飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

晴れと雪 天皇誕生日

2021-02-23 16:33:21 | 俳句日記の部屋

うぐいすの 鳴きだしそうな 二月山  湧水

手すりひも 白杖みちびく 春山路  湧水

友が来て 去年の竹の子 切りにゆく  湧水

忘れたる 竹の子切らむ 二月春  湧水

昼の陽が 届く陰路に 消えし雪  湧水

春鉄道 気づかぬ夜の 工事かな  湧水

踏切の 春新しき 踏板かな  湧水

二月春 ダイエット後の 姪のピザ  湧水

川柳

昨年夏 頼みし筍獲り 友思い出し  竹の子ももう数本の竹に

友が来て つられ動けば? 尻痛かな  友の希望店で外食も

ダイエット 緩めば尿酸?の 尻痛かな  湧水

リバウンド 即止めたる 痛みかな  尻痛で夕食の飯を止めた

痛み去り 素直に感謝す 春日の窓  痛い目に会って悟る?

暖房と 春風入れる コロナかな  エコに逆行、何とかして!

あいさつだけと 願う老婆の 春散歩  世話などごめん!


「雨水」の飛騨 バレンタインデー!

2021-02-16 14:45:33 | 俳句日記の部屋

春眠の 遅れ散歩に 舞雪かな  湧水

雪舞えど 眠気の醒めぬ 春散歩  湧水

雪消えて 里に春告ぐ 山鳩かな  湧水

山鳩の 春告ぐ里に 別れ雪  湧水

チョコ食べる 歯止めかからぬ 幼児癖  湧水

やや苦き 微妙に甘き 二月チョコ  湧水

気がかるは 空になるまで 残りチョコ  湧水

春立ちて 重ね着重き 山路かな  湧水

軒下の 散歩からかう 早春雨  湧水

川柳

麒麟来ず 終わりし大河 早春空  光秀が天王山で勝つとう夢物語も見たかった

飴なめて 忘れむとする 箱のチョコ  やはり飴よりチョコが美味しいよ!

雪舞えど 脳は春眠 散歩爺久々に夜中に起きたので朝は眠い

軒下の 体操させぬ 春嵐  たまには休めと言う事かな、ダイエットも?

双六(すごろく)の ごとく迷走 森失言  森と湿原を守ろう!ラムサール条約?


(続) 連載小説「幸福の木」 266話 欲張り爺さん太郎?

2021-02-14 23:24:42 | 小説の部屋

ハイハイハイハーイ、おまたせ、飛騨の小路 小湧水でーす、今日はバレンタインデー、ウチの先生もチョコが来た!と大喜びでした。
はい、アッシは、コロナですから断りました・・なので・・そうそう、あのコロナって王冠って意味だったんですね、初めて知りました。そんな立派な名なんですから良い事が生まれるんでしょうか?
はい、てな訳で原稿が届きましたので、小説に参りたいと思います、はい、では開幕、開幕!

266 欲張り爺さん太郎?

