やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

祝!写真季刊誌IMA創刊

2012-09-30 | photo
TOKYO PHOTOに行く時、知ってる人に何人か会う・・
初日だったからね。その一人、上坂真人さん。映画
「ハーブ&ドロシー」のチームだった方。こんなとこ
で会うなんて・・ってお互い言い合うw

彼は写真雑誌「IMA」をプロデュース。準備号を経て
この8月に創刊号をだしはった。クオリティも高いん
だけど、何がすばらしいって、この雑誌不況にあって
ファインアート系の雑誌をだすことに成功したこと。
年間購読を申し込んで読んでいた。


季刊雑誌に弱い即時性はネットで補うとのことで、
日本の写真界のGoogleを目指すとそうだ。そこそこ
達成しつつあるのかもしれない。



百科事典的な網羅性を感じるのは読者層を探っているのか
もしれないけど、個人的には絞った深い記事が読みたいなぁ
・・巻頭のライアン・マッギンレーは素晴らしかったから。



今後の展開に期待。

魅力的な写真コレクター

2012-09-29 | photo
ロンロンのトークショーに引き続き
スクール・オブ・ビジュアル・アーツ
NY教授であり、コレクターのビル・
ハントさんの話が始まる。



The Unseen Eye Photographs from Unconscious
という著書が成功して各国に翻訳されている
というプロフィールにも惹かれたけど関心が
なかったら席を立とうと考えていた。

ところが元俳優だったこともあり、
魅力的な話っぷりと内容に最後まで
聞くことに。

コレクターの定義もふるっていて
家に飾るスペースがなくなっても、
まだ買い続ける人のことw

どうやってコレクションを買うか?
なぜだかわからない、もしかしたら
無意識が共鳴するのかもしれない、と。


最初のコレクション

魔法がかかったように、その写真に
1,目が釘付けになり
2,心臓の鼓動が激しくなり
3,足が何度も戻ってくる
ならば、あなたにとって特別な1枚だと。



理由がわからなくても、なぜか惹かれる・・
というのは写真に限らない。絵だって、
音楽だって、食べ物や、恋人だって・・
って思うと、ハントさんは写真を語り
写真を集めながら、人生を語っている。

そういうときめく瞬間が訪れを待ちながら
日々暮らしているのかもしれない。

ロンロンさんの写真&トークショー

2012-09-28 | photo
妻有の大地の芸術祭でいいなぁと思った
ロンロン&インリさんのトークショーが
今日から始まったTOKYO PHOTOである
ので聞きに行く。10/1まで。

会場は国内外のギャラリー42と特別企画展
によって構成。その主役というか目玉も
ロンロン&インリさんが北京で主宰する
三影堂写真芸術センターだった。

彼らがキュレーションした 1970 ~80 年代の中国
写真家5名の写真に加え、ギャラリーMEMの協力で
三影堂に集う写真家達の写真がとてもよかった。

というか、これがなかったらTOKYO PHOTOはきつ
かったのでは。いわゆるギャラリーの販売会場なのに
1500円入場料をとるからね。海外でもそうなんだろうか



トークショーはロンロンさんが行い、夫人の
インリさんは聴衆の一人になっていた。

ロンロンさんはまだ中国に写真芸術の概念の
ない90年代に創作活動を90年代から始めたこと。

93年から、北京東村に住み、同じ村に住んでいた
同世代の若いアーティスト達との交流を写真に
撮っていったこと。写真家は彼一人だったそうだ。



東村の後、六里屯→三影堂写真芸術センターと
住まいを移ったことを2度死んで3度生まれたと。

六里屯は、地域開発で破壊される自宅を舞台に
撮影したこと。工事の人達が彼らの自宅が美しく
住んでいたから、取り壊しを最後にしてくれて、
その日の連絡をうけて撮影しにいったこと。


