(承前)
自動車輸送が本格化する以前の時代は、鉄道の引き込み線が物流の大きな役目を担っていました。
札幌でも、桑園駅附近から北大構内へと延びる線や中央卸売市場への路線、苗穂駅の近くから北側の自衛隊、札幌駅の附近から帝国繊維工場(現在のテイセンホール)などなど、あちこちに線路が敷かれていたのです。
室蘭の製鉄所などは、ものすごい長さの引き込み線を擁していました。
多くはモータリゼーションの進展にともなって廃止されましたが、釧路市内には、JR根室線から和商市場の南側にあった国鉄工場までの引き込み線が、かなり近年まで残っていました。
筆者が1990年代初めに釧路を訪れた際、タクシーが線路をがたんがたんと超えたので、おどろいたものです。ただ、どの車も一時停止しておらず、すでに有名無実化していたようです。
現在、引き込み線の跡には、カラフルなモニュメントがたくさん配置されています。
どれも、ユーモラスなかたちをしています。
冒頭の画像で、背景に見えているのは、釧路地方合同庁舎です。
右手は幸町公園。
SL(蒸気機関車)が静態保存されています。
北の方を向いて撮った写真です。
釧路地方合同庁舎、釧路市こども遊学館の南側を東西に走る「9丁目本通」には、ストーンヘンジのように、水色のモニュメントが環状に配されています。
その道路の南、幸町9丁目と8丁目はいまも空き地です。
(この項続く)
自動車輸送が本格化する以前の時代は、鉄道の引き込み線が物流の大きな役目を担っていました。
札幌でも、桑園駅附近から北大構内へと延びる線や中央卸売市場への路線、苗穂駅の近くから北側の自衛隊、札幌駅の附近から帝国繊維工場(現在のテイセンホール)などなど、あちこちに線路が敷かれていたのです。
室蘭の製鉄所などは、ものすごい長さの引き込み線を擁していました。
多くはモータリゼーションの進展にともなって廃止されましたが、釧路市内には、JR根室線から和商市場の南側にあった国鉄工場までの引き込み線が、かなり近年まで残っていました。
筆者が1990年代初めに釧路を訪れた際、タクシーが線路をがたんがたんと超えたので、おどろいたものです。ただ、どの車も一時停止しておらず、すでに有名無実化していたようです。
現在、引き込み線の跡には、カラフルなモニュメントがたくさん配置されています。
どれも、ユーモラスなかたちをしています。
冒頭の画像で、背景に見えているのは、釧路地方合同庁舎です。
右手は幸町公園。
SL(蒸気機関車)が静態保存されています。
北の方を向いて撮った写真です。
釧路地方合同庁舎、釧路市こども遊学館の南側を東西に走る「9丁目本通」には、ストーンヘンジのように、水色のモニュメントが環状に配されています。
その道路の南、幸町9丁目と8丁目はいまも空き地です。
(この項続く)
”テイセン”ホールの意味を初めて知って驚きました。何気なく聞き流していました。
要するに、麻生から麻を運んできて繊維や糸を作っていたのです。
SHさん的にはプロレスの会場かな。