よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

酒蔵と水辺、そして桜-京都市伏見区

2024年04月11日 | 京都市(南区、伏見区、山科区)
Fushimi Ward, Kyoto City

さてさて、伏見の町の散策を楽しむワタクシは、十石船の発着場へとやって来ました


あらあらあら、ワタクシはちょっとビックリ。船が水路を行き来するのは10時からなのですが、ワタクシがここに来たのは9時20分。
もう多くの方々が十石船に乗ろうと、船着場には長蛇の列が出来ていたのでした


伏見は、その長い歴史のなかで城下町、宿場町、そして京の都最大の内陸港として栄えてきました。
なかでも繁栄の大きな礎となったのは日本各地と京を結んだ「水運」だったんですよ。
伏見に港を設けたのは豊臣秀吉です。天下統一を果たした秀吉が、その晩年に拠点となる城をつくろうと考えたことが始まりでした。
築城に必要な材木や資材を運び込むためには、自然のままの川では荷の上げ下ろしも難しかったんですね


そこで文禄三年(1594年)、大規模な治水工事を行い、整備されたのが伏見港なんです。
秀吉は築城と同時に全国各地の有力大名に屋敷をつくらせ、商工業者を呼び寄せて都市としての基盤整備を行います。
伏見は、京と大坂、そして全国各地をつなぐ港町として栄えていくようになるのでした


明治に入り、鉄道など陸路の整備とともに伏見港はその長い役割に幕を下ろします。
そして現在では、かつて旅人を乗せて淀川で活躍した「十石舟」「三十石船」が復活しました。
観光船として人気を呼んでいるのですが、ここまでの人気とはワタクシには驚きでした


十石船が行き来する水路に沿って歩いて行くと、寺田屋事件で有名な寺田屋があるんですよ。
1866年3月8日、宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件が寺田屋事件です。
龍馬は同宿の養女・お龍の機転と護衛の三吉慎蔵の働きにより危うく回避し、一命を取り留めるのですな


大河ドラマで『龍馬伝』が放映されていた時、ここ寺田屋はすごい賑わいでした。
なぜかここを訪れる人たちは「ここが寺田屋ぜよ」「龍馬はここで命を奪われかけたぜよ」とヘンテコな土佐弁を喋り、
あちらこちらから「ぜよぜよ」「ぜよぜよ」という言葉が聞こえたのでした


再び水路に沿って戻っていきますが、往路は水路を見下ろす道路を歩きましたが、復路は水路の縁を歩いて戻ります。
この日は3月31日。京都で開花宣言が出されて二日後でしたので、桜はまだ「咲き始め」でした


桜はまだ見頃前でしたが、ユキヤナギは満開でした。酒蔵と水路のある風景は伏見の大きな魅力ですよね

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


伏見は今では「京都市伏見区」ですが、かつては京都とは別の城下町であり、港町だったという歴史を持ちます。
ですので、京都の中心部(上京区、中京区、下京区)などとは、ちょっと違う文化があるんですよ。
そんな違いを感じながら町を散策するのが、また楽しいんですよねぇ。



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