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小説家の小説論・大岡昇平 1 ロシアのこれから?

2022-09-28 12:05:41 | 日記
A.「現代小説作法」を読む
 戦後まもなく、「野火」「俘虜記」などを発表した小説家大岡昇平は、1958年1月から翌59年12月まで雑誌『文学界』に「現代小説作法」という文章を連載し、1962年8月に単行本となって文芸春秋社から刊行された。その後も、著者は版が改まるたびに改訂をしたという。1998年79歳で亡くなるまで、この小説論には手を加えて、小説家がみずからの作品についてではなく、近代の小説というものを本格的にその技法と過去の名作の読み込みについてやさしい語り口で説いた著作として、半世紀経ったいまも読むに値するものだと思う。もともと、スタンダールの研究家であり、太平洋の戦争に30過ぎで徴兵され、フィリピン・レイテ島で日本軍兵士として戦い、捕虜となった経験を小説にするという特異な経歴をもつ大岡が、こうした文学論を書いたのは、この人が戦後日本文学でしかるべき地位を占め、書くべきものをいちおう書いてしまったあとで次に向かう助走ということもあっただろうが、それ以上に西洋起源の近代小説という形式が、20世紀後半の現代社会には、そぐわない時代とのずれを意識していたからだと思える。それは日本の文壇というような狭い世界の話題ではなく、世界の文学の新しい潮流を元に遡って考えていたことからくるように思う。

「話のうまさというものは、話し手の声音や表情と結びついています。印刷された文字を通しても、われわれはそれを感じます。これは小説にあっては、むしろ場違いといえるかもしれませんが、純粋な散文というものは、純粋な水がないように、この世にはないものらしい。
 メリメ、モーパッサンの短編を読むと、美しく着飾った貴婦人の前で、細いがよく通る声で語るサロンの洒落者の様子が目に見えるような気がしますし、西鶴の短編を読めば、湯吞をささげて喉をうるおす今日の落語家の身ぶりのようなものを感じます。
 デイケンズやデフォーがうまい語り手である例は前章で示しましたが、彼らは相次いで起こる事件や息つく暇もない我々の側の緊張を、先刻承知という顔付で、かえって落着払い、あれやこれやの尾鰭をつけて、いつ果てるともしれない長話に、自ら陶酔している作者の内心が読み取れます。
 小説は今日散文の代表、つまりもっとも客観的なものみたいにいわれていますが、何度も書いたように、ほんとうは語り手は聞き手を予想しなければ成り立たないので、大変人間臭く、幻想を許容するジャンルなのです。
 話である以上、聞き手にとって、興味あるものでなければならない。われわれに涙をしぼらせる悲しい話、げらげら笑わせる面白い話でなくても、遠い異国の物珍しい話、あるいは伝説、怪異譚を伝えるのも、古くから小説の目的の一つでした。紀行文的要素、ドキュメンタリー的要素は最初から小説に付随していたので、現代の主人公が観光的名所ですれ違ったり、新聞記事にちょっと味をつけただけのルポルタージュ風の小説が行われるのも理由なしとしないのです。
 ストオリーが小説の根底でありながら、現代ではなんとなく、下等な、いわば小説の恥部のように感じられるに到ったのは、前世紀のフロベールや、エリオット、メレディスに代表されるリアリズムの小説美学のためです。
 夏目漱石はがんらい「坊っちゃん」に見られるようにすぐれた話し手なのですが、ヴィクトリア朝の小説美学にとらわれて、だんだん重苦しい小説を書くようになりました。漱石の偏見がどういうものであったかは、デフォーを論じた「文学評論」のうちにも、うかがわれます。「文学評論」は十八世紀のイギリス文学を論じたもので、日本の外国文学研究の中で、唯一といってもいいくらい、材料をよくこなした論文ですが、デフォーは始終下等な雑駁なジャーナリストとして扱われている。そこに時代の流行、日本流の文人気質を示しています。」大岡昇平『現代小説作法』ちくま学芸文庫、2014年、pp.52-54.(原著は1962年文藝春秋新社から刊行され、その後なんどか改訂されている)

 この本の第一章「小説に作法があるかという問題」で、これがたんなる小説を書く作法、技術の指導書ではないし、そんなものを過信するのはまちがいだと述べ、第二章「小説はどう書きだすべきか」で、小説の第一の条件は主題、読者が面白く新鮮だと感じる主題が何であるか、作者自身がそれを明確に把握することが重要だと指摘する。あとは小説はいかに書かれてきたか、を古今の作品に即して分析的に述べていくという形をとる。

「プロットは普通「筋」と訳され、ストオリーと混同されがちですが、実ははっきりした区別があります。
 Plotは英語で、フランス語ならアントリーグintrigue、「計略」「陰謀」が第一義で、「校長排斥のプロットがあった」という風に使われます。従って「筋立」とか「仕組」と訳す方が適切です。
 ストオリーは時間の順序に従って、興味ある事件を物語るけれど、プロットは物語る順序を、予め「仕組む」ことを意味します。重大な事件は物語の始まる前に起こっていて、あるいは最後の章で判明する場合もあります。出来事のすべてを物語るわけではなく、結末に予定されている事件に、関連のあるものだけを書く。最後の章に到って、それらの「伏線」が一つの結末に向かって統一されているのを知って、読者は一種の満足感を味わいます。
 「王が死に、それから王妃が死んだ」と書けばストオリーだが、「王が死に、悲しみのあまり王妃が死んだ」あるいは「王妃が死んだ。そのわけは誰も知らなかったが、王の崩御を悲しんだためであることが分かった」と書けばプロットだ、と「インドへの道」の作者フォースターが書いています。(「小説の諸相」田中西二郎訳、新潮文庫)
 結局は物語る技術の一種ですが、これが前世紀以来重視されるようになったのは、教育が普及して読者が進歩したからです。読者は書かれた事実を理解する能力を有し、結末もある程度予測できますから、「それからどうなったの」というような、子どもらしい好奇心を持ち続けるとはかぎりません。プロットは教養ある読者を満足させる手段ということが出来ます。
近頃誰それは、「すぐれたストオリー・テラーだ」といわれることがありますが、実際はプロットの立て方のうまいことを意味する場合が多いのです。新派や歌舞伎で「趣向」といわれたものに当るので、自然主義以来、趣向は実感の伴わないものとして、排斥されていました。
 小説家が小説に取り掛かる前に、プロットを考えておく方がいいといわれるようになったのは、読者がそういう実感尊重や写実的短編に飽き、筋のある長編小説を求めるようになった昭和中期以後です。しかし実際は作家がこの問題をどんな風に処理していたかは、次の川端康成の証言にあらわれています。
「実際創作に当ってゐる人の体験を聞くと、日本の作家にはあまり筋(プロット)を考へず、書き出しに色々と苦心をし、あとはその場その場で最も妥当と思はれる方向に小説を運んでゆくといふ人がかなりゐるやうである。また最初から作品の筋を全部考へておいて、それに従って整然と書き進めるといふ方法による作家もある。これは両方ともプロットが有るのであって、前者はとかくプロットがないといふやうに考へられがちであるけれども、これは間違ひである。主題がはっきりときまって作者の肚が出来上ってゐれば、プロットは自らきまってゆくことが多い」(「小説の研究」角川文庫)
 これは川端氏の体験に基づいた言葉であるだけに貴重です。事実今日でも新聞雑誌の零細小説は、たいていその場その場の即興で運ばれ、結末で辻褄を合わせるという風に書かれることが多いので、厳密な意味でプロットを立てて書いた作家は、藤村、荷風、潤一郎ぐらいなものかも知れません。
 彼らの作品がいつまでも読むにたえる理由の一つはここにありますが、しかし川端氏の方法も大変実際的です。あまりきっちり計算しない方が、人物が生きて来るということもあるのでいちがいには言えません。それはだんだん考えて行くつもりですが、ここに一つ、どうしてもプロットを決めておかないと、始められない種類の小説があります。推理小説です。
 推理小説は前世紀では卑俗な小説と考えられて、文学史にも記載されないのが例でしたが、現代のように流行して来ると、ただ読者の好奇心だけを満足させる、時間つぶしのジャンルとして、軽蔑してスませることは出来まいと思われます。
 イギリスでグリーンのようなカトリックを標榜する作家、ルイスのような知的な詩人が推理小説を書いているというようなことは、例外と考えてもよいくらいまれですが、一般に現代小説の全部が推理小説に近づいているのが事実です。推理小説の方でも、犯人や被害者の社会的境遇をバルザックの手法で書き、被害者の心理を「意識の流れ」のような前衛的な手法で描くようになっています。
 犯罪は平和時にあっては、最も刺激的な事件であり、「赤と黒」や「罪と罰」も結局は一つの犯罪をめぐる物語です。ただこれらの傑作では、犯人は初めから主人公とわかっていて、犯罪を犯すに至る経路、あるいは犯行後の心理が主題となっているのに反し、推理小説は原則として、誰が犯人であるかはわからず、図の明晰な探偵がそれを探り出す興味が中心になっています。
 作者は犯人が誰であるか、最初から知っているし、犯行の細部もあらかじめ考えてある。それを徐々に読者にわからせて行く、あるいはわざと読者を迷わすような被疑者を出したり引っ込めたりしながら、最後の意外な解決によって、一挙に読者の好奇心と期待に満足を与える仕組になっています。
 こういう小説はあらかじめプロットが出来なくては、一行と言えども書き下ろすわけにはいかないのは明瞭です。推理小説は1841年のポーの「モルグ街の殺人」が最初といわれ、比較的新しいジャンルですが、近代社会は都会への人口の集中、悪漢共の増加につれて、犯罪の手口も複雑になり、従って警察の捜査方法も進歩したから、推理小説の材料はだんだん豊富になった。
 昔の山賊や海賊はアウト・ロウで、巣窟も人相もわかっている。それを討伐する兵力が、権力の側にあるかどうかという問題でしたが、現代では市民のほとんど全部が、犯人になる機会を持っています。毒薬は薬局で手に入るようになったから、婦人もたやすく人が殺せるようになった。
 「誰が殺したか」推測困難な業になったので、シャーロック・ホームズ以来おびただしい数の「謎解き」が考案されたのも当然ですが、一方読者の方も進歩して、建てつけの悪いプロットでは、すぐ見抜かれてしまいます。犯人が誰かが先にわかってしまっては、推理小説の興味はゼロでしょう。
 新聞雑誌の書評でも、推理小説の筋は知らせないのが例であり、読者も最後の頁は、まるでこわいもののように大事にしています。本を手に取った時、そこが開いてしまったら、あわてて目をつぶるぐらいの用心をします。およそ一冊の「本」がこれほど大事にされるのは、聖書や仏典以来、例がないのではないかと思われます。小説がこれほど技巧を要求されたことはありません。
 無論こういうプロットの勝利は、作中人物の性格の歪曲や、実感の犠牲なしにはすまされないので、推理小説はもともと現実を遊離した頭脳の戯れなのですが、この高度の技術性は他の文学にも影響を与えています。
 シャーロック・ホームズのベーカー街の応接室は、様々の依頼人が悩みをたずさえておとずれる場所であり、初対面の人として、ホームズの炯眼の前に、その階級、気質、経歴の徴候を露出するので、「見知らぬ人」の外面描写として、すぐれた例を残しました。今日の目から見ればホームズの探偵術は幼稚なものですが、こういう細部がよく出来ているので、いつまでも読まれるのです。」大岡昇平『現代小説作法』ちくま学芸文庫、2014年、pp.59-64. 

