やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

レコーディング初収録!?

2009-04-29 | art
ロバの音楽座が制作中のアルバム作りに
よんでいただき、歌の収録に初挑戦する
機会がありました。

ある曲の一部で短いものでしたが
とても楽しかったです。
ただ完成発売までぼくの声が残っているかは
まだ未定・・

3パターンでテイクしていただく;
パターン1 ふつうに歌う
パターン2 低音で歌う
パターン3 魂のさけび風

パターン3もマジにやったつもりなんだけど
酔っぱらったおっさんの叫び声みたいだと
スタジオ内爆笑の渦・・
リフレインする筈ができなかった。

さてさて、どうなることかはお楽しみ。

神楽坂毘沙門様の火事

2009-04-29 | tokyo
神楽坂の鳥茶屋でミーティングを
かねてゴハン。アートプログラムに
ついて打合せ。

鳥茶屋のオーナーの娘さんは、
昔の仕事仲間で、年賀状を交換している。

そのトイメンに毘沙門様で親しまれる善國寺が
あるので参拝した。

創設は、なんと徳川家康の開基で、
1595年に馬喰町で始まったらしい。

それが火事によって変遷を余儀なくされる。

1670年の火事で麹町に移転。
その後もいくどか類焼の厄にあい、
殊に1792年の火事により、現在の神楽坂に移転。

この移転が契機となって、当初は殆ど武家屋敷だけで
あった神楽坂界隈が発展する。

江戸でも一、二を争う多くの参詣客が
訪れるようになり縁日の日には、
“立錐の余地もない”ほどの大変な賑わいを見せたらしい。

明治以降は武家屋敷が撤去され、
神楽坂は町人の街となる。
花街も形成され、華やかな街になっていった。

東京大空襲でまたも消失。
1951年には毘沙門堂を再建
1971年には本堂・毘沙門堂が完成し、
戦災後の復興が果たされた。

本堂の奥に30cmの木彫りの毘沙門天像が
置かれているが、これは新宿区指定有形文化財。
文化財にも区、都、国等とランク分けがある。
どういう基準なんだろう。

境内の事務所でパンフレットをお願いすると
奥さんとおぼしき人が生まれたばかりの男児を抱いて
出てきてくれた。

代々木公園にちょっと面した事務所で

2009-04-28 | tokyo
環境関連の打合せをする。

環境プロジェクトにはうってつけの事務所
古くてなかなかいい感じの建物で、
代々木公園からは少し入ったところだけど
建物がないから代々木公園をちょっと眺められる。

もともとは武蔵野のような場所だったところ。
国木田独歩が「渋谷村の小さな茅屋に住んでいた」
1896年(明治29年)頃、代々木の地は彼の「武蔵野」に
書かれているとおり、「詩趣」に満ちたところであったそうだ。

「(武蔵野の初秋は)林はまだ夏の緑の其のままであり
乍ら空模様が夏と全く変ってきて雨雲の南風につれて
武蔵野の空低く頻(しき)りに雨を送る其晴間には
日の光水気を帯びて彼方の林に落ち此方の杜にかがやく…。」

1909年(明治42年)陸軍省によって陸軍系の練習場になる。広
い場所が必要だったので武蔵野だった一面を開発してしまう。

1910年(明治43年)で日本最初の飛行に
成功したのもこの土地。(ちなみにライト兄弟が
世界で初めて飛んだのは1903年)

鳥居坂の国際文化会館

2009-04-27 | 建築
25日土曜日の晩ごはん、26日のランチと
国際文化会館に連日通う。

土曜日は雨の夜、日曜日は晴れの昼間だったので
いろんな表情が見える。

国際文化会館の敷地は江戸時代は
多度津藩(現香川県丸亀市)藩主の江戸屋敷であったもの。

明治維新で井上馨候爵(外務大臣)の所有となり、
1887年と明治維新の翌年明治天皇、皇后、
各国大使をお迎えしてのお披露目が盛大に催され、
九代目市川團十郎以下一流の役者により
庶民の文化であった歌舞伎を初めて天覧に供し、
これにより歌舞伎興隆の端緒を開いたといわれています。

