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ねがうこと、ゆだねること

フォト・プレミオ大賞・瀬頭順平「西海岸」

2014-06-30 | photo
39歳以下の若手(?)を対象にした、コニカミノルタのフォト・プレミオ年度賞
の大賞に選ばれた、瀬頭順平さんの「西海岸」を新宿・コニカミノルタプラザで
見る。7/4まで。

「西海岸」というタイトルが微妙で、どこがや、と突っ込める様になってるのか
も。もうちょっと正確にいうなら「大阪の西海岸」なんだけどw



大阪から電車で西に30分、不思議な空間がありました。
改札を出るとすぐにビーチ。夏の熱気と人々の活気で
あふれている。

大阪の西にある海岸というだけではなく、雰囲気がちょっとカリフォルニアを
イメージしたそうだ。昼間からあちらこちらでパーティが開かれ、踊っている
人たちが多い写真も数点。(ネット上では見つからず)



実際の西海岸がどうであれ、そこは大阪。人を笑かそうとする精神が映ってい
るのがある。きっとカリフォルニアでは笑かそう、も含まれてるだろうけど、
かっこよく楽しもうという要素が多そうだし、もっと広くてスケールが大きい
かもしれないw

写真家の瀬頭順平さんは、「電車に揺られながらこの海岸を偶然に見つけた」
そうで、

初めは夏のビーチで撮影できるだろうかと不安が大きかったですが、
おどおどしてはダメだと思って、とりあえず首からカメラをぶら下
げて歩くことにしました。

と撮影を開始したところ、

そのうちに魅力的な人に出会って、恥ずかしさも忘れてこちらから
声をかけ、撮影させてもらいました。次第に、声をかけて撮るとい
うリズムができていきました。(こちらのインタビューより)



彼独自の撮り方を見出したんだね、「自分にとって魅力的な人を撮
ることが楽しくて仕方がなかった」様になったそうで、その喜びが
写真に現れている。2年間にわたって海岸に通ったそうだ。

第一次世界大戦100年・イーペルでEU首脳会議

2014-06-29 | 歴史
第一次世界大戦の引き金となったオーストリア皇太子暗殺、
いわゆるサラエボ事件が起きたのが100年前の6/28。EU首
脳が集まったのは6/26、ベルギーのイーペルだった。


イーペルの「平和のベンチ」に献花するデンマーク・首相らEU各国の首脳

なぜこのタイミングで、イーペルなんだろうか。第一次大
戦のこともヨーロッパ政治のことにも疎いからよくわから
ない。


イーペルで毒ガス対策をしながら塹壕に配置された連合軍

激戦の地だし、塹壕を掘った長期的な戦いだったそうだし、
何度も大きな戦いも行われた。ドイツ軍が本格的な毒ガスを
使用したことでも知られるし、50万人をこえる戦死者が犠牲
になっている。


廃墟となったイーペル

でも、というほど反論の根拠はないけど、他にも激戦の地は
あるし、イーペルの戦いの始まりは1914年10月だ。まだ10
0年前にはイーペルでは戦争は始まっていない。

wikiのタックマン『八月の砲声』によればサラエボ事件以降、

各国政府および君主は開戦を避けるため力を尽くしたが、
戦争計画の連鎖的発動を止めることができず、瞬く間に
世界大戦へと発展した、とされる

実際、宣戦布告がなされ戦争が開始されるのは8月だ;

7月28日 オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告
8月初旬 ロシア、ドイツ、フランス、イギリスが宣戦布告

これから100年を振り返る式典、イベントが多くありそう
だ。記念式典の準備が4年がかりで進められている、とい
記事もWSJで見る。


現在のイーベルに戦争下の写真を重ね合わせたもの

8月23日 - 日本がドイツに宣戦布告したそうだけど、日本でも
なにか行うんだろうか? アメリカの参戦は1917年だから、
式典は3年後だそうだ。

郡山総一朗・タイ深南部『South』展

2014-06-28 | photo
写真家の郡山総一朗さんが7年にわたって追っている
タイ南部の紛争地帯の写真展。個展は初と聞いて驚く。
写真集を数冊出してはるから。



