五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2019・11・29

2019-11-30 10:14:40 | 日記
いつから行かなくなったんだろう?この日記を調べてみれば分かるけど、その日時を特定しても詮方ないことなので、大雑把に八月頃と言っておく。その店がオープンしたのを知ったのは春ごろだったか?最初はその店の窓から渋谷川で甲羅乾しをする亀を眺める為に入ったのだが、やがてそこの女店主の人柄に惹かれて殆ど毎日の様に通うようになった。珈琲を飲みながら時折彼女とお喋りを交わし、時折川面を覗いて亀の生態を観察し、そして時々芝居の構想を練ったりした。7月に公演した「待ってる。」で主人公たちが海亀が産卵しに来るのを待っていると設定はその店に通っていなかったら出来なかったことだろう。台本が完成しリハに入ってしまうとそんなに毎日通う余裕はなくなり、公演が始まってしまったらまるで通う余裕がなくなってしまったのだが、公演が終わったら早速翌日にはその店を覗いた。きっとあんなに親しかった(と俺は思っている)女主人は、「随分とお久しぶりねぇ。お仕事が忙しかったんですか?」とでも聞いてくると思いきや、一週間ぶりに店に行った俺に女主人の第一声は愛想なく「何にされますか?」と機械的に注文を聞く声だった。うん?何かが違うと思った。この一週間、いやそれまでの一週間も入れてもいい、少なくともこの数週間の間にこの女主人は俺に対する応対を百八十度変えてしまっていた。一体何があったのだろう?俺がこの店に対する愛着をこの日記で知ったT電力のNさんは、わざわざ店に出向いて女主人と喋った上で、きっと俺が厭らしい視線を浴びせていたからじゃないんですか?と揶揄してきたりした。そういわれたら尚更その店に行くことが躊躇われたし、たまに出向いても彼女の冷淡さは一向に改善しなかったもんだから、俺の行き付けの珈琲店は駅前のスターバックスに変わってしまった。それでも広尾に向かう歩道橋を渡る時など、店の方に視線をやって彼女は元気でやっているか気にかけることがあったが、いつからか店はカーテンが閉まったままになっていることが目立つようになった。病気でもしているのだろうか?そんな疑念が浮かんだけど、確かめようがないし、確かめる権利もない。でも、今日、勇気を奮ってその店の前を通り掛かったら、遠くからは見えなかったが、既に珈琲屋の看板はなくなり、雑貨店になっていた。どうやら俺が亀カフェと命名したあの店は半年しか持たなかったようだ。午前中は茅場町のTデンタルクリニックへ、午後は片方の補聴器を何処かに落としてしまった母を連れて白金台のメガネースパーへ。帰ったらアマゾンから「明治大正昭和 値段史年表」(週刊朝日編)と「ポルトガル短篇小説傑作選」(ルイ・ズィンク+黒澤直俊編)が届いていた。後者は「ガルヴェイアスの犬」に続いて、以前芝居のことで世話になった木下真穂さんが翻訳者として加わっていた。
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2019・11・28

2019-11-29 15:08:19 | 日記
今日真っ先に記しておきたいのは、夕方母には弁当(大根と京がんもと干し椎茸の煮物、キンピラご飯)を届けてから新装なった渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)に「東京芸術祭2019特別公演 本物の芸に酔う」とサブタイトルのついた「近松二題 鶴澤清治の芸」を見に出かけたこと。新聞でこのイベントの広告をみかけた時、彼が三味線の世界で人間国宝に認定されていることなんか知らなかったのだけど、最近服部妙子さんの影響でグイグイと三味線の世界に引き寄せられている私としては、迷わずチケットを予約していた。正直言って何処がどのように素晴らしいのか分からない。ただ私の中の何かを三味線の音色は揺さぶってくる。おまけに今日は文楽三味線と言って、物語性のある演目だ。特に近松門左衛門の「女殺油地獄」は演劇だけじゃなく映画やテレビでも取り上げられてきたから筋書きはよく知っているから、人形浄瑠璃で上演されたお吉を殺害する場面は、三味線の音が否応がなく高まって圧巻だった。9時ちょうどに閉幕。店に電話してみたら売れっ子脚本家Oさんの奥さんで元女優のSさんが知り合いの女優さんと来ているというので、慌てて店に戻る。Sさんには失礼だけど、彼女とつるんでいるんだから売れない新人女優さんと思いきや、店に入った途端、紹介されるまでもなく一緒にいたのが、元アイドルグループCの一員で、以前にはロックシンガーと結婚していたMさんだと分かる。だが、72歳のオヤジはそのミーハー度を顔にださない。いかにも初めて彼女を見初めたような顔して、確かもう45歳を過ぎている筈なのにまだ初々しいその幼顔と、脚線美を誉めたりする。うーん、折角新しく三味線の世界に浸ったと云うのに、Mさんの魅力を前にしたらあっと云う間に現実のもやもやした世界に引き戻されて。
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2019・11・27

