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宇沢弘文『社会的共通資本』を読む 8 東大男子の怯懦小心

2020-01-31 23:23:37 | 日記
A.大学の危機
 近代の学校教育の問題を考えていくと、大学という高等教育機関がどのようなものとして存在するかが非常に重要なことになる。宇沢弘文はそれをヴェブレンのIdle CuriosityとInstinct of Workmanshipという概念から説明しようとする。宇沢は前者を「自由な知識欲」、校舎を「職人気質」と訳す。そしてこの両者を大学のあるべき価値とするのだが、それはつねに社会が求める物質的有用性や世俗的な実利性といったべつの価値によって脅かされ、歪められるという。
ここで出てくるソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen、1857年 - 1929年)は、19世紀・20世紀初頭のアメリカの経済学者・社会学者。1857年 ノルウェー移民である両親の12人の子どもの第6子として、ウィスコンシン州カトーに生まれる。ジョンズ・ホプキンス大、イェ―ル大などで学び、1892年新設のシカゴ大学で経済学を教える。最初の著作『有閑階級の理論(The Theory of the Leisure Class)』(1899年)から『営利企業の理論』(1904年)『技術者と価格体制』(1921年)などの著作によって制度派経済学の創始者と呼ばれる。私的所有より「社会資本」を考慮し、営利企業は産業体制を管理し消費者に消費財を公正に分配する任務には適していないと主張した。彼は近代経済学の主流をなす、自由な市場における営利企業の競争を前提とする経済学とは異なる立場に立っていた。また労働者による革命と国家による社会体制の変革を主張するマルクス主義とも異なる、現代産業社会への批判を行なった。
 デューイは教育による社会の改善を考えたが、ヴェブレンはもっぱら「大学の自由」をいかに確保するか、そのなかで「自由な知識欲」を開発し「職人気質」によって編み出されるものの大切さを説いた、と宇沢氏は言う。

 「アメリカ資本主義の性格と、そこにおける学校教育の成功とに対して、デューイとはまったく対照的な視点にたって理論を組み立てていったのが、同じシカゴ大学の同僚であったソースティン・ヴェブレンである。
 ヴェブレンの論点はもっぱら、大学に向けられていた。ヴェブレンの大学論は、1916年に刊行された『アメリカにおける高等教育』(The Highr Learning in America)に述べられている。この書物は、A Memorandum on the Conduct of Universities by Business Menという副題がつけられている。
 ヴェブレンはまず、近代社会において、大学はどのように位置づけられるかということを明らかにすることから始める。
 文明社会はいずれも、どのような「真理」としての知識――ヴェブレンは、エソテリック(esoteric)な知識という表現を用いるのであるが――を蓄積しているかということによってその社会を特徴づけられる。この「真理」としての知識がどのような内容をもつものであるか、またどのような人々によって維持され、新しく蓄積されているかということは、異なる文明社会についてそれぞれ異なった形態をもつ。しかし、どのような文明社会についても、共通した点がある。それは、科学者、学者、賢者、神官、教師、僧侶、医者などという専門家、あるいはその道の達人ともいうべき人々からなる選ばれた集団の恒久的な維持という形態をとっていることである。
 この、「真理」としての知識は、物質的ないしは現実的にはなんらの価値をもたらさないのが一般的であって、それ自体として固有の価値をもつ。それは、宗教、魔術、神話、哲学、あるいは科学の体系として形づくられていることが多い。どのような形態をとるにせよ、一つの文明社会の中核的な存在として、その文明社会の特質と性格とを象徴するものとなっている。
 この、「真理」としての知識は、文明社会にとって、もっとも基本的な真理であり、永遠に真実であると思われているものを体系化したものであって、この「真理」としての知識を蓄積し、維持する専門家の組織は、どの文明社会においても、もっとも聖なるものとされている。この組織を構成する専門家たちは、絶えず「真理」としての知識を追求し、その蓄積と維持し、その全生涯を捧げることを全般的な目的とするが、きわめて厳格なかたちでの分業と専門家とがおこなわれるようになっているのが一般的である。
 近代文明社会、とくに西欧諸国における大学もまた、このような流れのなかに位置づけられる。その範囲、方法は他の文明社会と異なったものであることはいうまでもないが、基本的に同じような資質と能力とが必要とされ、知識を求めるという、人間本来の性向がある特定の方向に特化したものであるという点で、他の文明社会の場合とまったく変わらない特質を備えている。
 この特質は、二つの側面をもっていて、文明社会におけるエソテリックな知識の蓄積と維持を担当する専門家集団を特徴づけるものとなっている。ヴェブレンは、Idle CuriosityとInstinct of Workmanshipという特異な表現を用いて、この、人間固有の本能的な特性をあらわしている。人間は本能的に、知識を求め、それを高く評価する。Idele Curiosityというのは、知識そのものを求めるのであって、知識によってもたらされる物質的、世俗的有用性を求めるものではないということが強調されている。適切な訳語がないまま、差し当たっては「自由な知識欲」とでもしておこう。Instinct of Workmanshipという言葉もまた、ヴェブレンの経済思想において中心的な概念の一つであるが、技術者、職人、労働者が常に、ものをつくるという立場から最良の生産技術、原材料、生産工程を選ぼうとする本能的性向を意味する。しかし、この、本能的性向は、現実の社会では利潤追及などという外的条件によって支配されて、実現不可能なことが多く、ヴェブレンはそこに、労働者の自己疎外を惹き起こすもっとも重要な原因をみたのであった。この言葉もまた適切な訳語が見当たらない。普通「製作本能」と訳されているが、ここでは「職人気質」という表現を用いることにしよう。
 大学は、この二つの本能的性向にもとづいて、ひたすら知識を求める場として、一つの文明社会の中枢的地位を占めるものである。大学の場でもっとも重要な役割を果たすのは技術である。とくに、産業革命以降、エソテリックな知識の蓄積は、産業技術の適用によってはじめて可能となり、また産業技術の発展は、大学におけるエソテリックな知識の蓄積によってはじめて可能となるという面ももっている。
 近代技術は、客観的かつ即物的な性格をもち、きわめて固定的な側面をもつ。機械過程を中心とする近代技術は、産業レベルで中心的な役割を果たすが。それを実際に担当するのは、法人化された企業である。大学で蓄積されるエソテリックな知識と、法人企業によって求められる知識、技術とは、その動機は異なっていても、本質的な共通の性格をもっている。しかし、法人企業のなかで働く人々は、自らのもつ「職人気質」と利潤追求の経営的要請との間で常に矛盾、緊張関係を形成する。
 しかし、大学が、法人資本主義体制のなかにおける一つの制度として存在し、維持されている以上、大学の運営もまた、利潤追求という、資本主義の市場目的の支配下におかれるという危険を常にもっている。
 大学はこのように、一つの文明社会において、その象徴的な存在として、エソテリックな知識の蓄積を、自由な知識欲と職人気質という、二つの人間的本能にもとづいて追求する場である。しかし、大学はいわゆる高等教育の一部分を形成するにすぎない。高等教育というとき、二つのまったく異質な行為から構成されている。一つは、学問の研究、科学的探究であり、もう一つは、学生の教育である。第一の、学問の研究ということが大学にとって第一義的な意味をもつことはいうまでもないことである。第二の、学生の教育は、副次的な意味をもつにすぎないが、大学の活動において不可欠となることが多い。それは、学生の教育を通じて、研究の質と成果が大きく影響されるからであるが、学生の教育ということはあくまでも、副次的な重要性しかもたないということは改めて強調しておきたい。大学における第一の実利的、実用的な目的からまったく独立して、知識の探究のみをおこなう場として、大学の本来の存在理由がある。このような大学の目的から、大学人の行動様式、習慣、基本的性向にかんしておのずからある共通のパターンが生みだされることになる。それは、学問研究が、自由な精神にもとづいて、しかも科学技術的に最新の知識を用いて行われるような環境のもとではじめて実現可能となるものだからである。そこには、大学以外の教育機関にみられるような規律、規則の類は存在する余地はない。
 ところが、アメリカの諸大学では、法人企業において支配的な基準を大学に持ち込もうとしている。知識が金銭的利益をどれだけもたらすか、という市場的基準が導入され、大学における研究者は、有用な知識をどれだけ生産したか、学生を何人教育したかという外的な基準にしたがって評価される。大学自体も、利潤最大化という企業的制約条件のもとで経営されることになる。ヴェブレンの書物の副題が示すように、法人資本主義における支配的な利潤論理が適用され、大学という聖なる組織が、ビジネスマンという俗世界の人々によって管理され、運営されることになった。そこには、法人資本主義の抑圧的、非民主主義的なヒエラルヒーの論理が中枢を占めるようになり、自由な知識欲と職人気質は跡形もなく消え失せてしまうことになるであろうと、ヴェブレンは嘆いたのである。
 大学の自由
 今、世界の大学人が共通してもっている問題意識は、政府からの圧力に対して、大学の自由(Academic Freedom)をいかに守るかということである。これは、国立大学はもちろんのこと、私立大学も、国からの財政的援助に対する依存度がきわめて大きくなってきたことに起因する。
 もともと、大学は、重要な社会的共通資本として、一国の文化的水準の高さを表す象徴的な意味をもち、その国の将来の方向を大きく規定するものである。このとき、国(Nation)の統治的な機構としての政府(State)からの力に対して、大学の自由をどのようにして守るかということが重要な課題となる。
 大学の自由というとき、教授の人事、研究の自由、講義、カリキュラムの自主的決定、入学者の選抜方法、基準の自主性などがあげられる。しかし、大学が財政的に国あるいは外部の組織に大きく依存せざるを得ないとき、これらの自主性をどのようにして維持するかということが重要な課題となるわけである。
 もっとも大きな関心がもたれるのは、科学研究の規模が巨大化し、そのために必要な研究者の数も飛躍的に大きくなり、研究施設の規模もかつては考えられないほど巨大化し、そのために必要な経費が天文学的な額に上ろうとしている現在、いかにして、大学の自主性、内発性を喪失することなく、創造的、先端的研究が行われるような環境をつくっていったらよいか、という問題である。このような研究のために必要な資金は、大学自体の負担で調達することはもはや不可能であって、国あるいは企業からの資金が大量に投入されなければならない。しかし、このような資金の導入によって、大学の自由が阻害されるとき、自由な研究をおこないうる雰囲気がこわされ、真の意味における独創的な研究を期待することは困難となってしまう。」宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000年、pp.146-153.