タイの治安部隊と分離独立を求める武装組織との紛争
だそうだけど、仏教徒とイスラム教徒の対立軸もから
み複雑な様相らしい。


タイ国軍による「テロ組織」壊滅オペレーション

そういった紛争現場と同時に、日常生活の写真も多
くある。結婚式やお祭といったハレの儀式の写真は
平和そのものなので、いわゆる紛争地とは違う雰囲
気がする。


場も豚は仏教徒、牛はイスラム教徒で作業が分担

これまでの写真からピックアップしたZINEを制作し
てはる。広げるとB全になるというユニークなもの。

場所は浅草橋駅にとても近いGallery Drain。写真家・
長谷川みず穂さんが今年の1月に始めたギャラリー。
イキイキしてて、20代なのにすごいなぁって思う。



写真を中心としたアートの力で社会を良くしようと
いう志で始めたそうだ。郡山さんの個展は7/6まで。

祝!発刊・宮津大輔 「現代アート経済学」

2014-06-27 | art
先日のOpen Show Tokyoで写真家・山谷佑介さんと対談役をお願いした
宮津大輔さんは、今月光文社から新書「現代アート経済学」を上梓される。
パチパチ。

現代アートを政治的・経済的な切口から、最新の情勢を書いていくのは、
日本語では類書がないかも。現代アートのギャラリストやキュレイターに
とっては当たり前かもしれないけど、全貌わかりやすくをまとめる労作。

ビエンナーレのことは、なんとかわかるけど、アジアを中心としたアート
フェアやオークションの動向は、興味のある方にはオススメ。


Frieze Projects: Grizedale Arts, Yangjiang Group,

新興勢力のコアであるロンドンのフリーズが、ニューヨークでも成功し、
アートバーゼルのライバルと呼ばれてるとは驚き。

ニューヨークのアートフェアといえばアーモリー・ショー。老舗なんだけ
ど「集客に頭を悩ませてるのが現状」(本書、p112)とか。一度行った
ことがあったけど玉石混交というか数十ドルくらいの価格帯もあって楽
しかった記憶がある。



アートフェアはアジアでは、アートバーゼル香港、とシンガポールが国を
あげて展開しているアートステージ・シンガポールが双璧だそうで、中国
やアラブ人顧客を中心に、近年ではインドネシアのコレクターが多く買っ
ている様子がいきいきと書かれている。

どんなアートがアジアで売れているかと、中国人作家が最大。つまりアー
ティストもコレクターも中国人が中心になっているそうだ。本書で一番驚
いたのが、

2大オークション・ハウスである「クリスティーズ」と「サザビーズ」
を猛追する、第3位の「ポーリー・インターナショナル・オークショ
ン」や4位の「チャイナ・ガーディアン・オークションズ」の躍進ぶり
(本書 p167)


宮津さんの出典はこちら。

といずれも中国の会社が3位、4位へ急伸しているそうだし、7,8,9位も中
国と、なんとトップ10の内の半数が中国のオークション・ハウスだという
こと。

欧米のアーティストや中国の伝統的な美術品が中心だったのは過去のこと
で、中国近代美術の巨匠、張大千と斉白石の二人は2011年の年間落札金
額の第1位と2位で、3位ウォーホール、4位ピカソとを抜いたとか。のみ
ならず、

10人中6人が、すべて中国人アーティストという驚くべき結果と
なっています。(本書p170)


張大千(1899-1983) 「嘉耦圖」 24.5億円 サザービズで

中国人は芸術家を尊敬するとは聞いているけど、自国の芸術家を誇りを
もってコレクションしていっている話は、彼らを理解する一助となる。

安田悠「Between 展」

2014-06-26 | art
前回のOpen Show Tokyoの時、お世話になったYUKA TSURUNO
Galleryの店主・鶴野ゆかさんが、彼女のギャラリーで開催中
画家、安田悠さんを連れてきてくれたのね。

