言いたいことは表題でほぼ尽きています。
ただ、正確に表現すると、この記事は「死亡記事」ではありません。
森川潔編集委員のこの記事によると、森ヒロコさんは5月1日に74歳で死去したとのことですが、この直後には新聞には死亡記事は載っておらず、これが第1報になります。
「哀惜」は、一度死亡記事が出た有名人について、生前に親交のあった記者が、自分が見た横顔や友人の談話なども交えつつその人となりを振り返るコーナーで、北海道新聞では毎月最後の土曜日の夕刊に掲載されます。
記事には、次のようにあります。
簡にして要を得た説明である上に、筆者は一度もお会いしたことがないので、これ以上付け加えることはありません。
3年前に北都館のマスターに聞いたときは「お元気ですよ」とのことでしたが…。
以前「みずゑ」誌で図版を見たこともあり、北海道の版画家の中では、全国区の知名度があったひとりだと思います。
ご冥福をおいのりします。
□森ヒロコ・スタシス美術館 http://morihiroko-stasys-museum.com/
■森ヒロコ銅版画展 (2014)
■森ヒロコ銅版画展 (2008、旭川)
ただ、正確に表現すると、この記事は「死亡記事」ではありません。
森川潔編集委員のこの記事によると、森ヒロコさんは5月1日に74歳で死去したとのことですが、この直後には新聞には死亡記事は載っておらず、これが第1報になります。
「哀惜」は、一度死亡記事が出た有名人について、生前に親交のあった記者が、自分が見た横顔や友人の談話なども交えつつその人となりを振り返るコーナーで、北海道新聞では毎月最後の土曜日の夕刊に掲載されます。
記事には、次のようにあります。
エッチングを中心とした森さんの銅版画には、硬質な魅力があった。天使や少年少女を描いても甘いメルヘンには走らず、壁や石畳などの緻密な描写に、独創的な工夫があった。
「幻視というか、日常的な風景の中に、スッと違う世界がのぞく。シュールで、かつ、繊細さも併せ持った、
質の高い作品を作っていた」と札幌芸術の森美術館の佐藤友哉館長。
簡にして要を得た説明である上に、筆者は一度もお会いしたことがないので、これ以上付け加えることはありません。
3年前に北都館のマスターに聞いたときは「お元気ですよ」とのことでしたが…。
以前「みずゑ」誌で図版を見たこともあり、北海道の版画家の中では、全国区の知名度があったひとりだと思います。
ご冥福をおいのりします。
□森ヒロコ・スタシス美術館 http://morihiroko-stasys-museum.com/
■森ヒロコ銅版画展 (2014)
■森ヒロコ銅版画展 (2008、旭川)