五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2021・2・27

2021-02-28 05:58:11 | 日記
今日は病院付き添いも部屋の修繕工事もなにもない日。老老ブレックファーストは半分の食パンにポテトサラダ、チーズ、鮭のフレイクをのせたカナッペ風、それにタマネギを炒めてすり下ろした人参ときのこ類で作った野菜スープに母はグレープフルーツジュースと俺はトマトジュース。食後のんびりしようと母を部屋に送った後、俺も自分の部屋で仮眠。エアコンが二基壊れたままなので夜は滅法寒いが、午前中からお昼にかけては陽光のお蔭で寒さを恐れずに済む。だったら母と一緒にいればいいじゃないかと云う声があるかもしれないけど、24時間一緒じゃお互い疲れる。母はもう自分は病人じゃないんだからベッドで寝たきりになっているのは嫌だと言っているし、歩く訓練も兼ねて部屋の中では自由に動いてみたらいいんじゃないかと思い出している。現にしばらくして出向いてみたら母はベランダの花に水をやっていた。明日からは今まで禁止してしまった新聞の切り抜きもやらせてみよう。俺は午後の時間を使って小説の改訂作業。300枚のちょうど半分か?これからの方が大幅書き直しもあるし大変だ。老老ディナーは、今日長崎雲仙から届いた養々麺。お湯をいれるだけで食べられる即席麺だが、一人分432円もする高級品。織田信長の時代初めてポルトガルの船舶が停泊した南島原の口之津にある会社が販売しているものだと知って、ポルトガルファンの俺はチラシを見た瞬間に電話でオーダーしていた。6時過ぎに編集者のYさんが来て貰って小説のことをあれこれ相談、と云うと聞こえがいいが、改訂作業の終わった原稿を渡してしまえば、後は合法的飲み会。自粛要請の時間内で飲食。
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2021・2・26

2021-02-27 09:20:58 | 日記
お風呂から出て母を部屋に送り込んで休んで貰っている間に老老ブレックファーストの準備。今日の献立はタラの甘酢煮、納豆サラダ、きゅうりの漬け物、卵の味噌汁。用意が出来て母を呼びに部屋に入った途端、臭って来る便のニオイ。まさかたった今お風呂にお尻をきれいに洗ってあげたのにと嘆きつつ、オムツをチェックしてみると、やっぱり便をしている。一昨日便秘をなおす薬を飲んで以来、快便と云うことですか?それはそれでいいんだけど、出来たら風呂に入る前、更に出来たらトイレに座ってからしてもらえると便の処理をする俺としては助かるんだけど。でも、出ないよりは出た方がいい。便に対してこんな思いになれるなんて結婚していたとき子供を育てて以来のことだ。今日も銀行に出かけたときを除いて終日部屋の中。午後NETFLIXで「友罪」(脚本監督・瀬々敬久)を見る。二人の主人公たちの罪の重さが違いすぎる。これじゃ相手を自分と同一化するのは無理ではないか?老老ディナーはキャベツのコンビーフ炒めに母が煮込みうどん、俺は一昨日の残りの麻婆豆腐。6時過ぎて誰かが飲みに来てくれると嬉しいんだけどと思いきや、誰からも連絡がないので母が寝入ったのを見て自分も眠ってしまう。
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2021・2・25

