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リチャード・セラ氏死去、85歳 挑戦的な公共彫刻(米国の彫刻家)

2024年03月28日 00時00分00秒 | 新聞などのニュースから
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-_affairs_sadnews_TIQNDQHZXBMCZO36ZWWN4JAGUE

 鉄の彫刻で知られ、ミニマリズムあるいはポストミニマリズムを代表する存在として活躍した、米国のリチャード・セラ氏が死去しました。

 アート情報サイトのTOKYO ART BEAT は次のように伝えています。

セラは、1938年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。父親は鉄工所で働き、自身も若いころ同じ仕事に就いていた。1960年台にイェール大学で美術を専攻し、ヨゼフ・アルバースの教えを受ける。ロバート・ラウシェンバーグ、アド・ラインハート、フランク・ステラらに出会い、芸術の道へと進んだ。ヨーロッパでの滞在を経て1966年からニューヨークに住み、先日逝去したカール・アンドレやジャスパー・ジョーンズ、ブルース・ナウマン、エヴァ・ヘスらと交流。鉛や鉄板、鋼板といった工業用素材を用いた作品で新しい彫刻の世界を切り拓いた。

代表作に、ビルバオ・グッゲンハイム美術館のコレクションである長さ102mに及ぶ《Snake》などがある。


 もちろん、その通りなのですが、セラの最も有名な作品は「傾いた弧」ではないでしょうか。
 この作品をめぐるてんまつは「パブリックアート」を学ぶ際、必ず出てくる有名な事例です。

 老舗アートサイトの artscape に村田真さんが連載していた「美術の基礎問題 3.美術館を出て━━パブリックアートについて( https://artscape.jp/artscape/series/0202/murata.html )」から引用します。少し長いですが、わかりやすいので、読んでみてください。

 1981年、セラはGSA(General Services Administration=公共事業局)の依頼で、ニューヨークの連邦プラザに「傾いた弧」を完成させた。高さ3,7メートル、長さ37メートル、厚さ6センチ強のゆるいカーブを描く巨大な鉄板を、ほんの少し傾斜させて広場に置いたものだ。

 この作品は、いまにもこちらに倒れてきそうな恐怖感を与えるうえ、視界や通行の障害にもなることから、近くのオフィスに通うひとりの裁判官が苦情の手紙を出し、撤去を求めるキャンペーンを開始。彼はこの作品を「錆びた鉄のバリア」と呼び、ニューヨーク・タイムズ紙も追従して「『傾いた弧』は市内でもっとも不快な屋外作品」と評した。

 こうしたキャンペーンを受けて、GSAはみずから委託したにもかかわらず撤去やむなしの方針に傾き、作者にほかの場所への移動を勧告。それに対してセラは、「『傾いた弧』は連邦プラザというひとつの特別な場所のために委託され、デザインされたサイトスペシフィックな作品だから、ほかの場所に移動することはできない」として、これを拒否。両者の争いはメディアを巻き込んでの論争に発展し、裁判所にもち込まれたものの、結局1989年に政府の決定により撤去されることになった。


 この事例以来、野外彫刻などは、単に行政が設置するだけではなく、住民の理解を得るというプロセスが大きな意味を持つようになったのです。

 パブリックアートの歴史を大きく変えた作品だといえるでしょう。



 最後に個人的な思い出。
 たしか1987年だったと思うのですが、当時、東京の京橋に「アキラ・イケダ・ギャラリー」という現代アートに強い画廊があり、リチャード・セラ個展を開いていました。
 半ばさび付いた巨大な鉄の板がギャラリー空間を仕切るかのように展示されていました。セラの作品は、東京のギャラリーに搬入するにはいささかデカすぎるのです。
 すごい迫力に圧倒されていたら、若い男性がやって来て
「ポートフォリオを見てほしいのですが」
とギャラリーの人におずおずと話しかけているのです。
「それではこちらへ」
と、奥の方に通されていましたが、若い美術家ってアポなし営業みたいなことをするんだ、大変だなあと思った記憶があります。
(リチャード・セラに直接関係ない話ですみません)

 ご冥福をお祈りします。


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