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科学技術の進歩は人を幸福にしない? なぜフランクフルト学派?

2022-07-30 22:36:16 | 日記
A.長期的視点によれば…
 19世紀には、音楽というものは生演奏のコンサートに行くか、自分で歌ったり楽器を演奏する以外に音楽に触れる機会はなかった。レコードによる録音再生という発明がなければ、それが当然だった。しかし、20世紀になると、音楽はレコードを買って家で独りで聴くのも普通になった。それは人類の幸福が一つ増えたと、みんな思ったのだ。そしてレコード産業が、流行曲を作り出し人々の音楽の感性を左右した時代が続き、レコードからCD、ミュージック・ヴィデオ、そして今はオンデマンド配信サービスの時代になった。
 音楽に限らず、20世紀は人間の生活の中でこういった新しい科学技術の成果が、具体的な日常生活に浸透し、人類の幸福は大規模に増大したように思われた。しかし、ほんとうに19世紀の人たち(少なくともヨーロッパやアメリカの平均的な人々の生活水準)と比べて、ぼくたちの現在味わっている生活は、かなり幸福になったと思えるだろうか?と、アメリカの経済学者クルーグマンはコラムで述べている。

「科学技術140年の進歩 なぜ社会はもっと良くならない ポール・クルーグマン 
 19世紀のベストセラー小説のひとつにエドワード・ベラミーの「顧みれば」がある。ベラミーは科学技術の急速な進歩が、現代社会の特徴であることに最初に気づいた著名人の一人だ。彼はその進歩が人間に大きな幸せをもたらすと考えていた。
 小説の中にこんな場面がある。1880年代から2000年にタイムスリップした主人公が音楽を聴かないかと誘われ、オーケストラの生演奏を今でいうスピーカーフォンで聴いて驚く。簡単に娯楽を楽しめる状況に、主人公はそれが「人間の幸せの極み」ではないかと考えるのだ。
 ここ数日、私はスマートテレビでいくつか番組を見て、音楽の生演奏も視聴した。ストリーミング(配信)を使ってエンタメを楽しむことは、大きな楽しみの一つである。でも、それが幸せの極みかと問われれば、それほどのものではない。
 ロシアとウクライナの戦争で、双方が互いに前線の奥深くの目標を攻撃するために、音楽配信を可能にしているのとほぼ同じ技術を使った長距離の精密誘導ミサイルをいかに使用しているかについて最近読んだ。ウクライナ側が弾薬庫を攻撃していると思われる一方で、ロシア側がショッピングモールを攻撃しているのは留意しておくべきだろう。だが、もっと重要なのは化学技術が多くの満足をもたらす一方で、新しい形の破壊も可能にすることだ。そして人類は悲しいことに、その新しい能力を大々的に利用してきたのである。
 私がエドワード・ベラミーに言及したのは、近々出版される米カリフォルニア大学バークリー校の経済学教授ブラッド・デロング氏の新著を読んだためだ。デロング氏が指摘し、多くの人が知っているように人類の歴史の大部分、具体的には古代メソポタミアに最初の都市が出現したからの約97%の時間は、イギリスの経済学者マルサスの言う通りだった。多くの技術革新があったが、その恩恵は常に人口増加に飲み込まれ、ほとんどの人々の生活は最低限の水準まで引き戻された。
 デロング氏が「マルサスの悪魔」と呼ぶものを一時的に上回る急速な経済成長がみられる時期もあった。ローマ帝国初期に一人当たりの所得が大幅に上昇したという研究もある。しかし、これらの現象は常に一時的なものだった。1860年代に至っても多くの有識者は産業革命による成長も同様に一過性のものだろうと考えていた。
 しかし1870年ごろ、世界はそれまでとは全く異なる急速な技術の発展が続く時代に入った。世代が変わるごとに、親が生まれた世界とは全く異なる、新しい世界に生きていることを実感するようになった。
 デロング氏が主張するように、この変革には二つの大きな謎がある。いずれも私たちが現在おかれている状況にも大いに関係している。
 第一は、なぜ変化が起こったのかということだ。デロング氏は、三つの大きな「メタ変革」(これはデロング氏でなく私の造語だ)、つまり革新そのものを可能にした革新があったと論じている。それは、大企業の台頭、産業界による研究開発の進展、そしてグローバル化である。ここでその詳細を議論することも可能だが、大事なのはデロング氏を始め多くの研究者が、技術の進歩の速度が弱まっているのではないかと指摘していることだ。
 もう一つは、これだけ技術が進歩しても、なぜ社会がもっと良くなっていないのかという点だ。私が彼の新著を読むまで十分に理解していなかったことの一つは、技術進歩がいかに人々に幸せをもたらしていないかということである。デロング氏が調査した140年の間に、西側社会が状況について楽観的だった時代は二つしかない(他地域は全く話が異なる)。
 1度目は、1914年までの40年ほどの時期だ。人々は急速な発展を実感し、それを当然と思い始めるようになった。残念ながら、この楽観主義の時代は、戦火と血と暴虐の中で滅び、科学技術は恐怖を和らげるどころか、むしろ強めた。
 2度目は、第2次世界大戦後にあった「栄光の20年」だ。社会民主主義のもとで市場経済の不備が労働組合と強力な社会保障制度によって補われ、ユートピアとは言わないまでも、人類が知る限り最もまともな社会がつくり出されたと思われる時代だ。しかし、この時代も終わりを迎えた。経済が後退したためだが、それ以上に激しさを増した政治問題によるところが大きい、極右の台頭もその一つで、民主主義自体を危険にさらしている。
 1870年以降の驚異的な技術の進歩が、物事の改善に何も寄与していないと言い切るのは愚かなことだ。現在の米国の週間層は多くの点で、19世紀後半の「金ぴか時代」の大金持ちよりも、はるかに良い生活をしている。だが、オンデマンドのストリーミング音楽をもたらしたような進歩は、私たちを満足させたり、楽観的にさせたりするものではなかった。デロング氏はこの隔たりについて説明をしており、それは興味深いものではあるが、十分な説得力があるとは言えない。ただ、彼の本は間違いなく正しい問いを投げかけており、その過程で重要な歴史を確実に教えてくれる。
(NYタイムズ、6月28日付電子版 抄訳)」朝日新聞2022年7月22日朝刊15面オピニオン欄。

 そういわれてみれば、ぼくたちは第二次大戦後の世界に生きてきて、特に日本では高度経済成長があって、生活がどんどん豊かになっていくように感じていた。しかし、19世紀末のベル・エポックから第1次大戦の破壊までの幸福増大の一回目、そして第二次大戦後の豊かなアメリカに象徴される「栄光の20年」の二回目は、ずっと階段を上るような右肩あがりの経済成長が続いていく道ではなく、たまたまいろんな条件がうまく働いて、科学技術がおおきな成果を生み出した奇跡的な時代だったにすぎなかったのかもしれない。そして、そういう幸福な幻想はすでに地球資源の枯渇と温暖化のように根拠を失いつつあり、この先はグローバルな世界協調ではなく、資源や覇権の奪い合い、混迷と対立の時代になっているのではないか。だったら、今までの科学技術がすべての課題を解決するというような技術万能の楽天主義は、むしろ災いをもたらす可能性が高い。


B.自民党でだいじょうぶか?
 安倍元首相銃撃事件は、自民党の少なからぬ政治家たちが、旧統一教会と結びついていて、党の政治家がそのことに無自覚であったことを暴露した。トップの安倍さんがやっているのだから、オレたちも恩恵にあずかって選挙に勝てれば御の字だ、と思っていたわけだ。その程度の認識と、じつは冷戦時代の「反共」イデオロギーをよく考えもせずに信じて、左翼攻撃をするのが当たり前と考える若手の政治家が、自民党に限らずうようよいる。これが、日本の政治に及ぼす害悪は深刻なところにきていた、ということを今急に出てきたように思う人がいる。でも、これは単なるオウム真理教のようなカルト教団の問題とは少し違うのだ。

 「安倍元首相銃撃事件:浮かぶ保守派の裏面史 田原 牧 
 約二十年前のことだ。いまでこそ「ジェンダー」は日常用語だが、この概念を覆す企てが激しく演じられた。バックラッシュ(揺り戻し)」と呼ばれる右派の運動だ。東京都日野市の都立七生養護学校(現七生特別支援学校)事件などで知られる。
 旗振り役の一人は自民党の山谷えり子参院議員だった。取材を申し込むと、応対した秘書が「フランクフルト学派を知っていますか。私たちの勉強会に参加しませんか」と誘ってきた。内心『やっぱり』と思った。
 バックラッシュでは旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)がうごめいていた。
 なぜ、旧統一教会はジェンダー概念に反対なのか。一つは教義だ。彼らは人類の始祖は淫行で堕落し、神から贈られた「真の父母様(今日その文鮮明、妻の韓鶴子両氏)」の血統こそが人類を救済すると考える。その血統拡大に合同結婚式もある。ジェンダー概念に基づく個人の自由な生き方などとんでもないのだ。
 もう一つは政治思想だ。彼らは反共を掲げてきたが、冷戦崩壊で新たな敵が必要になった。それが1960年代の急進的な学生運動に影響を与えた思想家集団のフランクフルト学派だった。彼らはその思想を「特別な共産主義」と定め、人権やジェンダー概念をその産物と批判した。
 『やっぱり』の理由は後者の部分と重なったからだ。秘書が統一教会のメンバーだったかは分からない。だが、影響下にあると確信した。
 この一群は、自民党内で「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を創設する。事務局長は山谷氏、座長に就いたのは安倍晋三氏だった。
 安倍氏が旧統一教会に肩入れした理由の一つに、祖父の岸信介元首相と同教会の縁があったことは疑いない。
 岸氏は旧統一教会系の舞踊団「リトルエンジェルス」の日本の後援会長で、関連団体の国際勝共連合が推進団体となった「世界反共連盟日本大会(1970、東京)」では大会推進委員長を務めた。
 では、岸氏はなぜ、旧統一教会と懇意になったのか。
 旧統一教会は韓国の朴正煕軍事政権の庇護下で伸び、見返りに「反共突撃隊」役を担った。朴政権時代の65年に日韓基本条約が結ばれるが、裏では岸氏とともに右翼の児玉誉志夫氏らが暗躍。児玉氏と朴氏を在日韓国人系の裏社会がつなぐなど、岸氏と同教会の関係もそうした右派人脈図の一片に位置付けられる。
 冷戦下ゆえ、米中央情報局(CIA)の思惑も絡んでいたろう。70年代の金大中氏拉致事件やソウル地下鉄疑惑など、日韓現代史の暗部も同じ人脈図に浮かんでくる。
 安倍氏の命を奪った教団は、こうした保守派の裏面史と切り離せない。
 ちなみに山谷氏は取材を拒んだ。記事内容が不満だったのか、勉強会の誘いも途絶えた。(論説委員兼編集委員)」東京新聞2022年7月27日朝刊6面、視点・私はこう見る。

