やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

ロバライブ細野晴臣 予約即完売!

2011-09-20 | art
ロバハウスでの11月ライブは
細野晴臣さんをお迎えして
古楽の小屋の音楽会」を
行うんだけど今日が前売発売日。

10時から受付だったんだけど30分も
たたない内に前売り完売。ありが
とうございます!



メールと電話で受け付けたんだけど、
メールは10単位でどんどん積み上がり、
電話も2回線が鳴りっぱなしという
嬉しい悲鳴状態。



細野さんは古楽にも造詣が深いので
どんな公演になるか、運良く申し込めた
方々ともども、当日が楽しみだ。

今年春には4年ぶりのソロアルバム
HoSoNoVa」を発表されたけど、
懐かしい粒々した曲集。

その中から1曲、YOUTUBEにアップ
されている「悲しみのラッキースター」



鬼海写真展 東京ポートレイト

2011-09-19 | photo
昨日に続き、鬼海写真展の感想なんだけど
今度は風景写真について。ポートレイトに
背景がなかったのと同じ考え方で、
風景には人が写り込んでいない。
人の本質、人の匂いを表現するために
街を歩んで撮るところを探す。



造形的な面白さには興味が無く、まずそうな
居酒屋なんかに惹かれる。そのうち店のおじちゃん
おばちゃんが夫婦喧嘩を始まったりすると
舞台のようで面白い。作り物のドラマや
映画なんかよりはるかに。

神奈川から浅草方面へ向かって行く電車の中で
どこを歩こうか決めるそうだ。でも興味がわく
のは結局日暮里~浅草と元住んでいた川崎。



あちこち撮りにいくことは興味が無く、
そこに撮りたい全てが詰まっていると考える。
新しくなって同質化していく街にも興味がない。

きっと外面だけ何かにあわそうとして
自己の本質を隠そうとしている現代人にも
あまり興味がないのだろう。

そぎ落とした研ぎ澄まされた考え方。
30年以上浅草に通ってポートレイトを
とり続ける、意味頑固さ。

写真家達から教わる。もっと見ること、
見られること、変わらない人の本質って
何かを考えること、見ることの面白さを。

写真美術館・鬼海弘雄トークショー

2011-09-18 | photo
恵比寿の写真美術館で「鬼海弘雄写真展
東京ポートレイト」と銘うった写真展が
開かれている。10/2まで。

浅草の人々を30年以上にわたり撮り続けた
『PERSONA』。人の営みの匂いを写し出す
町のポートレイト『東京迷路』『東京夢譚』
・・ライフワークであるこの2本のシリーズから
選んだ作品約200点の個展。

トークショーに行ってきた。

まずポートレイトから。浅草を選んだ理由が
大きな商業施設があるわけでもなく、金を
使わなくていい街。人との冷めてる距離感が
ある。




鬼海さん(すごい名前やね)は神奈川から
浅草着11:19という決まった電車にのって
通ったそうだ。そしてまずやったことが、
撮影する場所の壁掃除というのが面白い。
そういわれて見ると、たしかにピカピカだ。

彼のそのスタジオwは浅草寺。浅草寺には
目的をもって来てない人が多く、素の顔に
戻るのだという。



写真家だとは誰も思わず、閑そうにしている
おっさんと思われていたそうで、それがよか
ったそうだ。じっと行き交う人を見ていて、
この人だっていう方を直感で捉えると、「
写真を撮らせてください」とお願いする。

その人を通して人間の存在感をとらえよう
としているので、同じ人を沢山撮ることは
ない。フィルムも勿体ないから、最大で
12枚。デジタルカメラはカメラとは別物で、
アナログカメラで撮っていく。1日2人か3人。

『灰とダイヤモンド』が大好きで、尊敬する
監督ワイダに写真を気に入ってもらった。
これが全部日本人とは思えない、我々と
似ていると言われた時は嬉しかった。
たしかにどう見ても中国人やろう、とか
ロシア人?とか思える写真あるものね。

