やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

「浮世又兵衛」の異名・岩佐又兵衛

2012-05-31 | art
日本美術探訪を「かざり」「あそび」「アニミズム」
という三つの鍵で再編集してきた辻惟雄さんが「浮世」を
どう考えてはるかーー『17・18世紀の美術 浮世の慰め』
岩波書店という格好の書がある。

「うきよ」という言葉は現世をあらわすものとして平安時代
から用いられている。(中略)仏教的厭世観にもとずく現世
否定の意味合いがそこにある。だが16世紀になると、戦国の
動乱の中で、「夢の浮世にただ狂え」(『閑吟集』)というように
刹那的な現世享楽の「浮世」観が生まれる。

江戸の寛永年間には「浮かれ楽しむべきこの世」を意味するのが
ひろがり、仮名草紙で表現される時代気分になったらしい。
しかし表現者たちの多くは

浪人の辛酸をなめた人であり、それゆえ、かれら「浮世」観の
裏には従来とおりの「ままならぬ憂世」観が貼りついている。

この人間観察のするどさ。しかも、

そのような微妙な矛盾を孕む「浮世」を視角化したのが、寛永年間の
風俗画といえる。こうした「浮世」の表現者として注目されるのは、
(中略)「浮世又兵衛」の異名をとった岩佐又兵衛の存在である。

と、辻さんが人気の火をつけた岩佐又兵衛が自然とでてくるわけだ。
しかも浮世絵の元祖とも呼ばれているのだから。

ボクも大好きな絵巻「山中常磐」といった大名が争って買い求めた
絵巻物だけでなく



花見遊曲図屏風



豊国祭礼図屏風



といった小さな風俗画を多く描き、当時の人達が「浮世」を強烈に
感じていたらしい。これらの絵が岩佐又兵衛の直筆なのか、
又兵衛工房の作なのかはおいといて。

岩佐又兵衛は大名の子だったのに、絵師として遍歴の生涯を
送らなくてはならなかった。曽我蕭白といい江戸の浮世絵師が
活躍する前の「上方派」は放浪せざるを得なかったのだろうか。

フォトジャーナリスト・ 渋谷敦志さん

2012-05-30 | photo
5/15に第1回目を開催したOPEN SHOW TOKYOだけど、
2回目は6/27、場所は写真美術館のアトリエに決定。
いい場所があるよって教えてもらって予約したんだけど、
下見に行くのは来週。

写真家の方々もみなで手分けしてあたっていて、ほぼ
決まってきた。週明けにでもアナウンスする予定なので
よろしくです。



そのなかでご紹介いただいたのがフォトジャーナリスト・
渋谷敦志さん。アフリカ、アジアの紛争地帯を中心に
取材を続ける筋金入りな印象というか、ボクの知らない
世界を垣間見させてくれて教わることばかり。

のっけから5/24毎日新聞”eye”に掲載されたウガンダの
写真と記事を見せてもらいながら、これはまだ希望が
ある方の写真ですと、目が笑っていない。
「もっと厳しい現実がたくさんあります」



東北の震災に関する企画展もされていて、最近では
アイデムフォトギャラリーシリウスで「岩手 この空の下、
明日への道を探して」(4/26~5/16)とか、ラフォーレ
ミュージアム原宿にて写真展&ライブ(4/20~22)。



初めて写真展に来たような若者がいっぱい来てくれて、
ボロボロ涙を流していたとのこと。

相手の目と向き合って目を撮りたいって言ってはった。
人は目を抜くと表情も特徴もなくなるそうだ。
目がもつ力、目が訴える気持ち。



彼の原点というかあこがれはブラジルの写真家 セバスチャン・
サルガドだそうで、彼の撮った場所に行きたくって、
ブラジルの法律事務所に留学したそうだ。



シリアは殺されるからジャーナリズムはほとんど入国
できないとのこと。無茶苦茶だ。どこに真実があるのか
わからない。

ソマリアに昨秋行ったそうだけど、この夏にも再訪する
そうだ。1日1000ドルかかると聞いて驚く。護衛費用が
高いそうだ。報道だって取材費が下がっていると聞くけど、
彼を駆り立てるものがなにかわからないけど惹かれる。

