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米谷雄平展(31日まで)

2006年03月21日 00時35分56秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 まず最初におことわりしておかなくてはいけないのは、筆者は、昨年2月に道立近代美術館でひらかれた米谷さんの個展を見ていないということだ。だから、彼の歩みを踏まえた上での感想というのは書けないのだが、その上であえて印象的だったことを述べれば、にゅるにゅると画面を走るボンドの線がずいぶんと官能的というか、肉感的というか、ついさわってみたくなるほど生々しさを発散していたことだ。
 官能性というのは表面だけじゃなくて、直線のほとんどないフォルムも、そういういきいきとした「生」を感じさせるのだが、これらのモティーフが、沖縄・八重山諸島の海の珊瑚から得たときくと、なるほどと思ってしまう。もちろん、肉感的といっても、いわゆる性的な表現を表層的になぞったものからほど遠いのは、言うまでもない。
 表面が生々しくあればあるほど、それは、いわゆる「表面的」であることを裏切ってしまう。かつて、キャンバスにパピエコレを施したり、切れ目を入れたりする行為は、絵画の表面性という神話を暴露する行為であった。ところが、米谷さんの個展でおきている事態というのは、絵画(という制度)が平面的であるかどうかとか、そういう議論を超えて、もっと生の基層的な部分にかかわる直截的な表現への意欲の発露なのだと思われる。
 たとえば、今回の「さうすぽいんと」は、中心となるキャンバスから、放射状に布や絵の具からなる部分が、まるで毛虫が這い出るかのように飛び出ていて、それぞれの部分に作品番号が附されているのだが、それぞれひとつひとつが「絵画」なのか、あるいは全体で平面インスタレーションとでもいうべき作品なのかということは、はっきり言って二次的な議論でしかないのではなかろうか。
 そして、そこからわたしたちは、つぎのような点に思い至る。すなわち、第二次世界大戦後から1970年前後まで、表現も政治もその前衛は、既成のものに手当たり次第に「ノン」を突きつけることで成立していたのだが、70年代以降はその「ノン」が次第に失効し、それまで威勢よくこぶしを振り上げていた革命家も芸術家もどこにそのこぶしを持っていけばよいのかわからないままに現在まで30年余りが過ぎ去ってきたように思うのだ。米谷さんも、既成の芸術や、それをとりまく環境に異議申し立てを続けてきた作家だと思うのだが、ここに結実している表現は、かつての若者が、きちんと成熟して「イエス」と身振りしている姿の表れなんじゃないかということを言いたいのだ。妥協でも、反動としての保守反動でもなく、「ノン」の延長線上で、新たな時代の表現を模索すること。米谷さんの「描くこと」は、そういう「Yes」の地点にあるんじゃないかとひそかに思っている。

 うー、ひさしぶりに美術批評してしまった。

3月1-31日 8:00-19:00(最終日-17:00) 期間中無休
ギャラリーどらーる(中央区北4西17、ホテルDORAL 地図D)


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2 コメント

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回帰する生命感 (T.nakamura)
2006-03-21 10:48:33
回帰する生命感 投稿者:T.nakamura 投稿日:2006/03/19(Sun) 23:44 No.3657



先日、伺いました「米谷雄平展」はとても見応えのある表現の世界であります。近美での個展はあいにく見過ごしてしまいましたので、この企画展がわたしの初体験であります。作品は最新作ばかりなので、作家の制作の「現在」を進行形で見ることができます。



ミクスドメディア作品「さうすぽいんと」の中心のモチーフはデフォルメされている、巨大な女性生殖器の蠕動なのか、巨大な貝殻の形象なのか、あるいは巨大な子宮のざわめきなのか、あるいは生まれ育った遙か南の島の象徴なのか、あるいは作家の幼児期の原初風景そのものの巨大な塊りなのか、それらが幾重にも幾重にも積み重なり混沌としてミックスされていく果てに、夏の闇のなかにかがやく華のように、その周辺には美しい日本の着物の断片が惜しげもなく(あたかも幼児期の母との記憶をまさぐるかのように)艶めかしく妖しく貼り付けられている。



