2004年4月、今井さんの死の2カ月後におなじ会場(ギャラリーたぴお)で開かれた「追悼 展覧会 今井和義の一首を描く」が、文字通り彼自身が原稿用紙に1首ずつ書きなぐった短歌や、その短歌を題材にして友人29人が制作した作品を展示していたのに対し、今回は、自由な題材の作品がほとんどで、「追悼展」という意味あいはすこし薄れているのかな、という気がしました。ただ、案内状に名前の出ていない人も出品しており、それは新鮮でした。
それは斉藤邦彦さんと横山隆さんです。斉藤さんは「作品」という題の平面を4点ならべているのですが、そのうちの1点は、黒い画面にさまざまな色の線が躍る抽象で、個人的にはとても心惹かれました。左上の円が照準のように見えてきます。
横山さんは「彼方へ」という抽象画4点。こちらは真横に引かれた青や白の線が交響しています。
藤川弘毅さんは、直径15センチほどのヒューム管のような円筒と、マンホールの蓋に似た黒い丸い板と、電子回路を、無造作に床に配しています。
ギャラリーオーナーの竹田さんは、さいきん取り組んでいるコラージュで、出品者のなかではただひとり、今井さんの短歌を取り入れた作品です。複数の支持体からなる一種の平面インスタレーションですが、黄色一色に塗ったキャンバスが平板さを感じさせないのは、さすが本職がデザイナーだからでしょう。
今井さん本人の生前の作品もありました。印画紙に直接光を当てて制作したものと思われます。
大友洋子さん、高坂史彦さん、名畑美由紀さん、林教司さんも出品しています。
3月13日(月)-18日(土) 11:00-19:00
ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館)
■2004年の追悼展
それは斉藤邦彦さんと横山隆さんです。斉藤さんは「作品」という題の平面を4点ならべているのですが、そのうちの1点は、黒い画面にさまざまな色の線が躍る抽象で、個人的にはとても心惹かれました。左上の円が照準のように見えてきます。
横山さんは「彼方へ」という抽象画4点。こちらは真横に引かれた青や白の線が交響しています。
藤川弘毅さんは、直径15センチほどのヒューム管のような円筒と、マンホールの蓋に似た黒い丸い板と、電子回路を、無造作に床に配しています。
ギャラリーオーナーの竹田さんは、さいきん取り組んでいるコラージュで、出品者のなかではただひとり、今井さんの短歌を取り入れた作品です。複数の支持体からなる一種の平面インスタレーションですが、黄色一色に塗ったキャンバスが平板さを感じさせないのは、さすが本職がデザイナーだからでしょう。
今井さん本人の生前の作品もありました。印画紙に直接光を当てて制作したものと思われます。
大友洋子さん、高坂史彦さん、名畑美由紀さん、林教司さんも出品しています。
3月13日(月)-18日(土) 11:00-19:00
ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館)
■2004年の追悼展
それだけ酒が似合ってたのか。
あっ、一度だけある!
北海タイムスが潰れたときに、カメラの前で皆と
シュプレヒコールを挙げていたのを憶えてます。
どんな業務に携わってたのかな?
今井さんが1枚ペラのフリーペーパーを発刊した時、
定期購読(募集していた)を申し込んだんですが、
創刊号以降、見ることはありませんでした。
ロックバンド四人囃子を取り上げて、短歌を詠んでました。
映画のチケットを同封したんですけど、
見てくれたかなあ、、、、。
今井さんの歳を越しました。
シュプレヒコールを挙げていたのを憶えてます。
えーといちおう新聞労連の一員としてわたしもシュプレヒコールあげてたんですけど。
ってことは、エゾ三毛猫さんもデモに参加してたんでしょうか。
ニュースに映ってました?
新聞労連には父が入ってました。
某サンライズ系です。
まあ、テレビに出ても、それほどうれしくもないんですけど(←ひねくれ者)。
暫らくすると、いつもの悠々とした佇まいで、竹田さんが姿をあらわし、久しぶりに、亡き人について言葉をかわしました。
志し半ばで斃れたという感想をつよく持ちます。
石川啄木の日記や書簡を読んでいる最中なので、短歌の個人誌を100号も出し続けていた今井さんの意志の存在にこころが動きます。
『遺稿集』について知りませんが、やないさんはご存知ですか。