gooブログはじめました!

写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

「能」を知る 8  文化の階層性がなかった? 賃上げの効果

2024-03-29 22:07:04 | 日記
A.初期の能は万人が見た
 能楽は江戸時代には武家のための芸能で、江戸城をはじめ各藩の藩主がいるお城の御殿には能舞台があって、しかるべき儀式や祝日などに「式楽」として上演されていた。能役者も上級者は武士として禄をとり代々その技を伝承していたといわれる。能は武家の楽しむもの、歌舞伎や浄瑠璃は町人のための芝居、農民や漁民にはそれぞれ独自の芸能があったと想定するなら、身分制が明確だった江戸時代の文化は、階層性を反映したものだとぼくは思っていた。しかし、この対談の中で、世阿弥の時代の能は野外の河原などで演じられ、観客は将軍や貴族もいれば、一般庶民もいて身分を問わず開かれた芸能であったという話が出てきた。加藤周一がそういう指摘をしているというが、ぼくは知らなかった。江戸時代には武家の式楽として制度化されてしまったのだろうが、少なくとも足利義満の時代には、能がとくに武士だけに見せるようなものではなく、誰が見てもよいような芸能だったとすれば、やはりそれが新しい芸能として登場したことの清新な表現が、身分や階層を超えるような性格を持っていたと考えられるのは興味深い。
 なお、ここで観世清和氏と内田樹氏のほかにこの対話に加わっている松岡心平という方はいかなる人か、僕は知らなかったので、この本の著者紹介をひいておく。
松岡心平:1954年岡山生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は日本中世文学、日本中世芸能。能楽研究の第一人者として著書・共著書多数。「橋の会」運営委員を務め、復曲上演等の滑動をはじめ、観世能楽堂、国立能楽堂での講演など能の普及と発展に尽力。近著に編集委員も兼ねる『能を読む』シリーズ全4巻『角川学芸出版』ほか。とある。つまり能に関する研究家として権威ある人のようだ。