その後建築された鹿鳴館などより、
外国からの要人のもてなし方がわかり
始めていた感じがする。

その後、久邇宮邸、赤星鉄馬邸を経て、
三菱財閥の岩崎小彌太邸と変遷し、
戦後は国有地となっていたものを
国際文化会館が払い下げを受けた。

岩崎小彌太邸も海外の貴賓を招くゲストハウスの
目的があったので、純和風の建築と庭園だったそう。
7代目小川治兵衛に作庭を依頼し、桃山時代あるいは
江戸初期の名残りを留めている近代庭園の傑作を今もそのまま楽しめる。

その建物は空襲で焼かれたので国際文化会館は設立にあたり
1955年(昭和30年)に日本建築界の巨匠、
前川國男、坂倉準三、吉村順三の三氏の共同設計により
ドコモモ百選に選ばれる落ち着いた建物を生みだす。

2000年前後から建て替え含めさまざまな
検討がなされたそうだが、幸いリニューアルによって
残すことが決定。

土地の一部と空中権の売却によって、
リニューアルならびに活動の原資を捻出。

リニューアルは三菱地所の設計、
運営委託をロイヤルパークホテルに行っている。

いろんな人のかかわりに関しては
また項をあらためたいけど、最後に
明治天皇御前での歌舞伎披露の120年後
国際文化会館で天皇皇后両陛下をお招きして
市川団十郎さんや海老蔵さんらの出演で、
明治天皇鑑賞時の演目だった「勧進帳」が
披露されたことは感銘を覚える。

千葉のたれ工場新設

2009-04-26 | 
昨日は大学時代の仲間Kが
納豆のたれを中心とした
製造工場をお父さんから
引き継いで経営してるんだけど、
この3月に新工場を立ちあげ。

それで同じ大学友達のKと一緒に
お祝いかねて工場見学へ。

埃や菌を予防する上着や帽子を着せられ、
手を消毒して、エアシャワーを浴びると
いよいよ工場へ。

何年ぶりだろう?いろんな機械、食材、パイプ管、
ファンが目に入って驚きと刺激に脳が活性化される
のがわかる。

納豆のたれやからしを中心にいろんなたれを
作っていく様子がわかる。充填して包装する段階が
重要だそうで、広さも最大面積を占めているのが意外。

食品の管理体制が問われ、
原材料のトレーサビリティをケアせな
あかん時代に突入したとはいえ、
攻めの経営を行う姿勢にも感心。

工場設計の話に始まって、
新商品の開発や取引先の新規開拓の話など
話は尽きなかった。

彼の成功を祈ってる。

アメリカへ行く人・帰る人

2009-04-25 | 
学生時代、芝居のまねごとをやっていた。
上手い人もいっぱいたし、中にはプロの道を
歩んだ人もいた。

今日はそのうちの一人がアメリカへ転勤するのを
祝うために小宴が設けられ、7、8人が集まった。

脈絡のないようなあるような話が俎上にのぼり
結論をださずに次々へ話題が転換していく;

ブラジャーの売上が下がっているのは、
不況以外にユニクロのブラ無し下着の影響が
あるとかないとか・・

新副都心線は全面開通するまでは、
儲かってないんじゃないかとか・・

人事評価のむずかしさとか・・

オリンピックはシカゴ対東京の
一騎打ちではないかとか、でも
東京は盛り上がってない理由とか・・

映画の原作に可能性があるものは
どれだろうとか・・

公然わいせつ罪で逮捕された草なぎには
非難より擁護の声が多かったのも
演劇仲間だからか大人になったからか・・

美術館の設立の可能性だとか・・

先進国で人口が減ってきた原因だとか・・

フィラデルフィアで日本語講師をしていた仲間の一人が
長い間のアメリカ生活から帰国した報に驚いた

ニューヨークで会ったのが20年前だから・・

韓国人の関西性&田舎性

2009-04-23 | tokyo
近所のクリーニング屋に行ったら、
スタッフがGWは韓国に行くという。
旦那さんが単身赴任しているの
掃除に行くそうな。

たびたび行ってるというので、
韓国人の話を聞かせてもらった。

日本人をことさら好きとか嫌いとかの
意識は薄くなってきてて、製品の優秀さふくめ
追いついたり抜きつつあるという意識が
あるそうな。

ソウルから一時間の工業都市でも
大阪のような感じがするとか。
彼女は韓国語ができないので
バスに乗ったら、どうしていいかわからない。
(外国で乗る公共機関ではバスが一番難しいからね)

