飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

災害対策 すぐ直すべき気象庁と公報用語!

2016-10-28 18:01:23 | 発明アイディアの部屋

先日避難が遅れて多数の老人達が水死すると言う悲惨な出来事が起こった。
それは、岩手県の老人ホームでの出来事で、豪雨の「避難準備情報」の意味を正しく理解していなかったのが原因だったと言われる。
この事を重視して、今朝、政府が今後の対策のための会合を開くとのnhkのニュースがあった。
(ああ、やはり、放っておけない事だったんだ!)
と私は思った。
実は、私も以前から問題視していた事である。
それは気象庁や地方自治体関係者達の一般市民に伝える用語が誠にヘタで、ふつうの人々がその本当の意味が理解できないと言う事実である。
例えば、上記の避難に関しても、私達の感覚では「避難勧告」と「避難指示」とでは、「避難勧告」の方が強い要請と感じる。
何も知らない老人や子供達に向かって大声で伝える時、指示よりも勧告の方が効き目がある。
つまり、気象庁用語が一般市民感覚とズレテいるのだ。
いわゆる業界用語と一般用語の違いのようなものである。
なので、結論を端的に言えば、現在の
1、「避難準備情報」、2、「避難勧告」、3、「避難指示」を
1、「障碍者高齢者避難情報」に、2、「避難勧告」、3、「避難命令」に
と言う呼び方に改めるべきだと思う。
この呼び方に変えれば、国や自治体関係者が何度も用語解説に時間や経費をかけなくても、真の意味が一般市民に伝わりやすいと思う。
また同じように他にも、市町村の用語や広報に一般市民の感覚から外れた用語を使用しているケースが多い。
身近に代表的なのが「振興事務所」と言う呼び方だ。
昔は各町に「町役場」と呼ばれた庁舎があった。
それらの町が合併して市になった後、一番大きな町役場が市庁となり、その他が「振興事務所」と呼ばれるようになった。
完全な、官庁の「業界用語」である。
私も故郷へuターンして、初めてその呼び名を聞いた時は、どこかの工事事務所かと勘違いした。
どうして「町役所」とか「分役所」とか「役」と言う長年庶民が使い慣れた字を使用しなかったのかと疑問に思った。
上記の呼び名ならば、誰もが説明を聞かなくても意味が分かる。
「振興事務所」では、何をしている建物なのか、業界関係者?以外の一般庶民には、さっぱり分からない。
気象研究の専門家や行政官公庁の専門家経ちはそれぞれの内容を分類統括するために専門用語や業界用語を作りだすと思う。
それ自体は、もちろん決して悪い事ではない。
しかし、災害予防や日常業務上で一般庶民に伝える時は、業界用語をストレートに用いるのではなく、一般庶民が分かりやすいように庶民後に翻訳する必要があるのだ。
最近は、一般企業でも庶民感覚とのズレを埋める公報等を重視するようになり、「謝罪会見」などに大きな変化が見られるようになった。
かつてのお役所と言われる国公庁も、早く庶民感覚とのズレを解消してほしい。
その方法は簡単で、プライドを捨て、できるだけ多くの庶民の意見を聞けばいいのである。
またいくつかの案を提示して、庶民に選ばせる方法をとれば、なお庶民の理解が進むと思う。
ついでに、路上の外部スピーカー等で「火事」やその他の「お知らせ」をしている市の「公報」について述べる。
場所によっては、アナウンスの声がこだまして、聞き取りにくい。
それよりも何よりも、私の住んでいる町では読み上げ文章が幼稚である。
スピカーによる公報は、ほとんどが緊急時連絡である。
緊急時連絡には、その目的に合った文章方法があるはずだ。
それには、言葉は必要な言葉だけにしてできるだけ少なくし、繰り返す。また結論を先に述べ分かりやすい文章にする。
例えば、先日、こんな公報があった。
ピンポンポン!
「本日、○○地区の、一人暮らしの、高齢者の家に、電話があり、○○の返還金があるので、atmまで行ってください、との話がありました。このような、不審電話がかかって来ていますので、ご注意ください。このような、不審電話がかかってきた場合は、振込サギの恐れがありますので、電話を切るか、警察の方へご連絡ください。くれぐれもお金を振り込むような事はしませんように、繰り返します。々々・・以上、公報でした」
と言うような、長々とした文章で知らせていたが、スピカーの声がコダマのようになって聞きづらいため、アナウンサーがゆっくり間をおいて話すようにしている。
そのため、初めの内は、どんな内容の知らせなのか、長い間イライラしながら聞いていた。
と言う訳で、私ならば、以下のような文章にする。
「ピンポンポン!コーホーです。
不審電話に注意、不審電話に注意!
振込サギの電話がかかってきています。
返還金があるとの電話がかかってきたら、切るか警察に連絡ください。
振込サギの電話がかかってきています。
以上、コウホーでした」

