やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

川上澄生全集のこと

2013-04-30 | art
昨日書いた川上澄生の全集のこと。全集ってあんまり好きではない。
その時々の刊行物には味がある、特に画集は。全集は画一的になる、
サイズだってほぼ同じに揃うし、表紙も同じだし。

川上澄生の場合あまり復刻版が出ていない。1972年に亡くなられて
40年、当時の出版物も高いし、まして彼が手で刷った版画はとても
高価。なので全集を鎌倉の古本屋で買う、1972年中央公論社から発
刊された初版(1983年には中公文庫にはいる)。



全集のいいところは、年賀状、クリスマスカード、蔵書票なども含ま
れているところ。これをもらった人、同時代を生きて収集している人
達の寄稿もたくさん載っている。



宇都宮中学での教え子、海老原悟さんって方が、川上先生はアメリカ
に渡ってサーカスに居たとらしいとか、教員の資格を申請したくなかっ
たのでしばらく教諭心得のままだったとか、生前の面影を知る。



川上澄生はトランプの絵柄も2種類手がけた。美術館で売ってたので、
最初に制作された方を買う。昭和19年に20部完成したそうだ。戦争
末期に疎開先の北海道。どんな気持ちで作っていたんだろう。買った
のは神保町の奧野かるた店が発売したもの。製造元があの任天堂。

栃木県・川上澄生美術館

2013-04-29 | art
栃木県鹿沼にある川上澄生美術館へ行く。とても好きな版画家で、全集を
持っているほど。この時期だけ展示される《初夏の風》が見れた。戦災に
より原板が焼失したため、わずか2枚しかこの世に遺されていない。

高校時代の恩師の紹介により、宇都宮中等学校(現高校)に英語教師として
赴任したのが1921年のこと。自分の版画表現を模索する中で、ボッティチェ
リの「ビーナスの誕生」の影響の中、絶賛をあびる作品を生み出す;


《初夏の風》 1926年(大正15年)

 かぜとなりたや はつなつの
 かぜとなりたや かのひとの
 まえにはだかり かのひとの
 うしろよりふく はつなつの
 はつなつの かぜとなりたや

若き日の棟方は《初夏の風》を見て、版画の道を志したという。それ以降、
長崎南蛮風俗、明治開化風俗が生涯のテーマ。外国そのものではなく日本に
入ってきて、和洋折衷というか日本人の目を通した外国文化を描き続ける。
「文明開化へのあこがれ展」を開催中。実物の版画作品はやっぱりいい。



《横浜》     1962年(昭和37年)


《横浜海岸通り》 1968年(昭和43年)


社会人になって以来、戦争の疎開(北海道)を除くと、ずっと栃木で教師生活
を送り、この地で引退し死を迎えた。享年77歳、1972年(昭和47年)のことだ。
前年に亡くなられた夫人の後を追うように急逝。

リニューアルしたミッドタウン

2013-04-28 | tokyo
昨日ミッドタウンに行ったんだけど、約3割と多くの店が
大きくリニューアルしたばかり(4/26)。いくつか行った
なかで印象に残ったところを書くね;

博多の調味料などの製造元「茅乃舎」は東京には、
二子玉の高島屋とミッドタウンしかないんだけど、
リニューアルしてお店が大きくなった。イートイ
ンも併設。混んでのでまたの機会に。



ここに書いたら、「茅乃舎」は紹介のお礼の
投稿してくるのだから、ちゃんとしてるというか、
コミニケーションをとろうとする姿勢も凄そう。



1階の一番奥で公園に面したいい場所。無印良品が
あったところは、Ron Hermanが入る。千駄ヶ谷に
大きなお店を構えたと思ったら、あれよあれよと、
全国に増えたカリフォルニアスタイルのファッショ
ン店。

店内に、同じくカリフォルニアの石鹸ショップ、
Soaptopiaがある。2001年に創始者である、ジョリー
(Jolie Chitwood Cox)のカリフォルニアのビーチ
バンガローのキッチンで生まれたという、いかにも
ウェストコースト。



素材も良さそうだし、香りや色も楽しそう。日本での
独占権は、Ron Herman同様サザビーリーグ。イギリ
ス発のLUSH、イスラエル発のSABONやガミラシーク
レットとブティックタイプは快進撃中?!