六里屯のことはインリさんが二人の出会いから話している
ここに詳しい。この写真も。

二人の家族が増えていく日常も撮っていくんだけど、
激変の北京そのものが表現されてる。



ボクはあまり中国の写真家を知らないから、
まずは彼らの視点で見ていきたいなぁ、って
思う。今回の展示の小さいパンフを買う。

そして中国では日本と違って、写真家が
芸術家としてとても尊敬されてるってことを
日本の写真家に教わる。

ネット通販の拡充

2012-09-27 | IT
これまでネット通販で買わなかった類のものも
買うようになったなと思う。最近ではLED電球や
無水鍋も。

そしてシャーペンも。9ミリ用のシャーペンが
好きであれこれ使ってるんだけど、お気に入りが
プラチナ製のもの。30年以上も作られた速記用の
定番で安い。



それがアマゾンで210円と定価でしかも送料無料。
おもわず3本ポチッとクリックすると、東急ハンズの
出品とわかる。

ついにハンズもアマゾンにだすようになったのか!
これはありがたい。買う物が決まってるとお店に
行かなくって済むからね。



それでは、もしかしてと猫たちの結石症対策の餌を
検索してみることに。これはどこでも定価販売。
2キロで4100円と安くはない。

ペットシティが行う月に1度のセールに買うように
しているけど、いつもいけるわけではない。



それが楽天で25%以上割引のお店発見、しかも鮮度に
こだわり、1万円以上なら送料も無料と。これなら
安い上に、時間も重さも気にしないでいい。

いろんな流通会社がネット通販に販路をひろげてる
のかもしれない。これが拡充してくると、東京と
いった都心のアドバンテージが一つ減るなぁ。

買物だってもっと楽しいものに時間をかけるように
なって、定番品は通販で済ませるようになりそう。
ネット通販でも発見や楽しみもあるけどね。

NHKドラマ「チェイス~国税査察官~ 」再放送

2012-09-26 | エンタメ
2010年春6回シリーズでNHKで放送された
チェイス~国税査察官~ 」がBSで再放送
してたので全話見る。

「ハゲタカ」後、期待をもって制作された
そうだけど、少しも知らなかった。こいうい
社会派って好きなんだけどね。

脚本の坂元裕二さんによる書き下ろしだから、
NHK向けに勧善懲悪かと思えば、いやいや
どうして、かなり複雑な人間関係とリアルな
感じな国税に、意外な展開と楽しめた。



江口洋介演じる国税調査官とARATA演じる脱税
コンサルタントの勝負なのに、早くも第2話お互いの
接点がうまれていく意外性、勝負をこえた
淡い友情のようなものの芽生え。

菊地成孔さんの音楽がいい。ドラマの音楽とか
手がけるんだって意外に思ったけど、映画の
サントラもチラホラやってはるみたい。



わかんないこともあって、そこは消化不良。
6000億円の遺産相続をどうやって脱税するのかが
最大の見物なんだけど、クライアントというか復讐
相手というか相続する息子を結婚させ、子どもを
作らせるのね。

それは主人公の復讐にとって必要でも、クライアント
にとっては不要だってことがわかる。その時になぜ
コンサルタントに突っ込まないのかなぁっていうのが
不思議っていうかわかんなかった。。

6000億円の脱税は株価操作によって行われるのだから、
海外で子どもを産む理由がないし、説明がなかった気が
するのね。いつか原作を読むか。

写真はNHKのサイトから。収録現場を写真家の
江森康之さんが撮ったもの。

無水鍋

2012-09-25 | 
もうちょっと大きい鍋を探していた。
大きめの鍋だと、ルクルーゼが三つ
あるのを筆頭に、寸胴鍋、土鍋がある
んだけど、もうちょい大きいのを。

ルクルーゼは気に入っているとはいえ、
もう一つはちょっと芸がないかなと思って
たら、無水鍋を知る。

1953年に日本で最初のアルミ合金鋳物厚手鍋
として誕生したロングセラーらしい。親子二代、
三代使える強さを誇る。

水を使わない調理が基本で、味も栄養も逃がさ
ないうえ、早く美味しくできると聞くにいたり、
注文する。



口径24センチの鍋だからちょっと存在感は
あるけど、軽い。アルミニウム合金だからか。
広島の職人が機械と手作業で作ると知って、
なおさらいい感じ。メーカーのサイトはこちら



何を作ろうかと、有元葉子さんの『無水鍋料理』
っていう料理本をまず買って(彼女は無水鍋を
お母さんから譲ってもらった筋金入り。嫁さんと
あれやこれや作りたい気持ちがもりあがる。。

初体験は「スペアリブとじゃがいものハーブ蒸し焼き」
有元さんのレシピではラムだったんだけど、スペアリブ
に入れ替えて作ってみる;