 「大学の自由」はつねに高く掲げられてきたが、「象牙の塔」という言い方をするとき、それが真理の府であると同時に特権的なエリートの独占物として、やや現実離れしたアカデミア、頭でっかちな学者を揶揄する言葉にもなっていた。そして、ときの政府や権力者は、大学人が国の政策や方針を批判するとき、大学は役に立たない知識しか学生に教えておらず、もっと現実的な要請に応えるべきだと大学制度をいじろうとする。しかし、営利企業や一般社会の追求するものと、学問や科学の研究が求めるものは本質的に違うのであって、長期的に見れば国や政府は、大学に自由な環境を与えるのが仕事で、それでこそ人類に貢献する成果をあげることができる、というのは今さら言うまでもない。しかし、日本の場合でも、大学の歴史は苦難の道であって、とくに近年、大学への政府の管理統制の強化は露骨にすすめられている。その端的な動きは、効率化、民営化、自由競争と成果主義、といった新自由主義的論理を大学にも適用するというもので、これは、文化そのものの危機を招きかねない。

B.愚かな男子たち
 東京大学に在籍した経歴があるかないか、ということが日本ではかなり重要視される世界がある(らしい)。ぼくのいた大学という業界でも、東大出身者はそれなりに徒党を組んだり、ある種の自負をもってものを言うのを見ていたから、そういうことを気にしなくていいのは気楽だな、と思っていた。そして、東大出身者でもそのことが重要なアイデンティティになっている人も多いが、そうでもない人もいる。要するに人間の人格や品性、そして本来の能力や才能という点でも、出身大学などたいした問題にはならないと思うのだが、自分の人格や品性、能力や才能に自信がない人ほど、出身大学というものが何より大事だと考えているらしい。でもそこに、「東大女子」というレッテルは別の要素になっているらしいので、これはおかしい、というか時代錯誤だと思う。

 「問:「性差別の解消」東大生には難問?東大女子入会拒否サークル活動制限
 東大でサークルの新入生歓迎行事を取りまとめている学生団体が、学内の女子学生の入会を認めていないサークルを今春は参加させないと明らかにした。そうしたサークルの存在は長年にわたって知られながら、これまで抜本的な措置が取られてこなかった。改善への一歩とはいえ、そもそもどうして、こんな露骨な性差別が残っているのだろうか。 (石井紀代美)
 大学を象徴する存在として知られる、本郷地区キャンパス(東京都文京区)の赤門。三十日午後に訪れると、記念撮影する外国人観光客の間をすり抜けるように、女子学生が次々に構内に入っていった。
 当事者にこの問題への受け止めを聞くと、教養学部一年田之倉芽衣さん(19)は「差別があるなんて、びっくりした。フェアじゃないですよね」とばっさり。文系四年の女子学生(22)は「差別をする人はどこにでもいると思うけど、『あの東大で?』となるじゃないですか。社会へのメッセージ性の強さを考えるとよくないし、恥ずかしい」と訴えた。
 学内の女子学生を入れない東大のサークルは数十年前からあったとされる。立命館大の伊田広行非常勤講師(ジェンダー論)は「頭が良く冷静で、しっかりしている東大の女子は扱いにくいイメージがあるのではないか。そうした人間を排除する一方、『東大ブランド』に弱い従順な女子を集めて精神的に優位に立ちたいのだろう」と分析する。
 学内の動きを内外に発信している「東京大学新聞」が2018年4~5月に学内のサークルを調べたところ、回答した二十三団体中三団体が学内の女子を入会させていないと答えた。「入れない理由を聞かれても、伝統としか答えられない」「他大の女子が大勢いる中、東大女子が少数いても馴染めなさそう」「例年そうなっている」といった理由だった。
 記事が出た同年九月に編集長を務めていた小田康成さん(21)=文学部三年=は「差別は恥ずべきことなのに、まさか明確に認めるサークルがあるとは思わなかった。差別の自覚がないのかもしれない」と指摘。調査を担当した武井風花さん(21)=同=も入学時にサークルの説明を受けた際、明らかに歓迎されていない雰囲気を感じたといい、「肌感覚として三団体ではとどまらない。回答を得られなかった団体も多く、これは氷山の一角」と主張する。
 コラムニストの辛酸なめ子さんは伊田氏と同様の見方を示した上で、「同じぐらい賢い女子学生と互いに高め合えばいいのに、褒められ、尊敬してもらいたいのだろう。日本の男性の自信のなさがよく表れている。最近は東大にも他大学に負けない女子力を備えた子が多く、完璧に近い存在は男性に恐怖を抱かせるのでしょうね」と皮肉まじりに話す。
 東大といえば、言わずと知れた国内最難関の大学。社会的影響力も大きく、このままでいいわけがない。伊田氏は「組織の中で長年続いてきた悪習を改善するには、同調圧力に抵抗する一人一人の力が大事。違和感を持つ仲間を見つけ、徐々に変えていく努力が必要になる。理解してくれそうな先輩とじっくり話してみるのもいいだろう」と提言した。」東京新聞2020年1月31日朝刊24面特報欄。
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宇沢弘文『社会的共通資本』を読む 7 孝明天皇祭ってあったんだ。

2020-01-28 00:57:55 | 日記
A.学校教育制度は社会をよくする?
 親や先生に「勉強しなさい!なまけちゃダメ」といわれると、子どもは初めは素直に勉強はしなきゃいけないと思って頑張ろうとするが、やがてあまりいい成績が取れなかったり他に面白いことができたりすると、「なんで勉強しなきゃいけないの?」と疑問を口にするのは、どこにでもある光景だろう。「学校の勉強」は遊びほど楽しくないし、試験や成績でランク付けされたりするから、自分をかなり追い込む努力が必要で、しかも小学校、中学校、高校とず~っと続くから、なんでこんな我慢大会みたいなことをやるのか?我慢するのが人生の教育だなんていう親や先生は、「詭弁を弄している」(そんな難しい表現ではないが)と思っても不思議でない。
 学校教育は子どもたちに立派な人間になって社会に出るための能力をつけるのだ、勉強は本人のためになる、という論理は当然のように言われるが、学校教育によって社会が改善され改革される、という考え方はあまり唱えられていない(とくに日本では)。ジョン・デューイの教育思想は、子どもの人格的発達という目的以外に、あと二つ、社会的統合と平等主義という機能をもつと考える。つまり、社会のひずみが生み出す分断や格差や不平等に対して、学校教育が子どもたちに正しい道と改良の方向を教えることで、未来がよくなっていく、社会を改善するのが教育であるべきだ、というチョー前向きな教育論なのだ。学校でしっかり勉強すれば、高い成果を上げ社会の役に立つ人間になることができる。たしか日本の福沢諭吉も「学問ノススメ」で似たようなことを言っていた。しかし、そんなことが現実にできるのか?

