飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

旧くて新しい料理?(その 2 ) 究極の焼き料理、石臼料理?

2022-08-31 14:23:08 | 発明アイディアの部屋

前回は縄文土器による鍋料理を提案した。
多分、今までにに無い美味しい味になるだろうと期待している。
水を入れて煮ると言う鍋料理を提案するだけでは片手落ちだと気づいた。
そう、「煮る」と来れば「焼く」が来なければ。
そこで「焼く」料理を見つけなければと思った。
そう今までにない美味しい味の、言わば、究極の焼き料理だ。
なんて思っていたら、たまたま見ていたテレビが、こんなのはどうかな?って言うように、その応えらしきものを見せてくれた。
それが、徳島の山奥の郷土料理「しらら焼き」だ。
昔は、特別な客が来た時に、前以て大きな石を二時間ほど熱しておく。
石の上に地元の合わせ味噌を敷き広げて、その上に村で獲れたいろいろな野菜を並べると言う料理だ。
やがて皆でその石を取り囲んで談笑しながら食べると言うものだった。
その焼き野菜やきのこ等の味は格別だったと言う。
いわゆる石焼き料理だ。
石焼き芋が美味しいのと同じ理由だ。
つまり、熱せられた石から出る遠赤外線によって野菜など食材を焼くと言う料理方法だ。
これは、前回の縄文土器と同じように、優しくゆっくり熱すると言う、スローフード的な方法である。
この方法は、前にも述べたように、食材の内部全体の温度が60~80度布巾をゆっくり通過するために、デンプンが甘味に変わったり他にも美味しくなる反応が起こっていると思う。
と言う訳で、旧い手法を生かした、今までにない新しい焼き料理を思いついた。
そう、ご想像の通り、石で石臼のように大きなフタ付きナベを造るのだ。
これは野外キャンプ場や大きな囲炉裏のある古民家なら可能だ。
しかし、これでは重い石鍋やその加熱方法が大変だから、少し小型に工夫する必要がある。
すると、一般の石鍋料理や石瓦石板料理と同じになってしまう。
ネットで調べてみると、既に韓国のビビンバ料理では直系30センチほどの石鍋を使用していると言う。
また秋田には石焼きおきナベと言う、400度に熱した石を投入する漁師料理があると言う。
やはり石鍋による料理の美味さが認められてその方法が受け継がれているのだろう。
話が変わるが、以前に達磨(だるま)型のストーブがよく見られた。
火力を落としたそのストーブの上に、出荷できないような細い薩摩芋を置いておくと、長い時間かかって焼き芋ができる。
その芋が美味しいと言ってわが芋畑から細い芋ばかり獲っていく知り合いの老人がいた。
彼は山奥でストーブと共に暮らしていた。
やはり残り火の熱で暖められた銑鉄から出る遠赤外線によって長時間暖められ料理された薩摩芋は、細くてクズ芋でも、市販の石焼き芋より美味かったのだろう。
と言う事で、ここで私が思いついた新しい石焼き料理装置は以下のようになる。
簡単に言えば、背の低い達磨ストーブの上にフタ付き石鍋を載せた構造である。
一番下が燃料を燃やす炉で、その上に石鍋が載っている。
石鍋は、分厚い石板の底が直接炎に当る。
また燃料を燃やした炎は、石鍋の側面の一部も暖めながら煙突に上昇する構造である。
もし商品化されれば、鉄製の炉と石板の鍋が一体となるだろうが、耐火レンガ等使用してロケットストーブのように試作や自作してもよい。
旧いストーブを改造して石板を組み込んで鍋にする方法もある。
いろいろ考えれば、まだ検討の余地あり。

(つづく)

秋深む飛騨 稲穂垂れはじめる

2022-08-30 16:07:09 | 俳句日記の部屋
秋深む飛騨 稲穂垂れはじめる

呼び鈴の 初音にはじまる 九月かな  湧水

久々の ヘルパー鳴らす 初呼び鈴  湧水

村静か いつの間に終えし 夏休み  湧水

わずかなる 網戸開き間に 秋の蚊かな  湧水

雨の間の プランタ除草に 秋の蚊等  湧水

わが種芋の 出来栄えを聞く 嫁ぎ先  湧水 里芋の話

稲穂垂れ 里芋喜ぶ 長雨かな  湧水

帰郷せし 孫の出勤 婆も畑  湧水

こおろぎも びっくり黙す 冷え夜かな  湧水

薄肌の 甘く大きく お嬢葡萄

高級な 皮ごと食みし 葡萄かな  湧水

川柳

供え葡萄 一個食べやめし おすそ分け  今回は独りで食べる気になった。

注意せば 言い方悪いと 注意され  互いに敵わぬ相手、熟年夫婦

朝畑で 孫を見送る 元気婆  と想像してたが、実は元気でなかった、世話も大変?