6/27は来れないそうだけど、可能だったらソマリアからの
中継をOPEN SHOW TOKYOで実現できたらいいなと語り合う。

FACEBOOKがみれる方はこちらも。

ことの始まりは背痛から

2012-05-29 | からだ
先週朝起きたら、背中の左側がとても痛む。
寝違いかとも思ったけど、痛みが続くので、
かかりつけの西国分寺クリニックへ。

「背中が痛むんです。筋肉が空洞になったみたいに
支える力がなくなっている感じがします。」

と話すと、池上先生はそのままカルテに書いて
リハビリ科のドクターに伝えてくださる。

腰痛、肩こりとは言うけど、背中の痛みって
適切な日本語がないなぁって思う。背痛とか
背部痛ってでてくるけどあまり馴染みがない。

二人で問診した結果、「肋間神経痛」という
おどろおどろしい名前。なんでも肋骨と肋骨の
間に伸びるのが肋間神経で、何らかの原因で痛む
のが「肋間神経痛」とのこと。



「重いんですか」

と尋ねると、軽い部類と聞いてほっとする。
免疫力の低下などでなるそうだ。生まれて
初めてかかった。

薬を飲んだら2日もすれば直ったけど、持病の
十二指腸潰瘍がちょっとうずく。薬を飲んだら
1日で直ったけど、口内炎もでたりと、立て続け。



免疫力というか身体がちょっと弱ってるなぁ、
って思ったら風邪をひく。それが喉にもきて
がらがら声。

ジキに治るって思ってら4日たっても治らない。
近所のパン屋のおばさんが、風邪は治ったのに
ガラガラ声が3週間も続いている、って聞いて
同じかもと。

これが3週間続くのはかなわんなぁと。声がでなくって
すみません、って打合せや電話でも謝ってるから。



再び、西国分寺クリニックへ。風邪だという診断。
3種類の薬を飲んでるけど、すぐ治るってわけには
いかない。特効薬はないからね。

「3週間も喉がガラガラの方は耳鼻咽喉科に行った
ほうがいいですよ。風邪だとそんなに長くないですから」

パン屋のおばさんに言ってあげなくっちゃ。

晴天、豪雨、雷、虹、そして地震

2012-05-28 | 環境
朝の予報では18時頃に弱雨が降る程度だったのに、
夕方に突如空かき曇り、集中豪雨がくるわ、雷は
鳴るわ・・ゲリラ豪雨ではないのか。

虹がでてたそうで、ネットでホットになってるので
気づいた。写真はここから。



帰宅すると土埃のざらざらが気になる。日曜日
窓を開けていたから畑に面している1階と2階の
部屋に土埃というか砂が入りこんで、うっすら
積もっている。

靴下を穿いてると感じないけど、裸足だとよく
わかる。掃除機かけたり、雑巾がけ。



寝入りばなの深夜に地震。震度3というけど震度4
くらいに感じる。

猫たちは不安になったのか、かわるがわる吠えに来る。
ゴハンをあげるとおとなしくなる。お腹が空いていた
だけなのか、満腹になると地震の不安が和らぐのか。

天候が、そして大地が不順になった一日。安定し
ているのが常態なのか、不安定なのが常なのかわかん
ないけど。


映画「テルマエロマエ」

2012-05-27 | 映画
映画「テルマエロマエ」を観にいく。ヤマザキマリの
原作漫画
を堪能しているから映画はパスかなと思ってた。

そうしたら原作を知らずに見た人から、面白かったし、
原作知ってるなら行くべしと肩を押されたのね。



前半はかなり原作に忠実だったので実写化自体に笑わされた。
阿部寛主役は想像通りというか想像以上にはまり役やったし。





変えているのが、日本の風呂場にあちこち現れる阿部寛が
その度に上戸彩に出会って恋心が生まれるという設定。

それ以上にうまいというか映画での遊びやなって思ったのが、
日本語とローマ語がチャンポンで登場すること。ローマの
シーンでさえ皇帝だろうが元老院だろうが日本の俳優が日本語で
登場する面白さ。たまに阿部寛はローマ語を話すと字幕。

