飛騨さるぼぼ湧水

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菜食の薦め (その 18 ) 動物福祉(その 2 )  トーストのバターの代わり?

2024-04-06 15:18:57 | エッセイの部屋

まず本題の前に、前回同様、私が最近思いついた、今までにない新しい美味しい菜食の例を紹介します。
今回は朝のトーストのバターの代わりに考えたものです。
バターを塗る代わりに、焼いたパンを二枚に薄く切って中に挟んでサンドにするのです。
いえ、前に述べていたバナナとキャベツではありません。
今回挟むものは、新しいタイプのポテトサラダ?です。
このポテトサラダは、日本人ならば誰もが好きな味で、その上に、新しい洋風の味がするのです。本当かな?と突っ込みが来そうですが・・・
はい、この味に行着くまでにスーパーで材料を買い込んでかなりの試行錯誤をしました。
そして、値段が安く、作り方も簡単で、しかも美味しい物と言う事で、幸いにも満足できる結果に至りました。
さてさて、その企業秘密?と言うべき作り方を無料で披露しますと、
一言で言えば、「肉じゃがの肉抜きを潰して練り上げて、そこにフルーツのマーマレードジャムを練り合わせた」
と言うものです。
当然ながら、醤油味の肉じゃがは日本人の万人が好きな味ですから、嫌いな人や子供もいません。
肉無しニクジャガを潰してポテトサラダにして、そこにマーマレードジャムを混ぜこむと、驚いた事に、一瞬にして和風味が洋風味に変わるのです。
これは今回の大発見と言うもので、他のフルーツジャムでは駄目で、マーマレードしかできません。
ちなみに私の作り方は、

1、旧い炊飯器でジャガイモを煮て、皮を爪でむいて手で握り潰します(水分は少な目に)。

2、玉ねぎとニンジンを細く切って、ノンフライヤーで焼く。(フライパンで油で炒めた方が良いかも?)

3、ジャガイモと玉ねぎとニンジンを、少々のマヨネーズでよく混ぜ醤油を混ぜる。

4、最後にマーマレードを混ぜる。

5、トースターで焼いた食パンを薄く二枚に切って、その中にポテトサラダを挟んでサンドにする。
(サンドにせず、そのまま上に乗せて食べてもよいし、また焼く前のパンで、ふつうのサンドにしても美味しいかも?)
このマーマレードポテトは、日本人の好む、今までにない素敵な味ですので、是非とも試食してください。

以上、新菜食アイデアでした。

さて、ここからが本題、

前回、動物に対する非道な扱いを想像していたら、自分の体調まで悪くなり疲れてしまって、途中切れで失礼いたしました。
さて、ペットと言えば、我が家にはペットはいなかったし、私はブラジルの牧場にいた時に賢い猟犬と住んでいたぐらいで、日本のペット事情は知らなかった。
また、日本ではペットとして皆がかわいがっているので大丈夫だと思っていた。
ところが、それは全くの間違いだった。
先週に読んだ犬の本でも、金曜夜のラジオの高橋源一郎氏の話の中でも、少し前まで日本においては繁殖業者によって悲惨な飼い方がなされていた事を知った。
幸いにして日本では三年ほど前に犬や猫等動物保護の法律が改正されたため、悲惨な飼育も禁止され、今はペット達にとっては希望の光が見えているらしい。
今まで悲惨な飼い方をしてきたブリーダー(繁殖業者)の施設も現在は徐々に改善されつつあると聞いてほっとした。
そう言えば、何年か前まで、飼っていたペットが捨てられて保護され、かなりの数が毎年立処分される事がテレビで話題になった事を思い出した。
以来、世間では、ペットを買うなら責任持って最後まで飼い続け、決して捨てたりしないように!と言われるようになった事も思い出した。
調べて見ると、日本でペットに関する保護の法律ができたのが、つい3年ほど前と言われるから、英国などヨーロッパ諸国に比べて、如何に日本社会が動物福祉の面で遅れているかが分かる。
そう言えば、日本には、江戸時代に5代将軍綱吉の「生類憐れみの令」と言う立派な動物福祉のお手本がある。
そんな日本なのに、金儲けのためとは言え、恥ずかしい日本人になってしまったと思う。
私が現在、問題と思っているのは、単にペットだけではない。
今も、日本では一般の人々が見えない場所で大量の動物達が非道徳的な悲惨な飼い方をされている事実だ。
抑々このような動物に対して非道徳的な扱い方が生じるのは、日本人には動物に対しての根本的な高尚な思想や道徳的な考え方が無いからだと思う。
「神は人間達の友達として動物達を創ったもので、決して人間達の食べ物として創ったものではない」
なのでそもそも動物の肉を食べる事事態が大間違いである。
と言う考え方が私が好きで、そう思っている。
動物は人間達の友達として神が創られた。
それを照明する良い例が、前述の犬や猫等のペットである。
ペットは、飼ってみれば誰もが分かるが、まさしく人間達の友達である。
淋しい時には言わなくてもそれを覚ってペロペロと顔を舐めてなぐさめてくれる。
ペットの犬や猫は人間と同じように喜怒哀楽の感情があり、それぞれ個として個性を持っている。
それはまるで家族の1人のようである。
同様に、鶏も羽数が多くても、雛から飼い続けているとそれぞれが感情や個性を持っている事が分かってくる。
もちろん 鶏達も世話する人間の姿や声を憶えていて、その声や姿を見つけると、喜んで近づいて来てかわいい。
こうした互いに心が通い合ったペットや鶏を、ある日、突然殺して食する事ができるだろうか?
日本人ってそんな民族だったのか?
ここで、ちょっと歴史を遡ってみよう。
日本は飛鳥時代の聖徳太子の頃から慈悲を説く仏教を受け入れ、上記の「生類憐みの令」に代表される江戸時代に至るまで、動物愛護思想があった。
牛や馬は人や荷物を運び田畑を耕し犬や猫も人々に役立ち、家畜と人間は互いに家族のように助け合って過ごしてきた。
もちろん動物の肉を食べる事は公には禁じられていた。
その日本が肉を公に食べるようになったのは、江戸時代が終わって明治の文明開化からだ。
チョンマゲ姿の日本侍達がテーブルのイスに座って牛のスキヤキ?を食べたのが始まりだ。
以来、日本では鶏牛豚など肉生産を目的とした畜産が始まった。
元々、仏教の影響下の森林の多い東南アジアや日本では、昔から米や穀物の菜食が主だった。
肉食は砂漠地の羊放牧の中東のユダヤ、キリスト教圏で起こり、それがヨーロッパ全土に広がり発達したものだ。
その西洋文化の肉食が明治時代に初めて日本に導入され、それが戦後の飼料穀物輸入でさらに加速され今日の肉食礼賛時代となっている。
ここで大きな疑問が沸いた。
動物福祉に関して、現在の日本は先進国のヨーロッパから学んだり取り入れたりしているが、今までの歴史の流れを見れば、むしろその逆であるべきだ。
そう、動物に優しい伝統の日本で動物福祉の思想が生まれ、それが肉食伝統のヨーロッパの国々へ広がり浸透すべきではなかろうか?
動物福祉思想は、肉食のヨーロッパよりも菜食の日本や東南アジアで起こるべき思想ではないだろうか?
と言う疑問が湧いたので、早速、ヨーロッパの動物福祉の思想の源を調べてみる事にした。
すると、そこには、案の定、今までにない、大袈裟に言えば、人類史上の大きな文明論的な大転換となる新しい動きが生まれていた。

(つづく)

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