2019-11-28 10:27:23 | 日記
7時半、母が朝風呂から出てくると同時に俺は店の厨房で老老ブレックファーストの支度を始める。その時点で俺はは母が新しいオムツと尿漏れパットに取り替えていると当然思っている。今日のメニューは頂き物の鰆の干物WITH焼いたしし唐、納豆には今日もミニトマトときゅうりの細切れを入れ、オリーブオイルとワインビネガーと少量の塩(それも塩分50%カット)とタバスコで味を整える。他に海苔と錦松梅。味噌汁はわかめとミョウガ。8時半、母が食事に入って来る。30分で食事して30分はお茶。つまり合計一時間、風呂を出た時からカウントすると二時間。だが、それから店を出ていく時点で、母のお尻は濡れている。朝、風呂を出た時点でオムツを替えなかったか?それともこの二時間の間にオシッコをして、且つそれが尿漏れパットやオムツに吸収されずにズボンを濡らしてしまったものなのか?よく分からない。妹が日本にいる間にあんなに厳しく指導された筈なのに、まだ定期的にオムツやパットを取り替えることが出来ないなんて、ついつい大声が出てしまうが、その後将来の俺はどうなるのだろう?と思う。誰か俺みたいな家族がいて注意してくれると思いたいが、現在の処、同居する肉親はない。介護施設か何処かで見ず知らずの若者に無遠慮に大声で「ジジィ!オムツを替えろって何度云ったら分かるんだ?!てめえの傍行くとション便臭くてたまらないよ!」と怒鳴られて足蹴にされたりしているんだろうか?その時はとっとと死のう。人が他人にそんな感情をもたれて生きているなんて、地上の空気の無駄遣いだ。12時にテアトロジャージャンに去年出演して貰ったmさんがイベントに使う素材を撮影する為に4Fに来る。その間俺はまた溜まりだした領収書と伝票の整理、続いて買物。4時過ぎmたちが撤収。5時に老老ディナー(餃子、大根の皮と葉を使った炒飯、それに舞茸の中華スープ)の時、ぎょうざってどんな漢字?チャーハンは?マイタケは?と漢字を聞いて来る。「餃」も「炒」も「茸 」もそろいもそろって教えづらい漢字だし、「餃」なんて正確に覚えてない。オムツを替えないことを文句云ったから仕返ししてるのか?と突っかかりたくなる。店はSN君に任せて五階で服部妙子さんに先日三味線の教室を見学させていただいたことへの礼状を書く。こういう時はちゃんとした便箋に書かなくてはいけないだろうに、何故か原稿用紙でなくては手紙が書けない身体になってしまってみたいで、400字詰めコクヨ三枚。原稿用紙だと、汚い字でも文句をいわれないと思っているのか?脚本家時代は字体ノイローゼになる程に原稿用紙の枡目を埋めるのが苦痛だったのに変なものだ。手紙を書き終えて10時にはベッドに入る。今夜はどうしても8時間は眠る計画。
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2019・11・26

2019-11-27 10:17:31 | 日記
老老ブレックファースト(プレーンオムレツ、納豆とミニトマトとシラスとオクラのサラダ、錦松梅、わかめとミョウガの味噌汁)の後、フラフラと散歩に出て、その途中で突然映画がみたくなったもんだから、お昼過ぎから恵比寿ガーデンシネマで上映中の「真実」(脚本監督・是枝裕和)を見ることにする。往年の大女優の映画。現在撮影中の映画と自分の実生活がダブると云う、是枝監督にしては特別斬新な映画とは思えなかったが、それなりに楽しむことが出来た。終演後、恵比須ガーデンプレイスから白金に出て、川越屋で木綿豆腐を買って帰る。今日は弟が来ているので、老老ディナーは俺ひとり。昨日安売りで買っておいた牡蛎と春菊にも加わって貰って一人鍋。食後は「おんなたちの銃後」(加納実紀代)を再読。台本執筆の為のメモをとったりする。10時前、美人脚本家のNさんが来店。11時すぎまで。
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2019・11・25

