よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

美味い蕎麦に舌鼓-富山県南砺市:井波・蕎麦処「茶ぼ〜ず」

2019年08月18日 | 富山
Soba Restaurant“Chabouzu”, Inami, Nanto City, Toyama Pref.

さてさて、富山県南砺市井波にやってきたワタクシ達は、井波別院瑞泉寺へと向かいました


瑞泉寺は浄土真宗大谷派のお寺さんで、戦国時代には、越中一向一揆の拠点とされ、伽藍は堅牢な石垣に囲まれています。
昨日のブログに「井波は木彫りが盛んだ」と書いたのですが、これには瑞泉寺が大きく関係しているんですよ


瑞泉寺は戦国時代には170の寺院を支配した古刹でしたが、宝暦12年(1763)に火災で焼失。
再建のために京都本願寺の御用彫刻士・前川三四郎が井波に派遣され、4名の地元大工にその技を伝えたことが、
井波彫刻の始まりとなったんです。地場産業の歴史というのも興味深いですねぇ


ただ、木彫りは良質な木材がなければ発展しませんが、飛騨高山に近く上質な木材が入手しやすかったという地形的な要因も、
井波彫刻の発展の大きな要因となったのだと聞きました。なるほどねぇ


時刻が11時となりました。ワタクシ達は深夜12時に大阪を出発し、朝の4時頃に高速道路のSAで早い朝食を食べていたので、
11時にはもう空腹状態でした。観光案内所でもらった地図をみると、「蕎麦処 茶ぼ〜ず」という美味しそうな蕎麦屋があるので、
蕎麦好きなワタクシ達は訪ねてみることにしました


開店時間と同時に入店したのですが、続々とお客さんがやって来ました。ワタクシ達が帰る時には、並んで待つ人たちもいましたので
人気のお店なんでしょうね。写真にあるように、壁には来店された有名人やタレントさんのサインが飾ってあったのですが、
その中に「貴乃花部屋 女将 花田景子」というサインと写真がありました。うーん、ちょっと複雑な思いがしますなぁ


ワタクシは例によって大好きな「おろし蕎麦」をいただきました。たまには違うものを食べればいいように思うのですが、
なにせ辛味大根で蕎麦をいただくのが大好きなんですよねぇ


思えばこの日は深夜に大阪を出発し、途中、滋賀県から岐阜県を車で走る頃には台風6号の影響で雨が降っていました。
早朝に富山県に着くと雨に降られることもなく、五箇山から城端、そして井波を尋ねることが出来ました


美味しい蕎麦を食べながら、ワタクシ達はこの日の午後からの行程を検討するのでありました

蕎麦処 茶ぼ〜ず…富山県南砺市井波字三日町

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


この後、私達は山間の温泉に行き日帰り入浴を楽しみました。ゆっくり温泉に浸かり、長時間の運転の疲れを癒しました。
宿を取っている郡上八幡までは2時間半ほどかかりますので、温泉に入って休憩を取った後はお宿に向かうことにしました。
結局、行動中は全く雨に降られなかったのですから、本当に幸運だったと思います。



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木彫刻のまち-富山県南砺市:井波

2019年08月17日 | 富山
Inami, Nanto City, Toyama Pref.

さてさて、城端の町を後にしたワタクシ達は、同じ富山県南砺市の井波という町に向かいました。
井波も城端も、合掌造り集落がある平村も平成の大合併によって南砺市になったんですよ


駐車場に車を停め、八日町通りという通りを歩きます。この通りの突き当たりには井波別院瑞泉寺があり、
瑞泉寺の門前に石畳の八日町通りに沿って多くのお店が立ち並んでいました


空の雲が分厚くなってきました。どうやら台風6号が北上するに連れ、富山県の方まで雲が流れてきたようです。
雨雲レーダーを見ると、もう雨が降っていてもおかしくない状態になっていました


八日町通りを歩いていると、目につくのが木彫りの彫刻品を売るお店が多いことなんです。
ここ井波は古くから木彫りが盛んで、欄間や獅子頭、天神様(菅原道真)像がよく知られており、
日常生活で使用する木工品より美術工芸品が数多く製作されているのが特徴だそうです