 以上は第五章「ストオリーについて」と第六章「プロットについて」の一部だが、小説というものを書くにあたって作者がなにを考えるのかを、実作者ならではの実際的な問題を、広く深く考察するというもので、いまもなお本質的な議論につながると思う。推理小説のつくり方は今も不動だが、大衆向け小説のなかにミステリーがこれほど大量にもてはやされ書かれるに至ることを、高度経済成長期のはじめに見通していた大岡は、やがて自身で「事件」などの推理小説も書いた。


B.戦争の転機になるか?
 ロシアの侵攻に始まり半年を過ぎたウクライナの戦争が、ここに来て東部戦線でのヘルソン州などの奪還に成功し、一方でロシア軍の占領地域での住民投票実施という新たな局面が起っている。ロシア軍の疲弊を補おうとプーチンは、予備役の大量徴兵を打ち出してロシア国民から反発を受ける状況も報じられている。これをどう見るか、この先がどうなるか、まだ予断は許さないが、冬を控えいくつか予測は出てきた。

「ウクライナの戦況とロシアの危機 :内田 樹 神戸女学院大学名誉教授・凱風館館長
 ウクライナの戦況が大きく変動した。東部戦線においての長期にわたる戦線膠着の後、ウクライナ軍が失地回復を果たしたのである。
 ウクライナ軍にはタイムリミットがあった。冬が来る前に攻勢に出るということである。冬を迎えると、ロシアの天然ガスに依存している西欧諸国ではエネルギー不足から国民の間で厭戦気分が亢進する可能性が高い。自分たち自身の生活の不便に苦しむ市民たちの間から「先の見えない長期戦になったらウクライナのことは見限ろう」という冷ややかな世論が高まり、欧米諸国のウクライナ支援の足並みが乱れることをプーチンは予測していたと思う。しかし、寒くなる前に電撃的な反攻が成功してしまった。この反攻で「戦争はどちらもが決定的な勝利を収めることができぬまま、いつまでもだらだら続くだろう」という予測は修正を余儀なくされた。予想より早く決着がつくかもしれない。
 今回のウクライナの反攻はロシア軍の練度が低く、士気が低下していることを明らかにした。ロシア軍の兵器や弾薬が大量に鹵獲されたという報道がなされているが、それが事実ならロシアの兵士たちがウクライナ軍の侵攻に虚を衝かれて戦線を維持できなかったことを意味している。「生き残れるものは生き延びよ」というのは船が沈没する時や軍隊で前線が崩れて指揮系統が機能しなくなった時に船長や指揮官が発令する言葉である。この後、どうすればいいかについては誰も指示をしない。あとは自分の才覚で生き延びてくれということである。短期間にこれほどの広域にわたってウクライナ軍が国土を奪還できたということはロシア軍の相当部分が「生き延びるために算を乱して敗走した」ことを意味している。欧米の報道は軍事支援の効果を重視しているが、私は「ロシア軍の士気の低さ」の方がむしろ気になった。
 ただ、この知らせに、ウクライナを支援している欧米諸国は安堵と同時に不安をも感じてもいるはずである。アメリカは自国からはるかかなたで行われている戦争のせいでロシアの国際社会における地位が低下し、国力がじわじわと削り取られてゆく現状を好ましいものと見なしている。もちろんロシアが主権国家の領土を武力で併合することは許されないことだが、ウクライナが完全勝利するというシナリオもまた欧米にとっては決して歓迎すべきものではない。それがロシア国内に(プーチンの退陣を含む)劇的な政局の変動をもたらすリスクがあるからである。
 プーチンがグリップできなくなったロシアがどういう混乱を来し、国際社会に対してどういうふるまいをするか、確実な予測をできる人間はどこにもいない。私たちは、旧ソ連末期のロシアの混乱を記憶している。ふたたびクーデターやデモが繰り返され、統治機構が麻痺し、新しい「オリガルヒ」たちが登場して国有財産の私物化を図り、武器が「死の商人」に売り飛ばされ、自由を求める市民が国から逃れ出る…何よりも大量の核兵器を有した国のカオス化は世界にとって恐怖以外の何ものでもないのである。
 すでに各国の情報機関はロシアの政治混乱がもたらすリスクについてのリストを気欝な顔で作成し始めていると思う。」東京新聞2022年9月25日朝刊5面、時代を読む欄。

 追い詰められたプーチンが、核兵器のボタンを押すのではないかというのが、世界の最大の恐怖であることは、誰もが思うことだ。
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写実絵画の技:野田弘志の世界から(続) 弔いの簡素化?

2022-09-25 11:19:12 | 日記
A.キリスト教と美術
 西洋の美術を語るとき、多くはイタリア・ルネサンスから始め、それが古代ギリシャ彫刻を復活させた人間復興だと述べたうえで、それ以後のヨーロッパで展開された多彩な名作を辿っていくのが常道になっている。キリスト教会が社会のあらゆる面で支配的だった中世は、不毛な時代として飛ばされる。しかし、ルネサンス美術の描いた主題の多くはキリスト教と切り離せない。ただ、キリスト教が説く宗教的主題、とくに聖書物語の場面の描き方が、ルネサンス以前とは明らかに違っていた。イエスもマリアも、パウロもヨハネも、観念的な聖性のシンボルではなく、生き生きした人間の姿でリアルに描かれていたのがルネサンスの「人間復興」だと感じられたのだ。
 だが、リアリズムとはなにか?目の前にあるモノをありのままに描くのがリアリズムだとすると、その対義語はイデアリズム。アイディアというのは、人間が頭の中で考え出す目に見えない観念で、それを目に見える形象にするのも美術の役割だった。外にある具体物を画家は見つめて写すのがリアリズム絵画・写実主義だとすれば、心のうちに湧き上がるアイディアを画面上に描くのがイデアリズム絵画・抽象主義ということになり、美術表現としてまったく逆の立場に立っている。しかし、宗教的主題をリアリズムで表現するということは可能なのか。人間の知的活動という意味では科学もまた、近代が生み出したものだが、科学の発達はもともと宗教を否定するものではなく、むしろ宗教的情熱のなかから出てきたともいえる。すると美術と科学は矛盾するのか。
 