赤ん坊のグー太は竹かごの座椅子に座っていた。
「あのグー太、じゃなかった、グー太郎、いや、カグヤ太郎さんよ、ちょっと教えてほしいんだけど、いいかな?」
太郎が頭を低くして、グー太に近寄った。
「うん、いいよ」
グー太は、あっさり答えた。
グー太を見下す者には意地悪かったが、対等に接する人には紳士的だった。
「えっ、いいの?ありがとうな、それじゃ、早速教えてほしいんだけど、幸福の木って知ってるかな?ちょうどお前の不思議な竹のように、欲しい物が成る木なんだけど・・」
グー太は、少し考えていたが、すぐ答えた。
「あの、まだ見た事はないけど、有り得ると思うよ、竹と同じで、欲しい物の種を天から送ればいいんだから、竹の中も木の実も大して違わないよ。草でも同じだ、南瓜や西瓜の中から俺みたいな赤ん坊が出てくる事だってできるよ」
即、太郎がひかかった。
「えっ、俺?グー太、いや違った、カグヤ太郎さんよ、それはまずいよ、俺って言うのは止めた方がいいよ、まだ赤ん坊なんだからな、せめてオイラぐらいにした方がいいと思うよ」
それを聞いていたハナとハナナが即言った。
「それは太郎兄ちゃんが俺俺って言うからよ、お兄ちゃんこそ止めた方がいいわ」
と言って、二人はクスクス笑った。
「俺の事なんか今はどうでもいいんだ、大事な事を聞いているんだから、横やりを入れるな、少し黙っていろ!・・で、カグヤ太郎さんよ、やっぱり言いにくいや、グー太さんでいいだろ?グー太さんで我慢してくれないか?、で、これからが質問なんだが、実は俺達は、その幸福の木を探しているんだけど、どこにあるかなんて、知らないかなー?なんて思ってさ・・」
と太郎は丁寧な言い方をしたつもりだった。
「なーんかずいぶん回りくどい言い方だわね?」
ハナナとハナが変な言い方だと囁き合った。
また太郎が怒ろうとしたら、グー太が答えた。
「いや、まだおいらは聞いた事がないけど、もう少し大きくなれば、たぶんすぐにおいらにもそう言う事は分かるようになると思うよ」
「そうだよな、まだ赤ん坊なんだから無理だよな」
気の短い太郎にしては珍しく納得した。
そこへ長老達がニコニコしながら寄ってきた。
「しかし、本当にグー太は大きくなったのう、あっと言う間にずいぶん成長した、もう一歳児ぐらいじゃ、やはり食べ方がすごいからな、食べた分だけ大きくなるようじゃ」
長老が感心しながら言った。
「ほんとに全くじゃ。またさらに大きくなるじゃろう。そうなったらどんな子になるか末が楽しみじゃ、ひょっとしたらものすごく賢い子になるかも、そうじゃ神童のような何でも分かる子になるかもな」
修験者も、まだ見ぬ将来を楽しそうに想像しながら言った。
「あの・・、食べ物の事と言えば・・食料も少なくなってきたわ、またそろそろ食糧を・・」
とハナ達がうなづき合って言おうとすると、グー太が慌てて言った。
「ああ、そうだった、言い忘れていた。おいらの必要な食べ物や着物が、たぶんもう届いているはずだ。必要な物は定期的に届く事になっているんだ。誰か竹林へ取りに行ってくれないかな?」
それを聞いて太郎がすぐに立ち上がった。
「えっ、竹林へって?ひょっとして俺の靴が届いているかな?今すぐにでも俺が行ってくるよ」
と太郎は槍を持って出かける準備をした。
それを見た長老が、首を横に振って笑いながら言った。