また火事の場合は、
「ピンポンポン!こーほーです。火事の知らせです。
○○地区で火事です。
建物火災です。
繰り返します。
○○地区の○○で建物火災です
以上、コーホーでした」

前述のように公報では、スピーカーの音がこだまして聞きづらいから、できるだけ言葉を減らして、必要な言葉だけに限定して、繰り返した方が良いと思う。
また詳しい内容は、ホームページや、特定の録音電話ですぐ対応したら良いと思うが、いかがでしょうか?
ああ、そうだ!公報文章も公募したらいいんだ。
「以上、お知らせいたしましたが、本公報において、若し、もっとこうしたら分かりやすい文章になるとのご意見がありましたら、是非とも、ご連絡ください。お待ちしております」

(以上コーホーでした?)

秋雨の収穫休み

2016-10-25 21:24:41 | 俳句日記の部屋

芋ほりを 休めと頃よき 秋雨かな  湧水

芋の横 収穫待ちし 枯れ大豆  湧水

秋雨を よろこぶ白菜 大根かな  湧水

夜冷えに ビニール覆う 夏鉢花  湧水

秋雨に ビニールを取りし 夏花かな  湧水

先週の句

豊作の 疲れこころよき 芋ほりかな  湧水

秋の陽の やさしき畑 芋を掘る  湧水

畝(うね)半分 進めば箱は 芋いっぱい  湧水

遅々として 進まぬ芋ほり 芋の山  湧水

三畝分 半畝で収穫 今年芋  湧水

わが植えし 芋と思えば いとおしき  湧水

わが植えし 芋傷つけまいと 素手で掘り  湧水

鍬傷の 芋触れ自分で 掘り始め  湧水

鍬傷の 爺来る前に 芋収穫  湧水

霜降りる 前にあわてて 芋を掘る  湧水

残り芋 去りし畑に 初霜かな  湧水

川柳

かじられて 霜も直撃 頭出し芋  出る釘同様に鼠にかじられさんざんな目に

お口直し?に 婆さん時々 わがヘルパー 何事も慣れると感謝忘れる、コラ言い過ぎ!

拒絶され 芋受け取りし 人ありがたき  いやまいった!世はいろいろ

わが言行 総点検しろと 冷水かな  いや気づかない内に慢心だったかも?

増えし減りし 数える度に 鉢みかん  ヘルパーさんが来る度に数えてもらう事にした


今年の秋の収穫 里芋と薩摩芋

2016-10-22 12:24:17 | 自然農法の部屋

今日は10月22日(土)。
今年の芋の収穫が先週から始まったが、ようやく八割ほど終わった。
今年の収穫は天気に恵まれ、招待した人達にも寒くなく暑くもなく最適だった。
おまけに去年は不作でがっかりさせた薩摩芋も今年は大きく育っていて、皆で歓声をあげながら掘っていた。
また、里芋も今年は茎や葉が今までの最高の大きさで、芋の方もお蔭様でたくさん付いていた。
前から述べているように、今年の芋畑(休耕田)は、夏の雑草対策として畑全面を分厚い防草シートで覆ってしまった。