この記事によれば、旧統一教会の思想戦に敵として、「フランクフルト学派」が名指されていたという。「彼らは反共を掲げてきたが、冷戦崩壊で新たな敵が必要になった。それが1960年代の急進的な学生運動に影響を与えた思想家集団のフランクフルト学派だった。彼らはその思想を「特別な共産主義」と定め、人権やジェンダー概念をその産物と批判した」
社会学を学んだ人なら、ドイツのフランクフルト社会研究所に集まったホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマスといった人たちの仕事を知っているはずだ。フランクフルト学派の理論的背景は、マルクス主義(ロシア・スターリニズムとは別の)だけでなく、カントに由来する批判哲学、それにフロイトからマルクーゼにつながる精神分析の流れで、20世紀的な実証主義的モダニズム批判を展開した。旧統一教会がこれを新たな敵として反共をリニューアルしようとしたのは、かなり誤読だ。けれど、そこからフェミニズムや人権概念に立つ思想を、家父長家族の秩序(ある意味天皇制に類似した)を破壊するものとして、単純な「サヨク」にかぶせて攻撃した、ということか。あからさまな反知性主義だな。

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新しい軍隊と戦争を巡って  ある論壇時評

2022-07-27 22:22:26 | 日記
A.戦争のAI化
 20世紀までの戦争は、軍人指揮官が軍隊の兵士を動かして戦場で殺し合いをするというものだった。たとえ作戦が成功して大勝利したにしても、双方に大きな人命殺傷や都市の破壊などを招くことは避けられない。戦争が長期化して、自国の若者を戦場でどんどん犠牲にすれば、結局国民の支持は政治指導者から離れ、体制の危機も起こる。そこで、科学技術の進歩、とくにAI(人工知能)で戦争ができれば戦うのは人が乗らない機械ロボットだから、人命の損傷はなく、高性能のAI搭載なら精密に敵の目標を叩ける。まさに戦争機械の実現によって、戦争は姿を変える。というわけで、アメリカを始め科学技術力のある国ではAI兵器が必至で開発されているようだが、仮に戦争をする双方が、高レベルのハイテク兵器を使ってやる戦争とは、機械だけが闘うゲームのようなものになるのだろうか?だったらいっそ、もっと単純に戦争などせずにゲームで勝敗を決める方が合理的ではないか。
 いまの段階でAI兵器が有効だとすれば、それは片方が無人のハイテク兵器で攻撃し、相手は昔ながらの兵士が戦車や艦船に乗って大砲を撃っている戦争であれば、勝敗はAIの技術力を駆使できる能力で決まるし、勝者の人的犠牲も最小限にとどまる。しかし、そんな戦争があるのなら、旧式兵器で戦っているロシア軍を最新兵器をアメリカにもらったウクライナ軍が優勢か、というとそうでもないだろう。
 さらに人間が関与しない殺傷行為を行える人工知能兵器は許されるか、という倫理的問題が検討されつつあるという。橳島二郎氏の論考が『世界』5月号に載っていた。

 「高度の人工知能を搭載し、戦闘状況を分析して敵を識別し攻撃できる兵器システムの研究開発が進んでいる。その中で、人間の指示や関与なしに殺傷をともなう戦闘行為を行なえるものを「致死性自律兵器システム(lethal Autonomous Weapons Systems,以下、LAWS)」と呼ぶ。このような、致死的行為をすべて機械にゆだねる兵器は許されるだろうか。
 この問題について国際連合では、特定通常兵器使用禁止制限条約の枠組みのなかで設けられた政府専門家会議において数年にわたり検討が重ねられてきた。その締めくくりとなる2021年12月初旬の会合において、参加国の意見の隔たりが大きく合意に達することができなかった。兵器開発を妨げられたくない米露などの軍事大国の意向による結果である。
 これに対し、LAWSの即時禁止を求めてきた国や人権団体は、厳しい批判的意見を表明している。一般市民レベルでも、大いに議論する必要があるだろう。
 この議論を進める上で、よい参考になる文書がある。2021年4月、フランス軍事省の防衛に関する倫理委員会が出した、「致死性兵器システムへの自律性の統合に関する意見書」がそれだ。この意見書は、20年12月に出された「強化兵士」技術開発に関する意見書に続き、同委員会が軍事大臣の諮問に応じて出した二番目の答申である(フランス防衛倫理委員会と兵士強化意見書については、拙稿「へいしの強化改造 どこまで許される?」『世界』2021年5月号参照)。
 フランス防衛倫理委員会の意見書は、兵器の自動化・自律化をめぐる最先端技術と国際軍事環境の動向をみながら、他方で人権団体などの反対運動も強く意識しつつ、フランスの立場にもとづき軍の方針を固めようとするものになっている。この問題でフランス政府が採ってきた立場は、日本政府が表明してきた立場に近いので、意見書が提示したLAWSの倫理的問題と管理の方策は、日本にとっても参考になるだろう。」橳島次郎「人工知能兵器は許されるか」(『世界』2022年7月号、岩波書店)pp.238-239. 

 さらに問題は、兵士の能力を脳科学で強化するという動きもあるのだという。

 「兵士の強化改造は,生命工学による肉体眼=身体機能の改変だけでなく、脳科学や情報工学による、精神面=認知心理機能の改変も想定される。例えば中国では、兵士の脳と兵器システムを繋ぐ、モノのインターネットならぬ「脳のインターネット化」が研究されているという(前掲本紙2021年5月号拙稿参照)。戦場における兵士の時空認識と行動判断の能力を格段に強化・向上させるための構想だと思われるが、この「脳のインターネット」が自律兵器システムと繋がれれば、兵士が、戦闘を指揮する人工知能の指令を実行する作業端末のような存在に変えられてしまうことも考えられる。そうなれば、個々の兵士の人間としての尊厳が損なわれるだけでなく、兵士が兵器システムの構成物の一つとみなされ、殺傷への抵抗が弱まって、国際人道法の諸原則に反する事態を招く恐れもある。そこでは、LAWSの是非は、人間を殺傷兵器機械に変えることの是非と一体の問題になる。戦闘において人間の頭脳が人工知能を搭載した機械に置き換えられ、人間の兵士が攻撃機械にされることの是非が問われるのである。
 さらにいえば、そこでは人間の兵士が、人工知能の指揮の下で処理される情報の束として扱われ、かつ行動を含めた戦闘情報を処理するアルゴリズムのように扱われるということでもある。つまりこの方向での兵士の強化・改造と自律兵器システムの統合は、人間のデジタル機械化と、デジタル機械の自律主体化という意味での人間化が、同時並行で進むという事態を引き起こすことになる。
 こうした人間のデジタル機械化とデジタル機械の人間化の同時進行は、民生分野でも、例えば企業における業務のデジタル化が極端に進めば起こりうることだろう。それは科学技術の進展の中で、人間の占める位置が、人間の存在のあり方が変容させられていくという文明的問題だとみることができる。つまり、兵士の強化技術と自律兵器システムがもたらす問題は、科学技術文明を生活の基盤とする私たちみなの将来に関わる問題の一環なのである。だから、軍事・軍縮や国防の専門家だけでなく、広く一般の人々が、この問題の議論に加わることには大きな意義がある。いや、不可欠といってもいいのではないだろうか。」橳島次郎「人工知能兵器は許されるか」(『世界』2022年7月号、岩波書店)p.246.

