五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2019・11・20

2019-11-21 11:31:59 | 日記
まずは一昨日から昨日にかけての日記の訂正、と云うか釈明。日記では母に薬を届けてから佐久に出て自分の本籍地の町を逍遥し、そのまま酔いつぶれて佐久の宿に泊まったことになっているけど、実を云うと、母が八ヶ岳に妹夫婦と木曜まで泊まりにいくと分かった段階で、毎日の買物などで溜まりに溜まってしまったJALのマイルを利用して19日(火曜日)の朝に羽田発広島行きの飛行機を予約してしまっていた為、何としてもその晩中に東京に戻る必要があって、北陸新幹線の最終列車に乗り込んでいたので佐久には泊まっていなかったことを告白しなくてはならない。だったら何故そんな嘘をついたのか?そのまま本当のことを書けばよかったじゃないか?いや、そのつもりでいたのだけど、翌朝6時30分までには羽田に到着するには5時には起きていなくてはならなくて、パソコンに向かって細かく書く時間がなくなってしまった為、後で書き直せばいいやととりあえず短いいい加減な日記を書いて羽田へ急いだのだが、それにしても何故広島なのかと云うと、佐久が父方の祖父の故郷だとすると、母方の祖父の故郷は広島の福山なのだ。来年公演予定の芝居はこれまでにも何度か取り上げてきたことがあったけど、母方の祖母、ジャージャンの人生をこれまで以上に細かく描き出す予定なので、今回母の世話?から解放されることになって一番に考えたことは、福山への再訪だった。祖父の死後、ジャージャンはこの町で生きていかなくてはならないことになったのに、幼い娘(私の母)を連れてどうして東京に行くことになったのか?今はもう墓じまいをしてしまったけど、祖父の菩提寺でもあるお寺や遠い親戚筋の人々を訪ねて話が聞けたら聞いてみようと思ったのだ。でも、急に思い立ったこともあり、アポも何もとれてなかったのでお寺の住職や親戚筋の人々たちとは会えずじまいで、何のために出向いたのか分からなくなったが、住所を頼りに本家のあった辺りを訪ねてみたり、市役所や図書館で明治から大正にかけての町の歴史を調べてみただけでも有意義な一日となった。そしてその晩は40数年前に一度テレビドラマのシナハンで訪れたことのある鞆の浦に泊まる。福山駅からバスで30分。今じゃすっかり観光地になってしまったみたいだけど、40数年前は鄙びた風情のある町だった。シナハンで泊まった時はドラマのプロットをあれこれ考えるのに頭か一杯で景色や料理に舌鼓を打つ余裕なんかなかったけど、今回は鯛料理と宿の露天風呂から見える瀬戸内の穏やかな海を満喫する。翌日は福山から三原に出て、一度乗ってみたいと思っていた呉線に乗ってみる。それも各駅停車の普通列車。窓外に広がる瀬戸内海に点在する島々がまるで箱庭のようだ。呉を経由して広島まで三時間余り。広島市内は今度の芝居には関係ないと思っていたが、平和公園を歩いている内に物語のヒントをつかむ。いつもそうだけど、大事なことは無駄だと思っていることから生まれる。駅中の寿司屋で食事したあと、リムジンで広島空港に移動。15時40分発の飛行機で17時羽田着。品川駅のスーパーで買物してまっすぐ帰宅して開店準備。留守中に届いていた服部妙子さんの衣装をついての問い合わせの手紙に電話で返事する。お店には久しぶりに元法律事務所勤務のNさん、しばらくして映画プロデューサーのKさん。二人とのお喋りは慌ただしく駆け抜けたこの三日間にわたる自分のルーツを辿る旅にピリオドを打つ。
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