2021-02-26 09:16:57 | 日記
夕べ母に寝る前にトイレに行きなよと言って机の上の後片付けをしていたら、いつまで経っても母がトイレから出てこない。心配になって扉越しにどうしたの?と聞いてみると、「お兄ちゃん、ちょっと来て」と云うもんだからトイレに入ってみると、オムツを下げたまま立ち尽くしている母の姿。でも、次の瞬間、大便がオムツからはみ出ているのを発見。そればかりか床には既にかなりの量の大便が散らばっている。間に合わなかったのか?と聞くと、ウンと答える母。仕方無いなぁと言いながら、汚れてしまったお尻をウォシュレットで長い時間かけて洗い流し、タオルでも太股からお尻にかけても拭う。母はされるがままになっている。何とか匂いと汚れがなくなった段階で新しいオムツに替え、ズボンも新しいのに替えてから母をベッドに横にする。でも、その後俺には母の大便の後片付けが待っている。オムツもそのままではなく大便を出来る限り便器に落とし、床の大便を汚れたズボンを雑巾代わりに拭き取り、雑巾で拭って汚物入れに捨てる。この作業、普通の息子の神経だと持たないような気がする。俺は母を一、二歳の子供と見なし「ウンコ、でちゃったねぇ。いい子、いい子」と内心の声であやしながら汚物作業に取り組む。自分だってその頃は母に大便の世話をして貰っていたのだし、同じことだ。そんな母を今日は老老ブレックファースト(さといもの煮つけ、目玉焼WITHサラダ、納豆WITHもずく、きゅうりの漬け物、大根の味噌汁)の後、俺の部屋のベッドに寝かす。と云うのは、今日はビルの改修の為建設業者が母の部屋に出入りするので落ち着いて休めないからだ。最近母は何処でもすぐ寝つく。その間に郵便局と銀行に行く。月末の送金作業とゆうパックの依頼。ついでに買物兼散歩をする。一時間の空白だったが、母は大人しく眠っていた。年をとると殆ど一日中眠っていると云うのは本当だった。いつか訪れるその時の為の予行演習なんだろうか?出来たらこんな風に穏やかな最後を迎えて貰いたいと不謹慎にも母の寝顔を見て思ったりする。

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2021・2・24

2021-02-25 09:22:59 | 日記
6時半入浴→老老ブレックファースト(トースト、ミニトマトとさやのスクランブルエッグ、市販のコーンスープ)の後、9時にK研究所病院に今日は循環器科の定期検診に出向く。その出掛ける時に母との今日最初の悶着が発生。表はかなりの寒さ(5度~10度)なのに、母は室温になれてしまっているからかセーターはいらない、肌着とワイシャツだけでも暑いと言い張る。朝になって何度も外気に触れている俺がどんなに説得してもダメなので、だったらそのままでいいと説得を諦めて車椅子に乗せてしまう。表に出て一分か二分して、さすがの母も「寒い」と呟いたが、俺は聞こえないふりをする。冷たい風が吹く。母は何度か「寒い、寒い」と言っているみたいだ。「え?寒いんですか?」と俺はとぼけて聞く。母は「さっきから言っているでしょ」と弱音を吐く。だったらこれから俺の云うことに逆らわないようにと強く言って、俺が着ていたジャンパーを貸してあげる。定期検診では入院中も母を見てくれたI医師が血液検査の結果を見て、どこも悪くありません。98歳でこんな頑丈な体、見た事がありません。遺伝ですかねと驚く。母の両親は二人とも早死にでしたと答えると、ウーム不思議ですねと、患者が健康なのに医師は首を傾げる。一旦帰宅して母をベッドに戻してから今度は俺の診察と母の薬を貰いに恵比寿のS医院に出向く。二つの病院の行き来だけで5000歩。とりあえず帰宅してベッドにダウン。そして親子揃って仮眠。午後は小説に手を入れる。書き足らないことが一杯あった。ああ、長崎に行きたい。祖母の希望と絶望の町。祖母が何に希望を抱き何に絶望したのか?想像だけで加筆訂正していくのが辛い。5時に老老ディナー。珍しく病院の帰りに母が今日は麻婆豆腐が食べたいと云ったのでその希望を叶える。他に鮭フレークとさやとネギの炒飯。六時過ぎ母を寝かしつける前にトイレに行かせる。いつもオムツ替えを手伝ってきたのに、今日は一人でやると言うからさせておく。しばらくして出てきたから一人で出来たのかと感心していたら、取り替えた筈の汚れたオムツが見当たらない。でも、用意した新しいオムツもない。ああっ、ひょっとして?とチェックしてみると、母は汚れたオムツの上に新しいオムツを重ねて履いていた。先日も入れ歯を洗浄水につけるのを見ている時に、次はモンダミンで口をクチュクチュさせてと指示したら、ちょっと目を離した隙に入れ歯をつけた洗浄水でクチュクチュさせていた。こんな幼児化傾向が認知症と云うことなのか?心配になって、まだ七時にならないのに、一緒に眠る。
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2021・2・23