 いずれにしても、ぼくたちは「戦争」というものを20世紀の戦争のイメージで語ることは、もう正しくないようだ。そして、日本は自衛隊という軍備を持っていて、敵が攻めてくれば、という前提つきではあるが「戦争」をする能力を持っている。しかし、何のために軍備を持ちそれを最新化するのか、兵器や戦闘次元の話ばかり先行して、この何のために「戦争」をするのかをよく考えているとは言えないという論者のインタビューが、新聞に載っていた。
 「安全保障論議のために:まず全体の戦略目的 手段は次:慶応大学SFC研究上席研究員 部谷(ひたに) 直亮(なおあき)さん 
 ――敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有の議論で、どちらかというと慎重な立場でしたね。
 「反撃能力自体は必要としても、問題はそれで何がしたいのか、全体のイメージが見えないことです。戦略目的と作戦が重要なのに、日本の安全保障論はなぜか、戦術より下位の戦闘の話ばかりしています。巡航ミサイルなど、具体的な兵器の話に傾斜しすぎです」
 「将棋にたとえると、最初の一手で思考が止まっている印象です。反撃能力や離島奪還の議論も、『真珠湾攻撃で米国はひるむだろう』と思っていたら、かえって刺激して敗北した、という歴史を思い出させます」
 ――大枠の目的や作戦を設定し、それに必要な手段を構築すべきでしょう。その中で反撃能力がどういう枠割を果たすのか、全体の戦略・作戦構想の中に位置づけていくことが必要です」
 「シンガポールのリー・クアンユー元首相は、自国の防衛体制を『毒エビ』にたとえたことがあります。『食べた魚(大国)は絶対に死ぬ』という意味です。大国に囲まれた小国で、戦争には勝てない。それを自覚したうえで、他国との積極的な軍事協力、技術重視の攻撃的な防衛力、高い持久戦能力を整備し、相手に大損害を与えることに特化しています。ここには初手だけではない戦略構想とそれに基づく作戦があります。
 ――日本での議論は、そういうビジョンが見えない、と。
 「個別の兵器を個別の兵器で迎撃するような議論が目立ちますが、現実にはそれで済むとは思えません。将棋でも重要なのは強力な飛車、角だけでなく、個性のある桂馬と組み合わせていかに勝つか、というような組み合わせの思考です」
 ――どういう意味ですか。
 「ウクライナは軍事的手段と非軍事的手段を組み合わせて、政治目的を達成しようとしています。戦場の悲惨な映像をスマホで撮り、ゼレンスキー大統領の映像と合わせて、国際世論に訴えて支援を引き出す。ドローンや火砲で攻撃する様子を別のドローンで撮影し、心理面での優位性を獲得する。複数の兵器や民生品を組み合わせ、目的を達成するデザインがうまい」
 ――そのような議論が日本で深まらないのはなぜでしょう。
 「専守防衛を礼賛するのも、敵基地攻撃を礼賛するのも同じです。どちらも入り口でしかない。日本が強国だった頃の幻想から抜け出ていないのではないですか。日本の力は落ち、米国も武力行使に消極的になっている。そこでどうするか。詰将棋のように、最後の一手まで考え抜く知的な議論が必要です」
 --防衛費の拡大の議論をどう見ていますか。
 「全体像を定めなければ無意味です。最新鋭兵器を買い込んで『米国の衣』を身にまとい、どう使うかは後から考えるような時代はもう終わりでしょう。有権者は、防衛費の中身を政治家に厳しく問うべきだし、選挙後も監視しなければならない」
 ――その中で、もっと目を向けるべき論点はありますか。
 「宇宙や弾道ミサイルといった『高空』に意識が行きすぎています。ウクライナで重要なのは、ドローンが切り開いた高度1千㍍以下の『低空』(空地中間領域)です。レーダーに映りにくい無人のドローンが空爆をしている。宇宙、サイバーと同様、低空を新たな戦闘領域と位置づける必要があります。今の研究開発費も少なすぎます」
 ――政府は抑止の重要性を強調しますが、抑止が敗れたときのことはあまり語りません。
 「様々な戦闘領域が広がって抑止が難しくなり、戦争が起きた後に対処する力が重要性を増しています。一方で、いかに最小限で戦争を終わらせるかの努力も欠かせません。軍事的、非軍事的手段を組み合わせて、早期に戦争を終わらせ、日本が政治的な勝利を収めるための手段を備えねばならない」
 --全体のコンセプトを練り上げるとともに、欠かせないポイントは何でしょうか。
 「人的投資です。技術の急激な進展を踏まえ、それに合った概念を組み立て、他国と協力して目的を達成するには、高度な知的能力が求められます」
 「時代が変わり、戦い方も変わり、世界の状況も変わっている。それなのに、自衛隊は古い体制が残ったままです。デジタル化を進め、人材登用のシステムを改め、知恵と情報と火力を組み合わせながら安全保障を実現する。それがこれからの防衛だと思っています」」朝日新聞2022年7月22日朝刊15面オピニオン欄。

 どんなに最新兵器を備えても、それを使いこなすには高度な能力と訓練が必要で、さらにもう一段上の戦略目的を明確にし、軍事力を何のためにどう使うかを冷静に判断できる人間が、自衛隊にいるのだろうか。部谷氏の論を読む限り、なんだか政治家の道具に弄ばれているだけで、自衛隊の現状はかなり心もとないのだとすると、不安だな。


B.彼らは特殊な病者・例外者ではない
 新聞の論壇時評という欄があるが、たいていはその月の論壇誌に載ったタイムリーな論説をとりあげて論評するというものだったが、最近は紙媒体の論壇誌だけでなく、ネット上の論考を内外広くとりあげる時評が多くなった。ただ保守系右翼論壇誌の論調はみな似通った左翼攻撃が多いから、おのずと岩波『世界』を代表とするリベラル系の論文がよくとりあげられる。でも、今月の東京新聞で担当の中島岳志氏は、安倍元首相銃撃事件の山上容疑者のツイッターに絞って触れ、それに関連した評論家杉田俊介の論考「『真の弱者は男性』『女性をあてがえ』…ネット上で盛り上がる『弱者男性』論は差別的か?」が山上容疑者に強い反応を与えていたことを確認している。これはかなり興味深い記事だ。

 「安倍元首相銃撃事件 山上徹也容疑者の生きづらさ :中島 岳志 (東工大教授)
 安倍晋三元首相銃撃事件で逮捕された山上徹也容疑者のものとみられるツイッターアカウントの投稿を読んだ。約二年九カ月にわたって書かれたツイートからは、生きづらさと鬱屈を抱えた中年男性が、排外主義的でパターナル(父権的)な思想に傾斜する姿が浮かび上がる。その言葉は、対象に対して常に攻撃的で、冷笑的だ。
 山上容疑者は、自らの人生の行き詰まりの根源を、母の「統一教会」への入信に求める。「統一教会」は1954年に韓国で創設された新興宗教で、『聖書』を独自に解釈した家族主義的思想を主張する。山上容疑者の「統一教会」批判は、韓国・北朝鮮への悪感情へとつながり、ツイートには両国に対する罵詈雑言が並ぶ。この「嫌韓」意識が、彼の右傾化の発端にあったのかもしれない。
 しかし、この右派メンタリティーは、重大な矛盾にぶつかる。「統一教会」は「朝鮮民族主義の右翼」であり、「日本の不倶戴天の敵」でありながら、右派的傾向を持つ安倍政権と結びつきを持っている(2019年10月13日ツイート)。「統一教会」では、日本を「エバ国家」とみなし、「アダム国家」である韓国に尽くす義務があるとされる。日本の右派にとって受け入れがたい主張がなされているにもかかわらず、なぜ安倍内閣はつながりを持つのか。
 山上容疑者曰く、その原因は「金と票、過去の経緯」にある(同)。安倍元首相にとって「統一教会」とのつながりは、思想的な呼応よりも「金と票」が目的であり、背景には冷戦時代の「反共産主義」という利害関係によってむすばれた「過去の経緯」があるというのだ。ここに安倍元首相の政治姿勢に一定の共感を持ちながら、狙撃の対象と定めていく矛盾が生じる。「オレが憎むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知った事ではない」(同)
 山上容疑者の右派思想は、リベラルな主張を展開する論客への辛辣な批判となって現れる。特に顕著なのが、アンチ・フェニミズムというスタンスで、これと女性に対する偏見と優越感が連動する。
 山上容疑者がしきりに意識するのが「インセル」という存在である。これは「不本意な禁欲主義者」を意味し、自らの容姿を醜いと感じる男性が、女性からの蔑視によって恋愛関係が生まれないと信じている状態をさす。彼はたびたび「インセル」に言及しつつ、そこから距離をとろうとしながら、ふいに自らを重ね合わせる。
 そんな彼が21年4月28日に言及するのが、前日に文春オンラインで公開された杉田俊介の論考「『真の弱者は男性』『女性をあてがえ』…ネット上で盛り上がる『弱者男性』論は差別的か?」である。杉田がここで論じるのは、自己の人生に誇りを持つことができず、惨めな思いを抱える男性の救済についてである。
 「弱者男性」たちの多くは、異性からの承認から疎外されるが故に、アンチ・フェミニズムへと傾斜し、時に攻撃的になる。実存の「つらさ」が、女性憎悪へと発展し、父権的なイデオロギーと結びつく。そして、「有名人になって一発逆転しなきゃ」と思い、ネット右翼的な過激な言葉に群がる。
 杉田は「男の弱さ」を「自分の弱さを認められない弱さ」であると指摘する。そして、「自分の弱さ(無知や無力)を受容し、そんな自分を肯定し、自己尊重していく」道筋を模索する。惨めさを抱えながらも「幸福に正しく――誰かを恨んだり攻撃したりしようとする衝動に撃ち克って――生きられるなら、それはそのままに革命的な実践そのものになるだろう」。
 この杉田の呼びかけに対して、山上容疑者は「だがオレは拒否する」と応答する。誰かを恨まないという姿勢が正しさを帯びるのは、「誰も悪くない場合」であり、自分にとっては「明確な意思(99%悪意と見なしてよい)をもって私を弱者に追いやり、その上前でふんぞり返る奴がいる」という、彼の殺意は、杉田の言葉を乗り越えていく。
 評者が気になるのは、「だがオレは拒否する」と言ったときの「だが」という一言である。これは逆接の接続詞であり、杉田の主張を受け入れたことを意味する。しかし、彼は強い恨みによってそれを「拒否する」のだ。
 山上容疑者の深い部分に届いた言葉があった。批評があった。ここに暴力を超える言葉の力を求めたいが、元首相の狙撃が実行されたのも事実である。論壇が持つ可能性と限界を目前にし、呆然と立ち尽くす自分がいる。」朝日新聞2022年7月26日夕刊、5面論壇時評。
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映画の真実 12 黒澤明とサムライ(続) 蓮實的ジョン・フォード論

2022-07-24 12:03:20 | 日記
A.「七人の侍」のフィクション  
 いまはもう70歳を過ぎた「団塊の世代」と呼ばれた戦後まもなく生まれた人間(ぼくもその一人だが)は、物心つく小学生時代から、楽しみといえば映画館でみたチャンバラ時代劇のスターや、始まったばかりのテレビ放送でもっぱら流されたアメリカ製の拳銃バンバン撃ちあう西部劇だった。とくに、東映時代劇の若手スター、中村錦之助や大川橋蔵、東千代介に大友柳太郎の太刀さばきのカッコよさは憧れで、棒っ切れを手にしてそこいらへんの「広っぱ」で友だちとチャンバラごっこをして、「ううっ、こしゃくな!」とかいって遊んでいたのである。しかし、そういう東映時代劇は、歌舞伎の伝統を引き継いでお約束の型にのっとった演技で、チャンバラも踊りのような型通りのものだった。
 ところが、黒澤明の「用心棒」を見たとき、これは今までの時代劇とはぐっと違う、第一登場人物の衣装から舞台になる宿場町まで、ほこり臭くて汚い。三船敏郎演じる主人公は刀を抜くと一瞬で、やくざ者の片腕を切り落としてしまう。その迫力に観客は圧倒される。次の「椿三十郎」になると、同じ三船と敵役の仲代達也が、最後に決闘して斬られた仲代の胸から血がドバっと噴き出した。東映時代劇では切っても血もでないし、音もしなかった。これが衝撃的で、以後の時代劇では刀で人を切る音が、ズバッ!バシュッ!と生々しくなる。斬り合う殺人の場面が、舞踊のような次元からリアリズムになる。
そして、それまで日本の時代劇など外国人にはまったく興味を引かない、ローカル民族芸能みたいな存在だったのが、映画としての迫力とドラマの造形性で非常にユニークかつ優れた作品だと認められ、黒澤明の名声は世界に広がっていった。その頂点ともいうべき作品が「七人の侍」で、これがアメリカの西部劇にそのまま焼き直された「荒野の七人」が作られたことが、黒澤の名をさらに高めた。じつは1930年代から隆盛を極めるアメリカの西部劇のアクションを、黒澤は研究して、日本で西部劇のようなものをやろうとしたら、馬に乗ったサムライが刀を振り回す活劇を構想したというわけだ。「羅生門」でロジカルで心理的な時代劇を作った黒澤が、今度は剣豪物語から発展した集団戦闘アクションを、戦国時代を舞台に作りあげたのが「七人の侍」だった。

