飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

新しい生き方 (その 5 ) 心のリバウンド?

2021-03-30 21:50:12 | エッセイの部屋

一昨日日曜日の夕食に「鶏ちゃん」を食べた。
日頃の細々としたダイエット食に飽きていた。
それで、たまには以前のようにああよく食べた!と言う満足感を味わいたかった。
たまたまずっと忘れていた冷凍室の「鶏ちゃん」を思い出した。
それが「ケイちゃん」と呼ばれ地元で人気の特産の鶏肉の味噌漬である。
早速、炒めた後にキャベツや白菜やネギと煮込んだ。
久々なので喜んでひととおり食べ終わった。
しかし、何となく物足りなかったので、たまにはいいだろうと、もう一杯食べる事にした。
二杯目をよそった時一杯目に比べ肉が多かった。
どうやら一杯目は野菜ばかり装ったようだった。
なので食後に何か物足りなかったのだと分かった。
今度は少し肉が多過ぎるな!と思ったが、そのまま食べ切った。
そして十分満足した。
ところが、居間でテレビを見たりして一、二時間ほどすると、腹の調子が少し変だった。
トイレに行っても出ずすっきりしなかった。
二階の自分の部屋にもどりベッドに横たわると、急にまたトイレへ行きたくなった。
しかし、今度はあまりにも急すぎて階段を降りている途中で漏らしてしまった。
ひどい下痢だった。
仕方なく、まだ暖かかった風呂ですべて着替えた。
いやこんな事は、もう長い間なかった事だと驚いた。
しかし、後になって冷静に考えてみると、良かったかな?と思えてきた。
と言うのは、つい最近に病院で肉等のたんぱく質を過度に食べないようにと注意されていたからだ。
前回のメタボ騒動の話の続きになる。
3月18日10時頃に約束通りヘルパーさんに病院へ連れて行ってもらった。
若い女性の栄養士?さんから食事指導を受けた。
まず、腎臓機能の数値が悪いため、塩分とタンパク質摂取を減らしてくださいとの事だった。
タンパク質は肉はもちろん魚も卵も大豆も注意してとの事だ。
えっ、大豆も?と少々驚いた。
塩分については、高血圧で薬を飲んでいたので、ふだんから気をつけていた。
説明では、塩分を取り過ぎると飲水量が増えて血液量が増え血圧が高くなり、それが腎臓に大きな負担をかけると言う事だった。
そのため塩分量の多い漬物佃煮塩干し物ねり物(かまぼこ、ちくわ)肉類加工品(ハム等)インスタント食品レトルト食品には十分注意しましょう。
それに醤油ソースはかけるより付けて食べるようにしましょう。
酢やレモン等の酸味香辛料や香味野菜を活用しましょう。
一品に重点的に味をつけるなど塩味にメリハリをつけましょう。
和風料理より西洋料理の報が比較的に塩分量が少ない。
調味料は目分量を避け計量して使いましょう。
毎日のご飯は、味ご飯やチャーハンよりも塩分の無い白いご飯を、赤飯は良い。
うどん等の麺類も塩分が含まれているので注意、そばは良い。
また各食材の一日に食べる量は、こんな量で・・云々。
等々。
以上のような食事指導を受けた。
今、改めて書き出してみると、いつも私が好んで食べていたような物が多かった。
これからは食べる量にも十分注意しなきゃ!と肝に命じた。
肝で思い出した。
食事指導の後、医師から精密検査結果を聞き今後の治療を話し合った。
肝臓、すい臓、腎臓等数値が改善しているようだった。
膵臓に1,5センチほどの水疱?があるので、悪性か両性かさらに検査した方がいいかどうかと医師が迷っているようだった。
私が、以前にもあったが、その後に消えたと話したら、それじゃ次回のドッグ検査まで様子を見ましょう!と言う事になった。
近くの医院の医師への所見の封筒をもらってきたので、もう病院へは行かなくてもよくなった。
やれやれ!だった。
指導食事の事を考えていたら、昔の子供の頃の食事を思い出した。
ご飯に大根、芋、白菜、ネギ人参キャベツキウリトマト玉ねぎ等が主で、魚や卵料理はご馳走だった。
まして牛豚鶏肉などは大ご馳走で特別な日しか食べられなかった。
そうか、あの頃の食事内容にもどればいいんだ!
と思えば、料理内容も難しく考えなくてもいいんだと安心した。
早速、ヘルパーさんに教えてもらって玉ねぎ一個と大根を炊飯器でダシ共に煮た。
それに、かつおぶしとポン酢をかけて夕食に食べた。
柔らかく甘くて美味しかった。
これなら塩分はゼロだ。
他にもいろいろな料理を探そう。

