飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

短歌で思うこと やまとことばと漢字

2018-12-28 12:39:41 | エッセイの部屋

先日ある本を読んでいたら、長年の疑問が解けた気がした。
それは漢字の事である。
漢字と言えば、今は漢字検定などで小学生にも人気があるようだが、
私は大人になって、ある事をきっかけに初めて漢字に興味を持った。
それは、故白河教授の古代中国殷王朝の甲骨文字研究の話をテレビで聞いてからである。
その時、いつか暇ができたら私も詳しく調べてやろう!と思った。
また故宮城谷正道氏の「太公望」を読んでいた時には、古代殷王朝の時の漢字の起こりの頃を知る事ができた。
さて、漢字の中でも重要なものに「道」と言う字がある。
古代中国の「老子」の思想にもある天地万物を貫く永遠の真理を表す言葉である。
しかし、その道と言う漢字は首と言う旁を含んでいる。
どうして崇高な真理を表す漢字に、首などと言うぶっそうな旁を使用しているんだろう?
と言う疑問を持つようになったのは、前述の白河教授の話を聞いた、その時からだった。
それまでは、そんな事は思いもしなかったし、気がつかなかった。
教授の話では、確かこんなふうだったと思う。
古代中国では互いに戦い、敵を滅ぼして、その土地を奪っていた。
その奪った土地を歩く時、死んだ敵の怨念や大地の悪霊が出てこないために、敵の首を棒先に縄で垂らして先頭を歩かせた。
その事が、道と言う漢字の起源だと言う事だった。
その時、ずいぶん生臭い野蛮な起源だな!と気持ち悪く思った。
ちなみに、その頃中年だった母の名前は「道子」だった。
これは、かなり前の事である。
それから幾十年、先日「日本の言葉の由来を愛おしむ 語源が伝える日本人の心 高橋こうじ著」と言う本を退屈しのぎに読んでいた。
すると、その中に、
「古代の日本では、「みち」と言う言葉は、敬う物に付ける「み」と「地」を合わせた言葉だ」
と言う事が記されていた。
つまり、土地の中の通りやすい場所を表す、敬う言葉なのである。
「やっぱり、そうか!何か違うと感じていた」
と私は、長年の疑問が解けた気がした。
この中国から輸入した道と言う漢字は、日本の文化には馴染まないのだ。
特に漢字の使用を始めた「殷」王朝は、甲骨文字占いの外に、他民族の羊飼い民を祭祀の生け贄にしたり、今からみると野蛮な宗教行事を行っていたと聞いている。
その点からも大和民族の日本の伝統文化や大和言葉には馴染まなかっただろう。
しかし、漢字を輸入した頃、まだ文字を持たなかった日本は、その漢字を使わざるを得なかった。
そうして、後になって、日本文化に馴染む独自の文字が発明されるようになった。
それが仮名である。
しかし、当初は、まだ盛んに中国から知識や文化を取り込んでいたから男性の教養としては漢文が主であった。
仮名は主に女性が使っていた。
その後、先日までテレビで放映していた西郷隆盛を始め、明治の偉人達は漢詩を書にしている。
明治時代まで、男性は漢文で詩を作るのが嗜みだったようだ。
私も若い頃、漢詩に憧れて、作り始めたが、難しくて歯が立たなかった。
そして時が経ち、音声ソフトでブログを始めた頃、俳句を始めた。
そして最近になって短歌を始めた。
短歌は和歌と同じで、できるだけ大和言葉を使う方がよい。
と言う事を知ったのはごく最近だった。
なので、今まで知らない内は漢文のような漢字ばかりの短歌を作って応募していた。
例えば、
熊山に手鼓木霊する紅葉谷峰より時雨て霧の錦絵

これなんかは、まるで漢詩だ。
熊山響手鼓 木霊紅葉谷 峰降下時雨 霧描如錦絵
なんて、どうかな?漢詩になっているかしら?
こんな短歌だったから、もちろん入選などしなかった。
そんな訳で、漢字から離れて大和言葉に関心を持つようになった。
それが、「やまとことば」の本を読み始めた理由である。
上記の「道」の他に、もうひとつ気になる漢字がある。
それは静と言う字である。
この漢字に、なぜ争と言う旁が使われているのだろう?
静かと言う意味には、全然似つかわしくない旁だ。
静かな山、静かな湖畔、静かな夜等々、そこには争いなどミジンもない。
やはり、これも道と同じく、ミスだと思う。
ちなみに、日本人のしずかさとは、音がしない事ではない。
静けさやいわにしみいるせみのこえ、の芭蕉の句や、静かな湖畔の森のかげから、もうおきちゃいかがとかっこうが鳴くと唱歌にあるように、傍にいる人の心を乱さないまた気を使わせない音は、okなのである。
そんな事が本に書いてあった。
確か、せみの声を日本人は声と呼んで愛でるが、外国の人は雑音だ、と言う事を聞いた事がある。
やはり日本人の大和心には、大自然と宥和する心が根底にあるようだ。
と言う訳で、短歌に上達するために、これからももっとやまとことばを知ろうと思う。
と・・・、ここで大変な事に気づいた。
短歌も古い和歌も、歌を一首、二首と数えるではないか!
これって、戦国武将が、敵方の打ち取った首を数える時と何の違いがあるだろうか?
全く血なま臭い、およそ歌に相応しくない数え方だ。
どうして、こんな数え方になってしまったんだろう?
それに、どうして今まで改めなかったんだろう?
俳句は一句、二句と数えるのに。
ちょっと調べてみると、やはりこれも古代中国からの輸入だったようだ。
来年の皇居の「歌会初め」でもそうである。
もう千年余り、日本ではこの呼び方が続いている。
幼い子供達や、日本語を学ぶ外国人達には、ギョッ!とさせられる呼び方である。
平成の終わりと共に新しい時代を迎えるが、この際、ついでにこの呼び方を歴史的に改めた方がいいと思うが・・いかが?

(おわり)