今年の里芋

防草シートを使用したため里芋は、苗を植えた後の土寄せが、今までの二回から一回に減った。
昨年まれま、里芋の周りの雑草の根が伸びない内に、ボカシ散布して除草しながら、周囲の土を寄せた。
ここの「土寄せ」が、今年は二回から一回に減ったので真夏の作業が楽になった。
しかし、手伝ってくれるようになったtさんが、真夏に根元を見て「やはりもう一度土寄せをした方がいいよ」と言った。
しかし、防草シートを開けて熱中症が心配な真夏に土寄せをするのが大変だったので、敢えてしなかった。
そのためにと一回目の時にボカシは二回分を撒いていたが、これが、アブラムシ発生の原因だったかも知れない。
その結果、今年の収穫では、土寄せが減ったためか、親芋の大きさがいつもの半分ぐらいだった。
親芋は、昔の婆さん達以外は食べずに捨ててしまうから、かえって良かったかも知れない。
また今年は太い茎と共に、根元に脇芽が多く出たようだった。
tさんが一生懸命に除いていたが、私は真夏の作業を減らそうと敢えて消極的だった。
しかし、脇芽はせっかく実った芋から出てくるようなので、やはり除いた方が良さそうだった。
最期に遊び半分で、来年、もしかしたら苗植えをしなくても済むかも知れないと期待して、収穫した芋の中から一個を種イモとして、掘った穴の底の土深くに埋めておいた。
うまく凍らず冬を越す事ができれば、来年の苗植えの頃、ひょっこりと芽を出していて、「こんにちは、お久しぶりです!」なんて言うかも。

今年の薩摩芋

さて、薩摩芋は昨年も防草シートを使用したのだが、畝間の裸土に生えた雑草が薩摩芋を覆ってまるで草原のようになってしまい、芋はほとんど付いていなかった。
それで、今年は、それに懲りて畝間にも防草シートを敷いて雑草が生えないようにした。
そのお蔭で、薩摩芋が伸び伸び育った。
tさんが、根元に生えた雑草や隙間に生えた雑草をていねいに取ってくれたので助かった。
ところが、いざ収穫をして見ると、植えた株の半分以上が枯れていた。
しかし、生き残った株が、枯れた分までツルを伸ばして茂っていたため、大きな芋ばかりが頭を出していた。
特に大きな芋の重さを測ったら、3.5キロあった。
やはり、休耕田は砂地のような水はけが良くないから、薩摩芋には向かないようだ。
おそらく、砂地ならば、消費者が喜びそうなサイズの芋ばかり収穫できたかも知れない。
しかし、芋がびっくりするくらい大きいので掘る人達は大喜びだった。
それに、自然農法産なので、大きな芋でも味が良く、「天ぷらにしたら、とても美味しかった!」と皆からお礼を言われた。

まだ畑に薩摩芋も5畝残っている。
最期に植えた畝は、適当なサイズの芋が育っているかも知れないので、早速、午後から掘ってみようと思う。

(つづく)

芋の収穫始まる! 豊作に安堵

2016-10-18 21:14:32 | 俳句日記の部屋

今年また 芋豊作の 幸いかな  湧水

芋畑 豊作に湧く 嬉しさかな  湧水

人も来て 掘る芋ありて 安堵かな  湧水

掘る子等も 芋もあまたや 天高し  湧水

歓声の 青空高き 芋掘りかな  湧水

10月に入って今年の芋ほりが始まった。
初日は14日、「山ゆり園」が里芋約30株、薩摩芋40株余り掘り、かなりの収穫だったようだが、寮生や職員で7、80人ほどはいるようだから多過ぎる事はないと思う。
また20日に「光の家」が、21日にも「陽だまりの家」が来る予定、晴れのようだから幸いだ。