(つづく)

さくらも満開 飛騨にうぐいす

2021-03-29 15:58:18 | 俳句日記の部屋

うぐいすも われも未完の 初音かな  湧水

腰かけて 初音練習 春の山  湧水

うぐいすの 声もつたなき 山路かな  湧水

うぐいすと 初音競いて 山散歩  湧水

わが口笛 初音に勝ちし 二日目かな  湧水

勝ち誇る 口笛初音 撒き散らす  湧水

応答の 無ければさびし わが初音  湧水

負けてこそ 小ささを知る 山笑う  湧水  歌落選の報

春の陽や 周り思えば 負けも良し  湧水

新しき 想い為す事 さがす春  湧水

世の春に 末頼もしき 若芽かな  湧水

春の陽に 芽も元気な チューリップ  湧水

心の旅(その 6 ) 文明の流れ 東からの新たな文明?

2021-03-27 15:10:51 | エッセイの部屋

日本は火山列島である。
地中の高音のドロドロのマグマは火口から地上に噴き出し、冷やされて固まる。
その時、冷え縮んだ表面から垂直に割れ目が入っていく。
これが柱状節理と呼ばれるもので、冷え切った岩は険しい断崖等に見られる。
長年の大地の隆起等によって、それ等は南房総のギザギザの鋸山や東尋坊の勇壮な海岸崖のような景色となる。
前回、ユーラシア大陸の西の端のスペインのピレネー山脈付近にもノコギリ山があると述べた。
そこはモンセラットと呼ばれ、バルセロナの北近くにあり、中腹の修道院が有名で巡礼者も多く訪れると言う。
あのガウディがこの鋸山を見て、サグラダファミリア(聖家族)教会の奇抜な構想を思いついたと言われている。
(教会建設は1882年に始まり完成までに300年はかかると言われていた工事だが、近年に観光収入が増えたため、5年後の2026年に完成予定だそうだ)
おそらく、この柱状節理の岩山は、古代から人間に、何か超自然的なものを、例えば神の家のようなものを感じさせてきたのだろう。
さて、前回ではユーラシア大陸のど真ん中の中東に起こった文明は、西へ広がり西洋文明として成熟し、西端のイベリア半島から船で東の端の日本に伝えられた事を述べた。
その内のキリスト教が伝えられた日本には、既に東洋文明を代表するインド発祥の仏教が伝えられていて、古来の神道と争う事なくうまく混在していた。
またその後に家康が取り入れた儒教(朱子学)も定着した。
元々日本と言う国は、西から伝わった新しい文化を受け入れ、それまでの古来からの分化を廃することなく両方とも良いところを生かすと言う和の寛容の素地があった。
古く仏教伝来の頃に見られる聖徳太子の「大和」の心である。
それは大陸の文明が通過したシルクロードの国々のように、受け入れた文明にすべてが切り替わる事はなかった。
つまり、それまでの文化に新しい良いところだけを受け入れ付け加えると言う方法を取った。
そのため様々な異文化を融合させた今までに無かった新しい日本独自の文化を産み出した。
漢字から仮名の発明もそうである。
西洋文明は繰り返しになるがキリスト教に代表されるように中東のアブラハムを起源とする一神教が特徴である。
それに引きかえ東洋文明は、多神教が特徴である。
インドから広がった東南アジアの小乗仏教も、現インドのヒンズー教も仏教のお釈迦様を神としてあがめている多神教である。
中国や朝鮮半島では、それまで盛んだった仏教に代わって道徳的な儒教が主となった。
また、その考え方を大まかに言えば西洋文明では、主神意外の人間は皆平等で自由な横社会が基本である。
一方東洋文明では、神、先祖、年長者、上司などの上下の礼節を重んじる縦社会が基本である。
現在の日本は、宗教も文化も東西の両方が混然と共存している。
ここで、前述の文明の東西の流れと言う地球的な観点からながめて見よう。
すると、800年前の日蓮のようにこんな事も起こり得る。
西から来た文明が東の果ての日本にすべて集まり、そこで欠点は捨てられ修正され浄められ調和して融合し、今までにない全く新しい文明に生まれ変わる。
そして、その流れが反転し、今度は東から西へ西へと広がってゆく。
陰陽五行説に、陰極まれば陽となる!とある、この理のように、東西の文明の流れの反転が起こっても不思議ではない。
現に、現在その兆候がいろいろな文やで現れてきている、と思う。
宗教や思想面でのそれは、キリスト教を代表とする西洋的一神教と、仏教を代表とする東洋的多神教を融合させる思想である。
今までに無かった日本的な大和的な新しい思想だ。
具体的に述べてみると、
まず現キリスト教系には仏教の輪廻転生のような死後の世界や霊かいに関する知識や認識が不足している。
一方現仏教系には、神や教えが多様過ぎて、キリスト教のように創造主たる主神に対する認識が足りず、漠然としていて明確でない。
ここで、そうした現在の教えについて考えなければならない事がある。
それはキリスト教も仏教も時代と共に、その教えの内容が変わってきたと言うことだ。
それは万物は常に時間と共に変化していて、人間社会も人間の知識も時代と共に進化し発展してきた。
原始時代は教えは分かりやすい単純な方が良かった。
が、人間社会が複雑になると理解されにくくなった。
なので神がその時代時代に合った必要な教えを、新たにその時代の人間を通じて地上へ降ろしてきたからだ。
仏教で言えば、お釈迦様入滅後紀元一世紀頃に大乗教が生まれたり、また密教も生まれたりした。
また日本では末法の世の時代には種々の鎌倉仏教が生まれた。
キリスト教でも聖イエスの昇天後に、時代と共に精霊信仰やマリア信仰が生まれた。
ここで、ちょっと休憩!
前から気になっていたキリスト教の天使について、調べていて驚いた。
大天使ミカエル大天使ガブリエル大天使ラファエル大天使ウリエル・・等々。
あれーっ!天使って4、5人ぐらいかな?なんて思っていたら、とんでもない、いっぱいいらっしゃった。
しかも宗教画で見た赤ん坊のような子供でなく、すごい働きをなさる大人のようだ。
これっていろいろな働きをする仏教の様々な○○菩薩や○○如来に似ているじゃないか?
ああ分かった!きっとキリスト教系では一神教と言って神様は1人と言っているので、うまく説明ができないため、天使とか精霊との三位一体とかを言い出したのでは?
やはり神々は分霊分身によって、また働きによって様々な名で行い、また人間達に分かり易いように名前があるのではないか?
そうなると分かり易い説明には何千年前や何百年前の教えや言葉ではなく、もっと最近の情報が必要になるのではないか?
と思う・・そう言えば、前にも紹介したものがあった・・