 「(黒沢の)「羅生門」のこの実験を元にして、十五世紀頃の夜盗の群れと七人の侍に指揮された農民たちの戦いを再現しようと試みたのが「七人の侍」である。だからこれも、主流の時代劇とは全く別な作品であり、主流の時代劇の様式をすべて無視して新たにリアリズムの方法で時代劇を作りなおそうとした実験的な作品だったのである。
 ただ「七人の侍」が本当のリアリズム作品であったかということについては疑問が残る。日本の歴史学には当時まだ、民衆の生活の実体を実証的に調査研究しようという動きはあまりなかったので、黒澤明はそれを想像で補って、夜盗の群れとの戦い方を知らない農民たちが主人を失った侍たちを雇ってその指揮の下で戦う、という物語を作りあげたのであるが、今日ではこの時代の農民の生活ぶりは、発見された記録文書によって相当くわしく分かるようになっている。藤木久志『戦国の村を行く』(朝日選書、1997年)によれば、戦乱の絶えなかったこの時代には、農民たちは夜盗と戦うどころか、大名の正規軍とさえも必要に応じて戦う用意があり、そのためには武装はもちろん、ときには城さえ作って、戦闘のための組織をつくり、各種の掟も持っていたというのである。たとえば村に怪しいものが入ってきた場合、それを発見した者が「出会え!」と大声で叫んだら、それを聞いた者はただちにどんな作業もなげうってそこに駆けつけなければならない、という掟があり、この掟に従わなかった者には村の制裁が課せられたそうである。
 近年明らかになったこういう研究が正しいとすると、夜盗の襲撃に脅えて侍たちの指導がなければただウロウロしていることしかできない「七人の侍」の農民たちの姿は、当時の日本の農民を正しく伝えているとはいえないことになる。事実、黒澤明に、侍をとくに英雄化し、農民や商人、職人のモラルにはあまり敬意を払わない傾向があることは、のちの「隠し砦の三悪人」(1958年)や「用心棒」や「椿三十郎」(1962年)などにもはっきり認められるところで、そこが作家としてひとつの限界だったといえるだろう。
 しかしここで「七人の侍」のために少しばかり弁明するとすれば、主流の時代劇では侍を英雄化して一般民衆を勇気のない凡庸な群衆として描くということは常識だったものであり、黒澤明だけがそうだったわけではない。また主流の時代劇で侍階級でない者が英雄的な行動をする場合には、ほとんどが、やくざすなわちバクチ打ちのならず者という設定になったものである。日本映画のなかで大きなジャンルを占めてきた〈やくざ映画〉がそれである。
 これは日本の社会のなかで下層階級の自信を表現した物語が容易に成り立たなかったからであるが、道徳家だった黒澤明は、ならず者を英雄化するいわゆるやくざ映画は決して作ろうとは思わなかった。ただいちど、これは時代劇ではなく現代劇であるが、「酔いどれ天使」という作品で三船敏郎にやくざを演じさせたことがある。黒澤明としてはこのやくざを意志の弱い愚か者として十分に批判的に描いたつもりだったのに、若い観客はこのやくざを英雄視して喝采した。すると黒澤明は、次の「静かなる決闘」(1949年)と「野良犬」では三船敏郎に正義感あふるる真面目な青年を演じさせて、やくざを奨励する意思のないことの弁明とした。
 侍を英雄化しすぎる傾向についても黒澤明は自己批判を持っていた。三船敏郎にスーパーマンのように強い侍を演じさせた「用心棒」と「椿三十郎」を作ったあと、この日本における残酷描写が、主流の時代劇にも影響して残酷な斬りあいの場面が流行になった。すると黒澤明は、そういう困った流行を生み出した責任は自分にあると考え、その流れを変えようとして「赤ひげ」(1965年)を作った。これは斬りあいのエンターテインメント化の逆で、貧しくて弱い病人たちの医療のために献身的に努力する医者たちを描いた時代劇である。
「赤ひげ」の原作者の山本周五郎は、侍を英雄化することが常識だったエンターテインメント的な時代劇の作家たちのなかでは例外的に、スーパーマン的な侍をあまり描かず、下層の民衆のささやかな道徳的行動を印象的に描く作家だった。
 貧乏人にも自尊心がある。それはどのような現れ方をするか、ということが、山本周五郎がその小説で一貫して追求した主題のひとつだったのである。
 「赤ひげ」のなかにも、どんなにみじめな境遇にあっても道徳的な節度を守って生きようとする貧しい患者たちのエピソードがいくつも盛り込まれている。「赤ひげ」以後、さらにそういう下層の民衆の道徳的節度を追求しようとして、黒澤明は同じ山本周五郎の小説による現代劇の「どですかでん」(1970年)を作る。
 しかし強い侍を描くときに比類のない表現力を発揮した黒澤明が、貧しく弱い者の自尊心を表現するときにも同じように大きな表現力を発揮できたとはいえない。「どですかでん」は日本でも世界でもそれまでの黒澤明作品のようには成功しなかった。
 晩年の黒澤明は「影武者」と「乱」で国際的な名声を保った。これらは絵画的な美しさという点では卓抜な作品であるが、現代の観客に対して特に意義のあるメッセージが含まれているとは思えないところが日本人には不満だった。古くからの黒澤ファンの日本人は、黒澤明が時代劇ならば国際的に受ける、というところに逃避したと考えたのである。他方、現代劇の「夢」(1990年)や「まあだだよ」(1993年)も、すぐれた画家としての才能は示したが、ドラマとしてはいかにも子どもっぽくて成功した作品とはいえないであろう。
 黒澤明は、武士道という過去のモラルの良い面を、封建思想や軍国主義や形骸化した伝統的様式などのなかから救い出し、日本人が自信を失って劣等感の中に沈んでいたときに、心の支えとして提供した人だといえる。そのとき彼は比類のない造形力を発揮したが、じつはそういう意味での武士道的モラルをもっとも見事に表現した作品は、皮肉なことに侍を主人公にした時代劇よりもむしろ、現代劇で見るからに凡庸な小役人を主人公にした「生きる」だったのではなかろうか。
 この凡庸な小役人は、癌であと半年しか生きられないと自覚して死を見つめたとき、全力をあげて役人としての義務を果たし、民衆に奉仕し、そして黙って満足して死んでゆくのある。これこそ敗戦後の日本の社会に蘇った武士道であり、日本の復興を支えた精神である。
 志村喬が演じたある都市の市民課長は、見るからに無気力な事なかれ主義者で凡庸な小役人であるが、癌であと半年ほどしか生きられないと知った時から生き甲斐の模索を始め、ちょっとでも何か意義のあるものを作ることこそがそれだと思い当たり、市民課長としてやるべき仕事のひとつである、裏町の汚いドブを埋め立てて小公園にするという案件に打ち込む。なんでもない小さな仕事のようだが、これがじつは、役所のあらゆるセクションにかかわりのあるもので、ぜんぶの了解やら協力やらを取りつけるための苦労と手間といったら並大抵のことではない。それをまるで、下級武士が上級武士に願い事や根回しやあいさつに歩きまわるようないんぎんさで粘りに粘って歩きまわり、ついに目的を達して工事が完成した夜に、その小公園のブランコで身体をゆすりながら雪の降るなかで「命短し恋せよ乙女……」と歌って満足そうに死んでゆく。これは日本映画に描かれたもっとも見事で美しい死に方といえよう。見事に美しい死に方をするというのは日本の武士道の究極の理想ということができるが、その意味でこの男は、戦後に生き残っていたサムライであり、敗戦で全面的に否定された武士道の伝統はじつはこんなかたちでひっそりと受け継がれ、日本の復興を支えるひとつの力になっていたのだと思う。侍という美化されたイメージが、侍の否定された戦後に別のおよそ侍ふうではない人間像に乗り移って、戦後の復興期を支えた日本人の典型となり、模範=規範になったのである。
 「生きる」が作られた1952年は、武士道など日本の悪しき軍国主義の支柱のひとつとして思い出すのもいまいましかったものである。「生きる」自体にも武士道などどこにも言及されてなどいない。しかしここにあるのはまぎれもなく武士道の精髄というべき精神である。否定されても別のかたちで生きのびるものこそ本当の伝統なのであろう。」佐藤忠男『映画の真実 スクリーンは何を映してきたか』中公新書、2001年。pp.214-229。