安田さんも打ち上げに参加してくれ、席が隣だったのが縁で彼
の個展を東雲に見に行く。7/21まで。

3年ぶりの個展とかで、描きためた絵が静かに、でも力をもっ
て壁に連続している。海がモチーフなんだど、描いているうち
に浮かぶ彼の心象風景なのか、無意識の世界なのか、抽象性が
高い絵が多い。



以前は海でスケッチなどもしてはったそうだけど、今は埼玉の
アトリエを主体に描いているそうだ。

先日開業した虎ノ門ヒルズにパブリックワークとして購入が決
まったとか。レジデンスフロア・エントランスだから、メンバ
ーしか見れないそうだけど。2メートル四方の大作。



この写真は彼のブログからなんだけど、他にもYUKA TSURUNO
Galleryオープングの時の写真も掲載されていた。Open Show
Tokyoで対談くださった写真家 山谷佑介さんとアートコレクター
宮津大輔さんも一緒に映っている。



この時に、対談の打ち合わせもしてくださったそうで、おかげで
つっこんで濃いライブになった。改めて感謝です。

ワールドカップ予選結果と旧宗主国

2014-06-25 | その他
サッカーワールドカップの予選グループでに日本代表は1勝もでき
ずに敗退。多くのニュース、コメント、会話などなどが飛び交って
いるから何か加えることもない。

1戦目に負けると大きいと言われているけど、それはハンディを
負うからということもあるけど、そのチームの状態、戦略などが
露呈するからだと学んだ気もする。

2戦目、3戦目と急に変わったり、良くなったりするってことは、
ない。1戦目がベストなんだと。



アジア枠で出場した4チームとも1勝できず、みな敗退。アジア予
選は他の大陸より楽だと言われていることが、実感。4.5枠は減ら
すという決定をFIFAはするやろう。

日韓ワールドカップは地の利があったので、あれは例外で、世界
との距離は縮まるどころか広がっているのかも。日本やアジアも
進化してるのかもしれないけど、海外がそれ以上なんだろう。

スペイン、ポルトガル、イタリア、イギリスも予算敗退だから難
しいなぁというのが実感。面白くて好ゲームが多い。日本代表は
そんなレベルでは、まだなさそう、残念だけど。



優勝候補のスペインが敗退したことで、浮かんだんだけど、中南
米はスペイン、ポルトガルの元植民地。いわゆるラテンアメリカ
と言われる中南米とカリブ海地域の宗主国とだった歴史を。



19世紀初頭に独立していく前の歴史って、どういう風に感じられ
てて、サッカーの試合になんらかの影響というか感慨があるのだ
ろうか?



選手を鼓舞する時に独立戦争のことをもちだす監督とかいるのか
と妄想する。マスコミではタブーなのか、大昔のこととして、話
題にくらいなるのか・・

日米野球のときに、戦争のことを持ち出す人はほとんどいないだ
ろうから、あまり気にしないのかもしれないけど。

独立後のラテンアメリカは徐々にイギリスそしてアメリカの関与
が強くなる。イギリスも敗退したけど、アメリカはまたもや決勝
進出してるけど。



前回の南アフリカで開催されたワールドカップでは元宗主国のフ
ランスは予選で敗退している。なんかやりにくさがあるのか、な
いのか・・今後の宿題にしたいと思う。

水彩画家・大下藤次郎展

2014-06-24 | art
近代日本における水彩画のパイオニア、大下藤次郎(1870-1911)の
回顧展が千葉市美術館で開催されている。6/29まで。

千葉はちょっと遠いなぁと思ったんだけど、美術雑誌の「みづゑ」を
創刊した人ってことに惹かれる。そして何よりこのポスターを見て、
抽象性ももった水彩画っていいなぁって思った。