2021-02-24 05:02:15 | 日記
母はヘルパーさんが苦手だ。来てくれればくれたで、愛想のいい母はベッドの傍まで来て話し相手になってくれるヘルパーさんに昔話などして(母にいわせると自分が)ご機嫌取りをしているけど、帰った後はぐったり疲れるというもんだから先週一杯で毎日来てもらうヘルパーさんはやめることにした。でも、そうなると俺は何処にも出掛けられなくなるので、毎週火曜日は午前中ヘルパーさんに来て貰って、午後は弟のHが母の傍にいることにした今日は第一日目。母が退院してから初めてのフリーの日だ。何をしようか迷った挙げ句、数日前に封切られた柄本佑主演の「痛くない死に方」(脚本監督・高橋伴明)をシネスイッチ銀座に見に行くことにする。と言っても今日は一時から一昨日書き上げた台本のリハがあるし、見るとしたら第一回目の上映(十時半)しかない。九時に初めてきてくれたヘルパーさんに色々教えてから銀座に急ぐ。でも、そこまでして映画がつまらなかったら悲しいけど、この映画、高橋伴明監督の最高傑作になるのではないかと云う素晴らしい作品だった。今までにみた彼の映画みたいに肩に力が入ってない。ただ、淡々と人生の終わりを描いている。高橋伴明作品で宇崎竜童が縁側で花火を見ているシーンなんか「TATTOあり」を見た人間ならなんともいえぬ感動を覚えてしまう。また来週も映画を見に行けたらと思ったけど、終演が12時40分、慌てて広尾に戻る。俳優諸氏には予め台本を読んで貰うことにしておいたので母の部屋で弟と今後の介護について話した後でリハを遅れて始める。台本の枚数ではかなりの分量だと思ったけど、読みあわせしてみると、55分。ちょっと足らないと思うのはいつもの通りで、リハをしている内に70分位の作品になるから不思議(でもないか)公演日がまだ決まってないけど、この作品はテアトロジャージャンの20本目の芝居になる。仮タイトルは「さよなら こんちわ」記念すべき作品としてこれから芝居を作っていきたい。4時終了。同時に老老ディナーの用意。今日は豚バラ肉とチンゲン菜の牡蛎オイル炒め、白アスパラのマヨネーズ和え、かぶの漬け物、しめじの味噌汁。デザートはチョコレートを削って粉にしてかけたアイスクリーム。因みに老老ブレックファーストは母は昨日のお寿司の残り、俺は焼き鮭に納豆サラダ、きゅうりの漬け物。それにきゃべつの味噌汁。食後、母は六時に就寝。俺も今日は部屋で1時まで眠る。
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2021・2・22

2021-02-23 06:03:26 | 日記
母の体は、もともとかかりつけ医の先生が言われるように内臓的には糖尿が少し出ていることと軽い心不全を起こしている以外どこも悪くないので、誤嚥性肺炎が治ってしまえば元の体に戻ってしまう。今日も老老ブレックファースト(スープおじや、苺)の後、ちょっと目を離していたら一人でベランダに出て花に水をあげていた。因みに今朝のブレックファーストがいやにシンプルなのは、夕べなんだか不思議な台本が前日に出来たことと中断していた小説に再びかかることが出来た嬉しさでYさんと飲みすぎてしまって、久し振りの二日酔いで、俺があんなものしか食べられなかったからだ。午後は母をK研究所病院にリハビリと水曜日の循環器の定期検診にそなえて採血をしにつれていく。そして帰宅後、まだ食欲が完全に戻ってないので夕方食べようか悩んでいたら、美人脚本家のNさんが今夜店の前にあるイタリアンに行くので、その前に母と俺に恵比寿の高級寿司店の折詰を持ってきてくれると云うメール。ラッキー。それもわざわざ出向いてその場で折り詰めにして持ってきてくれたようだ。実に感謝。母も美味しい美味しいと一人前の半分以上も食べてしまった。イタリアンが終わった後、再びNさんが来てくれて(これは営業外のプライベートの飲み会と云うことで)久し振りに飲んでお喋りする。お酒とお喋りはホント楽しい。
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2021・2・21

