やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

町田忍・銭湯の歴史

2013-06-27 | カルチャー
エッセイスト、写真家、庶民文化研究家・町田忍さん
銭湯今昔物語に関する講演会があったので聞きにいく。

話慣れしてるというか、好きなことだからか、めっぽう
面白い話で濃度の高い2時間だった。

銭湯の歴史なんだけど、江戸→東京が軸ってことがまず
わかる。江戸以前の銭湯はもっぱら蒸し風呂。江戸期も
最初は蒸気風呂だったらしいが、石榴口(ざくろぐち)
という入り口が設けられた風呂が登場。

石榴口によって中は湯気がもうもうと立ちこめ、暗く、
誰がいるのか、湯の清濁さえ分からないようにして入
浴するんだって。怪しすぎw



男女別に浴槽を設定することは経営的にも困難で、基
本混浴。風紀を乱すような状況も発生したので、たび
たび混浴が禁止されたが、必ずしも守られなかった。

江戸は火事の危険性があるから、大名屋敷ですら風呂
を付帯することはご法度。かといって吉原へ行ける人
はごく限られている。遊ぶには今のお金で200万~50
0万円必要だったと聞いて、すごい散財だなと思う。



現代的な銭湯の構造が確立したのが1877年頃。東京神
田で石榴(ざくろ)口を取り払って、天井が高く、湯気
抜きの窓を設けた、広く開放的な風呂が評判になる。

戦後は都市人口が増大すると、銭湯もたくさん建築される。
1965年(昭和40年)頃には全国で約2万2000軒あったそうだ。


武蔵境駅前 元の湯

儲かったらしく、1日の来場者が3000人!3年で投資回収で
きたそうやから。いま100人の客が相場。当時は政略結婚し
たり、のれん分けによって勢力の確保をしてたって。

町田さんが通い始めた20年前には12000軒(うち東京2000軒)
あった銭湯が今では4000軒(東京700軒)と衰退。内風呂が
当たり前になったからね。ここなど参照ください。


蒲田 末広湯 2010年廃業

ボクが大学の頃、風呂付きアパートに住んでいる下宿生はほと
んどいなかった。今の学生はどうなんだろう?

主催は+PLUSで赤坂のプラス ショールームであったんだけど、
無料と太っ腹。文房具のおまけまで3つもくれるw

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