また、富山県内には多くの曳山祭りがあるのですが、曳山を彩る彫刻や欄干(勾欄)などが、江戸時代より井波の名工によって
制作や修理がされてきました。また日本各地の祭り屋台やだんじり屋台(地車)の彫刻なども制作しているんですよ


バス停の看板も木彫りの彫刻になっていました。こういうのを見るのは楽しいですね


現在でも約200人の職人の工房がまちの中心を貫く八日町通りを中心に軒を連ね、
先人の技を次代に受け継いでいるというのは驚きです


この建物は「井波美術館」といい、彫刻、版画、漆芸、書などの作品が展示されていました。
元々は大正時代に建てられた旧北陸銀行の建物だということです


ではでは、井波の町をもう少し歩いて見るとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私が暮らす市でも、だんじり祭りが行われていますが、もしかしたらだんじりの彫刻は井波の職人の手によるものかも知れません。
思わぬところで、井波と自分の住む市との繋がりを知ることとなりました。
まだまだ知らないことが多いですね。



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絹と蚕-富山県南砺市:城端

2019年08月16日 | 富山
Johana, Nanto City, Toyama Pref.

さてさて、富山県南砺市の城端へやって来たワタクシ達は、
歴史を感じる城端の町を興味深く歩いていたのでした


ここ城端の町を支えてきたのが絹織物でした。城端絹の起源は、今から約430年前、戦国時代末期の天正時代に畑氏によって
ここ城端で絹織物が始められたと伝えられています。 江戸時代には、城端と小松で織られた絹織物が「加賀絹」として
加賀藩によって庇護され、城端の絹織物業も隆盛となったのですが、今も町を歩くとその名残りを感じます


ここは川島地区というのですが、有名な川島織物の発祥の地なんです。ここにも立派な絹織物の工場がありました


元禄時代になると、絹織物の消費が盛んになり、京都・大阪から大消費地である江戸市場へも城端絹の販売を行うようになりました。
元禄六年(1693)の記録によると、城端の戸数689軒中375軒が絹織物に関与していたと言われています


言うまでもなく絹織物の原料になるのは蚕の繭です。そして、城端の絹織物を支えていたのが五箇山の養蚕業なんですよ。
今回、五箇山と城端の繋がりを知ることができたのもワタクシには貴重な経験でした


長野でも岐阜でもそうですが、山間部に行くと「かつては養蚕業が盛んだった」という場所が数多くあります。
調べてみたら絹織物が最盛期の1930年、全国にある桑畑の面積は70万ヘクタール、繭の生産量は約40万トン、
養蚕農家は220万戸に達し、国内の農家560万戸のうち、約4割を占めていたそうなんですよ。
これにはワタクシもちょっとビックリしました


こちらにも絹織物の工場がありました。こちらは松井機業といい、明治10年創業で現在も絹織物を営んでおられます


今では我が国の絹織物も養蚕業も衰退の一途を辿っていますが、西陣織や博多織をはじめとして優れた技術が受け継がれています。
なんとかこれからも日本の伝統産業を受け継いでほしいものです


では、そろそろ城端を後にするとしましょうか。もう少しは台風の雨が降ってくるまで時間が持ちそうです

使用したカメラ:2、3、6、7枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2


私にとって旅に出る楽しみの一つは、その土地の歴史や地理を実際に学ぶことが出来ることです。
教科書で習ったこと、本で読んだこと、テレビで見たことを実際に現地で目にすることも楽しいですし、
何よりも楽しいのは現地に行って新たな発見というか、知識を学ぶことなんですよ。
今回も城端と五箇山が絹と蚕で繋がっていることを知り、いい勉強になりました。



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「越中の小京都」へ-富山県南砺市:城端

2019年08月15日 | 富山
Johana, Nanto City, Toyama Pref.