 「野田 僕がヨーロッパの古典の作品で傑作だと思っているのは、フェルメールの《牛乳を注ぐ女》とレオナルド・ダ・ヴィンチの作品、彫刻も含めてミケランジェロの作品です。
 リアリズムといったって、ギリシャもルネサンスもリアリズム。セザンヌだって広く見ればリアリズム。ミケランジェロでも個性的に描こうとか売れようとかいうのではないですね。もっと精神が深いです。
 加賀さんがどうしてクリスチャンになったのか。キリスト教が芸術に及ぼす力というのかな、何かを感じるからではないのですか。
加賀 たとえば聖書の世界がなかったら、ヨーロッパの美術は成り立たなかった。初期の中世の絵がいくつか残っていますね。それは絵画としてはみんな聖書の物語なのです。最初は宗教だった。ものを描くということが宗教だった。それがルネサンスになってやっと人間性を取り戻してきて、人間の情熱のようなものと、神が作った人間という人間の立場と、聖書の持つ文学的な力というのが混然一体となってルネサンスの美術を作った。今言ったように、ダ・ヴィンチだろうとミケランジェロだろうとみんな聖書物語を中心にして自分の世界を描いていますよね。
 ルネサンスというのは人間回復。だからギリシャに帰ろうという、ギリシャと同じようにリアリズムの世界に帰ろうというのでルネサンスと言っている。それと同時に、ルネサンスのいいところはいつも宗教性がそこに結び付いている。美しい絵画とか小説とか詩として神様に捧げる感じがある。
 ルネサンスはもう一つが科学です。ガリレオから始まってすばらしい科学者がたくさん出てきている。科学というのは神の作った世界の秘密のようなものが数式になったり定理になったり数学になったり、聖書物語それ自体が、神が人間という生命を作って、生命を作られた人間は逆に神に対する反逆のようなもので神の秘密を知ろうとした。
 だから科学にはそういう危ない面がいつもあってそれが現実化したのが核の問題ですよね。まだ七十年昔に始まったばかりなのだけれど、アインシュタインが自分の理論として「必ず質量はエネルギーに転換される」と言って、だんだんそういう実験があちこちでされていくうちに絶対に開けてはいけない秘密を少し開けてしまった。それが現代です。物理学が神様の秘密を暴いてきた。その中の一つがアインシュタインの相対性原理なのです。人間はルネサンスと現代と全く同じことをやっているのです。次から次へと科学の研究をして、神様が大事にしている秘密を暴いている。だけどいくら暴いても暴き切れない。でも人類はその科学をどんどん発展させることで希望も持っているわけだから、その希望は何処から来たかというと神様から来ている。僕なんかの信仰の一番中心にあるのです。何も神様という言葉を話さなくても雲だって鳥の巣だって、ホッチャレの魚だって神様の創造物なのです。自然界では全てのことが不思議に充ちた行動をするのです。僕の宗教も、そういう不思議を信ずるところから来ています。
 日本に生まれたのだから仏教のほうに親しみがある。ではなぜヨーロッパの神様を拝むのかと言われる。もともとはユダヤの神様です。キリストはユダヤ人ですからね。言ってみれば世界の中心にあるエルサレムにすべてのものが出てきて、それが旧約聖書になり新約聖書になった。若い文学者でキリスト教に関心の深い人が最近出てきました。その人たちが一様に言っているのは「言葉というのはいったい誰が作ったのか」
 聖書というのはあらゆるものの中心になっているわけです。人は言葉がわかる。動物には言葉がない。言葉というものはとても重要で、たぶん絵画に対しても重要なのです。絵画の世界は言葉になりうる。言葉にならないような絵画というのはだめ。つまり何かを伝達するときに、言葉ではうれしいとか悲しいとかいうじゃないですか。でもそれを絵画では表現できる。悲しい絵画もあるし、うれしい絵画もあるし、力強い絵画、生命がみなぎる絵画、衰えはてた老人、最後はどくろになる人もいる。それは全部、しかし絵画になる前に言葉になっている。そういう意味です。
野田 言葉でしか考えられないですからね。見るのも言葉で見ていますね。
加賀 絵画を表現するのは言葉なのです。逆にいうと絵画が表現しているのは言葉があるから表現力が絵画に備わる、そう思います。
野田 言葉で見ていますが、リアリズム絵画で手を動かすのは重要だと思うのです。ただ写実ですから、手がかりがないと描けません。永山優子さんなどは徹底的に見て描くのです。例えばモデルを見て描くというけど、朝・昼・晩モデルを頼んでも一カ月ではできあがらないですものね。ただともかくじっと固定しては見ていないけれど見ています。加賀さんを毎日見つめないと加賀さんを描けないかというとそうではないです。僕の頭の中に加賀さんがいるし、絵で狙う最終的なものは見た目とか細密であるとかそういうことではなくて、加賀さんの存在そのもののすごさだと思うのですよ。それが普遍を持って現せられれば、ただその方法が写実なのです。たとえば科学とおっしゃったけど、印象派などは科学でしょう。スーラなども。でもそちらのほうに行きすぎてしまって精神を置き去りにしてしまっていると思う。だから印象派は僕にはつまらない。セザンヌは別ものですごいと思いますけれど。さっき加賀さんにもっと聞きたかったのですけれど、クリスチャンは生まれながらに洗礼を受けたりして教会漬けになっているわけですよ。
加賀 幼児洗礼という習慣があります。赤ん坊が生まれたときに洗礼を受けさせてしまう。だけどそれに対する批判もあって、この頃は赤ん坊のときではなくて、七、八歳になって言葉がよくわかるようになってから神様の話をして教会に行きましょうねという話にだんだんなってきています。
野田 それでも、そういう水の中に投げ込まれたようなもので、一応クリスチャンという人たちは教会に行って神の言葉をいろいろ聞かされるわけですよね。だけどそれで育つものだから反宗教というか無宗教というものも出てくるわけでしょう。クリスチャンになっているから無宗教になれるのではないですか。どこかで神を信じていなかったはずなのに、そのあとで本当に神を感じてしまう瞬間があって、それから本当のクリスチャンになってしまうというのがあるじゃないですか。そういうときの神というのはお題目を唱えていればいい神ではなくて、精神の一番奥底に何か響くものを感じ取っているというのかな。
ミケランジェロとかベートーヴェンなどの政策態度というのは、本当に神を思って作っているのですよね。驚かしてやろうとか、かっこよく描いたり作曲しようとかいうのは初期にはあったと思うのですが、最後はそれも捨てて簡潔そのものになっていく。そこに精神の塊のようなものが出てきますよね。それが、僕は芸術の終着駅だと思っているのです。だからクリスチャンでなくてもいいのです。ある絶対的なもの、ただの神でいいのです。そういうことを最近本気で考えているのです。
世界中にいろいろな神様がいます。仏教美術もありますが、ただキリスト教の下でどんでもない芸術が生まれた。僕はそう思っているのです。僕が一番魂を持って行かれてしまうのはミケランジェロやダ・ヴィンチや、あちらの作品なんですよね。
加賀 あの人たちの作品の基礎にはキリスト教の信仰がありますよね。その信仰の支えがあって芸術がある。だから彼らの芸術が人の心を打って、その美が人の心を慰めるのです。
野田 バッハやベートーヴェンもそうですし、ダ・ヴィンチとかミケランジェロはなんだかんだ言っても神がある。ラファエロは一番神があるような顔をしているけれど、僕はないような気がするのです。理屈ではないですよ。ありとあらゆる神にまつわることが描いてあるけど図式であってそこに精神や魂が伝わってこないのです。
加賀 バチカン美術館にラファエロの部屋があって、天井も壁画もすべてラファエロなんだけど、その中にただ一つとしてダ・ヴィンチを超えるものがない。それは言えます。
野田 でも一番人気があるのです。
加賀 それはわかりやすくてやさしいものだから。誰でもわかるような絵でしょう。ダ・ヴィンチはたとえば《モナ・リザ》だって微笑一つわからないですよ。不思議な微笑を描いている。聖母マリアだってダ・ヴィンチが描くと不思議な崇高な女性が出てくる。ラファエロもずいぶん描いているのだけれど。
野田 あったかい、やさしい、きれいに描いてあって飾りになるのです。
加賀 それは言えますね。そして一番大事なことはラファエロにしてもミケランジェロにしても、ああいう画家や彫刻家たちが作った世界は、最初は言葉だった。言葉がないと彼ら立体的な美術というのはないのです。バッハは最初に言葉があるから受難曲のようなすごい宗教音楽を生んだ。言葉は何かというとイエスの語ったたとえ話なんですよ。誰にもわかるやさしい言葉なんだけれど、それはものすごい力をもった文学なんですね。だから、聖書として示された言葉には力がある。聖書ということばは奇跡なのです。
野田 誰の言った言葉かわからないですけれど、「美は一瞬の宗教である」と。僕は一瞬では困るのですよ。一枚の絵がそういう精神、魂の世界のもので祈りの対象になるくらいのものを描けたらいいと思うのです。それが一番向いているのが写実だと思うのです。ミケランジェロの壁画も彫刻もすごいし、フェルメールにもそういうものを感じてしまうのです。
加賀 リアリズムというのは「命」を模す。小説家の場合は命の物語とか小説とか詩になる。そういう表現力を持っています。画家の場合は「命」を絵にする。ものすごい表現力でもって命の世界を描くことができる。もう一つは音楽で、ヨーロッパの中の最高のものはバッハでしょうね。バッハの全作品の中で最高のものは言葉がある、「ヨハネ受難曲」です。聞くことによって心慰められるし、それからキリストのやさしい心というのが流れるように音楽になって出てきている。言葉として聞いているかというと音として聞いていることが多いわけだけれども、音も言葉も同じで何かの表現なんだな。そしてその表現というのは言葉にならない人間の心、つまり魂のようなもの。魂というのは心の底にある不思議な作用を魂と呼んでいるのですけれど、魂は人間の体とくっついている。一人ひとりの個性を持っている。
野田 結局そこに行きますよね。それを描かなければしょうがないですね。
野田 今の若い写実をする人については、けっこう理屈は知っているのです。頭の体操もやりますし、でもそれでできる世界は薄っぺらいと思うのです。「命をかけて描け」といったらみんな逃げて行ってしまうし、「そんな絵を描いていたら殺すぞ」と言われたらみんなそのスタイルをやめられるのです。「殺すぞ」と言われてもやめられないところまで行ってしまわないことには、結局本当の絵はできなのではないかという気がするのですが。おかしい?
加賀 僕は最近『殉教者』という小説を出したのですが、そこにペトロ岐部という江戸時代のキリシタンの信仰を描いてみました。あんな昔に彼は世界を一周する。そして信仰の証として、日本に帰り、殺される。不思議な人物です。
野田 どこまで絵にのめり込めるか。自分の人生をかけてもやる価値のあるはずなのですけれども、そこに本当に心からたどり着くかは難しいですよね。食わなければならないから売れるというのを目指してしまう。
 そこを突き抜けるのはどうやっていくのかわからない。でも一つだけはっきりいえるのはデッサンをとことんやることですよね。正確に見て、正確に、描く。「正確に」は形だけではないですよ。存在そのものもよく見つめてというか。それで描く。とんでもないしんどい仕事です。でも今の人はそれをやらないです。写真を撮って引き写したら、ある程度描写力がなくても描けてしまうけれど、それでは本当のところに行き着けないような気がするのです。僕も今は写真から描いていますが、自分が何を描くのか摑んでいるつもりです。
 描く法則、心理を探ろうとすると、ヨーロッパの古典を探るしかなくなってしまう。
 モーツアルトより僕はバッハ、ベートーヴェンなんですよ。ユーディ・メニューインは「モーツアルトは耳で聞く、ベートーヴェンは精神に働きかけてくる」ということを言っているのですけれど、精神に働きかける絵がリアリズムだと思うのです。「あー、うっとり、きれい、飾りになる」と買ってくれるのはいいのだけれど鑑賞する人も勉強しなければ困るのです。バッハだっていきりなり聞いたらわからないですよね。やはり勉強しなければいけない。絵もそういうものだと思うのです。」安田茂美・松井文恵『写実を生きる 画家・野田弘志 写実絵画とは何か?』生活の友社、2017年、pp.54-61. 