日本に来た阿部寛も科白はローマ語で独白は日本語だ。
そのうち日本語ばかり話すんだけど違和感ないし、
そのいいかげんさが笑いを生むようになっている。

後半から原作を離れる(・・ヤマザキマリの案なのか
脚本家の武藤将吾の案なのかわかんないけど)阿部寛が
上戸彩と二人でローマに戻るシーンではスクリーン右上に
BILINGUALのマークがでる小道具にも笑えた。



原作の独創性の一つが、過去のローマ時代と現在の日本を
行き来するっていう点もあるけど、それが歴史を変えるかもって
いう心配などこれっぽちも無い点だ。

フィクションなんだからその野天気さが魅力なんだけど、
映画では後半で、タイムスリップすることで歴史を変えては
いけないっていうテーマに主人公達がとらわれる。そこが
ちょっと残念。おきまりというかルールにはまってるからね。



久しく銭湯に行ってないけど、見知らぬ人たちのいる風呂に入りたく
なる。

人が群れてくらしいてた原始の大気が、湯気に交じっている。
心の鎧が溶けていく。今晩あたり、家族か、むろんひとりでも、
久しぶりに銭湯は、いかが。

毎日銭湯通いをした杉浦日向子『食・道・楽』より


3家族の食事会

2012-05-26 | 
博多の知りあい夫婦が遊びに来てくれたのが
ちょうど一年前。学会がこの時期に開かれるとかで
また会う事に。しかも今度は家族全員と彼の
友人家族とボク達夫婦の3家族が会うことに。

合計10人が南青山タヒチに集合。アジア料理って
こともあって台北を思い出す。台北の人達って
家族親戚仲間が集まってしょっちゅう食事をする。
カップルで食べるって感覚があまりない。
毎晩大人数で食べたことを思いだしていた。


タヒチ店内のストリートビュー

友人家族を紹介してもらって驚く。なんと
同じ国分寺住まいとか。だったら地元で
開催してもよかったって大笑い。

親の世代は今の仕事、子どもの世代は将来の
仕事のことに夢と不安を抱いている。そうで
なくっちゃね。現状で満足してちゃねって
白ワインの杯を重ねる。



盛りあがった話題のひとつが小型トイカメラ。
CHOBi CAMというのを持ってきてて、手のひら
サイズのカメラなのに動画も撮れるそうだ。



お土産にCHOBi CAM Smileという缶バッチ
タイプのカメラをいただく。胸につければ
カメラってわからない・・ミッション
インポッシブルの世界。自宅でみると、
店内だから暗い上にブレブレ。上達せねばw
ご用心、スマイル缶バッチをみかけたらw



この会社のゴキラジが生産がおいつかない
隠れたヒット商品だとか。リモコンで動く
ゴキブリ!羽が動いて音もリアルで入手したくとも
すぐ売り切れるとか。



いやぁいいね、賑やかで。美味しい食事、うまい
アルコール、楽しい仲間、人生こうでなくっちゃって
乾杯する。

店内をみわたせば満席でカップルばかり。
ごめんなさいね、うるさくってw

高泉淳子さん×あつ子バルーさん

2012-05-25 | art
サラヴァ東京で行われた「喋りたがりアツコ
× 聞きたがりアツコ
」を観にいく。前者の
アツコは解散しちゃった劇団=遊◎機械/全自動
シアターの高泉淳子さん。後者はオーナーの
あつ子バルーさん。

2部構成になっていて、1部はあつ子バルーさんが
聞き役となって高泉淳子さんに演劇の話を聞く。
2部はフレンチポップスからジプシージャズまで
バンドバックに高泉淳子さんが歌う。

1部で面白かったのが二人が二十年来のつきあい
であること。高泉さんが、小学生1年の時に、
自分の仕事を探そうって思って豆腐屋さんに
弟子入りしたこと。

デキがわるい豆腐でも目の前のお客に売るって
いうことが性にあってるって発見したそうだ。
以来、役者稼業していても、映画テレビの芝居に
でれないのは目の前にお客がいないからだそうだ。



