飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

春一番 さらば!寒き如月

2018-02-27 21:18:53 | 俳句日記の部屋

もやもやを みな吹き飛ばして 春一番  湧水

昨日の カラス声一掃 春一番  湧水

心モヤ 目のモヤ飛ばせ 春一番  湧水

鳥小屋を ひっくり返して 春一番  湧水

懐かしい昔の思い出

春きざす 村はカラスの 声ばかり  湧水

北影の 残雪やせて 春きざす  湧水

山蔭の 氷坂挑めぬ 歳となり  湧水

ちょろちょろと 畑に春の 山水かな  湧水

冷え詰まりし 血管通す 春散歩  湧水

脚痛の 消えて嬉しき 春バス停  湧水

春女神 現れそうな 朝バス停  湧水

10分にて 冷えし早春の 飛騨バス停  湧水

風なくば 芯まで溶かす 春日ざし  湧水

耳当てを 探し続ければ 春来たり  湧水

甘苦き 一日一個の バレンチョコ  湧水

七日後に ようやく礼電 バレンチョコ  湧水

張りつめし 鳥声いづこへ 水ゆるむ  湧水

見舞うごと 癒ゆる病人 水ゆるむ  湧水

順調に リハビリ病棟へ 梅便り  湧水

川柳

落ちない祈願の 崖岩落ちし 受験前 あわてた神主 皆の代わりに落ちたから大丈夫!

句づくりに 通り過ぎたる バス停かな この事も俳句に!

病棟へ 見舞われるより 見舞う側  と思えば面倒な見舞いもok!

相棒の 見つからぬ靴下の 増えし山  不思議!片方はどこへ消えた?


日本の大相撲問題 海人と騎馬民族

2018-02-24 10:40:05 | エッセイの部屋

もうかなり前の事である。
九州の沖合の沿海灘の島だったか、古い伝統的な相撲をてれびで見た。
現在のの大相撲と同じように砂の土俵で裸でマワシを付けて組み合っていた。
その中で印象的な事があった。
それは、勝った力士が、もう一度同じ相手と相撲をとって、今度はわざと負けてやると言う事だった。
「へえーっ、なんでだろう?面白い」
と強烈に印象に残った。
その相撲は島の神様への奉納相撲だったかどうかまでは憶えていないが、小さな島の漁師達の間で後にシコリの残らない良い方法だと思った。
この古い相撲に、本来の日本人らしい平和な暮らしぶりや生き方を垣間見た気がした。
きっと、すべてが終わってから皆で日本中の農村のお祭りのように楽しく酒盛りをするのだろうと思った。
勝った漁師も負けた漁師も、くやしさが残っていないから、翌日に呼吸を合わせてうまく連携し漁ができるだろう。
そんな事を思い起こしたきっかけは、昨年末からの大相撲の問題だった。
日本の大相撲とモンゴルの相撲の違い等いろいろ調べてみた。
すると、今回の問題の根底には大相撲に関する考え方の違いがあるようだった。
モンゴル相撲も、韓国の相撲?も、また日本の大和政権ができてまもない頃の古事記に記載されている大君の前での相撲でも、言わばどちらが強いかを決める格闘技である。
だから、どんなきたない方法でも勝てば良く、古事記の場合は相手の骨を砕いて殺してしまった。
またモンゴルや韓国相撲では土俵がないから相手が動けないようになるまで痛めつける、そのため多彩な技で攻撃する。
また、強い方が上と言う考え方だから日本人のような先輩後輩等関係ない。
このような姿勢が最近の大相撲に増えてきたようだ。
こうした相撲の原点はユーラシア大陸の牧畜が主の騎馬民族の格闘技にあると思う。
皇帝や大将や仲間の前で戦士として誰が最も強いかを競う、言わば日本の武士の試合のような激しいものだ。
こうした騎馬民族の相撲に対して、もう一方の相撲の源流がある。
それは盗難アジアの漁業を主とする古い「海人」達の相撲だ。
海人達の相撲は裸でマワシを付けて行う。
海の神様に大漁を願っての奉納相撲だから神前に土俵を作り、その土俵の外へ相手を追い出したら勝ちになると言う怪我の少ない見る人が楽しめる優しいものだ。
押し出すことが主だから騎馬民族の相撲に比べ技も少なかっただろう。
それは私が冒頭で述べた印象的な相撲のように子供や女性達も楽しめるものだっただろう。
さて、ここから現在の大相撲の話となる。
日本の今の大相撲の原型はいわゆる古くからの勧進相撲と言われる。
神社仏閣の修理や建築の資金を集めるための興行で勧進相撲と言われてきた。
神様に奉納と言う和式のインターテインメントである。
その歴史等については詳しく調べる時間がないので、性格には知らないが、江戸時代になって現在のような形になったのだろう。
裸で砂の土俵の中で取り組むと言う方法はかつての海人達の砂相撲を取り入れた方法だ。
また、真剣に勝ちに固執して勝つために多彩な技を使用するのは騎馬民族の相撲を取り込んだものだろう。
いづれにしても、日本の大相撲は前述の騎馬民族の格闘技と古い海人達の奉納相撲の良い所を取り合わせて日本人の民衆の気質に合わせ完成させた日本独自の相撲形式である。
故に国技と言われるのだろう。
これからは、この日本文化である大相撲をよりスポーツ化して、または格闘技化すべきと言う人もいる。
それは、日本人の力士が減る一方なので、将来的にモンゴル人だけでなく他の外国人達の参加を促進させ、将来オリンピック化や世界化を目指すと言う考え方である。
しかし、そうなると神様への奉納相撲と言う日本らしさを失う事になる。
やはり、誰が強いかを決めるのではなく、老若男女見る人達や神様が楽しめる取り組み、それが日本独自の大相撲の姿だと思う。
なので、相撲業界は、これから貴の花親方等の違った意見や見物する人々の意見等広く意見を取り上げて、アメリカ独自のメジャーリーグのように国民的かつ世界的な奉納興行になってほしいと思う。
ただし、中世的な女性禁止伝統は改めてほしい。