これらの運動はそもそもいったい何なのだと驚き怪しみながら、そのきわめて日本的な美意識の先端のふるえるかすかな息遣いに瞠目するしかないのです。



「夢は枯れ野をかけめぐる」とは正反対の遠心力と求心力がせめぎあっている表現の現場をじかに垣間見ることなど滅多にありえない経験ではないのか。



作家は古希を目前にしながらも、「さうすぽいんと」をめざしているとは。



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『米谷雄平展』を見てくる。(1938年、台湾台北市に生れる。1962年、北海道学芸大学札幌分校特設美術課程を卒業する。2005年、道立近代美術館で個展を開催する。)



作品は37点。ミクスドメディアが18点。ドローイングが7点。海星が14点。ミクスドメディアのタイトルは2点をのぞいて、「さうすぽいんと」である。



そのうち、大作は3点のみ。①「さうすぽいんと+α」(162.5×162.5)2004、②「さうすぽいんと+α」(162.5×162.5)2004、③「さうすぽいんと+α」(103.0×146.0)2006.



「さうすぽいんと」は彼の生の原形質を育んだ南海の島である。1945年の日本の敗戦が日本人である彼の運命を変える。彼は現在そこから何千キロも遠く離れた「のうすぽいんと」に住んでいるのだ。彼の体内の時計の針は「さうすぽいんと」を指し示す。彼のからだを循環する赤血球は「さうすぽいんと」へと回帰していく。



幼児期の無意識の記憶のイメージが南国の深い暗闇に咲くあざやかな極彩色の華のイメージに変化するかのように、これらは油彩画をベースにしたミクスドメディア作品である。貼り付けられているのは日本の着物の美しい切れ端である。プラスティックの透明な接着剤でその美しいかたちがあたかも琥珀のなかに封印されている虫の化石のように封印されている。否、それよりも幾倍も艶めかしく妖しく見るものの眼を射る。エロティックである。原初的なエロティシズムがざわざわとうごめいている。



どっしりと中心に存在する同一のモチーフはあたかもデフォルメされた巨大な女性器のようにも見え、巨大な子宮のようにも見え、巨大な貝殻のようにも見える。作品の中心に位置するこのモチーフは「さうすぽいんと」そのものを具現化した象徴なのか。そのイメージは生命の根源を目差しているのかも知れぬ。



これらの作品を延々と生み出し続けている原形質的生命力について想像すれば、それは彼自身のからだの奥に消えずに残っている「さうすぽいんと」の原風景の記憶に根差しているという風に想像するのが自然であろう。



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石川啄木や宮沢賢治や中野重治の詩魂にやどる「北方的ノスタルジア性」(そういうものが仮に存在するとして)を前において、それと等距離に、米谷雄平の詩魂を眺めてみるなら、そこには「南方的ノスタルジア」のきわめて純粋なエッセンスが漂っているように思える。



日本人の美意識(色彩感覚)の原形質を形づくっているのは、「南方性」と「北方性」の異なる正反対の磁極の、独得のアマルガム的緊張関係に根差しているのであるが、その原形質的な「日本的色彩感覚」をベースにした上で、より南方性に密着しシフトしている「さうすぽいんと」的色彩感覚の過剰な運動の軌跡が感じとれるのだ。



あふれる色彩感覚の水圧に身を任せるようにして、嬉嬉として、あの美しい日本の着物のうつくしい形のその在るがままの姿をそのままに定着するように透明な糊によって封じている。



この原初的な表現の行為はそれ自体が至福の時間体験であろう。その生命の発露の時間が一旦過ぎ去ってしまえば、後に残るのは、「さうすぽいんと」と名づけられる表現過程の片割であり、形見である。作家は茫然ととして己が姿をそこに眺めるのだ。



夢中になり切る時間体験こそが芸術のアルファでありオメガであって、その原初体験は作家だけが享受しうる特別の時間である。私たちは作品という形の前でそのことの人間的意味について少なからず思いを馳せることになるのだ。



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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2006-03-21 22:00:04
nakamuraさん、最近あちこちの板に出没していますね。
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