簡単なワークショップもひらかれて、『ハムレット』の
オフィーリアとハムレットの科白をあつ子バルーさんや
観客によんでもらう。

演技は作っては駄目だというのが一貫した持論。だれかに
なりきろうって役者も作る人が多いけれど、その必要は
ないって。

なぜならいろんな経験がいっぱいに詰まっているから、
しかもみんな多かれ少なかれ作って毎日くらしているから、
というのは面白い。

自分のプロフィールは財産なんですよっと言われると、
舞台で活かすわけではないけど、自分が共感できる源泉は
自分のプロフィールにあるのかも。


2部では高泉さんはいろんな役に変身しながら歌う


演じても歌ってもすごい集中力。「こんにちは」っていうのは
今日だけっておもって生きようって意味なんですよ、っていう
ことを全身で表現している。

「吉備大臣入唐絵巻」 

2012-05-24 | art
ボストン美術館展の続き。昨日あげたベスト4のなかで
「吉備大臣入唐絵巻」も書いておきたい。

吉備真備(695~775)は23歳で遣唐使の一人として
長安に渡るエリートの一人。とはいえ難破など死亡者も
多かったから中国へいくのは命懸け。

儒教や律令制度、天文学、軍事学、音楽まで幅広く習得し
帰国したのが40歳。政治の中枢へと抜擢され右大臣にまで
出世。上皇側の軍の指揮官となって仲麻呂軍を倒したり。

中国からもたらされた最先端の技術と知識に日本の人達は
圧倒されたのかもしれず、吉備真備にはさまざまな伝説が
ある。そのひとつがこの絵巻。



吉備が唐に着くなり、高い楼閣に幽閉されるって設定が
そもそも笑える。賓客かどうかわからないけど、高度な
文化を教わることができたのにね。

唐で客死した阿倍仲麻呂の霊鬼に出会うのがミソで、
唐人が真備を試すため、難しい『文選』の解読や、
囲碁の勝負を持ちかけるが、霊鬼の助けをえて、
ことごとく退ける。そして『文選』や囲碁を日本で
広めました、というオチ。

平安時代 12世紀後半の作と言われているから、
死後500年を経ても吉備が称えられていたことがわかる。
今で言うと聖徳太子みたいなものか。



絵の雰囲気は美しく、のどか。ユーモラスさえ感じる。
余白に余裕があるし、楼閣や樹木が何度でもでてくるから
癒される。馬や衣装など細かいのもいとあわれ。


霊鬼と一緒に吉備真備が空飛ぶ図はマンガの表現やし

特別展のサイトは全巻をみれるようになっている。
全長24メートル。もとは1巻本が今は4巻分冊。



日本からボストン美術館に渡った経由はこちら
などに詳しい。

「関東大震災の影響で日本では誰も買わない。
早く安住の地を見つけてやらなければ、あれだけの
名品に気の毒だ。そう思って引き取った途端に、
けしからんと国賊呼ばわりされた。」

ボストン美術館の富田幸次郎が、1924年に購入して
救ってくれたのに、1933年にボストンにあることが
判明して大騒ぎになる。同年重要文化財の持ち出しを
禁じる法律が急遽成立したほど。

ちゃんと保存してくれるなら、どこにあってもいいと
思うし、こうしてみんなで見ることができるんだから。
アフリカ、南米を中心に欧米にもっていかれた美術品の
返還運動は盛んと聞くけど。

初公開・蕭白「雲龍図」

2012-05-23 | art
ボストン美術館は海外における日本のみならず
東洋美術の最高峰であることは間違いない。
量的にも質的にも。そのなかのよりすぐり
「日本の至宝展」が東博の平成館で開催中。

平日の午後だっていうのに人がいっぱい。
午前中は入場制限で30分待ちだとか。もっと
長くなることは必至なので、夕方にいくのが
手かも。6/10まで。



日本にあれば国宝クラスというだけあって、
どれもいい、なんてぬるいことは言わず、
凄かったというか見れてほんと嬉しかった
ものからベスト4をあげると;