 「学校教育が果たしている、社会的統合、平等主義、人格的発達という三つの機能は、社会体制の基本的前提と密接なかかわりをもつ。この点について、デューイによって代表されるリベラリズムの立場は、資本主義という社会、経済体制について、政治面における民主主義とならんで、基本的に肯定的な立場にたって、議論を進める。
 デューイは、資本主義社会における様々な職業的選択が、学校教育によって可能となった人格的発達と不可分の関係にあると考えた。別の言葉でいえば、資本主義社会における職業的ヒエラルキーと、学校教育を通じて得られた人格的発達とが調和的な関係をもつと考えた。
 デューイが提示したリベラルな学校教育制度の考え方は、もう一つの意味における平等主義の理念の実現を必要とする。すなわち、どんな僻地に生まれても、またどんな家庭で育っても、すべての子どもが、そのときどきの社会が供給できる最善の学校教育を受けることができるような制度的配慮がなされるべきであるということである。デューイは、この平等主義的な立場から、無償の公立学校制度によって、人種、民族的な差別、あるいは経済的、社会的階級、さらには男女の差別を相殺すべきであると考えた。このように、資本主義社会のなかで、教育の果たす三つの機能が整合的に働くというのが、リベラリズムの基本的な考え方でもある。
 デューイはこのように、アメリカにおける社会的制度が、資本主義と政治的民主主義によって規定され、そのなかで、学校教育の果たす三つの機能が完全に働くことができるような条件が備わっていると考えたのであった。
 ジョン・デューイの教育理念は、二十世紀前半を通じて、アメリカのリベラリズムの考え方に沿った学校教育制度の基本的性格を規定していったといってもよい。しかし、ヴェトナム戦争を契機として起こったアメリカ社会の倫理的崩壊、社会的混乱によって、デューイの教育理念にもとづく公立学校を中心とするアメリカの学校教育制度もまた大きく変質せざるを得なかった。デューイの掲げた平等主義的な教育理念にもとづいてつくり出されたアメリカの学校教育制度が、現実の非人間的、収奪的状況のもとで、逆にアメリカ社会のもつ社会的矛盾、経済的不平等、文化的俗悪さをそのまま反映し、拡大再生産する社会的装置としての役割を果たすことになってしまったのである。
 ボウルズ=ギンタスの対応原理
 デューイの考え方は、二十世紀前半を通じて、リベラリズムの立場にたった教育理論の基礎を形づくってきた。しかし、1960年代に入ってから、アメリカ社会は、ヴェトナム戦争、人種問題、都市問題に代表されるように、大きな地殻変動を経験することになった。
 1960年代の、このような状況を前にして、リベラリズムの三大理念は、依然として有効なものとされているが、学校教育が労働の生産性に及ぼす効果がもっとも重要視されるようになってきた。これは、専門学校主義=能力主義の考え方(Technocratic=Meritocratic School)と呼ばれるものであって、学校教育の経済学的考察をおこなうときにもっとも基本的な考え方の一つとなっている。専門技術主義=能力主義は、資本主義制度のもとでは、各人がどのような所得、権力、地位を得るかということが、それぞれ個人のもっている知的、身体的、その他の能力によって決まってくるという考え方にもとづいている。学校教育は、子どもたちの知的、身体的その他の能力を育て、発達させるものであって、その効果は、学校教育を終えた若者たちが、どのような職業につき、どのような経済的、社会的報酬を得るかということに反映されている。学校教育を通じて、認知能力、思考能力が発達し、個人の人格的発達を可能とすることによって、卒業してから、資本主義社会のもとでの、雇用、報酬、権力配分の制度に適切に組み込まれるようになっているというのが、専門技術主義=能力主義の立場である。
 この考え方にたつとき、資本主義制度のもとでは、所得、権力、地位の分配の不平等は、労働者の知的、技術的、身体的能力の不平等にもとづくものとされる。したがって、資本主義社会における貧困、不平等の問題を解決するためには、学校教育の機会を平等化することがまず必要となると考えたのであった。じじつ、1960年代に、アメリカで、教育制度の改革や新しい実験が数多く試みられたが、それは、1960年代とくに顕在化した、アメリカ社会の貧困と不平等の問題に対処するためにとられたものであった。
 しかし、このような専門技術主義=能力主義の考え方は必ずしも統計的な分析によって支持されるものではない。とくに学歴の高さと経済的成功の間の統計的相関はあまり高くないということがわかっている。サミュエル・ボウルズとハーバート・ギンタスの『アメリカ資本主義と学校教育』(Schooling Capitalist America—Educational Reform and the Contradictions of Economic Life, Basic Books, 1976.宇沢弘文訳、岩波書店、1986-87年)にくわしく述べられている通りである。学齢年数が高ければ高いほど、IQ得点ではかった認知的知能到達度は高くなる傾向を示す。しかし、認知的知能到達度が高いということが、経済的成功を収めるという結果を生み出すとはかぎらない。学校教育と経済的成功との相関関係は、認知的知能到達度とは直接関係なく、経済的成功に大きく寄与するのは、学校教育の果たす統合機能の役割であるということができよう。
 学校教育とIQ指数
 ここで、学校教育と経済的成功との関連で、IQ指数の果たす役割にふれておかなければならないであろう。
 1960年代初頭に、アメリカで試みられた教育改革の主な目的は、教育の機会を均等化することによって、社会的、経済的、ないしは文化的格差をなくそうということであった。そのために低所得階層の子どもたちにさまざまなかたちでの補償教育が行なわれた。アメリカの教育省は、1966年、四千の小・中学校について、六十万人の生徒を対象として、大規模な調査をおこなった。その詳細な分析は、1968年コールマン報告として発表された。コールマン報告の主要な結論は、1960年代におこなわれた、教育の不平等を是正するためにおこなわれた財政的な再分配政策が、意図された結果を生み出さなかったということを説得的に示したのであった。
 このコールマン報告を受けて、1972年には、ジェンクスを中心とした社会学者たちによる『不平等――アメリカにおける家族と学校教育の効果に関する再評価』が発表されて、リベラル派の教育改革がまったく空しい効果しか生み出さなかったということが強調された。この思想的流れはやがて、アーサー・ジェンセンの主張に結晶されていった。ジェンセンの主張は、経済的、社会的不平等は、遺伝学的に決まってくるIQ格差にもとづくもので、この遺伝学的特性は学校教育によって変えることはできないという考え方にもとづいている。この考え方はさらに、心理学者リチャード・ハーンシュタインによって拡大、発展させられていった。経済的、社会的分布は主としてIQの分布によって決まってきて、IQは高い遺伝性向をもち、社会的、経済的特性もまた、一つの世代から次の世代へと、遺伝的に継承されてゆくという主張がハーンシュタインによって展開されたのであった。
 この、IQ学派の主張に対して、その統計的誤謬を明らかにし、その理論的根拠の薄弱さを指摘したのが、ボウルズ=ネルソン論文であった。
 IQ学派は、社会的、経済的背景が高くなればなるほど、IQは高くなり、したがって経済的成功の可能性も高くなるという命題にもとづいて、議論が展開されてきた。この主張に対して、ボウルズ=ネルソンは、つぎの命題を証明することによって、IQ学派の論拠を否定する。すなわち、経済的成功の度合が平均して、親から子どもに伝えられるという傾向は、親から受け継いだIQ指数とはほぼ完全に無関係となるという命題である。したがって、社会経済的背景が相異なる二つの集団について、たとえIQが完全に一致したとしても、経済的地位は平均して、親から子どもに受けつがれるということは、IQを通じて作用する遺伝的メカニズムとまったく統計的関連をもたないということも示すことができる。
 学校教育と平等化機能
 学校教育が果たして、平等化の機能を果たしてきたかというと、少なくともアメリカの学校教育の場合、答えは否である。ボウルズ=ネルソンの研究から、統計的観察を要約しておこう。これは、1962年におこなわれたアメリカの国勢調査の人口サーベイにもとづいて得られた結果であるが、子どものIQ指数が同じでも、学歴は、社会的背景によってほぼ決定的に決まってくるという結果である。
 しかし、家族の社会経済的背景が高い子どものほうが平均して学業成績が高いということは、統計的考察からも、また一般的にも妥当すると考えられるから、家族の社会経済的背景による学歴の差違ということは、学業成績の格差にもとづくものではないだろうか。この疑問に対して、否定的な推論をすることができる。六~八歳時のIQ得点が同じでも、両親の社会経済的背景が高いときには、低い時の子どもに比べてはるかに高い教育水準が期待でき、両親の社会経済的背景による就学年数の格差のうち、社会階級間のIQ格差によって説明されるのはごく一部に過ぎないということがわかる。
 もちろん、就学年数の不平等も、学校教育の不平等のごく一部分にすぎない。とくに、日本の場合のように、学校間の格差が著しいときには、学校教育の不平等は、就学年数の差違をはるかに超えたものとなっている。
 学校教育は、社会的、経済的な不平等を解決する方向に働いているのではなく、逆に不平等を拡大化しているということは、すでに疑いの余地はないように思われる。
 さらに進んで、たとえ、学校教育が平等化の方向に進んでいたとしても、経済的平等化を促進するものではないという統計的な事実も存在する。この点についてもっとも広範な視点からくわしい研究を展開してきたのが、ジェイコブ・ミンサーである。ミンサーはもともと、専門技術主義=能力主義の立場に立つ経済学者であるが、アメリカにおける学校教育が、所得分布に及ぼす影響を統計的に調査した結果、期待とはまったく反する結論に到達したのであった。
 学校教育と法人資本主義
 専門技術主義=能力主義の考え方は、産業資本主義体制のもとで、かなり説得力をもつ。高度に発展した技術を基礎に置く近代的産業の生産技術は、知的な教育を受けた人びとによってはじめて効果的に機能する。経済活動の発展のためには、労働力全体としての知的な水準が高くならなければならない。学校教育は、これまで、ごく少数の特権階級だけが享受することのできた教育を、一般大衆にひろく開放し、近代的産業社会がもたらす利益を万人のものとするという、すぐれて平等主義的な思想が、その背後に存在している。
 アメリカでは1960年代を通じてリベラル派の教育理論にもとづく教育制度の改革が積極的に進められたが、いずれもほぼ完全といってよいほど失敗してしまった。そのもっとも主要な原因は、社会的統合、平等化、人格的発達という学校教育の機能が法人資本主義という経済的、社会的体制のもとでは整合的なかたちで働くことができないということにあるというのが、ボウルズ=ギンタスの主張するところである。
 法人資本主義の大勢のもとでは、社会的生産関係はヒエラルキー的分業にしたがって、官僚的秩序を通じて、上からの権限と管理の体系によって規定されている。それは、新古典派経済理論の説くような、完全競争的市場を前提とした限界生産力説にもとづくものではない。生産を担当する企業は一つの有機的な組織として、中枢的経営・管理体系によって秩序づけられていて、その社会的関係は決して民主主義的なものではないし、また効率的なものでもない。
 民主主義の基本的な前提条件の一つに、人々が連帯して、相互に意思を疎通できるような制度であって、各人がそれぞれ内発的な関心と自発的な意向にもとづいて行動することができるような性向をもつということが必要とされている。しかし、法人資本主義のもとでは、このような条件はみたされない。労働者、技術者あるいは経営者自身すら、外部的な権威と市場的な基準にしたがって、各法人企業のヒエラルヒー的分業に強制されているというのが実情である。学校教育を受けた青少年がどのようなかたちで雇用され、どのような環境のなかで働くかというと、このような、抑圧的な、非民主主義的なヒエラルキー的分業のなかである。法人資本主義体制のもとで、市場的な基準にしたがって、人々が雇用され、働くとき、そこには、内発的な動機にもとづいて、自らの行動を選択するということは、一般の労働者、技術者にとってはほとんど職を失うのと同じ意味をもっている。
 ボウルズとギンタスが、『アメリカ資本主義と学校教育』のなかで、もっとも力をこめて主張しようとしているのは、アメリカ資本主義という典型的な法人資本主義体制のなかで、学校制度は、かつてホレース・マンがいったような「偉大な平等化装置」という役割を果たさないどころではなく、逆に、法人資本主義体制のもとにおけるヒエラルヒー的分業のもつ、非民主的、抑圧的な性向を一層強めるという機能すら果たしているということである。「(学校)教育制度は、経済の社会的関係との対応を通じて、経済的不平等を再生産し、人格的発達を歪めるという役割を果たしている」(ボウルズ=ギンタス『アメリカ資本主義と学校教育』第1巻、86頁)
 経済の社会的関係を規定する法人資本主義という制度そのものの改革には直接ふれないで、教育制度だけを改革しようというリベラリズムの立場は、このような視点からみるとき、まったく意味のないものとなってしまう。ボウルズ=ギンタスは、アメリカにおけるリベラル派の教育改革の試みがこれまですべて失敗してしまったのは、アメリカ資本主義体制という抑圧的な政治、経済、社会制度の基本的矛盾に気づかなかったからだという。
 しかし、教育機会の均等化を求めて、大きな波のような運動が、世界の多くの国々で起こっている。アメリカで試みられた、オープン・クラスルーム、あるいはフリースクールなどの運動が、学校が真の意味で、人格的発達をたすけ、人間解放の可能性を大きく開くものであるということを、ボウルズ=ギンタスは否定するものではない。ボウルズ=ギンタスは、つぎのことは確信をもっていえるという。「抑圧、個人の無力化、所得の不平等、機会の不均等は歴史的に見て、教育制度に起因するものではないし、不平等で、抑圧的な今日の学校から生みだされたものではない。抑圧と不平等の根源は、資本主義経済の構造と機能のなかにある。この点に、社会主義の国々をも含めて現代の経済体制を特徴づけるものがあって、人々が経済的生活の管理に参加することを不可能にしている」(同、87-88頁)。」宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000年、pp.134-145.

 学校教育をポジティヴに考えるリベラル派の教育政策も、生まれつきの能力で決まるというIQ派も、実際の教育にはなんの成果もあげられなかった、という分析は、半世紀前のアメリカの話ではあるが、21世紀の学校教育はその反省を踏まえて少しはまともなものになっているのだろうか。少なくとも今、安倍政権が文科省を通じてやろうとする市場原理を持ち込む教育改革は、何の成果も生まないどころではなく、事態を悪化させるように思えてならない。

B.オーストラリアの祝日
 このところ、中国の新型肺炎の感染騒ぎや、三菱電機のハッカーによるサイバー攻撃とか、ソフトバンク社員のロシアへの情報漏洩だとか、あやしげな話題がある一方、昨日は大相撲の幕尻徳勝龍の奇蹟の優勝とか、大阪国際女子マラソンの松田瑞生のぶっちぎり優勝とか、楽しい話題もあった。そんななか、片隅の国際ニュースだがオーストラリアの祝日「豪州の日」についての記事が目に留まった。

 「入植の祝い 中止相次ぐ 「豪州の日」は「侵略の日」
 英国が入植を始めた1月26日を祝いません――。オーストラリアでこんな決定をする自治体が相次いでいる。この日は、1788年に英国の船団が豪州に上陸したことを記念する「豪州の日」という国民の祝日。これまでは祝うのが普通だったが、「侵略の日」と受けとめている先住民(アボリジナルピープル)が多いことに、近年、自治体側が配慮し始めた。
 シドニー都市圏のインナーウェスト市は毎年、「豪州の日」に移民に国籍を与える式典を開催してきた。だが今年から、式典は開催するが、コンサートなどの祝賀行事をやめた。ダーシー・バーン市長は「1月26日は(豪州の)植民地化と(先住民の)追放、言語・文化の破壊の始まりだった。私たちの歴史の良い面、悪い面を振り返る日であるべきだ」と説明した。
 豪メディアによると、豪州の全約500自治体のうち、インナーウェスト市は8番目に「豪州の日」を祝わない自治体になった。こうした自治体は少数派だが、近年増えており、バーン市長は「地域の取り組みを国民的な議論につなげたい」と語った。
 インナーウェスト市では26日、従来の祝賀行事をしない代わりに、先住民らがシドニー中心部の公園で伝統の歌や踊りなどを催すイベントへの参加を勧めた。先住民や、先住民に共感する多くの市民らがこの公園に向かってこの日を祝うことを拒否するデモ行進もあった。
 一方、豪州には「入植は豪州を近代的な社会にした」として、この日を肯定的に捉える意見も根強く、議論が続いている。 (シドニー=小暮哲夫)」朝日新聞2020年1月27日朝刊4面、国際欄。

 イギリスからの植民者はオーストラリア先住民から土地を奪い、居留地に隔離した。その歴史的事実を侵略とみれば、国を挙げて祝うことはためらわれると考える人が増えていることは理解できる。しかし、そう考えると、日本が朝鮮半島を植民地にしていた時代、日本の祝日は今より少ない10日、天長節とか明治節とかみな天皇に関わる祝日だったが、朝鮮、台湾、樺太など植民地でも祝われたかと思う(確かめていないが)。侵略支配された側の視点からみれば、これらの祝日は忌まわしいものに思うだろうし、戦後はもちろん祝われていない。でも日本ではどうなのか?調べてみたら、戦前の祝日の10のうち6つは別の呼び名で続いて祝われている。とくに2月11日紀元説は、古事記の国生み神話によるもので、敗戦で廃止されたが1966年に祝日として復活する案をめぐって国会で大議論があり、翌年から復活した。
 戦前の祝日は以下の通り。1.四方拝(1月1日:今は元日)、2.元始祭(1月3日:廃止)、3.孝明天皇祭(1月30日:廃止)、4.紀元節(2月11日:廃止されたが建国記念の日として復活)、5.春季皇霊祭(3月20日:今は春分の日)、6.神武天皇祭(4月3日:廃止)、7.秋季皇霊祭(9月26日:今は9月23日に秋分の日)、8.神嘗祭(10月17日:廃止)、9.天長節(天皇誕生日:昭和天皇は4月29日)、10.明治節(明治天皇の誕生日11月3日:今は文化の日)。
 ぼくは1月30日の孝明天皇祭という祝日があったことを知らなかった。明治時代に祝日を定めた時代には、先帝孝明天皇はまだ記憶に新しかっただけでなく、明治の天皇制が模範とした皇室行事などが固まったのは、古代からの制度などではなく、孝明天皇の祖父にあたる光格天皇(在位1780(安永8)年~1817(文化14)年)のときだった。そしてペリーの黒船のとき孝明天皇が外国人に日本の土を踏ませるのを恐怖したことが、いわば幕末動乱の火種になったことを考えると、孝明天皇祭が祝日だったことの意味もなかなか深いな。
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宇沢弘文『社会的共通資本』を読む 6 教育のインネイト?