(続)連載小説「幸福の木」 318話 黒船の正体?

2022-08-26 21:59:51 | 小説の部屋

ハイハイハイハーイ おまたせ、飛騨の小路 小湧水でーす、ちょっと涼しくなりました、はい、先生の原稿が届きましたが、ちょっと多いので、途中切れになるかもしれません。早速小説に参りたいと思います、はい、では開幕開幕!

318話 黒船の正体?

前方に見える船の黒い影は次第に大きくなっていった。
太陽はもう西の空に傾いていて、高い建物には長い影が伸びていた。
「あっ、あれは黒船だ!アメリカから黒船が来た!って武士が言ってた。きっとそれだ」
太郎が叫んだ。
「まさか?黒船って江戸時代や明治の話じゃろう、もう200年も前の話じゃ、それにしても、なんで勉強嫌いの太郎が黒船を知ってるんじゃ?」
長老達は、そっちの方に驚いた。
「ああ、この前、古い刀や槍のテレビを見ていたら、黒船の絵が出ていた。あの黒い影はそっくりだ、まちがいない」
早速、たちまちに反論が出た。
「200年も前の海の船が、なんでこんな山の村にあるの?おかしいでしょ?」
ハナナが怒ったように否定した。
「あれーっ・・もしかして・・」
ハナが大声を出した。
「もしかしてって、何よ?早く言って、言って」
ハナナが待ち切れなかった。
「ああ、もしかしてノアの箱舟かも?山に辿り着いた大きな船って、言ったら、ノアの箱舟しかないわ」
ハナが答えた。
「何?ノアの箱舟って何だ?」
今度はタタロが聞いてきた。
「ハハハハハー、それは有り得んじゃろう、ノアの箱舟って言ったら、もう何千年も前の話じゃからのう」
修験者と長老が互いに顔を見合わせて大笑いした。
「ノアの箱舟って何?」
何も知らないハナナが質問した。
すると、外国人家族の姉が日本語と英語を混ぜて言い出した。
「あのサ、それはサ、バイブルそう聖書と言う世界一古いキリスト教の本に書いてある伝説の船よ。
昔、大雨が降って地上が海のようになった時、その船に乗っていた人達だけが助かったのよ、その人の名前がノアよ、だからノアの箱舟って言うのよ」
「えーっ、それじゃ、他の人達はどうなったの?」
驚いたハナナが聞いた。
「そう、皆死んじゃったのよ、その船に乗っていた人達が、今の私達の先祖なのよ」
姉は日本語でもスラスラと答えた。
「おお、さすが私達の娘だ、よくキリスト教の聖書を学んでいるな」
ずっと見守っていた外国人夫婦は満足そうにうなづいていた。
「それじゃ、私達も、その子孫って言う事なの?」
ハナナが不意に聞いた。
「バーカ、何言ってるんだハナナ!俺達は、もっと古い過去の時代から来ているんだぞ、忘れたのか?そのノアさんよりも俺達の方がずっと古いんだぞ」
タタロが怒ったように言うと、ハナナは恥ずかしそうにシュンと黙ってしまった。
静かになると、珍しくゴクウが言い出した。
「あの、洪水で地上が海のようになったと言う伝説は世界中にあるみたいです。日本にもその伝説があります。竹の内文書と言う本です、そこには、洪水の後に、ここ飛騨の位山と言う山に天空の浮き船から天皇の先祖が降り立ったと言う話が載っています」
「えーっ、それじゃ、日本人の先祖は・・」
「ブブブーーーウ!」
ちょうどその時、バスが急にスピードを落とした。
「あのあの、いいですか?お客さん方、あそこの黒船に興味があるんでしたら、ちょっと見学していきますか?まもなく着きますので、見学されるならバスを駐車場に止めますが・・?」
皆は、運転手の声にフと我に返った気がした。
行く行く!とうなづきながら、ハナ達が言い出した。
「ああ、そうだわ、そうだわ!運転手さんに聞けばいいんだ、そんな事も忘れていたわ。あの、運転手さん、あの黒船って、いったい何ですか?どうしてここにあるんですか?」
すると、運転手はあっさり答えた。
「ああ、あれはね、村のコミュニーセンターですよ、まあ、大きな集会所って言ったところかな?、中には広い部屋や舞台がありますよ、いろいろな面白い物が集まってますよ、屋上はビヤガーデンにもなりますし、まあ、村の多目的ホールって言ったところかな?」
運転手が話している間に、バスは黒船の近くの広い駐車場に到着した。
「はーい、皆さん、到着しました。それでは降りてください、玄関前のお知らせ掲示パネルには、今日の行事が何も表示されてませんけど、見学ぐらいなら大丈夫だから、玄関の案内係にでも聞いてください、私は他にちょっと用事がありますから」
と言い残して、運転手はサッサとどこかへ消えてしまった。
皆は、少々不安に感じながらバスから降りると、木花咲姫と侍女が降車口にツアーガイドのように皆を見守っていた。
「はーい、皆さん、お知らせします。はい、大丈夫ですよ、先ほどスマホで見学と案内を申し込んでおきました。okの返事もいただいてますから大丈夫です何の心配もありませんよ」
