんに会って謝罪するなど日本の謝罪と補償の気持ちが見えるようにするのが望ましい」
「徴用工問題は韓国政府傘下の財団が日本企業に代わってお金を支払う解決策でもいいと思います。ただ、徴用は国家が主導したことを忘れてはいけません。日本政府は十数年前まで韓国政府と協力し、徴用工の慰霊祭や遺骨探しをしていました。政府としての気持をきちんとした形で現わす場が必要です」
 ―-韓国で朴さんを激しく批判したのは、主に左派の人々です。日本では結果として左派、リベラルの人々が、支持派と批判派に分かれてしまいました。この現象をどうみますか。
「この10年は、まさにわたし自身も端っこにいるつもりだった左派、リベラルについて考え続ける時間でした。訴えたのは事実上は極端な左派の人々です」
 ―-朴さんは、日本の「右」の代弁者だ、日本を免罪するつもりか、といった批判も受けたようですね。
「そういい続けることで、自分たちの主張が立場的にも内容的にも問題がない、と強調したいのでしょう。そうした人たちが守ろうとしているのは元慰安婦ではなく、自分や組織や国家です。自分たちが作ってきた慰安婦のイメージが崩れることを恐れたのです。重要なのは右か左か、あるいは日本側か韓国側かではなく、考え方が合理的かつ倫理的であるかどうかのはずです。さらに言えば、柔軟な姿勢で視座を変えながら考えることこそがいまの時代には必要と考えます。守ること自体にのみ関心があるのなら、それはすでに『保守』というべきでしょう」
 ―-長年、日韓の和解にいたる考え方を提起してきました。政治状況が改善し、市民らが盛んに行き交ういま、和解のためには何が必要だと考えますか。
「日韓問題ではよくファクトの重要性が強調されます。それ以上にまずは『態度』が大切だと感じています。人は誰でも多少の偏見をもって生きています。なぜそう考えるのか常に自問し続ける。個人でああれ歴史であれ、相手のことを知ってこそ正しい批判もより深い理解も可能になります。理解すると相手を受け止める余裕が生まれる。過去のことを自分と同一視して感情に振り回されることが多いですが、自分の知る過去はほんの一部に過ぎないという謙虚さで向き合うと、より明るい未来が見えてくると思います」 (聞き手・箱田哲也)」朝日新聞2024年2月22日朝刊15面オピニオン欄。

 ソウル生まれの朴さんは日本の慶応大に留学し早大大学院で博士号を取ったという。「和解のために」で大佛次郎論壇賞受賞。問題となった『帝国の慰安婦』は、出版差し止め申請や名誉棄損罪で起訴されたりしたが、大法院で名誉毀損とは認められず差異戻されたのは本文中にある通りで、日本語版も出版されているという。説得力のある研究のようなので読んでみたい。
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