2020-01-25 21:25:39 | 日記
A.モダン都市の非人間性?
 ル・コルビュジェといえば、20世紀の現代建築を樹立した偉大な建築家であり、合理的、効率的、機能性が高く無駄な装飾を排した近代性そのものを建築において実現した人として知られるが、たんに建物だけでなくインドの州庁舎や都市計画案のような、すみずみまで設計した都市をつくりだすことで、人間の居住環境自体をモダンにしようという思想性を体現した。コルビュジェの弟子である丹下健三は、この思想を戦後日本で定着させたともいえる。いまのぼくたちには、大都市の景観とは鉄とガラスとコンクリートで天まで伸びるスカイスクレーパーだという常識が当り前であり、それがル・コルビュジェの仕事の延長上にできあがったものというのは、改めて考えるまでもないこととして受け容れている。それは戦後の高度経済成長のシンボルでもあり、望ましい未来のイメージに繋がっていた。しかし、宇沢先生は、コルビュジェのモダン建築が建ち並ぶ「輝ける都市」は二十世紀文明のもたらした矛盾のあらわれ、俗悪醜悪な都市だという。自動車が思う存分走るための街路、人間がクルマに従属する巨大都市。そしてこれに対抗する都市のあるべき姿は、ジェーン・ジェイコブスによって提示されているという。

 「ル・コルビュジェは、自らの設計した都市を、抽象派の芸術が、二十世紀の輝ける工業水準と調和的に結合されたものと考えたのであったが、「輝ける都市」には、人間が欠如している。人びとが住み、生活を営み、人間的な活動をする場としての都市ではない。ル・コルビュジェの意図するままに動くロボットとしての役割を果たすにすぎない。
 しかし、ル・コルビュジェの「輝ける都市」は、二十世紀における世界の大都市の変貌に決定的な影響を及ぼした。その影響は、アメリカ、西ヨーロッパ諸国だけでなく、アフリカ、インド、アジアの第三世界諸国の都市にまで及んでいった。そして、現在、これらの都市は、かつてない社会的混乱、文化的退嬰のなかで苦悩している。日本の都市もまた、その例外ではない。
 ル・コルビュジェの「輝ける都市」の人間的貧困と文化的俗悪とを的確に指摘し、その矛盾を明らかにしたのが、ジェーン・ジェイコブスであった。ジェーン・ジェイコブスの思想は、多くの人々によって説かれているので、ここで改めて説明をする必要はないかもしれない。しかし、自動車の役割との関連で、簡単に、ジェイコブスの考え方を要約しておこう。
 ジェイコブスの考え方がもっとも端的に表現されているのは、『アメリカ大都市の死と生』である。この書物は1961年に刊行されたが、当時の思想的状況のもとで、とくに若い建築家、都市設計家の心をとらえて、新しい都市理念の、いわば「聖書」としての存在となった。
 ジェイコブスはこの書物のなかで、かつて魅力的であった、アメリカの多くの大都市が、1930年代から50年代にかけて、ほとんどすべて「死んで」しまったと主張する。そして、人間的に魅力のある都市をつくるために、都市の「再生」のために、どのような基準を導入しなければならないのかということを、四つの条件にまとめ上げたのであった。この、ジェイコブスの四大条件は決して、論理的、演繹的に導き出されたものではなく、ジェイコブスが、死に絶えてしまったアメリカの数多くの大都市と、そこにわずかに残っている人間的なコミュニティとを精力的に調査して回り、そこから機能的、経験的に導き出されたものであるということに留意する必要があるように思われる。ジェイコブスの四大原則はまた、ル・コルビュジェの考え方を真正面から否定するものであって、それはまた土木建築産業の利潤追求型の計画都市、ないしは行政官僚の俗物的思想から生み出された都市計画とも明確に一線を画するものである。
 第一の原則は、街路の幅はできるだけせまく、曲がっていて、一ブロックの長さは短い方が望ましいというものである。人々の生活の必要から自然発生的に形成された街路が望ましいということが強調されている。ル・コルビュジェの「輝ける都市」が、真直ぐで、広くて長い街路を基本とした、非人間的な環境を求めていたのと、この点でも対照的である。
 第二の原則は、再開発にさいして古い建物ができるだけ多く残るように配慮しなければならないということである。新しい建物が多いと、高い償却費を払わなければならなくなって、自由な発想が生まれにくいというのがジェイコブスの意図したところだったのである。
第三の原則は、都市の多様性に関するものである。都市の各地区は必ず二つないしはそれ以上の機能をもっていなくてはならないという条件である。この原則は、ル・コルビュジェたちの近代的都市計画家が共通して主張するゾーニング計画の考え方を否定するものである。
第四の原則は、都市の各地区は、人口密度が十分高くなっているように計画されなければならないということである。
さきに述べたように、ジェイコブスの四大原則は、何らかの理念にもとづいて理論的に演繹されたものではなく、アメリカの大都市の歴史と実態をくわしく調べ上げて、人間的な魅力と文化的多様性とを備えた都市はどのような特徴をもっているかということに注目して導き出した考え方にもとづいている。ル・コルビュジェの近代的都市理念を否定して、新しい都市理念のあり方を示唆したものである。
ジェイコブスの都市理念にもとづくとき、新しい都市の形態、とくに公共的交通機関の果たす役割にかんして、これまでの考え方に対して百八十度の思想的転換を迫られることになる。人間的な魅力を備えた都市はまずなによりも歩くということを前提としてつくられなければならない。ジェイコブス的な街路は、道幅が広くなく、曲がっていて、一つ一つのブロックが短い。しかも、十字路的な交差点では、T字路を基本とし、歩道橋の類は原則として避けるように設計されなければならない。また、歩道と車道とが物理的に分離されていることは当然であるが、歩行者が直接自動車通行によって影響を受けないように、街路樹などによって適当に遮断されていなければならない。歩行者がかろうじて電柱のかげにかくれて、走りすぎる自動車をよけているというのは、日本の都市でよくみられる光景であるが、このことほど、日本の都市の貧しさを象徴するものはないように思われる。
公共的交通機関を基本的な交通手段として都市を設計するとき、一つの都市の大きさについて自からある限界が存在する。日本の大都市は、東京、大阪をはじめとして、異様な規模にまで拡大されてしまった。このような規模を持つ都市に対して、公共的交通機関を中心として交通体系を考えることは非常に困難となり、またそれにともなう希少資源の浪費もまた大きくなってしまう。
くるま社会の都市を越えて、人間的な都市をつくろうとするとき、ジェーン・ジェイコブスの四大原則がもっとも基本的な考え方を提供している。しかし、その理念を具現化することは必ずしも容易ではない。とくに日本の場合、1955年体制のもとにおける自民党、行政官僚、土木建設業の共同機構によって、自動車を中心とした、ル・コルビュジェ的な都市理念がこの上もない思想的遮断を形づくってきた。しかし、日本の大都市の多くはすでに「車社会」の限界に到達しつつあって、いま、ジェイコブス的な転換を行なわなければ、都市における社会的不安定性、文化的俗悪は、不可逆的な被害を私たちに与えることになることは間違いないであろう。」宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000年、pp.118-122.

ジェイコブスの4原則からなる都市とは、たとえば日本で言えば街路が曲がりくねり、古い建物が密集し、いろんな世代や職業の人々が混在している、古い城下町や門前町のような都市であり、それは近代の効率性を優先するコルビュジェ的計画都市からみれば、非効率で無駄が多く、古臭い雰囲気の猥雑な町なのだが、だからこそそこでは人間らしい生活が可能になる、というわけだ。そして次は、「社会的共通資本」の重要分野、教育について語る。

 「社会的共通資本としての教育 教育とは何か
 教育とは、一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い、幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけるものである。そのとき、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーにもとづいて子どもを教育するようなことがあってはならない。教育の目的はあくまでも、一人一人の子どもが立派な一人の社会的人間として成長して、個人的に幸福な、そして実り多い人生をおくることができるように成長することをたすけるものだからである。
 このとき、まず留意しなければならないことがある。それは、子どもたちがもっている先天的、後天的資質、能力がきわめて多様で、個性的であり、そのアスピレーション、夢もまた個性的で、多様な形態をもっていることである。子どもたちがもっている能力を単元的な尺度で測ったり、比較しようとしたり、あるいは、そのパーフォーマンスを順位づけしようとすることは、教育の目的から大きく逸脱したものであり、決しておこなってはならない。
 ある子どもは、文章を読んだり、作ったりするのが特異であったり、数の計算がうまく、図形の性質を正確にとらえる能力をもっている。ある子どもは、歌を上手にうたい、絵をかくのがうまかったり、あるいはものをつくるのを得意とする。また、走るのが得意であったり、物まねが上手な子どももいる。一人一人の子どもがもっている個性的な資質を大事にし、その能力をできるだけ育てることが教育の第一次的な目的である。同時に、子どもたちが成人して、それぞれ一人の社会的人間として、充実した、幸福な人生をおくることができるような人格的諸条件を身につけるのが、教育の果たすべきもう一つの役割である。そのために、教育は、個別的な家庭、あるいは地域的ないしは階級的にせまく限定された場ではなく、出来るだけ広く、多様な社会的、経済的、文化的背景をもった数多くの子どもたちが一緒に学び、遊ぶことができるような場で行われることが望ましいわけである。したがって、学校教育制度が、このような教育の理念からの必然的な帰結である。じじつ、世界のほとんどの国々で学校教育制度がとられているのも、このような事情からであるといってよい。
 この時、教育の本来的な目的に重要なかかわりをもつ一つの人間的特質に注目する必要があるように思われる。アメリカの生んだ偉大な言語学者ノーム・チョムスキーがはじめて指摘するまで、多くの教育学者がほとんど無視してきたことである。チョムスキーの指摘はもっぱら、言語の習得に関わってなされたのであるが、数学についても、まったく同じことが言えるのである。それは、言語と数学にかんして、一人一人の子どもが本有的にもっているインネイト(innate)な知識と能力についてである。innateという言葉は、生得的、あるいは先天的、本有的などと訳されているが、ここでは、そのままインネイトとして使うことにしたい。
 いうまでもなく、教育の出発点は言語の習得と数学の学習にある。人類の最初の文明が花開いたのはメソポタミアの地であるが、それは言葉を話すことと数を数えることから始まった。一人一人の子どもが人間として成長を始める最初の契機は、言葉を話すことができ、数を数えることである。学校教育も、古い言葉であるが、読み書きそろばんに始まる。
 一人一人の子どもは、言葉を理解し、数学の考え方を理解する能力を生まれながらもっている。このような能力、理解力を生まれながら、インネイトなかたちでもっているわけである。しかし、学校教育にさいして、もっとも困難な問題は、このインネイトな理解力、能力が(あるいは、子どもたちが家庭や近所で学んだ後天的な理解力、能力一般についても)一人一人の子どもについて、個性的であり、千差万別であるということである。これらの個性的な特性をもつ子どもたちを、一つの教室に集めて、同時に教えなければならない。学校教育にさいしてもっとも留意しなければならない点でもある。
 数学にかんするインネイトな知識
 チョムスキーの指摘は、言語については比較的理解しやすいのではないかと思うので、数学の場合についてくわしく考えてみたい。数学というのは簡単にいってしまうと、数、空間、時間にかんする性質を論理的、数学的に考察するものである。しかし、数学を教えるさいにも、子どもたちが、数、空間、時間にかんしてもっている生得的な、インネイトな知識、能力が重要な役割を果たす。
 子どもたちが数、空間、時間にかんしてもっているインネイトな理解力がもっとも鮮明なかたちで現れるのは、平面幾何の学習にさいしてである。つぎの三角形の合同にかんする定理の証明を例にとって、このことを説明しておきたい。
 二つの辺の長さとその二辺がはさむ角がそれぞれ相等しい二つの三角形は合同であるという命題は、平面幾何で最初に出てくる定理の一つであるが、次のように証明する。
 定理 二つの三角形を、⊿ABC, ⊿A′B′C′とし、 AB= A′B′, AC= A′C′,∠A=∠A′ と仮定すれば、二つの三角形⊿ABC, ⊿A′B′C′ は合同になる。
 証明 まず、三角形⊿ABCの一つの頂点Aをもう一つの三角形⊿A′B′C′の対応する頂点A′に移動し、辺ABと辺A′B′を一致させる。このとき、AB= A′B′
 と仮定しているから、⊿ABCの頂点Bは⊿A′B′C′の頂点B′と一致する。
 また、 ∠A=∠A′ と仮定しているから、辺ACと辺A′C′は一致し、しかも、AC=A′C′
という仮定から、頂点Cと頂点C′は同じ点になる。
したがって、二つの三角形⊿ABC, ⊿A′B′C′は完全に一致することが分かる。すなわち、二つの三角形⊿ABC, ⊿A′B′C′は合同となることが証明された。
この証明では、図形を移動したときに、その長さは変わらないという性質を暗黙裡に使っている。より正確にいうと、運動によって二つの点の間の距離が普遍に保たれるという性質であるが、子どもたちは直感的にこのことを正確に理解している。しかし、平面幾何を教えるさいには、このことについては、決してふれないようにしなければならない。
   教育の目的の一つは、子どもたちのもっているインネイトな理解力という蕾に適当な刺激を与えて、大きく育てて、立派な花を咲かせることである。しかし、子どもたちのもっているインネイトな理解力は、花の蕾、木の芽のように繊細なものであって、決して乱暴に取り扱ってはいけない。自然に大きくなるのを待たなければならない。
 運動によって二つの点の間の長さが不変に保たれるということはを、かなりむずかしいことを意味する。まず、二つの間の距離という概念を明確にしなければならない。数学の言葉を使えば、平面幾何で考えている空間は二次元のユークリッド空間であって、二点間の距離はピタゴラスの定理によって与えられる。また、運動というのは、この二次元のユークリッド空間における線形変換で、平行移動と直行変換を組み合わせたものを指す。したがって、運動によって、任意の二点間の距離が不変に保たれる。しかし、このような理解は、十九世紀になって、いわゆる現代数学の展開にともなって深められたもので、子どもたちが平面幾何を学ぶときにはまったく必要ないだけでなく、むしろ逆に、空間の性質を明らかにするという数学本来の機能の学習を阻害しかねない。幾何を教えるというときには、子どもたちのもっている生得的、インネイトな知識、能力をできるだけ大事にして、それぞれ、後天的に獲得してきた知識、能力を十分に生かすような配慮が必要になる。
 このことは数学だけでなく、言葉を習得する過程にも、さらに教育一般について、そのまま適用される。教育は究極的には、すべての人間的営為について、一人一人の子どもがもっている生得的、インネイトな知識、能力と後天的に獲得してきた知識、能力をできるだけ大事にして、それを育てることによって、知的、身体的、感性的発達をうながし、一人の社会的人間として大きく成長することをたすけようとする。一人一人の子どもがもっている知性、感性の蕾に適切な刺激を与え、養分を供給して、大きな花として開花できるようにするものである。しかし、一人一人の子どもがもっている、この知性の蕾はきわめてデリケートで、こわれやすい。しかし、日本の現行の学校教育制度は、一人一人の子どもがもっている知性、感性の蕾のデリカシーに対する適切な配慮を欠き、数多くの子どもたちの心を傷つけ、その身体を蝕んできたといわざるを得ない。そして、日本の社会は、この学校教育制度の必然的な帰結として、文化的、社会的、そして人間的観点からきわめて殺伐な、俗悪なものとなってしまったのである。」宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000年、pp.118-131.