2021-02-22 09:22:48 | 日記
昨日は八時過ぎに眠って今朝は一時過ぎに起床。そのまま母の部屋で朝まで小説の改訂作業。六時半になって母の入浴介助から老老ブレックファースト(マダラの野菜あんかけ、納豆と山葵菜和え、自家製シソ入り卵焼、きゅうりの漬け物、じゃがいもの味噌汁)の準備。食後、母と息子が並んでの仮眠。午後、新しい大河ドラマの再放送を見た後、再び小説の改訂作業。五時前に老老ディナー。メニューは牛肉と新タマネギのバターソティに昨日の残りのペンネアラビアータ、それにとろろ昆布とちりめんじゃこのおすまし。六時、母の口内衛生、排尿を確認して寝かしつける。六時半、小説の編集者になって貰っているYさんが来店。すき焼きといくらの小鉢でビールからウイスキー(イチローズモルト)を飲みながら小説の改訂作業の方向性を話す。というかそれをダシにして介護のグチをぶつける。かなり酔う。お店の営業時間は八時までだけど、Yさんは店のお客さんではないので、そのまま飲み続けてかなり酔う。それでも九時過ぎ解散。母の部屋に戻ったら、母が起きていて、「何していたの?」と問う。面倒なのでそれには答えず、ベッドに倒れ込む。
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2021・2・20

2021-02-21 04:25:37 | 日記
1時前に起きて母の部屋へ。母が熟睡しているのを確認して今日から長い間放っておいた小説の改訂作業にかかる。母が生まれた年(1923年)に起きた関東大震災から書きだして母が女学校に入る頃(1935年)までの第一部300枚を書き終えたのは去年の七月だったか?このあと俺が生まれる1947年までを書いて行ったらこの倍は行ってしまうし、更にその後から現在に至るまでの母の歴史をこのまま書き続けていいものだろうかと云う疑問と、母が生まれて育った神戸や長崎の町に一度も行ったことがないのに、それらの町を描いた他人の小説や観光案内を読んだりすることで行った気になって(なってはないけど)小説でそれらの町の描写をしてはいけないんじゃないか?一度ならず二度三度と足を運ばなくてはいけないんじゃないか?それと父の育った松本と祖父の故郷である佐久にもちゃんと行かなくては小説は書いてはいけないんじゃないか等々、第二部にかかるまでに色々考えてしまったことに加えて、七月以降「雀色時に炎立ち」のリハと公演、十一月末に公演した「デコボコ」の台本改訂とリハ、その後次回公演する予定の「さよなら・こんちわ(仮題)」の台本改訂作業にかかってしまったので今日まで中断してきたのだ。でも、昨日「さよなら・こんちわ」の台本に目処がついたことで、しばらく芝居の台本執筆はおやすみ。リハーサルはあるけど、母の介護もあるし、そんなにべったりとはつきあえないので、今日からは介護と両立?出来る小説執筆に頭を切り換えることにしたのだ。とは行っても神戸や長崎や佐久にハンティングに行く訳にはいかないから、その町の描写はそのままにしておいて、今まで書いた第一部の中で旧知の町である青山、下北沢、鎌倉を舞台にした部分をトコトン「小説」にして行く作業だ。小説を書いているのに「小説」にしていくとはなんぞや?それは悲しいことにこれまで書いた三百枚を読み返した処、話は進んでいるけど、進んでいるだけのストーリーになっているのに気付いたからだ。どこまで出来るか分からないけど、文章を練りたい。香りたつ、いやいや臭くてもいいから匂いのする文章にしたいと欲張ってしまった。ということで、一枚目からの加筆訂正をしながらの母の介護。日の出とともに始まる入浴介助、洗濯と汚物の処理、老老ブレックファースト(いくら丼、赤魚の味噌煮、ミニトマトとオクラの納豆サラダ、若布と九条ネギの味噌汁)の用意、老老ディナーはアラビアータパスタにソーセージとアボカド添え、それに白菜のコンソメスープ。今日はこの後、店に元法律事務所勤務のNさんが六時半に来る予定になっているので俺は控えめにする。六時に母に歯磨きトイレをさせてベッドへ。母の就寝を見届けて店へ。本当はこんな時だからお断りしてもよかったのだけど、俺自身も誰かと猛烈にお酒が飲みたかったので、こんな綱渡り?をしてしまった。でも、これからも六時までに母を寝かしつけて、その後、今どきは七時ラストオーダーだけど、緊急事態宣言が解除されたらそんな綱渡り的営業もありか?八時過ぎNさんが帰った後、ほろ酔い加減で母の部屋に戻り、ベッドでダウン。
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2021・2・19