「まさか!そんなに早くは来ないじゃろう、グー太に頼んだのは、つい昨日の事じゃ、いくら何でも、そんなに早くは無理じゃ」
皆はグー太がどう言うかと顔を向けた。
「あの、おいらの物は届いて、もう黄金の竹の中に入っているけど、皆の靴はこれから竹の子が出てくるところだから、まだ無理だよ、竹の子が伸び終わるまで待たないと・・」
「えっ、それじゃ、どのくらい待つの?」
ハナナが聞いた。
「土から頭を出すのに四、五日、そしてそれから竹の子が伸び切るのにもう四、五日以上、なので十日はかかると思うよ」
「わーっ、十日すればあたい達の靴も来るのね?」
ハナナはハナと共に喜び合った。
「そうか、俺の靴はまだなのか、まあいいや、楽しみが延びただけだ、それなら俺は竹林へ様子を見に行ってくるか?そう、ついでにグー太の食糧や着物も取って、いや、収穫して来るかな」
「ついでにじゃないでしょ?グー太の食糧が目的でしょ?ついでに靴の竹を見てくるでしょ?」
ハナ達は口を尖らせて批難した。
「ワンワンワンワン!」
太郎と一緒にケンやゴクウやタタロも竹林へ向った。
野や山は雪が膝下ほど積もっていたが、竹林の中は所々にあるだけでほとんど積もっていなかった。
「ワンワンワンワン!」
先を行くケンが黄金色に光る立派な竹を見つけた。
「おお、これだ、これだ!まちがいない、グー太の物が詰まっている竹だ」
太郎が言った。
早速、太郎とタタロが切り出しを始めた。
「まず俺がこの小刀で根元を切り始めるから、後で交代してくれ、とりあえず切り倒そう」
と太郎は懸命に切り始めた。
「ああ、疲れた、タタロ交代してくれ」
太郎は顔の汗をぬぐいながら言うと、タタロと交代した。
「そうだ、他にも光る竹はないかな?おい、ゴクウ、念のために調べてくれ」
太郎に言われゴクウとケンが周りを調べた。
「メリメリメリードサーン!」
タタロによって太い竹が切り倒された。
「タタロ、欲しい物が中に入っている事はまちがいないから、枝と先端を払って、このまま運ぼう、その方が早い」
「ああ、そうですね、その方が運びやすいし」
タタロも賛成した。
「ワンワンワンワン!」
「あっ、ケン達が何か見つけたようだ」
「隊長、ケンが土の中にまだ頭を出していない黄金の筍を見つけました」
ゴクウが大声で呼んだ。
「何?黄金の筍だって?それだ、それだ!俺の靴が入っている竹の子はそれだ、どれどれ?」
と太郎は駆け寄り、しゃがみ込んで枯れ葉の下の土の中の筍を覗き込んだ。
「おお、すごい、すごい、正しく黄金色に輝いている。よし、ゴクウ、傷つけないように土と枯れ葉をかぶせて元通りにしよう。四、五日したら収穫に来よう!ああ、楽しみだな」
と太郎は上機嫌になった。
「さあさあ、帰ろうぜ。グー太の竹は収穫できたからハナ達も文句はないだろう」
とタタロと二人で竹を肩に担いだ。
出発しようとすると、ゴクウが何か言い出した。
「あの、隊長、この前きた時に、大きくなるまで待とうと言ってた小さな黄金の筍を憶えていませんか?」
「えっ、ああ、確か、そう言えば、そんな事があったな、それって収穫したんじゃなかったかな?」
と太郎が言うと、
「いえ、収穫してません。その筍があった場所はここです。しかし、小さな穴が空いているだけで筍はありません」
とゴクウは何か問題がありそうに答えた。
「えーっ、そんな事、今はどうでもいいや、お前の思い違いか、腐ってしまったのだろう。まあ今更どうでもいいじゃないか?」