 写実画家・野田さんのいうことは、やや素朴な実作者の感慨だという感じがするが、リアリズムという態度が高い精神性を追求するものだということはよくわかる。


B.死者を悼むのも人間だけ
 人はいつか死ぬ存在だということは、誰もが知っている。不老不死は人類の願望であっても、死ななかった人間はいない。だから、葬儀、弔いの儀式が行われ、その死者が生きた記憶を残された者が確認することで、見送る。つまり、そこで記憶を振り切り忘れる。こういうことをするのは人間だけ、だろう。だが、今の日本では葬儀がどんどん簡素化され、脱宗教化しつつあるとみられている。これはどういうことなのか。

「月刊安心新聞+「葬儀の消滅」まで進むのか 「共同体」すり減る日本 :上里達博
今年は、実に多くの著名人が亡くなった。思いつくままに挙げれば、政治家だけでも、海部俊樹元首相、石原慎太郎元東京都知事、安倍晋三元首相、ゴルバチョフ元大統領、そしてエリザベス女王が、他界した。
 どんなに時代が混迷しても、確実なことが一つある。それは私たちの誰もが、例外なく、いずれは死ぬ、という事実である。そしてつくづく、人類は不幸な存在だと思う。自分自身がいずれ消えてなくなることを、明確に理解しながら生きていかなければならないのだから。そんな生物は他にはいないだろう。
 弔いや宗教は、そんな死という「理不尽」を乗り越えるために生み出されたものであるとも考えられる。ネアンデルタール人が約5万年前に死者を埋葬していた証拠が見つかっている。以後人類は、いかなる地域、いかなる民族であれ、なんらかの形で死者を弔ってきた。死に対する振る舞いこそが、人類を他と分かつ、分水嶺なのだ。
 さて、地域や時代によって異なるものの、歴史的に見れば、共同体が主体となって死を取り扱うことが多かった。例えばかつての日本の葬儀は、地域共同体が「葬式組」を組織して行うものであった。そこでは、遺族は「ケガレ」を広げぬよう、むしろ受動的な立場におかれる。またヨーロッパでは12世紀以降、教区教会の共同体が祭祀を執り行った。その後、近代化の流れのなかで、その役割は地方自治体が継承していく。
 むろん、自分が死んだ後どうなるかは誰にも分からない。だが、自分の属する共同体が、敬意をもって、大切に死者を扱う姿を見ていれば、人は、死への本源的な不安を、和らげることができるのではないか。
 しかし近年の日本社会の弔いは、急速に簡素化が進んでいる。通夜や告別式などの儀式を行わない「直葬」も選択されるようになってきた。その理由としては、高齢者が増え寿命が延びたことで、葬儀に参列する人の数自体が減ったことや、高齢になると高額な葬儀費用を払うのが難しくなるため、といった指摘がある。これらの要因に加え、新型コロナで参列を控えるようになったことが追い打ちをかけているようだ。
 だが、理由はそれだけだろうか。
 「近代」にはさまざまな特徴があるが、死を隠蔽する方向に発展したということはよく指摘される。一つには、資本主義と死の相性が悪いからだろう。そもそもこのシステムは、経済の無限の拡大を前提としている。だから有限の身体を持つ私たちは、どこかで資本主義と辻褄が合わなくなるのだ。ちなみに環境問題も、有限の自然環境と、無限の資本主義の齟齬として捉えることは可能だろう。
 また、資本主義は基本的に共同体を必要条件としない。企業は、利潤を生みだし拡大していくことを使命とする。だから多国籍企業は国境をやすやすと越え、国家と対立することも辞さない。一方で共同体は、過去から未来へと、構成員と領域を継承していくことにその本質がある。
 平成期は、日本がグローバル化や新自由主義の波にもみくちゃにされた時代である。その結果、それまではある意味で地域共同体の役割を代替していた「会社共同体」も「改革」され、普通の機能集団に転換することが求められた。
 それでも、もし他の「中間集団」が十全に機能していれば、新自由主義などの衝撃は小さかったかもしれない。
 中間集団とは、国家と個人の間に位置して、両者を媒介するものだ。日本においては企業のほか、学校、労働組合、NPO、農協などがある。
 例えば米国では、教会が毎日炊き出しを行い、バザーやチャリティーによって貧困層を支えている。しばしばアメリカ人は強い個人主義者と理解されることが多いように思う。だが、それは大企業の経営者やスポーツ選手など、成功者のイメージが過度に流布しているためだろう。現実の米国社会は、教会などの中間集団がセーフティネットの役割を担うことで、維持されているのだ。
 他方、日本では、企業が共同体的な役割も担いつつ、中間集団として機能してきた。だから企業がその任を放棄すると、社会が立ちゆかなくなる。そうなれば「最後の砦」は家族だろう。だが最近は、格差社会の進展で、家族すらも頼りにできない人が増えている。「実家が太い(=裕福な家庭に育った、の意味)」という言葉がよく使われるようになったのも、その一つの表れだろう。
 「米国のような国」を目指して改革を進めた結果、「個人の孤立」という点では、いつの間にか米国を追い越してしまったのではないか。
 このような、共同体性が極端なまでにすり減った日本社会において、人類史にほとんど例のない、「葬儀の消滅」という事態が進行しているとすれば、恐るべきことだ。
 周知の通り日本では今、国葬や宗教団体のあり方に大きな注目が集まっているが、政府は国葬を行う合理的な証拠を示せていないし、自民党の調査も不完全だ。国民からの批判が日に日に高まるのも当然だろう。
 だがもしかすると、弔いや信仰の問題がこれほどまでに関心を集めている理由の一部には、私たちが漠然と感じとっている、共同体の衰退・消滅への危機意識が、含まれているのかもしれない。
 ともかく、死者をないがしろにするような時代は、きっと生者にとっても、生きづらい。」朝日新聞2022年9月23日朝刊13面、オピニオン欄。
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写実絵画の技:野田弘志・加賀乙彦の交流 やめられないのか?

2022-09-22 13:14:00 | 日記
A.加賀乙彦との対談
 1983年から朝日新聞に連載された加賀乙彦の小説『湿原』に、写実画家の野田弘志は628枚の挿絵を描いた。それ以来、野田弘志という人の作品と名前が、世間に知られるようになった。現代美術の中では、目に見えたままを精密に描く写実絵画は主流ではない。それは、写真というものが19世紀に登場し、20世紀には目に見えたままを映像で画面に定着する写真の技術が発達して、写真でできることを人間が手で時間をかけて描くことの意義はなくなってしまった。画家は写真ではできないことを絵画が表現するのだ、という前提ですすんでいった。しかし、写真やデジタル画像ではできない表現を追求する写実画家はいる。野田弘史は、『湿原』の挿絵を、毎日1枚の絵を描くのは無理とはじめ断ったが、加賀乙彦に説得され、一緒に小説の舞台になった北海道を訪ねて、この仕事を完成させたことで、新しい世界が開けたという。その加賀との対談が、『写実を生きる』生活の友社 2017年に載っているので、その一部を引用させていただく。