 インネイトinnateは聞きなれない言葉だが、辞書によれば、原義はラテン語のinnatus(生まれつきの)からきていて、生得的、先天的という訳になるが、本質的な、直覚的なとか、「本能的、先天的に持っているもの」という意味になる。植物で内生の、生まれつきのという使われ方もある。子どもは誰でもこのinnateな知識、能力をもっている、という感覚は、デューイなどの教育という行為の根拠になるが、人間一般にこの感覚を及ぼすのは、チョムスキーが言語についていうこととつなかってくるのは、なるほどそうか、とは思う。

B.感染症と原発再稼働
 未来に起こることにいて人間が予測できるのは、あくまで確率的な現象でしかない。科学的にデータを取って確実な予測をするとすれば、それはその分野に特化した専門家にしか出来ない仕事だ。しかし、感染症の蔓延や地震被害の予測は、専門の科学者が予測できることはあくまで確率の範囲でしかない。今後20年間に南海トラフに大地震が起こる確率が30%とかいう言い方はできても、何年何月とまではいえないし、言ったらノストラダムスの大予言みたいなことになる。

 「専門知よりも「何が大切か」 テクノロジーが覆う社会:月間安心新聞 神里達博 
 科学の成果が社会の至るところに浸潤し、あらゆる面でテクノロジーに依拠するようになった21世紀。人類の中い歴史においても、このような事態は、当然ながら初めての経験である。
 こうなると私たちはつい、自然科学的な「理系」の専門知こそが、現状の世界を理解し、対処する上で最も重要だと考えがちである。だが、話はそう単純ではない。
 まずは時事的な話題を材料に、このことを考えてみよう。
 今週は、中国の武漢で確認された新型コロナウイルスによる感染症が拡大し、不安が広がっている。かつての「SARS」や数年前に中東を中心に流行した「MERS」もこのウイルスの仲間が原因だ。まさに明日は旧暦元日。「春節(旧正月)」に中国の人々が大移動し、感染が拡大する恐れも指摘されている。
 しかし、そもそも近年、新型ウイルスが繰り返し私たちを襲うのは何故なのか。これらは「新興感染症」と呼ばれるが、少なくともグローバル化の進展が関係しており、また消費生活の急速な拡大や、環境破壊、さらには気候変動なども影響している可能性がある。
 だとすればこれは、医療や衛生のみならず、社会経済的、あるいは政治的な課題でもあると言うべきだ。
 また感染症がしばしば偏見や差別を惹起してきたという、歴史的事実も、やはり忘れてはなるまい。
 中世の欧州におけるペストの流行は、病による膨大な犠牲者のみならず、ユダヤ人の虐殺など、さらなる悲劇を引き起こしたことが知られている。だが程度の差はあれ、感染症への偏見は現在も消えてはいない。
 実際、2003年のSARS流行の際には、感染が拡大したカナダのトロントで、アジア系の人々が差別を受けたことが報告されている。
 また日本も例外ではない。周知のとおり、ハンセン病の隔離政策における、長年にわたる人権侵害について国が謝罪したのは、21世紀に入ってからのことだ。
 科学はたしかに人々の命を救ってきた。だが、科学的な知識が増えるだけでは、この社会から偏見はなくならないのである。
  •         ◎           ◎ 
 もう一つ、科学技術が「埋め込まれた」この社会のあり方について考えさせられるニュースが、先週飛び込んできた。
 四国電力・伊方原子力発電所3号機の運転差し止めを求める仮処分申し立てに対して、広島高裁がそれを認める決定を出したのだ。東京電力福島第一原発の事故以降、司法が運転差し止めを認めたのは、これで5例目となる。
 主な争点となったのは、地震と火山のリスク評価だ。裁判のたびに原発が止まったり動いたりすることを批判する声もある。関係者の中には、技術的な判断に対して司法が介入することへの不満もあるようだ。
 しかし本コラムでも何度か扱ったように、そもそも「安全」は、社会的な概念である。科学や技術だけで自動的に基準が決まるものではない。さらに言えば、問題の本質は、地殻変動が盛んなこの列島に多数造られた「原発」という存在を、今後、私たちがどうするつもりなのか、という「価値判断」にこそある。
  •        ◎         ◎ 
 以上、今月中旬の段階で社会的に注目されている、二つの事例を取り上げてみた。そこに共通するのは、まず、問題の評価や対処はもちろんのこと、「その問題が存在していること」を認識するためにすら、高度な専門知が必要だという点がある。
 ここで言う「知識」の範囲には、科学や技術に関するものが含まれるのは当然だが、のみならず、広い意味での社会的な知識や視点が不可欠であるということも、指摘しておくべきだろう。
 そしてより重要なのは、それらの知識をもとに行なう、専門家の個々の判断が、誰かの利害関係と結びつくことがある、という点だ。
 たとえば、今回の感染症の拡大の可能性や、対処レベルの決定、また特定の活断層についての分析といった専門的な判断が、一般市民の将来のリスクを左右することになりうるのだ。
 ゆえに、現代は一見中立的に見える専門家も、それ自体、じつは広い意味での「政治的な」色彩を帯びていると考えなくてはならない。
 このことは、見方を変えれば、二つの例はいずれも、「価値」の問題と不可分である、ということでもある。つまり私たちがどんなことを大切に考え、いかなる社会を生きたいのかという観点がなければ、科学や技術についても、それをどのように活用し、あるいは場合によっては制限するのか、方向性や基準が定まらないのである。
 ところで、このような「価値」の議論は、伝統的に、倫理や歴史、政治や経済など、いわゆる人文社会系の知を援用しつつ進められてきた。
 しかし、私たちの社会は、この種の「文理をまたぐ問題」を扱うことに、慣れているとはいえない。要するに、理系と文系の隔たりは、思いのほか大きいのである。ならば、いかなる仕組みが必要なのだろうか。
 実は、日本も含めた先進国を中心に、20世紀の後半くらいからだろうか、すでに具体的な方策が模索され始めている。これは、先月扱った「量子コンピューター」のような新しい技術と、社会がどう向き合うべきか、という課題とも無縁ではない。」朝日新聞2020年1月24日朝刊13面オピニオン欄。

 科学が進歩し、科学者が優秀なら、たいていの問題は予測や対処が可能だというのは、科学を知らない素人の根拠もない願望だと思う。誠実な科学者であれば、完璧な予想や解決などできるものではないと知っている。科学者に言えるのは、いまここまでは分かっていて、この先はよくわかってはいない、ということだが、その結論が政治的困難を呼び込むのを恐れてしまうと、都合の良い結論をねつ造する専門家も出てしまう。
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宇沢弘文『社会的共通資本』を読む 5 米ラディカル左派?