「一神にして多神

これから神について説明をしてみるが、単に神と言っても上、中、下の階級があり、千差万別の役目がある。
神道にては八百万(やおよろず)とあるが、全くその通りで、今日まで神と言えば、キリスト教的一神教と神道的多神教のどちらかであった。
しかし、両方とも偏った見方で、実は、独立神身が分霊して多神となるのであるから一神にして多神であると言うのが本当である」
      1950年岡田茂吉

(つづく)

春の彼岸  中日の春分の日

2021-03-22 17:16:15 | 俳句日記の部屋

春の雨 あがれど風に 早帰宅  湧水

おとといの 春陽の夢や 嵐あと  湧水

何となく 野山に出でば 彼岸風  湧水

春風に さそわれ期せず 墓まいり  湧水

春の陽と 風にさそわれ 山の墓  湧水

ポキポキと こころよき音 折り菜畑  湧水

文字どうり ポキッと鳴る音 折り菜摘み  湧水

菜の花も 生のまま食む ひとり居かな  湧水

重ね着を 二枚ともぬぐ 彼岸坂  湧水

木の陰も 見向きされだす 彼岸晴れ  湧水

春風に 声艶やかな 若婆等  湧水

チリチリと ひげ切る旧き 春の音  湧水

長き脚 真っ直ぐ揃え? 鶴かえる  湧水

菜の花や 朝日にねむき のこぎり山  湧水

のこぎりの 岩山照らす 菜花色  湧水

菜の花に のこぎり山の 夕日影  湧水

花校庭 かけ寄る吾子の 小さきかな  湧水 父の話

川柳

ハチムラの ごとく得点に リバウンド  コロナもわがダイエットも

新ロボット 様々に開発 廃炉産業 日本のピンチをチャンスに! 

