48 東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
49 日並の 皇子の命の 馬並めて 御猟立たしし 時は来向ふ
この歌は単に猟に向かう時のものではなく,高市皇子の大津皇子に対するクーデターの時のものだとしました。
《東から太陽が昇るときに、月が西に沈む》のは大津皇子が殺害された月日の時のことでなければなりません。》・・・のはずでした、
前回の写真にあるように
《2018/10/25 月 . . . 本文を読む
万葉集((軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌)短歌)
48
東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
ひむかしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ
49
日並の 皇子の命の 馬並めて 御猟立たしし 時は来向ふ
ひなみしの みこのみことの うまなめて みかりたたしし ときはきむかふ
「ひむかしの~」の歌は、東から日が上がってきて、ふり返ってみると月が沈もう . . . 本文を読む
いわゆる《藤原京》といわれている都がいつできたのか,現在の関心事です。
今までも考えてきましたが、藤原京は過小評価されている、と思えます。
藤原京を過小評価するのは、特に高市天皇の時代を消すため,天武系の時代をできるかぎり消したかったからではないか、と想像しているわけです。
白村江の敗戦後、ほうほうの体で、《卑弥呼・臺与(とよ)の子孫であろう》大海人皇子、百済王・豊璋は日本に戻ってきたはずです。 . . . 本文を読む
天孫・ニニギノミコトは笠沙の岬で木花開耶姫〈コノハナサクヤビメ〉に出会います。
野母崎・獅子吼岬の近くに木花開耶姫神社が見つかりました。
しかし、野間岬の近くにはなさそうです。
この木花開耶姫神社は興味深い位置にあります。
①高千穂峰-武寧王陵
②竹島-獅子吼岬
③野母崎-藤原宮跡
の三つの直線のほぼ交点にあります。
①高千穂峰-武寧王陵は藤原宮跡と結ぶと直角三角形になっていました。
②竹島-獅子 . . . 本文を読む
△獅子吼岬-インチョン湾-藤原宮跡は直角三角形になりました。
そして、インチョン湾ー獅子吼岬の線上に野母崎という地点がありました。
野母崎という地名は野間岬と似ています。
気になりましたので竹島や藤原宮跡に線をつないでみました。
竹島-インチョン湾-藤原宮跡-野母崎
あまりにもできすぎた形になりました。
「笠沙の岬」を「獅子吼岬」としてみますと「野母崎」は「向韓國眞來通・朝鮮に向かって . . . 本文を読む
恥ずかしながら、前回やったことは、以前にやっていました。
暑さのせいにしたいところですが、そうじゃなく、単に、ぼけはじめです。
白村江からの天孫降臨 2016年10月01日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/c70160ae8f06eb71b965bab2dbd2238b
出雲大社-高千穂峡-高千穂峰は一直線でした。
その時、インチョン湾-出雲大社- . . . 本文を読む
出雲大社→高千穂峰
①203°17′20.44″ ②22°18′35.26″ ③422,957.346(m)
出雲大社→高千穂峡
①203°30′21.21″ ②22°43′49.46″ ③325,597.749(m)
高千穂峡→高千穂峰
①21°35′05.41″ ②201°47′20.17″ ③97,369.718(m)
325,597.749(m)+97,369.718(m)=422 . . . 本文を読む