最後に表参道のジュエリー、アクセサリーや香りもの、
ヴィンテージアイテムを集めたHeroomtageが2店目を
ミッドタウンに。



アクセサリーの金は22Kを使っているとか。18Kや24K
と違って聞き慣れない。なんでも天然の金で程度のいい
ものは22Kだとか。それを加工して18Kや24Kにするそうだ。

マットな感じが自然でいい。日本の職人さんに仕事を
頼むそうだ。金はどこからとお聞きすると、スタッフも
困っていたw ロシアか南アか。金の世界も深そう。

靖国神社のフリマ 3

2013-04-27 | tokyo
去年に引き続き、靖国神社のフリマに嫁さんと出店。
とても気持ちよかったし、けっこう売れたから2年連
続いての参加となる。



去年は3年ぶりだったから売り物が豊富にあったけど、
1年で溜まる不要品でどこまで売れるか?



寒かった4月も終わったようで、快晴で春風が心地よ
く、お客さんもとても多くて(たぶん去年より)楽し
みにして来た方がたくさん(とくに午前中)。



これからインドへ大型客船で旅にでるおばさん、台湾
から旅行できたセンスよさげな若い女性、コペンハー
ゲンから仕事できているデンマーク人女性二人連れ、
そばのインド大使館の関係者、隣で出店している姉妹
から100円の服をたくさん買った南米系ご一行などな
ど国際色豊か。



おじさん達に人気だったのが、VWのUPの景品、ペーパー
スダンド(300円で売れた)とPC用マウス(500円で
なんども引き合いあったけど、売れ残りw)。



小学生の女の子3人組の一人が、来るやいなやネックレス
(200円)が目に留まり、かわいいと値切りもしないで
即買い。



嬉しかったのが、イケヤの3段トレイ(200円)やファイル
(100円)8つや、大きなカバン(300円手編みのセーター
(300円))など使わなくなったのに場所をとるものが結構
売れたことw



モノを介していろんな話をするのが楽しみのひとつ。あと写
真も撮り方が変わったと思う。いろんな写真をみる機会が多
くなったからね。



売上は12,100円とまぁまぁ。リニューアルしたミッドタウン
の茅乃舎 で1万円分買い、虎屋のあんみつ(美味!)を食べ
て帰る。

奧成達・『駄菓子屋図鑑』

2013-04-26 | カルチャー
『駄菓子屋図鑑』という楽しい本がある。1995年飛鳥新社より
刊行され、2003年ちくま文庫に入っている。ジャズ評論家で詩
人の奧成達さんの軽妙な文章にながたはるみさんの丁寧なイラス
トが満載。



1942年(昭和17年)生まれの奧さんが50年前の子どもの頃、あ
たり前にあった駄菓子屋さんのお菓子とおもちゃをひとつひとつ
とりあげたもの。

1995年の50年前といえば1945年。敗戦の年。戦中戦後に幼少期
を過ごした彼らの思い出が詰まっている。

ごくありきたりの毎日だったからこそ、実は決して忘れてしまい
たくない、かけがえのない思い出がいっぱいつまっていたことに、
改めて驚かされた。

駄菓子屋の記録でもあると同時に彼らの思い出アルバムだ。ボクの
子ども時代は20年後。駄菓子屋はまだあった。だから共通すること
にはたまらなく共感しちゃうことの連続。知らない部分は想像で補う。

「懐かしい駄菓子は?」と聞くと、もう誰でも彼でもといって
いいほど、なぜか真っ先に「水あめ(麦芽あめ)」をあげる。

二本の白い割り箸の先に、 クルクル巻きつけられた透明な水飴を、
何度も何度も練って真っ白にしたことを思い出し

そうそう、あの水あめ。懐かしい。あのねばっこい弾力性の感触が
手と口に甦るから不思議なモノ。奧さんによれば紙芝居屋さんが
売っていたそうで、ボクの頃は駄菓子屋のおばちゃんが一斗缶から
飴を二本の割り箸ですくって売っていた、って記憶。

「科学教育玩具」とお墨付きのついている「地球ゴマ」の動きには
見飽きなかったし、しょうのうに含まれている油と水面の表面張力
との差で動く「しょうのう船」なんかで遊んだ遊んだ。



中に入っている懸賞カード集めに誰もが熱狂した「紅梅キャラメル」
って知らんなぁ。



チューブチョコ、パラソルチョコ、衛生ボーロ、ラムネ菓子、アイス
ボンボン、米を持っていったポン菓子、どれここれも懐かしい。甘い
思い出というか甘酸っぱい思い出というか。。



