Fushimi Ward, Kyoto City
さてさて、伏見の町の散策を楽しむワタクシは、十石船の発着場へとやって来ました。
あらあらあら、ワタクシはちょっとビックリ。船が水路を行き来するのは10時からなのですが、ワタクシがここに来たのは9時20分。
もう多くの方々が十石船に乗ろうと、船着場には長蛇の列が出来ていたのでした。
伏見は、その長い歴史のなかで城下町、宿場町、そして京の都最大の内陸港として栄えてきました。
なかでも繁栄の大きな礎となったのは日本各地と京を結んだ「水運」だったんですよ。
伏見に港を設けたのは豊臣秀吉です。天下統一を果たした秀吉が、その晩年に拠点となる城をつくろうと考えたことが始まりでした。
築城に必要な材木や資材を運び込むためには、自然のままの川では荷の上げ下ろしも難しかったんですね。
そこで文禄三年(1594年)、大規模な治水工事を行い、整備されたのが伏見港なんです。
秀吉は築城と同時に全国各地の有力大名に屋敷をつくらせ、商工業者を呼び寄せて都市としての基盤整備を行います。
伏見は、京と大坂、そして全国各地をつなぐ港町として栄えていくようになるのでした。
明治に入り、鉄道など陸路の整備とともに伏見港はその長い役割に幕を下ろします。
そして現在では、かつて旅人を乗せて淀川で活躍した「十石舟」「三十石船」が復活しました。
観光船として人気を呼んでいるのですが、ここまでの人気とはワタクシには驚きでした。
十石船が行き来する水路に沿って歩いて行くと、寺田屋事件で有名な寺田屋があるんですよ。
1866年3月8日、宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件が寺田屋事件です。
龍馬は同宿の養女・お龍の機転と護衛の三吉慎蔵の働きにより危うく回避し、一命を取り留めるのですな。
大河ドラマで『龍馬伝』が放映されていた時、ここ寺田屋はすごい賑わいでした。
なぜかここを訪れる人たちは「ここが寺田屋ぜよ」「龍馬はここで命を奪われかけたぜよ」とヘンテコな土佐弁を喋り、
あちらこちらから「ぜよぜよ」「ぜよぜよ」という言葉が聞こえたのでした。
再び水路に沿って戻っていきますが、往路は水路を見下ろす道路を歩きましたが、復路は水路の縁を歩いて戻ります。
この日は3月31日。京都で開花宣言が出されて二日後でしたので、桜はまだ「咲き始め」でした。
桜はまだ見頃前でしたが、ユキヤナギは満開でした。酒蔵と水路のある風景は伏見の大きな魅力ですよね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
伏見は今では「京都市伏見区」ですが、かつては京都とは別の城下町であり、港町だったという歴史を持ちます。
ですので、京都の中心部(上京区、中京区、下京区)などとは、ちょっと違う文化があるんですよ。
そんな違いを感じながら町を散策するのが、また楽しいんですよねぇ。
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さてさて、伏見の町の散策を楽しむワタクシは、十石船の発着場へとやって来ました。
あらあらあら、ワタクシはちょっとビックリ。船が水路を行き来するのは10時からなのですが、ワタクシがここに来たのは9時20分。
もう多くの方々が十石船に乗ろうと、船着場には長蛇の列が出来ていたのでした。
伏見は、その長い歴史のなかで城下町、宿場町、そして京の都最大の内陸港として栄えてきました。
なかでも繁栄の大きな礎となったのは日本各地と京を結んだ「水運」だったんですよ。
伏見に港を設けたのは豊臣秀吉です。天下統一を果たした秀吉が、その晩年に拠点となる城をつくろうと考えたことが始まりでした。
築城に必要な材木や資材を運び込むためには、自然のままの川では荷の上げ下ろしも難しかったんですね。
そこで文禄三年(1594年)、大規模な治水工事を行い、整備されたのが伏見港なんです。
秀吉は築城と同時に全国各地の有力大名に屋敷をつくらせ、商工業者を呼び寄せて都市としての基盤整備を行います。
伏見は、京と大坂、そして全国各地をつなぐ港町として栄えていくようになるのでした。
明治に入り、鉄道など陸路の整備とともに伏見港はその長い役割に幕を下ろします。
そして現在では、かつて旅人を乗せて淀川で活躍した「十石舟」「三十石船」が復活しました。
観光船として人気を呼んでいるのですが、ここまでの人気とはワタクシには驚きでした。
十石船が行き来する水路に沿って歩いて行くと、寺田屋事件で有名な寺田屋があるんですよ。
1866年3月8日、宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件が寺田屋事件です。
龍馬は同宿の養女・お龍の機転と護衛の三吉慎蔵の働きにより危うく回避し、一命を取り留めるのですな。
大河ドラマで『龍馬伝』が放映されていた時、ここ寺田屋はすごい賑わいでした。
なぜかここを訪れる人たちは「ここが寺田屋ぜよ」「龍馬はここで命を奪われかけたぜよ」とヘンテコな土佐弁を喋り、
あちらこちらから「ぜよぜよ」「ぜよぜよ」という言葉が聞こえたのでした。
再び水路に沿って戻っていきますが、往路は水路を見下ろす道路を歩きましたが、復路は水路の縁を歩いて戻ります。
この日は3月31日。京都で開花宣言が出されて二日後でしたので、桜はまだ「咲き始め」でした。
桜はまだ見頃前でしたが、ユキヤナギは満開でした。酒蔵と水路のある風景は伏見の大きな魅力ですよね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
伏見は今では「京都市伏見区」ですが、かつては京都とは別の城下町であり、港町だったという歴史を持ちます。
ですので、京都の中心部(上京区、中京区、下京区)などとは、ちょっと違う文化があるんですよ。
そんな違いを感じながら町を散策するのが、また楽しいんですよねぇ。
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「十石舟」と「三十石船」とは
乗り場が違うのですね。
十石舟に乗ろうと1時間近くも
待ったのですか?
水路を行き来する十石船、凄い人気待ち時間ありでも
悠々と歴史を感じながらの川下りは良いですね~~♪
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綺麗な水路ですね
十石船、すでに長蛇の列だったのですね
よっちんさんは乗られましたか?
寺田屋を訪れる人たちが
なぜか「ぜよぜよ」には笑ってしまいました(笑)
寺田屋は入りました、再建されていますが当時の雰囲気味わえました・・・本当の寺田屋は1868年の鳥羽・伏見の戦いで焼失しましたが隣に跡地の石碑が立っています
こうした船でも荷物を運ぶのは約二経ちますね
寺田屋は行きました
懐かしいく拝見しました
いろいろと妄想しながら歩くと
目の前に龍馬が現れたりします(笑)
人が多い時は早く運航してくれるといいのになと思ってしまいます
有名な寺田屋事件ですね。
水路も絵になりますね。
十石船人気があるんですね
この船に乗っての水路散歩良いですね