と太郎は問題にしなかった。
やがて太郎達が皆が待つ洞窟に着いた。
「おお、立派な竹じゃ、早速二つに割って中の物を取り出そう」
と長老や修験者達も手伝って、竹をまっ二つに割った。
すると、中から、いつもの食糧の種や着る物や小さな靴等が小さく固まった状態で出てきた。
「わーっ、食料が来たわ、これでしばらくは安心ね」
ハナが喜んだ。
「ああ、これがグー太の靴だわ、かわいいー!それに柔らかくて底は堅そうだわ」
二人は珍しい宝物のように、代わる代わる触った。
「おお、なかなか立派な靴じゃ、これじゃ、ワシ等の靴もどんな靴か楽しみじゃのう」
と長老達も笑顔だった。
すると太郎が言った。
「それそれ、それよ!俺達の靴が入っている筍も、もう出ていたぞ、ケンが土の中に見つけたんだ。まちがいない、あの黄金の筍が靴の入っている竹になるんだ、なあ、グー太さんよ?」
太郎に質問され、グー太も答えた。
「ああ、たぶん、その筍だと思うよ、その竹の中に左右一組の靴がくっ付いて入っているんだ。皆の靴は全部で六足だから、一本の竹で十分だ、その小さな黄金の筍がそれで、今から大きくなるんだと思うよ」
とグー太が太鼓判を押した。
どんな靴が来るか、皆はいろいろ想像してうきうきした気分になった。
夕食も楽しい宴会のようになった。
上機嫌の太郎は、ずっとグー太の傍を離れなかった。
そして、長老がくれた酒で少し酔ったのかグー太にからみ始めた。
「あのさ、グー太さんよ、竹って堅くて切るのが大変なんだ、もっと簡単に切れる物って知らないかな?」
グー太は少し考えていたが、すぐに、
「ああ、それは太郎さんの持っている小刀の刃をギザギザの刃にしたら、もっと早く切れるようになると思うよ」
と答えた。
「えっ?ギザギザの刃に?本当かい、でもこの小刀は村を出る時に長老さんから預かった大事な小刀だから、そんな事はできないんだ。・・・グー太さんよ、頼むから、そのギザギザの刀を天から送ってもらう事って、できないかな、これも、これからグー太さんも必要になる物だと思うけど・・」
と太郎はグー太に頼み込んでみた。
すると、グー太は、
「ああ、いいよ、すぐ天へ送ってもらうように頼むよ」
とあっさり了解した。
あまりの速さに太郎の方が驚いた。
(えっ?なーんだ、こう言う事って、グー太達にとっては、俺達が思うほど大した事じゃないんだ!これはいい事を発見した、よーし、それなら・・)
と太郎は酒の酔いも手伝って、さらに遠慮なしに好きな物を頼んだ。
「あのさ、グー太さんよ、魚釣りの時の釣り糸と釣り針が良くないんだ、もっといい物がないかな?それも送ってもらえないかな、グー太さんも釣をするようになると必要になると思うよ」
「ああ、いいよ、それも送ってもらうよ」
「えっ、いいの?それはありがたい」
「それに、大きな木を切る時の斧が石なので刃が欠けたりして切れ味が悪いんだ、何とか、金属の斧がないかな、それも送ってもらえないかな?」
「ああ、いいよ、送ってもらうよ」
グー太は、太郎の望みをすべて受け入れて行った。
それを見ていた、ハナやハナナはもちろん、長老達もだんだん心配になってきた。
「太郎兄ちゃん、いい加減にしなさいよ、相手が赤ん坊だからって、そんなにたくさんの事を頼むもんじゃないわよ、もういい加減に止めてよ!」