「内田 しかし世阿弥という人は本当に何でも知ってる人ですね。
松岡 そうですね。
内田 古典・漢籍・仏典にいたるまで知らないことがない。
松岡 と思いますね。
内田 前に安田さん(ワキ方・下掛宝生流)からうかがった話では、江戸時代の武士たちが能を稽古したのは、謡をそらんじていると、それだけで基礎的な一般教養が見に付くからだということでした。確かにひとかどの侍として知っておくべき基礎的なことが能にだいたい書いてありますからね。長くお稽古すれば、単語一つ聴いただけで、それに関連する物語がひとまとまりすると口を衝いて出てくる。だから、能楽の稽古は趣味じゃなくて、リベラルアーツ教育なんだ、と。
松岡 リベラルアーツの教育には能をすべきだという(笑)。
内田 ほんとにね。そうですよね。そうすればいいのに。謡の詞章には日本人の美意識とか死生観とかを形成することになったもろもろの文化的要素も累積していますし。漢籍あり仏典あり、『万葉集』あり『新古今和歌集』あり、『源氏物語』あり『平家物語』あり、さまざまなところからの引用が織り畳まれている。シェークスピアを観た当時のイギリスの観客が「この芝居の台詞、全部ありものの引用じゃないか」と怒ったという話がありますけれど、世阿弥の同時代の観客の中にも「世阿弥という人は引用だけで話を書いているね」と思った人もきっといたと思うんです。
 大瀧詠一さんが‘50年代’60年代のアメリカのポップスを4小節ずつ並べてまとめて一曲を作るということをしていますけれど、聴く方は次々と知っているフレーズが出てくることを楽しむわけです。だから、世阿弥のリアルタイムの観客も「あ、これはあれからの引用だな、これはあそこから……」という「出典探し」を楽しんでいたのかも知れませんね。
松岡 その楽しみ方というのはとてもあったと思いますね。ですから能のことをダムにたとえて言った人も……三島由紀夫なんか、確かそんなことを言ってたと思うんですが。それは引用でもあるわけですけれども、漢籍も含めて、日本の古典が全部能のなかに入ってきている。「それはやっぱり新しい演劇がそこで立ちあがったということだと思うんです。新しい革袋ができて、そこに全部入っていくという湯女、そういうことが世阿弥のときに起って、世阿弥はその真っただ中にいてそれをやった人。
内田 それを一人でやったというのがすごいですね。
松岡 ほぼ一人で。半分ぐらいは一人でやりましたからね。
内田 先行するほとんどの芸能を全部吸収したわけですからね。舞踊も音楽も、文学も歴史も、宗教も儀礼も入れ込んで一つの演劇ジャンルにしてしまった。こういう発想が今の日本にはいちばん足りない気がしますね。いろいろな情報が全部ばらばらになって、それぞれの分野に専門家がいる。「この分野に用事があるなら、あの専門家のところに行って聞きなさい。私は知らない」というふうに全部ばらけてしまっているでしょう。これ一つやっておけば基本は一通り押さえられるものって、もうないじゃないですか。教養主義が崩壊した理由の一つは能のような「これ一つで全部カバーできる」という安定したベースがなくなったからかもしれませんね。日本だけじゃなくて、世界のどこの国でも、もうそういうような国民的教養の基礎になるようなものって無くなりましたね。
松岡 だから、今日『松風』をやると『松風』の世界ですけれども、『鵜飼』をやると全然別の世界に行きますし、日本の歴史や文化のほとんどすべての世界に行けるというところがあって、そこは能を研究する楽しみですね。
内田 能のことを一般の方は一つの完成した古典芸能というふうにできあがったものを静止的に見ているわけですけれど、実際にはそれが成立するためには、たいへんな力業があったわけですよね。先行した芸能ジャンルを貪欲に取り込んで、一つの総合的なジャンルにまとめ上げたわけですから。能楽が成立したときのダイナミズムって、現代人にはなかなか想像できないんじゃないかな。
松岡 その時代はすごかったでしょうね。
内田 タイムマシンがあったら、リアルタイムで『藤若』(二条良基から拝した童名)と言われていた時代の世阿弥を見たかったですね。
松岡 観阿弥が出て、それを世阿弥が引き受けて、世阿弥の息子元雅、それから金春禅竹という娘婿がいますよね。だいたいその四人、三代ぐらいの間で基本的なことは全部やっちゃうわけですね。だから百年たたないぐらいで、その中心に世阿弥がいるわけですけれども、三代続けて天災が出ているということですね。これでとてもすごいものができちゃったんだな、という。
内田 天才が三代続いて、十人くらいの天才的なパフォーマーたちが集まって、短期間に一つの芸術ジャンルを集団的に完成させた。これは芸能史的にもなかなか類を見ない事件じゃないかと思うんです。世界の芸能史を見ても、三代続いて天才が出て、一つの芸能を完成させたなんていうケースってあまりないでしょう。古典音楽の成立期とか、あるいはモダンジャズの完成期とかには多少似たことがあったのかもしれませんけれど、お互いに顔見知りの人たち、それも親族が集まって650年続く芸能ジャンルを完成させたことなんて、珍しいことだと思うんですよね。
松岡 それと階層的には低いところにいた人たちが、足利義満あるいは二条良基みたいなとてもすごい権力者たちと結びついて、それが全体として一つの運動になっていくという時代だった。
内田 全階層が享受したわけですよね。性別問わず、身分問わず、年齢問わず、職業の貴賎も問わないで、みんなが能に熱狂した。