 「加賀 僕は画家の世界をよく知りませんでした。とにかく朝日新聞社が持ってきたデッサンの中で一番感心したのが野田さんだった。どうしてかというと、非常に細密画だった。そして鉛筆の動き、白と黒と灰色の配置がまったく鉛筆一本でそのまま百種類ぐらいの色彩画に見えるわけね。びっくりしました。これは大した人がいるなあと思いました。
 この鳥の巣の絵を見てもうこれが絶対いい。どこがいいかというと、自然が生きている。生き返っている。鳥の巣というのは何か乾ききったもので、生きたその植物はそこにないわけだけど、野田さんがそれに丸みと生命を吹き込んで、時々卵なんかも見えるくらい鳥の生活が生き生きと感じられるような巣だったんですよ。
 連載が全部終わってから展覧会をやりましたね。その時、僕は初めて本当の鳥の巣を見た。そしたら乾からびてぺしゃんこになっていて、とても生命が吹き込まれているとは思わない。だからこの画家のイマジネーションは実際にあったものを描くのではなくて、本当は枯れてしまったものに生命を吹き込む。そこから小鳥たちが飛び立つような勢いが筆先にある人だなと思った。そういう絵の完成度を、最初のころ、見定めたいと思います。
 「これは絶対いいから」と言ったら「とてもでないけど挿絵でこんな絵を毎日描いていたら大変、私にはその力がない」とか何だかんだおっしゃったけど、私は食い下がった。「少しずつ描きためていけばいいではないですか。僕もそうなんだから」という話をして頭を下げていました。
 僕の小説は北海道を舞台にする小説だった。北海道東部に釧路から始まって内地ではまったく考えられないような奥深い湿原があって、それは人の入ったところではなくて自然そのままの場所でした。そこを舞台にする。「だから絶対に北海道に行って二人で見てきましょう」と言ったら「それいいね」ということになったんですね。まあ北海道旅行をえさに、挿絵を引き受けていただいた。
 ドストエフスキーに写実の方法を学ぶ
加賀 僕の小説の書き方と野田さんの絵がちょっと似ている。僕の文学というのは実在する人物をモデルにして、その性格とか出自とかを微細に観察した末にそのどれかを取って行くというもの。だから、写実の人物に対してイマジネーションが働き、それが動き出すわけです。
 その写実方法を学んだのがドストエフスキーだったんです。ドストエフスキーはいろいろな小説を書いています。二十八の時に革命家でテロリストの一味であるとされた。そういう事実はなかったのだけれど、急進的な政治家の講演を聞きに行っていて、反逆者にされて起訴された。そのあげく死刑の判決を受けるのです。そして処刑の日が来てペテルブルクの連隊の庭に引き出された。ドストエフスキーは四番目か五番目だったのです。いざ処刑が始まるときに向こうから馬に乗った将校が走ってきて、「皇帝陛下のお慈悲によりお前たちの処刑は取り下げる。しかしシベリアに四年間の抑留をし、そこで刑務所に入る」と。ドストエフスキーは死ぬ覚悟をしていたのに助かった。
 シベリアへの旅の途中でかつてシベリアに流刑された革命家の家族たちが聖書をもって並んでいて、「これを差し上げます」と旧約聖書と新約聖書が一緒になった聖書をくれた。ドストエフスキーは、ありがたいことかもしれないなと思って持って行って、四年間それだけが読書になった。そして全部読み終わったときに、「聖書とはものすごい文学である。今まで聖書について少しは知っていたけれど、こんなに隅から隅まで読んだのは初めてだ。聖書こそは大文学だ」と思うのです。自分の罪の意識、殺人の疑いで逮捕されたのだからその殺人者の心、そういうものを乗り越えたものが彼に生まれるわけです。と同時に自分も一緒にシベリアの獄中で徒刑衆として働かされるわけだけれども、その徒刑衆一人ひとりの性格を見てそれをスケッチしていく。四年の刑期が終わって自由の身になるが、まだモスクワやペテルブルクに帰る許可がでない。向こうで最初の小説『死の家の記録』を書いた。それはドストエフスキーが今まで写生してきた登場人物、獄中で知り合った人を上手くタイプ別にしていて、非常に面白い。
 僕は精神科医になったときに二年半くらい刑務所で働いたのです。その間に多くの殺人犯を見た。そうしたらドストエフスキーが書いているとおり、日本人でも同じような性格の殺人犯がたくさんいる。日本のドストエフスキーの研究家が言うように、彼が空想で書いたのではなく、実際によく観察してそれを作品の人物にしたんだということがわかった。だから僕は最初から、モデルがいてモデルをきちんと描けるようになったら作中人物として取り出して、いろいろ組み立てて作っていくという小説の書き方です。こういうものを僕はリアリズム小説と呼んでいるのです。
 リアリズムでない小説はファンタジーといって、見たことも聞いたこともない人を自分のイメージで考えて、それを配置して面白おかしく作る。だけど人間にはどんなに想像力が優れた人でも限度がある。一人の作家から同じタイプが出てくる。そういうファンタジー小説がたくさん出ています。その傾向は日本では70年代に入ってから。「叱言」を書いた1985年くらいからどんどんイマジネーションの時代で自由な想像力を発揮するファンタジーの世界、ポストモダンの世紀が来たというときにぼくは小説を書き始めた。荒波にもまれて流されて行く感じで文壇に入っていったのです。
 そのときに野田さんのような人と一緒に仕事をすることができたのは、僕にとってはすごくうれしい出来事だった。文壇の時流に相反する動きではあったけれども、それがかえって根が深くて誰にも動かされることのない自分ひとりの独創的な小説の世界を作り出せるということ。野田さんの絵を見たときに思った。リアリズム、つまり死んだものを実際に描いていくときに、この画家の筆はどんどん生き返っていく。生命の充実というものを取り出してくる。野田さんがどんな対象を描いてもそうなのです。動物とか骸骨とか、少なくとも生命を持っていたものが画題になっているのがほとんど。僕は「ぜひお願いします」と頼んだ。二人とも好きなものはクラシックの音楽で、一瞬の出会いが「鳥の巣」で、その鳥の巣から全部野田さんの絵の一つの流れが出てきた。他の人には描けない独特の写実絵画と、僕も独特の写生文学リアリズムと呼んでいるものに、二人でもって歩いていこうと。
 北海道へ二人で取材に 現地で体験して描く、書く
加賀 そしてそのためには自然を見るのが大事だからと北海道に行った。「前に何回くらい来たの」と聞いたら「初めてだ」と。「春夏秋冬を舞台にして小説を書いていくから、四季折々の北海道の自然を二人で見に行こう」と何回も行きましたね。湿原の中に入ってみたり、釣りをしたり、雪原をスノーモービルで走ってみたり、枯れ果てた場所にも行って、木が死んだ感じがいいとか。遡上する鮭の様子も見に行った。上流に行って卵産んだあとに鮭の親は死にますが、死んだのはホッチャレといって他の動物の餌食になっている。鮭を食べるのは主にクマでしたけどね。そうした取材旅行を積みかさねて、北海道の自然を描いていったのです。
 11月1日の猟の解禁日も朝早くから湿原に行って、五時か六時になって一斉に射撃の許可が下りる。カモが落ちてくる瞬間や、根室のあたりで流氷がいつ現れるかを待って自然の変化を見たり。一面に凍るのですが、春先にその氷が割れてバリバリいいながら海に流れていく瞬間を何日も待ちましたね。
野田 現地で経験してみて、より現実をしっかり見るようになりました。ジープで走り回っているときと立ち止まって足元を見るとき、まるで違う景色が見えるのです。ミクロの世界まで見えます。広大な湿原に小さな花が咲いていたり、そこに宇宙がある。それを顕微鏡で見ると、また別の世界が見えます。それは実地で体験して勉強になったのです。
 一日中挿絵を描いて首が動かなくなった
加賀 小説の世界もそれに近いのですが、旅行する、自然を見る、外国にも盛んに方々に行っていろんなものを見る。特に絵画などはヨーロッパの美術館にたくさんのものがコレクションされています。何年か経ってまた見に行く、そんなので楽しむことを覚えた。
 連載が終わる頃、野田さんから電話があって、「大変だ、首が動かなくなった」と言う。僕は三井記念病院の整形外科部長が同級生だったので、彼に頼んだ。「朝日は僕も取っている。すばらしい画家、その人だろ。では治さなくちゃ」ということで、横浜から東京に通ったんだね。友達が「これは一日中微動だにせずに突っ立っている人の首、細かく描いていって、数日動かなかったんだろうね。やっぱりもみほぐすしかないんだけど、幸い骨には損傷ないからすぐに治るだろう」と言っていました。治りましたよね。
 「湿原」の挿絵で全国区に
野田 それにしても、僕にとって「湿原」の仕事はいろいろな転機になりました。僕のリアリズムはあるがままに描こうというものですけれど、根っこに「生」とか「死」があったわけです。少し哲学的な方向を持っていた。「湿原」の中に何度も何度も読んでくたくたになったリルケの『マルテの手記』が出てくる。僕も買ってきたくたくたになるまで揉んでそれから描いたのですけど、加賀さんがそうやって書くからには中身がいいんだろうと読んでみたらすごく良かった。リルケというのは結婚してすぐに別居するのです。そしてロダンのところでバイトをする。ロダンからいろいろ目を開かれていって、最後はセザンヌに行ってしまうのです。リルケというのは絵と彫刻とか密接に、リアリズムの作家とくっついています。その理論が初めは難しくてわからなかった。でも僕にぴったりくるのです。
 だから、すごいとっかかりをもらったという感じです。そこからいろいろなところに開けていくのです。僕は「湿原」の挿絵を描いて全国区になったのです。新聞というのはすごい威力があって手紙がたくさん来る。それから挿絵が教科書に載るようになって、その挿絵について書いてくれた人、たとえば保苅瑞穂さんと知り合いになって、保苅さんからプルーストやらマラルメやらヴァレリーのほうに開けていった。全部とっかかりは「湿原」です。加賀さんは神棚に置いてお祀りしてもいいです。」安田茂美・松井文恵『写実を生きる 画家・野田弘志 写実絵画とは何か?』生活の友社、2017年、pp.40-48. 

 小説と絵画、小説家と画家が協働してひとつの作品を仕上げる、という作業は、うまくいくとは限らない。アートの創作といっても、文学と美術の創作空間は異なる。絵画のことに通じた作家と文学のことに通じた画家というのは、いることはいるが、深いレベルでとなると多くはない。むしろ、自分が知らない分野について、お互いにパーソナルな交流を続けることで生産的な関係が生きてくる。この野田弘志と加賀乙彦のような関係は、やはりかなり年輪を重ねないと無理だろうな。野田弘志さんは1936年生まれで今86歳、加賀乙彦さんは1929年生まれでいま93歳。『湿原』連載時には、野田さんはイラストレーターから画家に専念するようになる47歳、加賀さんは精神科医を続けながら長編小説に取り組んだ54歳、と脂ののった時期だった。


B.やめるにやめられない茶番儀
 先日のエリザベス女王の国葬は、世界の注目を集めしめやかに行われたことは周知の通り。だからいっそう、これから日本が行う安倍晋三元首相の国葬は、大方の失笑を買うはずだ。これこそ日本国の失態ではないか。日本国民の一人であるぼくが、こういう形で弔意を示すのは間違っていると思うのだから、諸外国が儀礼的にせよ国葬に出席するのをためらうのは当然だと思う。安倍氏の外交というものも、時代遅れの反共思想と対米従属から途上国に金をばらまいただけで、さしたる成果はなかった。

 「〈国葬考〉「自民を弔う葬儀」に見えてきた  作家 赤坂真理氏
 国葬の日が近づいている。安倍晋三元首相を悼むはずの儀式だが、作家の赤坂真理氏は「安倍氏の死そのものが遠くなっている」と指摘する。国葬は誰のためのものなのか。話を聞いた。
――岸田文雄首相は国葬を早々に決めました。どのように感じましたか。
「一国の元首相が、殺され、しかも銃で撃たれるという、尋常でない亡くなり方をしました。そこで岸田首相はとっさに『民主主義の敵による暴力によって倒れた偉大な国民的政治家』を演出しようとしたのではないかと思います。『偉大な政治家が自民党にいた』ように『見せる』ための国葬。それが最初のアイディアではないか、と」
「なにもうまくいっていないのにうまくいっているように『見せる』ことは安倍元首相の言動の本質だったと私は感じています。オリンピック誘致のスピーチで原発事故の汚染水問題について『the situation is under control(状況は制御できている)』と言ったのは象徴的です。その態度を、岸田首相も無言のうちに引き継いでいる感じがしました」
――しかし、今回は「見せる」ことに失敗しているのではないでしょうか。
「それだけでなく、自民党の『中身のなさ』が明らかになりつつあります。本当は既に終わっているのに、終わっていないように見せかけてきた自民党の実態を、銃撃事件が暴露した。空虚さが白日の下にさらされたのです」
――空虚とはどういうことですか?
「もともと理念が何もない党だということです。米国の要請で日本を『反共のとりで』とし、米国の言うことをなんでも聞く。それを自発意志でやっているように国民に見せかけてきた政党ですが、今となっては共産主義は『資本主義に敗れた陣営』としか人々は思いませんし、『共産主義への恐怖』にもぴんと来ない」
「自民党が掲げる『保守』や『愛国』の実態は、最初からよじれていました。もし本当の保守であったなら、市場自由化と改革に血道をあげるはずがありません。愛国であったなら、外国の軍隊が駐留することに賛成しません。むろん、日本を従属的な地位におく旧統一教会と手を組みません」
――「霊感商法」などで問題が指摘された宗教の力を政治が利用していたことも明らかになりました。
「自民党が中身を伴わない『保守』や『愛国』の空疎な政党だからこそ、組織力さえあれば続けられたのでしょう。人を集め、動かす力は、政治より国家より宗教の物語の方が強い。だから、政治にとって宗教が有用だった。しかし、利用できると思ったら甘かったことが、今回の事件で明らかになったのではないでしょう」
――旧統一教会と自民党の関係は、国葬をめぐる世論の分断も生んでいます。
「この国葬は大きな負債を残し、もしかしたら岸田政権の命取りとなるかもしれません。安倍氏の葬儀のはずなのに、安倍氏の『死』というものは遠くに忘れられ、功績をたたえる声も、悲しむ声も聞こえなくなっています。もはや誰のための国葬か、決めた岸田首相にさえわからなくなっているのかもしれません」
「私には『自民党自体の葬儀』のように見えてきます。安倍氏は『保守』や『愛国』をめぐる自民党の元々の混乱、戦後日本の複雑なよじれを一身で体現する近年唯一の首相だった。そういう意味では、安倍氏は『自民党を弔う国葬』の象徴に向いてはいる」 
「しかし、その後に何が起きるのでしょうか。歴史を振り返れば、人々は大きな空洞の後に別の何かを求めてきました。自民党に代わる勢力もない中でこの空洞がどこへ向かうのか国民には、今が正念場であり、そして今が危ないともいえるのかもしれません」 (聞き手・田中聡子)」朝日新聞2022年9月20日朝刊3面総合欄。