木花咲姫が説明していると、案の定、玄関らしき所?から誰かが出てきた。
黒船の真ん中の脇腹を地面からめくり上げたような出入り口だ。
つかつかとゆっくり歩いて来たのは、制服の若い女性だった。
「こんにちは、ようこそ私達の未来村へ!いらっしゃいませ、お待ちしておりました、私は案内係の歴子と言います、早速、案内させていただきますので付いてきてください」
とてきぱき言うと、歴子さんは、きびすを返して玄関の方へ歩き出した。
皆は、すぐには付いて行く事はできなかった。
巨大な船を目の前にして、初めて見るその大きさに、度肝を抜かれていたからだ。
「わーっ、何だ?この建物は?まるっきり船じゃないか?」
まさしく何千トン級の大型船が、海から綱で引っ張られて陸の上に乗り上げたような感じだった。
見上げて立ち尽くしている皆に気づいて、案内嬢は振り向いて笑いながら説明を始めた。
「あのー、これは本物の船ではありません。外観は船の形をしていますが、内部はふつうの建物です。
でも、外壁の全面がログハウスのように、太い丸太や柱で造られていて、ゆるやかに曲がっていますので、初めて見る人達は大変な迫力を感じます」
案内嬢の説明通り、確かに、巨大な木製の大きく曲がった構造物は、見る人達を圧倒した。
そして、いつまで眺めていても見飽きる事はなかった。
よく見れば、いつの間にか太郎が垂ていた縄ハシゴに掴まって船の巨大な横腹を登っていた。
そして、ゴクウも追うように、丸太の壁を直に登っていた。
その下ではケンが心配して吠えていた。
しかし、そんなちっぽけな姿など見落とすほどの、船の大きさだった。
夕陽に照らされた、大きな船の横腹を見ながら長老が、
「やはり、太古の昔の人達が初めてノアの箱舟を見た時には、きっとワシ等と同じように感動したじゃろうな」
と、しみじみ言うと、ハナ達も、その昔の時代にタイムスリップしたような気になった。
しばらく皆は無言で黒船の丸太の横腹のカーブを見つめていた。
「ああ、そうじゃ、あの高いところにある丸い小さな窓は、ノアの箱舟には無かったじゃろうな、ペリーが乗ってきたアメリカの黒船にはあったじゃろうが・・」
修験者が丸いガラス窓を見上げながら言った。
「はい、その通りです。側面の上部の小さな丸い窓は、旅客船と同じ位置にあります。あの窓は二階広間の採光用の窓となっています」
「ほほう、それじゃ、船の中はいったいどんな風になっているのじゃ?」
長老が、皆の気持ちを代弁するように質問した。
太郎やゴクウもケンももどっていた。
「はい、それでは、船の中に入る前に、簡単に内部を説明いたしましょう」
と言って案内嬢は玄関前に皆を集めた。
建物の玄関は船のど真ん中の横腹下にあった。
その側面に、三メートルほど離して2本の切り込みを入れて、下から壁を持ち上げて、それをそのまま屋根にしたものだった。
もし、その屋根を支えている柱を取り去れば、屋根が船の側面にもどり、船の穴は塞がれる事になる。
「はい、この玄関は、いざと言う時には、ピタッと船の側面にもどって一滴の水も入らない構造になっています」
と、案内嬢が自慢げに説明したので、つい、太郎がからかいたくなった。
「へえーっ、いざと言う時だなんて、とんでもない、それじゃ、あんたはまた日本中が大洪水になるとでも言いたいのかい?そうなったら、それはそれで日本中が大変だ、天皇陛下も位山へ避難しなきゃ、ハハハー」
「しっ!太郎兄ちゃん、ちょっと黙ってなさいよ、!」
慌ててハナが叱った。
そして、ものすごい怒りの目でにらみつけて黙らせた。
すぐに、案内嬢は気を取り直して、再び話し始めた。
「まずここ玄関から入る船底に当る一階には、水族館と魚の養殖槽と事務所等があります」
「えっ、水族館?魚の養殖槽って?」
小さな質問の声が聞こえたが、それを無視するように説明が続いた。
「この上の二階には、大広間があります。そこには客席も設置できて、ステージも舞台もあります。
なので、宴会場や演芸や講演や講習会や様々な教室等々。多目的ホールとして利用しています」
皆は小さな丸い窓を見て、内部を想像していた。
かなり細長い空間だから、大広間の前後に旅客船と同じように
は部屋もたくさんあるのだろうと思った。
「はい、その上はもう部屋はなく、三階すべては船の甲板です。そこには野外ステージも設置できます。
夏の夜には、ビヤガーデンやバーベキュー料理などの野外レストランで賑わいます」
それを聞いてハナ達は質問した。
「それって、お祭りの日だけとか、特別な日だけなの?それとも、毎週やっているの?」
「はい、それはお客さん次第です。特に夏休みにはたくさんの行事があり、お客さん達も多くいらっしゃいますので、ほぼ毎晩営業しております。
そう、時々メキシコ料理やブラジル肉料