駄菓子屋は1980年代から著しい減少傾向が続いていたそうだけど、近年
商業施設ではわりと定番の様にある。子どもも買うだろうけど、どちらか
といえば、大人が買うところか。

駄菓子屋は単なる駄菓子屋ではなく、子どもには欠かせないたまり場
であり、社交場であり、いまふうにいえばコミュニケーションの場で
もあったのだ。

たしかにたまり場やった。今の駄菓子屋はそうではなさそう。。

松岡正剛さんによれば奧さんとながたはるみさんは夫婦とか。ピック
したイラストも松岡さんの千夜一夜より。



ベーコンはブロックの方が美味い 

2013-04-25 | 
この歳になって初めて思いつく・・もしかして
ベーコンってブロック、つまりスライスで買う
のではなく塊の方が美味しいのではないかと。

パンはブロックが好き。スライスしてあると鮮
度が落ちる気がする。食べるときに好きな分量
を切る方がいい。だったらベーコンもブロック
の方が美味しいのでは。。

どうして今まで気づかなかったんだろう、って
思いながら、近所の馴染みのソーセージ屋=
イフランク
に行って聞いてみる。



すると、スライスしない方がやはり美味しいで
すよ、とあっさり。女性スタッフはみなそうし
て持って帰ってるとのこと。

手前のショーケースとは別に、奥の冷蔵庫から
銀色のトレーに載せて、数点ベーコンのブロッ
クを持ってきてくれる。

できたてを、いくつかに分けたらそのままパッ
クして冷蔵庫にしまうから最高の鮮度に近い。



ショーケースにもブロックでベーコンがおいて
あり、注文するとその場でスライスしてくれる
から、そこそこ鮮度はあったんだけどね。

ブロックなら、パンもそうだったけど、いろん
な大きさや幅に切れるから面白い。調子に乗っ
てハムもブロックで買ったんだけど、こちらは
薄く切るのは難しいw



「霊気満山-高尾山」展

2013-04-24 | photo
平林達也さんの個展「霊気満山-高尾山」を新宿
ニコンサロンに行った時のこと。個展は4/22で終了。

高尾山という身近な山の全貌に迫ろうと、いろんな
山の姿を撮ろうと、10年間通っている。平林さんの
実家が高尾山に近くで、彼も同居しはじめたのがきっ
かけ。

行楽客や参拝客はもちろん、山から眼下に広がる東京
の景色も。でも中心になるのは、高尾山に長い間住ん
でいるお寺さんや僧侶であり、生息している植物だ。



真言宗智山派三大本山がおかれているなんて知らな
かった。昔行ったときに、なんかみかけたかなぁと
いう記憶くらい。というか学生の頃ケーブルカーで
登って以来行ってない。

西暦744年聖武天皇の勅令によって開山したそうだ。
普段は数十人のお坊さんが修行してるそうで、修験
者にも門戸を開き、行事や祭りの時は多くの僧侶が
集まるそうだ。



植物も豊かそう。広葉樹と針葉樹があいまじり、複
雑な生態系が感じられる。近くから撮るシダ類や樹
木は美しい。白黒なんだけどいろんな色がイメージ
される、いや白黒だからよけい想像力が目を覚ます
のかも。



プリントも美しいけど、平林さんは日本を代表する
写真プリント会社=フォログラファーズ・ラボラト
リー
の社長ならでは。伝説のプリントマン、斉藤寿
雄さんを擁し、美術館レベルの写真を始め数々の
写真を焼いてきている。

会場には写真集を出版した窓社の編集の方がいたの
でお聞きすると、刷り上がりへのこだわりが相当で
かなり苦労したとか。

この方が窓社の社長=西山俊一さんだったとは後か
ら、別の出版社の方に教わったんだけど、彼の手に
よる写真集を直に買う、こちらも美しい。プリント
とは違う美しさ。

写真はサイト=東京画から。



本屋『POST』が引越先で「STEIDL特集」

2013-04-23 | カルチャー
代々木Villageにあった面白い本屋『POST』のこと
ここなどにも書いたけど、何度も行く。この本屋
に行きたいから打合せを代々木にしたくらいw

それが恵比寿limArtの場所に移ったのが、今年の
1月のこと。limArtの経営だから一体化したみたい。
どういういきさつかはともかく。



『POST』は出版社ごと定期的に総入れかえする、
これまでになかった本屋。今回で第9弾目だそうだ
けど、ドイツの出版社「STEIDL(シュタイデル)」
を取り揃えていた。