松岡 ですから京都・四条河原の「桟敷崩れ」の勧進田楽というのが1349年にあるわけですけれども、河原という非常に境界的な場所に桟敷をこしらえて、そこで勧進田楽を行うわけです。そこにお忍びではあるけれども二条良基も行くし足利尊氏も行っていて、それで桟敷が崩れちゃってみんな怪我しちゃったもんだから、何でお前たちこんなところに来てるんだみたいな落書が。出るわけですよね。
 これは加藤周一さんが早くに指摘してますけれども、いちばん上からいちばん下までの人が同じ劇を楽しむという劇場が、そこで出現していること自体がとても奇跡的なことだと思うんです。江戸時代になると、そこまでの全階層性を含むエンターテインメントはないと思うんですね。そういうエネルギーのなかで観阿弥・世阿弥たちも頑張って作っちゃったというところがすごい。
内田 そういう創造の現場に立ち会っている時って、自分たちが世界史的な事業に関与しているという高揚感がきっとあったと思うんです。もしかすると、これは歴史に残るようなものすごい芸能を今自分たちは作りつつあるぞというような実感がきっとあったと思うんです。そうじゃなかったらこんなものできませんよ。実際に、能から後、全階層的に支持されるような芸能ジャンルって、日本の歴史ではもう出てこないですよね。ですから、ここに日本人の心性の原点があるような気がするんです、特定の特権階層や磨かれた感覚や洗練された美意識を持ってる人たちだけに選択的に享受される芸能じゃなくて、貴族から下層民にまで超階層的に享受されたものって、能の他には見出しがたい気がするんです。これから後の近世の芸能って、どうしても特定の社会集団のものになってゆきますから。能に日本人の集合的無意識が集約されていると言っていいんじゃないでしょうか。
松岡 そうですね、日本の美意識の問題で言いますと、能のどういうところに。
内田 先ほど松岡先生がおっしゃったとおり、『松風』の場合、原型になっているのは労働歌ですね。汐汲みという下層の労働者の生活感や、身振りや言葉遣いを微分的に切り取って、それを一つの芸術的達成に持っていった。「美しいのはこういうものだ」という定型を示したわけじゃなくて、現実にそこにある生々しい具体的な、ふつうは美的なものとしては鑑賞されるようなものじゃない現実をすっと切り取って、それを美的なものに結晶化して見せる、その手際がみごとだと思うんです。
『土蜘蛛』のように獣じみた怪物が出てきたり、朝廷に滅ぼされた「まつろわぬもの」たちが恨みのたけを語ったりとか、本来別に美的な対象ではないですよね。でもそれを見事に美的に昇華させて、作品化してみせた。怨みを吞んで殺された化け物とか、非業の死をとげた反乱者が出てきて、恨みつらみを語って引っ込んだというだけでは呪鎮の儀礼にはならないんです。それを「美しいもの」というレベルに持っていかないと、死者たちも鎮魂されない。そこが日本人の宗教性のいちばん深いところだと思うんですけれど、ただ非業の死を遂げた人々の苦しみを写実的に物語ればいいというう話じゃなくて、彼らの経験を「美しい物語」として昇華しないといけない。
 その美しさというのは、美しさの定型というものがあるのではなくて、さきほど「微分的」と言いましたけれども、現実をスパッと切り取って、物語に仕上げるときの、鮮やかな切り取りに芸があるわけですよね。そこに現実にあるのは、血なまぐさい、腐乱死体とか、恨みを抱いて憤死した人間とか、誰も引き受ける人がいない怨念とか、そういう穢れたものですけれど、それが呪鎮の物語に回収されることによって、美的に昇華される。それによって生々しい現実が一方では芸能としてエンターテインメントとして成立し、それと同時に鎮魂呪鎮の宗教儀礼としても成立する。これはやっぱり素晴らしい達成だったと思うんです。
松岡 世阿弥の炭焼きの能ですとか、汐汲みの能ですとか、労働歌のレベルで終わってたら、たぶん今の達成はないと思うんですね。そこを微分の線というか、世阿弥なんかが出てきて、どこかでスパッといいところを残しながら作っていったということですよね。とっくに『松風』は、そいう労働歌的な部分の土っぽさみたいなものがまだ残りながら、非常に美しいラブロマンスに作られている。重層的な世界が『松風』にはあると思います。
内田 『源氏物語』ですでに一度物語として利用された文学的な要素も使わなきゃいけなかった。
松岡 そうですね。ですからこの『松風』の能にしても、ロンギのところは「藤栄」という別の能のロンギをそのまま入れてきてるんですね。
内田 ああ、そうなんですか、ブロックごと使っているんだ。
松岡 ブロックごと。だからコラージュなんです、ほんとに。非常にコラージュっぽい手法でこの『松風』という能はできているところがあって、観阿弥がひょっとしたら関与しているかもしれないけれども、寄せ集めながらもそれを一本通して、非常にうまく通したのが世阿弥だろうと思うんですね。その通し方がとても素晴らしいということなんです。
 『松風』の能ってやっぱり恋慕のプロセスというか、心理的に狂に入っていくプロセスというのがとてもしっかり書きこまれていて、それがパフォーマンスとして実現されてると思います。そういう意味でいうと、たとえばクセ(長文の叙事的な内容を地謡が謡う)で語っている行平の形見の装束のことをうけて、その装束を松風が着て舞に入っていく。しかも「立ち別れ」でそれが分裂して狂の世界に入るということが、視覚的にも見せられて、「中の舞」(静かな舞いと急調の舞の中間の優美な舞)がある。その前に松の作り物の「磯馴れ松」に抱き着くという所作をした後、また無意識の世界へ、意識や言語の世界から飛び出た世界にまた入っていくわけですよね。そのへんの書き方というのは、恋慕の能としてはこれがいちばんです。」観世清和・内田樹『能はこんなに面白い!』小学館、2013年。pp.219-226.