「なーんでだよ?グー太がいいと言ってるんだから、いいんだよ、駄目なら駄目と言うさ、別に強制している訳じゃないから、そんなに怒られる理由なんかないからな」
と太郎は反発した。
後でハナ達は、長老の話を聞いて怒りが頂点に達した。
それは、ハナ達が席を外した時の事だった。
太郎がグー太に近づいて小声で、将来に彼女ができた時に贈る指輪や首飾りや宝石の数々を頼んだと言う事だった。
「まあーっ、あきれた!私達ですら頼んでいないのに、まだ現れるか分からない将来の彼女への贈り物だなんて!」
ハナ達は、もう黙っておれない!と太郎に直接注意する事にした。
すると逆に太郎に言われてしまった。
「おい、お前達はいったい何を見ているんだ。
今、目の前で大変な事が起こっているんだぞ。いいかい、俺達はもう幸福の木なんか探さなくていいんだぞ。
いいかい、あのグー太を幸福の木の代わりに村へ連れて帰ればいいんだ。そうすれば、幸福の木と同じ事ができるじゃないか?だから、俺はいろいろ試しているんじゃないか。いいか、今俺が言った事を今夜は寝ながらよくよく考えろ!」
太郎にそう言われ、ハナ達は一言も反論できなかった。
そして、五日ほど経った。
朝早く太郎が起きて大声で言った。
「今日、皆で竹林へ行こう、もう靴が送られた竹は十分大きくなっている頃だ。それに、後に俺が頼んだ物も、ひょっとしたらもう届いて筍が大きくなっているかも知れない。そうなれば嬉しいなあ、さあ、急ごう」
と言うと、太郎は皆が準備するのも待ち切れず、先に一人で出かけた。
ケンとゴクウは付いて行った。
「ワンワンワンワン!」
雪の斜面を登っていると、ケンが吠えた。
ケンは足が短いので、雪の上はいつものように素早く動けなかった。
「何か獣のようです」
ゴクウが言った。
「獣?何だろう、?まあいいや、ほっとけ、今はそれどころじゃない」
太郎の頭の中は、靴やノコギリや釣道具や彼女への贈り物等々でいっぱいだった。
今回は竹林の中まで薄く雪で覆われていた。
「隊長、着きました!」
ゴクウが先に到着した。
やがて太郎が着いた。
「あれっ、黄金の竹がないぞ!どう言う事だ?黄金の竹が一本もないぞ、ゴクウ、場所がまちがっているんじゃないか?」
「いえ、ここです、場所はここでまちがいないです。」
ゴクウははっきり答えた。
「馬鹿な、じゃあ、どうして黄金の竹がないんだ?」
「隊長、それです、この前、私が言ったでしょ?それが、また起きたんです。ほらっ、ここです、ここに黄金の筍があったのです。そこが土ごと掘り返されているのです、ここを見てください」
太郎は、ゴクウの言うその穴を覗き込んだ。
「あーっ、本当だ、誰かが盗んだんだ!どろぼうだ、しまった」
太郎が怒鳴った。
「いえ、人間ではありません。獣です、先ほどケンが吠えた獣です。ほらっ、ここにも穴が、おそらくここも黄金の筍があった場所です」
そう言われ、太郎は周囲を見渡した。
「あっ、本当だ、アチコチが掘られて土が出ているぞ」
その時、遅れて出発した長老達が到着した。
「おーい、太郎よ、大丈夫かーい?何か変だぞ、ずいぶん猪の姿を見かけたぞー、何かあったのかーい?」
長老の叫び声が聞こえた。
「あーっ、そうか、猪だ!猪が筍を掘って食べたんだ、竹になる前に食べてしまったんだ、しかも、ぜーんぶ、あーなんて事だー」
太郎は気がぬけ雪の上に座り込んでしまった。