核 廃炉 ロボコン始まる 若き潮  未来は作業はロボットに、人は芸術に

あげ雲雀(ひばり) 巣には歩いて サギまがい  舞い上がり降りる場所には巣はないよ


心の旅(その 5 ) 文明の流れ 東西巡礼の道

2021-03-19 16:07:39 | エッセイの部屋

「巡礼の道」と言えば、日本では四国の八十八箇所を巡る歩き遍路を思い出す。
私も視に障害さえ無ければ一度はゆっくりと歩きたい憧れの旅だ。
その他にも山険しい熊野古道があるが私には無理だろう。
よくテレビ宣伝で耳にする西国三十三か所観音巡礼の旅もあるが、何だか都市に近過ぎて歩く魅力に欠ける。
巡礼の道は日本だけでなく世界にもあるようだ。
昨年、nhkテレビで、スペインのキリスト教の巡礼の旅の番組をやっていた。
サンティアゴ・デ・コンポステーラと呼ばれる巡礼の道である。
フランス側からピレネー山脈を越えてスペインに入る険しい山道ダ。
ゴールは聖ヤコブの墓のある教会に至る巡礼道である。
この道の途中には、日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルの生まれた城も残っていて何かで見たことがある。
つい先週 たまたま中世のキリスト教についてのかなり読み応えのある本に出会った。
「旅ごころはリュートに乗って 歌がみちびく中世巡礼」(星野博美著)と言う本である。
昨年のテレビで見たのは現代的な「自分探し」の巡礼の旅だった。
が、今回の本は中世の昔の巡礼者達の本物?の旅だった。
つまり、当時のキリスト教徒の心の奥底を垣間見た気がした。
本当に、タイトルの「心の旅」だった。
私はピレネー山脈にはかなり前から関心があった。
まず初めは山脈ニ近イスペインの建築家のガウジのサグラダファミリア教会が気になった。
不思議な形の、まるで童話に出てくるような建物である。
またフランスのルドドの聖水の話にも興味を持った。
多くのヨーロッパの聖マリアへの信心深い人達が、毎年集まるようだ。
等々、それ等はすべてピレネー山脈の麓である。
私も飛騨山脈の麓に住んでいルノデ何トナク親近感ガ湧イタ。
なので一度は訪れたいと若い頃から思っていた場所だった。
しかしその後に、その気持ちがさらに強くなった。
と言うのは、ガウジでもルドドでもザビエルでもなく、別の関心が沸いたからだ。
神秘的なと言うか、地球的と言うか、超自然的な関心からだッタ。
それが「モンセラット!」つまり「鋸山」である。
鋸山とえば日本では千葉県の房総半島にある小さな連山の名である。
東の太平洋からも、また西側の東京湾の船からも見えるノコギリのようにギザギザした山並みである。
正式には乾坤山と言われ、乾坤とは天地を指す古い言葉で、実にとてつもない大きな名の付いた山だ。
さらにその山には日本寺と言う、これまた大きな名の付いた古刹がある。
その寺は、古く奈良時代の聖武天皇や大仏建立に関わった行基僧にも由来するようだ。
しかし、私が最も関心を持ったのは、この鋸山山頂で昭和6年(1931年)6月15日に世界メシア教教祖が天啓を受けたと言う事だった。
また同じく、鋸山の近くの清澄山麓では日蓮宗の開祖が建長5年(1253年)4月28日に、天啓を受けたと言われる。
両者とも東天に昇る朝日に向ってお祈りした時に受け取った天啓だ。
さて、ここで面白い事がある。
世界地図を広げてみよう。
西のヨーロッパから東のアジアにかけて圧倒的な大きさの大陸が見える。
これがゴ存知ノユーラシア大陸ダ。
その最も東の端が日本で、(昔ハ陸続きダッタ)最も西の端がスペインである。
その極東の日本の最も東の端が房総半島で、そこに鋸山がある。
特に12月23日の冬至には、北海道の根室よりも早く房総半島に朝日が昇る。
これは冬の間は太陽が東南から昇ため弓型の日本では中央の房総半島が一番近くなるからだ。