2020-01-22 21:32:50 | 日記
A.農村と都市という構図
 ぼくが大学に入って社会学を最初に習ったとき、社会学というのは人間社会の諸事万端をなんでも取り扱う学問だというわけで、いわゆる「連字符社会学」といって「○○社会学」という科目が並んでいた。なかでも代表的な分野が「農村社会学」と「都市社会学」で、ぼくたちの生きている現代社会は大きく分けて農村と都市があるというわけ。農村と都市とはあらゆる面で異質な社会で、たんに農業や漁業を基盤に成り立つのが農村で、商工業や金融・サービスなど第3次産業で成り立つのが都市というだけではない。人びとのつくる社会関係が農村では村や家といった共同体が優先される(ドイツ語でゲマインシャフトという)のに対し、都市では逆に個人が自由に部分的関係を使い分けるという(同じくゲゼルシャフトという)特徴があると教えられた。
 たしかに当時の日本は、東京のような大都市の生活と、地方の農村部との生活は大きく違っていた。ぼくは東京の繁華街に育っていたが、母の実家が山梨の農家だったから、何度かその甲府盆地の田んぼが広がる農村に連れていかれて、そこでは家から食べ物から風景までまったく違っていて、子どもたちの言葉も遊びもずいぶん違うのでカルチャーショックを受けた記憶がある。それが高度経済成長の始まった頃だった。その後の日本社会は今から考えるとあらゆる面で大変貌を遂げ、今でも農村には田んぼがあるけれども、そこの生活は経済的、文化的に基本的には東京と大して変わらないようになっている。
 「日本の都市の変貌
 日本の都市が第二次世界大戦後五十数年の間に経験した変貌は、その規模、質の両面から歴史上その比をみない。
 この間に起こった都市人口の拡大は著しい。第二次世界大戦前には、都市部の人口は約二千八百万人、全人口の三八%程度であった。大戦中には都市人口が大幅に減少し、終戦時には約二千万人、全人口の三〇%以下となった。その後、都市人口の増加は著しく、現在では九千万人をはるかに越えて、全人口の八〇%以上が都市部に住んでいる。
 日本の都市人口の増加はとくに高度成長期に著しい。一九五〇年代に始まった日本の高度経済成長は、産業的、経済的規模の飛躍的拡大をもたらしたが、人口の都市集中のペースも著しく高まった。とくに三大都市圏への人口集中が顕著で、二十五年間に二千万人近い人口が流入した。この激しい人口流入によって、日本の都市はかつてない規模での経済的、社会的、文化的変動、摩擦を経験することになったわけである。じつは、このような激しい人口移動そのものも、これらの経済的、社会的、文化的諸条件の変化によって惹き起こされたという面ももっている。いずれにせよ、現在日本が抱えている大きな問題の多くは、この時期の都市人口の拡大と密接なかかわりをもっている。都市人口の問題はまさに、私たちが直面する最大の問題であるといえよう。
 社会的共通資本としての都市とは簡単にいうと、ある限定された地域に、数多くの人々が居住し、そこで働き、生計を立てるために必要な所得を得る場であるとともに、多くの人々がお互いに密接な関係をもつことによって、文化の創造、維持をはかってゆく場である。
 都市では、本源的な意味における土地の生産性に依存することなく生産活動を行うことができるという点で、農村とは本質的に異なる。農村では、生産活動が土地と時間を主要な生産要素として行なわれるのに対して、都市における土地利用の規模の機能はきわめて限定的である。しかし、都市において、土地利用がどのような形で行われているかということは、そこで営まれる社会的、経済的、文化的、人間的活動の性格を規定する上で決定的な役割を果たす。都市は文明の顔であるといわれる。このことは一国の中枢的な役割を果たす、いわゆるプライマシーとしての都市の場合、とくに顕著である。これらの都市の諸様相はそのまま、そのときどきの時代的特徴を鮮明にあらわし、その国の政治的、経済的特質を反映するものとなっている。
 日本の都市、とくに東京、大阪などの巨大都市は高度経済成長を契機として変貌をとげた。日本の高度経済成長を支えたのはいうまでもなく投資であった。初期の時点では、投資は主として工業用地の開発、造成を中心とした産業基盤的な資本形成が中心であったが、一九七〇年代以降、生産基盤的な機能を持つ社会的共通資本の蓄積、とくに都市のインフラストラクチャーの形成に大きなウェイトが置かれた。道路、街路、鉄道の整備・建設、電力・ガスなどの供給施設、上下水道の整備、学校、病院などという教育・医療・文化的施設の建設などを中心とした都市のインフラストラクチャーの形成によって、この期間に日本の都市は大きな変貌をとげた。同時に、民間の資金による投資の額も年々巨大な額に上り、企業の建物、個人住宅、社会的、文化的な施設の建設を中心とした私的資本の巨大な蓄積は、社会的共通資本の蓄積と補完的な関係をもって、日本の都市は多様な展開をしてきた。この時期に日本の都市は大いに改善され、その内容が豊かになってきたと思う人は多いであろう。土木工学的、物質的観点からみると、たしかに日本の都市はよくなってきた。街路の構造、建物の質、デザインという点からみて日本の都市はすくなくとも外見的にはすばらしい変化を遂げてきたといってよい。しかし、都市の本来的な機能という面からみて、はたして日本の都市はその物理的、土木工学的外見が示すほどよくなってきたのであろうか。さらに一歩進んで、文化的、社会的、人間的な側面に目を向けるとき、日本の都市の多くは必ずしもよくなったとはいえないのではないだろうか。このような疑問に答えるためには、都市の本来的機能は何かという、より根源的な問題に直面せざるを得ない。
 二十世紀の都市
 二十世紀の都市は、近代的都市計画の理念にもとづいてつくられてきたといってよい。この、近代的都市計画の理念は、イギリスのエベニーザー・ハワードの「田園都市」(Garden City)に始まり、アメリカに渡って、パトリック・ゲッデスによって拡張され、広域都市の考え方に受け継がれていったが、その昇華点は、ル・コルビュジェによる「輝ける都市」(Radiant City)の理念であった。ル・コルビュジェの「輝ける都市」は、都市を一つの芸術作品としてみて、合理的精神にもとづいて、最大限に機能化された幾何学的、抽象的な美しさをもつ。その具体的なイメージは、広々とした空間の中の芝生に点々と高層建築のオフィス、住宅が立ち並び、商店街、学校、病院、図書館、美術館、音楽堂などの文化的施設、公園などがすべて計画的に配置されている。レイアウトは幾何学的な直線あるいは曲線をもち、直線的で、幅の広い自動車道路がすみずみまで行き渡っていて、すべての建物、施設は自動車によって直接的にアプローチすることができる。建築素材として、ガラス、鉄鋼、コンクリート、大理石がふんだんに用いられ、建築物の形態は伝統的な概念を超越して、近代合理主義にもとづいて自由な精神が自由に表現されていて、近代的デザインと機能性をもつ自動車の群れとみごとに調和したものとなっている。ル・コルビュジェは、高度に発達した二十世紀の工業技術と抽象派の芸術とを都市の形に結晶し、具現化したのである。
 しかし、ル・コルビュジェの「輝ける都市」は抽象派の芸術作品としてはすぐれた作品かもしれないが、人間が生活して、人間的交流をもち、人間的な文化を形成してゆく場ではない。ル・コルビュジェの都市では、人間は主体性をもたないロボットのような存在でしかない。
 ル・コルビュジェの「輝ける都市」は、二十世紀の都市の形成、再開発のプロセスに決定的な影響を与えつづけてきた。その、もっとも大きな要因は、ル・コルビュジェの都市を形づくる自動車と、ガラス、鉄筋コンクリートを大量に使った高層建築とが、二十世紀の「企業」資本主義の体制のもとで、望ましい経済的誘因を形成し、政治的な観点からも好ましい条件をつくり出してきたということが挙げられよう。このことは、高度経済成長期から現在にかけての、日本の都市計画のあり方にとくに顕著に現れている。
 近代的都市計画はこのように、都市に住んで、生活を営む生活者としての人間をほとんど無視して、都市計画者自身がもっている単元的、画一的で浅薄な人間像をそのまま投影したものとなってしまった。この傾向は、日本では土地制度の欠陥によって増幅されて、日本の都市の非人間性を一層顕著なものとしているように思われる。
 ここで私たちが提起する「最適都市」(Optimum City)という概念は、いわゆる近代的都市の理念を超えて、都市の中で生き、生活を営む市民の視点からみて、どのような構造をもち、どのような制度をもった都市が望ましいのかということを模索するために導入されたものである。限られた地域のなかに、技術的、風土的、社会的、経済的諸制約条件のもとで、どのような都市的インフラストラクチャーを配置し、どのようなルールないし制度によってそれらを運営したら、そこに住む人々にとって人間的、文化的、社会的な観点からもっとも望ましい生活を営むことが可能であろうかということを求めようとするのが最適都市の考え方である。以下に展開される諸節は、このような意味での最適都市を考えるときに、どのような点に留意して、どのような形で思考を進めたらよいか、という課題に答えようとするものである。」宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000年、pp.94-99.
 日本が20世紀後半に実現した高密度の機能的都市社会は、ある意味で江戸時代以来続いていた農村社会というものを駆逐してしまった。人びとの多くはそれを、生活の利便性やモノの豊かさを獲得する効率的な社会の進歩として受け容れ、古い農村的なものがなくなるのは仕方のないことだと思っていただろう。しかし、自動車や飛行機、新幹線や高速道路に象徴される現代社会の現実は、宇沢先生に言わせれば決して望ましいものばかりではなく、その発展はむしろ大きな問題を抱えている。ここから脱出するには、望ましい人間のあり方を実現する「最適都市」の追求が必要だというわけだ。さて、それはどのようなものになるのか?