「松風」は見たことがないのだが、観阿弥のオリジナルを世阿弥が改修したと言われる作品で、須磨に流された貴公子と海女との深交を記した『撰集抄』・『源氏物語』の説話、および『古今和歌集』の在原行平の歌をもとにした秋の曲。「熊野」と共に賞賛された能で、熊野の春・松風の秋、熊野の花・松風の月と対比される。シテは海女の松風だが、ツレの妹の村雨も寄り添って舞う。後ジテは行平形見の烏帽子と狩衣をまとい、ツレと共に叶わなかった恋と行平を偲び舞う。やがて、「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」(在原行平)の歌に始まる中ノ舞から心が激して破ノ舞となり、夜明けと共に霊は去って行く。貴公子の追憶と実らなかった恋で、「狂」に向かう姉妹の霊。『帰る波の音の、須磨の浦かけて、吹くやうしろの山颪、関路の鳥も声声に、夢も後なく夜も明けて、村雨と聞きしもけさ見れば、松風ばかりや残るらん、松風ばかりや残るらん』(ワキのトメ拍子)。


B.貧困は深化するか?
日銀が利上げの方針転換をしたことで、大手企業の賃上げが進んだと報道されているが、それで単純に労働者の所得が増え、経済の好循環が起こるなどと楽観はできない。一部の条件のよい大企業の賃金が上がっても、多数の中小企業で賃上げがなければ経済全体ではやはり消費は伸びず、ぼくのような年金に頼る高齢者は、物価の上昇で実質的貧困化がすすむのは避けられない。

「耕論:賃上げ 今後も続く? 
格差が進み 冷え込む消費  経済ジャーナリスト 荻原 博子 さん 
 高い賃上げが実現したと言われますが、若手社員やIT(情報技術)の専門家らに偏っています。そういう人材を会社は手放したくないのでしょう。主に人手不足を背景にした賃上げになっています。では、50代はどうでしょうか。子育てなど生活にいちばんお金がかかる世代ですが、給料は下がる傾向にあります。
 賃上げ余力があるのは大手企業に限られています。大手メーカーなどは円安で潤っていますが、多くの工場は海外に移転しています。国内の雇用が大きく増えているわけではありません。1990年代ごろまで、大企業の業績がいいと下請けにも利益が滴り落ちる「トリクルダウン」が起きていました。中小企業の社員の給料もそこそこ上がっていました。もうかったら分配する仕組みが機能していたのです。経済がグローバル化する中で、そうした機能は弱まってきました。下請けや孫請けの企業では、大手のように給料が上がらなくなっています。
 ですから、消費は冷え込んでいます。実質賃金が上がらず、社会保険料などの負担は増える一方です。これでは消費を減らすしかありません。この状況はすぐに好転するとは思えません。
 日本銀行はマイナス金利の解除など、政策を転換しました。大規模な金融緩和は長年痛み止めを打ち続けてきたようなもので、やめるとどんな副作用があるのかわかりません。物価が下がり続けるデフレに戻ってしまう可能性もあります。一番大切な消費の回復はどんどん遠のいてしまう。低金利で何とかやってきた中小企業も、金利が上がればダメージを受けるでしょう。
 この苦境を乗り切るにはカネを使わないことしかありません。節約ばかり言っていると嫌がられるかもしれませんが、生き延びるにはそれしかありません。食事を十分に食べられない人だっています。いまの日本は富裕層と貧困層に二極化し、危機的な状況です。
 大切なのは「同一労働同一賃金」です。同じ会社で同じ仕事をしている人には同じ賃金を支払うことです。いまは抜け道だらけになっていますが、徹底されればパートの賃金は上がり、家計にとってプラスになります。女性の登用にもつながります。人手不足の中でも有能な女性はたくさんいます。女性にも幅を広げて人材を採れば、企業にとっては人材獲得のチャンスになるはずです。 (聞き手・北川慧一)」朝日新聞2024年3月29日朝刊 15面オピニオン欄。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「能」を知る 6  能と武... | トップ | 「能」を知る 9  能楽師... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事