 現代劇、それも市役所の課長というごく日常的な世界を舞台に、黒澤明が感動的な映画にした「生きる」は、「七人の侍」とはまったく別の設定と時代の映画だと思っていたが、佐藤忠男さんの「これは戦後の復興を支えたサムライの生き残り、武士道の形を変えた表現だ」という指摘は、考えたこともなかったので、少々驚いた。けれど、そういわれてみると、志村喬が演じたこの市民課長、渡辺勘治という哀れな男の再生の物語は、武士道に通じるのかもしれない。妻に早く死なれ、生きがいとしていた一人息子に突き放され、あと半年の命と胃がんで絶望の淵にある彼は、役所を欠勤して夜の街に出て、遊興をしてみるが何の満足も得られない。ところが、若い部下の女性の溌溂とした言動に、なにをすれば意味のある人生が開けるのか、すがるように纏わりつく。世間には疲れ老いた男のばかげた「老いらくの恋」にしかみえない。しかし、彼女とレストランで最後に話したあと、彼は覚醒したようにウサギのおもちゃを手に階段を降りていく。そこに女性たちのハッピーバースディの裏声が降り注ぐ。これは非常によくできた演出だった。でもここまでは、彼は侍ではなく武士道でもない。生まれ変わった彼は、住民から不衛生な橋の下の土地を公園にするという計画に、献身的に取り組む。やがて場面は、彼の葬式の場に変わる。同僚たちが語る生まれ変わった「渡辺さん」の姿は、まさに老いたサムライの武士道に匹敵する。そして彼が満足して雪のなかブランコに乗って「命短し・・」を歌って死んでいく。これが黒澤明の映画における美学であり、思想なのだといえば、その通りというしかない。


B.ジョン・フォード論の難解?
 蓮實重彦の本が難解だといわれるのは、たとえば専門のフランス文学で代表作ともいえる『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』(1988年)などは確かに、かなりの知識を要するし、膨大な映画論も、ふつうの映画ファンが読んですっきり理解できるレベルの著作とは言えない。つまり、蓮實氏がどういう視点で何を問題にしているかを、何も知らないで、月並みな映画評論家が書くようなことを期待しても、まさに「凡庸」の極致でしかない。でも、初期の「反=日本語論」(1977年)などを読めば、じつは非常に親しみやすく分かりやすい文章を書く人だとわかる。
 そして、そんなに蓮實重彦を読んでなくても、映画論についてなら「監督 小津安二郎」(1983)という名作(仏語・韓国語訳もある)を読めば、この人の世間の常識や定説を、映画作品そのものによって見事にひっくりかえしていく妙技に感心するはずだ。小説「伯爵夫人」で三島由紀夫賞を受賞したときの、記者会見で「自分を選ぶなど、はた迷惑、暴挙だ」と発言して、物議を醸したように、この人の発言や著作は非常に戦略的に、人のアホな期待を足技のように裏切っていくことにいわば命を懸けている。元東大総長で高齢の新人小説家というどうでもいい知識だけで、蓮實重彦の文章を読んだこともないインタビュー記者に、何言ってんだと足蹴にする。
 その蓮實氏が、小津に並んで気にかけてきたジョン・フォード論を書いたという。まだ、読んでいないがこれは読まねばなるまい。

 「ジョン・フォードのレッテル 覆す:ハリウッド巨匠を評論蓮實重彦さん最新刊
 多彩な活動を続ける蓮實重彦さんが『ジョン・フォード論』(文芸春秋)を上梓した。ハリウッドの巨匠監督の膨大な作品群に、オリジナルな視点で迫る大著。映画評論としては、1983年の『監督 小津安二郎』に並ぶ代表作になりそうだ。そして、この2冊には大きな共通点がある。

 ジョン・フォード(1894~1973)はサイレント時代から発動を始め、「駅馬車」「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」など数々の作品で知られる。アカデミー監督賞も4度獲得。とりわけ西部劇のイメージが強い。
 蓮實さんは86歳。30代の頃にフォード論を書くと決めていたという。「わたくしが仇を討たねばならない監督が2人いました。それが小津とフォードでした」
 監督作品の全貌を詳細に論じたのはこの両者しかいない。「2人とも『保守反動』とされていました。しかし、そんなことはありません。『ちゃんと画面を見てみろ』と言わねばならないと思っていました」
 今でこそ小津を古くさいという人はめったにいない。だが半世紀前、小津は若い批評家や監督の批判にさらされていた。西部劇や戦争映画を撮ってきたフォードもまた「人種差別」「男尊女卑」「軍国主義」などというレッテルを貼られている。
 蓮實さんはレッテルを一つずつはがしていく。例えば男尊女卑との批判には、勇猛な女性が幾人も登場することをあげ、いわゆる男らしい男たちがなぜか白いエプロンをまとっていることを検証する。「ほらここでもエプロンが物語に介入しているではないか、と。フォードは性差の境界を繊細に壊しにいっています」
 「騎兵隊」3部作の第1作「アパッチ砦」という作品がある。軍国主義の典型のように言われるが、事はそう単純ではない。ラストで、主人公の大尉を演じたジョン・ウェインが、部隊を壊滅させた中佐(ヘンリー・フォンダ)のことを新聞記者の前でたたえる。
 「ウェインのすさんだ顔を見れば、軍国主義の賛美などではありえないと分かるはずです。部隊が壊滅したこの映画を、第2次大戦で米国が勝利した3年後に発表している、これが保守反動の監督に撮れますか」
 先住民への侵略を描いた西部劇は本質的に人種差別的だ。しかし蓮實さんはウェインと先住民のリーダーに同じ身ぶりをさせることで「連帯関係をフィルムに行きわたらせる」と書く。「フォードは複数のことを同時にやろうとした。心の開かれた監督です。それを「一つの視点からしか見ないのはとても悲しい」
 小津やフォードにレッテルがあるように、蓮實さんにも「難解」というレッテルがある。「難解な言辞を弄する面倒な男」として煙たがられていた、と自身で書いている(文芸春秋8月号)。しかしこれも実際にページをめくると、なじみのない外来語や学術用語がほぼ使われていない。いわゆるレッテルとは印象が異なることに気づくだろう。
 刊行を記念した特集「二十一世紀のジョン・フォード」が東京・渋谷のシネマヴェーラで上映される。23日~8月19日のパート1は「香りも高きケンタッキー」のMoMA修復版など計25本。9~10月のパート2では、大九明子監督と蓮實さんのトークショーもある。 (編集委員・石飛徳樹)」朝日新聞2022年7月22日朝刊25面文化欄。
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映画の真実 11 黒澤明とサムライ  戦争のやめ方

2022-07-21 13:28:38 | 日記
A.武士道の構築
 サムライとか武士道という言葉は、今でもよく使われる。百五十年ほど前に消滅した日本の武士という存在が、21世紀の今もなにか理想の勇士のイメージとして定着しているのは、ほんとの武士だった人たちがこの世から去った昭和の初めごろに出てきた時代劇小説や時代劇映画の影響が強い。それらは江戸時代の歌舞伎が描く世界とは別の、歴史に名を借りた大衆的な物語で、チャンバラ時代劇の主役は刀を差した侍といっても、世を拗ねた浪人や着流しの遊び人として現れた。つまり、時代劇に出てきて剣の達人的ヒーローになった侍とは、歴史上の武士とはあまり関係がないフィクションである。だいたい江戸時代の武士というのは、刀を抜いて斬り合うなどという野蛮な行為はしない、藩という組織に寄生した役人・官僚であって、先祖は戦国時代に主君とともに戦場を駆けたかもしれないけれど、そんな時代は過去のもので、剣術の修業などといっても一種のスポーツに近い。
 しかし、そういう現実の武士の話では、大衆が喜ぶ物語にはならないので、チャンバラ活劇が登場し、やがて戦後は時代小説というかたちで歴史上の有名人、信長とか秀吉とか戦国武将を英雄化する物語が普及する。戦後の日本映画では、東映が代表するチャンバラ時代劇が娯楽エンタメの人気をさらい、テレビでも連続時代劇が続々制作されていた。しかし、それはまったく日本国内だけのもので、外国人が見て理解できるものではなかった。そこに、マンネリ化した時代劇とはまったくテイストが違う時代劇として登場し、あっという間に世界に知られて、外国人も感動させたのが黒澤明だった。