秋風とこおろぎ 処暑の飛騨

2022-08-24 19:45:58 | 俳句日記の部屋

ひとつ鳴き 次の夜みっつ こおろぎかな  湧水

知らぬ間に 夜を我が物 こおろぎかな  湧水

秋風や もらいし西瓜 薄甘し  湧水

秋風や 開きし夏を 閉じんとす  湧水

ソプラノの 窓の小鳥や 晩夏朝  湧水

秋風や 季節の折り目 めくりたり  湧水

開き戸も 無きがごとくに 秋の風  湧水

虫の音の 夕湯の窓に 秋の風  湧水

子の声も きりぎりすも無き 夏野かな  湧水

草に勝ち 朝顔青く こぼれ種  湧水

ようやくに 支柱立ちたる 朝顔箱  湧水

百合茎を 支柱がわりに 朝顔花  湧水

一日の 思いを流して 秋夕湯  湧水

話す人 無き秋の日の 夕湯かな  湧水

今更に 病む膝撫でて 秋湯かな  湧水

川柳

長州に 勝ち会津越え 優勝旗  みちのくに初めて悲願の優勝旗

治った!と 喜びし痛みが 太腿へ  左膝痛がようやく治ったのに右太腿が?

思考が先、現実は後! (その 11 ) 破壊と創造

2022-08-23 15:05:37 | エッセイの部屋

破壊と創造は世の常である。
この世で長く続くものとは、破壊と創造を繰り返す物である。
「永遠なるものとは、生まれ変わるもの、そして進化するもの」
これは、かなり昔に私が記した論文のタイトルだ。
それは、暇に任せて考えついた、文明に関する私の自論の冒頭タイトルだ。
つまり、この世には永遠なるものは無い!なぜなら物質でできた物は必ず劣化や崩壊をして同じ形を保つ事ができないからだ。(例外的にダイヤや鉱物のように、ほんの一部に半永久的に存在できる物もある)
なので、永遠に存続したり、栄え続けるたりするためには、生まれ変わり、つまり、生死や破壊創造を繰り返すしかないと言う事になる。
さて、最近、そんな事を思い出した。
と言うのは、「今、我々はその破壊と創造の渦中にいる!」と言う話を聞いたからだ。
しかも、それは連日のテレビニュースのウクライナのような一般的な他人事の話でなく、正しく自分の事の話だった。
確かに、今や、文明も社会も技術等も、私達を取り巻く世界では、変化や革新が激しく、破壊と創造が同時に行なわれていると言われる。
しかし、今回の話は、繰り返しになるが、そう言う他人事の話ではない。
私達自身の話だ。
つまり、その破壊と創造は、実は気づかないだけで、私自身の中にも、また身近な人々の中にも起こっていると言う話なのである。
「えーっ、私にも起こってるって?破壊や創造などの話は、私には無関係な、当事者だけの他人の話じゃないの?」
と言う途惑いの声、おそらく、上記の文章を読んだ人達は皆さんが、そう言う声を発するような気がする。
さて、少し話題が変わるが、テレビでは残念な事に、相変わらず、政治家や渦中の社会的地位のある人達の嘘が横行している。
地位ある人達の中にも、嘘はバレナきゃ良いとでも思っているのか、嘘を突き通す人達が多い。
国会答弁でも範となるべき首相や大臣達の嘘が多いので、日本社会全般にもウソが当たり前!と言う風潮が満ちてしまった。
これは次代の日本社会を担う青少年達に由々しき悪影響を及ぼしている。
例え人間社会の法律では上手く免れても、天や神や霊界の法則では許されず暴露され有罪となる。
「この世は物質だけだ、神も仏などもいない。それ等は人の脳が想像した架空の物だ。
所詮、人間、死んでしまえば終わりだ、何もかも無くなるんだ、無だ」
と考えている無神論の人達が、今は多いかも知れない。
それは、近代の世界の歴史を、そう言う神を否定する考えを持った知恵者や学者などの影響力の大きい人達がリードしてきたからだ。
しかし、私はそうは思わない。
たとえ人の目や世間はごまかせても、うまく行くとは思わない。
前述のように目に見えない神佛や霊の世界があると思うからだ。