(以上)


雪解けて快晴の雨水! 金メダル

2018-02-20 18:07:52 | 俳句日記の部屋

張りつめし 鳥声いづこ 水ゆるむ  湧水

氷雪が 消えてガサつく 大地かな  湧水

がさがさの 大地待ちたる 雨水かな  湧水

土の穴 雨水浸み入り 虫起こす  湧水

倒れたる シクラメン起きし 雨水かな  湧水

銅銀銅 日の丸昇らぬ 雪の空  湧水

雪とかし 列島晴らす 金メダル  湧水

金銀の 日韓抱き合い 安堵かな  湧水

脚の冷え 散歩さぼりし 報いかな  湧水

いつまでも 続くや二月の 朝の冷え  湧水

弱気には 氷山ごとき 雪の坂  湧水

次々と 大腿骨折る 老いの里  湧水

リハビリの 媼声高き 雪病棟  湧水

見舞う側で よかったと思う 雪病院  湧水

川柳

ほろ苦き 金箔チョコを 二位以下に  ピョンチャンバレンタインデー

爺さんに あげしカイロを 買う今年  まさか自分が使うとは!

ホカロンの 使い方尋ねる 躊躇かな  えーっ、知らないの?なんてばかにされそう

もみほぐし 袋から出せば 熱くなり  さすが物理系!人に聞かなくてよかった!

葉脈の ごとき新病院の 廊下かな  感染症対策かな?

ガイド役の 爺さん迷う 病室かな  毎回だよ

古代史ロマン(その 2 ) 縄文時代 

2018-02-17 20:54:37 | エッセイの部屋

風邪ぎみで最近は体調が悪い。
そんな中、たまたま面白いニュースが飛び込んできた。
愛知県豊橋市で見つかった貝塚が縄文時代中期後半のハマグリを煮炊きした加工場と言う事だった。
また、これまで見つかったものより、約1000年も古いと言う。
ちょうど私が縄文時代の本を読んでいる時だったので、このタイムリーなニュースに喜んだ。
その読んでいた本とは「いのちの森 縄文桜町遺跡」だ。
この遺跡は、富山県の小矢部市桜町にあり今から二十年ほど前に発見され当時、関係者や地元の間で大きな反響を呼んだようだ。
と言うのも、4000年前の縄文時代に建てられたと言う高床式の大きな建築物の木組み部材が見つかったからである。
縄文時代の住まいと言えば一般的に丸太とカヤの竪穴住居か稀に縄で丸太を縛り付けた高床倉庫ぐらいであると考えられていた。
ところが、この遺跡では大きな木材を切り刻んで組み立てると言う高度な建築部材が発掘されたのである。
その後の弥生時代の遺構にはまだこのような立派な木組み部債は見つかっていなく、現存する最古のものは法隆寺のものだと言われる。
「こんなスゴイ物が飛騨の山裾の富山の4000年前の遺跡で発見されたのか!」
と驚いた私は、ひょっとして、これが「飛騨の匠」や富山の欄間の木材の伝統技術の源ではないかと思った。
上記のニュースの豊橋のハマグリ加工場も同じく4000年前である。
この例のように縄文時代の中期には、想像以上に高度な文明が日本中に存在していたようだ。
青森の三内丸山遺跡も今から5500年前から4000年前に栄えた遺跡であり、その他にも巨大柱跡など多くのすごい遺跡が発見されている。