やってきたことは間違っていなかったと。
浅草にはあらゆる要素が詰まっていると。



現像は1日がんばって4枚。黒点をぽちぽち
埋めていく作業に2~3時間はかかるそうで、
どういう作業なのかわからなかったけれど、
それでその写真に飽きなかったら作品となる
そうだ。

現像液から取りだした時のまだ濡れている
写真の美しさといったらないそうで、それは
自分へのご褒美だと思っている。

街の写真についてはまた明日にでも。
作品の背景については、ここにも詳しい。

窓に色紙格子

2011-09-17 | その他
自宅の吹き抜けにはハメ殺しの小窓がある。
設計段階からステンドグラス等を後から
はめられる様にはなっているんだけど、
そのままになっていた。

嫁さんが格子に色紙を貼って置いてみたら
どうかなと言いだした。もう忘れてたから、
よく覚えてるなと感心する。

早速、色紙を切り始めて、古い家の格子で
古道具で手に入れたものに、色紙を貼ったら
いい塩梅に。


はしごをかけて、ホコリを払って準備。


小窓においてみた。



外から見てみた。



外からの光で床に色模様ができるかと思ったら、
格子も色紙も黒い影にしかならない。


それはステンドグラスなどの場合なんだね。






写真を撮るということ

2011-09-16 | photo
渡邉博史写真展」が始まってること(9/24まで)を
先日書いたけど伊藤俊治(東京芸大教授)さん
とのトークショーを冬青ギャラリーに聞きに
行ったのね。

渡邉博史さんにとってファインアートを撮る
ということはどういうことか伊藤さんとの
対話から浮かび上がって興味深かった。



ポートレイト(人物写真)を長年撮ってはる
んだけど、とても撮りにくい時代だと。
なぜなら本質をとりだしにくいから。

現代人は自分をよく見せたいし、どう撮ればよく
見せられるかを、自分や他人の写真を長年かけて
学んできてるから、なかなかその人の本質が
浮かんでこない、って考えてはるのね。

エクアドルの精神科病院での撮影は本質が
撮りやすかったからI See Angels Every Day
という一連のシリーズとしてまとまった。


仮面を撮るのも、形ではなくて感情を撮りたい
から人に仮面をつけてもらって撮影しはるし、
仮面(隈取りでも)をつけている人は解放
されて本質がでやすいからだと。


デジタル写真機を使わないのも、雄弁に
ならないし、嘘がつきにくいからだそうだ。
デジタルカメラだとその場でできあがりの
写真を見てしまうから、対象を見ることの
集中がおちるとも。。

デジカメをやめようかと一瞬考える。
旅先で撮った写真をスタジオに戻って
現像するときに、撮った時の記憶、
意識していなかったことが写り込まれている
のがとても面白い、と。

写真家の社会意識を前提として作るのではなく、
むしろ写真から教えてもらおうとしている、と。



彼がファインアート写真家になろうとある日
突然思い立って決意しはったのが1995年。
出世作が1999年に撮ったこの写真;

Ellis Island 2

2000年911が起こって注目されることが
なかったらこれまでの活動はなかったかも、と。

911の10周年の今年発売された
Tribute in Music: 'Ten Years On'
にはそうそうたるミュージシャンが参加
しているけどカバーにこの写真が採用。