オリーブひいて、具材をいれて25分。。かき回さない
からそのままの形でできあがる。ジャガイモは絶品。
スペアリブとタマネギが焼けすぎ、もっと調理時間は
短くていいなぁ。

無水鍋は、焼いたり、蒸したり、煮たりなんでも
でき、パンやケーキまで可能だそうだ。

サントリー美術館「お伽草子」展

2012-09-24 | art
サントリー美術館が久しぶりに「お伽草子」を
取りあげたので、見にいく。珠玉のものが集められ
てて初めてみるものが多くって楽しかった。

最初にきちんと定義から始まる。短編でテーマが
新奇で絵が伴う・・言われてみれば当たり前だが、
貴族の恋愛物が中心で、貴族の中で楽しまれた物語が
14世紀後半から様変わりして武家、商人、農民と
広がっていく。

それまでは脇役であった、僧侶や庶民を主人公にすえた
多種多彩な物語が生まれていったこと、浦島伝説、義経
物語、酒呑童子、放屁物語、妖怪物語といった同じ物語
が何度も異説含め作られていった変遷がわかる展示だ。


酒伝童子絵巻 サントリー美術館


浦島絵巻  日本民藝館

文字と絵から構成されているから絵だけでも楽しい。
全体が面白い場合も、一部分が好きな場合も。文字が
読めないのがちょっとくやしい気になる。

約400残っているお伽草子のうちの1割にあたる40が
清水寺のシーンがはいってるとは驚き。清水寺への
信仰を深める話ばかりではなく、清水寺にお参りして
いる間に、不幸がおこる物語もある。


清水寺参詣曼荼羅 五条の橋の弁慶と牛若丸

ユニクロ上海店の張り紙

2012-09-23 | 歴史
対日デモにおいて、ユニクロの上海店で
「尖閣諸島が中国の領土」という内容の
紙を店頭に貼ったことがニュースとなって
世界を駆け巡った。

それが、地元警察がデモの騒乱を避ける
ための指示だったことを柳井社長が発表
していた。



日本人の店長は警察の指示とはいえ、
政治的な問題不介入という会社の規則を
破りたくなかったそうだし、そもそも
そういう微妙な問題にはできればかかわり
たくなかったかもしれない。

その上、張り紙への抗議が日本のユニクロに
殺到したそうだから、対処がむずかしい問題。
社長が対応しようという姿勢はさすが。



日本にいれば中国を非難しているだけでいいが
中国にいるとさまざまな葛藤にでくわすだろうと
想像する。

同じ様な状況に直面したのが第二次大戦下の米国の
日系人だ。

真珠湾攻撃によって日米開戦となった時、
アメリカは強制収容所に日系人を12万人
送り込む。

その際に、アメリカ政府は踏み絵というべき
質問を2問日系人にだしたそうだ;

「米国に忠誠を誓い、日本への忠誠を放棄するか」
「米軍に従軍する意思があるか」

答えが「YES YES」であれば適格者とみなされ米軍兵士と
して戦場へ送られた。一方、「NO NO」と答えた者は
敵性外国人扱いを受け、収容所に留められた。



運命の分かれ道になるこの2つの質問は日系人社会で
大議論を引き起こしたそうだ。

兵士として戦場に行って、日本人と交戦するのもつら
い面があったろうが、武功をたてるために人より
がんばった(無理した)日系人は多かったから、
戦死者も多い。

収容所にとどまった人達は、強制労働につくわけでも
楽しい娯楽時間も多かったそうだが、終戦後非難の
対象になった人も多い。



この間の様子を描いたのが、ジョン・オカダ氏の小説
『ノー・ノー・ボーイ 』。絶版みたいがが読んでみたい。
今もかわらぬテーマだから。

写真家・片野田斉さんによるハンセン病

2012-09-22 | photo
先日のOPEN SHOW TOKYOで発表いただいた
写真家・片野田斉さんのハンセン病のことを、
ここで書いたけど、続きを。

これがきっかけで遅まきながらハンセン病のことを
知ることができた。



熱に弱く感染性も弱いことが判明し、治療法が確立し、
世界でも病棟隔離することは無くなった後でも、
日本(政府)は隔離政策であり根絶政策を続けた。
動き出した政策がなかなか変えられないっていう
コトなのだろうか。

隔離政策は療養所への封じ込めであり、根絶政策は
具体的には、結婚する場合でも子どもを作らない
ことが条件で許可された。結婚にも国の許可が必要
だったわけで、あとは推してしるべし。