2019-11-26 10:22:19 | 日記
ちょっと二日酔いか?昨日は気分が高揚していて飲みすぎた。反省。粛々と老老ブレックファーストの支度をする。今日のメインは鯖の塩焼きWITH大根おろし、納豆とミニトマトときゅうりの千切りとかいわれのサラダ、錦松梅、わかめの味噌汁。気分が悪かったけど、無理して食べる。こんな時母と一緒にご飯を食べる利点を覚える。一人だったら絶対食べない。二人でも、相手がわがままの聞く人だと味噌汁を飲む位で「お茶を」ごまかしてしまうだろ。でも、相手が母だとそうはいかない。もうすぐ97歳になる母の栄養状態に責任を持つ俺としては、毎日動物性タンパク質を過不足なく摂取して貰わなくはならない(なんてちょっと大袈裟)それにしても夕べはまだゴールデン街に行こうと思ったことが嬉しかった。脚本家になる以前の20代前半の頃、あの街には将来の夢や現在の体制に対する不満が渦巻いていて、そこから脱出した後になっては二度と染まりたくない気分でいたからだ。でも、この年であの街に行きたいと思ったのは、あの頃の様に将来に対する夢を語り、現在の体制に対する異議申し立てをしたいと思ったからか?だといい。そうであって欲しい。過去を懐かしむのではなく、あそこが明日に向かう街だったら、これからも通ってみたくなった。老老ディナーは突然カレーうどんが食べたくなってたまねぎを刻む。付け合わせはキャベツの千切りとひよこ豆のサラダ。食後、ファミリーヒストリー(太田光篇)を見る。この番組、今日の様に自分が興味のある人間の時はそんなに面白くなく、対して興味を持たない人間の方が面白いのは何故なんだろ?お店には9時前に映画プロデューサーのKさんが顔を出してくれる。彼の話では、それまであまり見たいと思わなかった是枝監督の新作がとても面白いとのこと。明日あたり見に行ってみるか?
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2019・11・24

2019-11-25 11:44:02 | 日記
昨日小田原在住のMさんから贈られた鯵の干物をいただく。でも、とても大振りの鯵なので母と半分づつ。美味。他に納豆とミニトマトとおくらのサラダ、海苔、豆腐の味噌汁。仮眠した後、1時半に高円寺・座へ。カムカムミニキーナ公演「両面睨み節」(作演出・松村武)を見る。この芝居には旧知の蜂谷眞未と万里沙と云う二人の女優が出演していたので、終演後楽屋を訪ねて旧交を温める。その後、劇場で会った女優の桑原なおさんと駅近くの居酒屋で次回作の構想を語りながらハイボールを四五杯。桑原さんはウチの近所に住んでいるので、万が一泥酔しても送って貰えると云う安心感と、気分が高揚していることも手伝って一緒にゴールデン街に行くことになる。名前だけは知っているYと云う店。何故自分から名乗ったのか分からないけど、名前を告げたら、カウンターの中にいた従業員が私のことを知っていたばかりか、乃木坂の店にも来たことがあるという。おまけにしばらくしたらウチの店の常連だったS新聞のUさんまで顔を出して、この日は何処か気分が高揚していて、何だか昔の店で飲んでいる様な錯覚に陥る。10時過ぎ、予想通り酔っぱらった私は桑原さんに自宅前までタクシーで送られて。
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2019・11・30

2019-11-24 09:56:38 | 日記
今朝の老老ブレックファーストは母が風呂に入っている間に作っておいたベーコンの塊と丸ごとじゃがいもとゆで卵とカリフラワーのポトフ風、納豆とチーズとトマトのみじん切りと柿のサラダ(オリーブオイルとワインビネガーと塩少々のドレッシング)。母が一目見て「贅沢ねぇ」と呟いたが、殆どが残り物で実質お金はそんなにかかってない。食後、1時に高円寺へ。北口から赤羽行きのバスに乗ろうとしたら、偶然服部妙子さんと出会って、一緒に彼女が教えている練馬の三味線教室へ。来年企画している芝居では、三味線を効果的に使うつもりでいるので、全くその世界に縁がない私としては今日の教室見学を機会にこれから三味線に馴染んでいくつもりだ。二時間程見学させて貰って、西武線練馬駅から池袋に。グランドシネマサンシャインで「ひとよ」(脚本・高橋泉、監督・白石和弥)を見る。これは桑原裕子の戯曲が原作らしいが、脚本、演出、俳優、それぞれが100%の出来。特に松岡茉優の演技は秀逸。そして、いつもはラストシーンに違和感を持ってしまう白石監督だったが、今回の作品はラストが素晴らしい。何が素晴らしいって、何もないからいいのだ。多分音楽があっただろうけど、それさえ今は耳に残ってない。今年のベストワンだと思う。こんな時は新宿の酒場に流れて誰かにこの興奮を伝えたかったが、表に出たら近所にあるHUMANシネマズで「i新聞記者ドキュメント」(森達也監督)をやっているのを発見。更に上映開始が20分後だ。それじゃそのまま通りすぎる訳にはいかない。これもジャスト2時間の映画。「ひとよ」と合わせると四時間数十分。こんな風に映画を梯子したなんて50年ぶりだ。そんな欲望が残っていたと知っただけで嬉しくなる夜。
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2019・11・22