その2000年に制作プロダクションも廃業されて以来
ファインアート一本に。興味深い話がいっぱいだった。

写真は全て渡邉博史さんのサイトにある
美しく整理されたポートフォリオから。

「傷ついた街」写真展

2011-09-15 | photo
竹橋の近代美術館でイケムラレイコ展
見たとき、写真家レオ・ルビンファインの
展覧会も行く。


NY911の数日前に、世界貿易センタービルから
2ブロックしか離れていない新居に引っ越した
ばかりだったらしい。

それでもニューヨークでの事態そのものは
撮影しなかった。なぜだろうね。引っ越した
数日後に起こったんだから、何かのために
呼ばれたのでは思わなかっただろうか。



宮城県の南三陸町へ311の後行った時、
瓦礫の山を撮ろうとはしなかった。
なんか不謹慎な感覚があった。

彼が向かい合ったのは世界各地の都市で、
街を行きかう人びとの顔を撮ること。
世界中の都市を回っている。



世界貿易センタービルの方をあたかも
見つめているかの様に感じられる。
傷ついたのは街であり人である。

会場の構成は彼が会場で指示したそうだ。
あいうえお順でも、場所や時間軸でもなさ
そうなので聞いてみた。

「ドイツ発原発解体の映画」試写会

2011-09-14 | 映画
1986年のチェルノブイリ原発事故がドイツに
与えた大きさ。今でもドイツの森からは体内の
放射能が600ベクレル/㎏を越える猪が多数捕獲
されている
という。

原発の安全管理の見直し、再生エネルギーへの転換を
進める動きが起こる。緑の党と連立したシュレーダー
政権下で、2023年までに原発を廃止することが
決まったのは2002年。

ドキュメンタリー映画『アンダー・コントロール』
撮影を開始したのは2005年を過ぎた頃だろうか。
3年の月日をかけてドイツの原発をひとつひとつ
丁寧に撮っていく。



現役で稼働しているもの、停止して研修所になったもの、
稼働前に中止になってシステムをウクライナに移設した
もの、取り壊しが始まっているもの、遊園地!として
再利用がなされているもの。



稼働している原発は建築・構造としても美しく、また
機械やサインもしっかりデザインされている。60年代の
技術者いや市民にとっても夢やユートピアだったことが
わかる。



戦後の高度成長を迎えたドイツにおいて、電力需要の
増大は必至と考えられたわけで、その主翼を原発が
担うと思われたのは日本と似ている。

それが逆風にあって熱が冷め、次第に停止し解体
される様子が映しだされる。

働いている人(全員男だったね)の様子もたんたんと
撮っていっている。装備が軽いところはまだ
気楽だけど、重装備になればなるほど映像の
密度が増すように感じられる。



原発の廃止が投票できまると、職員達は落胆する・・
職が変わるか失われることを意味するから。

今では、停止した原発をどう処理するかが
メインになっていっている。解体現場も
あったけど、放射能の漏洩を防ぐために
相当どでかく厚い建築物は一般建築物の
比ではなさそうだ。ダイナマイトで爆発って
わけにはいかないのだろうか。



いろんなことを考えさせられた映画だった。
11月からイメージフォーラム他で上映予定。

この映画が最終の編集を迎えた頃、フクシマの
原発事故が起こる。ドイツは主要国では初の
脱原発法案をこの6月に閣議決定する。

2022年までに国内にある17基の原発をすべて停止し、
自然エネルギーや天然ガスによる火力発電で代替する計画だ。

ハーブ&ドロシーのPR

2011-09-13 | 映画
おかげで、かなりの成功できた映画
『ハーブ&ドロシー』に関してちょいとPRを。

先週監督の佐々木さんが久しぶりに来日して、
これからのことを打合せたのね。よく聞かれる
ビデオ化はまだ待ってね、決まったらお知らせするから。

1,美術館などでのサミダレ公開中

スケジュールはこちら。お近くで
上映がありましたら是非。
まだ観てない方も、もう観た方もw
こういった自主上映希望を募集中。


2,英語版アプリ発売

パンフレットのiPhoneアプリを作ったんだけど
英語版も発売。外国人の友達に?ぜひ。




3,次回作50×50の資金募集開始

キックスターターというネット上の仕組みを
使って、佐々木さんは資金集めを開始。

簡単に言うと、目標金額(佐々木さんの場合55万ドル)を
目標時期(11/6)までに資金を集めようというもので、
金額(1ドル~1万ドル)に応じたさまざまなメニューが
あって資金提供ができる仕組み。

例えば10ドル提供すると、完成映画のダウンロードが
もらえ、webサイトに名前が載るといった具合。



キックスターターの面白いところは、目標が
達成できなければチャラとなって全員にお金が
戻る点。正確にいうと、資金提供をするって
ポチッとクリックした段階ではまだお金は
引き落とされていないのね。