 「近代の日本は、西洋に対する劣等感と優越感の間を大きく極端に揺れ動くという経験をした。その経験が日本映画に何をもたらしたかということを、黒澤明の作品を例にして考えてみたいと思う。
 日本が十九世紀半ばに鎖国をやめて世界に門戸を開いたとき、日本人はアジアの多くの地域が西洋の植民地になっていることを知って恐怖したし、科学文明において日本は西洋諸国に大きく遅れをとっていることに驚いた。それは西洋に対する深い劣等感を生んだ。この劣等感を克服するために、日本人は逆に、日本には西洋よりもむしろ優越した精神的な文化伝統があるのだと思おうとした。
 そのひとつとして考えられたのは武士道、つまり封建時代の侍の勇気や忠誠心や使命感、自己犠牲などの精神である。この侍のような精神を高めていけば日本はアジアを指導する立場に立つことができるし、アジアの力を組織して西洋に打ち勝つこともできると考える者たちも現われ、そこからアジアの他の国々に対するいわれのない優越感も生み出された。この誤った優越感は第二次大戦の敗北で粉砕され、日本人はまた西洋に対する劣等感のどん底に突き落とされた。敗戦後の歴史は、再びおちいった劣等感からどうやって自信を回復したかという歴史である。
 日本で映画が大量生産されるようになった1910年頃から半世紀以上にわたって、日本で毎年三百本も作られた映画の約半数が、侍あるいは侍階級ではないのに侍のような行動をするやくざと呼ばれる男たちを主人公にした封建時代の物語を扱っていた。これを時代劇と呼ぶが、封建時代の物語がこれほどたくさん、これほど長期にわたって作られたのは世界に類のない現象である。アメリカの西部劇も香港のカンフー映画も量的には比較にならない。それらは、基本的には世界のどこにでもある娯楽的なアクションものの一種として観客に好まれたのであるが、同時に、日本人がいかに、侍に自分をアイデンティファイしたがっていたかということも示していたと思う。
 この、侍にアイデンティファイしたがる傾向は、一面では近代の日本人の自尊心と士気を高めるという健全な影響をもたらしたと思うが、他方、軍国主義の精神的な支えになるという効果を持つこともあったのは否定できない。
 黒澤明は日本の軍国主義が最高潮に達して崩壊する直前の1943年に監督として第一作の「姿三四郎」を発表したが、これは侍という階級が消滅して間もない時代に、侍のような精神をもって行動した柔道家の物語である。この作品はヒットして第二部が作られたが、そこでは主人公の柔道家がアメリカ人のボクサーを叩きのめす場面があり、日本の侍の精神が西洋人の侵略に勝つという表現である。これは黒澤明の作品にかぎらず軍国主義の時代の日本映画のもっともありふれた主題のひとつだったものである。
 まもなく、1945年に日本は第二次大戦に敗北し、武士道の主張も時代遅れの反動的なものと考えられるようになった。日本人は懸命に民主主義を勉強し、武士道など忘れてしまいたいと思った。しかし、意外なことに、やがて日本映画が世界に知っれるようになったのは、まず西洋人に侍の映画が認められたからであった。
 最初に国際的に認められたのは1950年の黒澤明の「羅生門」である。黒澤明は引きつづき「七人の侍」や「蜘蛛巣城」(1957年)、「用心棒」(1961年)、「影武者」(1980年)、「乱」(1985年)などで世界の巨匠のひとりとしての名声を確立した。
 こうして日本の時代劇映画は有名になったが、現代の日本を描いた映画は、1970年代に入ってようやく小津安二郎が西洋人に発見され、大島渚や今村昌平が知られるようになっただけで、時代劇が知られるよりもずっと遅れている。じつは黒澤明も、有名な「生きる」をはじめ多くの現代劇映画を作っており、私など、第二次大戦の敗戦後に青春時代を過ごした世代の日本人にとっては、「わが青春に悔いなし」(1946年)、「素晴らしき日曜日」(1947年)、「酔いどれ天使」(1948年)、「野良犬」(1949年)など、その時代の日本の現実をナマナマしく描いた一連の作品こそが、力強い道徳的メッセージによって生きる勇気を与えられ、映画の面白さを知らされたという点でもっとも重要なのだが、おそらく国際的には、ごく少数の人々しか見ていないと思う。
 外国人にとっては、西洋化された現代の日本人の生活というのは、伝統を見失って西洋の真似をしている人々の、風俗的にも精神的にも混乱した姿に見え、容易に魅力を見出せなかったのではないかと思う。その点、時代劇には西洋化される以前の日本人の生活様式やものの考え方が、くっきりとした特徴的なスタイルを持って、つまり美化されて表現されていて魅力的だったのだと思われる。
 しかし、では外国人は日本の時代劇映画ならどんな作品でもたいてい好きになったかというと、これは違う。日本で作られた膨大な数の時代劇のうち、国際的に好まれたのは黒澤明の作品の他には、小林正樹の「切腹」(1962年)とか、溝口健二の「雨月物語」(1953年)、「山椒大夫」(1954年)など若干しかないのである。
 時代劇にはそれを支えてきた専門の撮影所があり、専門の監督やスターたちがたくさんいて、日本では根強い人気を保ってきた。興味深いことには黒澤明や溝口健二や小林正樹は、いずれも時代劇を専門とする撮影所の出身ではなく、彼ら自身も現代劇映画を主に作ってきて、途中で時代劇も作った監督たちだった。彼らはいずれも、現代劇映画で学んだリアリズムの方法で時代劇を作ったら、これまでにない面白い時代劇が作れるはずだと考えて実験的にそれらを作ったのである。
 膨大に作られていた主流の時代劇には、きまりきった物語や演技のパターンがたくさんあり、それらの多くは封建社会の思想や感情のあり方と結びついている。主人と家来、あるいは権力者とそれに従属する者との間における礼儀作法や忠誠心の表現の仕方などが、微妙な点まで様式化された型になって伝統に組み込まれてしまっているのである。黒澤明の時代劇に特徴的だったのは、そういう様式化された型を打破したことである。
 黒澤明の最初の時代劇だった1945年の「虎の尾を踏む男達」では、伝統演劇である歌舞伎の有名な演目のなかでもとくに封建的行動様式の純粋結晶のような演出で知られる「勧進帳」という作品をとりあげて、基本的にその様式を尊重しながらそれを現代的なミュージカルや喜劇にパロディー化してみせるという大胆な試みに成功している。
 二度目の時代劇が有名な「羅生門」であるが、この作品では主流の時代劇がほとんどとりあげることのない、千年も昔の、つまり封建的な思想の行動の様式がまだ確立される以前の時代の物語をとりあげて、主流の時代劇の様式とは関係のないユニークな映画にしたのである。
 1951年のベネチア映画祭でこの「羅生門」がグランプリを受賞した。この受賞は広く世界に驚きをもって伝えられ、「羅生門」は多くの国々で上映されて称賛された。日本映画はこれではじめて世界に広く知られることになるのだが、これは日本映画の歴史にとってだけでなく、世界の映画の歴史のうえで大きな出来事だった。というのは、それまで国際的には、アメリカとヨーロッパの映画だけが広く流通し、鑑賞されていて、他にも多くの国々で映画が作られていることは半ば無視されていたからである。「羅生門」のあとで、インドのサタジット・レイの「大地のうた」(1955年)が知られ、スリランカのレスター・ジェームス・ピーリスの「運命線」(1956年)が知られ、イランのダリウシュ・メールジュイの「牛」が知られ、1980年代になると中国の文化大革命後の新しい世代の作品が知られ、というふうにして、いまや良い映画は世界のいたるところで作られていることが知られるようになった。
 「羅生門」の場合、藪のなかで旅の侍とその妻に出会った強盗が、侍をだまして縛りあげ、その前で妻を強姦することからドラマが始まる。こんなショッキングなストーリーはそれまでの西洋の映画にはなかったのである。実は日本映画にもそれはなかったので、こんな野蛮とさえもいえるストーリーが映画でとりあげられたのは日本が敗戦後の変革期であり、既成の常識やモラルからの解放期だったからである。また黒澤明が当時の日本の映画界で最も注目されていた監督で、彼なら既成の日本映画の常識にないストーリーでも成功させると期待されていたからである。
 事実彼は、こういうショッキングなストーリーから出発しながら、人間性についてのその深い洞察を展開し、人間のおちいりやすい名誉心による自己欺瞞や嘘についての高度に思索的な映画をつくりあげたのである。しかもそこには、日本の伝統的な美意識と西洋の先端的な美意識とが絶妙に融合した、日本的でもなければ西洋的でもない、まったく独自な美しさと激しさのあふれる映像が想像されていたのである。そこに、世界の人々を驚かすものがあったのだと思う。
 ひとつの事件をめぐって四人の当事者がそれぞれに嘘の証言をすることが物語の核心になっているが、彼らが嘘をいうのは自分が助かりたいためというよりもむしろ自尊心のためである。自尊心のためには命も賭ける。こういう心理は世界に普遍的にあると思うが、日本では侍という階級の存在でそれがひとつの文化になり、伝統演劇の主要なテーマのひとつに磨きあげられた。
 歌舞伎の代表的な名作「仮名手本忠臣蔵」はその結晶のような作品であるが、そこでは武士の一分を立てるという四十七人の侍たちの死を覚悟しての行動が、主人に対する忠誠という封建的なモラルや復讐の肯定という前近代的な思想と結びついているために、日本の伝統演劇のひとつのピークのような作品ではあっても、今日の世界で普遍性を主張することはできない。「羅生門」の場合は、誇り高き男たちの行動様式の美しさを伝統演劇から受け継ぎながら、それを近代的な個人主義の立場から分析して、自尊心が容易に自己欺瞞におちいることを批判している。
 また、日本の伝統芸能では希薄だった女性の自己主張を強調して男たちのドラマに拮抗させているが、そこには西洋の近代演劇や近代文学の自我の強い女性像の影響がくっきりと表れている。また法廷の場面など、日本の伝統的な庭園建築の一部を巧みに使って現代の抽象絵画のような美しさを表現しているし、巫女の出てくる場面はシャーマニズムの伝統に根ざしながら現代の西洋芸術のシュール・レアリスムに共通する効果を出している。
 こうして「羅生門」は、日本の伝統的なものと西洋の近代文化から学んだ要素とを絶妙に融合させた作品となり、自尊心という伝統的な主題を忠義や意地という民族的な好みの枠から解き放って、自己欺瞞についての省察という、より普遍性のある主題に発展させることができたのである。
 日本がアメリカやイギリスに挑戦した太平洋戦争には、西洋文明に対する長年の劣等感の暴発という、自尊心の歪んだ現れともいえる一面があった。西洋に対する劣等感で傷ついた侍的な自尊心が、日本にはアジアを指導して西洋帝国主義から開放する使命があるという妄想にもなった。「羅生門」にはそうした日本人の過剰な自尊心に対する批判があったといえば言いすぎになるだろう。ただ、日本が戦争に破れて五年目にこの映画が発表されたことには歴史的な意味があったのではなかろうか。
 「羅生門」はこのように主流の時代劇とは非常にかけ離れた特殊な作品であったのだが、この映画でもうひとつ、主流の時代劇と大きく違っていたのは、盗賊と侍との剣による斬りあいの場面だった。
 主流の時代劇では、原則として斬りあいの場面は観客が一番興奮して喜ぶ所であり、そのために古くから、現実にはあり得ないような、激しくて美しくてアクロバットのように飛躍した演出と演技が工夫され、練り上げられ、それを専門に演じる俳優が育成されてきたのである。黒澤明はそういう非現実的な斬りあいを否定するために、「羅生門」ではあえて、それまで時代劇には出たことのない、三船敏郎と森雅之を配役し、彼らに刀を持たせて、既成の時代劇の様式化された斬りあいとは全く違う、恐らく本当の斬りあいとは、こういうふうなものだろうと思われる戦い方をやらせたのだった。」佐藤忠男『映画の真実 スクリーンは何を映してきたか』中公新書、2001年。pp.214-220。

 黒澤明の「羅生門」の画期的な達成は、いまさら言うまでもなく様々な側面からいえるけれど、日本の時代劇映画という点でみると、平安時代という時代設定もほとんど例のない(その後もまずない)ものだった。芥川の原作は今昔物語だから、まだ武士というものが登場するかどうか、という時代で、三船が演じた男は怪しげな夜盗であり、森雅之が演じた男は都の北面の武士らしいけれど、妻を馬に乗せて歩いてくる。源平時代ですらない。そして何といっても、一つの事件を当事者それぞれの主観的視点から再構成して、複数の場面を重ねていくという構成は、時代と場所の制約を取り払って、世界中で理解させ考えさせるだけの内容をもっていたことだろう。このことをチャンバラ時代劇に馴染んでいた日本人が理解するには、ベネチア映画祭を経由する必要があった。


