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ねがうこと、ゆだねること

元祖富士山写真家・岡田紅陽

2013-06-29 | photo
富士山つながりで、写真家岡田紅陽さんのこと。
富士山を撮る写真家はプロアマたくさんいるけど
元祖とでもいうべき人(1895-1972)。

生涯40万枚の富士山を撮ったそうだし、彼の死後
夫人の智恵子さんを会長とする「紅陽会」は全国
組織だそうだ。でも、なんといっても一般の人に
馴染みとなったのは、旧5000円札に絵柄が採用さ
れたこと。


本栖湖畔から撮影「湖畔の春」 1935年

1984年(昭和59年)~2007年(平成19年)に発行され
た5000円札の新渡戸稲造だったけど、裏は本栖湖の湖面
に富士山が映る逆さ富士の図案。この元写真が岡田紅陽
さんの写真。

続いて2004年に発行された現1000円札の裏も岡田紅陽
さんの写真がベースにデザインされる。大蔵省の富士山
好きというか、岡田紅陽さんへの敬意が続いている。

今回知ったんだけど、この逆さ富士が本栖湖に映るのは
年に1~2回だそうで、そのチャンスをずっと待つしか手
がないとか。




この2004年には撮影した富士山の写真や、愛用のカ
メラなどを展示した「岡田紅陽写真美術館」が開館。
関係者の念願だったそうだけど、紙幣への採用が大き
かったにちがいあるまい。

その写真を撮った産屋ヶ崎には生前記念碑が建てら
れている。題字は横山大観(頌紅陽)、像製作・朝倉
文夫、詩文・徳富蘇峰(好漢紅陽子探奇抜入神乾坤
不二岳 面目依君新)と豪華な顔ぶれ。


記念碑の写真はここより

富士山と私のめぐり会いは、大正三年の春。彼女を
写し五十数年、富士に魅了され、今も尚限りない情
愛を注ぎこむ。

はじめて私が彼女に接したころはとかくその形の美
しさのみにこだわっていたが、富士にはいのちがあ
った。彼女には血も通い、息吹も躍動していた。

私は彼女の気持ちの内容をつかむに悩んだ。いま私の
富士は生きている。そして愛の鼓動が脈打っている
            顕彰碑完成記念誌《燦紅陽》より

富士山は崇めるものという風潮の強い時代の頃から
「富士子」とまるで自分の娘か恋人のように呼んで
いたそうだ。合掌。

略歴は岡田紅陽写真美術館の学芸員 一瀬一浩さんが
詳しく書いてはる。

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