住所を運転手に見せたら、どうやら車内放送で
彼女のことをアナウンスしてくれたみたい。
(そこからいい感じ)

そうしたら、バス内が騒がしくなって、
その近くに住んでるのが私だ、
いや僕の方が近いってわいわい言い始めたそうな。

それなら、この人って言われた人の
後についていったら、目的の家の前。

日本では考えられないなぁ、田舎でも。

東京の美しい建物二例

2009-04-23 | art
昔からの仲間から芸術に関する新しい財団設立
の打合せに声をかけてもらう。

その内容も素晴らしかったけれど(後日発表しますね)
打合せ場所がまたよかった。

六本木の国際文化会館で、ティーラウンジのテラス席で
いい風に吹かれながらの打合せ。

国際文化会館は国際ジャーナリストでもあり
国際弁護士でもあった松本重治が
大黒柱として取りまとめ、1952年に設立。
その過程はいろんなところに詳しいが、
『聞書・わが心の自叙伝』(講談社)を読み進めているところ。

快活でダンディで義理人情に厚く、
めっぽう面白い人だったようだ。

もともと岩崎小弥太の所有で、大規模な洋館を建造するが、
東京大空襲で消失。庭づくりの名匠、
七代目小川治兵衛の庭園は今でも残る。
桜がおわり、新緑とツツジが映える。

国際文化会館の建物は前川國男、坂倉準三、
吉村順三の3人が共同で設計し日本のモダニズム建築として
ドコモモも100選に選んでいる。

一時あった建て壊しの話も耐震補強など
補強工事を行い、無事なくなったらしい。



その仕事仲間が今度接待で使う予定の
大橋茶寮というお茶屋に下見がてら行くが、
そこがまた素晴らしい。

登録有形文化財としての建物が
いくつもあって大事に使われてきたのが
一見してわかる。

茶室や仏間も雰囲気があるし、樹木と水によって
様々な表情をもつ中庭も素晴らしいが、圧巻は茶室桂。

桂離宮の意匠を模倣して昭和21年に建築。
中庭や茶室などの借景も素晴らしく、他の
建物が見えないので、京都の嵯峨野にいるかのよう。

当時から守り通した大橋氏が本物の日本文化を
守りたいという静かな気迫と、ここまで楽しく
すごさせてもらってありがたいという心持ちがすがすがしい。

ここは開発できない。

アートと襖絵

2009-04-21 | art
日本の城、寺院、住居等には襖が多用され、
そこにはいろんな装飾がほどこされてきた。

そのひとつとして襖絵があるが、
最近の寺院に描かれた襖絵といえば千住博。

彼が描いた大徳寺聚光院別院襖絵。
この別院は川奈にあって吉村順三の設計なんだけど、
80枚におよぶ襖絵を制作。

また千住博はNYのMOMAからフィラデルフィアに
移築された「松風荘」の襖絵の描いている
(元は東山魁夷が描いた襖絵だったんだけど
風化してしまったんだね)。

東山魁夷は唐招堤寺襖絵を、
平山郁夫は薬師寺障壁画を描いているね。

人生の愉しみ

2009-04-19 | 
昨夜は大学時代の仲間を
うちに招いて夜を過ごした。

good wines,foods,music, and friends !
人生の愉しみ。

まずは見晴台にのぼって
陽が落ちるのを眺める。

彼は都心に住んでいるので、
遠いなと文句を言われながら、
緑がいいなぁ、空気がええなぁを連発する。

それから下に降りて、
地元で買いそろえた品を、
切りそろえたり料理しながら、
食べたり飲んだり。

シャンパンから始まって
ワインを3本空けた!

近況、仕事のこと、人生のこと、
世の中への見方を交換したり・・

明治維新のことに話が及んだ際には
勝海舟の江戸城無血開場が
天才だ、ガンジーの非暴力抵抗に
匹敵するだとか盛り上がった。

家に来たのは始めてだったんだけど
「関西にあるインドネシア料理店みたいだ」
って独特なほめ方。

スピーカのセッティングを直そうと
コインで何度も調整してくれたり・・

帰宅は終電だったらしい・・
やっぱり遠いか。