B.戦争の終わらせ方
戦争とは一度始めると、どちらかが実はもうやめようと思ったとしても、それを口には出せないものになり、決定的な勝敗がつかず戦況がだらだら続くと、ますます勝つまでやるのだ、という声ばかりが強くなる。しかし、戦争はいつかは終えなければならず、やめるなら早い方が犠牲が少ない。この真理を日本人はかつての戦争末期の悲惨な敗北で思い知ったはずだ。でも、ウクライナ戦争ではまだそこまで来ていない。でも、現実を見て冷静な発言をする人はアメリカにもいるのだ。

 「対ロシア 米の選択肢 
領土問題含め 対話始める時  ジョージタウン大学教授 チャールズ・カプチャンさん
 ――米国によるウクライナ支援はどうあるべきですか。
「これからは軍事的に、より困難な局面を迎えます。当初の目的が達成困難だと気づいたプーチン氏は(ウクライナ東部の)ドンバス地方に重点を移して勢いを得つつある。米国はウクライナへの兵器提供をしながらも、停戦や戦争の早期終結、領土問題の解決に向けたプロセスについて話し合いを始めるべき時だと思います」
 ――領土の譲歩について「ウクライナに指図するつもりはない」と明言したバイデン大統領とは異なる意見ですね。
「ウクライナには、東部やクリミア半島からロシア軍を追い出すほどの能力はないと考えるからです。米国ではウクライナの勝利を目指す意見が目立ちますが、戦争は長期化するほどリスクが高まります。ロシアのエスカレーション(過激化)のリスクも上がるし、犠牲も増えていきます。経済への影響も深刻で、世界では食糧不足が起きています」
「戦争は遅かれ早かれ終わらせる必要があるのです。米国が軍事戦略から外交戦略への転換に力を注ぐことを望みます。この戦争には21世紀の世界のあり方がかかっています。米政府にはウクライナと対話する権利があるだけでなく、義務もあると思います」
 ――ウクライナの譲歩を提案したキッシンジャー元米国務長官の提言は、ゼレンスキー大統領らから強烈な批判を受けました。
「私自身も米紙に寄稿をして、多くの批判を受けています。しかし、こうした意見を表明する人がいることは重要だと思っています。いまは勝利がすべてという議論が大勢で、外交について提案すれば融和政策だと非難されます。これは健全な議論ではありません。外向によってロシアと領土問題を話し合うのは、融和政策ではありません。戦略的な慎重さです」
「フランスやイタリアなど欧州諸国は外交の推進に関心を高めていますが、批判を受ける政治的リスクがある。リスクを負わずに外交を進められるような流れをつくるべきです」
 ――なぜ欧州は外交に前向きなのでしょうか。
「地理的にロシアに近いことは要因のひとつでしょう。欧州で戦争が起こることへの恐怖を人々が感じている。ドイツは地政学的な長い居眠りから目覚め、国防にかなりの金額を投資するようになりました」
「一方で彼らはロシアと隣り合わせに暮らし、この戦争が終わったらロシアと何らかの協力関係を持ちたいとも考えているはずです。欧州が米国に先行して外交に乗り出すのは不思議ではありません」
 ――ウクライナが譲歩の姿勢を見せたとして、ロシアは対話に応じるでしょうか。
「何らかの対話はいずれ実現するでしょう。問題は、ロシアがどれだけ真剣に向き合い、価値のある結果を生み出せるかです。おそらく最も可能性が高いのは、軍事的に膠着し、散発的な戦闘が続く展開です。その場合、ロシアは制裁を受けて世界から孤立したままです。この状況を受けてロシアが生産的な話し合いに転じるのが望ましい展開です」
――「ウクライナ支援疲れ」への懸念も出ています。
「経済状況を理由に、徐々にそうした事態が起きてくるでしょう。各国でインフレが進んでいます。米国ではガソリン価格が急上昇し、スーパーに行けば卵もヨーグルトもコーヒーも値上がりしています。バイデン政権は国内で反発を受けており、野党・共和党のなかで『米国第一』を掲げる候補らが11月の中間選挙ではよい結果を出すでしょう。だからこそ、早く戦争を終結させる必要があるのです」
 ――共和党が優勢になると問題があるのでしょうか。
「私が懸念しているのは、プーチン氏よりもトランプ前大統領の存在です。プーチン氏がドンバス地方の一角を支配しても、世界の民主主義諸国は断固として対抗できます。でもトランプ氏が大統領に再選し、米国の民主主義が損なわれれば、その先には非常に危険な世界が待っているでしょう」
「トランプ氏を支持する共和党候補のウクライナ政策を見てください。ウクライナへの関心は低く、米国は関与を減らすべきだと主張しています。この流れで共和党が政権に返り咲くことになれば、米国は再び孤立主義に向かうことになる。これは非常に危険です」(聞き手・高野遼=ワシントン)」朝日新聞2022年7月20日朝刊13面オピニオン欄。
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映画の真実 10 面白くなければ大衆文化ではない?  正論

2022-07-18 15:18:00 | 日記
A.面白さの覇権と防衛
 コロナ禍が続いているうちに、誰にも会わずにひとりでどうやって楽しい時間を過ごすか、これまでとは違う試みが出てきた。もともと、映画やテレビドラマはひとりだけで見ることもできるが、たくさんの人を結びつけそれについて人と興味関心を共有するきっかけでもあった。そして、大ヒットし世間で多くの人の口に上る作品は、「面白く」ないはずがないとさらに観客を広げる。「面白さ」というのも多様で人によっても関心は異なるだろうが、あることが面白いと気づくのは、やはりすぐれた作品を目を開いて見たときにはじめて触発され喚起された新たな瞬間があるからだ。では、とにかく面白ければそれはよい作品なのだろうか?逆に面白いと思えない映画は、意味のないものだろうか?
 ここで佐藤忠男さんは、「芸術」と「大衆文化」という言葉を対比して使い、「面白さ」が第一なのが大衆文化、「面白さ」とは別のものを追求するのが芸術という言い方になっている。ごく一部の前衛芸術家だけがやっている芸術作品こそ価値あるもので、大衆向けの娯楽商品などは低俗だという観点は採らずに、映画はほんらい大衆文化であり「面白さ」を追求するものだという点を承認する。しかし、それだけではない。「面白さ」とはなんなのかを、もう一歩踏み込んで考える。

