池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

日常の中の死

2017-01-22 01:57:54 | デイサービス池さん

おかげ様で昨日、愛媛出版文化賞の贈呈式に出席してきました。

松山は、あいにくの強風と雪まじりの雨。

普段ヒートテック重ね着、暖かタイツに裏起毛のズボン、頭を毛糸帽子かタオルで保護して働く親子が、スーツを着たりしたもんで、まあ寒い事寒い事。

何はともあれ、思った以上に厳粛な雰囲気の中で、リベットを代表して大ちゃんが立派な賞状を頂いてきました。

皆様ご想像の通り、本日はその賞状を囲んでなんやらかんやら、よかったよかったと大騒ぎして、いつものように写真に収まった次第。

引き続きこの本が、少しでも多くの人の目にとまることを、そして何かの時の誰かの力になれることを願っています。

 

さて、前回のお泊まりの時にあったことを少しお話したいと思います。

今週の月曜日、私たちはヒデコさんを見送りました。まさに日常そのままの人と空間の中で、いつもと同じ時間の中でヒデコさんを看取った月曜日。

私たちは今まで何人もの人を、大頭で看取ってきました。家での看取りをお手伝いさせていただいたこともあります。でもヒデコさんの死は、まったく始めて経験する「暮らしの延長線上にある死」として心に残るものでした。

今まで家で年寄りを看取るということは、大きな決心と覚悟がいるものだと思っていましたが、(もちろん当然、大きな覚悟は必要でしたが)ただ、ここまで普通に、家族が日常の生活を送りながら介護し、看取りを行うことができたということに深い感動を覚えるのです。

あまりにも自然過ぎて言葉がみつからないくらい、涙も出ないほどに当たり前の時間の中での死を経験しました。もともとこの国にあった看取りって、きっとこんなふうに自然だったのかもしれません。

 

月曜から土曜までヒデコさんはデイを利用していました。最初の頃はとても頑固で「帰る」といって外へ出て行ったり、「風呂には入らん」と動かなかったり、結構手ごわい相手でした。

ご家族とも私たちは適度な距離を保ちながら、月日を重ねてゆきました。

骨折の影響や硬膜下血腫、腰の痛みなど、抱えていた病歴を考えると次第に歩行状態が悪くなることはある程度予測できましたが、状態の変化への不安を抱えたご家族は、リハビリ目的でそのたびにヒデコさんを病院へと連れていきましたので、最後はおそらく病院で迎えるのだろうと、私たちも漠然と感じていました。

毎日送迎の見送りと出迎えは、息子さんとお嫁さんが仕事の時間を調整し交代で行っていましたが、息子さんの当番の日、朝は「おばば、もう帰ってくるなよ!」と笑顔で送り出し、帰りは仕事を終えて早々とお酒を飲んでご機嫌の息子さんが「おばば、また帰ってきたんか!」と笑顔で迎えるのが毎日の日課でした。

たまに飲み過ぎた息子さんが、酔っぱらって布団から出てこないこともありましたが、私たちは驚くこともなく息子さんを起こし、ヒデコさんをベットに連れていく、それがこの家族の日常でした。

決して介護を放棄するわけでもなく、かといって熱心に自分たちの生活より介護を優先するというわけでもなく、ただただ普通に暮らしの中で年寄りと一緒に過ごすという、ある意味無理のない介護生活を続ける家族の姿がありました。

時間と共にヒデコさんの体調も変わってゆき、年末が近づく頃、ヒデコさんは食べるという行為が難しくなりはじめました。年末年始、ヒデコさんは「食べる」ために大頭へと通ってきましたが、残された時間がもう長くはないだろうと感じていました。

私たちは悩んだ末に、1月4日ご家族との話し合いの時間を持つことにしました。

「今後、どこでどう過ごすのか、最後の時をどう迎えるのか」

私たちがご家族にこの質問をした時の息子さんの表情を、今でも忘れることはできません。

息子さんは込み上げてくる感情を抑えることもなく、嗚咽と共にこう答えました。

「今まで行っていた病院は、今日で切ります。後は池さんに任せます。管はつなぎません。このまま、家で最後まで看ます」

いつも、酔っぱらってヒデコさんを迎えていた息子さん。

そして、次の日からも夕方送ってゆくと、やっぱり息子さんはお酒を飲んで上機嫌でヒデコさんを迎えるのです。「おばば!おかえり~!」と。

2回だけ点滴を試みましたが、2回とも身体が受け付けず途中で断念せざるをえませんでした。ヒデコさんの身体は、もう水分も栄養も必要とはしていないようでした。

それでも酔っぱらっていても息子さんは、夜中2時間おきにヒデコさんの口を湿らせてあげていたようです。朝お迎えに行くと、「昨夜は水をちょっと飲んだ」と嬉しそうに話してくれました。そして「おばば!今日も行ってこいよ!」と同じように、ほぼ危篤状態のヒデコさんを、今までと同じように送り出すのです。