B.アメリカからラディカルが出る?
 先頃、内田樹と姜尚中の対談集『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』集英社新書 2016というのを読んだら、その中に内田氏のこういう発言があった。アメリカ大統領選でバーニー・サンダースという社会主義者が注目されたのは、アメリカという国は1950年代初めに左翼への徹底した弾圧をやったマッカーシー(上院議員)とフーバー(FBI長官)のおかげで、社会主義や左翼というものを体験的にも知識としても知らなくなり、今の若い世代のアメリカ市民には社会主義的な主張は「びっくりするほど新鮮」に映るんだろう、と。日本やヨーロッパは、1970年代まで左翼や社会主義の知的影響力は大きかったので、右翼は馬鹿にされていたけれど、アメリカだけは左翼にあたる社会主義的主張や政党はほぼないに等しかったし、ヴェトナム戦争までは反共思想は根強かったこともある。それが今はトランプのせいで、排外的ナショナリズムが強まり、その対抗的立場として左翼が登場しているのかもしれない、というわけだ。
 このグレン・ワイルという若い政治経済学者も、べつに自分を左翼の社会主義者だとは言っていないが、その主張はかなりラディカルな変革を主張していて、しかもこの人は、マイクロソフト社にいて、デジタルIT技術にも通じているらしい。
 「ラディカルにいこう インタビュー 米政治経済学者 グレン・ワイルさん
 私有財産を廃止し 「利用券」を売買 独占妨げ有効利用
  私有財産も、1人1票も、廃止しよう――。「資本主義と民主主義の国」たる米国で、34歳の学者がその前提や常識に疑問を突きつけ、世界で論争を呼んでいる。成長が鈍り、格差だけが広がる資本主義を乗り越え、デジタル時代の民主主義を機能させるための「ラディカル」(根本的・急進的)な処方箋とは。
――「ラディカル」な変革が必要なほど、世界は病んでいますか。
 「この30~40年間で世界に浸透し、人々をバラバラにしてきた新自由主義の秩序に、深い不満と危機感が広がっています。技術の進歩に社会制度が追いついていない。デジタル時代に見合う制度に革新すべきです」
――現状を「スタグネクオリティー」と呼んで問題視していますね。低成長(スタグネーション)と格差の拡大(インネクオリティー)が同居する状態だと。
 「醜い造語です。でも、現実はさらに醜いですよね。ごく一握りが経済を支配していることが問題の根本です。米国はかつてひろく生産拠点が散っていましたが、今はシリコンバレーやニューヨークなど数都市に経済が集中し、不動産の高騰で移住も難しい。土地の所有者や起業家が利益を独占んし、インフラ投資もしないからです」
 「多くの地方ではアマゾンの倉庫やウォルマートが圧倒的な雇用主になりました。しかし、他に職場がないため競争相手がおらず、給料は抑えられています。安い賃金では働かない人もいて、人々の能力がムダになっています」
――市場任せが悪いのですか。
 「学生時代、ウォール街でインターンをしました。デリバティブで荒稼ぎをしましたが、実際にやったのは有害な金融商品をばらまいただけ。2年後に金融危機が起きました。市場自体が悪いのではなく、誤った方向をむき、少数の専横を許す今の仕組みが問題です」
――トランプ米政権は人々の不満をエネルギーにしています。
 「他国と緊張を生みだし、企業に利益誘導し、雇用を増やさせる。政策は戦前のドイツやイタリアの穏やかな焼き直しです。まったく生産的ではありませんが、トランプ氏当選は米国や世界に良いことだったとすら考えます。現状維持とは全く違う何かが必要だと、人々に気づかせたからです」
――では左派はどうですか。
 「問題の解決を国家に託すところが根本的に弱い。左派が忌み嫌う独占企業と同じぐらい、国家も問題だらけです。そもそも国家は多数派に従う。その多数派が、トランプ氏を選んだのです、左派が提唱するものを突き詰めると、彼が今よりも権力を持ちうる世界を想像しなければなりません」
――「第三の道」を唱えた英ブレア政権などmかつて欧米の中道左派政権が国家と市場の「いいとこ取り」を試みました。
 「現実は『悪いところ取り』でした。米クリントン政権が典型です。増税で経済をゆがめ、金融の規制緩和で経済危機の種をまき、民主主義の劣化を招きました。求めるべきは中途半端な『ハーフ&ハーフ』ではない。ミルトン・フリードマンの自由主義より市場の利点を追求し、かつ、カール・マルクスの社会主義より平等や協働をめざす社会です」
――そんなこと、できますか。
 「できます。具体策を一つ挙げましょう。私有財産の廃止です。言葉の本源的な意味で、私有財産は独占です。他の人が有効に使える資産でも、所有者が高い価格をふっかけてそれを妨げることができます。そこで、不動産や工場、通信に必要な周波数など大半の資産を社会全体で共有するのです」
――共産主義ですか。
 「いえ。企業や個人はその資産の利用権を市場で売り買いする。資本主義か社会主義か、という対立を超えた新しい経済が可能になります。アプリなどの技術を駆使して対象となる資産を広げていきます」
――どうやって売買しますか。
 「自分が利用権を持つ資産の価格は、好きに設定できるようにします。共有資産ですから、利用料として価格を基準に定立の税金を毎年かける。すると価格のつり上げは防げます。同時に、その価格で買いたい人が出たら、必ず売り渡す決まりも設ける。今度は低すぎる値段にもできず、資産への評価が適切に価格に反映されます」
――それがなぜ格差を減らし、成長につながるのですか。
 「たとえば税率を7%に設定すると、将来見込める収益がその分減り続け、計算上、資産価値は3分の1に目減りします。格差は縮まります。共有資産の利用料として集めた税金を、ベーシックインカムなどの形で全員に還元することでさらに平等になる。土地や資産が最も必要とする人へと柔軟に移り、成長も加速します。税率さえ工夫すれば投資意欲は維持できる。真の市場経済です」
――市場機能の強化は、社会をさらに不安定にしませんか。
 「そうは思いません。今は不動産所有者ら『持てる者』だけが非常に安定する一方、労働者や賃借人ら『持たざる者』は不釣り合いに不安定でした。新たな仕組みでは、だれもが社会の全資産について部分的な所有者になり、その利益に浴せる。これまで人々を分断し、孤独へと追いやってきた市場のシステムを、人々をつなぎとめるものにデザインし直すのです」
――いまや独占といえばデジタル空間です。グーグルやフェイスブックといった巨大プラットフォームは分割すべきですか。
 「政治権力としての王を許さないのと同様、生産や販売においても王の存在を認めない、という考え方が独占禁止の原則です。ただ王を殺してしまわずに民主主義の中で説明可能にしておく、という手もある。巨大プラットフォームを分割すると便利さが損なわれるなど不利益も大きい。それより、新しい形の『デジタル民主主義』を打ち立てることが重要です」
――どういうことですか。
 「今のデジタル経済は封建制と同じです。利用者は小作人。プラットフォームという領主の土地に住ませてもらい、こつこつ耕す。データという『収穫』は領主が召し上げる。問題は、小作人にはよそに移る自由も、仕組みを改善させる動機もないことです」
 「データ提供を『労働』と位置づけ、その対価を払わせる制度をつくることで、封建性を脱し、民主主義を実現できます。利用者は労働組合を参考にした『データ組合』のような組織で対抗する。生産したデータに対するコントロールを取り戻すのです」
――民主主義といえば、その大原則とされてきた「1人1票」も問題だと主張していますね。
 「民主主義の原理は、政府が人々の利益に基づいて行動することです。1人1票の多数決では少数派の利害が反映されません。同性婚がなかなか認められなかったのも、そのせいです。かといって裁判官に判断を託すのも望ましくない」
――ではどうすれば。
 「ここでも市場の力を使います。有権者に一定のポイントを配り、それを元手に票を『買う』仕組みです。関心や切実さに応じて、特定の議題に複数の票を投じられるようにします。同性婚問題なら、無関心な多数派は少ししか投票しない一方、切実な当事者はできるだけ多く票を投じようとするはずです」
 「票を多く投じるほど、1票あたりの『価格』が高くなるような設計が大事です。1票に1㌽必要なら、2票には4㌽、3票は9㌽。票数の2乗の値付けをすると、例えば10票買うには100㌽も必要になります。強い選好を持つ少数者による極端な買い占めを防ぎつつ、その利益を十分に反映できます。米コロラド州議会では、予算の優先順位をめぐる議員の思いの強弱を反映させるため、この仕組みを実践済みです」
――一般市民が移民の身元を引き受けて利益を得る仕組みなど、幅広く斬新な提言をしています。
 「通底するのは、社会制度を改良できるテクノロジーとして扱うべきだという考え方です。電報あら電話へ、テレビへと進んだように、制度も発明や飛躍的な改良が可能です。また民主主義と市場がお互いを必要としているという考えも根底にあります。企業や市場を民主化するとともに、投票を市場化しなければなりません」
――急進的すぎる提案は、逆に現状維持に加担しませんか。
 「この危機にあたっては、ラディカルな構想で社会の目指すべき姿を示し、人々を触発することが欠かせません。アマゾンを創業したジェフ・ベゾス氏を見てください。全産業を変革するきわめてラディカルなビジョンがあるからこそ、そこに至る具体的な手立てを着実に打っていけるのです」
――世界のリーダーが集う世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で21日に登壇します。
 「彼らは資本主義の本質を再考し始めていますが、十分に創造的になれるのかは心配です。私の役割は、彼らの思考を遠くまでもっていく手助け。圧力が充分に高まったとき、実際に変革を起すのはしばしばエリートなのだから」 (聞き手・江渕崇)」朝日新聞2020年1月21日朝刊13面、オピニオン欄。
 日本は20世紀の終わり頃まで、少なくとも論壇という世界では左翼的言論が影響力をもっていて、右翼的な主張をすると馬鹿にされていたと思う。だが、その頃から右翼の対抗的言説が密かに逆転戦略を練っていて、21世紀に入ると一気に日本会議的な極右路線が表に出て、大衆的な世論形成に力を持ってしまったと思う。それが安倍政権の文化的基盤にもなっただろうが、それは復古的ナショナリズムが色濃く、新しい望ましい社会の構想にはなりえないし、ラディカルな思考とは逆のものにしかぼくには思えない。
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宇沢弘文『社会的共通資本』を読む 4 スポーツ指導の病