 「かつては私など映画評論家の仕事といえば、ただひたすら自宅と映画会社の試写室とを往復して、見た映画についての記事を書くか、せいぜい途中で喫茶店に寄って親しい批評家仲間と作品の感想を語りあうぐらいだったものであるが、近年だいぶ様相が違ってきた。映画を教える学校が少しはふえたので、教師として学生に映画を見せて講義をすることが仕事の重要な部分になってきたし、映画祭とか映画講座といった催しがふえて、自分が選択した作品を観客に見せて話をするということも大事な仕事になってきたからである。
 試写室で作品を見て批評を書くだけだった頃には、私は観客がそれをどう見るかということについてはあまり関心がなかった。その作品が私にどういう感銘を与えたかが、ほとんど関心のすべてだった。ところが講義に映画を使ったり、遠く未知の開発途上の国々を訪ねて映画を捜し、慎重に選んだ作品を映画祭の番組に組んで観客に見せたりするようになってから、観客の反応というものが気になるようになった。私が映画史上必見の古典と信じている傑作を見せているときに学生が机に突っ伏して眠っていたりすると、アルバイトで疲れているだと分かっていても口惜しいし、はたしてこんなに馴染みのない国の映画に一般観客が関心を持ってくれるだろうかと恐る恐る番組に組み入れた、小国の素朴な、しかしまぎれもなく珠玉のような佳作だと思う作品に、観客が生き生きした喜びの表情を見せてくれると、私は彼らと心がひとつになったような気がしてじつに嬉しい。
 こうして私は、観客の反応が気になる上映会にしばしば立ちあうことになり、そんなときはよく、会場の前方の端というような、作品の鑑賞にはいちばん条件の悪い席にいて、上映中しばしば会場をふり返って見まわす。そしてスクリーンの反射で客たちの表情が輝くのを見て満足する。客席がいっぱいで、しかもみんながスクリーンに正面から向きあっているとき――横を向いて眠ったり、ポップ・コーンをほおばって顔が揺れたりしている人が少ないとき――客席の顔々々つまり面(おもて)が映写の反射で一面に白く輝くのである。そのとき私は、あ、面白い!と心の中で叫ぶのだ。
 ゴロあわせの冗談のようだが、じつはこれには、あまりアテにはならない根拠がある。なくなった政治学者で神島二郎という人がいた。ときたま出会う機会があると雑談をする程度のおつき合いがあった。あるとき神島さんが〈面白い〉という言葉の語源としてこんな話をした。むかし村の人々が夜ふけに集会をして焚火の明かりを囲んだとき、人々の興が乗って心がひとつになったとき、みんなの顔が明かりのほうの正面に向いて、全体に白く輝く。面(おもて)が白く輝く。これを〈面白い〉といったのだ、と。神島さんはこれを確か、師事しておられた民族学者の柳田国男の説として話してくれたと思うのだが、雑談のなかのことで定かではない。出典を調べればいいのだが、私はこの説がたいそう気に入っているので、もし間違っていても、これが〈面白い〉という日本語の語源だと思い込むことにきめている。
 私は映画評論家だが、映画その他の大衆文化には〈面白い〉という以外の存在理由がない。芸術性とか社会教育性とか、さまざまな存在理由も考えられるけれども、とどのつまり面白くない映画は人が見に来ないし、観客が来なければそもそも商品として成り立たず、存在できない。商品以外の映画、たとえば教室で授業の教材として使われる教材映画などはこの場合別に考える。それは映画ではあるが大衆文化ではないからである。
 大衆文化とは不特定の相当多数の受け手に商品として提供される映画、演劇、音楽、文学、テレビ番組、演芸などなどである。文学でいえばごく限られた読者しか持たない詩などは普通は大衆文化とは考えないが、ミステリー小説などは今日の大衆文化の最たるもののひとつに数えられる。この場合は、詩は芸術だから大衆文化ではなく、ミステリー小説は娯楽だから大衆文化だ、という分類方法は避けておくことにする。作者自身は芸術だと思っていても誰も評価せずたちまち忘れられてしまう詩もあるが、いい曲がついたおかげで広く愛唱される詩だってある。ミステリー小説だって文学史上に古典として残るものが生まれるかもしれない。だから質による分類はとりあえず避けて、まずは相当数(というのもあいまいだが)の受け手によって商品として成り立っている表現活動を大衆文化と呼ぶことにする。
 大衆文化をこう定義すると、その存在理由は面白いということ以外にはあり得ない。厳密にいえば面白いという言葉では軽っ調子で適切さを欠くと感じられる場合もある。戦場での大量虐殺の現場をナマナマしく撮影したドキュメンタリー映画などの場合、娯楽作品にこそもっともふさわしい評語である面白いという言葉を軽々しく使うことははばかられる。しかし人はそういう映画にも興味ないしは関心を持つ。そして興味や関心を満たされた状態を面白いというとすれば、それはやはり面白いのだと思う。まあ、もっと適切な言葉が他にあればいいとは思う。感動する、感銘を受ける、深く考えさせられる、刺激を受ける、衝撃を受ける、目からウロコが落ちる、などなど、場合によってそれぞれ違う言い方をしないわけにはゆかないのではあるけれど、その違いにばかりこだわっていると、それらのすべてに共通する基本的な要素を考察することができなくなってしまう。
 大衆文化はときに面白いという言葉で呼べる範囲を超えた感銘を受け手に与えることはあるが、基本的にはまず、面白いことによって存在できるのであり、それ以上の感銘というのも面白さと別のものではなく、面白さという概念の延長線上にあるものだということにして考えを進めることにする。しかし、さて、面白いということはどういうことなのか。そう考えるときに、灯に向かった人々の顔がいっせいに同じ方向に向いて一面に白く光って見える状態こそが面白いということの原型なのだという説は、アテにはならないが考えを進めるうえに有力な手掛かりを与えてくれるものだと私には思われる。
 灯がありさえすれば人々はそれに顔を向けるというわけではないだろう。そこで儀式でも行われたか、踊りでも演じられたか、あるいは説教とか演説でも行われたからこそ、人々は同じ方向に顔を向け、感興なり感動なりを同時に享受し共有したに違いない。それらが成功裏に享受、共有された状態が面白いと呼ばれたのである(ということにする)。それが聖なる儀式であれば宗教に属するし、踊りなどの芸能であれば芸術か娯楽である。説教かもっと原始的な託宣のようなものであれば教育や宣伝や政治のカテゴリーに入るだろう。単純に面白いといってもその種類は違う。それら違うものが、原始のかたちでは面白いという共通の反応を引き起こすものと考えられていたと想像することが私には面白い。事実、宗教と娯楽と教育は太古においては分かち難い一体のものであり、それで心を通わせあって一体感を得ることこそがその共同体にとっての面白いことだったと思われる。
 儀式やパフォーマンスや託宣がそこにある。しかし、面白いということはそれらの物事の属性なのではない。それらの言動によって引き起こされる共同体の反応が成功裏に運ばれた状態のことなのである。この映画は面白い、という言い方を私もするが、厳密にいえば、この映画は人々の共通の関心を満たし、人々に共通の方向を向かせ、その顔に共通の輝きをもたらすだろう、ということである。その意味で面白いということは社会的な連帯性にかかわる機能であるといえるし、これは重要なことだ。
 「屁をひって、おかしくもない、独り者」
 という誰かの川柳があるが、これはたんに気の利いた滑稽な句であるという以上に深い真理を衝いている。人中で誰かが屁をひると、そこに居合わせたのが親しい人々であれば笑いが起こる。笑いは彼の失敗を許したというサインであり、許されたことで屁をひった本人も笑う。笑いはそこに許し許される共同体の幸福感を発生させて楽しくなるという、おかしくて面白い状況である。しかし、もし居あわせた人々が油断のならないこわい上司や見ず知らずの冷たい視線の他人ばかりだったら、そこに笑いは生じない。むしろ刑罰と恥ずかしさとが無表情の空間でからみあい、緊張が生じることになるだろう。面白くない状況である。では独り者が孤立した空間で屁をひったらどうなるか。これはもう、おかしくもなければ恥ずかしくもない。つまり無意味でありただ退屈なだけである。屁自体が面白いのではなく、屁をひる状況が面白いか面白くないかを決めるのである。しかしこの川柳が語っているのはそういう原理だけではない。屁をひってもそれを笑ってくれる親しい者のいない独り者のわびしさを言外に暗示することで、事実の記述以上の詩に成り得ているのである。
 ひとりでは面白さという状況は成り立たない、という原理をこの川柳は見事に証明している。
 ――というと、しかしひとりで楽しめる面白いことだっていっぱいあるではないか、という疑問が生じる。たとえば読書。たとえばビデオ・ゲーム。映画だって映画館の暗闇でみんなでスクリーンに顔を向けて顔(おもて)を白くしなくたって、個室でビデオで見たって同じ面白さを経験できるではないか、と。しかしどうだろう。われわれがひとりで小説を読んでいるとき、その意識は本当にひとりなのだろうか。少なくとも作中人物の誰彼に、愛や憎しみ、憐れみや共感を抱くだろう。それらは架空の存在だが、読者としてはあたかも実在の人物のように感じてそれらの人物たちと仮の社会関係を持つ。その読者の反応は彼自身の身の倫理観や美的感受性の素質にもとづいて生じるのであり、それらの素養もまた、彼の属する集団や彼らが共通して受けてきた教育などによって大きく左右されるので、純粋に個人的な反応のつもりでいても、じつはある階層なりグループなりの代表として作中人物たちと交歓しているということになるのではあるまいか。ひとり小説を読んで、あるいはひとりでビデオを見て面白がっていても、それがもし本当に面白いのであれば、そこには、それを面白がる個人の背後に、その作品に向かって一緒に面(おもて)を白くしているであろう集団がイメージとして想定できるのだと思う。」佐藤忠男『映画の真実 スクリーンは何を映してきたか』中公新書、2001年。pp.193-200。

 「面白さ」というものを、ある表現を通じて他者との共感共鳴を呼び覚まし、人を結びつけることにおおきな意味を見出すならば、少なくとも大衆文化(圧倒的に多数の人々が興味を持つアート)について、その作り手は受け手である大衆と呼ばれるある階層なり集団をイメージして、そこに向けてつくらなければ「面白さ」はみつからないし、ヒットはしない。たとえば「寅さん映画」は圧倒的にふつうの大衆(市井の庶民)にむけて、またそういう人たちがどこにでもいるという前提を意識してつくられている。ある時期までの日本映画は、そういう大衆の存在を信じてつくられていたと思う。その面白さは誰でもわかるはずだと。だが、いまの映画はどうだろうか?大衆(市井の庶民)というもの姿があいまいになり、どこにでもいるはずの普通の人々が、じつは「笑い」も「面白さ」も共鳴できずに、ある日孤立した不気味で歪んだ観念世界に沈み込んでいるのではないか。


B.国家の英雄などいらない
 銃撃され死亡した安倍元首相を国葬にするという政府の決定について、強い違和感を覚えるのはぼくだけではないだろう。そもそも国葬というのは、国家に格別の貢献をした人物を、国家国民を挙げて追悼する儀式だとすると、安倍氏の業績がそれに値するかどうかは、つい先日まで政治の現場で活動していた人を正当に評価するには早すぎる。また業績評価は別にしても、戦時の戦死軍人のような国民精神総動員的な要素が国葬にはあるのではないか。戦後の国葬はそのような政治利用は避けるように行われてきたのに、今回の提案はどうも安倍的なものを鼓舞し称揚したいという、ごく一部の政治家の姑息な動機が透けて見える。東京新聞の記事は賛否両論併記というかたちで、二人の識者のコメントを載せている。

 「決定は性急 功罪の検証を  放送大学教授 原 武史氏
 事件から一週間もたたないのに、岸田文雄首相が安倍晋三元首相の国葬を決定したのは性急だと感じる。葬儀自体はすでに終わっている。(国葬が行われた)吉田茂元首相に匹敵する偉大な宰相だったとの評価をつくろうとしているようだが、吉田氏の死去は辞任から十年以上もたってからだった。首相としての評価はおおむね定まっていた。
 安倍氏を巡っては、森友、加計学園問題や公文書の改ざんなど既に明らかになっている問題だけでなく、まだ明らかになっていない問題もあることが今回の事件を通して浮上した。首相としての評価はこれからだ。マスコミは政権の功罪をきちんと検証しなくてはならない。
 例えば田中角栄首相は「今太閤」と呼ばれて人気があったが、ジャーナリストが金権問題を追及してから内閣支持率が急降下した。昭和天皇も死去直後は称賛一色だったが、その後さまざまな史料が出てきて評価が変わった。安倍氏の場合ももう少し時間をかけて検証されるべきだ。
 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題は、今後の検証によっては戦後の自民党政治全体の問題につながりかねない。いち早く国葬を行うことで、「憲法改正を目指していたが、志半ばで悲劇的な死を遂げた偉大な政治家」という物語で世論を操作し、批判の声を封じようとしているように見える。
 政府は、事件の直後から現場となった大和西大寺駅前の献花台に長蛇の列ができたり、葬儀が行われた増上寺に多くの人々が弔問に訪れたりしているのを見て、たとえ反対の動きがあっても多くの国民は支持すると踏んだのではないか。」東京新聞2022年7月17日朝刊3面総合欄。

 同欄には、もうひとり安倍国葬を是とする識者(麗澤大教授)の意見も並べてある。じつはぼくは両氏とも同じ大学に在籍していたので、多少の面識がある人だが、原氏のいうことは当然の理であると思う。なぜいま国葬などという提案がでてくるのか、問題の本質を逸らし何かを隠ぺいする政治の姑息は、後世の歴史のなかでまっとうな検証がなされるはずだ。

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