 そのとおり!
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E・デュルケーム再読 7 まとめ  英連邦離脱か

2022-09-19 19:37:26 | 日記
A.ふたたび『社会分業論』
 デュルケームの生きた19世紀末から20世紀はじめのフランス社会が、その内部に抱えていた問題を実証的経験科学としての社会学という方法で、彼がどう分析したのかを、『社会分業論』と『自殺論』で考えてみた。それから百年以上が経過して、その間2つの世界戦争があり、ロシアにできた社会主義政権が、世界を二つに分けて対立した冷戦時代ももはや終焉し、西欧社会は往年の輝きは失って、世界はいろいろな意味で大きく変わった21世紀の現在だが、いまデュルケームを読んでみると、彼が問題にしていたことは意外にも有効期限は切れていないと思う。彼に先行した19世紀前半の社会思想家たち、コント、スペンサー、サン=シモンらが考えたことはやや大風呂敷ではあったが、ヨーロッパで実現した近代社会が、それまでの人間と社会に関する理論ではうまく説明できないある困難を抱えており、そこに強引な歴史的方向性、つまりダーウィンが唱えた生物進化の法則にならって、未来への進化進歩というものを、「科学的」に説明できるのだと唱えていた。それは前近代社会との対比で、宗教が人間の意識と行動を支配する共同体が壊れ、啓蒙的理性つまり人間のロゴスが新しいものを生み出し、人びとと社会が変わっていくことが、進歩・社会の進化だという理想である。
 しかし、そうした理論は多分に空想的・観念的で、現実に起きている事態を明確に捉えるには、方法的に難題を抱えていると、コントの後継者を自認するデュルケームは考えた。近代社会が前近代からの脱皮を図り、新しい問題を解決して進歩するためには、その変化の方向とそれをどうやってコントロールすればよいかを、「科学的」に探求する必要がある。そこでまず彼は近代社会を特徴づける「分業」が、フランス社会をどういう方向に動かしているか、そこに生じる動揺や混乱が、旧来の道徳や規範では人々を統御できないこと、ではどのような形でそれを克服できるのかを、デュルケームの社会学は考えようとした。
 最後に、『自殺論』からもういちど『社会分業論』の最後の部分を読んでみた。

 「われわれは、分業をそれ自体において、まったく理論的な仕方で研究し、それが何に役だち、何に依存するのか、を探求しなければならない。つまりは、分業にかんしてできるだけえ適合的な観念をつくることである。そうしたうえでこそ、われわれは分業をほかの道徳的諸現象と比較することができ、それが、これらの現象とどんな関係にあるかを明らかにすることができるであろう。そこで、分業が、まちがいなく道徳的かつ正常な特質をもった他の慣行と同じ役割を果たしていること、ばあいによって分業がこの役割を果たさないことがあっても、それは異常な逸脱によるものであること、さらに分業を決定する諸原因が諸他の道徳準則の決定条件と同一であること、以上のことが明らかにされるならば、われわれは分業をこれらの道徳的諸準則と同列に分類しなければならぬと結論できるであろう。もちろん、われわれは諸社会の道徳意識の代りにわれわれ〔の意識〕をおくことをしてはならないし、それに代って法律を制定するようなことをすべきでもない。われわれのできることは、諸社会の道徳意識に少しばかりの光を投げかけ、その混迷を軽くすることを探求することである。
 したがって、本書での研究は三つの主要部分にわけられる。
 第一に、われわれは分業の機能がいかなるものであるか、すなわち、分業はどのような社会的要求にこたえるものであるか、を探求するであろう。
 つぎに、分業がよってたつ諸原因と諸条件が決定されるであろう。
 さいごに、もし分業が、多少の差はあってもしばしば現実に正常状態から逸脱することがなかったとすれば、分業はこれほど重大な非難のまとにはならなかったであろう。それゆえ。分業の正常形態と異常形態との分類をこころみるであろう。生物学においては、病理学的なものが生理学的なものをよりよく理解させる一助となるが、この研究もまた、ここにこれと同じ利益をもたらすであろう。
 さらに、分業の道徳的価値については多くの論議がされてはきたが、それは道徳性の一般公式について共通の見解がないためであるよりは、われわれがこれから手をつけようとしている事実の問題をあまりに無視してきたためである。ひとは、いつでもこの事実の問題があたかも自明であるかのように思いこみ、また、分業の性質、役割、原因を知るためには、われわれ各人がいだいている観念を分析すればそれで足りるかのように推断してきた。こういう方法が科学的な帰結をもたらすはずがない。だから、アダム・スミス以来、分業理論はほとんど進歩しなかったのである。シュモーラー氏もいっている。「こんにちでは、すでに社会主義者たちがその観察領域をひろげて、現代の工場内分業を十八世紀の作業場のそれと対比するところまでいっているのに、アダム・スミスの後継者たちは、きわめて貧弱な思想でもって彼の残した範例や注釈になおしつようにかじりついてきた。しかし、こうした社会主義者たちの貢献によってもなお、分業理論は体系的な、深くほりさげたやり方では展開されてこなかった。何人かの経済学者たちによる技術論的考察や月なみな真理をひきだすにすぎない観察もまた、この分業の思想の発展にことさら貢献するところがなかったのである。」分業が客観的に存在するということを知るためには、われわれがそれについてつくりあげた観念の内容を展開させるだけでは不十分なのだ。さらに、それを客観的事実としてとりあつかい、これを観察し、比較しなければならぬ。そうしてはじめて、われわれは、これらの観察の結果が、われわれの内なる感情が示唆する結果としばしば異なることを知るのである。」E・デュルケーム『社会分業論』田原音和訳、青木書店1971年、pp.429-431. 

 ぼくたちは、デュルケームよりも前に、近代社会の問題を「分業」ではなく「資本主義」の問題として、経済学批判を展開したマルクスの仕事を知っている。マルクスにも社会は歴史のなかで進歩するという発想があるが、マルクスの階級闘争理論や唯物弁証法は、それを現実に国家権力に移した時に、結局社会主義政権が破綻してしまったことで、こんにちの社会理論としては機能しないものとなった。デュルケームの理論は、それとは違った発想のもの、ある意味では保守的なものだったが、社会を安定的に存続させるにはなにをしなければならないか、人間同士が作る社会を生きるに値するものと感じさせるにはどうすればよいか、それは社会学の課題であり、さらに社会の課題だということを言っている。
 はじめにぼくが考えたのは、今の日本で「死刑になりたい」といって犯罪を犯す若者が、次々出てきたという事実に、これはいったいどういうことなのか?という疑問を、百年前のフランスに遡って考えてもいいのではないか、ということだった。デュルケームの言う「アノミー」という状況は、まさに今の日本で起きているのではないか。犯罪の原因を、目に見える貧困や狂気や即自的妄想に求める理論では、うまく説明できない。自殺論にからめて考えれば、これは犯罪者個人の問題ではなく、社会の持つ問題、とくに人々の欲望のあり方とそれをコントロールする規範・道徳の力が衰弱しているという問題なのだと、デュルケームは言っていた。これはかなり説得力があると思う。カソリック教会の力がまだ大きかったフランスでも「アノミー」は起きていたが、21世紀現在の日本社会には、もともと宗教の規範としての抑制力は希薄で、人びとの行動を規制するものは、あいまいな倫理規範である周囲への同調圧力と先祖崇拝、法律くらいしかなく、一神教のような強力な精神的権威はない。これが、明治開国以来、日本政府の幹部たちの心配で、だからこそキリスト教の浸透に対抗する原理としての天皇を国家神道として普及させようとしたのだと思う。それはある面では成功したが、軍国主義につながり国家の敗北を招いたことで、負の側面が顕在化した。


B.英連邦からの離脱?
 英語でコモンウェルス・オブ・ネイションズ(Commonwealth of Nations)、通称コモンウェルス(Commonwealth)というのは、かつてイギリス帝国のほぼ全ての旧領土である56の加盟国から構成される経済同盟で、そのうち現在も英国君主が国家元首の国は:オセアニア〔オーストラリア・ニュージーランド・パプアニューギニア・ソロモン諸島・ツバル〕、北米〔カナダ〕、中米・カリブ海諸国〔ジャマイカ・バハマ・アンティグア‣バーブーダ・ベリーズ・グレナダ・セントクリストファー‣ネビス・セントルシア・セントビンセント‣グレナディーン〕など14カ国ある。このたびのエリザベス女王の逝去にともない、新国王チャールズが即位したわけだが、いくつかの国で共和制への移行を検討しているという。
 大英帝国が植民地にした国・地域のうち、女王を国家元首に戴くことで国際的に経済上・軍事上のメリットを得てきた国も、もはや新国王を元首に戴くことのメリットより、独立共和国になることを国民は望んでいる流れにある。大英帝国は昔日の面影は失ったが、それで困る人は19世紀の王党派しかいない。女王国葬は誰も文句はいわないが、大日本帝国はとっくに消え去ったのに、偏狭な政治家を国葬にする国は時代錯誤というしかない。