初期の頃はわりと、あちこち旅して有名な場所を具象的に描いていて、
そんなに興味がわかない。それが千葉・房総の旅で、自分で風景の美を
発見するようになり、独自の水彩画を見出しつつある。

それがオーストラリアへの旅行(1898)を半年行ってかなり、抽象性
が増してきて期待が高まる。


シドニー 明治31年(1989)


雲の観察 明治33年(1991)

ポスターの絵「水辺の風景」は制作年は不明だそうだけど、きっとこの
頃に違いないと思う。

『水彩画の栞』明治33年(1901)がベストセラーになり(25刷!)雑誌
『みづゑ』を明治37年(1905 )に創刊し、水彩画講座も盛んに行ったそ
うだ。(『みづゑ』の明治期のアーカイブスはこちら



ところが、念願のヨーロッパへ行って、特に印象派の影響を受けたんだ
と思うんだけど、油絵の対抗ではないかもしれないけど、油絵の様に水
彩で描くことに傾倒していく感じのあたりから、興味が薄れる。


湖水を望む 明治40年頃(1907頃)

1900頃~1905頃の短い期間の絵が好きだなぁということがわかる。



『みづゑ』は息子の大下正男 が昭和11年受け継ぐ。昭和18年には藤
本韶三と日本美術出版(のち美術出版社)を設立,社長に就任。戦後21年
『みづゑ』を復刊。「美術手帖」「美術批評」なども創刊した経営者
だとか。

荒木経惟 「左眼ノ恋」展

2014-06-23 | photo
清澄白川の現代ギャラリー群のひとつ、タカ・イシイ
ギャラリー での荒木経惟さんの 「左眼ノ恋」展を見た
ときのメモ。(6/21終了)。

昨年10月、動脈閉塞症により右目の視力を失った荒木
さんが手術後撮り下ろした新作。左目だけで見る世界
を反映したタイトルだと思って行くと、写真も左だけ
で驚く。



右側は黒く塗られている。情感の込められた塗り方で、
右目を失ったことへの感情、それを乗り越えようとす
る意思など、いろんなものが込められている気がする。

死はこっちに向かって来るからね。こっちからは向か
いたくないじゃない。来るんだよ。吹き飛ばさないと
だめだぞ(笑)



「左眼ノ恋」という題名は、エド・ヴァン・デル・エ
ルスケンさん(1925-1990)が20歳の時、1954年に出版
したデビュー写真集『左岸の恋』(Love on the Left Bank)
の題名にかけているそうだ。



映画のヌーヴェルヴァーグが始まるのは1950年代後半
だから、エルスケンさんは映画人へも影響したのでは?

荒木さんが『セーヌ左岸の恋』見たのが彼が20歳の時。
女性に同じポーズをさせて写真を撮っていたそうだ。

エルスケンさんは1950年代末から何回か来日したそう
で、もしかしたら荒木さんは会っているのかも。



若き日々を思い出して、新境地を開拓し始めてはるのか
もしれない。『左目の恋』の写真集は限定300部、2500
円やから、さすがに売り切れていた。

日曜美術館・東松照明「沖縄へのラブレター」

2014-06-22 | photo
日曜美術館は2012年に82歳で亡くなられた、写真家・東松照明さん
の足跡を沖縄で取材した意欲的な番組だった。井浦新さんが沖縄へ
取材へ行き、妻・泰子さんら関係者を取材し、住まいを訪ねて行く。

東松照明さんから写真の手ほどきを長崎で受けた、山谷佑介さんに
よれば、東松夫妻はお似合いの夫婦で、東松さんは、言葉数少なく
感覚的な鋭い指摘をされ、奥様が多くを語ると聞いていたけど、こ
んなに早く、どんな方かわかるとは驚き。