つまり冬至前後の朝日は鋸山を真っ先に照らし、ユーラシア大陸を西へ移動して、最後には西の端のピレネー山脈を照らし終えて海に沈むのである。
不思議な事に、その西の果てのピレネー山脈にも、日本の房総半島と同じ鋸山が存在するのだ。
つまり、太陽が東の鋸山から昇ってユーラシア大陸を横切る。
そして西の鋸山に沈む。
ところが、その東西の鋸山の麓に、歴史的に文明の流れに関わる偉人達の存在があった。
と私は、ある時、フト気がづいた。
例えば、まず仏教については、
2500年ほど前にアジアのインドで釈迦によって始まった仏教は、東へ東へと伝わった。
そして中国本土や朝鮮半島を経て1400年ほど前に極東の日本に伝わった。
その後、日本でも東へ東へと伝わった。
ところが、800年ほど前に初めて最果ての東端から西へと流れが反転した。
これが前述の日蓮が起こした日蓮宗である。
これからが私ノ述べたい事である。
マズ、ユダヤ教やキリスト教は、ユーラシア大陸のほぼ中央の中東で起こった。
いや、中東は大陸のやや南寄りだ!と言う人がいるかも知れないが、アフリカ大陸を含めればほぼ中心と言える。
西洋文化の始めとなる古代メソポタミアも西洋文化の基礎の古代ギリシア文明も中東文化圏デアル。
つまり西洋文明は元々ユーラシア大陸のど真ん中の中東で起こったと言う事ができる。
中東から西のギリシア、ローマ帝国を経て全ヨーロッパに広がった。
さて、キリスト教について言えば、
2000年前にこの中東イスラエルに聖イエスによって始まったキリスト教は、様々な迫害と苦難に会った。
1600年前にコウシタ迫害に打ち勝ち、晴れてローマ帝国の国境となった。
それからは西へ北へと全ヨーロッパに広がり、各国王達も従う強大なキリスト教圏を築いた。
しかし、500年ほど前にドイツのルター等が聖書を一般信者も読めるようにト翻訳シテ初めて印刷本ニシタ。
スると、信者達は牧師を通さずに聖書が読めるようになったので、それまでの教会の在り方に反発し、新たにプロテスタント教会が生まれ急速ニ広まった。
そして、カトリック教会のバチカンの影響力が著しく衰えた。
そんな中、カトリック教会の再興を願う一部有志によってイエズス会が設けられ海外布教を目指した。
時も新たに、ソノ頃ハヨーロッパ人達が世界ノ果てを目指す大航海時代ダッタ。
450年ほど前、イエズス会の聖フランシスコザビエルがポルトガル船で東洋布教を目指し、初めて日本に来てキリスト教を伝えた。
これは、文明の流れ的には、中東のキリスト教がユーラシア大陸の西の果てのイベリア半島のポルトガルまで伝わり、そこから一気に船で東へ東へと極東の日本に伝えられた事になる。
その頃の日本は信長や秀吉の時代で、キリスト教ハ西の端の長崎から東へ東へと京へと伝わっテイッタ。
さらに東へ伝わり、最終的には今ノ北海道ノ蝦夷地にまで伝わッタ。
ソシテ総勢30万人以上の信徒になったと言われる。
当初は西洋の新兵器や新知識がもたらされ、また貿易面でも有益なので日本での布教も許可されていた。
しかし、秀吉や家康の時代になると布教が徐々に禁止され、最終的には家康によって禁教となった。
しかし、禁教となってもキリスト教徒達は信仰を捨てる事(棄教)などしなかった。
そのためかつてのローマ帝国の迫害時代のような悲惨な大殉教が起こった。
この江戸時代の禁教と鎖国政策によって日本のキリスト教徒はほぼ全滅シ、わずかに長崎周辺の離島に隠れキリシタンが細々と信仰を続けただけだった。
明治になると、欧米諸国の圧力によって明治政府が禁教令を廃止し、再び日本でキリスト教の布教が始まった。
この時はカトリック教会だけでなく欧米のプロテスタント教会も加わった。
しかし、明治政府は天皇を仰ぐ国家神道を打ち出し、外国人宣教し達の活動を制限したので日本では布教よりも慈善事業や学校設立等の社会事業が主となってしまった。