目標金額を越えた場合にのみ、引き落としが
実行されて資金が渡される仕組みなんだ。

よかったら英語だけどチェックしてみて~

画文集『炭鉱に生きる』

2011-09-12 | art
NHK日曜美術館で知った山本作兵衛のことを
昨日書いたけど、1967年講談社から出版された
画文集『炭鉱に生きる』が世界記憶遺産登録を
きっかけにこの7月復刻していた。

「絵などといえるもんじゃございません。
ヤマの下罪人のぶざまな一生の記録に
過ぎない」と作兵衛は心から思っていた
そうだが、彼の絵や字のもつエネルギーが
心を射る。

序文が記録文学作家・故上野英信に
よるもので、明治以来の過酷な一世紀を
第三者の手で語る人はいても、「ひそかに
無名の民の汗と血の足あとを刻みつづけている」
山本作兵衛にと勇気づけられると記す。


鉱山の鉱夫の生活がいかに底辺だったか、
知らなかった。「一度足をふみこんだが
最後、(中略)泥沼のような世界が炭鉱」
「飢えをしのぐことさえできれば、だれが
炭鉱などにくだるものですか」と作兵衛は書く。

生活苦に死の恐怖・・フクシマ原発のアルバイト
労働者と同様の視線がある気がする。でも
詩人の金子光晴が言う「炭鉱夫の残酷物語では
ない。(中略)日常の生活と生活感情の
こまやかなふれあいの世界」が立ちあらわれると。



「(ヤマの米騒動)に対しても、この本にあらわれた
認識は(中略)、あとから意味をつけ加えた、
ロマンティックなものでも、悲壮なものでもない」

地底の危険な重労働の世界を描いているんだけど、
人間性が手に取るようにわかる上、ユーモアで
包まれているので、見入ってしまう。



昨日同様、本作兵衛の絵はユネスコのサイト
からピックアップ。

ちなみにこの本、昼頃アマゾンで注文したら
夜8時頃配達されたのには驚く。バイク便並の
早さやね。郵便局だった。

日本人初、世界記憶遺産登録

2011-09-11 | art
ユネスコが1992年に創設した「世界記憶遺産
Memory of the World」というものがあるそうだ。

戦争や革命,火災,水害により,あるいは酸による
劣化や人間の無知・暴力により,破壊消滅の危機に
瀕している資料を救う目的で作られた。

登録リストをざっと見ると、
「ベートーヴェンの第九草稿」「アンネの日記」
「フランス人権宣言」「マグナ・カルタ」
「パラグアイのテロ歴史」といった人間の
権利に関して残すべきものが多いのかもしれない。

アジアからの登録が一番多いそうで、
世界最初の金属活字本「直指心体要節」
中国の古代ナシ族トンパ文字による歴史的文書
などと聞いたことのないものも多い。



今年の5月に、日本で初の登録になったのが、
山本作兵衛の炭坑画』だそうで、NHKの
新日曜美術館で紹介されていた。

山本作兵衛(1892-1984)は7歳から炭坑内に
入り、以来50余年にわたり筑豊のヤマで生きたかた。

ヤマの姿を始め文章で書き始めて1000枚を越えた
ところで妻の反対で焼く。どうしても残しておきた
かった彼は絵で残すことを決意。600点近い絵を描いた
そうだ。



一方、福岡県田川市が、市内に残る旧三井田川鉱業所
伊田竪坑櫓など炭鉱遺産について世界遺産登録を
目指していた。

2009年に選考から漏れたが、関連資料として
紹介した作兵衛作品の記録画は、現地調査した海外の
専門家らから高く評価された。

作兵衛作品を保管する田川市と福岡県立大学は、
世界記憶遺産登録を目指すことに切り替えて、
ユネスコに申請し、今回の快挙になる。



その申請書デジタルアーカイブはユネスコのサイトに。
そこから本作兵衛の絵もピックアップ。興味深いことが
多いので、また明日にでも。