 「カリブ海諸国 英王室離れ模索
 英国のエリザベス女王の死去を受け、英国王を国家元首とする駐米カリブ海諸国で共和制への移行を模索する動きが活発化している。チャールズ国王への七十年ぶりの代替わりを機に、英王室と植民地支配の過去などがあらためて問われている。
 英国以外で英国王を元首とするのは十四カ国あり、中米カリブ海地域にはジャマイカやバハマなど八カ国が集中している。八カ国はいずれも英国の植民地から独立しており、英国が関与した黒人奴隷貿易や経済的搾取といった負の歴史の影響も受ける。
 英ITVニュースによると、このうちアンティグア・バーブーダのブラウン首相は十一日、三年以内に立憲君主制を廃止して共和制を選択するかどうかの国民投票を実施する意向を表明。「敵対行為ではない。真の主権国家になるための最終ステップだ」と述べた。
 米政府メディア「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」によると、セントルシアにも同様に国民投票を目指す動きがあるという。VOAは、ジャマイカでは八月の世論調査で56%が英国王を国家元首とするのをやめることに賛成していたと指摘。「(多くの国で)女王の死は間違いなく転換点になる」とする識者の見方を伝えた。
 三月にウィリアム王子(現皇太子)がジャマイカやベリーズを歴訪した際には、過去の植民地支配に対して謝罪や賠償を求める活動が起き、黒人の権利意識向上や英王室への複雑な感情が示された。カリブ海諸国では英連邦バルバドスが昨年十一月に立憲君主制から共和制に移行している。(ニューヨーク・杉藤貴浩)」東京新聞2022年9月18日朝刊4面国際欄。
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E・デュルケーム再読 6  自殺の3類型  学校の部活はいま

2022-09-16 10:21:36 | 日記
A.なぜ自殺なんかしたのか?
 デュルケーム『自殺論』で提示された自殺の3類型は、よく知られている。これは二つの軸が交叉する四象限に対応するもので、じつは理論的には4つの類型ができる。二つの軸とは、個人的⇌集団的と、積極的↹消極的の軸と考えられる。つまり個人的消極的な動機によるものが自己本位的自殺、集団的積極的な動機によるものが集団本位的自殺、個人的積極的な動機によるものがアノミー的自殺で、残る集団的消極的な動機によるものが宿命論的自殺となる。ただ、最期の宿命論的自殺には、デュルケーム『自殺論』では簡単に触れられているだけである。典型例で考えればわかるが、通常想像される孤独や悲嘆の果てに生きる希望を失って命を絶つのが自己本位的自殺、これは愛する妻を亡くして後追い自殺をするような場合だ。他方の集団本位的自殺は戦争で司令官が敗北の責任をとって自決するような例で考えればわかる。自殺の理由は個人的なものではない。問題は個人的でかつ積極的なアノミー的自殺である。これが自己本位的自殺とちがうのは、生きることへの強い欲求、それを阻み自分を貶める敵への怒り・憎悪ゆえにみずからの死をもって復讐するような動機があることだ。最後の宿命論的自殺は、ある部族が全員で滅びを選ぶような近代社会では稀な自殺である。
 デュルケームは、統計的データを使ってアノミー的自殺の特徴を探っていくが、それが宗教的にはプロテスタント、地域的には農村より大都市に多いことを指摘している。さらに、経済的に好景気の時期には自殺が減り、不景気になると増えるという仮説を述べるが、これには批判も多い。

「こうした形態学的分類は、この研究の当初にはほとんど不可能であったが、いまや原因論的分類によって基礎が与えられたので、試みることができる。そして、そのためには、じつは、さきに自殺について区別した三つの要因(自己本位主義、集団本位主義、アノミー)を手がかりにして、自殺が個人において実現されるときにまとう独特の形態がそれらの要因に由来しうるのか否か、またどのように由来しうるのかを追求するだけでよい。むろん、自殺の示しうるありとあらゆる特徴を、このように演繹することはできない。なぜなら、本人の固有の性質に由来するような特殊性もあるに違いないからである。それぞれの自殺者はみな、その行為に、自分の気質やそのおかれている特殊な条件などを表わす個人的刻印をおびているが、それらはけっきょく、自殺という現象の社会的・一般的原因によっては説明することはできない。ただし、この社会的・一般的原因も、それによって規定されている自殺に、その原因を反映した一種独特の色調や特殊な痕跡を印しているはずである。そして問題は、その集合的な刻印を見出すことにある。
 とはいうものの、その操作が、おおよその正確さしかもちえないことは確かである。われわれは、人びとによって日び行われている自殺や、歴史的過程のなかで行われてきた自殺をすべて組織的に記述できるような状態にはいない。たかだか、もっとも一般的な、もっともいちじるしい特性を指摘することくらいしかできないが、それらをえらびだす客観的基準すら与えられていないのである。そのうえ、それらの特性を、そこに起因しているとおもわれるそれぞれの原因に関連づけていくにさいしては、ただ演繹的な方法にたよる以外にない。せいぜい可能なことは、それらの特性が当然にその原因と関連がある、ということをしめすことにつきるのであり、そこでの推論は、つねに経験的に確証されうるとはかぎらない。ところで、いかなる経験によっても統制されないような演繹は、つねに疑わしいものであることを筆者も認める。しかし、そうした留保を付しても、なおこの探求は無意味であるとはいえない。たとえそれが、これまでの諸結果を例証するための一手段としか認められなくとも、なおそれは、その諸結果を、耳目にふれる観察上の事実やことこまかな日常的経験に密接に関連づけることによって、それらにいっそう具体的な性格を肉づけすることができるという利点をもっているはずである。そればかりではない、この探求は、明らかな差異が存在していても、ニュアンスの差しかないものとしてふつういっしょくたにされている一群の事実に、いくらかでも区別をつけることを可能にしてくれよう。このことは、精神病についても、自殺についても変わるところはない。一般人がみれば、精神病というものは、ただ状況に応じて外面的にいろいろちがったかたちをとりうるだけの、もとはただ一の同じ状態だということになる。ところが、反対に精神病の専門医にとっては、この用語は多くの病理学的タイプをさしめすものなのである。それと同じことで、ふつう人は、自殺者といえば、すべて生を重荷と感じている憂鬱な人間を思い浮かべる。だが、実際には、人が生を放棄するという行為は、その精神的な意味も社会的な意味もまったくちがっているさまざまな種類にふりわけられるのだ。

 自殺の第一の形態〔自己本位的自殺〕は、たしかに古代にもみられたが、しかし、それは今日とくに増加している。マルティーヌのラファエルがその典型的なタイプにあたる。その特徴は、行動への活力を弱める憂鬱なもの思わしさにある。事業、公職、有益な仕事、そして家庭の義務ですら、かれを、ただ無関心とよそよそしい感情にいざなうばかりである。かれにとっては、自分自身の外へ出ていくのがいとわしい。その代わり、思索と内面的生活のなかで、活動力において失われていたものがすべて回復される。意識は、周囲のものをすべて遠ざけ、みずからについて反省をめぐらし、自己をその固有の唯一の対象とし、これを観察し、分析することをもっぱらつとめとする。しかし、この極端な自己集中の結果、意識は、みずからと自余の宇宙のあいだを隔てているみぞをいっそう深くうがつばかりである。個人がこの点で自分自身の虜となるや否や、かれはひたすら、自分自身でないすべてのものから身を遠ざけるばかりであり、さらにその状態を強めることによって自分をつつむ孤独の状態を確立する。人は、ただ自己のみをみつめているときには、自己以外の他の存在に関心をいだく理由をみいだすことができないものである。あらゆる運動は、ある意味では集団本位的なものである。なぜなら、運動は遠心的なものであって、存在をその外部に向けてひろげさせていくからである。反対に、反省というものは、なにかしら個人的で自己本位的なものをもっている。というのは、反省は、主体が客体から離れ、そこから距離をとり、ついで自己自身にもどってくるときに、はじめて可能になるからであり、この自己自身への回帰がまったきものであればあるほど、それだけ反省は強烈なものとなるからである。人は、行動をすれば世界と交渉しないわけにはいかない。ところが反対に、世界について思惟するためには、それを外部から熟視できるように、世界との交渉を断たなければならない。おあしてや自己自身について思いをめぐらすためには、なおのことそれが必要である。したがって、その活動をすべて内面的な思索にかたむけている者は、周囲のすべての物事に疎遠になってしまう。かれが愛をいだくとすれば、それは、かれ以外の他の存在とみのり豊かな結合を成就すべく、身をささげ、結ばれるためではなく、自分の愛について思索をこらすためなのである。かれの情念はみせかけのそれにすぎない。なぜなら、不毛な情念にほかならないのだから。それは、心象(イマージュ)のむなしい結合として霧散してしまい、かたちあるものをなに一つ生みはしない。
 ( 中 略 )
 私が集団本位的自殺を設定したとき、かなりいろいろな例を引いておいたから、この自殺を特徴づける心理形態についてはいまさら長々とのべるまでもない。この形態は、集団本位主義じたいが自己本位主義と対立するように、自己本位的自殺の形態とも対立する。自殺を図る自己本位主義者の特徴は、あるときは憂鬱なもの思わしさ、またあるときはエピキュリアン的な無頓着さとなってあらわれる、一般的な銷沈状態にある。それにひきかえ、集団本位的自殺は、もともと強烈な感情に根ざしているために、かならずある種のエネルギーの発揚をともなう。義務的自殺のばあいには、このエネルギーは理性と意志のためについやされる。本人は、自分の意識が命じるがゆえに自殺をするのであり、いわば一つの至上命令にしたがっているのである。だから、その行為は、義務を果たしたときに感じる、あの静かな確信を基調としている。たとえば、カトーの死やボールペール少佐の死が、その歴史的なタイプにあたる。また、集団本位主義が先鋭な状態にあるときには、その行動もなにかいっそう情熱的で無反省的な性格をおびる。そのばあい人を死へ駆りたてるものは、信仰や霊感の激発である。その霊感じたいは、死が最愛の神と結びつくための手段と解されているか、あるいは人間の敵と信じられている恐ろしい魔力を和らげるための贖罪的犠牲と解されているかによって、歓喜すべきものにもなれば、陰鬱なものにもなる。偶像の車輪に満足げに押しつぶされて死ぬあの狂信者の宗教的熱情は、無気力におちいった修道僧のそれとも、大罪をつぐなうために自殺する罪人の悔恨とも似ていない。しかし、こうしたいろいろなニュアンスのちがいはあっても、現象の本質的な特徴に変わりはない。すなわち、その本質は能動的な自殺であるという点にあり、したがって、さきほど問題にした銷沈した自殺とは対照的である。
 だが、かれらがこのように造作もなく自殺をはかることが、エピキュリアンのあのさとりきった冷静さと混同されてはならない。自らの生命を犠牲に供するという傾向が、たとえきわめて根強い傾向で労せずして本能的な自発性をもって行われるとしても、とにかく能動的な傾向であることには変わりがない。この種の自殺の雛形とみなされる一例が、ルロワによって伝えられている。それは、あるひとりの将校の例である。かれは、いったん首つり自殺を図ったが成功せず、もう一度やりなおす準備をし、前もって最後の印象を書きとめようとつとめた。そして、こんな言葉を吐いている。「なんと奇妙な運命だ!自分はいま首をくくったばかりだ。意識を失った。縄が切れて、左腕から落ちたのだ……。さあ、やりなおしの準備はできた。もうすぐとりかかることになるだろう。が、自分はまだ最後の一服にかかろうとしている。いや、最後の一服であってほしいものだ。一度目は大した面倒もなく、まず上々のできだった。二度目もそう願いたいものだ。けさは一杯やることができたほど自分は落ち着いていた。われながら不思議なくらいだが、これこのとおりだ。そう、本当に安らかな気持ちで、自分は二度死のうとしている」。この平静さの下には、自殺をする道楽者が決して完全に隠しおおすことのできない冷笑も懐疑も、一種の、無意識の苛立ちもひそんでいない。安らかさは完璧なものであり、なんの努力の痕跡もなく、その行為は原因から自然に流れでている。なぜなら、本人の内にあるあらゆる能動的な傾向が、そのままこの行為の経路を用意しているのだから。