さて、前回では邪馬台国から大和朝廷の変遷について大まかに述べた。
そして箸墓古墳も卑弥呼ではなくトヨ(台与?)と巫女達の墓だろうと述べた。
今回は、邪馬台国の以前の日本列島の歴史について私なりに改めて整理してみようと思った。
それは日本の縄文時代から弥生時代にかけての歴史となる。
さて、前述のように縄文時代とは約1万2千年前から紀元前5世紀ぐらいと言われている。
また、弥生時代は紀元前5世紀頃から紀元3世紀中頃と言われている。
しかし、最近ある水田跡が紀元前10世紀頃と確認され、弥生時代の始まりも早くなる可能性がある。
また縄文土器ももっと年代の古い物も発見されている。
弥生時代の後の古墳時代と言われる時代は3世紀中頃から紀元7世紀頃となる。
前回の邪馬台国の栄田時代は、弥生時代末期の紀元2世紀中頃から3世紀中頃となる。
3世紀中頃と言うのは卑弥呼の亡くなったと言われる247年頃である。
この邪馬台国の終焉と大和王朝の成立が3世紀中頃から4世紀初めとなり、これが古墳時代の始まりとなる。
つまり卑弥呼の死を境に前方後円墳の古墳時代が始まるのである。
さて話をもどして、縄文時代には日本列島には縄文人達が住んでいた。
彼等の先祖は北方から来た民族と南方から海を渡って来た民族であった。
縄文時代は人々や集落どうしの争いもなく平和な列島だった。
人々はどん栗や栗や栃の実等の木の実や鹿猪熊兎等の獣や鮭鱒鮎鰹等の魚類貝類を食糧にしていて集落は離れていて様々な物の交易もしていた。
とりわけ6000年前から4500年前は気候が温暖で、特に東日本では木の実や獣魚も多く獲れて人口も増えて各地に大きな集落ができた。
自然の恵みも多く、栗の植林もし、縄文クッキーや土器による各種ナベなど食材も多く、また多くの集落が共同して巨大丸太の建物を建てて祭りのようにごちそうを食べたり、耳飾り貝輪、管玉等の装飾品を付けたり、「まほろば」と呼ばれる平和な穏やかな時代であった。
前述の豊橋の干しハマグリもこの交易のために作られたのだろう。
しかし、この平和な理想郷も長くは続かなかった。
4500年前頃から気温が低くなり、木の実等の食糧も減り始めた。
そして、2500年前には最も冷涼な気候になり人口も激減し大きな集落も消えたと言われる。
2500年前とは紀元前500年の事である。

(つづく)

ふたたびの雪と風邪? 南飛騨にも初大雪

2018-02-13 21:27:59 | 俳句日記の部屋

底冷えさえ 無ければ綺麗な 雪の飛騨  湧水

弱き人の 体調くずす 積もり雪  湧水

しんしんと どこまで積もる 屋根の雪  湧水

尺越えの 雪の重さの 心配かな  湧水

村人を すべて閉じ込め 雪天地  湧水

深雪の 秘湯のごとき ひとり居かな  湧水

右膝の 痛み増やして 雪の冷え  湧水

雪の夜の 泣きたきほどの 脚痛かな  湧水

まだ寒き 来た風の向こう 平昌(ぴょんちゃん)かな  湧水

暖かき 一日(ひとひ)で十日の 寒に耐え  湧水

水道の 点検たのむ 温暖日  湧水

凍結が ゆるみ噴き出す 割れ蛇口  湧水

水道の 補修終われば 大雪かな  湧水

と言う訳で、運よく積雪の前の暖かき日に友人に水道凍結割れの修理をしてもらった。

通り過ぐ 風まだ寒き 早春停  湧水

早春や 通る車の 風寒き  湧水

川柳

ピョンチャンより ハワイへ行きたき 二月かな  リオのカーニバルでもいいよ

おそらくは ニヤニヤしている スキー場  去年は雪が少なくてニュースになった

弥生時代の エッセイ書かんと 猛勉強  遅れ投稿の言い訳