飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

遅れながら、今年の歌会初め?

2019-02-28 17:46:08 | 俳句日記の部屋

今年の一月は風邪で寝込んでいる間に皇居の歌会初めも終わってしまった。
また昨年応募した短歌も入選したかどうか分からない。
そんな事情の中、遅ればせながら今回短歌について今年初めて載せる事にした。

天皇陛下の退位に寄せて

退位のちも民見守らるる両陛下 新たな世への岩戸に光  湧水

国と民の明日と行く末案じつつ長き重荷を手渡す時来し  湧水

今年の歌会初めの天皇陛下のお歌 お題は「光」

贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に

 皇后さまお歌

今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく

雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰(きんぷ)の峰に  皇太子さま

大君と母宮の愛でし御園生(みそのふ)の白樺冴ゆる朝の光に  皇太子妃雅子さま

山腹の洞穴(どうけつ)深く父宮が指したる先に光苔見つ  秋篠宮さま

日の入らむ水平線の輝きを緑閃光と知る父島の浜に  秋篠宮妃紀子さま

入選者

土佐の海ぐいぐい撓ふ竿跳ねてそらに一本釣りの鰹が光る  高知 奥宮武男

剪定の済みし葡萄の棚ごとに樹液光りて春めぐり来ぬ  山梨 石原義澄

以上が私の心に残ったお歌。
特に両陛下の歌も皇太子、秋篠宮の歌も味わい深いと思った。

最近の私の歌

童らもひよどりカラスも近づかぬ鉢みかん一個冬を越しつつ  湧水

逆光の紅葉まぶしき夕里に道塚ごとくエンマの声す  湧水

やはり歌は少し自信がない。
ついでに昨年応募した歌はと言えば、

大屋根の青あさがおがはばたきぬ あさぎまだらの旅のラジオに  湧水

過疎村の空はろばろと天の川今宵人の子産まれむとすも  湧水

寒風の寺のふみ切り立ち待てば 枯れ葉からから連なり渡る  湧水

路線バス降りれば頭上を嬉々として わが家のつばめが鳴き飛びまわる  湧水たぶん?

夢かない手にせし袋の膨らみを そのまま母子へ中の福ごと  湧水

(以上)


春うらら飛騨 卒業ま近か!

2019-02-26 17:17:01 | 俳句日記の部屋

ごそごそと 啓蟄前の 軒の爺  湧水

薄雲の 春の旭に 晴れるや!  湧水

雪踏まず 迎える春も 悪からず  湧水

ひな祭り 迎えむ飛騨の 暖かさ  湧水

変わり目の 春は暖か 平成末  湧水

両陛下 退位まじかき 雛の壇  湧水

ひな壇や 両陛下の 三十一年  湧水

歩く村 てぜまになりし 春飛騨かな  湧水

春の陽と 風に押されて 山散歩  湧水

ややぬるき 昼湯のごとき 二月春  湧水

歩道に 雪なき今年の 白線かな  湧水

元気そう 術後の声や 春の風  湧水

乗り慣れし 自転車ともに 卒業式  湧水

色あせし 白線流して 巣立つ飛騨  湧水

ビル群に 見えぬ昔の 雪母校  湧水

雪山河 母校は今や 街の中  湧水

川柳

恐々と 待つ日曜の ひな祭り  多数の童達がお菓子目当てに家へ来る

大声の 春山散歩や 女一人  なーんだ、相手はケイタイかい!


「雨水」(うすい)の南飛騨 春初日?

2019-02-20 11:44:05 | 俳句日記の部屋

目覚めれば 陽ににぎやかな 小鳥声  湧水

春一番 開いたままの 朝の窓  湧水

寒凍みて 乾きし大地に 雨水かな  湧水

しとしとと 残雪とかし 雨水(うすい)飛騨  湧水

飛騨の峰 氷瀑とかす 雨水かな  湧水

軒トタン ひねもすたたく 雨水かな  湧水

出かけむと すれば終日 「雨水」雨  湧水

ひかえめの 少女のごとき 早春の風  湧水

春よ来い! 歌に開けたる 朝の窓  湧水

暖房の 雨水の窓や 長ばなし  湧水

凍み深き 大地とかして 雨水かな  湧水

神愛に 涙溢れる 迎春かな  湧水

題「つくし」に、

細々と しかも堅固に つくしビル  湧水

高層ビル まねてニョキニョキ つくしかな  湧水

川柳

盗み猿 追い払い役の 手作り蛇  アイデア品、ようやく欲しい人が現れた

句が浮かび 拭き忘れ出る トイレかな  おいおい、ントかい?いや、危うく・の話

ヒヨドリも カラスも避けし 鉢みかん  怖オーラのためか?いえ、釣り糸のせい

安静に!いつしかメタボに 猫の背に  いやーっ回復が大変!

痛みなき 毎日に感謝 風邪の功  いや心底から、ホントホント幸せ!


南飛騨の御前山 新しい出発!