(つづく)

ハイハイハイハーイ、いやいや、とんでもない事が!
ああ、太郎があまりにもたくさんグー太に頼んだので、筍がいっぱい臭ってアチコチの猪を招いてしまったんですね、やはり欲張り婆さんや爺さんは駄目でした。
はい、では、またのお運びを願いましてバイバイバーイです!

新しい生き方 (その 3 )  筋トレと野菜大豆食を!

2021-02-13 11:32:18 | エッセイの部屋

正月明けにダイエットを始めて約ひと月が経った。
先日、ドッグの最悪の診断結果を持って近くの医院へ行った。
医師に会う前、いつもの女性の看護士さんに、今現在はダイエットと筋トレで体調が良い事をアピールした。
それと言うのも、お医者さんは大勢のお年寄りが待っているため、患者の話をゆっくり聞く暇がなく、すぐに自分の話を優先するからだ。
すると、お医者さんは看護士さんから私の話を聞いたのか、すぐに、
「次のひと月後の血圧の薬をもらいに来た時に、ここで再検査をしましょう。その時に紹介状を書きますので、エコー検査は病院でしてもらってください」
と言われた。
とりあえず、ひと月情状酌量?経過観察?となりホッとした。
しかし、体調のいい事は確かだ。
ダイエットと筋トレを始めて以来、今までのように夜中にトイレに起きる事なく、朝までグッスリ眠れるようになった。
体操をしているため、首や肩、腹や腰が柔らかくなった。
腹と腰や尻の脂肪が減り、動く時に体全体が軽くなった。
精神的にもドンヨリしていた老人が、キビキビした若者になったという感じだ。
その他、変わった事と言えば、食費、特にスーパーの買い物代が大幅に減った。
たぶん、今までは食費は飲み物を含めて、月に4、5万円は越えていたと思う。
これからはかなり少額になると思うので、週二回の買い物の時に千円づつアジアの子供達かフードバンク等に寄付する事にした。
それは、「ピンチをチャンスに!」と言う言葉を思い出したからだ。
今回の私のピンチが今後の健康維持のダイエットや大袈裟に言えば人類の食糧問題解決に結び付けばと思ったからだ。
と言うより、リバウンドで後もどりしないための方が正解かも。
そんな事を考えていたら、nhkスペシャルで人類の将来の食糧問題の特別番組を放送していた。
2050年頃地球の人口が100億人になると言う。
そうなると、地球上のすべての人々が、今の私達のような飽食とも言うべき食事はできなくなる。
すると今の私は人類の新しい食事のあり方の先駆けをしているのかも知れない?
と思えば、(想うのは勝手だから)、そうすればますますやる気や楽しみや日々の達成感が出てくるのではないかな。
と思ってみたりした。
確かに、ここひと月かかって体全体の脂肪が自分の手で掴んで見ても明らかに減った。
と同時に、(まずい事に最近)とたんに以前のように食欲が出てきた。
これはマズイ!これがリバウンドか?
そうだ、食欲は脂肪でなく筋肉にしなきゃ!
やはり筋トレだと思った、・そうだ・・思い切ってボデービル?・・いや、止めておこう
知り合いの女性が夜に寝れないので病院へ行ったと聞いた。
たまたま会ったので、日々の生活を聞いたら、私のメタボになる直前の状態に似ていた。
食べ過ぎの方でなく、運動不足の方だ。
昼間は寒さとコロナで外へも出ず、暖かい部屋の中でテレビ等で暇をつぶしている。
昨年の私が膝痛で動かない状態と同じだった。
「私は今は、テレビを見ていても畳の上で腕立てふせをしたり、寝転がって片脚づつ上げたり、ラジオ体操や散歩はもちろん、暇さえあればいつもいつも筋肉を動かすようにしている。
これを始めたその日から、今まで夜中に起きてトイレへ行ってしばらく寝付けないと言う習慣がピタッ!と止まった。
その日以来、ずっとひと月間、朝までグッスリ寝られるようになった。
あなたは明らかに筋肉の運動が足りない。
昼間は筋肉を休ませているから夜に睡眠で休みを取る必要がないのだ。
昼間に筋肉を動かして疲れさせれば、夜には筋肉が休みをとるから、頭の脳も否応なく寝てしまう。
ラジオ体操や手を握ったりダンスで足腰を動かしたり、いろいろ筋トレをしたら?」
と言ったら、すぐに納得してくれた。
今後の結果が楽しみだ。

(つづく)


心の旅(その 4 ) 救世主とイエスの「再臨」

2021-02-11 17:45:20 | エッセイの部屋

余談であるが、前々回で世界の多神教と一神教について触れた。
今回は一神教についての話に入っているが、その前にキリスト教等の一神教と日本の多神教との捉え方について、私の好きな言葉を紹介する。

「一神にして多神
これから神について説明をしてみるが、単に神と言っても上、中、下の階級があり、千差万別の役目がある。
神道にては八百万(やおよろず)とあるが、全くその通りで、今日まで神と言えば、キリスト教的一神教と神道的多神教のどちらかであった。
しかし、両方とも偏った見方で、実は、独立神身が分霊して多神となるのであるから一神にして多神であると言うのが本当である」
      1950年岡田茂吉

と言う訳で、確かに日本の古事記等に出てくる神々の名は、その神の働きや役割を表している場合が多い。
つまり宇宙万物の創造主が主神で、その名が宗教によって様々な名で呼ばれている。
ついでに、ユダヤ人達は神の名を軽々しく呼ぶ事を恐れたため、(呼び方は伝わらず)、yhvhと言う4文字しか伝わらなかったため、後になってヤハウェーとかエホバとか呼ぶようになったと言う。