2020-01-19 15:28:54 | 日記
A.共有地の悲劇
 地球上で人が利用できる土地には限りがあり、海や川は私的所有の対象にはならない、ということは誰でも知っている。海は誰のものでもなく、魚などの水産資源はそれを獲る漁業権があるだけで、勝手にここは自分の海だから立ち入り禁止などとはいえない。陸上の土地も、すべて所有者があるわけではなく、山林、原野などの多くは共有地(コモンズ)であり管理は公共の手で行われるのが普通だろう。歴史的にも共有地の利用は世界各地で行われていたし、その共有権という考え方は一定の根拠をもっていた。しかし、希少資源の最適配分は市場における自由競争によって実現するとする近代経済学の「前提」からは、この共有地問題は理論上の争点になる。
 「一九六八年、生物学者のガーレット・ハーディン(Garett Hardin)が、『サイエンス』(Science)に、「共有地の悲劇」(“The Tragedy of the Commons”)と題する一文を寄稿した。それは、一九三三年、ウィリアム・ロイド(William Lioyd)という無名の人の書いた文章を引用して、共有地が必然的にそのキャパシティを超えて過剰利用され、再生の能力を失って、崩壊せざるをえないという命題を打ち出したものだった。以後、「共有地の悲劇」をめぐって、文化人類学者、エコロジスト、経済学者たちの間で一つの大きな論争が展開されてきた。共有地論争はまた、持続可能な経済発展(Sustainable Economic Development)というすぐれて現代的課題を考察するさいに、中心的な役割を果たすことになった。このような意味からも、ここで、ハーディン論文に端を発する共有地論争の概要を説明し、さらに社会的共通資本の理論との関係について述べることにしたい。
 ロイドは当時、人口問題と労働問題にかかわる論争に関わっていた。共有牧草地の特徴として存在するすべての人々が利用する権利(共有権)をもつ。その結果、共有地は必然的に過密となり、牧草は枯渇し、牧草地は結局消滅してしまうことになると主張したのである。ロイドはさらに進んで、労働市場も同じような性質をもち、供給過剰となり、賃金水準の低下を惹き起こし、結局、労働者階級の窮乏を将来することを憂えたのであった。ハーディンの議論は、この、ロイドの命題を現代的に書き直したものである。何人かで共有している牧草地について、たとえ、これ以上利用すれば、その条件が著しく悪くなることが明らかになっていても、一人一人にとって、家畜をふやすことによって直接的に得られる限界的便益は、牧草地全体の条件が悪化することによって被る限界的被害より大きいかぎり、家畜の数をふやそうとするであろう。一頭の家畜をふやすことによって得られる限界的便益を一とすれば、牧草地の条件が悪化することによってこうむる限界的損失はその何分の一かになるのが一般的だからである。一人一人の個人が合理的行動をおこなっていても、全体としてみたときに、不合理な結果を生み出してしまうことになるというのが、ハーディンの主張であったのである。
 ハーディン論文を契機として起こった「共有地の悲劇」論争には、二つの大きな流れがある。第一は、「共有地の悲劇」は、希少資源の私有制が欠如しているために起こるという伝統的な新古典派の考え方である。これに反して、第二の視点は、共有地の制度的条件にかかわるものであって、経済学の考え方に即していえば、ソースティン・ヴェブレンの制度学派の流れを汲むものである。
 もともと、ロイドの議論、そしてハーディンの論点も同じように、「共有地」の概念に対して否定的な理解から出発していた。ロイドの言葉を借りるならば、共有権を分割して私有化することによって、人々は、自らの行動の結果を、良きにつけ、悪しきにつけ、自らの責任のもとに処理せざるをえなくなり、おのずから合理的な選好を迫らざるをえなくなる。デムセッツ(Demsetz,1967)あるいはフロボトン=ペジョヴィッチ(Furoboton and Pejovich, 1972)がより現代的なかたちで表現しているように、共有権を分割して、私有制を導入することによって、費用と便益とをともに内部化することが可能になり、不確実性を減少し、個々人が環境に対してもつ責任の所在が明確化され、希少資源をより効率的に配分することが可能となる。共有地制度のもとでは、市場のメカニズムが十分に働くことができないのであって、私有化することによってはじめて、アダム・スミスのいう市場の「見えざる手」が働くことができるというわけである。共有地論争における第一の、新古典派的発想は、経済学の考え方の中に根強く生きつづけてきたもので、一九七〇年代から八〇年代にかけて、レーガン、サッチャー、中曽根の政治思想に象徴されるように、多くの資本主義諸国が現に直面している世紀末的現象を生み出すのに決定的な役割を果たしたことはさきにも述べた通りである。
 新古典派的発想に立って、「共有地の悲劇」を分析しようとする人々は、共通して、私有制か、あるいは国家権力による統制かという二者択一のかたちで問題を提起する。そして、国家権力による統制がもたらすさまざまな弊害を論じて、共有地を分割して、私有化し、市場のメカニズムを貫徹させるときにはじめて、私的合理性と社会的合理性とが矛盾なく統合されるという主張を展開する。しかし、現実に存在し、かつ機能してきた多くの共有地に対して、このような二者択一的なアプローチをすることはできない。ハーディン論文以来、伝統的な共有地がどのような形で組織され、管理されてきたかについて、数多くの研究がなされてきた。
 たとえば、灌漑用水については、イランのボネー(boneh)、スペインのエルタ(huerta)、フィリピンのザニェラ(zanjera)、インドネシアのスバク(subak)などについてはくわしい研究が発表されている。沿岸漁業についても、日本の入会制度に始まって、イタリーのヴァーリ(valli)、西アフリカのアカディア(acadja)にかんする研究があるし、牧草地については、この論争の出発点であったイギリスの牧草共有地にはじまって、モロッコのアグダル(agdal)、中東地域アラブのヘマ(hema)、マリのディーナ(dina)などについての研究が存在する。森林についても、日本の入会地制度、インドのジャム(jhum)、マレーシアのラダン(ladang)、フィリピンのカイニィン(kaingin)など数多くの共有地制度についてくわしい研究がなされている。これらの歴史的、伝統的な共有地の制度にかんする研究からみて、デムセッツたちの主張について、その実証的根拠が疑われ、その理論的帰結が妥当しないことが明らかになってきた。
 デムセッツたちの共有地の概念が、明示的ではないにせよ、前提としているいくつかの条件がある。第一は、いわゆるオープン・アクセスの条件であって、共有地は、だれでも自由に利用することができるという前提である。普通コモンズといわれている共有地は、ある特定の集団あるいはコミュニティにとって「共有」であって、その集団ないしはコミュニティに属さない人々にとって、コモンズはアクセス可能ではない。この点にかんして、法的には、自然資源は、自由財であって、すべての人々にとって自由に利用されうるものという規定がおかれている国は多い。とくに西欧諸国についてこのことは妥当する。たとえば、アメリカでは州によっては、海洋資源はすべて、魚分野を含めて、何人によっても私有されず、すべての人に属するという法律が存在する。このような前提に立つとき、コモンズは、オープン・アクセスの条件を満たすことになる。しかし、歴史的なコモンズについては必ずしもこの前提はみたされないし、また、コモンズのあり方について考察を進めようとするとき、この前提に拘束されない方が望ましいように思われる。
 第二の条件は、コモンズを利用しようとする人々は完全に利己的動機にもとづいて行動し、常に個別的な便益の最大を求め、社会的な行動規範ないしはコミュニティの規約には制約されないという仮定である。しかし、コモンズについては、その集団にないしはコミュニティに属している人々は、コモンズの利用にかんして、歴史的に定められたルールにしたがって、行動することを要請されているのが一般的である。たとえば、日本の森林入会地の場合に典型的にみられるとおりである。
 第三には、コモンズの希少資源は必ず過剰に利用され、枯渇してしまうという前提条件である。この前提条件については、個別的なコモンズにかんして妥当するか否かが判断されるべきで、ア・プリオリに、その結論を規定することはできない。
 コモンズの概念はもともと、ある特定の人々の集団あるいはコミュニティにとって、その生活上あるいは生存のために重要な役割を果たす希少資源そのものか、あるいはそのような希少資源を生み出すような特定の場所を想定して、その利用にかんして特定の規約を決めるような制度を指す。このように、コモンズというときには、特定の場所が確定され、対象となる資源が限定され、さらに、それを利用する人々の集団ないしはコミュニティが確定され、対象となる資源にかんする規制が特定されているような一つの制度を意味する。デムセッツたちが念頭に置いていたのは、ある特定のコモンズであって、しかも、そこで前提されているような制度的条件をみたすようなコモンズはきわめて特殊であって、例外的にしか存在し得ない。いわば、コモンズの名に値しないようなものを対象としていたといってよい。
 伝統的なコモンズは、灌漑用水、漁場、森林、牧草地、焼き畑農耕地、野生地、河川、海浜など多様である。さらに、地球環境、とくに大気、海洋そのものもじつはコモンズの例としてあげられる。これらのコモンズはいずれも、さきに説明した社会的共通資本の概念に含まれ、その理論がそのまま適用されるが、ここでは、各種のコモンズについて、その組織、管理のあり方について注目したい。とくに、コモンズの管理が必ずしも国家権力を通じて行われるのではなく、コモンズを構成する人々の集団ないしコミュニティからフィデュシアリー(fiduciary:信託)のかたちで、コモンズの管理が信託されているのが、コモンズを特徴づける重要な性格であることに留意したい。また、所有権の概念について、アムセッツたちの前提としているような単純な論理的所有関係ではなく、特定の社会的条件のもとで、歴史的に規定された複雑な内容をもつのが、コモンズについて一般的であって、権利、義務、機能、負担にかんする輻輳した体系から構成されている。マリノフスキーが、その古典的なトロブリアン諸島における所有制度の研究で明らかにしたように、コモンズの統制者は、私有制か、国家統制か、という単純な二者択一的関係ではない。この点にかんして、興味深い研究が、いくつかの代表的なコモンズにかんしてなされている。マッケイとアチソンの編集による『コモンズの問題―共有資源の文化とエコロジー』(B.J.McCay and J.M.Acheson, The Question of the Commons; The Culture and Ecology of Communal Resources, The University of Arizona Press, 1987)に発表されたいくつかの論文が、その代表的なものである。北極圏、アマゾン流域、パプア・ニューギニア、アメリカにおける採集、漁猟コモンズに始まって、インドネシア、アイルランド、スペイン、エチオピア、ボツワナにおける農耕、牧草、海洋にかんするコモンズ、さらに、マレーシア、アイスランド、カナダにおける水産業にまで及んでいる。 
 日本のコモンズの制度についても数多くの研究がなされている。灌漑溜池、森林の入会制、漁業協同組合の制度などについてである。とくに灌漑溜池については、空海による満濃池の大修築と溜池灌漑の管理にかんするコモンズの制度が、たんに歴史的な意味だけでなく、持続可能な農の営みというすぐれて現代的な意味をもつものとして注目されている。空海は、八〇四年、三十一歳のとき、入唐留学の僧にえらばれ、二年間、長安に留学した。空海は、中国の東晋時代の高僧法顕の書物を通じて、スリランカの溜池灌漑にかんする技術を学んだのである。法顕は、三九九年、インドに仏典の勉強に行くが、当時のインドにはすでに仏教はほとんどなくなっていた。法顕は、そこで、当時世界の仏教の中心であったスリランカに行き、二十年近く経ってから故国に帰った。法顕は、スリランカで、仏教だけでなく、広く学問、技術を学んだ。とくに溜池灌漑を中心としたスリランカの農業についてくわしい研究を残している。スリランカは一世紀から三世紀にかけて、シンハリ文明として、世界で最高の水準の水利文明を誇っていた。それは、溜池灌漑の土木技術を中心としたものであった。
 満濃池は周囲二十キロメーター、水面面積一四〇ヘクタール、灌漑面積四六〇〇ヘクタールの日本最大の灌漑溜池である。八世紀の初め、創築されたが、あまりにも巨大なため、間もなくこわれてしまった。八二一年、空海は勅命をうけて、総監督として満濃池の修築にあたった。そのとき、空海は、法顕から学んだスリランカの溜池灌漑の土木技術を使ったのである。空海による満濃池の大修築は、日本の土木史をかざる歴史的な工事として今に残っている。空海はまた、溜池灌漑の管理にかんするコモンズの制度も導入して、日本の農業の生産性の飛躍的発展の基礎をきずいた。」宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、2000年、pp.78-87.
 コモンズをめぐる議論は、いまや温暖化が深刻化した地球環境問題に結びつく重要性を喚起する。それにしても、ここで空海の満濃池が出てきたのにはちょっと驚くが、なるほど遣唐船に乗って長安に行った空海は、二年間という短期間でたんに真言密教の経典や儀礼を学んだだけではなく、はるか遠くの仏教国スリランカでの灌漑技術までしっかり学んで帰ってきたんだな。すごいことである。

B.‟日本的”スポーツ界の病はスポーツだけではない?
 日本のスポーツ指導のあり方は、ときどき監督やコーチの暴力的指導やパワハラ事件などで表面化するたびに、関係者は謝罪し世間は顔をしかめるが一向になくならない。問題は、そういう次元だけではなく、スポーツを子どもたちに教える人の考え方がそもそも時代遅れなのではないか、という話が新聞に載っていた。
 「多事奏論 岡田武史さんの挑戦 主体性を育み社会変えたい  編集委員 稲垣 康介 
 サッカー元日本代表監督、岡田武史さんに師走に会った時、さらっと言われた。
 「おれ、今は前よりかなり良い指導者になってるよ」
 Jリーグ連覇も経験した知将は大言壮語とは正反対なタイプだけに確信があるに違いない。サッカーの指導法をまとめた「岡田メソッド」(英治出版)を出版するタイミングだった。読んでみると単に戦術の指南書ではない。4年近く悩み抜いた末に編んだ学術書、いや哲学者の趣である。
 目からうろこ、の衝撃を受けたのは6年前の夏。スペインの強豪クラブ、FCバルセロナの指導者に驚かれた体験だった。
 「スペインにはプレーモデルというものがある。その肩を選手が6歳になるまでに身につけさせる。その後は、選手の自由にさせる。日本には型がないのか?」
 サッカーは野球と違い、攻守を交代しない。敵味方が入り乱れ、攻守はめまぐるしく変わる。だからポジショニング、味方へのサポートなど攻守の原則を体系化した「プレーモデル」が必要で、その土台を16歳までに習得させるのが大切と説かれた。
  •         ◎         ◎ 
 岡田さんは、日本は順序が逆だったと感じた。子どものときは教えすぎずに自由にドリブルなど個人技を磨かせ、高校生から監督のチーム戦術にはめ込む。だから、選手が状況に応じて柔軟に判断するのが苦手で監督の指示を仰ぎたがる。「2006年や14年のW杯日本代表は良いチームだったのに、初戦で逆転負けするとガクッと来て1次リーグで敗退した。選手が自立していなかった」と岡田さんはみる。
 互いの主張をぶつけあう外国と違い、日本は伝統的に和を尊び、同調圧力が働く。コーチに従順な上意下達も根強い。だからこそ、早く原則を習得させ、その後の創造性、主体的な判断を促す。日本人にこそ必要な指導理論という確信に至った。
 すぐ行動に移した。早大の先輩が経営し、四国リーグだったFC今治(愛媛)の運営会社の株式51%を買い、オーナーとなった。このコラムで、指導法を詳細に解説する余裕はないけれど、岡田さんはFC今治の15歳以下チームの紅白戦での体験を楽しそうに明かす。「前半、圧倒されていたチームにおれが指示を出したら後半ガラッと変わったわけ。昔の自分なら『怖がらずにサポートしてやれ!』とか抽象的な言葉でしか説明できなかった。今は原則を理解させるための専門用語を共有できるから、選手に指示の意図を理解させやすい」
 FC今治は今季、Jリーグ3部(J3)に昇格した。もっとも、岡田さんのメソッドは「16歳までにたたきこむこと」だから、トップチームで理論が体現されるのは、まだ先。「2025年にはJ1で常時優勝争いをする」ことを目標に掲げる。
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 岡田さんがめざすのは、強いサッカーチームを作ることだけ、ではない。
 日本財団が昨秋、9カ国の17~19歳に尋ねた調査で、「自分で国や社会を変えられると思う」と答えた割合は日本が18.3%の最下位だった。「日本には自分で決めて自ら行動する自立した国民が必要だ。今は何かに従っている方が安泰で、とがったことはしないという雰囲気を感じる」と話す岡田さんの憂慮と重なる。
 スポーツが突破口にならないか。サッカー元日本代表のラモス瑠偉さんの口癖を借りれば、監督にでも自身の主張を盾に「冗談じゃないよ」と食ってかかる主体性を培ってほしい。岡田さんはそう願う。残念ながら、今も日本で相次ぐコーチの体罰、パワハラの根絶にもつながると信じて。
 「スポーツから社会を変えるのは簡単じゃないけれど、僕らがずっと考えてきたことなんだよね。それが究極の目標だよ」
 「僕ら」。親交が深く、4年前に53歳で急逝したラグビーの平尾誠二さんの遺志が、岡田さんに情熱をともしつづける。」朝日新聞2020年1月18日朝刊15面オピニオン欄。

 自立とか自己決定とか、主体的な積極性などと言葉では言っていても、日本の体育会系風土の文化には、集団や上の命令に従順に従うのが当り前というような気分は強いと感じる。それに礼儀とか規律とかいってかなり恣意的な精神論を子どもに刷り込む指導者もかなりいるのではないか。それが結果として、「上に逆らうと結局損する」「言われたことだけやればいい」「自己主張する奴はいじめられる」という暗黙の常識が、学校を始めいたるところで子どもたちに教え込まれるのかもしれない。これはスポーツに限ったことではない。岡田さんのサッカー指導は、外国に学ぶことで違った道を会得したのだろう。問題は6歳までに、は無理としても、中学生までの教育をもとから変えないとこの国の未来は駄目になるような気がして心配だ。
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