2019-11-23 10:42:33 | 日記
SN君は厨房食(賄い)を店が終わってから食べるので、残りのご飯がどのくらいあるか確かめることが出来ない。でも、普通丼一杯分を食べるとして、俺と母の朝食分が二人で丼一杯として合わせて丼二杯分もあれば足りる筈と計算して毎晩店を後にするのだが、時折その計算が間違うみたいで、今日も朝炊飯器を覗いてみたら小さな茶碗一杯分のご飯しか残ってなかった。今から炊く?90分はかかるので却下。非常食用のご飯をチンするか?何だか淋しくなるので却下。だったらどうするか?うん、こんな時には雑炊、それも料理雑誌にも掲載されたことのある納豆雑炊!ご飯の量が少なめでも、二人で余らせてしまう程になる。そして何より、美味!こんな時しかこの雑炊は作らないから、思い切りご飯を食べてくれたSN君に感謝。他に今日の老老ブレックファーストは鰯の生姜煮、豚汁、ナスのシギ焼。母、留守中にメイドのMさんに徹底的に部屋の中を掃除して貰ったことで、あれがない、これがない、洗濯機が使えない、エアコンが故障した云々と文句のオンパレード。基本的に他人に自分の部屋に入ってこられるのが嫌なのは分かるけど、俺に文句を言われても詮方なし。それより旅行期間中に妹に指導された筈のオムツとパットの交換をちゃんとやってくれないと困る。そのことでまたまた母子喧嘩。銀行と郵便局に寄った後、4時過ぎに茅場町のSデンタルクリニックへ。今日は患者が少なく時間的に余裕があった為か、歯科医と患者の関係は極めて良好。6時過ぎ帰宅。母には弁当を届けておいたので、一人ご飯を食べるのが切ない前期高齢者は駅前で勝ったケンタッキーフライドチキンにコールスローで済ませ、SN君とバトンタッチして五階へ。今日歯医者に行く時に買い求めた江戸時代の牢獄制度について書かれてある「江戸の牢屋」(中嶋繁雄)を読み進める。テレビは「ミス・ジコチョー」や「時効警察はじめました」を見るが、「時効警察…」にどうでもいい役で寺島しのぶが出ているのにびっくり。それともあのプロレス団体の女親分の役は俺なんかには分からない深くて重い役なんだろうか?先日買い求めたブラームスをかけながら「江戸の牢屋」を読んでいる内に一日が終わっている。
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2019・11・21

2019-11-22 00:00:25 | 日記
その女優さんは一度私のテレビドラマに出てくれたことがある。でも、それはテレビ映画だったし、脚本家と女優さんが知り合う機会もなく、彼女が私の顔を知っている筈もないのだが、去年の冬に高円寺・座で毎年開かれているドキュメンタリーフェスティバルを見に行った時に、ある作品の上映終了後に出演していたEだったか、Eの奥さんで女優のSだったかに紹介されて、こっちが「初めまして」と挨拶したら、「ううん、あなたとは四十年位前に日テレのメイク室で話したことがあるわ」と云うではないか?確かにその頃私は新人脚本家の傍ら11PMと云う番組でレポーターやコメンテイターをしていたことがあったし、メイク室に出入りしていたこともなかったとは言わないが、その当時彼女は有名な女優さんだったし、会って話したとしたらこっちが覚えている筈なんだけど、私の記憶には残ってなくて、彼女の中に残っていたのがひどく不思議だった。その夜、共通の知り合いだったドキュメンタリー映画のプロデューサーと飲みに出かけた私と彼女は意気投合して、連絡先を交換し、お互いに企画したイベントや芝居に案内状を送ったり送られたりする関係にになった。彼女が企画した登壇者と殆どの観客が女性ばかりと云うMetooイベントで司会者の彼女に「オ××コ(女性性器の呼称)!」と叫ばされたこともあったし、絵を習い始めたとかでその作品とコメントを纏めた本を出版したので贈ってくれたこともあった。去年の秋には俺の芝居を見に来てくれたりもした。一度芝居を作ろうと言ってくれたりもした。でも、見かけによらず過激になっている彼女の思いを聞いている内に尻込みしてしまう自分がいたりもした。それでもその後も私の芝居に誘っていたのだけど、予定がつかない時はつかないと連絡してくる筈なのに、この二回程は何の音沙汰もないので、早くも私との「共闘」は断念したのかと安心していたら、今日突然彼女の訃報が飛び込んできた。木内みどりさん、69歳。死因は突発性心疾患だとか。旅先の広島で三日前に倒れたと聞いて、その翌日に広島にいた私は強引に彼女に呼び寄せられたのではないかと何とも不思議な気持ちにさせられた。ご冥福をお祈りします。
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2019・11・20