スベテノ制限が撤廃されて真にキリスト教布教が自由になったのは、1945年のアメリカとの太平洋戦争の敗戦後ノghqニヨッテデアッタ。
今ノ日本のキリスト教信者はおよそ100万人ほどト言われてイル。
コレハ人口のワズカ1%ほどである。
考えてミルト、日本ノ鎖国が破られたのも軍国主義が破られたのも、ソレマデノ西から西カラノ流れでなく、東からのアメリカによってだったと言う事実が面白い。
そう言えば、古代の大和政権成立の時もそうだった。
西端の九州から瀬戸内海を東へ東へと攻め進めた神武天皇軍は大阪湾から陸地上がった。
そして奈良盆地へと軍を東へ進めたが、負けてしまった。
そこで西から攻めるのをあきらめて東へ船で海を回り込み、山越えで東から奈良盆地へと攻めたところ運よく戦いに勝利した。
これは西からでは太陽に向って攻める事になるからとソノ間違いヲ覚ったからだった。
思い出してミレバ、古くはアレクサンダー大王の東へのインド攻略もアメリカの南北戦争もナポレオンのロシア攻略も、また日本の南北朝争いもソウダッタ。
ほとんどが東側ヤ北側が南側ヤ西側に勝っている。
日本での西から東へのキリスト布教も江戸幕府によって最後の段階で、かつての神武天皇のように失敗した。
ソノ西洋分化の流れの怨ミヲ晴らすカノヨウニ、300年後の江戸末期に、西ノ長州薩摩ガ再び江戸幕府ヲ攻めた。
この関門海峡から始まった戦いハ、東へ東ヘト進み、京からは天皇ノ官軍となって東進し江戸へ向かっタ。
薩長ノ官軍ハ西洋文明の最新兵器や軍隊をいち早く組織したため幕府軍より優勢だった。
幸い江戸城無血開城によって江戸は燃えることなく薩長ノ官軍ガ幕府ニ勝利シタガ、ソレハ前述ノヨウニ完全な西洋文明ノ勝利デハナカッタ。
西洋ノキリスト教を含め宗教ヤ思想ノ自由ガ解禁サレタのは、その100年後のマッカーサーの勝利によってダッタ。
つまりアーサー王の息子(マック)と名づけられた将軍によって民主主義に代表される西洋文明が極東の果てまで無条件降伏によって完全な形でもたらされたのである。
アーサー王とは、英国の伝説上の王で、その英国は、18世紀の産業革命のち世界を支配した西洋文明を代表する一大覇権国だった。
さて、前述の本の著者の自由奔放な書き方に影響されたのか、話がアチコチに飛ぶ。
カトリックの日本布教史ニツイテもう少し触れる。
日本の殉教は、かつてのローマ初期の時代のように悲惨だったと述べた。
その中で、ほぼ以下のような話があった。
奉行によって捉えられて十字架架刑になる若い信者が、マリア様を祈る時に使うロザリオを手に持っていた。
憐れに思った仏教の真宗の信者が持っていた数珠を取り出し、
「これと取り換えましょう、そうすればあなたの命が助かりますから」
と差し出した。
すると、その若い信者は、
「私はこの苦難の世の短い命のために、どうしてデウス様から与えられる永遠の命を捨てることができましょうか」
と断ったと言う。
ロザリオも数珠も、信者でない無信仰の人達から見れば、珠を紐に通した同じような手に持って祈る物だ。
この情景を天から、聖イエスやお釈迦様や親鸞様達が御覧になっていたとしたら、どう思われた事だろうか?
ひょっとしたら、
(やはり、まだまだじゃ。愚かな人間達よ、わしらの心を真に理解していないようじゃ)
と嘆かれたかも知れない。
しかし、海外を目指したヨーロッパのキリスト教の宣教師達や、また彼らによって導かれた日本の信者達は、
「ヤハウェこそが唯一の神であり、その御子イエス・キリストこそが世の救い主である。そのことを世界中の人々に知らせることが私達の役割だ」
なので、他の神など認めたりあがめたり絶対にできない。ましてや日本の古くからの仏教の・・・
という信条だろうと思われる。
しかし、前回にも述べたように、私はこうした一神教の考え方は偏り過ぎて真実ではないと思う。

(つづく)