 最後に三番目の種類(アノミー的自殺)の自殺者であるが、かれらは、その行為が本質的に情念的であるという点において、一番目の自殺者と対立し、またかれらに喚起されて、最期の場面を支配する情念の質がまったく異なっているという点において、二番目の自殺者とも対立する。その情念とは、霊感でもなければ、宗教的、道徳的、あるいは政治的な信仰でもなく、また軍人的勇気でもない。それは怒りであり、また失望にともなってふつう芽生えてくるあらゆる感情である。ブリエール・ド・ボワモンは、1507名の自殺者の書き残したものを分析し、大多数の者が、まずなによりも激しい苛だちと倦怠の状態をそこに表わしていることを立証した。それは、あるときには、生一般への冒瀆や激しい非難であり、またある時には、みずからに与えた不幸の責めを負うべき特定の人物に対する威嚇や怨恨である。先行した殺人のいわば完成というべき自殺も、この同じ部類の自殺に明らかに属している。すなわち、人は、自分の生活を侵害したといって、ある人間を殺害し、しかる後に自分も自殺してしまうことがある。自殺者の憤怒がこれほど明瞭に現れる自殺もほかにない。というのは、この憤怒は、言葉によってばかりではなく、その行為によっても表現されているからである。自己本位主義の自殺者は、けっしてこのような暴力的行為にうったえることはない。もちろん、かれも生に対して不満をならすことがないわけではないが、しかし、それは悲嘆のなかにおいてである。なるほど生はかれにとって苦痛ではあるが、しかし、かれを激しい不快感によって苛だたせるわけではない。自己本位主義の自殺者は、生を苦痛と感じるよりは、むしろ空虚なものと感じている。生はかれの心をひかないが、かといって積極的な苦悩を課するものではない。かれのおちいっている銷沈の状態は、かれを激怒させることさえできないのだ。集団本位主義者の憤怒はどうかといえば、それはまったく別の意味をおびている。定義からいっても、そこで犠牲となるのはいわば本人自身であって、その同胞ではない。以上のようなわけで、ここには右の二つの心理的形態とは区別された形態が存在することになる。
さて、その形態は、まさにアノミー的自殺の本質のなかに属しているとおもわれる。じっさい、規制を受けない行動はたがいに和合することもできなければ、順応すべき条件に適応することもできない。したがって、いたましくも衝突しあわずにはいないのである。アノミーは、たとえ前進的なものであろうと、退行的なものであろうと、適当な限度をこえて欲求を解放し、幻想への扉をひらき、したがって幻滅への道を用意する。慣れしたしんできた地位から急に没落した者は、自分の意のままになると信じていたその地位が遠のいていくのを感じ、おもわず怒りにとらわれるが、当然その怒りは、真実にせよ思いちがいにせよ、かれが自分の没落の原因だとおもっているものにたいして向けられる。かりにその災難の責任が自分自身にあるとみとめれば、かれはみずからを恨むであろう。さもなければ、他人に恨みをいだくことになろう。前者のばあいには、自殺しか起こりえまい。しかし、後者のばあいには、自殺にさきだって、殺人かまたはなにか別の暴力の表示が行われる可能性がある。ただ、いずれの場合も、その感情は同じものであって、感情のさしむけられる焦点だけが異なっているにすぎない。本人が自殺をはかるのも、またそれにさきだって仲間のだれかを殺したり、あるいは殺さなかったりするのも、つねに怒りの爆発のただなかにおいてである。すべての習慣にこのような混乱が起こることによって、かれの内部に激しい興奮状態が生まれ、それは、必然的に破壊的行為をつうじてしか静まることができなくなる。このように高揚した情念の力の放出される当の対象はなにかということは、要するに二義的な問題にすぎない。その力のむけられる方向を決めるものは、偶然の事情なのだ。」E・デュルケーム『自殺論』宮島喬訳、中公文庫、pp.465-480. 

 秋葉原無差別殺傷事件の犯人から、安倍元首相銃撃犯への移行を考えるとき、デュルケームのアノミー的自殺の類型がまさにあてはまることに気づく。彼らは他者への暴力を行使し、自殺はしていないが、自分の抱える強い激情・憎悪をひとり静かに嚙み締めて世を去るのではなく、自分をこのような地獄に貶めた他者を、殺してから自死する自殺的行為といっていい。それはきわめて積極的な行為であり、しかも極私的行為であって、それを抑制し中止する道徳的規範は失われている。自己本位的自殺のように生きる意欲じたいが減衰している人間には、こんな激しい行動はとれないのだ。


B.学校の部活は必要か?
 日本の学校という空間では、部活というものが必要不可欠なものと思われてきた。でもそれは、昔からそうだったのではなく、学校制度が整備されてくる大正から昭和のはじめに、エリート階層の若者の趣味教養のいったんとして始まり、西洋のスポーツや技芸の学習が学校を通じて普及するという歴史があった。義務教育が全国民の必須となった戦後は、学校の部活は子どもの誰もが、そこに所属し熱心に取り組むことが「青春の輝き」であるかのような言説が作られた。でも、いまそれが疑問符にさらされている。

 「耕論:部活 そもそも何のため 
 部活のあり方が見直されている。先生の負担を減らすため、学校外に委ねたり移したりする動きも進む。そもそも、部活って何のためにあるのだろう。見直しをめぐる様々な視点とは。
 生徒自らの数少ない選択 :高橋 健一さん(船橋市立船橋高校 吹奏楽部顧問)
 さまざまに部活が議論されていますが、僕には大切な視点が欠けているように見えます。「学校ってなんなんだ」「人間ってなんなんだ」という根本の議論をせず、部活動だけを取り出して考えているからです。
 今の学校教育の最大の問題は、生徒が選べることがあまりにも少ないことだと思っています。担任を選べない、時間割は決まっている、学ぶ内容も決められている。自分で選んでいないことを、朝から夕方までやっています。自分で選ぶという経験をしなければ、自分の頭で考えなくなってしまう。いまは強制されている勉強だけで自分の価値が決まるかのような感覚を、生徒に与えてしまっています。
 僕は、人間が生きていく上で最も大切なのは、自分が承認されたと感じる体験だと思っています。学校は、その体験を提供する必要がある。勉強が得意な子、スポーツが得意な子、音楽が得意な子――。一人ひとりにそのための場を用意しなければいけない。本来であれば、部活動はそのための多様な選択肢の一つにすぎないはずです。
 ただ、現状では、部活は数少ない「生徒が主体的に選べるもの」です。学校教育の中で、生徒自身がやりたいことができる時間と場さえ十分確保できれば、部活にこだわる必要はないと思っています。たとえば、午後はクラスや教科の枠がない「好きなことを思い切りやる時間」にしてみる。べつにスポーツや音楽じゃなくていいんです。その体験を通じて、生徒自身が能動的に選んで学ぶ。教員も、自分がやりたいことを生徒たちとやる。不可能ではないはずです。
 確かに、今の部活には問題点があります。僕は教員生活2年目で、未経験の吹奏楽部の顧問になりました。朝練・授業・部活・授業準備や事務作業という一日で、削られるのは睡眠時間です。30年間、そんな生活を続けています。自分が興味のない分野であれば、なおさら負担でしかないでしょう。
 でも、僕は「教育とは」「人間とは」と考えた結果、ここにたどり着いた。だから全く苦ではありませんでしたし、「時代の流れに逆行している」と言われても気になりません。こうやって生徒がやりたいことを実現できる選択肢を提供することでしか、教育の未来も、日本の未来もないと確信しています。「先生の働き方改革」は、そういう根本の議論をした上で、考えるべきものだと思っています。
 子どもは、人と人との関係の中で自分を知り、他者を理解し、そして自分の存在に自信を持つようになるものです。学校は塾ではない。人間も、偏差値だけではないのですから。(聞き手・田中聡子)」朝日新聞2022年9月14日朝刊13面オピニオン欄。
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