さてさて、JR城端駅で城端の町の地図や情報を手に入れたワタクシ達は、
「越中の小京都」と呼ばれる富山県南砺市城端の町へと向かいました。
戦国時代、この地を支配した荒木氏の居城の前端に造られた城下町にその名が由来する城端は、
江戸期には浄土真宗大谷派の城端別院善徳寺の門前町として発展すると供に、砺波地方の物資が集散する市場町としても栄えました


観光案内所の方に「城端の町を歩くのでしたら、曳山会館の駐車場に車を停めたら便利ですよ」と教えてもらい、
駐車場に車を停めて町歩きを始めました。国道沿いにも古い民家が立ち並んでいますが、
「この町の良さは路地裏の風景なんです。路地を歩いてくださいね」と教えられた言葉に従い、裏道に向かいます


この建物は昭和初期に建てられた銭湯なのですが、数年前に銭湯としての営業は終えられたそうです


現在は雑貨屋さんに利用されているとのことでしたが、まだ朝の8時半です。お店は開店していませんでした


今町通りという路地に行くと、そこには素晴らしい光景が広がっていました。
土蔵がズラッと立ち並んでいるんですよ


かつて城端が市場町として栄え、豊かな商人達が栄華を誇っていた時代の名残でしょうね


立派なお寺が見えてきましたが、これが城端別院善徳寺です。浄土真宗大谷派のお寺で、今から約530年前に
本願寺第8代 蓮如上人(れんにょ しょうにん)によって開基されたと伝えられています


19世紀初めに造られた立派な山門です。山門は上に登ることが出来るので、登ってみることにしました


初めて訪ねた城端の町ですが、なかなか風情のある素敵な町です。
まだまだ素敵な路地裏があるようです。まだ台風の雨は降ってきそうにないので、もう少し歩くとしましょうか

使用したカメラ:2、4、6、7枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2


初めての土地を訪ねるとというのは、国内外を問わずワクワクします。
ここ城端も初めて訪ねる町なので、すごく興味深く町を散策しました。
その土地の地理、歴史を学ぶというのは私にとっては面白く、そして楽しくてたまらないことなのです。



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120歳の終着駅-富山県南砺市:城端駅

2019年08月14日 | 富山
Johana Station, Nanto City, Toyama Pref.

さてさて、五箇山の合掌造り集落を後にしたワタクシ達ですが、大阪に暮らすワタクシ達は富山県というとなかなかいく機会がありません。
せっかくなので富山で今までに行ったことが無い場所に行ってみようと考え、まずは「越中の小京都」と呼ばれる城端の町に
行くことにしました。城端の資料や地図を手に入れるために、観光案内所がある富山県南砺市のJR城端駅に向かったのですが、
この城端駅(じょうはなえき)がなかなか趣のあるいい雰囲気の駅だったんですよ


城端駅はJR城端線の終着駅で、城端線は北陸本線よりも早く、中越鉄道により富山県初の鉄道として1897年に開業しました。
後に国鉄、現在はJR城端線となったのですが、この駅舎は1897年に開業した時の駅舎がそのまま使われているんです。
黒い瓦がなんとも素敵ですよねぇ


なぜこんな場所に富山県最初の鉄道が開業したのかというと、南砺地方の米や山間部で伐採された木材の輸送など、
貨物の運搬が目的だったということです。現在は高岡と城端を結ぶ城端線は、長閑なローカル線の佇まいです


昨日まで紹介した五箇山、さらには県境を越えて白川郷までのバスも城端駅前から発着していました。
あらためて城端という場所が五箇山への玄関口であり、山地と砺波平野が接するところに開けた町なのだなぁと感じます


現在は駅の利用者は一日約270人。その大半は通学に利用する高校生のようです


昨今、ラッピング列車と呼ばれる広告フィルムを貼り付けた車両などをよく見かけますが、
ここ城端線の気動車は昔ながらの塗装でした。やっぱり気動車(ディーゼルカー)はこうでなくちゃね


ワタクシは全然知らなかったのですが、ここ城端は「true tears」というアニメの舞台になった場所だそうで、
アニメ好きの人が訪れることも多いそうです。アニメでは「麦端町」として描かれるのが、ここ城端だそうなんですよ。
登場人物の名前の中には石動(いするぎ)、黒部などという富山県に実在する地名もありました


ふと、京都アニメーションの悲しい事件を思い出してしまいました。あんな事件はあってはならないですね


ではでは、城端駅から城端の町に行くとしましょうか。どんな町なのかすごく楽しみです

使用したカメラ:2、7枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2


現在、東京〜名古屋間でリニアモーターカーの建設が進んでいます。完成すると東京〜名古屋間が40分で、
将来、大阪まで開通すると東京〜大阪間が1時間10分で結ばれるんですよ。
ローカル線が好きな私は、今の新幹線で東京と大阪は2時間半で行けるのだから十分だと思うんですがねぇ。



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