さて、本題に入る、
唯一の神ヤハウェーのみ崇める一神教のユダヤ教から別れたキリスト教もイスラム教も、同じく終末思想と救世主思想と言う思想を持っている。
そして、ユダヤ教徒もイスラム教徒も、まだ現れていないそれぞれの救世主の出現を今も待ち続けている。
一方キリスト教は、少し違っている。
二千年前に昇天した聖イエスが救世主として再び降臨すると言う。
この「再臨」を信じて、同じく今も待ち続けているのである。
こうした救世主出現は、終末論と一体の思想である。
終末論と言うのは、この世には、いづれ終わりが来て、その世界の終焉後に、最後の審判によって人間が生前の行いを審判されると言うものである。
そして、その結果によって、それぞれが天国か地獄行きかを決められるという思想である。
上記のアブラハムに始まるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の他に、イラン高原のロゾアスター教にも同じ思想があった。
(ロゾアスター教とはイランの地に起こった古代宗教で、私は詳しく知らなかったが、興味ある内容だったので調べてみた、末尾の資料参照)
さて、まず初めにキリスト教のイエスの再臨について述べようと思う。
が、その前にイエス前後について少し整理しておく。
まず、話は聖イエスが生まれるずっと前に遡る。
紀元前586年に、ユダ王国が新バビロニアに征服された。
そして、ユダヤ人達がバビロンに連れていかれ50年ほど捕囚となった。
しかし、その後、(不思議にも上記の、終末思想を持ったロゾアスター教を信望する)アケメネス朝ペルシアが新バビロニアに勝利したため、ユダヤ人達は解放された。
ユダヤ人達は、こうした一連の亡国やバビロン捕囚等の民族の苦難を、ヤハウェー神が守ってくれなかったと恨むのではなく、自分達が神との契約を守らなかったためと捕らえた。
そして、いつか救ってくれる救世主に希望を託し、ますますヤハウェー神への信仰を強め、戒律等をより厳しく守るようになった。
そうして、500年後の紀元0年頃に聖ヨハネと聖イエスが生まれた。
前にも述べたように、聖イエスは数々の救世主としての証である奇跡を見せ多くの人々が驚き、その尊い教えを受けた。
しかし、当時のユダヤ教の神官や神学者達は、民衆が慕うイエスを自分達が待ち続けていた救世主メシアとしては認めなかった。
それどころか逆に、神を冒涜する異端者として十字架刑に処した。
聖イエスは十字架刑で亡くなった3日後に復活して姿を見せ、弟子達に「地の果てまで福音を伝えよ!」と命じて、その後に昇天したと言われる。
この弟子達の命がけの布教によって、その後キリスト教が世界へと広がって行った。
そして今日では世界中の国々に信者が20億人いると言われる。(ちなみにイスラム教は17億人ほど)
前述のように、このキリスト教徒達は聖イエスの再臨を今も待ち続けている。
それは、その事に関して聖イエスが予言した言葉が、弟子達によって書き留められ新約聖書に記述されているからである。
その箇所を見てみよう。
注) 文中の「人の子」とは、イエスの事である。

聖書の、使徒行伝第1章10-11節
「ガリラヤの人達よ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなた方を離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなた方が見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」

聖書の、ルカによる福音書第21章27節
「その時、大いなる力と栄光とを持って、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」

聖書の、ヨハネの黙示録第1章7節
「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺し通した者達は、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」

聖書の、テサロニケ人への第一の手紙第4章16-17節
「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。
その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っている私達が、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」

聖書の、マタイによる福音書第24章27節
「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」

にせのメシアについて、
聖書の、マタイによる福音書第24章23-26節
「その時、誰かがあなた方に「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。
にせキリスト達や、にせ預言者達が起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
見よ、あなた方に前もって言っておく。だから、人々が「見よ、彼は荒野にいる」と言っても、出て行くな。また「見よ、部屋の中にいる」と言っても、信じるな」