曽我蕭白「雲龍図」襖絵 江戸時代 1763
長谷川等伯 「龍虎図屏風」江戸時代 1606 
常盤光長(?) 「吉備大臣入唐絵巻」絵巻 平安時代 12世紀後半
「馬頭観音菩薩像」掛軸 平安時代 12世紀中期

有名どころ。実物をみるのは初めて。ボストンには
一度行ったけど、1泊で仕事だったから美術館には
行けなかった。



そのなかでも事件といってもいい曽我蕭白「雲龍図」の
運命を取りあげるね。曽我蕭白は放浪系で、権威を嫌い
自由を愛した人。

「雲龍図」はどこかの寺院の仏間にあったの両側8面分を
はがして持ち去ったものらしい。明治14年(1881)から
7年間にわたって収集したビゲローが持ち帰ったのは41点。

仲介するのは美術商の山中商会(海外支店をいくつも作る)。
多くの人達のおかげ(資金提供や運搬とかね)で傑作群が守られ、
ボストン美術館に寄贈される。

とはいえボストン美術館では、この雲龍図、長年ニセモノ扱い
されていて倉庫の片隅に眠っていたんだから数奇な運命は続く。

1965年頃に学芸員のヒックマンが偶然見つけたことが、辻惟雄
『奇想の系譜』に書かれている。1968年『美術手帖』誌で連載
されたこの文章が曽我蕭白の再評価になり、そして今日の人気に
繋がるとは辻氏も予想だにしてなかったし、蕭白は苦笑いしているか、
我が意を得たりと思っているか。



さまざまな期待が集まり、5年間かけてボストン美術館のターニャ・
上田氏(東京藝大保存科卒業)などが中心になって修復していく。
油絵とは違って、こういう勢いで描き上げる墨絵の修復はまた別の
工夫が必要だろう。

絵の魅力や迫力と、こうして目の前で見れることの偶然性に圧倒され
ながらいつまでも眺めていた。

江戸城ツアー 続き

2012-05-22 | 建築
日曜日に行った江戸城ツアーの続き。北の丸公園
から本丸へ行く。北の丸っていうのは割と行った
ことがある。武道館、近代美術館などあるからね。

本丸(含む三の丸、二の丸)は何が残っていて、
何があるのだろう。行ったことがないし知識が無い。

パレスサイドビルの前を通って、平河橋を渡る。って
書いたけど、ここ渡っていいんだ。渡った先に警察の
詰め所があって2人睨んで立っている様に見える。



実際は優しい警官で、挨拶したら笑みをもってこんにちは
って言い返していたから。でもね、ここに1人で来たら、
引き返してしまいそうな雰囲気。

平河門を通って二の丸へ。そぞろ歩きの人達がいるから
入っていいんだと得心。パトカーや監視カメラが増え、
中心部にむかっている感じがする。



番所といわれる江戸城の警護の詰所が3カ所残っている。
中を覗くことはできない。そしていよいよ本丸。
江戸時代はどんな偉い人でも籠をおり、太刀を渡し、
丸腰でしか入れなかったそうだ。



当時の復元図は小平市立図書館「こどもきょうど
しりょう」
が秀。この上半分が本丸で執務、面会、
住まいがあったところだ。大奥もここ。

坂を登って一気に本丸へ行くと、そこは公園だった。意外。



ちらほら見えていた建物は今井兼次設計の「桃華楽堂」と
書庫である「書陵部」という新しい建物だった。

天守跡の石垣も残っている。立て直した4度目の天守は
1657年明暦の大火で江戸の町のみならず江戸城内部の
建物群も焼失したそうだ。お堀をこえて火が移った
そうだから、地獄絵さながら。



ご案内いただいた木岡さんには、4時間にわたって、
ほとんど喋りっぱなし。たいへんお疲れさまでした。
ありがとうございます。

元祖江戸城を築城した太田道灌の話も、文武両道の
武将で面白かったし、天守の話は図面の話だけを
とっても、誰がいつ描いて誰が所有しているかも
興味深かった。