例えば、盗みや嘘などの悪事をする場合、他人が誰ひとり見ていなくても、自分の目が見ているし、嘘は自分の心や脳が認識して憶えている。
つまり、誰にも気づかれなくても自分だけはちゃんと知っているのだ。
この自分だけの認識が、残念な?事にこの世以外の世界には筒抜けで、丸見えなのだ。
この世以外の世界とは、目に見えない前述の神仏や霊の世界の事、
即ち、別の言葉で言えば、三次元物質世界以外の、四次元以上の幽界や仏界、神界の事だ。
この世とは、一般的には、三次元空間と時間とで成り立っている「三次元物質界」のみを指す。
上記の嘘をついたり神や仏や霊の存在を否定する、社会的地位の高い人達は、この世は三次元物質界しか存在しないと思っている。
しかし、私は、この世には四次元以上の神や仏や霊の世界も存在すると思っていて、もちろん、神や仏や霊の存在も信じ認めている。
そして三次元物質世界には重なるように四次元以上の世界も存在していて、場合によっては通じ合う事もできると思っている。
さらに元々この世の物質界が創造される前には、霊的な五次元天国世界が存在していた。
そして、そこでまず霊的に様々な存在が造られた。
その霊的な様々な存在が、物質と言う衣をまとって集合してできたのが、空間と時間の宇宙、即ち今の三次元物質界である。
と思っている。
我々も内部の本体と言うのは魂や心や霊体と言う霊的な存在が主で、肉体と言う物質的な体は、言わば一番外側にまとった着物のようなものである。
なので、最近のスピリチュアルの人達の間では、人間が死んで本体の魂や霊が肉体を抜け出る時は、肉体と言う着物を脱ぐと表現する事が多い。
私も人間はこうした霊体が本体で、それが肉体と言う衣をまとっていると思っている(霊主体従)。
が、上記の社会的地位のある人達や学者や科学者の多くの無神論者達は、霊体などは無く、肉体しか存在しないと思っているようだ。
ここに考え方や生き方に大きな違いがある。
飛びぬけた知恵者と言えば、私も尊敬する司馬遼太郎氏が亡くなった頃、氏の本を読んでいた。
以前から私は司馬氏ほどの膨大な本を読んでいる知恵の人ならば、霊の存在などは認めているのかも?と期待して著述を読んでいた。
その中で、太平洋戦争中にたまたま米艦隊が不在になった隙に、島に残された日本兵を助け出しにきた日本の船が島を無事に脱出できた。
その時、船上の兵隊達には島で亡くなった戦友達のバンザーイと言う声が聞こえたと言う。
その事に、司馬氏は、有り得るだろうとの感想を述べていた。
なので私は、司馬氏は霊の存在は多少認めているかも知れないと思っていた。
ところが、氏が亡くなったまもない頃、氏の著述を読んでいた時の事である。
本の中に、たまたま、氏が、もし霊魂があるのなら、・・・と霊の存在を信じている人達をからかい笑うような文章があった。
私は、「なーんだ、司馬市はやっぱり無神論なのか、生前にこんな事を書いて、今頃はきっと、あれはまちがいだった!と後悔しているだろうな?」
と自分事のように恥ずかしく思いながら読み続けていた。
すると不思議な事に、フワーッと司馬氏が私の傍に来て、いやいや恥ずかしいかぎりだ!とでも言ってるように感じた。
よく自宅で仏壇にお供え物をした時、不意に香りが私の中にフワーと満ちる事がある。
これは、きっとご先祖様が、美味しく食べているよ!と私に知らせているのだなと感じる。
司馬市の時も、それと同じような感じだった。
ついでに、瀬戸内寂聴さんの話を加えておこう。
何年か前に、臨終に間に合わず姉?が亡くなってしまった。
ひとり対面した時、寂聴さんが「もし霊があるなら、小指を動かしてちょうだい」とベッド上の姉?に頼んだ。
すると、小指がピクピク動いて、寂聴さんも霊の存在に確信を持ったと言う自身の話だった。
現在では霊界へ逝かれた寂聴さんは、どんな思いだろうかちょっと聞きたい気もする。