スタッフの方に教わって驚いたことが3つ;
1,印刷・製本も自社で行うこと
   日本で印刷も行う出版社ってあるだろうか?
2,年間300冊出版する
   30冊くらいかと思ってたw
3,創始者STEIDLの本作りに密着したドキュメンタリー
   イメージフォーラムで今秋公開とか。楽しみ。
  

それは質の高い写真集が置いてあった。いくら時間が
あっても足りない。またゆっくり見にいこう。

ヒッチコック「サイコ」

2013-04-22 | 映画
昨日見た映画「ヒッチコック」は、彼の代表作「サイコ」
の製作過程を描いたもの。どんな映画だったか、ちゃんと
見たくなるのが心情ってもの。学生の頃、テレビでみて魅
入った記憶があるくらい。

wikiにはちゃんと載ってるのが凄くって、1980年5/4
テレビ朝日で放送された分を見たらしい。そうしたら
NHKBSで放送されるっていうので、録画して見る。

Psycho Trailer


いま観ても、ぜんぜん面白い。殺人犯が経営するモーテル
の部屋や母屋をかわるがわる探すたびに、いつ襲われるか
という緊迫感にはまる自分がいる。

そうした登場人物たちの恐怖が、自分のことの様に感じ
られるんだから、大したもんだなぁと思う。こんな昔の
技術だって、予算がなくたって、ピストルがなくたって。



有名なシャワー・ルームでの殺人のシーンはヒッチコック
も最重要と考えていたそうだ。美術が作ったセットは、4
つの壁が自由に取り外し可能なもの。絵コンテからカメラ
のセッティングは78回必要と考えられていたから。

殺人シーンはヌードになっていないって話だったけど、ど
うみても、ヌードにしか見えなかったw



この45秒のシーンを撮るのに、7日間かかったそうだ(製作
進表によれば11日説も)。この映画の面白さがいろいろなこ
とがあったヒッチコック達の格闘の賜物だと、映画「ヒッチ
コック」をみて改めて思う。

写真はすべて1960年の映画のモノ。

快作・映画「ヒッチコック」

2013-04-21 | 映画
映画史上もっとも有名な映画監督ヒッチコックの話なんだけ
ど、妻・アルマが映画制作も大きな役割というか二人三脚で
作っていったとは知らなかった。アルマ役のヘレン・ミレン
が「多くの批評家もアルマのことを知らなかった」と語る。

ヒッチコックは自分の家が大好きで、家族で団欒を楽しむ
人だったらしい。夫婦がお気に入りの家がロンドンにあっ
てそれをロサンゼルスに再現しようとしたらしい。



それは中庭、プール付きの豪邸。寝室も広いのになぜかツ
インのベッドが小さくてヒッチコックがはみ出しそうなの
が、おかしかった。

夫婦のウィットに富むというか、ダークなユーモアに富む
会話にいっぱい笑う。



このお気に入りの家を抵当に差し出してまで、ヒッチコッ
クが作りたかった「サイコ」を制作する夫婦の物語の中心。
なんと自主制作だったと知って驚く。

この時彼は60歳。46本の映画を監督しハリウッドで大御所
だった彼が、猟奇的な殺人映画だと映画会社パラマウントの
反対にあってでも作りたかった映画だったことにも驚く。

アルマに「なぜサイコなの?みんなに反対して意地になって
るんじゃないの?」と問われて「若い時のように予算がなく
ても、わくわくする映画が作りたい、というくだりもいい。



いろんな困難を乗り越えて制作は進む。映倫の反対もあった
んだね。当時ヌード、殺人、トイレなど直接撮ることはNGだ
ったとは驚く。撮影前や編集段階で映倫の許可をとるべく戦う
シーンも印象的。



そしてとうとうできあがって試写会で、さんざんな評価。
夫婦仲が冷えて完成版も見ていない妻に「君なしじゃ何も
できない。サイコは駄作だ」

ここが最低、どん底。それを夫婦が協力して乗り切って、
成功させる。。



最後に監督について。プロデューサーは26人の監督と会った
後で、新人のサーシャ・カヴァシ監督に白羽の矢をたてる。
ヘビメタを歌う中年シンガーの話「アンヴィル!夢を諦めき
れない男たち」を唯一撮った監督だ。この映画も好きだけど、
今回もいい。

ヒッチコックにも「自分の命を感じるために全てを賭ける」と
いう気持ちが流れていると思う。それは前作を作った僕の中に
流れているものだ。