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古代史ロマン(その 6 ) 大和王権

2018-04-02 12:21:14 | 自然農法の部屋

先週ノ更新予定ガ遅れてシマッタ!
前回、卑弥呼を王とする邪馬台国連合が奈良盆地の纏向に生まれた経緯を述べた。
そして、当時、北九州が独占していた朝鮮半島からの鉄が急に畿内地方に流れたのは北九州(特に伊都国等)が邪馬台国連合に加わったからだった。
また、卑弥呼は海の民の海部氏出身と述べた。
しかし、後に大和王権を打ち立てる天照族は別の海の民のアズミ氏と繋がっていった。
それは、前にも述べたように、朝鮮半島の弁韓(後の任那)から九州の糸島半島に上陸した時、志賀島に勢力を持っていたあずみ氏(ワダツミの神を始祖として祭っていた)の娘達を娶って氏族を増やしたからだった。
そして、強大な伊都国を作っていった。
この事は記紀には、木花咲や姫、海幸彦、山幸彦、四男の神武天皇等の話として記されている。
さて、まとまっていた邪馬台国連合も、卑弥呼が247年頃亡くなって、男の王が立ったが、皆が服せず日本中がまた大混乱になった。
この混乱に乗じて、天照族の伊都国は隣の奴国を併合し、現在の北九州市まで勢力を広げた。
さらに、その中の一派は瀬戸内海を渡って河内に進出した。
それはニギハヤヒに率られた小部隊による河内への入植であった。(後の先代旧事本紀に大舞台と記されたのは、物部氏による脚色)
しかしその子孫は現地の出雲系の族長のナガツネヒコ(邪馬台国連合の将軍)の妹と結婚し、邪馬台国連合に取り込まれてしまった。
一方、邪馬台国連合は、卑弥呼の亡き後男の王が立ったが混乱は納まらず、卑弥呼の親族の若い娘台与が立って、ようやく治まった。
さて三世紀後半になると、朝鮮半島の南部では小国間で統合に向けて激しく争うようになった。
そこには交易承や海人等、多数の和人も住んでいた。
その混乱で多くの人達が北九州へ流れ込み、伊都国でも人口増で問題になった。
その頃、邪馬台国連合は台与が王となってまとまっていたが、台与の晩年、三世紀末になると分裂気味になった。
その機をとらえ、天照族の王家は神武に大和への進軍を命じた。
神武は船で北九州の皆とで兵を集め、宇佐を経由して瀬戸内海を東へ進んだ。
記紀にある神武の東征である。
神武は大阪湾の河内に上陸して進軍したが、出雲系のナガツネヒコの邪馬台国軍の前に撤退するはめになった。
そして東から攻めるべく、船で和歌山へ行き、紀伊半島の南から大和へ侵入し、再度、邪馬台国を攻める事になる。
この戦いの様子は記紀では「出雲の国ゆずり神話」として記されているが、その中の出雲とは実際には広大な邪馬台国連合国の事だった。
また、その中の信濃国の諏訪湖へ逃げたタケミナカタは神武と大和で戦って敗れた邪馬台国本家(唐子鍵遺跡)の子孫だった。
奈良盆地を征服した神武軍は、最後に河内付近のナガツネヒコの邪馬台国将軍と再び戦う事になった。
しかし、この戦いは記紀にあるように子孫の裏切りによって神武側が勝利した。
ここに戦いが終結し、邪馬台国連合軍の残兵はそれぞれの吉備、丹波、美濃、尾張の本国へ散り散りに逃げた。
そして神武(崇神)は三輪山の近くの橿原宮で初代天皇として即位し、大和王権が成立した。
一連の戦いで、神武軍は畿内で計略等々残忍な戦いを行い、従わない民や逆らう民に厳しかった。
特に従わない土着の縄文系の民には厳しく、その後も集落ごと差別した。
これは後に西日本における差別問題の遠因となった。
畿内では多くの人々の恨みを買ったため、後にタタリや災いを恐れて慰霊の祭りや封じ込めの神社を建てた。
この神武天皇の勝利によって、北九州の伊都国からは戦勝民として多数の人々が畿内へ流入するようになった。
神武(崇神)天皇は、このシリーズの初回でも述べたように、邪馬台国連合を滅した後も、王だった台与をそのまま三輪山の祭礼や王権の占いを続けさせた。
しかし、国の大飢饉に際して役に立たなかった台与や侍女達に腹を立て皆殺しにしたが、後にタタリを恐れて巨大な箸墓古墳を造った。(初回を参照)
また台与の代わりに新しい巫女を台与の名で占いを続けさせた。
三輪山には縄文系と出雲系の神を再び祭るようになったが、この時に物部氏が祭礼関係の働きをして後勢力拡大のきっかけとなった。
この後、崇神10年に天皇は畿内周辺の国々のすべての民を大和王権に服従させるために征伐将軍を派遣した。
これは、北陸道に大彦を、東海道に武渟川別を、山陽道に吉備津彦を、丹波に丹波道主を派遣し、「四道将軍」として日本書紀に記されている。
これ等は、四世紀前半の事となる。
この後は、神功皇后、応神天皇、仁徳天皇等々トナルガ、諸説ガ多く、今まで骨格として頼りにしていた坂本政道氏の著述がないので大変ソウ。
マタ、参考ニシタ文献は最後に紹介しようと思う。

(つづく)