ひと箱を 吊るしたごとく 鉢みかん  湧水

今年の鉢ミカンの実の数を数えてもらったところ、54個との事で、50から60個との私の予想が当たった。

朝顔の 支柱片づく 北風路  湧水

北風の 片づけせかす 枯れ朝顔  湧水

先週の句

落ち枯葉 乾きし音の 夕日道  湧水

枯れ落ち葉の 音も乾きし 夕山路  湧水

長影の ゆく手はばみし 夕里かな  湧水

わが頭の 熱さめやらぬ 秋の風  湧水

わが心の 乱れはやまぬ 秋の飛騨  湧水

静まらる 心の乱れ 秋の風  湧水

心には 残る熱気や 秋の風  湧水

長雨の あとの厳しき 秋日かな  湧水

朝冷えに 青葉も萎えて 紅葉かな  湧水


小さな小さな人間の世界 理想世界の創造

2016-10-16 23:27:20 | エッセイの部屋

昔々、創造の神が、それは大きな大きな盥(たらい)のような器の世界を造った。
そして、大地の代わりに食物で、その器の半分くらいまで満たした。
そして最期に、小さな小さな人間達を造って、その中に住まわせた。
小さな人間達には、それぞれ一人一人に自由が与えられていた。
この世界では、大地が粉状の食べ物だったので、人間達は働かなくても食べていく事ができた。
しかし、自由が与えられていたので、欲ばりに生きる人間達は悪人になり、仲間や他人のために生きる人間達は善人となった。
創造の神は、その世界が平和で幸福な世界になるように、すべての小さな人間達に神の心を与えた。
そうして、しばらく傍で見守っていた。
やがて小さな人間達には、その神の心が表れて、皆が互いに助け合い、善人となった。
そして、その人口がどんどん増えて良い香りを放つようになった。
「おお、これならば大丈夫だろう」
多忙な創造の神は安心して遠くへ去った。
やがて数百年も経った頃、様子を見に傍らまでやって来た。
ところが、創造の神の期待とは反対に、その盥の世界には、悪人達があちこちにはびこっていて、争いや戦いを起こし悪臭を放っていた。
「おやおやこれは何としたことか!」
驚いた創造の神は、その原因に目を向けた。
すると、気温が暑過ぎた事と、雨が多過ぎた事が悪人達を増やす事につながったと分かった。
つまり、暑過ぎたため小さな人間達がイライラし怒りっぽくなり、次第に悪人に変わった。
また洪水に会って生活に困ったため、盗みをして悪人に変わってしまったのだった。
「そうだったのか。気温や雨でこんな風になるとは、想いもしなかった。これは見守らなかった私のミスだ」
創造の神は、そう反省すると、早速、自らの手で、その世界を造りなおす事に決めた。
まず盥の器の世界を詳しく知るために覗き込んだ。
悪人達が住んでいた地帯は、盥の端や表面と底部だった。
そこは食べ物の大地も堅く固まっているか、湿っていて、悪臭を放っていた。
一方、大部分の盥の中央部は、善人達の世界で、柔らかく乾いていて良い香を放っていた。
明らかに、善人達の中央部の量の方が、悪人達の端部より圧倒的に多かった。
「悪人達の巣靴を取り除いて棄ててしまえば、すぐ善人達だけの理想の世界ができる」
初めに、創造の神はそう思った。
「しかし、それでは盥の世界の食べ物の大地も小さな人間達も七割ぐらいに減ってしまう。それに捨てられる悪人達も元々は善人だったのだ。環境さえ良ければ悪人になる事はなかったかも知れない」
と哀れに感じた。
それに、パーフェクトが建前の創造の神としての誇りが許さなかった。
「やはり、棄てる事なく、すべてを善人の世界にもどそう」
と創造の神は決断した。
やがて、創造の神は、盥の中に手を入れて、堅い悪人達の巣窟をバラバラに砕き始めた。
そうして、それを善人達の柔らかい世界へ混ぜ込み始めた。
また雨が浸水している悪人の世界も、バラバラに砕き、乾いた善人の世界に混ぜ込んだ。
つまり、創造の神は、集まっていた悪人達をバラバラに離して、多くの善人達に囲まれるような環境に配置したのだった。
そうして、暑過ぎず寒過ぎない春のような気温に保ち、雨も適度に降るように見守り続けた。
すると、盥の中の世界は、悪人達が周囲の善人達の感化を受けて、徐々に善人になっていき、悪臭も消えて良い香りを放つようになった。
そして、最後には、盥の中すべてが香ばしい香りを放つ、柔らかい善人達の平和で幸福な理想世界となった。
すると創造の神は満足そうにうなづいた。
「さあ、これで、すべての悪人達も捨てる事なく善人に変わる事ができた。私の望んだ理想の世界が完成したのだ。今度は、もう大丈夫だ」
そうつぶやくと、創造の神は、また遠くへ去ってしまった。仕込んだボカシ発酵堆肥を

「ああ、良かった良かった!これで、一部が腐りかけていたボカシ肥も回復した」
臭いをかぎながら湧水が安堵した。
実は、長雨のため放置していたところ、大きな盥の中で仕込んだボカシが腐敗し初めていたのだった。
特に、盥の上下や縁部で多湿のため腐敗して固まっていたのだ。
その頃、湧水は、友人に紹介されたネットの「レムニア ルネッサンス」の神々のメッセージを読んでいた時だったので、ボカシ作りも、この神々のこの世の理想世界造りのように思えてきたのだった。
もちろん、上記の小さな善人とは、乳酸菌や酵母や放線菌、光合成細菌等の善玉微生物の事で、悪人とは悪玉腐敗菌の事である。

(おわり)