2021-02-20 09:13:43 | 日記
1時に起きて母の部屋に。珈琲を飲みながら台本のラストを書く。こんな展開があったのかと自分でも驚くラストシーンを書き上げた午前5時。とりあえず筆をおいて(パソコンの電源を切って)店に行き残っていたワインで一人乾杯。ちょっとした充実感。6時に母を風呂にいれた後、老老ブレックファーストの用意。今日は明太子トーストとチーズトースト。母は蜂蜜、俺は唐辛子入りオリーブオイルを添える。他に目玉焼きWITHサラダ、キャンベルのコーンスープ。母は明太子トーストに蜂蜜を塗り、それをスープに浸して食べる。味がごっちゃになってしまうじゃないか?と以前は注意したけど、もうしない。それに自分は食べたくないけど、食べてみたら意外に美味しいかも知れない。食後、母をK研究所病院につれていく。今日は皮膚科。床擦れが治らないので治療して貰う。帰宅後、俺も母の傍で仮眠。午後、弟のTが奥さん、娘、その生まれたばかりの息子と云う一家総出で母の見舞いに来る。主な目的は生まれたばかりの息子を母に見せることだったらしいが、それにTの奥さんのMさんは有名な小児科医だし、医師として母の回復具合が気になったみたいだ。彼女の診断でも母はどこもなしということで安堵。5時に老老ディナー。一昨日作った豚汁の残りで作った煮込みうどんにお土産にいくらの瓶詰めを貰ったので御飯にのせていただく。本当は台本完成祝いに誰かと飲みに行きたかったけど、それもままならず、一人でワインとウィスキーを飲んで、6時過ぎに母の傍で眠ってしまう。
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2021・2・18

2021-02-19 12:09:02 | 日記
表に出ないと、そして表から人がこないと、出来事は起こらない。テレビで某運動団体の会長か委員長に橋本某がなるとかならないとか臨時速報まで出して騒いでいるけど、そんなに大事件なのか?そんなことを臨時速報にするなら、目の前にある有名なイタリアンレストランBにどんな人が客として来ていたのか報じて貰えると想像力が働いて愉しいのだけど、そんな訳にもいかないか?今朝もまた1時過ぎに起きてパソコンに向かって台本執筆。6時半に母を風呂にいれ、体を洗う。母は俺にされるがまま極楽極楽と呟いている。これまでの人生で誰かに体を洗って貰うなんて子供の時以来だそうだ。息子は息子で、自分が母の様な体や年齢になった時、誰もこんな世話はしてくれないだろうと思う。誰かに感謝されることなんか何もしてこなかったのだから当然だ。その点、母は息子である俺にいくら感謝されてもされすぎない程苦労しての98歳だ。そんな母と息子の姿を窓一面に朝日が照り輝き、二人を照らしだす。母よ本当に極楽だね。せいぜい極楽を味わってくれ。
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