Look To The Sky

フルーティスト大久保はるかのブログです

蛍光灯

2023年02月26日 15時14分10秒 | Weblog

四十九日の法要の際、お坊さんがお経をあげている間、お坊さんの真上にある蛍光灯が、妙な感じでチラチラと点滅していた。最初、電球が切れかかっているのかな、と思ったが、そういう時のちらつき方とは明らかに違う。特に、お坊さんが母の戒名を読み上げた時には大きく反応したように見受けられたので、きっと、これは、母が喜んでくれているのかな、と。

 

そう思った事は誰にも話さずにいたが、次の日になって、ダーリン大久保が私に向かって同じことを言いだした。

 

ダーリン大久保「あの時、お坊さんの真上の蛍光灯が変だったんだよ」

 

私が見た光景と全く同じことを言ったので、思わず笑ってしまった。

 

こういった事は、目撃者が一人だと信憑性に欠けるが、二人となると、確信に変わるので非常にうれしい。


お陰様をもちまして

2023年02月24日 12時55分30秒 | Weblog

お陰様をもちまして、四十九日の法要と納骨式は滞りなく終了いたしました。

 

法要後の親族の会食は、母ゆかりの和食屋さんにて行いました。

 

一年に一度、毎年決まった日に母が欠かさず会食に出かけていたお店です。

 

母「今日は、さち小PTAの会だから」

 

父「(子供たちはとっくの前に成人しているのに)まあ、よく続きますね」

 

 

我々3兄弟は、地元の小学校出身で、当時の母がPTAの副会長をやっていた時期がありました。

 

書くのも恐ろしい、今から40年以上前。

 

この度、亡き母の訃報のため、当時の会長さんだった方に連絡をしたところ、なんと今現在もそのお店で年に一度集まっている、とお聞きしてびっくり仰天。

 

元会長さん「はい。丸40年、欠かさず会合を開いています。さすがにコロナ禍では自粛しましたが、昨年末は再開しましたよ。」

 

一体何であろうか、この凄過ぎる結束力は。

 

只々脱帽です。

 

 


明日は

2023年02月22日 22時04分09秒 | Weblog

その後、父から母宛のラブレターもどきのような物が出てきた。

 

結婚直後は、二人とも新潟県内に勤めていたが、ある日、父は、どうしても東京の大学院に行きたい、と言い出し、母を残し、一人東京へ。

 

要するに、母のヒモ(笑)だった時期があった。

 

その頃は、どうやら頻繁に手紙のやりとりをしていたようで、その中の1通らしい。

 

風邪か何かを引いた母を心配するような内容のたわいのない文章だったが、ほっこりと愛情が伝わってくる文なので、気に入って取っておいたと推測される。

 

良かった。こういうものも出てきて。

 

明日は、四十九日の法要と納骨式。

 

行って参ります。

 


遺品整理その2

2023年02月20日 14時55分04秒 | Weblog

大学ノート8冊分の母の日記帳が出てきた。

 

ざっと見て、処分しようと思ったが、あまりにもマメに毎日書きつづけていたようなので、一体いつから書かなく(書けなく)なったのだろうか?と、最後の日付を探して驚いた。それは、認知症専門病院へ初めて行った日だった。

 

2016年1月12日(火)

9時すぎ家を出て○○病院に、おとうさんと、はるかと3人で行く。

検査を色々して、医師ひとりと色々話したが、ただ早く終わってほしいとばかり考え、自分のおろかさだけがみじめだ。

つまらないことを聞かれ、答えられない自分が情けないのだ。

 

原文ママ。

実に立派な字で書いてあった。

そして、この日以降、プッツリと記述が途絶え、ノートの残り3分の2が全くの空白になっているのを見て、涙が止まらなくなってしまった。

 


ちょっと凄すぎ

2023年02月19日 17時01分18秒 | Weblog

遺品整理は、喪明けの四十九日までにするように、とものの本に書いてあります。

 

いつまでも面影を追い探しているようでは、故人も浮かばれないから、との話です。

 

**

 

今日は、母の引き出しの中から、古びた紙きれが一枚。その紙だけが、ふたのない小箱の中に入って別枠で保管されていたので、何だろう、と思ったら、

 

○○小学校 昭和34年 1年2組名簿

担任 ○○○○先生(うちの母の名前)

 

そして、名簿の中で、見つけました!母に変わって年賀状のやり取りをしているお方のお名前が!!

 

2016年から、文字が書けなくなった母に変わって私がお返事を出してきたのですが、「この人、誰だろう?」と思いながら書いている方数名の中のお1人であることが、今更ながらに判明した次第です。

 

母は新潟県で小学校教諭をしていた時期があり、その方は、当時と同じご住所だったため目に留まりました。

 

しかし、小学校1年生のときの担任の先生に年賀状を出し続けるのって、ちょっと凄すぎです。


今年こそは

2023年02月10日 21時19分24秒 | Weblog

無事、東京出張レッスンが終了しました。

 

月に一度のこちらのレッスン。今年こそはコンスタントに開講していけそうです。

 

そして、今年こそは発表会を開催したい!

 

今いらっしゃる生徒さんたちは、長引くコロナ禍の中で、フルートだけは続けたいという強い意志を持ち続けてきている方々。

 

そのような生徒さんたちから良いエネルギーを頂き、私も四十九日の喪が明けたらフルートのリハビリ(苦笑)をするぞ!と固く決意しました。

 


明日は

2023年02月08日 21時57分22秒 | Weblog

明日は東京出張レッスンです。

 

「大往生で言う事なしだったし、悲しんでばかりいては母も浮かばれないので、仕事がんばります」など、生徒さんには強がった発言をしていますが、実際は、何か気持ちが落ち着かない状態でして・・・

 

一般的には四十九日法要(今月23日に行います)が終れば喪が明ける、とされているらしく、今はまだ喪中だから、といえばそれまでですが。

 

「お母さん、今日出てこないかな。なんか言わないかな。何かサインくれないかな。」とか、母の幽霊探し(?笑)しようとしちゃったりしてます。

 

で、「いかん、いかん。崇高なところに行こうとしているのに俗世間に引き戻そう、なんてしたら、ダメダメ」とか。

 

「いや、でも、ちょっとだけならさー」とか。

 

そして今日も母は現れず、という日が続いています。


答え合わせ

2023年02月03日 14時56分39秒 | Weblog

母が亡くなって4週間が過ぎた。

 

当時は、遺影を目にする度に涙ぐんでいた私だったが、昨日位から遺影の見え方が変わってきている。

 

実物の母の印象が薄れ、写真の人は自分にとって、とても遠いところにいる人、という感じ。

 

つい最近までは、私たちが母の話をしている時、パキパキ、パキパキ、とあちらこちらから妙な音が聞こえてきて(ラップ現象という?)、あ、お母さん、返事してるな、とか、なんか言ってるな、とか、思ったものだったが、最近は収まってきている。

 

おそらくは、肉体のない自由な世界、誰しもが死んで見ないと分からない世界へ向かっている、もしくは到達したのであろう、と。

 

今、なんとなく、母の看取りについての答え合わせをしているが、この度の母の看取りに関しては、一片の悔いもないことを誇りに思っている自分がいる。