結婚生活にも人権がなかったそうで、奥さんのきみ江さん
曰く、
「プライバシーはなく、共有部屋だったのよ。
 4カップルと2人の独身が一緒の家に住んでたから
 1人身の人は、じっとしているか外に散歩へでたのよ」

子どもが「間違って」妊娠した場合は、強制中絶が横行し、
出産した新生児を職員が殺害した例も多数ある。

2001年熊本地裁が国の隔離政策の継続は違憲であると
判断し、当時の小泉純一郎首相が謝罪をもって、控訴を
断念したことは記憶にある。



その後、差別や偏見がなくなるわけではない。晴れて
自由の身になれた、山内夫妻は療養所をでて、アパート
暮らしを始めようとするが、借りられない。

元ハンセン病患者(とっくに治癒している)であることが
判明すると大家が契約を拒否。やっとのことで近くの中古の
マンションを手に入れる。これが世間だ。

そこでの水入らずの普通の暮らしをどんなに楽しんだことか。

かえって若い世代はハンセン病へ知識や偏見がないから、
彼女に触ってくるという象徴的な写真と片野田さんが
紹介した1枚。


いじめも差別もなくならない。ヒトの心の闇。
暴力だって犯罪だってなくならない。



現在日本で発症するのことはほとんどない。でも
ブラジル、インド、インドネシア、タイを始め
経済的に恵まれない、南半球の国々での発症は
毎年25万人単位だ。北半球では発症しないのは
寒いからだろうか。適切な医療により、

残念ながら夫の定さんは昨年2011年84歳で亡く
なる。50余年を社会と隔離された場所で生きなくては
ならなかった。



きみ江さんが話していた「指がないのも、必要が
ないから無くなったのよ。それでも生きてこれるし、
料理だって大好きよ」

「洋裁の糸通しに30回失敗したら、31回目を
やればいいの。できるまでやれば必ずできる」

78歳とは思えない元気のいいおばあちゃんだ。片野田
さんによれば、いろんな人に接することが嬉しくて
たまらないそうだ。紹介いただいたボクにもたくさん
話をしてくださって、止まらない感じで楽しかった。

写真展「生きるって、楽しくって
~ハンセン病を生きた山内夫妻の愛情物語~

は多摩全生園で、9/30まで。写真集はクラッセから
9/25発売。

渡邉博史さんのトークショー

2012-09-21 | photo
渡邉博史さんのトークショーが銀座ニコンサロンの
個展中
に開催。ここに書いたようにこのプロジェクトを
アプリで作らせてもらったんだけど、新たに気づいた
ことも多く、奥が深いって思う。

対談相手にお願いした三重綾子さんは、アメリカ留学中に
日系人コミニティへの取材経験があり、日系人問題に詳しい。
JapanTimesへの記事を独自に書きはったし、アプリの解説も
書いてもらって、お世話になる。


渡邉さんが最初に撮影したのがこの写真。強制収容所が
乾燥湖の上にあったことから、掘れば貝ががでてきたそうで
花びらに使っているブローチだ。これは形見として遺された
もの。サンホセの美術館に保管されていた。

渡邉さんはこういったクラフト品だけでなく、生活用品と
して捨てられていた「もの」も撮ってはる。Tule Lakeと
いう最大最北の日系収容所に出向くと、ゴミ捨て場だった
とこらしきに多くのものがまだ埋まってたそうだ。


ゴミ捨て場付近の全景



当時の住居が残っている。当時の絵のままだ。

三重さんによれば、戦後収容所から出所がきまった日系人が
ゴミ置き場に捨てたのは日本人としての過去やアイデンティティ
ではないかと。アメリカ人として生きていく決意をしたのでは
ないかと文学的な解釈をしていた。

日系人のなかには、戦後日本に戻ろうとして、日本人の
外見なのに日本語が喋れないといって差別をうけた人もいる。

米国社会で成功をおさめた日系人も多く、日米の橋渡し役を
買って出ようとして人達がいたのに日本政府から冷たい足らいを
受けたことがあり、昨今の日本政府からの要請に対して非積極的な
人も多いそうだ。

渡邉さんはもっと本格的にTule Lakeの収容所跡を掘り返して
いきたいそうで、お手伝いを募っていた。