いつ再臨するか?について、
聖書の、マタイによる福音書第24章36節
「その日、その時、誰も知らない。天の御使達も、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」

それまで私達は何をすればよいか?について、
聖書の、マタイによる福音書第24章42節
「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなた方の主が来られるのか、あなた方には、わからないからである」

聖書の、ルカによる福音書第21章34-36節
「よく注意していなさい。その日は、地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。
これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」

再臨が遅れている理由について、
聖書の、ペテロの第二の手紙第3章8-9節
「愛する者達よ。この一事を忘れてはならない。
主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。
ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなた方に対して長く忍耐しておられるのである」

それまで何をすべきか?について、
聖書の、テトスの手紙第2章11-14節
「すべての人を救う神の恵みが現れた。
そして、わたし達を導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、祝福に満ちた望み、
すなわち、大いなる神、私達の救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。
このキリストが、私達のためにご自身をささげられたのは、私達をすべての不法からあがない出して、良い業に熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない」

再臨の時のこの世は?について、
聖書の、マタイによる福音書第24章37-39節
「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
すなわち、洪水の出る前、ノアの箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。
人の子の現れるのも、そのようであろう」

聖書の、マタイによる福音書第16章27節
「人の子は父の栄光のうちに、御使達を従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう」

なぜ再臨するのか?について、
聖書の、へブル人への手紙第9章28節
「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救いを与えられるのである」

聖書の、コリント人への第一の手紙第1章7-8節
「こうして、あなた方は恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、私達の主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。
主もまた、あなた方を最後まで堅く支えて、私達の主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう」
(以上、ネットより部分抜粋)

以上のような聖書の言葉を信じて、キリスト教徒達はイエスの再臨を待っている。
 
ちなみにバチカンのシスティナ礼拝堂にミケランジェロ作の有名な「最後の審判」の壁画があり、そこでは再臨した若きキリストが描かれている。
また昔の映画の「ベンハー」では、イエスの生涯も描かれ、イエスが十字架刑になる様子や人類の罪をあがなうために捧げた血潮が雨の中を流れると言う感動的なシーンもあった。

(つづく)

(参考資料) 気になったロゾアスター教について調べた。

イラン高原の多神教の古代アーリア人の中でゾロアスターが二大神を祭る宗教を始めた。
紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシア成立時には、既に王家や人々が信奉した。
3世紀初頭に成立したサーサーン朝ペルシアでは国教とされ、王権の支えとなった。
ゾロアスター教の教義の最大の特色は、善悪二元論と終末論である。
世界は至高神アフラの善神軍と悪の霊アンラの悪神軍との戦いである。
それは善神の生命、光による建設軍と悪神の死、闇の破壊軍との闘争とされる。
また、その歴史観は、宇宙の始まりから終わりまでの期間は1万2000年とされ、3000年ずつ4つに区切られる。
「霊的+物質的創造」と「混合」と「分離」の3期に分けられ、現在は「混合」の時代」とされる。
アフラ・マズダーによる「創造」によって始まった「創造の時代」は完璧な世界だったが、アンラ・マンユの攻撃後は「混合の時代」に入り、善悪が入り混じって互いに闘争する時代となる。
全人類は人生においてこの戦いに否応なく参加することになり、善神を崇拝して悪徳を自らの中から追い出し、善が勝つよう神々とともに悪に打ち克つ努力をしなければならない。
死後、ミスラの審判を受けて善行を積んできた者は、天国へ悪を選んだ者は地獄に向かう。
そして将来的には「治癒」(と呼ばれる善の勝利と歴史の終末が起こり、それ以後の「分離の時代」には善悪は完全に分離し、界は再び完璧で理想的なものとなって、「分離の時代」は永遠に続くと考えられた。 

聖地はイラン、今では世界のロゾアスター教信者は約10万人。
(大変興味深い教えであるが、このロゾアスター教は近親婚奨励や鳥葬などのためか?世界宗教にはなり得なかった)

(以上 おしまい)