(承前)
「北のアルプ美術館」を辞して、知床斜里駅への帰路をぶらぶらと歩きます。道順は、往路とほぼ同じです。
冒頭画像は、中心街にあった大きな衣料品店の廃墟。
この手の店は「マイカー + 郊外型衣料品店チェーン」の組み合わせの滲透にくわえ、通信販売の普及により、道内の多くの街で立ちゆかなくなっているように感じます。
(2枚目はあまり関係のない斜里町内の画像)
さてこういうときに、タクシーを呼ぶという発想がないあたりが、貧乏性の自分らしいと思います。
昔はそれでも良かったのですが、さすがに老いてきた身には疲れが身にしみ、途中にあった本屋さんには寄らずじまい。
以前なら文庫本の一冊でも買っていたことでしょう。
その書店のとなりに、小さな公園がありました。
どうやら宮澤賢治には関係ないようです。
こちらのサイト(知床スローワークス)によると
「明治13年(1880年)から3年間、斜里郡初代戸長を務めた川端又三郎の子孫(4代目)が斜里町中心市街地域活性化の区画整備事業に伴い、敷地の有効活用を考え設置したものです。」
とあります。
2009年の完成で、当時の北海道新聞によると
「町中心部の道道拡張に伴う区画整理工事で、川端さんが土地を貸していた眼鏡店が経営者の高齢化のため閉店。「商店街の一角にぽっかり空き地ができて寂しい」と考えた和子さんが、治子さんや知人のアサヒ住建社長、河面正吾さん(61)に相談し、公園の構想を練った。昨秋着工し、このほど完成した。」
とのことです。
又三郎は青森県の出身で、北海道開拓使から戸長を任ぜられました。
しかしせっかく作られた小さな公園の中は、草ボウボウです。
それでも、中へと入っていくと、奥にフクロウの置物が柱の上に鎮座していました。
どうやら焼き物のようで、野外彫刻というのをためらわれます。
高さは40センチほどでしょうか。陶芸では大きい方でしょうが、彫刻として見ると、むしろ小さめだと思います。
周囲に銘板のたぐいは一切なく、作品名、作者名、設置のいきさつなどはわかりませんでした。
縄文土器か野焼きのような野趣が感じられます。
どっしりとした造形で、ずいぶんと太って貫禄のある姿です。
釉薬は使っていないように見受けられます。
下の方から突き出た小枝にも、小さなフクロウが設置してあります。
裏手に回ると、おしりのあたりに落款らしきものが見えますが、判読できませんでした。
(漢字1文字ではなく、右から「ゆう」「吉」だと読むのだとすれば、町内で陶芸に携わる横田勇吉さんの可能性はありますが、なんともいえないところです)
「北のアルプ美術館」を辞して、知床斜里駅への帰路をぶらぶらと歩きます。道順は、往路とほぼ同じです。
冒頭画像は、中心街にあった大きな衣料品店の廃墟。
この手の店は「マイカー + 郊外型衣料品店チェーン」の組み合わせの滲透にくわえ、通信販売の普及により、道内の多くの街で立ちゆかなくなっているように感じます。
(2枚目はあまり関係のない斜里町内の画像)
さてこういうときに、タクシーを呼ぶという発想がないあたりが、貧乏性の自分らしいと思います。
昔はそれでも良かったのですが、さすがに老いてきた身には疲れが身にしみ、途中にあった本屋さんには寄らずじまい。
以前なら文庫本の一冊でも買っていたことでしょう。
その書店のとなりに、小さな公園がありました。
どうやら宮澤賢治には関係ないようです。
こちらのサイト(知床スローワークス)によると
「明治13年(1880年)から3年間、斜里郡初代戸長を務めた川端又三郎の子孫(4代目)が斜里町中心市街地域活性化の区画整備事業に伴い、敷地の有効活用を考え設置したものです。」
とあります。
2009年の完成で、当時の北海道新聞によると
「町中心部の道道拡張に伴う区画整理工事で、川端さんが土地を貸していた眼鏡店が経営者の高齢化のため閉店。「商店街の一角にぽっかり空き地ができて寂しい」と考えた和子さんが、治子さんや知人のアサヒ住建社長、河面正吾さん(61)に相談し、公園の構想を練った。昨秋着工し、このほど完成した。」
とのことです。
又三郎は青森県の出身で、北海道開拓使から戸長を任ぜられました。
しかしせっかく作られた小さな公園の中は、草ボウボウです。
それでも、中へと入っていくと、奥にフクロウの置物が柱の上に鎮座していました。
どうやら焼き物のようで、野外彫刻というのをためらわれます。
高さは40センチほどでしょうか。陶芸では大きい方でしょうが、彫刻として見ると、むしろ小さめだと思います。
周囲に銘板のたぐいは一切なく、作品名、作者名、設置のいきさつなどはわかりませんでした。
縄文土器か野焼きのような野趣が感じられます。
どっしりとした造形で、ずいぶんと太って貫禄のある姿です。
釉薬は使っていないように見受けられます。
下の方から突き出た小枝にも、小さなフクロウが設置してあります。
裏手に回ると、おしりのあたりに落款らしきものが見えますが、判読できませんでした。
(漢字1文字ではなく、右から「ゆう」「吉」だと読むのだとすれば、町内で陶芸に携わる横田勇吉さんの可能性はありますが、なんともいえないところです)
(この項続く)