戦後日本の特色を一言でいうなら、「アメリカナイゼーション」と
考える東松さんは、1959-67年にかけ全国の米軍基地周辺を取材。
その占領シリーズの最後の地として1969年に沖縄を訪れ、


<OKINAWA 沖縄 OKINAWA> (1969年)

を発表。なのに米軍基地が間近にあるのに「アメリカナイゼーション」
に染まらない沖縄を知って強烈なカルチャーショックを受け、71年、
72年と断続的に沖縄にわたり、以後1年7か月にわたり沖縄に移住。

沖縄で最初に住んだ那覇のアパートを井浦新さんが訪問。4階建てだ
ったかの屋上がゆるくていい感じ。1972年沖縄は日本に復帰したの
を期に、住民票を東京から沖縄へ移す。



翌1973年。宮古島へ移るんだけど、そこで有名写真家という肩書を捨
て人々と交流。8畳くらいの平屋の建物も今でも残っている。ここに、
シマの若者たちが毎日集まったそうだ。

誰が付けるともなく「宮古大学」と名付けられ、政治や恋愛を語りシ
マの歴史を学ぶ場となったことを、元宮古大学メンバー下地恵子さん
や写真家・石川真生さんが語る。

彼の写真は上等。
だけど自分たちの写真沖縄撮らせたら負けてないぞって。



宮古に移ってからの東松さんはシマの古老や祭祀や風習を撮り、占
領の影を追うまなざしは消える。

写真家は見ることがすべてだ。だから写真家は徹頭徹尾見続けね
ばならぬのだ。対象を真正面から捉え全身を目にして世界と向き
合う見ることに賭ける人間それが写真家なのだ。

1974年には沖縄で写真学校を開催。東京の写真仲間を講師に招く。
錚々たる講師陣!



この取り組みは沖縄から多くの写真家を生み出すきっかけとなる。
そして1975年『太陽の鉛筆』を発表。

シマという写真の真空地帯にいて、いや真空地帯にいるから
こそ、いっそう写真との一体感をもつのだろうか。やめられ
ない!としみじみ思う。



来年『太陽の鉛筆』を再編集して発刊を計画中だそうで、楽しみ。

2010年80歳になった東松さんは人生最後の地として再び沖縄に移
住。相変わらず毎日写真を撮ってたそうだ。その部屋で妻・泰子
さんは東松さんの遺志を継ぐ。ご冥福を祈ります。合掌。

MOT[クロニクル1995-]展

2014-06-21 | art
MOTの [宇宙x芸術]展に行ったら、[クロニクル1995-]展を開催し
ていた。来年開館20周年を迎えることを記念した企画で、3回続く第
1回とのこと。動画もある紹介記事はこちら

1995年はMOTが開館した年だそうで、彼らのコレクションを中心に、
一部は1995年発表の作品、二部はそれ以降の作品という構成。一部の
なかから気になった作品を書いておくね。

冒頭がいい。1995年を切り取った3人の作品;


木村伊兵衛賞を受賞したホンマタカシさん「東京郊外(TOKYO SUBURBIA)」


都築響一さん「Road Side Japan 珍日本紀行」


都築さんと全国を回った大竹伸朗さん「ぬりどき日本列島シリーズ」

1995年は戦後50年であり、阪神淡路大震災やオウム真理教地下鉄
サリン事件が起こったということも忘れられないけど、アーティス
トの切り口も怖い。

日本にこういった風景が広がるのは、何かを生み出そうとした善意
や熱意も働いだんだろうけど、失われたものが大きいのでは、と思
わせる。



パーソナルな具象絵画が注目を浴びるのも1995年だとか。奈良美智
さんが初個展を東京で開いた年だそうだ。


I'm Swaying in the Air 



宮島達男さんは1995年ロンドンでパフォーマンスを行ったことで転
機を迎えたそうだ。参加者とのやりとりにゆだね、作者の意図を超え
た広がりを生み出すことに。その翌年発表されたのが、


それは変化しつづける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く