このように、目に見えない霊や神や仏の多次元世界の話は、今もなお、まだ地球上の大多数の人々には受け入れられていない。
しかし、最新科学は、既に目に見えない分野に突入している。
また、人間の心や脳の研究は、遅れながらも最新の脳のメカニズム解明によって精神作用がより広く明かされようとしている。
また例えば、注目されているufoの問題についても、今までは世界の科学界や政界では強硬な否定論だった。
それが、最近の目撃情報の多発によって米国に於いても、一変して、認識の方向に変わった。
このように人類にとってまだ未知の分野は、時と共に、また文明の進歩と共に徐々に明らかになって行く事だろう。
この世は物質界だけでなく、霊界が存在して、霊界の方が本質である、と言う今までと180度反対の考え方も、同じように徐々に文明の進歩と共に明らかになって受け入れられて行く事になると、私は思う。
さて、話を、初めの「破壊」と「創造」にもどそう。
私達もその破壊と創造の真っ只中にいる!と言う話だ。
ところで、私はこの二か月程膝痛に悩んでいる。
夜中に痛かったり、昼間半日ほど痛かったり、なかなか治らない。
痛みは主に左膝だが、尻や両太腿や右膝に移動する事もある。
いつもなら、養生したりお祈りしたりお委ねしたり、ある期間経てば治って元の状態にもどる。
しかし、今回は一向に元にもどらない。
そんな中、先日、ある会合で、同じようにしばらく体調が悪かった友人(教会長)に会った。
彼が言うには、
「神による破壊と創造は私の中でも起こっていた。
今までの旧い自分を、神は大きな愛によって破壊して、これからの新しい世に相応しい新しい人間に創造してくださろうとしていたのだ。
しかし、その破壊と言うのが自分にとって苦しいので、私は元へもどそう元へもどそうとしていた、破壊を止めようとしていた・・」
この告白を聞いて、私もハッとした。
ああ、私の場合も、そう言う事だったのか、なので元へもどそうとする私の心の営みも報われなかったのだ。
破壊と創造とは、そう言う事だったのか?
だったら、私も今までの考え方や生き方をすべて見直して、根本的に新しい世に相応しい方向へ改めなければ!
と思った。

(つづく)