2019-02-17 16:28:19 | エッセイの部屋

岐阜県と長野県との境の北アルプスの南端にぽつんと御岳山がある。
その孤峰は昔の飛騨国と木曽国の境で「御岳」(おんたけ)と呼ばれていた。
四年前には噴火で多数の死傷者を出しニュースになった。
その「御岳」(おんたけ御岳山)を守るように西側に御前山と言う山がある。
地元の人々には、その姿は、さらにその手前の山々に遮られていて見えない。
南北に長い飛騨川沿いの国道や町村からも、今もその御前山の姿も御岳の姿も見る事ができない。
御岳は縄文時代の昔から神が住む霊山として崇められ決して人間が登る事はなかった。
そのためご神体である御岳を人々が遥拝する場所として、その手前の御前山が選ばれ、後にその名を付けられた。
また弥生時代以後の川沿いの集落からは、上記のように両方共にふだんは見えない聖なる秘峰だった。
(御岳山頂を登るようになったのは江戸時代末期の革明禅師が開山した以後の事で、さらに御岳教信者以外の一般観光客が山頂まで登るようになったのは、明治時代以後のヨーロッパのスポーツ登山思想や近年の観光化の影響である)
平安時代にはその御前山山頂の平らな場所に山岳信仰の真言宗の寺が三つも建てられ、今はその名と伝説だけが残っている。
また現在飛騨川沿いの古刹として知られる臨済宗禅昌寺は、この平安時代の山頂の寺が前身とも言われる。
寺は、その後に麓の登山口の桜洞集落に移り、さらに戦国時代に現在の場所に移ったと言われる。
御前山は標高1650m前後の南北に連なる山峰の一つで、その頂には巨岩があり太鼓からの聖域の面影があるようだ。
また昔から観音様信仰が有名で今も山頂までの道に観音様の石像が多数祭られている。
最も有名な話としては、戦国時代の織田信長が、平定した美濃に岐阜城を築く時に、その鬼門に当たるこの御前山山頂に守り神として黄金の観音像を献上し社を造ってお祭りしたと言う話がある。
この黄金の観音像は、その後幾度も山賊に盗まれたようである。
さて、何故今頃私がこんな御前山の話を持ち出したかと言う事であるが、
話は変わるが、朝日系のテレビ番組に「ぽつんと一軒家」と「なにこれ珍百系」と言う番組が毎日曜の夜に放映される。
衛星写真から人里離れた建物を見つけて、実際に車で訪れてどんな人が何をしているのかを取材する番組で面白い。
私も今年になってnhkの大河ドラマの代わりにその番組を見るようになった。
昨年、その珍百系に、この御前山山頂の観音堂が取り上げられたようだ。
たまたまそれを見ていた遠くの私の友人が、後になって電話でその内容を知らせてくれた。
地元にいながら何も知らなかった私が、急に御前山について興味を持つようになった。
と言うのも、私のこれからの生活が関係してくるからである。
私は今年からその御前山の登山口に近い新しいセンターへ通い始める事になった。
昨年夏までバスで通い続けていた遠くの市街地のセンターは旧い時代遅れの殻として、きれいさっぱり脱ぎ捨てる事にした。
そして全く新しく何もない所から生まれ変わる事にした。
そうしたら見るテレビ番組も読む本も考える事もすっかり変わった。
この先が楽しくなり、希望も溢れてきた。
その事については、また後日に述べる事にして、
これも、観音様を大切にし御岳を崇め続けた御前山の麓に移ったと言う事が「大吉」だった事を示しているのかも知れない。
一月中の私自身の長風邪も、ひょっとしたら生まれ変わるための陣痛だったかも?

(以上)

早春の飛騨 春の風

2019-02-13 17:20:32 | 俳句日記の部屋

早春の 風に一個の 枝みかん  湧水

冬越しの 熟れ香りたる 鉢みかん  湧水

ひよどりと カラス突きたき 熟れみかん  湧水

寒がりて 籠りし窓に 春光かな  湧水

春光の 凍りし茎に 小ブロッコリー  湧水

春の陽に 一枚づつ増す キャベツかな  湧水

ようやくに 大地ひき抜く 凍大根  湧水

朝凍り 春陽にやさし 鳥の声  湧水

早春の 庭の日なたや 草むしり  湧水

雨バケツ 薄氷(うすらい)きゆる 日なた庭  湧水

痛み去り 畑向く脚や 冴え返る  湧水

蝋梅の われ引き寄せぬ 花の頃  湧水

蝋梅を 窓辺の鉢に 移したき  湧水

庭蝋梅 植えて七年 花知らず  湧水

蝋梅の 花風和みて 丹梅かな  湧水

ベッド脇 共に冬越え 薩摩芋  湧水

極上の クリームのごとき 寒蒸し芋  湧水

風邪明けと 言えど無理せず 散歩せず  湧水

川柳

風邪明けや 別人ごとく 見るテレビ  いや不思議!見る番組が変わってしまった

ミニコンポ 寄付した棚に 何を置く?  棚が空いた、新たに何を買おうか?