4日に家族と話し合いをしてから、13日目。1月16日。

朝、いつものように私たちは迎えにいきましたが、もう意識は混濁しているようで、身体には全く力がありませんでしたが、ご家族はいつもと変わらず、当たり前に送り出すのです。私たちも当たり前に車に乗せて走りだす・・・まったく何も変わることなく。

午後5時、いつものように同じ時間に送って行って、もうほとんど昏睡状態に近いヒデコさんをいつものように車椅子に座らせた時、やっぱり息子さんがお酒を飲んで上機嫌で「おばば!おかえり~!」といつもと同じように迎え、「兄ちゃん、これ持って帰ってや!」とでっかい大根をくれ、千鳥足で車椅子を押す息子さんの様子に、思わず大ちゃんと「たいしたもんだ」と感心したり。

おそらく今日か明日か、という切迫した状態にも関わらず、いつもと同じ日常と同じ時間が過ぎてゆくことに、私はなぜか安心感を覚えていました。一人の人が逝くかもしれないという危機感とか悲しみというよりも、穏やかで軽やかな感情。

確かに悲しい現実なのだけれど、決して重苦しい感情ではなく、軽やかな空気感。

そんな気がした最後の送迎でした。

おそらくこの日だろうと私たちは感じていたので、7時半にもう一度見に来ますねとご家族に伝えて、大頭の仕事を終えお宅へと到着し、ベットサイドへと座った瞬間が、ヒデコさん息を引き取った瞬間でした。

お嫁さんは「あれっ?終わったん?ええっ?本当?」

そして、「お父さん、お父さん」とお酒を飲んで隣の部屋で寝ていた息子さんを呼びに行ったお嫁さんが「逝ったよ!逝ったんよ!おばあさん、逝ったよ!」と言ったら、息子さんが「行った?おばばが?どこへ~?」

思わず笑ってしまうような会話。あまりにも普通すぎて。あまりにも緩やかすぎて。

布団から飛び起きてきた息子さんが、「ようがんばった!おつかれさん!」と優しくヒデコさんに語りかけ、お嫁さんもあまりのあっけなさに、「本当?」と言いながら、あれこれ支度をする姿に何か穏やかな気持ちが満ちつつ、89歳とはいえ十分に生き切った人のいさぎよさに心を打たれながら、最後の支度をする自分がそこにいました。

いろんな死を見てきました。

毎日の暮らしの中で逝くということは、とても難しいことのように思うけれど、ヒデコさんの死は紛れもなく暮らしそのものの中に存在した死として、これからも私たちの記憶の中に確かに残るだろうと思います。

最後の支度を整えて、ご家族に御挨拶をして帰ろうとした私たちに息子さんが、「今日とった野菜、持って帰ってくれるかい」と言って、いつものようにキャベツを渡してくれた時、「なんか普通やね」と大ちゃんと笑いながら車に乗った私は、涙より悲しみより、なんとも言えない不思議な気持ちに満たされていました。

 

限りなく当たり前の生活にこだわってきた私たちが、始めて経験した当たり前の死。

生きることの先に死が存在するとしたら、ヒデコさんという人の暮らしの先に存在するヒデコさんの死は、こういう死こそがヒデコさんにとって当たり前の死だったのだと、改めて感じています。

それぞれの「生」と、それぞれの「死」

決して別々のものではなく、二つのものは確かに繋がっているものだと、

ヒデコさんの死を通して考えることができました。

 

素晴らしいご家族と出会えたこと、いろんなことを教えてもらえたこと、感謝です。

久しぶりに御主人に会えたかな。喧嘩せんようにね。ヒデコさん。ありがとうございました。

 

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雪山 | トップ | 骨格 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
またひとつ… (マイト)
2017-02-03 23:45:04
ものがたりを読ませて頂きました。

感謝です。ありがとうございます。
返信する
マイトさんへ (大ママ)
2017-02-09 22:51:48
こちらこそ、いつもありがとう。
寒いですが、身体に気をつけてくださいね。
返信する

コメントを投稿

デイサービス池さん」カテゴリの最新記事