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町田忍・銭湯の富士山絵

2013-06-28 | カルチャー
昨日に引き続き、町田忍さんの銭湯今昔物語に関する
講演会を聞きに行った話。断片的には知ってる銭湯話
をまとまって聞くのはけっこう面白い体験だった。町
田さんの話し方も面白いし。

古い幻灯機を使って、写真スライドをたくさん見せて
くれる。3300軒を越える銭湯を訪ねたっていうから
化け物。またよく覚えてはる、そのひとつひとつを。

富士山の世界文化遺産登録でいっそう忙しいとか。富
士山の絵を銭湯に描く銭湯絵師との付きあいも深いから。
ペンキ絵ともいわれる絵師は、丸山 清人(1935年生)さん
と中島盛夫(1945年生 )の二人だけに減ったそうだ。
(中島さんに見習いもいるって記事もある)



「稲荷湯」(北区)の富士絵は丸山さんによる

始まりは、大正元年(1912年)に東京神田「キカイ湯」の
主人が、画家の川越広四郎に富士山の壁画を依頼したのが
始まりで、これが評判となりまねる銭湯が続出したとか。

その当初から、近所のお店などの宣伝も描いたそうだ。ラ
ジオもなかったから、銭湯の壁は有力な宣伝媒体だったん
だね。


映画「テルマエ・ロマネ」のロケが「稲荷湯」

その広告を扱う、いわゆる広告代理店が昭和30年(1955年)
当時15社あって、ペンキ絵師はその所属だったそうだ。広告
は1年契約で、1年ごとに広告と共に富士山絵も描き直したか
ら、需要も大きかったんやね。

富士山を描くのは、当然関東。関西は富士山どころかあまり
ペンキ絵を描かないそうだ。絵だけでなく、お金をかけた銭
湯は関東というか東京に多いとか。


江戸東京たてもの園にある「子宝の湯」  京都「錦湯」

ちなみに、脱衣書の籠だけど、関東は丸い形が多く、関東は
四角い形が多いとか。銭湯の話はつきない。煙突掃除人の話、
身体を洗う三助の最後=橘秀雪さんが日暮里の斉藤湯にい
て大人気だとか。。


三助の最後の人 橘秀雪さん

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