2019-11-21 11:31:59 | 日記
まずは一昨日から昨日にかけての日記の訂正、と云うか釈明。日記では母に薬を届けてから佐久に出て自分の本籍地の町を逍遥し、そのまま酔いつぶれて佐久の宿に泊まったことになっているけど、実を云うと、母が八ヶ岳に妹夫婦と木曜まで泊まりにいくと分かった段階で、毎日の買物などで溜まりに溜まってしまったJALのマイルを利用して19日(火曜日)の朝に羽田発広島行きの飛行機を予約してしまっていた為、何としてもその晩中に東京に戻る必要があって、北陸新幹線の最終列車に乗り込んでいたので佐久には泊まっていなかったことを告白しなくてはならない。だったら何故そんな嘘をついたのか?そのまま本当のことを書けばよかったじゃないか?いや、そのつもりでいたのだけど、翌朝6時30分までには羽田に到着するには5時には起きていなくてはならなくて、パソコンに向かって細かく書く時間がなくなってしまった為、後で書き直せばいいやととりあえず短いいい加減な日記を書いて羽田へ急いだのだが、それにしても何故広島なのかと云うと、佐久が父方の祖父の故郷だとすると、母方の祖父の故郷は広島の福山なのだ。来年公演予定の芝居はこれまでにも何度か取り上げてきたことがあったけど、母方の祖母、ジャージャンの人生をこれまで以上に細かく描き出す予定なので、今回母の世話?から解放されることになって一番に考えたことは、福山への再訪だった。祖父の死後、ジャージャンはこの町で生きていかなくてはならないことになったのに、幼い娘(私の母)を連れてどうして東京に行くことになったのか?今はもう墓じまいをしてしまったけど、祖父の菩提寺でもあるお寺や遠い親戚筋の人々を訪ねて話が聞けたら聞いてみようと思ったのだ。でも、急に思い立ったこともあり、アポも何もとれてなかったのでお寺の住職や親戚筋の人々たちとは会えずじまいで、何のために出向いたのか分からなくなったが、住所を頼りに本家のあった辺りを訪ねてみたり、市役所や図書館で明治から大正にかけての町の歴史を調べてみただけでも有意義な一日となった。そしてその晩は40数年前に一度テレビドラマのシナハンで訪れたことのある鞆の浦に泊まる。福山駅からバスで30分。今じゃすっかり観光地になってしまったみたいだけど、40数年前は鄙びた風情のある町だった。シナハンで泊まった時はドラマのプロットをあれこれ考えるのに頭か一杯で景色や料理に舌鼓を打つ余裕なんかなかったけど、今回は鯛料理と宿の露天風呂から見える瀬戸内の穏やかな海を満喫する。翌日は福山から三原に出て、一度乗ってみたいと思っていた呉線に乗ってみる。それも各駅停車の普通列車。窓外に広がる瀬戸内海に点在する島々がまるで箱庭のようだ。呉を経由して広島まで三時間余り。広島市内は今度の芝居には関係ないと思っていたが、平和公園を歩いている内に物語のヒントをつかむ。いつもそうだけど、大事なことは無駄だと思っていることから生まれる。駅中の寿司屋で食事したあと、リムジンで広島空港に移動。15時40分発の飛行機で17時羽田着。品川駅のスーパーで買物してまっすぐ帰宅して開店準備。留守中に届いていた服部妙子さんの衣装をついての問い合わせの手紙に電話で返事する。お店には久しぶりに元法律事務所勤務のNさん、しばらくして映画プロデューサーのKさん。二人とのお喋りは慌ただしく駆け抜けたこの三日間にわたる自分のルーツを辿る旅にピリオドを打つ。
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